約束の10日を過ぎた後も、もう1週間だけ中高生3人組と寝泊りする事になりました。
そして僕がいる間はせっかくなので、朝の寝起きのジョギングを止めて朝から聖書のみことばを学ぼうと言う事になりました。
最初の日はゆうや君だけでしたので、彼にはデボーションの仕方を教えました。
彼らはまだ決まりきった祈りでしか祈れませんので、聖書の中の詩篇の中から1篇だけを神様に選んで頂いて、更にその中から今日1日の為のみことばを頂くと言う方法を試してもらいました。
それをやってもらうと、ほんとに聖霊様が相応しいみことばを与えてくれて、そのみことばの霊的朝ごはんを食べてからトーストを頂くと言う日が続きました。
そして、面白い事に朝のみことばをそのまま聖霊様御自身が実体験を通して子供達に学ばせる事が毎日出来ました。
その学びと体験の中で聖書のみことばと言うものは、聖霊様の実体験によって学ぶものであり、みことばを証しするのは人間ではなくて、聖霊様ご自身であると言う真理などが、段々分かってきました。
その中で、霊的戦いの事を彼らが学ぶ必要がありましたが、戦に出かけるその前に自分の城壁や門をしっかり堅固にしなければ、侵略者に城を攻め取られてしまうと言う事をまず学ばなければなりませんでした。
ここで言う城とは神殿の事でもあるのですが、私たち自身の事を霊的に解釈した場合、聖霊の宮とも聖書にも書かれていますので、私達自身がお城や神殿に例える事が出来ます。
ですから城壁のない城や、門が開きっぱなしの城、見張り役のいない城となると、兵士が戦いに行っているスキに城を敵に奪われてしまうと言う事になってしまいます。
しかも武器も備わっていない、訓練も受けていない兵士達なら話になりません。
ここで、敵とはお分かりの通り、サタン軍である悪霊共の事です。
そう言う事でしたので、僕は創世記からヨシュア記までを読むようにと彼らにいっていたのですが、一向に読む気配がありませんでした。
聖霊様がかなり顕著に働いて感動と感謝で一杯だったのですが、このように旨くいっている時が実は一番危険だと言う事も彼らに教えたいと思っていました。
そしてこの事も体験を通して聖霊様がちゃんと教えてくれました。
まず、この学びの最初に彼らには聖霊様を知ってもらう前に、日ごとの取り決めを決めてそれに従って貰う事にしてもらいました。(と言っても自分たちで決めたのですが・・・)
なぜなら「小さな事に忠実なものは大きな事にも忠実」だと聖書に書かれているからです。
そして「目に見える指導者に従う事が同時に主に従う事である」と言う真理を学んで欲しいと願ったからです。
そのことをクリアーしなければ、聖霊様のことを学ぶ事は出来ませんし、ましてや悪霊共と戦うと言う事は尚更不可能に近い事です。
悪霊共は軍隊を持っていて、人を惑わし、殺し、人間を地獄へ引きづり下ろす為の戦略を心得ています。
正に戦いのプロフェッショナル達です。
ですから、こちら側も簡単に考え、気を抜いたり手を抜いたりすると、それは命取りと言う事になってしまいます。
それと、戦いに関する事は全て聖書に書かれています。
そして、それを解き明かし、具現化し、訓練して下さるのが、聖霊様です。
聖霊様によってしか私たちは戦い方を学ぶ事も、敵に打ち勝つ事も出来ません。
そして私たちの軍隊である天使達を先導し、導いておられるのはイエス・キリストです。
直接的に言えば、聖霊様ご自身と言う訳です。
ですから、我々は聖霊様の指示に従う事を第一に学ばなければなりません。
しかし、今回は聖霊様に聞き従う事を学ぶと言うよりは、その前段階の日ごとの決まり事を守ったり、指導者に忠実に従うと言う事を学ぶと言うとても地味な特訓でした。
しかし、主はこの事をとても重く見ています。
賜物が多く与えられていても、それを用いる事が出来ないのは、この前段階の訓練や、聖書のみことばを守れず、聖霊様のみこえにも気づかないと言う事に問題があるかと思われます。
又、その背後には罪や悪霊の影響等もある事でしょう。
それらの事を解決しない限りは、悪霊の目くらましにあってしまい、サタンに欺かれてしまいます。
ですから、聖霊様は今回子供たちの霊的解放を啓示と実行によって成し遂げてくれました。
聖霊様に感謝です。
僕は、聖霊様のアシスタントに過ぎないですので、毎日聖霊様が示す聖書箇所を忠実に解き明かしていきました。
なぜなら僕は単なる通訳者で、直接働かれるのは聖霊様ご自身であるからです。
次は実際に学んだみことばの箇所から、解説していきたいと思います。
■やっとオフィスにに戻りました。
この数日2ヶ月ぶりに事務所に戻り、最近からここでmixiの日記書いています。
1ヶ月程チャーチスクールに通っていました。それ以外では必要に応じて色々外で動いていました。
そこで子供たちとともに過ごし、神様の事も学ぶ事が出来、悪霊に対する事なども学ぶ事が出来ました。
でも日記には書かれていない、外での聖霊様の働きやサタンとの戦いは更に激しいものでした。
いつかその事も語りたいと思います。
僕がチャーチスクールに行っていたのは、もちろん聖霊様の導きにより、行っただけなのですが、僕自身の霊的休息の為だったと思います。
それもクリスマス会までのお話なのですが。
僕らは人が知らない、教会の外での働きの方が何かとサタンの誘惑、攻撃に遭いやすいかと思います。
そういう意味で、クリスチャンが単体で行動するのは聖霊様の導きが無い限りは非常に危険な事だと思います。
