Keystoneのアンビリバボー体験談集

No.20 血の清めと油の聖め( 1 / 1 )

今日は、「癒し」や「礼拝」や「務め」に関して奥義を語りたいと思います。
これは、聖霊様の啓示と実体験から学んだことです。
そして、それを証明するものが、「聖書のみ言葉」と「聖霊様の現われ」との一致です。

 

「癒し」については、一般の方でも理解出来ると思います。
「癒し」とは、体や心や霊的な部分の病的問題が解決することを言います。

 

人間の体は、三位一体です。
「体」、「心」、「霊」が一つになったのが人間です。
そして、人間は神様の形に似せて作られています。
神様も父・子・聖霊の三位一体です。

ですから、癒しを考える場合には、体と心と霊の癒しも考えなければなりません。

 

例えば、こういう話があります。

自殺願望のある少女がいました。

ある日、彼女はアパートから飛び降り自殺をしましたが、車の屋根に落ちて一命を取り留めました。

医者は彼女のために一生懸命治療をしました。
そして体が良くなり、歩けるようになると、その病院の屋上から飛び降り自殺をしました。

心が病んでいるときには、体だけをどんなに癒しても、心が癒されていないのなら、健全な状態ではありません。

それと、彼女の場合には自殺願望を起こす悪霊の影響もありました。
この場合には霊的な癒しも必要です。

 

また、こう言う事もありました、

ある若い青年がいました。
この青年は肝臓の病で、日本では治せないと言うことで、海外で臓器移植をするために家族が数千万の募金活動もしている状態でした。

しかし、僕の仕事仲間が食事療法の指導で関わることになりました。

 

最初は、指示通りに食事療法を実践してて、肝臓が治っていきました。
それで、僕の仕事仲間は、彼に言いました。

「調子が良くなっても、お酒は絶対に飲まないように、それと夜遊びもしないように、食事療法もいいと言うまで絶対に止めないように」

 

しかし、その青年は彼の言いつけを守りませんでした。

調子が良くなり、お酒を毎日飲み、友達と夜遊びもして食事も好きなものばかり食べていました。

そしてある日、肝臓が機能停止して死んでしまいました。

これも、体だけ治しても、心の状態が癒されていなかったので、自制心が無くて死んでしまった例です。

 

医療機関で治せないものを、改善・完治して生きていく可能性があったのに、自制力がないために死んでしまいました。

僕は、仕事仲間に言いました。

「人間は、三位一体の存在なので、体も心も霊も癒す必要がありますね。これからはそう言うこともテーマにして一緒に活動しましょう。」

と言うことで、「三位一体の法則をテーマに癒しの指導もしてきました。」

 

詳しくは、Keystoneの管理している「ラジオ健康相談室」と言う、ブログをご覧下さい。
そこに、三位一体の法則や癒しについて詳しく解説してあります。

★ラジオ健康相談室
http://ultimateclub.cocolog-nifty.com/

 

イエス様の名前により命じると、癒しが起きるのは、イエス様が鞭を打たれて十字架で死んでくれたからです。

聖書にちゃんと書かれています。

 

イザヤ書53章4節~5節

 

「まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。


しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。


彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。」

 

イエス様の名前で、癒しが起きるのは、イエス様が罰を受けてくれたからです。

 

では、続いて「礼拝」について考えてみましょう。

一般的に、礼拝と言うのは、日曜日に教会に行くことを言っていると思います。
しかし、実は神様を礼拝すると言うのはそれだけではありません。

 

例えば、イエス様はこう言いました。

 

ルカによる福音書9章23節~24節

 

「それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。」

 

ヨハネによる福音書4章24節

 

「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。

 

イエス様が言っているように、「礼拝者は霊とまこと」とをもって礼拝すべきだということです。

 

それと、礼拝と言う儀式だけじゃなくて大事なのはいつでも自分を捨てて、日々十字架を負ってみ言葉に従い、聖霊様に従うと言うことです。

その犠牲を、礼拝のときに携えて毎週捧げればいいというわけです。

よく、「礼拝を受ける」と言いますが、「礼拝とは捧げる」ものです。

 

僕が、礼拝の姿勢について参考になると思うのは、アブラハムです。
彼こそまことの礼拝者です。

 

創世記第22章1節~14節

 

「これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。

神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

 

アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。

 

そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。

 

アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。

 

やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。

アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。

 

彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。

 

そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、
主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。

み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。

 

この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

 

それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。」

 


これが、アブラハムの礼拝に対する姿勢です。
彼は神の御心にしたがって自分の十字架を背負い、自分の命よりも大事なものを礼拝として捧げました。

 

その姿勢を神様は喜ばれ、アブラハムを信仰の父と認めました。

これが礼拝の姿勢だと思います。

 

次に、「務め」についてです。

務めとはパウロが言う「奉仕のわざ」のことです。
キリスト教では、このことを「ミニストリー」などと呼び、集会などで癒しや奇跡を起こしたりします。

 

しかし、それは一部分であり、パウロが言う本当の意味での務め・奉仕のわざ・ミニストリーとは「キリストのみからだを建て上げる」と言う事です。

 


エペソ人への手紙4章11節~13

 

「そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。
それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、
わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。」

 

ここで、語っていることは重要です。
キリストは使徒・預言者・伝道者・教師・牧師を教会に立てました。
これは5役者とも呼ばれています。

 

5役者を立てた理由は、キリストのからだを建てあげる為です。

つまりそれが奉仕のわざであり、務めと言う事になります。

 

私たちが、務め、奉仕のわざ、ミニストリーをするというときには、「キリストのみからだを建てあげる」と言うことをしていることになります。

さて、このミニストリーについてなのですが、実は教会でのミニストリーのときに賛美をしていると、聖霊様が僕に語りました。

 

「今日、あなたにミニストリーについての秘訣を教えます。あなたはこれを知ることでいつでもその準備が整います。つまり、あなたはいつでもそのときが来ると、ミニストリーができる様になります。」

 

更に聖霊様は言いました。

 

「そのために、必要なのが血の清めと、油の聖めです。これについてはすでにあなたに教えました。」

 

僕は、そう言われて、そのことを思い出しました。

 

それは、 「No.14 創造の奇跡」 の中で紹介されている、創造の奇跡についてのことでした。

もう一度、そのことを証します。

 

ある日曜日の朝に、教会へ行きました。
そして、教会に入るなりある姉妹が僕に「息子のためにどうか祈ってほしい」と言うことでした。

僕は「いったいどうしたのだろう?」と思いながらも、案内されるまま、まだ生まれて半年くらいの赤ちゃんのところに行きました。

名前はリキ君と言います。

 

お母さんは、僕に「これを見て下さい。」と言って、その赤ちゃんの上着をまくって腰の辺りを見せました。

僕はリキ君の腰椎部分をを見て衝撃を受けました。
何と、腰椎の一部分がゴルフボールを半分に切ったような形で飛び出ていて、更にその骨を中心に背骨が大きく湾曲していました。

どう見ても現代の医学では治療困難な状態でした。

 

僕は、心の中で思わず聖霊様に「聖霊様!僕には無理です!」と叫んでしまいました。

そして、いつものように「聖霊様。僕はいったい何をすればいいのですか?」と聞きました。

 

すると、聖霊様はすぐに答えてくれました。

 

「あなたの指で触れてイエスの血で清めなさい。」

 

僕は聖霊様に言われるまま、その異常な骨に指先で触れて、「イエスの血で清めます。」と言いました。

そして、又聖霊様に、「次はどうすればいいですか?」と聞きました。

 

すると今度は、「息を吹きかけて聖霊の油で聖めなさい」と言いました。

 

僕は聖霊様に言われるまま、その異常な骨に息を吹きかけて、「聖霊の油で聖めます。」と言いました。

そして又、聖霊様に、「次はどうすればいいですか?」と聞きました。

 

すると今度は、「母親が信仰を持って祈り続ければ、今度教会に来るときには完全に癒されるからと言いなさい。」と言われました。

 

僕はお母さんにその事を伝えました。

するとお母さんは、「わかりました。神様の癒しを信じて毎日感謝して祈ります。」と言ってくれました。

 

それから、ちょうど次の週の朝になりました。

いつものように、教会のドアを開けると突然、あの姉妹が僕に泣きながら抱きついてきました。

僕は、ビックリして「何?何?いったいどうしたの?」と姉妹に聞きました。

 

そうすると、「とにかくこっちに来てみて下さい。」と言われたので、僕は案内されるまま先週と同じ子供部屋に連れて行かれました。

 

そして、母親とその子供たちが興奮して言いました。

「リキ君の腰が、癒された!骨が治っているよ!」

そう言って僕は、リキ君の腰の骨を見せてもらいました。
するとどうでしょう!

 

何と、あの飛び出ていた骨が普通の状態に戻っていて、尚且つあんなに湾曲していた背骨が綺麗にまっすぐ整列していました。

 

僕はあまりにも感動して思わず「聖霊様は凄い!」と 叫んでしまいました。

 

お母さんに更に詳しく状況を聞いてみると、教会に着いたばかりの時にはまだ以前の状態だったそうです。

しかし、ちょうど僕が教会に着く直前に、何となく骨に触れてみたら何とあの出っ張りがなくなっていたので、「もしかして」と思い、背中を開けてみたら、何と、完全に癒されていたという事でした。

 

あまりにも凄すぎて、みんなで叫んでいたそうです。

どう考えても、世界一の外科医の手術でも治せないような状態でしたが、聖霊様はほんの一瞬で治してしまいました。

治したと言うよりは、全く新しい骨に造り替えてしまったのでした。

 

以上ですが、この体験のことを聖霊様が僕に思い出させてくれました。

聖霊様がリキ君を癒す為に指示したことは2つでした。

 

まず、「あなたの指で触れてイエスの血で清めなさい。」

 

そして、「息を吹きかけて聖霊の油で聖めなさい」と言うことです。

 

この、イエス様の血の清めと、聖霊の油での聖めが癒しの基本であり、ミニストリーの基本であり、礼拝の基本でもあります。

 

僕は、聖霊様に

 

「今日、あなたにミニストリーについての秘訣を教えます。あなたはこれを知ることで、いつでもその準備が整います。つまり、あなたはいつでもそのときが来ると、ミニストリーができる様になります。そのために、必要なのが血の清めと、油の聖めです。これについてはすでにあなたに教えました。」

 

と言われましたが、そのあと、癒しのミニストリーが始まりました。

 

そして先生が突然こう言いました。

 

「兄弟、前に出てきて下さい。今日、あなたに油注ぎがあるので、ここでミニストリーをして下さい。」

 

僕は、驚きましたが、聖霊様から予告されていたので、躊躇をしないで前に出て行き多くの人たちに油注ぎをして癒していきました。

 

先生はそばでそれを眺めていました。

僕がしたことは単純なことです。

それは、まずは手をかざしてイエス様の血でその人の罪を清めて、更に息を吹きかけて聖霊の油で聖めて、イエス様の為に聖別するという作業です。

 

それを行うと、聖霊様が働きみんな癒されていきました。

実は、このことが聖書にも書かれています。
らい病人の清めについての儀式が、まさにそのことでした。

 

レビ記第14章1節~18節

 

主はまたモーセに言われた、 「らい病人が清い者とされる時のおきては次のとおりである。

 

すなわち、その人を祭司のもとに連れて行き、 祭司は宿営の外に出て行って、その人を見、もしらい病の患部がいえているならば、
祭司は命じてその清められる者のために、生きている清い小鳥二羽と、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプとを取ってこさせ、祭司はまた命じて、その小鳥の一羽を、流れ水を盛った土の器の上で殺させ、
そして生きている小鳥を、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプと共に取って、これをかの流れ水を盛った土の器の上で殺した小鳥の血に、その生きている小鳥と共に浸し、
これをらい病から清められる者に七たび注いで、その人を清い者とし、その生きている小鳥は野に放たなければならない。

 

清められる者はその衣服を洗い、毛をことごとくそり落し、水に身をすすいで清くなり、その後、宿営にはいることができる。

ただし七日の間はその天幕の外にいなければならない。

そして七日目に毛をことごとくそらなければならい。

頭の毛も、ひげも、まゆも、ことごとくそらなければならない。

彼はその衣服を洗い、水に身をすすいで清くなるであろう。

八日目にその人は雄の小羊の全きもの二頭と、一歳の雌の小羊の全きもの一頭とを取り、また麦粉十分の三エパに油を混ぜた素祭と、油一ログとを取らなければならない。

 

清めをなす祭司は、清められる人とこれらの物とを、会見の幕屋の入口で主の前に置き、
祭司は、かの雄の小羊一頭を取って、これを一ログの油と共に愆祭としてささげ、またこれを主の前に揺り動かして揺祭としなければならない。

 

この雄の小羊は罪祭および燔祭をほふる場所、すなわち聖なる所で、これをほふらなければならない。

愆祭は罪祭と同じく、祭司に帰するものであって、いと聖なる物である。

 

そして祭司はその愆祭の血を取り、これを清められる者の右の耳たぶと、右の手の親指と、右の足の親指とにつけなければならない。

祭司はまた一ログの油を取って、これを自分の左の手のひらに注ぎ、
そして祭司は右の指を左の手のひらにある油に浸し、その指をもって、その油を七たび主の前に注がなければならない。

 

