※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。
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2007年01月04日21:33 mixyの日記より
質問1. イエスキリストにある聖徒たちが悪霊の支配下に置かれることがありえるだろうか?
この疑問についてお答えします。
☆ルカによる福音書13:10~13:17☆
安息日に、ある会堂で教えておられると、そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。
イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、手をその上に置かれた。
すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。
ところが会堂司は、イエスが安息日に病気をいやされたことを憤り、群衆にむかって言った、「働くべき日は六日ある。
その間に、なおしてもらいにきなさい。安息日にはいけない」。
主はこれに答えて言われた、「偽善者たちよ、あなたがたはだれでも、安息日であっても、自分の牛やろばを家畜小屋から解いて、水を飲ませに引き出してやるではないか。
それなら、十八年間もサタンに縛られていた、アブラハムの娘であるこの女を、安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったか」。
こう言われたので、イエスに反対していた人たちはみな恥じ入った。そして群衆はこぞって、イエスがなされたすべてのすばらしいみわざを見て喜んだ。
以上
ここを読んでみるとこの女性はアブラハムの娘ですので、今で言えばクリスチャンの事を意味しています。
彼女は何と18年間もサタンのの支配下にありました。
イエス様は律法を犯してでもサタンの支配下から彼女を解放してあげました。
律法の力ではサタンから救う事は出来ませんでした。
しかし、イエス様の愛の実践は律法から解放されるものであるのと同時にサタンからも解放されるものでありました。
僕のプロフィールにもあるみことばなのですが、私たちの信仰告白の力はどんな権威よりも支配よりも大きい事が分かりますので、例えサタンに縛られていた人がいても大丈夫です。
権威を持って追い出してください。
☆マタイによる福音書16:17~16:19☆
すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。
あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。
そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。
そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。
黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。
そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
質問2.
「御霊のご支配の中にあって悪霊の支配をも受けるという二重支配があるということがどうしても納得できません。
ここに出てくるアブラハムの娘はまだイエス様が十字架に架かられる前の状態ですので、アブラハムの契約下にあれど聖霊が下る前です。彼女と新約の聖徒を同列に論じることには無理がありませんか。すみません引き続き考えてみます。 」
keystone2007年01月07日 19:50
下記のみことばを参考にして下さい。
聖霊様の支配下にあるならば、肉の思いを殺す事が出来ます。
でも肉に体を支配されるならば、肉が聖霊様の王座を奪ってしまいます。
だからと言って、聖霊様がいなくなるわけではないと思いますが、肉(魂)か、聖霊様か、必ずどちらかの支配になると思います。
もし肉に従うならばサタンが思いの中で支配しますし、人格をコントロールするために仕掛けてくる時があります。
でも恐れる事はありません。
私たちはキリストによって既に勝利しているので、いつでもサタンや肉に打ち勝つ事は可能です。
☆ヨハネの第一の手紙4:4☆
「子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。」
☆サムエル記上 16:14~16:15☆
さて主の霊はサウルを離れ、主から来る悪霊が彼を悩ました。 サウルの家来たちは彼に言った、「ごらんなさい。神から来る悪霊があなたを悩ましているのです。
☆テサロニケ人への第二の手紙2:10~2:12☆
また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。
彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、
こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
☆テモテヘの第一の手紙1:19~1:20☆
ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った。 その中に、ヒメナオとアレキサンデルとがいる。わたしは、神を汚さないことを学ばせるため、このふたりをサタンの手に渡したのである。
☆マタイ 6:24 ☆
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
以上
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2007年01月05日16:14 mixiの日記より
年末にマイミクの方から質問を受けましたので、彼に許可を取って皆様と分かち合う事にしました。
以下本文
Q.ボクのよくわからない領域なので、せっかくなのでkeystoneさんのお話を聞きたいのですが、