キリストのみからだとしての教会の働きの中で賜物を用いるのなら、教会の徳を高め働きも祝福されると思います。
でも今は霊的に緊急事態です。
神の国は激しく奪われていると、イエス様は言っていましたが、サタンの王国である地獄の働きもとても激しいです。
そういう意味で、キリストをかしらとした教会を超えての働きがとても大切だと信じています。
幸いな事にmixiを通して多くの方々と親しく交わり信頼関係も高める事が出来ている事にとても感謝しています。
オフラインでもオンラインでも、世界中が主を知り、信じ、救われ、共に礼拝し、喜びも苦しみも分かち合えるようになりたいですし、共に賛美し礼拝したいと言う想いで一杯です。
今年まではその準備の為に働いてきたのですが、いよいよ来年からは実行に移して行きたいと思います。
誰が考えても人間的には不可能なのですが、成し遂げてくださるのは、イエス・キリストですので、信仰をもってこれからも皆さんとお付き合いできればとても感謝な事です。
日記だけ読んだら、超真面目そうなクリスチャンに思えるかもしれませんが、実際は僕ほど型破りなクリスチャンもあまり会った事がないし、非難されて誤解されてばかりの情けない人間です。
でも全て主がご存知なので、その時が来るまでは全てにおいて感謝し、主に従って毎日を賛美と礼拝で満ち溢れさせていきたいと願っています。
どうか皆さんもそれぞれ、素晴らしい賜物と、使命を主から与えられているのですから、時間や空間をこえてこれからも感謝してお付き合い願いたいです。
放蕩息子のKeystoneより
※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。
■しゅうへい君が断食中?
今回チャーチスクールでは聖霊様御自身が、聖霊様の働きの表れによって、ほんとに一人一人の内側の改革と神殿の建て直しを教会でやろうとしているんだなと言う事がよく分かりました。
しかも朝のデボーションの時に、聖霊様御自身がその事を行なうから、その為に僕がその働きををヘルプしなさいと聖霊様に言われていました。
これはここの教会だけのことでは無くて、キリスト教会全体としての事を語っていました。
それにしても、聖霊様の働きを目の前で見る事の素晴らしさはホントに例えようの無い喜びです。
エキサイティングしますね。
主の御名を賛美致します。
では本題に入りますが、ある時仕事を終えてチャーチスクールへ戻ると、しゅうへい君がいきなり
「今日初めて断食をしている。」と言いました。
それで、僕が
「それは素晴らしい事ではあるけれど、何で突然断食なんかしようと思ったの?」と聞きました。
すると彼は「それは自分の身を戒める為です。」と言いました。
「じゃあ何で自分の事を戒めるの?」と聞きました。
そしたら、「嘘ついたり、悪い事ばかりしていてるので自分を清めたいと言う事でした。」
僕は「なるほど。・・・そうか。」
と言いました。
それで、断食について少しみことばから解き明かして行きたいと思ったので、話を進めていきました。
「僕も教会に仕えている時は、断食をほとんど毎週やっていたし、聖霊様によって毎年と言うほど40日以上の断食をさせられていたよ。
でも断食と言うのは基本的に、命がけで神様に対して祈りたい時に、聖霊様によって導かれてのみ行なうものだと僕は認識しているから・・・。
でもどちらかと言えばしゅうへいの場合は、我慢大会になっているような気がするし、犯した罪も悔い改めたなら、イエス様の血によって完全に許されて清められているんだよ。
だからあまりする必要性もないんじゃないかなとは思うけど、せっかくだから断食に対して聖書で学んでみよう。」
と言う事なのですが・・・。
断食と言うものは、我慢してやるものでもないし、ダイエットの為でもないし、自分を懲らしめる為のものでもありません。
今は旧約時代では無いし、全ての懲らしめはイエス・キリストが十字架上ですでに負ってくれています。
ですから私たちが身を懲らしめたからと言って主が喜ぶ訳ではありません。
又、断食をしたから凄いとか素晴らしいとは限りません。
問題は主のみこころは何で、主が喜ばれる事はどのような事かと言う事が大切だと思います。
でももし、霊的に断食を理解し、使用するならこれは霊的戦いに勝利をもたらす凄い必殺技になる事は確かです。
でもそれを分からずに、ただやるのは無意味だしサタンにだしぬかれてしまいます。
それで、みことばにはどう書かれていて、神様は断食に対してどんな考えを持っているのかと言う事を聖書から学ぶ事にしました。
まずは、聖書からイザヤ書を見てみましょう。
イザヤ書第58章
「大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ。
彼らは日々わたしを尋ね求め、義を行い、神のおきてを捨てない国民のように、わが道を知ることを喜ぶ。彼らは正しいさばきをわたしに求め、神に近づくことを喜ぶ。
彼らは言う、『われわれが断食したのに、なぜ、ごらんにならないのか。われわれがおのれを苦しめたのに、なぜ、ごぞんじないのか』と。見よ、あなたがたの断食の日には、おのが楽しみを求め、その働き人をことごとくしえたげる。
見よ、あなたがたの断食するのは、ただ争いと、いさかいのため、また悪のこぶしをもって人を打つためだ。きょう、あなたがたのなす断食は、その声を上に聞えさせるものではない。
このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか。人がおのれを苦しめる日であろうか。そのこうべを葦のように伏せ、荒布と灰とをその下に敷くことであろうか。あなたは、これを断食ととなえ、主に受けいれられる日と、となえるであろうか。
わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。
そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。
また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、
飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。
主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。
あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。
もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、
その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う」。これは主の口から語られたものである。
以上
このみことばをまず、彼らに分かる様に解き明かして行きました。
「まず、前半部分は神様が求める断食と人間が求める断食とが全く違うと言う事を神様は指摘していて、神様は神を信じる者が、自分の為に自分の身を戒める事を決して喜んではいないと語っているでしょ?」
まず、しゅうへい君はここで納得してくれました。
でも、ここでは他人の為に自分の身を戒める事には反対してはいません。
後半部分では神様が求める断食の意味を語っています。
「わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。」
ここのみことばの意味を聖霊様が教えてくれました。
「それはつまり、神様が求める断食と言うのは、ただ食事をしないで神に祈ると言う事ではなくて、もっと霊的に言うとこうだよ!
みんながこの学びの間に聖霊様の導きとみこころによって全ての罪や悪い習慣から解放され、悪霊の束縛からの解放が与えられたでしょ?
全てこのみことばに書かれている事が起こった訳だよね?
そして、みんなのトーストや食事や、寝床も僕に提供してくれたし、これからはここで学んだ事を家に帰って実践すると言う事で、ゆうやも家に久しぶりに帰ってお母さんを喜ばす事が出来たでしょ?
つまり、ここに書かれていることが全て成就している訳だ!
これは、素晴らしい事だね。」
そして、次の解き明かしをしました。
「そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。
また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、
飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。
主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。」
そこで僕は語りました。
「皆が霊的断食の体験を聖霊様の導きによって知らず知らずのうちに受けていたので、その結果聖霊様とのコンタクトが取れるようになるとここに書いてあるし、神様が祝福してくれると書いてあるよ!」
これを聞いて、子供達はとても感動していました。
なぜなら、将来は牧師になって多くの人を救いに導き、病気や悩みで苦しんでいる人々を解放してあげたいと望んでいるからです。
そしてその為には聖霊様の声がどうしても聞けるようになりたいと願っていたからです。
そして次の所を解き明かしました。
「あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。」
ここは子供たちも全然意味が分からないと言いましたが、実はここが又、素晴らしい所です。
「これはどう言う事かと言うと、簡単に言えば聖霊様から最初に言われた預言を思い出して欲しいのだけど。
聖霊様は、みんなに霊的解放を与えて、内側の変革を与えて、教会を建て直すと約束したでしょ?
その後地域の子供達を集めて霊的解放の働きをしなさいと言われたよね?
実はそのことの預言がここに全て書かれている!」
この言葉を聞いて、僕も含めこの3人も益々感動して興奮しました。
ほんとに聖霊様は素晴らしいです。
そして最後の解き明かしをしました。
「もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、
その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う」。これは主の口から語られたものである。
これはそのままの意味なのですが、礼拝に対する姿勢や奥義を語っています。
それで僕は、礼拝について彼らに教えないといけない事があると思いました。
僕が寝泊りする最後の日は日曜日なのですが、礼拝が終わってからデボーションの間の時間を皆で礼拝すると言う事に決めました。
そのことを先生にも許可してもらい、最後の教えになるなと思いながら、楽しみにしていました。
Keystoneより
※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。