祭司は手のひらにある油の残りを、清められる者の右の耳たぶと、右の手の親指と、右の足の親指とに、さきにつけた愆祭の血の上につけなければならない。

 

そして祭司は手のひらになお残っている油を、清められる者の頭につけ、主の前で、その人のためにあがないをしなければならない。

 

以上ですが、

聖霊様が啓示してくれることは必ず、「み言葉の一致」があるし、それと同時に「聖霊の現われ」が伴います。

 

つまり、み言葉の一致とは、聖霊様が啓示したことは必ず聖書のみ言葉と一致します。

そして「聖霊の現われ」とは、聖霊様によって行われる癒しや奇跡のことです。

 

啓示と、み言葉の一致と聖霊の現われは一致しています。

矛盾がありません。

 

これを、いつも確認すれば安心です。

他のアンビリバボー体験のバックナンバーを確認してみるとそれが一目瞭然です。

聖霊様の啓示があり、聖霊の現われや、み言葉の一致が必ずあります。

これも、三位一体ですね。

 

癒しも、礼拝も、務めも、血の清めと、油の聖めが基本になります。

これは聖霊様から直接学んだことでした。

 

つまりこれは、旧約聖書で言う、祭司の務めになりますね。

実は新約の時代では誰でも祭司になれます。

万民祭司とも言います。

 

それについての聖書箇所を紹介します。

 

ペテロの第一の手紙2章9節

 

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。
それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。」

 

祭司の仕事は、祭司職と言い、主に礼拝に関わることをします。

らい病人を清めるのも祭司の役目ですね。

イエス様が10人のらい病人を清めてあげたときに、「その体を祭司に見せなさい」と言いました。

らい病人は病気ですが、普通の病気とは分けられています。

なぜなら、罪と関わりがあるからです。

 

イエス様が、12使徒を遣わすときに言った言葉で分ります。

 

「病人を癒し、死人を生き返らせ、らい病人を清め、悪霊を追い出せ!」

「らい病人を癒せ」ではなくて、「らい病人を清め」とありますね。

 

ですから、12使徒の働き自体が祭司の仕事であったというわけです。

イエス様が教会の中に5役者を立てましたが、それらの人にはそれぞれ御霊の賜物が与えられています。

これは、その奉仕者や、癒しや恵みを受けた方や、一つの教会が癒され、祝福されるためのものではありません。

賜物が各自に与えられているのは、キリストのみからだの建て上げるためです。

 

コリント人への第一の手紙12章4節~11節

 

「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。 務は種々あるが、主は同じである。

働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。

すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。

すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。」

 

ここで、「各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。」と書かれています。

全体の益の為とは、キリストのからだの建て上げのためと言う意味です。

 


更にこう書かれています。

 

コリント人への第一の手紙12:27~12:28

 

「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。」

 

イエス様を信じた私たちが全体がキリストのからだであり、一人一人はその肢体、つまり機能器官だと言うわけです。

ですから、御霊の賜物を活用するのは全て個人的なことでもないし、一つの教会のためでもありません。

これは教会全体、キリストのみからだの建て上げの為です。

 

聖書に、「清くなければ神を見ることはできません。」と書かれています。

ですから、私たち個人はイエス様の血で毎日清め、聖霊の油で聖めなければなりません。
これが、日々の霊的な礼拝となります。

なぜなら自分のからだを日々神様に捧げているのですからね。

 

私たち自身が祭司です。
ですから、自分も他人も清めてあげましょう。

そうすることにより、キリストのからだが建て上げられて、成長して、キリストのかしらに達していきます。

 

からだが健康なら、かしらの指示が分るようになり、からだは健全に機能します。
つまり、からだの中に調和が生まれます。

教会と教会、信者と信者の間に和合と調和が見られます。

 

キリストのみからだが建て上げられると、人間的な思いや宗教的な要素は消えていきます。

からだの分裂や分派や病いや悩みも自然に消え去ります。

その基本になるのが、イエス様の血の清めと、聖霊様の油による聖めです。

 

どうか、イエス様を信じた皆さんは、日々の礼拝としてそれを毎日行って下さいね。

そうすることにより、キリストのみからだが建て上げられていきます。

イエス様をまだ信じ受け入れていない方は、ぜひイエス様を救い主としてお受け下さいね。

祈り方は、簡単です。

 

「イエス様、私の罪のために十字架にかかってくれてありがとうございます。私が罪人である事を認め、罪を告白します。そしてあなたを救い主として信じ受け入れます。イエス様の名前によりお祈りいたします。アーメン。」

 

バックナンバー「どうしても知って欲しい大切な情報」に更に、救いについて解説していますので、ぜひ確認してみて下さいね。

 

Keystoneより

 

 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会

No.21 娘達の聖霊体験( 1 / 1 )

僕には娘が二人いて、二人とも聖霊体験をしています。

長女は5歳のときに僕と二人きりで暮らしました。

それは、妻と別居していたからです。

 

しかし、そう言うこともすでに啓示をもらっていました。
これはいつかお話したいと思います。

 

長女だけ、連れて一緒に仕事に出ているときに、僕の母親に預けていた次女を、妻にだまって連れて行かれました。

僕は、それが、あまりにも悲しくて、1週間1日中涙が止まりませんでした。
仕事をしていても、誰かと話しをしていても、涙が全然止まりませんでした。

 

僕はあまりにも悲しいので、親友に連れられて彼の教会に行きました。

そこでは、ちょうど笑いの集会が行われていました。

それは、聖霊の働きでみんなが笑い出すと言う現象でした。

その笑いの霊を受けると、心にある傷の癒しを受けます。

 

しかし、みんなが笑いまくっている中で、僕だけは涙が止まりませんでした。

かなり、浮いていました。
それほど僕の悲しみは深かったからです。

 

ちなみに教会の牧師先生は、僕が高校の時の日曜学校の先生でした。

僕が余りに、涙が止まらず悲しいのを見て、先生も笑うのもやめてしまいました。

そして、祈ってもらいました。

 

僕もイエス様に祈りました。

「イエス様、僕はあまりにも悲しすぎて涙が止まりません。
心が痛くて、苦しくてどうしようもないです。どうか僕を癒して下さい。」

祈りというよりも、自分の苦悩を必死に訴えました。

 

すると、聖霊様が答えました。

「あなたは自分の悲しみよりも、あなたの妻が私から離れ去ったことを悲しみなさい。
そして彼女を許し、愛しなさい。」

 

僕は、そう言われて、自分のことばかりで悲しんでいたことに気がつきました。
そしてそれを悔い改めして、聖霊様に言いました。

 

「聖霊様、分りました。僕は自分の事だけを考えていて、自分のことだけを悲しんでいて、彼女のことを全く考えてもいませんでした。どうかこのことを許して下さい。それと、あなたが教会を愛するように、僕も彼女を許し、愛します。」

そして、それを言ったと同時に、幻が見えました。

 

突然、イエス様の腕が出てきて、その手が僕の体の中に入っていき、僕の胸の辺りにある根深い悲しみや痛みの塊を根こそぎ、引き抜いてくれました。

そうすると、その瞬間、1週間も心が痛くて悲しんでいたのに、それがまったく消えてしまいました。

それで僕は、完全なる心の癒しを体験しました。

 

その時から涙も止まり、心の痛みも消えて平安になり、自分のことよりも妻の事を祈れるようになりました。
そして妻と次女のために、毎日長女と一緒に涙を流しながら祈りました。

ある時、礼拝で聖餐式を受けている時に、僕は聖霊様に示されて、長女に聖餐式についての説明をしました。

ちょうど、電話口の壁にレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」の絵が飾ってあったので、聖餐式の途中で、彼女をそこに連れて行き、聖餐式のことを説明しました。

 

「これはね、イエス様が十字架にかかるまえに、弟子たちと一緒に食事をしたときの絵だよ。イエス様は自分が十字架で死ぬことが分っていて、それを記念にして、パンとぶどう酒を与えたのだけど、これはね、パンはイエス様のからだを意味していて、ぶどう酒はイエス様が十字架で流した血のことを言っているんだよ。だから、それを食べて飲むことによって、自分もイエス様のように十字架にかかって死んでもいいほどイエス様を愛して信じて従いますというための聖餐式だよ。」

僕は、小学1年生の娘に分りやすいように説明しました。

 

娘は僕の説明を聞いて言いました。

「お父さん。私もイエス様の為に死んでもいいから、聖餐式を受けたい。
どうしたら子供でも受けられるの?」と、涙を浮かべて言いました。

 

僕はこの言葉を聞いて驚きました。

彼女は、イエス様の為に命を捨ててもいいほどの信仰を持っているし、それほどにイエス様を愛しているのだということが分りました。

 

しかし、残念ながら教会では子供には聖餐式を授けていません。

それで僕は娘に言いました。

「わかったよ。でも、教会では大人しか受けられないから、夕方にでもお父さんと一緒に聖餐式をしようね」

そう言うと、娘は更に涙を浮かべて喜んでいました。

 

そして、その日の夕方、ぶどうジュースとクラッカーを買ってきて、車の中で聖餐式を行いました。

ちゃんと、み言葉も読んで本格的にそれを行いました。

 

コリント人への第一の手紙11章23節~:26節

 

わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。
すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。

 

食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。

だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。

 

以上ですが、僕は娘と一緒に聖餐式を受けて、そして彼女の両手に僕の両手を添えて、感謝を捧げ、そして、娘の祝福を祈りました。

 

娘と聖餐式を受ける事が出来て、僕は心から主に感謝しました。

そして、お祈りが終わると娘が言いました。

「お父さん。あのね。お父さんが、私の手に両手を置いてお祈りしたときに、空から天使が飛んできて、お父さんの両手に天使が両手を置いて、一緒ににこにこしながら祈ってくれたよ。」

 

僕はこの証しを聞いて心からイエス様に感謝しました。

この時から娘は幻を見たり、聖霊様の声を聞いたり、啓示を受けたり、癒しが出来るようになりました。

それどころか、なんと、ミニストリーが出来るほどになりました。

 

僕の親友の母は、僕の娘のことを「女サムエル」と、呼んでいたほどです。

サムエルとは旧約聖書に出てくる、偉大な預言者のことですが、よくキリスト教の絵画に子供が祈ってるかわいい絵がありますよね?

あれが預言者サムエルの幼いころの姿です。

 

教会の先生からも娘は預言者だと言われました。

なぜなら、毎日書く日記がおもしろいからです。
まだ起こっていないことばかり、前もって日記に書くようになっていたのですから・・・
それを読むのがいつも楽しみでした。

そして娘が前もって書くことは全てその通りになりました。

 

聖霊様は、子供たちの信仰を祝福してくれています。

僕は、それから毎月、娘と聖餐式をするようになったし、自宅でお祈りも礼拝も一緒に捧げる様になりました。

そして、彼女の賜物が僕から分与されて預言も出来るし、聖霊様と会話も出来るし、幻も見るし、幻や夢の解き明かしも出来るし、とにかく、聖書もほとんど知らないのに、聖書の奥義さえも語りました。

それには、僕もびっくりです。

 

ある時、こう言う事がありました。

僕が教会の癒しの集会の前に、教会で数人で祈っていた時の事です。

聖霊様が僕に言いました。

 

「あなたは幼子を軽んじてはいけません。天国は幼子のものです。」

 

僕は、それを聞いて、「聖霊様、分りました。僕は、幼子を軽んじません。そして、その人格を尊敬して、一人の神の器として受け入れます。」と言いました。

僕がそれを心の中で告白したとたんに、娘がおもしろいことをし始めました。

 

講壇の前で、僕らが祈っていると、僕らの後ろに立って、手をかざし力を全身にこめて祈っていました。

これって、小学1年生が普通やらないですよね?