これもkeystoneさんが最近かかれている霊の戦いに関してです
10年くらい前、あるいはそれより少し前から「力の伝道」ということばが聞かれるようになりました。
その中で「地域を支配している悪霊」という言葉も積極的に聞かれるようになりました。
そういう流れの中で、地域の悪霊を縛る、という働きや、神社や仏閣に積極的にいって、悪霊をしばる祈りをしたりする働きもあります。
ボク自身は、悪霊と直面した時、させられた時、御名によって霊的戦いをすること、また、その地域を支配している悪霊があることも聖書が支持していることだと思います。
この世はサタンが支配し、また各地域を彼の部下たちが支配していることはダニエル書などからも読み取れます。また御名によって霊的戦いをすることは主ご自身がしたことであり、弟子たちにお命じになられたことです。
ですから悪霊の影響下にある方や悪霊が現れて神の国の働きの妨げになるときに積極的に霊の戦いをする必要があると思います。
しかし、ボクがわからないのは、神社仏閣などにいって縛る祈りをしたり、地域の悪霊に対して積極的に戦いを挑むことは聖書的なのかどうかです。
キリストご自身も地域というより個別に彼の伝道でかかわりがでてきた悪霊たちと対処した感があり、またサタンに対して宣教の初めに大きな戦いを彼が挑んできたのでやりましたが、彼が挑んできたとき以外は余計な戦いをしなかった感もあります。。。
神社仏閣にいっての祈りも必要なときもあると思いますが、あくまで聖霊によって導かれないと効果もないし、かえって大きな返り討ちがありそうな気がするのです。
出会った悪霊個別に対する戦いというのは主ご自身や使徒たちの宣教に見られるのですが、地域の霊に対する戦いというのはボクの記憶ではないような気がするのです。ただダニエル書では天使はその地域の悪霊と戦っている印象はあります。
この質問をするのは聖書が積極的に支持をしていないと思われることが教会の中で大きな働きと見られることが良いことなのだろうか?という疑問が前提なのですが、keystoneさんのお話をお聞きできたらと思います。
A.・・・と言う事でまずは、ダニエル書からみていきましょう。
☆ダニエル書10:12~10:21☆
すると彼はわたしに言った、「ダニエルよ、恐れるに及ばない。あなたが悟ろうと心をこめ、あなたの神の前に身を悩ましたその初めの日から、あなたの言葉は、すでに聞かれたので、わたしは、あなたの言葉のゆえにきたのです。
ペルシャの国の君が、二十一日の間わたしの前に立ちふさがったが、天使の長のひとりであるミカエルがきて、わたしを助けたので、わたしは、彼をペルシャの国の君と共に、そこに残しておき、末の日に、あなたの民に臨まんとする事を、あなたに悟らせるためにきたのです。
この幻は、なおきたるべき日にかかわるものです」。
彼がこれらの言葉を、わたしに述べていたとき、わたしは、地にひれ伏して黙っていたが、見よ、人の子のような者が、わたしのくちびるにさわったので、わたしは口を開き、わが前に立っている者に語って言った、「わが主よ、この幻によって、苦しみがわたしに臨み、全く力を失いました。
わが主のしもべは、どうしてわが主と語ることができましょう。わたしは全く力を失い、息も止まるばかりです」。
人の形をした者は、再びわたしにさわり、わたしを力づけて、言った、「大いに愛せられる人よ、恐れるには及ばない。安心しなさい。心を強くし、勇気を出しなさい」。
彼がこう言ったとき、わたしは力づいて言った、「わが主よ、語ってください。あなたは、わたしに力をつけてくださったから」。
そこで彼は言った、「あなたは、わたしがなんのためにきたかを知っていますか。
わたしは、今帰っていって、ペルシャの君と戦おうとしているのです。
彼との戦いがすむと、ギリシヤの君があらわれるでしょう。
しかしわたしは、まず真理の書にしるされている事を、あなたに告げよう。
わたしを助けて、彼らと戦う者は、あなたがたの君ミカエルのほかにはありません。
以上
ダニエル書で見る限りでは国を支配している強力な悪霊が確かに存在しています。
でもその悪霊と戦うのは天使であって人ではありません。
しかも戦うのが「大天使ミカエルのほかにはありません」と言う位ですから、普通の天使では太刀打ち出来ない強力な悪霊だと言う事がわかります。
次にエペソ書を見てみましょう。
☆エペソ人への手紙6:10~6:18☆
最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。
それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。
すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。
それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。
絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。
以上
ここではパウロは「悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。」と勧めています。
その理由としては「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。」
と言う事だからです。
パウロはローマ書の中で自分の内側での霊的戦いについて目を開かれました。
☆ローマ人への手紙7:21~7:23☆
「そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。 すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。」
しかし、今度は血肉に対する戦いの事ではなく、様々な階級を持つ霊的存在に対しての戦いについて語っています。
彼はなぜその悪霊の霊的戦いとその支配階級を知る事が出来たのでしょうか?