つまり、聖霊様からの啓示を受けて僕らのとりなしをしているわけです。

 

普通なら、「今、お祈りしているから、隣の部屋で絵でも描いていてね。」と言っていたと思いますが、その時には聖霊様から啓示があったので、彼女が導かれるままにさせました。

 

そして、娘が言いました。

「お父さん。神様の為にイスを用意したいけど、準備してもいい?イエス様からお願いされたから、イスを持ってきて並べたいから。」

僕は、「うん。いいよ。イエス様がお願いしているのなら、なんでもしてね。」

僕は、そう言いました。

そして、そばにいた姉妹たちも、それを眺めていました。

 

僕は、一体どうするのだろうかと、それを見守っていました。

そして、講壇の前にイスを並べ始めました。

一つ目を並べ、もうひとつも並べ、更にもうひとつを並べました。

僕は、少し不思議に思いました。

「どうしてイエス様のためにイスを3つも並べるのだろう・・・」

 

娘は、並べ終わると僕に言いました。

「お父さん、あのね。イエス様が教えてくれたことを言うね。
このイスは、イエス様のお父さんのイスで、このイスはイエス様のイスで、このイスは神様のイスだよ。」と、にこにこ顔で言いました。

 

僕はこの説明を聞いて驚き、そして感動しました。

なぜなら、聖書の神様は、父・子・聖霊の三位一体の神様であるからです。

もちろん、娘にこの真理が分る訳もないし、聖霊様のことも説明したことなんかありませんでした。

聖霊様の事をどう呼んで言いか分らないので、「イエス様のお父さんと、イエス様と、神様」と、表現していたのでした。

 

そしてこれだけではありません。

娘が更にいました。

 

「お父さん。イエス様が言っていることで、私が言っていることじゃないから、今から言うことを怒らないで信じてね。」

 

それを聞いて僕は言いました。

「お父さんが、怒るわけないよ。大丈夫だからイエス様が言ったことを、ちゃんと聞くから教えてくれる?」

すると娘が言いました。

 

「あのね。教会が終わったら、いつも行ってる海に行きなさいって・・・。これは私が行きたいから言ってるんじゃないよ。イエス様が言ってるんだよ。」

 

僕は、笑いながら、「うんうん。大丈夫。分ってるよ。だから何でもそのまま話してね。」

 

そうすると、娘が言いました。

「海に行ったら、お父さんは7回海に入ったり出たりしなさいって、イエス様が言ってるよ。そしたらね。お父さんの足の病気が治るからそれを言いなさいと言われた。」

 

僕は、この言葉を聞いてほんとに驚いて感動してしましました。

なぜなら、その頃僕は、原因不明の足の皮膚病で数ヶ月も苦しんでいたからです。

しかも、皮膚病を海に7回も出入りして治すと言うのは、聖書に全く同じ事が書かれているからでした。

 


第二列王紀第5章1節~14節

 

スリヤ王の軍勢の長ナアマンはその主君に重んじられた有力な人であった。

主がかつて彼を用いてスリヤに勝利を得させられたからである。

彼は大勇士であったが、らい病をわずらっていた。

さきにスリヤびとが略奪隊を組んで出てきたとき、イスラエルの地からひとりの少女を捕えて行った。

 

彼女はナアマンの妻に仕えたが、
その女主人にむかって、「ああ、御主人がサマリヤにいる預言者と共におられたらよかったでしょうに。彼はそのらい病をいやしたことでしょう」と言ったので、
ナアマンは行って、その主君に、「イスラエルの地からきた娘がこういう事を言いました」と告げると、
スリヤ王は言った、「それでは行きなさい。わたしはイスラエルの王に手紙を書きましょう」。

そこで彼は銀十タラントと、金六千シケルと、晴れ着十着を携えて行った。

 

彼がイスラエルの王に持って行った手紙には、「この手紙があなたにとどいたならば、わたしの家来ナアマンを、あなたにつかわしたことと御承知ください。あなたに彼のらい病をいやしていただくためです」とあった。

 

イスラエルの王はその手紙を読んだ時、衣を裂いて言った、「わたしは殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。どうしてこの人は、らい病人をわたしにつかわして、それをいやせと言うのか。
あなたがたは、彼がわたしに争いをしかけているのを知って警戒するがよい」。

 

神の人エリシャは、イスラエルの王がその衣を裂いたことを聞き、王に人をつかわして言った、「どうしてあなたは衣を裂いたのですか。彼をわたしのもとにこさせなさい。

 

そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知るようになるでしょう」。

そこでナアマンは馬と車とを従えてきて、エリシャの家の入口に立った。

 

するとエリシャは彼に使者をつかわして言った、「あなたはヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい。そうすれば、あなたの肉はもとにかえって清くなるでしょう」。

 

しかしナアマンは怒って去り、そして言った、「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病をいやすのだろうと思った。

 

ダマスコの川アバナとパルパルはイスラエルのすべての川水にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」。こうして彼は身をめぐらし、怒って去った。

 

その時、しもべたちは彼に近よって言った、「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」。

 

そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった。

 

以上ですが、聖書に書いてある、そのままのことを娘は聖霊様から受けて、それを僕に伝えてくれたのでした。

そして言われた通りに信仰を持って、海に7回浸りました。
7回目に足を見てみると、すでに癒しが始まっていて数日で完治してしまいました。

どんなに薬を塗っても全然癒されなかったのに、聖霊様の啓示によって娘の言葉で僕はそれに従い完全なる癒しを受けました。

 

更に、このことは僕の内側の高ぶりを完全に打ち砕き、それからは更に娘の人格を尊重するようになりました。

親子と言うより、信仰の友と言う感じになりました。

ほんとに、聖霊様は素晴らしいですね。

その後も更に、娘の信仰も賜物も聖霊様が育てて祝福してくれました。

 

ある時、僕がテーブルの前に座り、聖書を読んでいると、目の前にいる娘が言いました。

「お父さん。もう少しだけ右によってくれる?」

僕は何だろうと思いながらも、言われたとおりに右側によりました。

「もうちょっと、右によって、そうそうそこでちょうどいいよ。」

僕は娘の言う通りにしましたが、意味が分らなかったので質問しました。

「何で?それがどうかしたの?」

すると娘が笑いながら答えました。

 

「お父さんの隣にイエス様が座っていたから、一緒にくっついて聖書を読んで欲しかった。」

僕はこれを聞いて感動しました。

「ああ、娘はほんとに素晴らしいな。
清くなければ神を見ることは出来ないし、清い子供だからこそ神様が見えるんだ。」

 

そう思って、更に僕が聖書を読むときでも、いつでもイエス様が隣にいてくれていることも分りました。

考えてみたらそれは当然です。
なぜなら、僕が聖書を読むと聖霊様が必ず話しかけてきてくれたのですから。

こんな感じで毎日が奇蹟の連続でした。

 

それと、週末だけの約束で、娘を妻のところにお泊りさせていましたが、ある時に起きたことです。

妻が僕に、いつものように暴言を吐き、言葉で責め続けていました。

僕は、黙ってそれを聞いていました。

そして、しばらくして彼女は突然家に戻っていきました。
すると、娘が言いました。

 

「お父さん。あのね。お母さんが、お父さんに怒って文句を言っている時に、お母さんの胸のところから小さくて黒い天使が出てきて、お父さんに向かって、ボクシングみたいにパンチを出しながら、もっとやれやれ!って言っていたよ。だから、私はイエス様に助けて下さいってお祈りしていたんだよ。そしたらお母さんは黙ってお家に帰ってくれた。」

 

僕は、その言葉を聞いて娘の霊的成長に心から感謝をしました。

普通なら小学1年の子供が、両親のそんな姿を見たら、傷ついて悲しいだけの話なのに、それどころか娘は、僕ら両親のことを祈りで支えて、一人で悪霊と戦っていたのでした。
ほんとに素晴らしい祈りの戦士ですね。

 

僕はその時に、「幼子を軽んじてはいけません!」と言う意味がほんとによく分りました。

考えてみたら、まだ一緒に家族で住んでいるときにも、土曜学校と言う子供集会を僕が開いていたのですが、その子供たちは娘がリーダーになって賛美や踊りを指揮していました。

そして、娘に油注ぎがありました。

なぜなら、子供たちの賛美が半端なく凄いからです。

どう言う事かと言うと、子供たちが賛美をすると天が突き抜けるからです。

そこには油注ぎがあります。

 

それで、あるとき僕は、日曜学校の教師に言いました。

 

「日曜学校の子供たちは何であんなに元気が無いの?僕らの家の土曜学校は賛美をすると、天が開き、子供たちは教会の子供たちよりも輝いて力もあるし、元気いっぱい。もしよければ、僕に1ヶ月だけ時間を下さい。子供たちにそういう賛美を教えてあげたいのですけど、いいですか?」

 

そうすると、先生は喜んで僕らに任せてくれました。

それから1ヶ月4回ほどでしたが、日曜学校の時間に、僕と娘達が賛美をリードして子供たちに僕らが家で行っていることを教えました。

そして、1ヵ月後に礼拝でそれを披露する事になりました。

突然のサプライズで僕と娘達が前に出て、他の子供たちを前に出して賛美をしました。

するとどうでしょう。

 

みんなは感動して大喜び、更にその瞬間、日曜学校の教師に油注ぎがあり、突然大きな声で異言を語り始めました。

彼が、教会で異言を語るのを初めて見ました。
更にその油注ぎがほかの兄弟姉妹にも注がれていきました。

 

あまりにも素晴らしいので、その日の夕拝にも子供たちの賛美を披露させてもらいました。
そうすると、更に教会全体に油が注がれました。

このように、娘や子供たちの油注ぎのパワーは素晴らしいです。

皆さんも、ぜひ幼子を受け入れて下さいね。

 

それからあるとき、僕はなんとなく旧約聖書のような祭壇で礼拝をしたいと思い、簡単ですがまねごとのようにして、お香に火をつけてイエス様を礼拝してみました。

すると娘も僕のそばで黙って礼拝をしました。

礼拝が終わり、娘を見てみると目を丸くしていました。

「どうしたの?」と聞いたら娘が言いました。

「お父さんがお祈りしたら、お父さんの背中から大きな火が出てきて、それが天井まで焼けるくらいに燃えていたよ。」

僕はそれを聞いて驚きました。

 

この礼拝を神様は受け入れているのだと知りました。
それと、娘が毎日でも幻と同時に、その解き証しをもらえるので、それも楽しみでした。

 

あるとき僕は、娘に質問をしました。

「お母さんとお父さんはいつごろ仲直りできるかイエス様に聞いてくれる?」

そしたら娘は目を閉じて聖霊様と話をしていました。

そしてすぐに言いました。

「お父さん。あのね。お父さんが羊をたくさん養ったら、お母さんとなかよくなれるってイエス様が言ってるよ。」

 

小学1年生の娘が羊を養うと言う、霊的な意味を分るはずもないので、僕は驚きましたが、聖霊様に感謝しました。

羊を養うとは、実はイエス様を信じた人々を養いなさいと言う意味です。

またある時、僕が祈っていると幻を見ました。

 

それは、祈っている僕の後ろで大きなカマを持っている天使がいました。

そして、麦のような草のようなものを僕の後ろで刈り取っていました。

それを見て僕は思いました。

 

「これは、僕の犯してきた罪の行いの結果を刈り取りしているんだ。」

そして、聖霊様にお祈りしました。

 

「聖霊様、僕の過去の罪の結果の刈り取りがあるのならどうぞ、それを一気に刈り取って下さい。僕はそれを全て受け入れます。」

 

僕はそれを真剣に祈り求めました。

すると、聖霊様が言いました。

 

「それなら、それらを一気に刈り取ります。あなたはそのために娘を手放しなさい。」

 

僕はこの言葉を聞いて衝撃を受けました。

なぜなら、次女も奪われた上に長女まで手放すことになるからです。

しかし、その時に後ろにいた天使が全ての刈り取りを一気に終えていました。

刈り取る音が「バサッ」と聞こえました。

 

僕は、もうそれを受け入れるしかない事が分りました。

そして聖霊様に言いました。

 

「聖霊様、分りました。その通りにします。その代わり、娘たちをどうぞ僕の代わりに守っていて下さい。」

 

僕は心がとても痛くて大変でしたが、娘が学校から帰ると、「お父さんと一緒にドライブして公園でお弁当を食べようね。」と言って、最後の日を迎えることにしました。

そして、食事を終えて公園のベンチに座り、娘に言いました。

 

「今から、お父さんが大事なお話をするから聞いてね。今日、お父さんがお祈りをしていたら、イエス様が娘をお母さんのところに行かせなさいって言われたよ。」

僕が、そのことを言うと、娘は泣きながら言いました。

 

「お父さんのそばから絶対に離れたくない。お父さんのほうがいいよ。お父さんは何も悪くないのに、何でお父さんはひとりぼっちになるの?」

そして僕は言いました。

「お父さんも、悲しいけど、男だし強いから大丈夫だよ。でも、心配ならイエス様に何でお母さんのところに行かないといけないのか自分で聞いてごらん。」

 

僕がそう言うと、娘は目を閉じて静かに祈り始めました。

そしてしばらくして娘が言いました。

「お父さん。あのね。イエス様が明日からお母さんのところに行きなさいって。そしてお母さんと妹のために毎日祈りなさいって言われたよ。だから悲しいけど私がお母さんと妹を明日から守るね。」

 

僕はその言葉を聞いて、娘と抱き合い、涙を流しながら精一杯褒めてあげました。

娘はほんとにお父さん思いです。

 

彼女が3歳位の時でした。

僕は、お正月に一人で家のペンキ塗りをしていました。

せっかくの正月なので、家族で近くの動物園に行く約束をしていました。

妻と娘は、正月と言うことで実家に戻っていましたが、僕は約束の日時にペンキ塗りを終える為に、ほとんで眠らないで2日も作業をしていました。

 

しかし、約束の日時が来ても連絡もないし、返事もありません。

僕は肉体的にも精神的にも疲れがピークに達していました。


そして約束の日の暗くなる頃に、妻と娘が戻ってきました。

「何で、連絡も取れないし、こんなに遅く帰ってきたの?
こんなに、遅くなったらもう動物園は閉まっているからもう行けないよ!」

 

僕が、そう言うと、妻が言いました。

「ああ、それなら大丈夫。動物園には家族と行って来たよ。」

僕は、この言葉を聞いて怒りが込み上げて、妻の背中に飛び蹴りをした・・・と言うか、ペンキで両手が汚れていたので、足で背中を押して倒しました。

 

そしたら、それを見た娘が走ってきて、倒れた妻の背中を何度も足で蹴っていました。

僕は、それをみて怒りが治まり、それ以上は何も言いませんでした。

 

なぜ娘がそう言うことをしたのかと言うと、それには大きな理由があります。

実は、毎日妻の暴力を僕は受けていたからです。

気に食わない事があると、娘の目の前で殴る蹴るはもちろん、しまいにはヌンチャクで僕を叩きまくります。

娘はそれを見ていつも僕をかばい、妻を押しのけていましたが、妻は娘を払いのけて倒れさせました。

そして、部屋の鍵を閉めて娘が見れないようにして、僕をヌンチャクで気が済むまで叩き続けました。

娘は部屋の外でドアを叩きながら、「お父さんをいじめないで、お父さんを叩かないで」と、何度も大声で叫んでいましたが、妻にはそんな声なんか全然届きませんでした。

 

そう言う僕が、初めて反撃をしたので、それを見て長女は、倒れた妻の背中を何度も蹴り続けていました。

その娘の姿を見て僕は、怒りが消えたので、娘に言いました。

「もうお父さんは怒っていないから、お母さんを蹴らなくてもいいよ。お父さんを助けてくれてありがとう。ほんとにいい子だね。」

 

普通なら叱るべきかも知れませんが、僕は娘の愛情に癒されました。

しかし、それを見た妻はショックを受けて無言で部屋に入りました。

 

そう言う愛しい娘達を妻に預けたのですから、僕はかなり悲しい思いをしました。

ほんとに父親思いの優しい娘達でした。

僕が、長女を妻に完全に預けると、毎週二人を僕が預かり、週末だけは寝泊り出来るようになりました。

 

しかし、それからしばらくして、妻に呼び出され、待ち合わせをしました。

そうすると、彼女の兄弟たちが全員夫婦ごとに集まっていました。

 

そして数時間、僕を罵倒し続け、離婚を迫りました。
そして、それを条件に、これからも娘たちと毎週会わせるとからと言う約束をしてもらいました。

僕は次の日に仕方なく離婚届にサインをしましたが、その時に妻の長男にお願いをしました。

「この、離婚の理由がもし、彼女の浮気とかなら僕は絶対に認められないので、その時は僕の味方をしてくれますか?」

僕が兄にそう言うと、「そこは責任を持つので、印鑑を押しなさい。」と言われたので、そうすることにしました。

 

それから、1週間ほどたった日のことです。

たまたま夜遅くに娘たちと、妻の家の前を通りかけました。
そしたら、お風呂の明かりがついていたので、それを娘たちと眺めていました。
そして、夜遅くでしたが彼女は車に乗って、ある場所に向かいました。

 

娘たちも、「お母さんはこんな夜遅くからお化粧してどこに行くのかな?」と不思議がっていたので、後を着いていきました。

そうすると、ある民家に入っていきました。

僕は、すぐに彼女に電話をしました。

娘たちには静かにするように言いました。

「実は家の近くに来ていて、どうしても子供たちがお母さんの顔を見たいというのだけど、数分でいいから出てきてもらえないかな?」

 

僕が、そう言うと彼女が言いました。

「ごめんなさい。実は今、頭痛がひどくて家で寝込んでいて、起き上がれないので、今日は無理だと子供たちに言ってくれない?」

この会話を子供たちも聞いていたので、僕は彼女にいました。

「実は、申し訳ないのだけれど、さっき、そちらの家の前を通りかかったら、車で出かけるのを子供たちと目撃して、そのまま着いて行ったら、誰かの家の前で車を止めたよね?子供たちもそれを見ているし、今もそばでこの会話を聞いているよ。だから、近くのファーストフードの駐車場に来てくれないかな?」

 

僕がそう言うと、彼女は納得してしてその場所に来ました。

 

次女は、彼女を見て泣きました。
長女は、涙をこらえていました。

 

僕は、何も言わずに、目の前で彼女の兄に電話をしました。
そして、その内容を話しました。

しかし、兄は全くめんどくさい態度で僕の話を無視しました。

 

それで、僕は「やはりこう言う事だったんだね。子供たちに対してどう説明するの?」

次女が泣き止まないので、僕は母親の車に黙って乗せてあげました。
そして、長女に向かって言いました。

「お母さんの家に泊まる?」

 

長女は首を横に振りながら、「お父さんと一緒に眠って明日教会に行きたい。」と言いました。

無言で僕らは手を振っていましたが、妻は、泣きながら長女に手を振っていました。

そして、次女を抱きしめ家に戻ってくれました。

僕は、彼女が家に戻るのを長女と確認して、一緒にイエス様に彼女の為に悔い改めをして祈り、その日は家に戻り休みました。

 


次の日は教会だったので、次女を迎えに行きました。

 

僕は、次女を運転席のそばに座らせて心の中でこう祈りました。

「イエス様、僕は次女の事が心配です。どうか彼女が傷ついたりしないように守って下さい。」

 

僕が心の中でそう祈り終えると、突然、次女が僕の顔を見て言いました。

「お父さん。あのね。イエス様がね。大丈夫だから何も心配しないでって言ってるよ。イエス様が今すぐお父さんに教えてって言ってた。」

 

僕は、まだ4歳の次女の言葉を聞いて涙が止まりませんでした。
そして、心から感謝しました。

なぜなら、聖霊様はしっかり僕の祈りを聞いてくれているし、長女だけではなく、次女にも毎日リアルに話しかけてくれていることを知ったからです。

 

次女は更にいました。

「お父さん。イエス様の力がいつも肩に乗ってるから大丈夫だよ」

と言って、自分の肩を指差しました。

つまり、イエス様が肩にいるのが見えているわけですね。

 

ほんとに素晴らしいイエス様に栄光をお返しします。

更にある時、娘たちと一緒に教会の前を通り過ぎました。

そしてすぐ後に、次女が言いました。

「お父さん。さっき、教会の前を通った時に夢を見たよ。」

 

しかし、次女は実は起きていました。

僕はそれにピンと来ました。
それで、次女に聞きました。

「どんな夢を見たの?」

 

「あのね。教会のところから大きなイエス様が出てきて、悪魔のおしりを叩いてからね。そしてイエス様が、お母さんの邪魔をする悪魔はイエス様が、おしりをぺんぺんするからお母さんを教会に連れてきてねってイエス様が言っていた。」

 

僕は、それを聞いて聖霊様に感謝しました。

実は次女は夢ではなくて、幻を見てイエス様から直接啓示を受けたのでした。

 

そして僕は、次女に言いました。

「じゃあ、お母さんにそれをちゃんとお話して教会に連れて行ってね。」

そうすると、娘たちは喜んで「うん!」と返事をしてくれました。

幼子ってほんとに凄いですね。

素晴らしい信仰です。

大人も見習いたいほどだと思いました。

 

しかし、僕はそのあとからは一切子供たちと会わせてもらえないし、連絡さえ拒否されるようになってしまいました。

もう8年以上も娘達の顔も見ていないし、声も聞いた事がありません。
でも、イエス様の約束を信じて今は祈るしかありません。

 

素晴らしい娘達を育てて日々リアルに守って下さる聖霊様に感謝を捧げてイエス様の栄光を褒め称えます。

主イエス・キリストの名前により全てのことを感謝します。

アーメン

 

Keystoneより

 

 
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(※イエスを信じる人に神は現れます。)

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(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
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No.22 痛みを通して神の愛を知る( 1 / 1 )

この話は、最も封印していた部分のお話になります。
この内容を公開するのは、まるで心理学者フロイトが自分のプライベートな体験談を犠牲にして、精神医学のために赤裸々に公開したのと同じです。

(※この件に関して20年以上たって初めて知った不思議な事実があります。この章の最初から最後まで順番にお読み下さい。)

今回は、僕が壮絶な結婚生活を通して、学んだ神様の深くて激しい愛についてお話しします。
僕は、結婚前に9年ほどお付き合いした女性がいましたが、彼女の遊び癖に何年も悩んでいて、もうお別れしようと決断して、別れた翌日位に、偶然ですが、9年ぶりに幼馴染だったある女性と再会したのでした。

僕はその時、仕事中の仕入先で、彼女に突然名前を呼ばれて、そちらに向かって歩いて行きました。

そうすると、聖霊様から声がありました。

「彼女を助けなさい。」

僕は、「どういうことだろう?」と思いました。

しかし、「聖霊様がそういうのなら、何か大きな問題があるはずだ」と確信しました。

すると、彼女は僕に、「ひさしぶりだね。なつかしいから一緒にお酒でも飲みに行こう」と誘ってくれましたが、僕は彼女に答えました。

「僕は、お酒は飲まないし、単なるおしゃべりなら他の人といけばいいとは思うけど・・・でも、もし、コーヒーとか食事だけでもいいのなら明日ならOKだよ。」と答えました。

聖霊様から、「彼女を助けなさい。」と言われていたので、僕は彼女の誘いに乗ることにしました。

そして翌日、僕の車でドライブをすることになりました。

ある海辺のレストランで一緒にディナーをしましたが、その時に僕が言いました。

「今日君と会ったのは、デートとかが目的ではなくて、実は、神様から啓示があって、君を助けなさいと言われたからだよ。ばかみたいに思うかもしれないけれど、僕はクリスチャンなので、神様の声が聞こえるから、これは真剣な話だよ。それで一体どうしたの?そんなに深刻な問題があるのなら、何でも気軽に僕に話して欲しい。」

僕が最初にこのことを話すと、彼女は涙をぼろぼろ流して言いました。

「実は、毎日苦しくて誰にも相談出来なくて、いつも死ぬことばかり考えているの・・・」

彼女は、最初で僕が自分のことを打ち明けたので、信頼して全てを打ち明けてくれました。

彼女の悩みを簡潔に言うと、こう言う事でした。

彼女は実家の家業をしていて、仕事内容は、毎日夜中に起きて、大きなトラックに荷物を山積みして乗せて、それを店舗で販売すると言うことでした。

その中で問題なのが、彼女のお付き合いしている男性の件でした。
水商売をしているときに出会った男性で、元々は暴力団員。

しかし、お付き合いをしてからは彼女の運転手をしていました。

ところが、毎日仕事前にお酒を飲もので、運転もできない状態で、更に重たい荷物を彼女一人でトラックに載せていて、彼はそばで熟睡しているだけなので、体も心も疲れ果て、長年の無理がたたり、子宮内膜症で出血も止まらないし、どんなに苦しくても家族にも相談出来なくて、うつ状態になってしまいました。

また、そのための解決法がないのでいっそのこと死んでしまいたいと言う極限状態でした。

そして、更にこう言いました。

「あなたが、中学の時にもっと私に優しくしていてくれたら、人生はもっといいものに変わっていたかも知れない・・・」

僕は、この言葉を聞いて心が痛くなりました。

実は、彼女とは小学校からの同級生で、更に家も近所なので、よくみんなで遊んだりしていました。

そして彼女の初恋の相手は僕でした。
中学にあがると、そのことがうわさになり、みんなが僕を冷やかしました。
思春期の僕は、それが嫌でたまらずに、彼女を逆恨みして徹底的に無視して、影で悪口ばかりを言っていました。

しかも中学の3年間ずっとです。
廊下で会うと、僕は彼女を避けて反対方向にいつも歩いていました。

露骨にみんなが分るように、そう言うひどい態度を3年間も続けてしまいました。

ほんとは、彼女のことを嫌いではないのに、僕は赤面症なので、みんなが冷やかすのが耐え切れませんでした。

しかし、修学旅行のときに夜遅く、誰もいないときに船の中で彼女とばったり出くわしてしまいました

僕は二人きりだったので、どきどきしながらも声をかけました。
簡単なあいさつだけでしたが、ほんとは意地悪なことをして心が苦しかったので、そのときはお互い、にこやかに少しでも会話が出来たので、僕は嬉しかったのを覚えていますが、話をしたのはその時1度限りでした。

そう言う背景があっての再会でしたし、だからこそ僕は、彼女に対してすまないと思いました。

そして、それだけではありませんでした。

実は、夜のお仕事をしている時に、僕の職場の同僚が数名、彼女との結婚を目当てに毎晩のように会いに来ていたらしいのですが、僕をぜひお店に連れてきて欲しいと毎回お願いしたそうです。

しかし、僕は仕事が忙しくて全然来てくれないと言う事でした。
でも、僕はそんな話は一度も聞いたことがありませんでした。

その後、彼女はとても落ち込んだそうです。
そしてその頃に、この例の男性と出会って、寂しさを埋めるためにお付き合いしたと言うことでした。

僕はなお更、彼女に対して心が痛くなり、その場で今までのことを謝り、そのことを許してもらいました。

そうすると、彼女はとても癒されて満足していました。

しかし、現実的な問題は残されたままです。

そこで、僕は言いました。

「じゃあ、僕はこれから君の事を命がけで助けるので、心配しないでいいからもう、死にたいなんて考えないでね。」

彼女は、うなずいて涙を流して喜んでくれました。

そしてその後は、夜通しいろんなお話をして、夜が明ける前に彼女を帰してあげました。

それから結婚前提でちょうど1年お付き合いをして僕らは結婚しました。

実はその1年も波乱万丈でした。

それと、結婚前に彼女と話をしていると、何度も同じ幻を見ました。

それは、新約聖書の使徒行伝に出てくる、殉教者ステパノのシーンとよく似ていました。

ステパノは12使徒ではありませんが、使徒達の給仕役でした。
しかし、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていました。

更に、イエス様とまったく同じ経験をして殉教しています。
つまり、正しい神の言葉を述べて、更に癒しや奇跡や不思議を大胆に行い、イエス様と同じく不当な裁判にかけられて、それでも神の言葉を大胆に語り、石で撃ち殺されましたが、イエス様と同じで彼らの為にとりなしをしました。