もちろん聖霊様の啓示があっての事なのですが、これは体験を通してしか学ぶ事が出来ない事です。
実はパウロが地域の大きな悪霊と戦った事が聖書に記されています。
☆コリント人への第一の手紙15:30~ 15:32☆
また、なんのために、わたしたちはいつも危険を冒しているのか。
兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたにつき持っている誇にかけて言うが、わたしは日々死んでいるのである。
もし、わたしが人間の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つのか。もし死人がよみがえらないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。
以上
ここにあるようにパウロはエペソの獣との戦いに際して「わたしは日々死んでいるのである。」と言う表現をしています。
これは肉を十字架にかけて殺していると言う意味です。
決して「わたしが人間の考えによって」やった事ではないという意味でもあります。
なぜなら、地域を支配する悪霊と戦ったとすれば「わたしたちはいつも危険を冒している・・・」と言う事になるからです。
ちなみにパウロがエペソで戦かったと思われる獣はこれです。
☆マリヤについて☆
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=292908366&owner_id=4721968
それでは次にイエス様の悪霊たちに対する姿勢をみてみましょう。
☆ヨハネによる福音書17:15☆
「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。」
☆マタイによる福音書6:13☆
「わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」
イエス様の言葉をみると明らかにサタンから守られるようにと願っています。
ここでは個人的に悪霊と戦えと言う意味では無いように思われます。
次に使徒達の言葉。
☆ペテロの第一の手紙5:8~5:9☆
「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。 」
☆ヤコブの手紙4:7☆
「そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。」
使徒たちは立ち向かって抵抗しなさいと言っています。
これはおそらく個人的な戦いの事を指しています。
地域の悪霊を倒せと言う意味では無いようです。
☆マタイによる福音書12:28~12:29☆
「しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。」
ここで「強い人を縛る」と言う表現が出て来ました。
これは悪霊のかしらやリーダークラスの強い悪霊のことを指していると思われます。
でもこれも実際は個人的な悪霊の支配に対する姿勢の事と受け取れます。
なぜなら、悪霊の影響を受けている人の場合、多くの方にリーダー的な悪霊の存在を見る事が出来るからです。
そのリーダー格の悪霊を追い出すのはとても困難です。
しかし、その悪霊のリーダーを最初に縛り上げる事は可能です。
(この時にはどうしても「霊を見分ける力」が必要となります。)
縛る事によって、他の弱い悪霊共が出て行きやすくなります。
ほとんどの悪霊が出て行けば強い悪霊も最後には退散すると言うわけです。
ですから
「まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。」
と言う意味は個人的な事を指していると思います。
でもここで分かるとおり、国を支配している大きな悪霊は天使との戦いになるかと思われます。
どちらにしても空中の権威を持つ者を私たちが縛ると言う事は理にかなっていると思います。
追い出しまでするというのはかなり危険ですので、まず僕ならやりません。
なぜなら、間違いなく教会に仕返しが来るからです。
それは半端な攻撃ではありません。
僕が献身している時には教会の外でも癒しや奇跡が起こりました。
そして、悪霊の追い出しもかなりやりました。
ところが、教会に仕返しが来るので、外での奉仕を止めてくれと牧師先生に言われました。
でも外では多くの方々が僕に癒しや奇跡を求めて集まってきました。
僕は困り果てて、聖霊様に聞きました。
「聖霊様、僕は外では癒しや悪霊との戦いをするなと言われています。
ところが、皆僕に祈ってくれとお願いします。一体どうすればいいのですか?」
そしたら聖霊様は答えてくれました。
「悪霊と戦う事はもうしないで、あなたはただ賛美をしてイエス・キリストを証ししなさい」
で、僕は聞きました。
「そうすれば、悪霊共の仕返しはもう来ないのですか?」
そして、聖霊様が答えました。
「私が戦って負ける事は無いし、私に仕返しを出来る悪霊はひとりもいません。」
僕は、なるほどと思い、主に感謝してそれからは、一切悪霊追い出しをしなくなりました。
ところが、賛美をするだけで、今までよりも顕著に悪霊共は悲鳴をあげては出て行くし、奇跡も不思議もたくさん見る事が出来ました。
賛美の力はほんとに素晴らしいです。
賛美をする事によってまず、天の窓が開きます。
そして賛美が天に満ちると不思議な事が起こり始めます。
見える人には見えると思うのですが、賛美とともに天の窓からみつかいが降りてきます。
そして更に賛美が満ち溢れると今度は武器を持った軍隊のような天軍が降りてきます。
そして、更に戦いの賛美とイエスキ・リストを褒め称える賛美を続けるとその天軍が四方に向かって行進していきます。
これは非常に圧巻です。
聖霊様に聞いてみると、私たちが霊的戦いの賛美をする事により、天では戦いの為に行進が始まり、地の四方に軍隊が駆り出され、地域の霊や大きな悪霊と戦う為に出て行くそうです。
その影響ははかりしれません。
僕がこの幻を初めて見たのは今から5年ほど前です。