では、彼が殉教するシーンだけ紹介します。

使徒行伝第7章54節~60節

人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。

しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。

そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。

人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、彼を市外に引き出して、石で打った。

これに立ち合った人たちは、自分の上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。

こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけて言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。

そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こう言って、彼は眠りについた。

以上ですが、ステパノは僕がイエス様の弟子達の中で一番尊敬している人物でした。

そのステパノと同じシーンの幻を数回見ました。

僕が、彼女の家族にかこまれて罵倒され、石で撃ち殺されているシーンでした。
このリアルな映像が結婚の直前に何度もはっきり見えました。

そして、それが現実なものになりました。

不当な裁判を受け、迫害に遭い、挙句の果てに無残に殺されてしまったのと同じでした。

それに関連してのことなのですが、僕は仕事中にいつも一人の時間を持ち、祈っていました。

あるときの事ですが何と、僕が自分の意識しない言葉で勝手に祈りだしました。

簡単に言うとこう言う事です。

「イエス様、僕はこれから自分に降りかかる、多くの災難を感謝して受け入れます。」

僕は、この言葉が自分の口から出たときに、びっくりしました。

なぜなら、自分の結婚や将来についての祝福を祈っていたからです。

ですから、自分の口から勝手に全く正反対な言葉が出てきたので、驚いてしまいました。

ステパノと同じ内容の数回にわたる幻といい、結婚生活はかなりの苦難があることを覚悟していましたが、それでも僕は彼女を愛しぬこうと決めていました。

しかし、そんな僕の思いを簡単に完全に打ち砕くことが起こりました。

ある時、僕が一人でコーヒーを飲んでいた時の事です。
突然聖霊様が言いました。

「あなたは預言者ホセアの体験をしなさい」

実は、僕は偶然ですが、ホセア書だけはなぜか読んだことがありませんでした。
あんなに聖書を読んでいるのに自分でも不思議です。

教会に行って7年も経つのに、なぜだか、そこだけは読まないで、その日までいたのでした。

僕は、一体どういう体験なのだろうかと思いながら、かなり期待をして聖書を開けてみました。

なぜなら、預言者の体験なので、神様の栄光が現れる特別な素晴らしい働きだと知っていたからです

しかし、僕は最初の数行を読んだだけで、一気に血の気が引き、失意と絶望のどん底に突き落とされてしまいました。

ホセア書第1章1節~11節

ユダヤの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世、イスラエルの王ヨアシの子ヤラベアムの世に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。

主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受けいれよ。この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」。

そこで彼は行ってデブライムの娘ゴメルをめとった。彼女はみごもって男の子を産んだ。

主はまた彼に言われた、「あなたはその子の名をエズレルと名づけよ。しばらくしてわたしはエズレルの血のためにエヒウの家を罰し、イスラエルの家の国を滅ぼすからである。

その日、わたしはエズレルの谷でイスラエルの弓を折る」と。

ゴメルはまたみごもって女の子を産んだ。主はホセアに言われた、「あなたはその名をロルハマと名づけよ。わたしはもはやイスラエルの家をあわれまず、決してこれをゆるさないからである。

しかし、わたしはユダの家をあわれみ、その神、主によってこれを救う。わたしは弓、つるぎ、戦争、馬および騎兵によって救うのではない」と。

ゴメルはロルハマを乳離れさせたとき、またみごもって男の子を産んだ。

主は言われた、「その子の名をロアンミと名づけよ。あなたがたは、わたしの民ではなく、わたしは、あなたがたの神ではないからである」。

しかしイスラエルの人々の数は海の砂のように量ることも、数えることもできないほどになって、さきに彼らが「あなたがたは、わたしの民ではない」と言われたその所で、「あなたがたは生ける神の子である」と言われるようになる。

そしてユダの人々とイスラエルの人々は共に集まり、ひとりの長を立てて、その地からのぼって来る。エズレルの日は大いなるものとなる。

以上ですが、僕はこのホセア書を数行読んで、泣きながらイエス様にお願いをしました。

「イエス様、どうかお願いします。僕には無理な体験です。僕は死ねと言われれば、それさえ受け入れますが、この体験だけは止めて下さい。絶対に無理です。どうか助けてください。」

しかし、イエス様は何も答えてくれませんでした。

僕は、仕方がないのでホセア書全体を一気に読みました。

そして、結果的に神様の深い愛を知ることが出来ました。
ホセアの体験が無ければ、人間が神様の愛の深みや激しさを知ることは、不可能だと言うことがよく理解できました。

そして、その神様の深くて激しい愛を知るために、僕はそのことを受け入れるしかありませんでした。

そして僕は静かに祈りました。

「ただただ、あなたのみこころが行われますように・・・あなたの深くて激しい愛を知ることが出来ますように・・そしてイエス様だけが栄光を受けますように・・・イエス様の名前によりお祈りします。アーメン。」

僕はそれ以上の祈りの言葉が出ませんでした。

僕は、結婚前にこの啓示を受けましたが、それを受け入れました。

その後、僕は結婚をするにあたり、彼女に条件を付けました。

「もし、この条件を守れないのなら、結婚は到底無理なので、必ず守るように」とお願いしました。

それは、「今は仕事はしない」と言う事と、「今は家族との縁を切る」と言う事と、「教会には毎週行く」と言う事です。

そして僕は、彼女に対して最低でも体を1年以上は休めて、体も治して丈夫な赤ちゃんをちゃんと産める体になる為に、仕事を今すぐ辞めてとお願いしましたが、誰も彼女の為に仕事を代わってくれる人はいませんでした。

職場の人間は皆、家族や兄弟であるにもかかわらず、誰も彼女の体の事には気を使わず、更に、酒を飲んで遊んでばかりいる元カレの事で死にたいくらいに悩んでいる彼女の苦しさを誰一人、知ろうとはしませんでしたし、そればかりか、誰も元カレに文句を言う人もいませんでした。

又、彼女が仕事を辞めると、他の誰かが嫌な仕事を代わりにやらないといけなくなるので、その理由だけで僕はみんなに嫌われていました。

つまり、誰一人僕が彼女と付き合うのを喜んではいませんでした。

逆に、彼女の元彼が仕事を辞めたり、彼女と別れることなどが、会社や自分らにとっては不利益だと考えているくらいの、何とも言えない凄い家族でした。

仕方が無いのでしばらくは、僕がタダ働きでずっと彼女の仕事を手伝っていました。
そして、結婚前には仕事を辞めてもらいました。

しかし、妻は結婚後、たったの2週間で僕に一言も相談せずに勝手に仕事を始めてしまったのでした。

僕は、そのことについてかなりショックを受け、ほんとに裏切られたと言う気持ちでいっぱいでした。

あれだけ苦しんでも元カノよりも妻を選んで結婚したのに、簡単に僕との約束を破って家族を選んでしまったのでした。

妻は、「たった2週間だけお願いと言う事だったので、それならいいと思って引き受けた。」・・・と言う事でしたが、僕は家族を全く信用していませんでした。

しかし、それよりも妻が僕の事を全く無視して、結婚についての約束を破ってしまったと言う事が何よりも衝撃的でした。

結果的に僕の願いに反して、それからも妻は仕事をしていましたが、元彼と仕事をさせるのが嫌だったので僕が代わりに仕事を手伝いました。

僕自身も仕事を別にしていたし、更に妻の父親の会社の子会社も設立して事業を行っていたので、その中で夜中から朝までハードな肉体労働を手伝うと言うのは、まさに殺人的な仕事量でした。

あまりにも仕事が忙しいので、お互いに時間的なすれ違いが多く、結婚をしてからの2週間以外は一緒に食事も出来ず、一緒にお風呂も入れず、一緒に寝ることも出来ませんでした。

しかも、仕事を3つもこなしていたので、ほとんど妻の実家の会社で寝泊りをしている状態でした。

家に戻るのはお風呂に入る時くらいでしたが、その時でも妻はいつも家族と食事をしたり、遊びに行ったりして、僕と時間を共にする事は全くありませんでした。

更に、こんな状態でも仕事とは言え、妻は元彼と二人きりで車に乗って家に帰ってくることがありました

僕は何よりそれが耐え切れなくてずいぶん苦しみました。

「僕は、一体何のために妻と結婚したんだろう?二人が少しでも長い時間一緒にいたいから誰でも結婚するのではないのか?だとしたら自分の結婚生活は何て悲しい結婚生活なんだろう?」

いつも、そんな事を考えながら、毎日忙しい日々を過ごしていました。
こんな事が結婚してから3年も続きました。

ちょうど、そのころ僕の体はあまりの過労のために、極限状態にまで来ていました。

僕は、ほんとは早く二人とも健康になって、そのあとにかわいい赤ちゃんも欲しくてたまりませんでした。

それは、毎日その為に苦しくて惨めな思いをしていたからです。

例えば、妻の妹夫婦が出来ちゃった結婚をした時のお祝いの席で、家族や親戚に「何でお前たちは結婚して3年にもなるのに子供が出来ないんだ?もし作りかたが分からないのだったら、妹夫婦に習ったらいいんじゃないのか!?」

と言われて、皆、大爆笑でしたが、僕はただ下をうつむいて涙を必死にこらえているだけでした。

そして、妻の実家で飼っている牛の去勢手術の手伝いをしている時にも、「お前も全く何の役にも立たないから、牛と一緒に去勢をしたほうがいいんじゃないのか?」と、親兄弟に言われ、みんなに腹を抱えて笑われてしまいました。

僕は、妻に最初で約束したとおりに、彼女が仕事を辞めて体調を整えてからしか子供を作ろうとは考えていなかったので、悔しいけれど将来の元気な赤ちゃんの為に、どんな屈辱にも耐えていました。

しかし、肝心の妻がどうしても仕事も辞めずに、僕よりも家族の方を大切にするので、いつまでも苦しく惨めな日が続きました。

それからしばらくたったある日、僕は原因不明の腹痛と共に高熱を出して苦しんでいました。

熱は40度近くにもなっていましたが、それでも妻が看病をしてくれるわけではありませんでした。

それどころか、「今日は年末だから家族と忘年会があるので、付き合いでもあるし行ってくるね。」・・・と、言われてしまいました。

僕は、高熱を出しながらも、さすがにその言葉にぶち切れてしまいました。

「何で自分の夫が死にそうな思いで苦しんでいるのに、又家族を選ぶの?しかも今日は年越しなのに自分はまたいつものように一人でいるしかないわけ?それなら自分は家の鍵を閉めるよ!それでもいいなら行けばいいよ!」・・・と、言いましたが、妻は「なるべく早く帰ってくるから・・・」と言って、僕を残して行ってしまいました。

僕は結婚して3年間もこんな事が続いていたので、もう何もかもが嫌になっていました。
そして、深夜零時を過ぎても妻が帰らなかったので、怒ってドアの内鍵をかけてしまいました。

それから、何時間かして妻は帰ってきましたが、僕は高熱のせいで声も出ないし、全く動く事も出来ませんでした。

ましてや自分の事を捨てていった妻の為に、もはや起き上がる気力もありませんでした。
僕はそのまま気を失うようにして寝てしまいましたが、翌日の午後に妻は帰ってきました。

そして、妻は帰ってくるなり、泣きながらこう言いました。「何でドアのロックをかけたの?何で何度開けてとお願いしても開けてくれなかったの?」

僕は、「何を泣いてるんだこいつは?」と思いながら、「何でって、そんなに行きたいのなら鍵をかけるからと最初で言ってあったし、その前にあまりにもきつくて声も出ないし、動く事も出来ない状態だったから仕方が無いよ。」と言いました。

そして、「泣きたいのはこっちのほうだよ」と心の中で怒っていました。

しかし、妻はそれでも泣き続けていたので僕は何かおかしいと思い、「どうしたの?何か悲しい事でもあったの?」と、聞きました。

そうすると、妻は泣きながら答えました。

「実は、あなたに鍵を閉められたから、仕方なく妹の家に泊めてもらいに行ったのだけど、朝になったら妹は出かけていて・・・そしたら妹の旦那が突然私に抱きかかってきて・・・そして、前からお前の事が好きだったとか言われて・・・・
それに、このことを内緒にしないと妹と別れてしまうから誰にも言わないようにと言われたの・・・」

僕は、妻の言葉を聞いて、とても怒りを感じ、すぐに妹夫婦の家に行こうとしました。

しかし、僕は妻の言葉で行くのを止めてしまいました。

「私のせいで妹が離婚をしたらかわいそうだから、絶対に行かないで!お願いだから何も無かった事にして!」

僕は、妻の口から全く想像もしなかった言葉を聞いてしまい、とても心が苦しいうえに無気力になり、激しい怒りも一瞬にして消え、僕の心はただのむなしさと、深い悲しみとに変ってしまいました。

しかし、この後更に、苦しくて悲しい出来事が突然の津波のように立て続けに起こるとは全く想像もしていませんでした。

その後も、殺人的なスケジュールの中で、仕事をこなしていましたが、それから2ヶ月たったある日に又、過労で2日ほど高熱を出してしまいました。

しかも、お腹の痛みが尋常ではありません。
僕は一人で病院へ行き、診察の前に妻に電話をしました。

「実は、ある遠くの病院の駐車場で今激しい腹痛と高熱で死にそうになっているのだけど、もし今まで通りの結婚生活を送るつもりなら、自分はこのまま死んでもそれでいいと思っている。だけどもし、君が僕の事を、家族よりも大切に思って、毎日ご飯も一緒に食べたり、普通の夫婦のように愛し合ってくれるんだったら、診察をうけて治してもらおうと考えているのだけど、君はどっちがいいの?」

僕がこのように真剣に尋ねると、

「ごめんなさい。自分が今まであなたに対して悪い事をしていたので、それは心から謝るし、これからは反省して、良い妻になるから、だから病院でちゃんと診て貰って、お願いだから死んでもいいとか言わないで・・・」

と、妻は泣きながら言いました。

「じゃあ、君が今すぐ来てくれるのなら、自分は診察を受けるから、どうか気を失わないうちに気をつけてこっちに来てね。」

僕は、そう言って高熱と激痛の中、妻をひたすら待っていました。
その後、妻がやって来たので一緒に病院へ入り診察を受けました。

その結果、緊急入院となりましたが、大きな総合病院であるにも関わらず、全く原因が分かりませんでした。

各専門の検査師や医者が体中を調べましたが、レントゲンを写しても僕の内臓は、影が出ていて全く内臓の状況が分からなかったそうです。

もっと言えば、内臓が全く写っていなかったので、「あなたは宇宙人なの?」と先生方に言われてしまいました。

1週間以上も40度近い高熱が続き、お腹の激痛もピークに達していたのですが、原因が分からない為に、薬の投与も無く、一切の治療行為も行われませんでした。

連日の高熱と、あまりの激痛の為に何度も気を失ってしまいましたが、僕のそんな姿を見るたびに妻は、心が締め付けられ、自責の念に駆られ、自宅に帰ってからいつも泣いていたそうです。

そんなある日の夜遅くに、このままでは危険だと言う事なので、緊急手術を行うと言う事になりました。

手術の説明の時に、執刀医の院長先生が僕に言いました。

「あなたは、このままだと確実に死ぬでしょう。でも、原因はまだ分かりませんが、手術を今すぐ行えば助かるかもしれません。しかし、無事成功出来たとしても、一生子供は作れないと思いますので、それは覚悟していて下さいね。それでは、手術の前にぜひ家族を呼んでいて下さい。」

僕は最初から、「もう死んでもいい」と思っていたので、それは仕方がないと、死を受け入れていましたが、このままでは心を入れ替えてくれた妻がかわいそうです。

それで僕は、妻に電話をしました。

「もしもし?実はこれから緊急手術に入るけど、もしかしたら手術しても死ぬかもしれないし、成功しても子供は作れないと言われた。それと、家族を呼べと言われたけど、僕は誰にも会いたくないし、君ひとりだけがいれば、自分はそれで十分なので、ここに来て欲しい。」

電話を切った後、僕は死を覚悟しました。

しかし、そのとき突然、聖霊様から、ある、み言葉を頂きました。

コリント人への第一の手紙第15章55節

「死は勝利にのまれてしまった。
死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

何とこの聖書の言葉が目の前に浮かんでいました。

僕は、聖霊様に感謝して平安を得ました。

そして、しばらくして手術は行われましたが、部分麻酔だったので、その一部始終を僕は覚えています。

まずは麻酔を打って、お腹を切開しました。
そして、しばらくの沈黙の後、看護婦が一言。
「先生。これは一体なんですか?」
そして、医者の言葉。
「う~ん。これはちょっと分かりません。」

この医者の言葉を聞いて僕は「確実に今日で自分は死ぬな」と思いました。


それから数秒間、沈黙が続いた後、
「誰か、急いでカメラ、カメラを持ってきて下さい。」

医者がそう叫ぶと、突然手術室が慌しくなり、ドタバタと看護婦達が走り回っていました。


僕は、「もしかしたらお腹からエイリアンでも出てきたのかな?」と考えてしまいましたが、誰よりも落ち着いていたので、

「先生。落ち着いて下さい。僕は大丈夫ですが、一体何があったんですか?」と言いました。

そうすると、医者は言いました。
「医学的にとても珍しいので、学会に発表したいと思いますから、写真を撮ってもよろしいですか?」

僕は「何だそんな事か」と思い、「いいですよ。ではその代わりに、僕がVサインしているところも一緒に写して下さいね。」といった後、「これで僕は助かる!」と、なぜか確信していました。

何枚も写真撮影をしていましたが、その後、無事手術は成功しました。

しかし手術後は更に、地獄の苦しみが待っていました。
麻酔がすぐに切れて、更に痛み止めも睡眠薬も全く効果が無く、お腹の激痛の為に、1週間も眠れませんでした。

その痛みを表現すると、お腹の上にガソリンをかけて24時間燃やしているような感じの痛みでした。

それが連日続き、1時間以上も連続して眠る事が出来ませんでした。

究極の痛みと、睡眠不足で気が狂いそうでしたが、手術から10日ほどたったある日、久しぶりにぐっすり眠る事が出来ました。

起きた後、妻に電話でそのことを報告すると、泣きながら喜んでくれました。

僕は、とても狂しい体験をしましたが、妻の心を取り戻す事が出来たので、とても満足していました。

そして、地獄の永遠の火で焼かれ続ける苦しみとは、こういう事なのだと、体験して分りました。地獄は絶対に誰も行くべきところではないと理解できました。

そして、そんなある日、妻が病院で僕に言いました。

「実は、ずっと生理が無かったから、思い切って今日産婦人科に行ってみたら、妊娠2ヶ月と言われたんだけど・・・いつのまに妊娠したのかな?

僕は「本当?良かったね。」と、言いましたが、良く考えてみると、確かに妻の言うとおりだと思い「いつのまに妊娠したのかな?」と、僕も深く考え込んでしまいました。

なぜなら、仕事がハードすぎてほとんど自宅にも戻らず、一緒に寝ることもありませんでした。

でも、2ヶ月前には今回と同じように高熱を出して自宅で寝込んでいましたが、その時に妻は、妹の旦那に襲われてしまいました。

しかも、「その事は何も無かった事にして」と言う事だったので、僕はとても狂しいながらも今でも誰にも言わずに、その事で妻を責める事もありませんでした。

「・・・とすれば、一体この子は・・・。」
僕はあまりの受け入れがたい事実に、衝撃を受けてしまいました。

医者からは「例え手術が成功しても、子供は作れない」と言われました。
それならば、今回子供が出来た事は何よりも喜ぶべき事です。

しかし、お互いに何の覚えもないのなら、本来は最も嬉しい事が、最も受け入れがたい事実となります。

僕は、地獄のような肉体的苦しみの後、更にその痛み以上の精神的苦痛を味わう事になってしまいました。

「一体どうすればいいのだろう。」

僕は、ひとり悩んでしまいましたが、預言者ホセアのことを思い出しました。
そして、心の中で言いました。

「ああ、神様はこういう事を通して神様の深い激しい愛を僕に教えたいんだ。」

そして、その子を心から祝福し、生涯心から愛していこうと決心しました。

1ヶ月後には無事退院して自宅へ戻りましたが、まだ痛みがあったので、僕は仕事がほとんど出来ないような状態になっていました。

仕方がないので、肉体労働をしなくてもいいようなセールス業を選び、子供が生まれるまでに収入を稼げるようにしました。

子供に対しては、お腹にいる時から子守唄を歌ってあげたり、話しかけたり、音楽を聴かせてあげたりして、毎日コミュニケーションをとりました。

やがて子供が誕生し、妻の家族がお祝いにやってきました。
僕は、心の内側ではただ苦しいばかりでしたが、愛しい子供の為に我慢していました。

しかし、あまりにも妹夫婦のやり方が僕の人格を傷つける事ばかりなので、それからの娘の誕生日には一度も家にいる事はありませんでした。

娘の誕生日の日には、夜明けごろまで一人で海沿いをドライブし、ただただ悔しくて悲しくて泣いてばかりいました。

そんなある日、仕事場に僕の元カノの一番の親友が来ていました。

そして、僕に突然こう言いました。

「お願いだから彼女のところに戻ってあげて。彼女を見ていてあまりにもかわいそうだよ。いつもあなたのことばかり考えて泣いているし、あなたが彼女を愛していないなんて、絶対に考えられない。結婚したのも何か仕方のない理由があるからなのでしょ?ほんとは奥さんよりも彼女のことを愛しているんでしょ?どっちにしても今のあなたが幸せとは絶対に思えない。だから今からでも考え直して!」

僕は、彼女が言っている事は全く図星だし、元カノの事を考えると、とても心が痛みましたが、「もう、子供もいるし今更そんな事を言われても、悪いけど僕にはどうする事も出来ないよ。だから彼女にはごめんと言っておいて。」と言って、その親友を帰しました。

その後、娘も2歳になったので保育園に預ける事にしたのですが、そんなある日保育園で元カノの別の同級生に会いました。

そして僕は彼女から衝撃的な事を聞いてしまいました。

「久しぶりだね。実は、あなたの元カノの事で今噂があるのを知ってる?
あなたと別れてからは、かなり落ち込んでいたみたいだし、彼女をこの1年誰も見かけないし・・・彼女はきっと自殺したんだよと今、物凄い噂だよ。」

僕は、彼女からこの話を聞いて愕然としました。

「どうしよう、彼女が自殺したなんて・・・。
もしそうならそれは間違いなく自分のせいだ。
彼女だけには幸せになって欲しかったのに。」

僕は言葉では言い表せないほど心が痛み、胸が引き裂かれそうになりました。

あまりにも苦しくて仕事も手につかないので、妻に電話をして、元カノの事と同時に、自分の気持ちを打ち明けました。

そして、妻が彼女の自宅に電話をして、その事実を確認すると言う事になりました。
その結果、お母さんが電話を取り、「娘は今、出かけています。」と言う事で、彼女が生きていると言う事が分かりました。

それを聞いて僕はほんとに安心しました。
しかし、以前から彼女が毎日苦しんでいると言う事も、彼女の親友から聞いていたので、自殺をするとか、そんな噂が立つほどに苦しめていたのだと言う事が、更に分かり、毎日苦しくて仕方がありませんでした。

それからしばらくして、僕は妻との生活がいよいよ息苦しくなっていきました。

なぜなら、子供が生まれてしまうと、結局、僕との約束を忘れ、僕の事をないがしろにする生活となってしまったからです。

それに、いつも妹夫婦が家を出入りするので、それが一番苦しくて我慢が出来ませんでした。

その為に毎日仕事ばかりして、家に帰るのは夜中や明け方になっていました。

又、子供が生まれてからはいつも二人の間で寝かせていたし、時間も気持ちもいつもすれ違っていて、夫婦関係なんてありませんでした。

それに、いつも妻が、僕の仕事の邪魔をしたり、縛り付けたりするので、ほんとに何もかも嫌になっていきました。

しかし、ある日妻が意外なことを打ち明けてくれました。

「私が、あなたにわざと意地悪したり嫌な目に合わせたりするのは、あなたのことが嫌いだからじゃなくて、ほんとはもっと私のことを誰よりも心から愛して欲しいからなんだよ。それに毎日私の事を愛して欲しいし、いつでも私の事を大事にして欲しい。」

僕はこの言葉を聞いて、びっくりしたのと同時に「何だそんな理由だったのか」と言う事が分かり、妻の事が愛おしく思えるようになりました。

それから、二人は結婚した頃のように愛し合うことが出来ました。
そしてその頃愛し合った結果、二人目の娘が与えられました。

しかし、妻との愛を取り戻した瞬間から、逆に妹の旦那に対する怒りや、妹の全くプライバシーの無い態度に怒りを感じてしまい、家にいるのが以前よりも苦しくなりました。

更に、二人目の子供を身ごもってからは、姉妹のところに入りびたりで、食事も一緒に摂らないし、僕が食事を用意しても、いつも家族と外食に行ったりしていたので、僕は毎日一生懸命作った食事をゴミ箱に捨てていました。

僕は、朝早くから毎日夜中や明け方まで働いていましたが、自営業なので時間を自由に使うことは、ある程度可能でした。

しかし、家に帰ってもいつも誰もいないし、正月休みやお盆休みの時でも妻は、子供を連れて家族と休暇を過ごすので、僕は結婚をして子供がいても、まるでさびしい独身者のようでした。

又、それ以外にも妻のヒステリックや、暴力行為にはとても悩まされていました。
娘はそれをみていつもお父さんを助けようと一生懸命でしたが、いつも母親に突き飛ばされ、更に目の前で僕の事を棒やヌンチャクなどで叩きました。