一人で夜、誰もいない暗い公園で賛美をしていました。
そしたら突然、上から目には見えない何かが僕の上に「ドーン!」と落ちてきました。
僕はビックリしましたが、何よりもビックリしたのは自分自身が突然ダビデのように踊りだしたからです。
誰もいない公園だからいいのですが、周りから見たらキチガイに見えたかも知れません。
そして踊りながら天を見上げました。
すると天が開き、天軍が何万人と降りてきて、僕の上空で四方に向かっていきました。
そして聖霊様は言いました。
「あなた方が賛美をこの地に満たす事によって天軍が必要なところに戦いに出て行きます。
だから戦いの賛美を止めないで、主を褒め称え、天軍を賛美で支えなさい。」
ですからチャーチスクールでも僕は賛美の素晴らしさを子供達に教えました。
そして賛美によって子供達は解放され、悪霊も追い出しもしていないのに、出て行ってしまいました。
これが賛美の力です。
☆賛美を捧げる心構え☆
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=279322119&owner_id=4721968
最後にイエス様が賛美に対して語ったみことばを紹介します。
僕の見解は、自分の内側に潜む悪霊や、個人的な悪霊共に対しては、出て行って戦うべきです。
僕も3年前の事件の時には命がけで戦いました。
☆時が来たので封印を解きます。☆
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=299507571&owner_id=4721968
でも地域の悪霊共に対しては、賛美で対抗します。
そしてキリストの勝利を宣言して、悪霊共を縛り上げます。
そして天軍にお任せします。
☆マタイによる福音書21:16☆
イエスに言った、「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」。イエスは彼らに言われた、「そうだ、聞いている。あなたがたは『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』とあるのを読んだことがないのか」。
これは詩篇にあるみことばです。
☆詩篇8:2☆
「みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。」
ここに書いてある通り、幼子たちの賛美によって敵の働きを静めると書かれていますし、敵に備えて、賛美によって戦いの砦を立てることが出来ると語っています。
賛美は力なり!
By keystone
しょう@LoveJesus3652007年01月05日 17:58
アーメン。
大変勉強になりました。
貴重なお時間を割いてくださって解答していただいたこと本当に感謝です。
個人的な霊的戦いにおいての経験もお分かちくださってありがとうございます。
本当に主に仕えるということは奥が深いですね。
さらに主を密に知ることができますように。主を深く知ること、また主の声をはっきりと聞けるようになることは今の自分にとって切実な問題です。
あせってもしょうがないので一歩一歩進ませていただくだけですね☆
keystone2007年01月05日 18:52
みことばの解き証しやイエス様の証しならいくらでも歓迎です。
それと、聖霊様はいつでも誰にでも語り続けていますよ。
でもとても小さな声で語りかけてきます。
慣れると、肉声のごとくハッキリ聞こえるようになります。
聖霊様との会話はとても楽しいですよ。
ぜひ静かに語りかけてみてください。
必ず答えてくれます。
kenji2007年01月05日 20:33
素晴らしいお証を感謝します。
しかし賜物があればあっただけ戦いも多いなと感じました。
自分は普通でいいですが、御霊の声を聞けるのは魅力だなと思います。イエス様に語りかけるけど声は聞こえてきません。それでも不平はありませんが、もっと親しき仲になりたいと思います。(親しき仲にも礼儀OR畏れあり?)
keystoneさんの祈り、賛美はどういう型ですか?
私はかつてよく声を張り上げて祈りなさい賛美しなさいとか言われたことがありますが、私の場合、周囲が気になって、ぼそぼそと小さい声でしか祈れません。これでもいいんでしょうかね?
keystone2007年01月05日 22:12
僕はほとんど教会の奉仕の時以外は大きな声を出して歌ったり、祈ったりはしません。
ただ1日中、イエス様の事を思い、聖霊様の声を求めて心のうちで話しかけています。
そして内側で主を賛美しています。
聖書にも隠れた所で一人で祈りなさいとありますので、僕はそれに徹しています。
でも礼拝をするならやはり教会で兄弟姉妹と捧げたいですね。
今は一人で日々1日中礼拝しているのですから。
だから他人が見ても僕が祈っているとか聖霊様とコンタクトを取っていることなどわかりません。
kenji2007年01月08日 19:08
>ただ1日中、イエス様の事を思い、聖霊様の声を求めて
>心のうちで話しかけています。
イエス様のことを思い、イエス様(または御父)のみ声を求めてもいいですよね。
keystone2007年01月08日 19:25
それでもいいと思いますが、時には高らかに主を賛美し、霊と知識でも祈り、賛美したりいろんな方法があると思います。
又、聖書を読むときには聖霊様が必ず聖書を解き明かしてくれたり、啓示を与えてくれますので欠かす事は出来ないですね。
主を愛すれば自然に主の事を日々考えて四六時中想うのは普通な事だと思います。
ちょうど初恋や恋愛の時と似ていると思います。
まさかイエス様がそれ以下ではないはずです。
イエス様がいてからこそ愛する人も祝福されますので。
与え主を愛し感謝すれば、祝福されますので主を愛さずにはいられません。
聖霊様は、順境の時でも逆境の時でもいつも共にいて絶対に見捨てはしない素晴らしい愛のお方です。
※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。