妻は気に入らない事があるといつでも暴力や暴言を吐くようになっていきました。

それで僕は、あまりにも結婚生活に虚しさを感じてしまい、どこか遠いところで一人で暮らそうと考えました。

娘達と別れるのはとてもつらいことではありましたが、教育上悪いし、もう自分にとっては限界でした。

毎日娘を保育園に送った後は、ひとりでリゾートホテルや海辺へ行き、食事をしながらどうやって出て行こうかと計画を立てていました。

それで、とにかく県外に行こうと決めました。

自分は今の生活から離れて、県外で自分のやりたい事が出来ると思いました。

しかし、その後、この計画が妻にばれてしまったので、全ての計画がだめになってしまいました。

僕は半年以上も、家で監禁に近い状況を強いられ、子供の保育園の送迎以外は仕事も一切しないようにと言われてしまいました。

結果的に次女が生まれたすぐあとに、彼女は子供たちを残してどこかに出て行ってしまいました。

僕は、二人の子供を連れて自分の実家で暮らすようになりましたが、


いつのまにか自分の家の持ち物は、全て持ち去られ、僕の私物や子供たちのアルバムやおもちゃなどはその兄弟たちにより、全てごみに出されていました。

そして、その年のクリスマス・イブの日に妻が僕の実家に突然押しかけ、何の断りも無く次女を連れて行ってしまいました。

長女は一緒に連れ歩いてたので、大丈夫でしたが僕は1週間ほど次女の事を想って涙を流し続け、仕事も全く手につきませんでした。

僕は、突然自分の長女以外の全てのものを、失ってしまいました。

まるで、旧約聖書のヨブの体験のようでした。
僕はあまりに苦しくて、イエス様に言いました。

「イエス様、僕はあなたを自分の救い主として信じて来ましたが、あまりにも今の状態は残酷です。僕は救われているのですか?それとも呪われているのですか?もし、救われているのなら今すぐ、その証拠を見せて下さい!」

僕はあまりにも状況が受け入れきれなくて、今すぐ証拠を見せてくれと、無理なお願いをしました。

ところがすぐに、イエス様が言いました。

「私は2,000年前にあなたの為に十字架にかかり、死んで生き返りました。これがあなたに対する救いの証拠です。」

僕は、この言葉を聞いて、イエス様に悔い改めて感謝を捧げました。
これもイエス様の偉大な計画に違いないと分りました。

そして、それから3年ほどは長女と二人で暮らしていましたが、次女のことを考えるととてもかわいそうになってしまい、さらに娘を手放しなさいという啓示を頂いたので、長女を母親に預ける事にしました。

長女はお父さん子なので、「お父さんとは絶対に離れたくない」と言いましたが、「妹がかわいそうだし、お母さんも一緒に暮らしたいはずだから、お母さんたちと一緒に暮らしてね。」と言いました。

娘は、「でもお父さんがひとりぼっちでさびしくなるから嫌だよ。」と言いましたが、「お父さんは男だし、お母さんよりも強いから大丈夫だよ。それにいつか必ずお母さんと仲直りするからその時まで我慢して待っていてね。」と、約束をして妻に預けました。

しかし、実際はしばらくしてから強制的に離婚をされてしまいました。

一体、自分の人生や結婚は何だったのだろうと思ってしまいましたが、今では自分自身に相手を徹底的に愛しぬく力が無かった結果だと思っています。

それと、結婚前から、そう言う啓示も与えられていて、そのことも、最初から受け入れていました。
このことは、人間的には絶対に、理解不可能で、受け入れがたいことです。
しかし、僕は、ホセアの体験を通して、神様の深くて激しい愛を知りました。
究極の痛みを通してしか知ることの出来ない、神様の愛を体験しました。
これは、体験してみないと分らない愛です。
この、ゆるしの愛があれば、誰も人を憎まないし、離婚なんてありえません。僕は、誰にもこの体験を明かしていませんが、痛みを通して神様の愛を知る事が出来た事を感謝します。

全ての栄光が主イエス・キリストにありますように・・・
アーメン

追伸 1

妹の旦那に対しての事ですが、ある時、僕があまりにも苦しくて祈っていました。
すると、聖霊様は僕に幻を見せてくれました。

そこは世の終わりに開かれる裁判の席でした。

なんと僕は、イエス様のそばに座り裁きを行っていました。

するとそこに、例の婿兄弟の弟が出てきました。
そして彼に、裁きが宣告されました。

僕は、彼が絶望に浸っているのを見て、イエス様に言いました。

「イエス様、彼は僕の弟でした。彼は罪を悔いていますし、僕も彼を赦しています。なので、彼の罪を赦してあげてください。」

そうすると、イエス様は彼の罪を赦してくれました。

僕は、幻の中で彼を赦すことが出来ました。

自分の罪を赦されたからこそ僕も誰かの罪を赦すことが出来ます。
それから僕は心の痛みが消えて完全に彼を赦すことが出来ました。
偉大なイエス様に栄光をお返しします。
アーメン!
 
追伸 2
 
この記事を書いたのは、東日本大震災(2011/3/11)のあった翌年の夏のことですが、更にその4年後の2016年の1月ごろに、SNSで娘二人の写真を発見しました。
長女は僕の若いころによく似ていて、次女は母親の若いころにそっくりでした。
また、長女の他の写真を見てみると、僕の母の若いころにもよく似ていました。
実はそれらを見てとても驚きました。
なぜなら、自分と元妻の間で生まれた子ではないと信じていたからです。
夫婦とも、覚えがなかったし、その頃はほとんど職場で寝泊まりしていて夫婦関係もなかったからでした。
更に、婿兄弟との事件もあったし、ほんとに不思議ではありますが、神様の計画で行われたことですし、結婚前に預言者ホセアの体験をしなさいと言われていたので、とても苦しくて悲しい出来事ではありましたが、娘のことを生涯愛しています。もちろん、次女のことも生涯愛しています。
 
ところで、アブラハムは神様に生け贄としてイサクの命を捧げなさいと言われてその通りイサクの命を奪おうとしたときに神様がそれを止めました。
理由は、アブラハムが独り子でさえも神様に対して捧げることが出来るか信仰を試した結果、アブラハムの信仰心を認めたからです。
それで、実際にはイサクを殺さなくて済みました。
そして、その代わりに子羊を神様が用意してくれました。
アブラハムは、たとえイサクを殺しても、神様が生き返らせてくれると信じていました。
神様はアブラハムの信仰を義と認めました。
 
それと同じように、今回神様が特別な計らいで、僕らの正真正銘の娘として神様が与えてくれたと今は信じています。
自分の実の子だとわかりましたが、たとえ自分の実の娘でなかったとしても当然ながら生涯娘として愛しています。
 
Keystoneより
 
 
 
 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会

No.23 エフライム(沖縄に関する啓示)( 1 / 1 )

鳥居→十字架.JPG

 

今回のお話は、とても不思議で神秘的なお話です。

ある時、突然聖霊様が僕に語りました。

「あなたはエフライムです。」

僕は聖霊様に唐突に、そう言われたので、驚きました。

「ええ?あなたはエフライム?エフライムって、もしかしてヨセフの次男のことかな?」

僕は、気になったので聖書を読んでみました。

聖書を読んでみると、エフライムとはやはりヨセフの次男のことでした。

このエフライムはこの世の終わりのときに、イスラエル部族の中で最も祝福される民族のことです。

しかも、この部族は歴史の中で消え去り、今は幻の部族となっています。

まさかこの幻の部族が僕と関係があると言うことでしょうか?

もし、そうならこれは歴史的な大事件になります。

ちなみに、聖霊様が僕に対して「あなた」と言う場合には、僕のことを教会に見立てたり、地域に見立てたり、国に見立てたりします。

つまり、「あなたはエフライムです。」と言う意味は、沖縄を指すものと思われます。


聖書の創世記に、エフライムのことが紹介されています。

創世記第41章50節~52節

ききんの年の来る前にヨセフにふたりの子が生れた。これらはオンの祭司ポテペラの娘アセナテが産んだのである。

ヨセフは長子の名をマナセと名づけて言った、「神がわたしにすべての苦難と父の家のすべての事を忘れさせられた」。

また次の子の名をエフライムと名づけて言った、「神がわたしを悩みの地で豊かにせられた」。

以上ですが、
エフライムの父ヨセフは少年の頃、兄たちの妬みをかい、エジプトに奴隷として売られましたが、獄中で王様の夢を解き明かし、エジプトの大臣にまでなりました。

そして、ユダヤ民族を飢饉から救い、エイジプトの地において二人の男の子を得ました。

その長男がマナセで、次男がエフライムです。

祖父であるヤコブことイスラエルが、マナセとエフライムを祝福するときの面白いエピソードがあります

実は、長男を祝福するときには、通常、右の手を頭に置いて祝福します。
しかし、イスラエルは長子の祝福をエフライムに授けました。

これは、イスラエル自身が兄エサウから長子の特権を獲得したのと同じです

創世記第48章8節~20節

ところで、イスラエルはヨセフの子らを見て言った、「これはだれですか」。

ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。
父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。

イスラエルの目は老齢のゆえに、かすんで見えなかったが、ヨセフが彼らを父の所に近寄らせたので、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。

そしてイスラエルはヨセフに言った、「あなたの顔が見られようとは思わなかったのに、神はあなたの子らをもわたしに見させてくださった」。

そこでヨセフは彼らをヤコブのひざの間から取り出し、地に伏して拝した。

ヨセフはエフライムを右の手に取ってイスラエルの左の手に向かわせ、マナセを左の手に取ってイスラエルの右の手に向かわせ、ふたりを近寄らせた。

すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。

そしてヨセフを祝福して言った、
「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、
生れてからきょうまでわたしを養われた神、

すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、
この子供たちを祝福してください。
またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、
彼らによって唱えられますように、
また彼らが地の上にふえひろがりますように」。

ヨセフは父が右の手をエフライムの頭に置いているのを見て不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。

そしてヨセフは父に言った、「父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください」。

父は拒んで言った、「わかっている。子よ、わたしにはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」。
こうして彼はこの日、彼らを祝福して言った、
「あなたを指して、イスラエルは、
人を祝福して言うであろう、
『神があなたをエフライムのごとく、
またマナセのごとくにせられるように』」。
このように、彼はエフライムをマナセの先に立てた。

以上ですが、
更に、イスラエルはヨセフの子エフライムに対する祝福をしました。
他の11部族の祝福とは比べ物にならないほどの豊かな祝福を預言しました。

創世記第49章22節~26節

ヨセフは実を結ぶ若木、
泉のほとりの実を結ぶ若木。

その枝は、かきねを越えるであろう。

射る者は彼を激しく攻め、
彼を射、彼をいたく悩ました。

しかし彼の弓はなお強く、
彼の腕は素早い。
これはヤコブの全能者の手により、
イスラエルの岩なる牧者の名により、

あなたを助ける父の神により、
また上なる天の祝福、
下に横たわる淵の祝福、
乳ぶさと胎の祝福をもって、
あなたを恵まれる全能者による。

あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、
永久の丘の賜物にまさる。
これらの祝福はヨセフのかしらに帰し、
その兄弟たちの君たる者の頭の頂に帰する。

以上ですが、聖霊様は、ある日突然、僕に対して「あなたはエフライムです。」と語ったのでした。

僕は、一体これはどう言う事なのだろうと、思い巡らしていると、更に聖霊様が言いました。

「あなたは、エイサーのことを調べなさい。そしてへブル語を調べなさい。」

僕は、この言葉を聞いて驚きました。

何で、沖縄のエイサーとヘブル語を調べる必要があるのだろう?
何か、不思議な感じがしましたが、僕の友人を通して、ヘブル語に詳しい牧師先生に翌日会うことにしました。

僕が、先生に自己紹介をしてお伺いした経緯をお話しました。
そうすると、牧師先生が言いました。

実は、昨日お祈りをしていたら、聖霊様からこう言う啓示がありました。
「明日、あなたに会いに来る青年がいますが、彼は私があなたのところへ導きました。
あなたに前もって示してある、封印されていた聖書の奥義を彼に伝えなさい。」

と言うことで、聖書に関する隠された秘密を特別に教えて頂きました。
これは、ヘブル語やイスラエルに詳しい先生に特別に神様が示された奥義的な聖書の解き明かしでした。
神学的なことをヘブル言語の正しい解釈で解き明かしてくれましたが、一般的な聖書理解とはまるで反対のことでした。
しかし、よく考えてみるとそれは神様の愛と真理にかなうものでした。

僕はその啓示の解き明かしを聞いて益々、聖書理解が深まりました。
そして感動して涙を流しながらお互いに抱き合い、神様を褒め称えました。


そして、その牧師先生に聖霊様からの言葉を伝えて、エイサーと、ヘブル語が何か関係しているのかを聞いてみました。

すると、驚きの返事がありました。

なんと、エイサーの掛け声はヘブル語なんだそうです。

まさかとは思いましたが、どんぴしゃでした。

沖縄の人たちは意味も分らないで、エイサーの掛け声を毎年叫んだり、聞いたりしていますが、実はこの掛け声こそヘブル語でした。

神様を褒め称える言葉だそうです。

この事実を知り僕は興奮しました。

それで、更にこのことを追求しようと思いました。
しかし、この事実は、隠されたことでした。

沖縄の風習や文化と、イスラエルの風習などが、かなり類似していることもすぐに判明しました。

その中から少しだけ紹介したいと思います。


沖縄伝説・・・男は肋骨が一本足りぬ

「イギガー、ソーキプニヌ、ティーチ、タラーン」

この方言は「男は肋骨が一本足りない」と言う意味ですが、沖縄ではたまにお年寄りが言う言葉です。

どんな時に使うかと言うと、夫がだらしなくてどうしようもないと嘆いている妻に対して慰めるためにお年寄りが使います。

つまり、「女よりも男は不完全なものだから少しぐらい浮気したり、仕事しないからと言って悩んでも仕方がないし、その分女性が苦労して頑張れば良い」等という意味です。

でもこれって沖縄の男性のイメージダウンになりますし、このように教えられた女性は凄く可哀想ですよね。

ちなみに聖書箇所はこちらです。

☆創世記2:21~2:25☆

そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう。

それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」

以上です。

でもなぜ沖縄に聖書の創世記の始めの記事が昔からあるのでしょうか?

不思議です。

更に、今日聞いた情報では、沖縄で子供を何かにくるみ川に浮かべる儀式があるそうです。
それは、「カームーシー」と言うものだそうです。

聖書を読んだことがある人ならもうわかりますよね?
あるいはモーセーの十戒と言う映画を見たならわかると思います。

つまり、「カームーシー」とは「川・モーセ」を混ぜた言葉です。

と言うことは、モーセが幼いころ川で流されたシーンと一致します。


出エジプト記第2章1節~10節


さて、レビの家のひとりの人が行ってレビの娘をめとった。
女はみごもって、男の子を産んだが、その麗しいのを見て、三月のあいだ隠していた。
しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。
その姉は、彼がどうされるかを知ろうと、遠く離れて立っていた。


ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。侍女たちは川べを歩いていたが、彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、
あけて見ると子供がいた。見よ、幼な子は泣いていた。
彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブルびとの子供です」
そのとき幼な子の姉はパロの娘に言った、「わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか」。


パロの娘が「行ってきてください」と言うと、少女は行ってその子の母を呼んできた。
パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。
女はその子を引き取って、これに乳を与えた。
その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。
そして彼はその子となった。
彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわたしが引き出したからです」。

以上ですが、これもほんとに凄い事ですね。

そして、沖縄には「シマクサラシ」という習慣があります。

旧暦2月、3月、6月、8月、11月に行われる厄除け・厄払い悪魔払いのための行事です。
それは家畜の血を家の鴨居や柱に塗ったり、血に浸した木の枝を軒(のき)にさし、あるいは家畜の骨を村や集落の出入り口の上空に吊るして、厄払いを祈るものです。
また集落の入り口や四隅などにも、同様のことをします。

またこの行事のことを看過(カンカー)とも言います。
つまり、疫病を見過ごすという意味で「過越し」を意味しますので、これは過ぎ越しの祭りとまったく同じ意味ですね。
厄除け・厄払いのためという理由も同じであり、儀式における行動様式も非常に似通っています。

文献によると上代沖縄各地にあったと言うことですが、近年でも一部の部落や集落で行っています。
調べてみたら、僕が通っていた教会のとなりの部落でも現在行われています。
これには驚きました。

この起源は何も伝えられていないみたいなのですが、これが古代の沖縄人の先祖たちの信仰から生まれたものであることは間違いないはずです。

古代沖縄の先祖たちは、獣の血を門にまたとに塗ることが悪い厄から免れる方法であると信じた証拠であると思います。

この事もやはり、聖書の中の記事にかなり似通った記事が記載されています。

それは、ヘブライ民族のエジプト脱出のときの過ぎ越しの事件でのヘブライ民族が行ったある儀式です。

200万とも300万とも言える人々の奴隷解放時の記念となる独得な儀式です。


これを記念してユダヤ人は過ぎ越しの祭りを国を上げて年1回しているのですが、この習慣が沖縄にあるのはどういうことなのでしょうか?

☆出エジプト記12:1~12:14☆

主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、

「この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。

あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。

もし家族が少なくて一頭の小羊を食べきれないときは、家のすぐ隣の人と共に、人数に従って一頭を取り、おのおの食べるところに応じて、小羊を見計らわなければならない。

小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。

そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。

そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。

生でも、水で煮ても、食べてはならない。火に焼いて、その頭を足と内臓と共に食べなければならない。

朝までそれを残しておいてはならない。朝まで残るものは火で焼きつくさなければならない。

あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。

これは主の過越である。

その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。

わたしは主である。 その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。

わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。

この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。」

以上ですが、どうしてこの儀式が沖縄にあるのか誰も分かりません。

ちなみにこの過ぎ越しの儀式ですが、実はイエスキリストの十字架を旧約の時代に表現したものです。

イスラエルでは昔、民が罪を犯したときには子羊などを犠牲にして殺し、その血によって一人一人の罪も許されていました。

しかし新約の時代には神の子羊なるイエス・キリストが十字架上で血を流して死ぬ事によって信じる全ての人々が罪許され救われると言う事になっています。

バプテスマのヨハネもイエス・キリストの事を「世の罪を取り除く神の子羊」と呼んでいました。

でもこれって不思議ですね。

どうして沖縄にキリストの十字架を暗示するような儀式があるのでしょう?


更に、そのことに深く関連することなのですが、沖縄の読谷にトリイステーションと言う米軍基地があります。

その名の通り、神社などにある鳥居がシンボルマークになっている基地です。
なんと、基地の出入り口のゲートには大きな鳥居が2つも立っています。

また、沖縄だけではなく、在日米軍の基地内にはあちこちに鳥居(ゲートや交差点等)があるそうですし、部隊のシンボルマークにも使用されています。

そして、トリイステーション付近のアメリカ人の住宅を見てみると、やはり家の前に鳥居が立てられています。

さて、この鳥居なのですが、「トリイ」とはヘブライ語アラム方言で「門」という意味だそうです。

更に、鳥居(とりい)とは、神社などにおいても神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」であるそうです。


ですから、トリイステーションのゲートに鳥居があるのは理にかなっています
それと、聖書でイエス様自身が「私は門です。」と言っています。

つまり、ある意味イエス様を象徴する鳥居を基地の入り口や到る所に設置してあると言うことになります。

先ほど説明したとおり、過ぎ越しの祭りのときに、小羊を食する家の入口の二つの柱と、鴨居に血を塗ります。


鴨居(かもい)とは、和室の襖や障子などの建具を立て込むために引き戸状開口部の上枠として取り付けられる横木のことです。建具を滑らせるために溝を彫られていて、下部に取り付ける敷居と対になっている、レールや溝の付いた水平材のことです。


イスラエルの人たちは、神の災いに合わないように、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、災いが静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示しました。これが過ぎ越しの祭りです。

つまり、災いが過ぎこすのを待つ祭りです。

しかし、これこそが鳥居のルーツであるとされています。

なぜなら、過ぎ越しの祭りの時に2本の柱と鴨居に子羊の血を塗りますが、それがそのまま鳥居の形になるからです。
しかも、血の色ですね。

つまり、イエス・キリストの十字架を象徴しています。

イエス・キリストは世の罪を取り除く神の子羊です。

これは洗礼者ヨハネがそう言いました。

なぜなら、すでに啓示を受けていたからです。

イスラエルの家の入り口の柱と鴨居に子羊の血を塗りつけると、災いが過ぎこしました。
そして、それはイエス・キリストの十字架を示しています。ですからこれが、鳥居の本当の意味です。

鳥居はイエス・キリストの十字架を暗示しています。

そういう、ものが日本の神社にもありますし、沖縄の基地にもあります。

さらに、沖縄の行事の中でも鴨居に血を塗ります。
これは間違いなく過ぎ越しの祭りのことで、イエス・キリストの十字架を象徴していると考えられます。

詳しくは、以下のyoutube動画をご覧下さい。


★イスラエル10支族:鳥居と過越祭
http://youtu.be/oNpMScU4mC4



それと、何と今日、すばらしい情報を得ました。
岩手の被災地のことですが、そこにちょっとした観光地ができたそうです。
元々、鳥居が立っていた場所なのですが、津波の影響で部分的に破壊されてしまいました。
そして残ったのが真っ赤な十字架の形でした。
これは奇跡ですね。
この記事を書いている日に写真を見せられました。

それで許可を得て使わせて頂きました。
僕が今日お話したかったことを聖霊様が準備してくれました。
この鳥居の意味はイエス・キリストの十字架だということです。


実は更に、沖縄のイスラエル性についてイスラエルの専門家が認めました。
きっかけは、僕が啓示を受けたからです。
それが、何と結果的にイスラエルまで動いてしまいました。

その経緯を紹介したいと思います。


ある時、僕は友人に誘われて、ある姉妹の経営する小さな喫茶店に行きました。

この姉妹は、イスラエル支援に関しての支持者で、教会では誰よりも熱心にその働きに関与していました。

僕は、この姉妹に、ある質問をしました。

「もし、今あるイスラエルが、人間が作り出した国で、実は神様の語っているほんとのイスラエルがこれから現れるとしたら、そう言うことに興味がありますか?」

僕が、この質問をすると、その姉妹はかなり食いついてきました。

そして、僕は聖書を解き明かしながら、エフライムについて証しをしました。

更に、毎週、このエフライムについての学びを僕が教えることになりました。

それから、沖縄とエフライムの関係性をみんなで調べることになりました。

しばらくすると、ユダヤと日本の関係性について専門に調べて活動している、「聖書と日本フォーラム」と言う団体と情報交換をすることになりました。

 

★聖書と日本フォーラム

http://biblejapan.info/index.php


沖縄のイスラエル性についての情報にかなり興味を持って頂きました。

沖縄での第1回目の講演会はkeystone revival missionの主催で行いました。

司会も僕が、担当しましたが、多くの方々が講演会に参加してくれました。

その後、その姉妹に、この活動については全てお任せしたのですが、活動が拡大して書籍も2冊目を出すほどになっていますし、2006年の第十三回大会は沖縄での大会となりました。

沖縄での講演内容については、

第13回 聖書と日本フォーラム 沖縄大会

沖縄のルーツ・日本のルーツを探る

「聖書に書かれている記事が日常の生活風習、習慣になっている沖縄」

ー主はご自分の民の残りを、海の島々から買い取られるー

イザヤ11:11

講師・パネリスト

手束正昭牧師「日本民族とキリスト教」
久保有政牧師「沖縄と日本のルーツ」
知念金徳牧師「沖縄の風習と聖書」
ジム・ピーコック師「文化と宣教」
与儀喜美江氏の研究発表「沖縄の年中行事と聖書の祭り」

と言う、興味深い内容でした。

ちなみに、僕が最初にエフライムに関してのことを教えた姉妹が書籍も出し、研究発表までするほどになっています。

凄いですね。

 

その姉妹の喫茶店の動画が紹介されています。

ここで最初にKeystoneがエフライムについて語り、1ヶ月以上聖書から解き明かししました。

なつかしいですね。

http://youtu.be/uS69dmu0eE4


以下は、関連記事意です。


『おきなわルーツ紀行』 聖書でひも解く風習

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-173716-storytopic-6.html

(※「ハーイヤ」はへブル語で「神は生きている」の意味だと書かれています。)


http://ost58.ti-da.net/e3588705.html

http://www.shima.mctv.ne.jp/~newlife/kouenkaihoukoku.htm

 

ちなみに、Keystoneは、第1回目の沖縄での講演会以外は関わっていません。


沖縄にはまだ面白いことがいろいろあります。

先ほどお話したとおり、エイサーのかけ声も全てヘブル語です。

ヘブル語やイスラエルに詳しい牧師先生から直接聞いたときにはほんとにビックリしました。

また以前直接聞いたお話ですが、沖縄での「聖書と日本フォーラム」の講演会の中で元ユタの沖縄の女性が証しをしていました。

ちなみにユタとは、沖縄版のイタコです。つまり、霊能者の方です。

彼女はユタ家系で、小さな頃からユタのおばあちゃんに方言でお祈りを毎日させられていました。

よく意味も分からないまま、その時まである言葉を祈り、ユタをしていたそうです。

ところが沖縄のこのフォーラムの働きの中で突然自分のほんとの神様はキリストだと言うことが分かってしまいました。

それは自分達が知らずにしていたことと聖書に書かれていることがあまりにも似通っていたと言う事と、もう一つ決定的だったのが、聖書にも書かれていて、クリスチャンがよく祈る「主の祈り」と言うのを初めて聞いてしまったからです。

何とその祈りは小さい頃から方言で祈っていた言葉と全く同じ意味だったからと言う事でした。

お陰様でユタの方でキリストを受入れる人が増えてきています。

聖書的に言うなら主の預言者集団が突然沖縄から誕生してしまったと言う事になります。

☆新約聖書マタイによる福音書6章9節~13節☆

主の祈り

天にまします われらの父よ
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ
御国(みくに)をきたらせたまえ
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ
われらの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ
われらに罪をおかすものを
われらがゆるすごとく
われらの罪をもゆるしたまえ
われらを試みにあわせず
悪より救い いだしたまえ
国と力と栄えとは
限りなくなんじのものなればなり

アーメン

これと、全く同じ内容をユタの人は方言で意味も分らず祈っていたそうです

ほんとに凄いですね。

また、平成10年には沖縄で「アミシャーブ“失われた10部族帰還運動団体”代表ラビ エリヤフ・アビハイル師」によるセミナーまで行われました。

しかも、その内容は以下になります。

エリヤフ師「失われた10部族を探して」
畠田会長「エフライムへの預言」

イスラエルの10部族帰還運動団体がこんな小さな沖縄に来るのですから、
やはり、沖縄とエフライムには深いつながりがあるようですね。

ユダヤ教のラビ(教師)が沖縄を調査!
「沖縄と古代イスラエルが似ている点は、動物犠牲の風習があるところだ」。
ユダヤ教のラビ(教師)、エリヤフ・アビハイル氏(イスラエルの失われた10支族を調査する「アミシャーブ」の代表ラビ)は、こう主張する。

彼は、失われたイスラエルの同胞を探し出すために、しばしば来日していますが、沖縄にまで足を運びました。

沖縄で開かれたセミナーの中でも、沖縄に見られるユダヤ性、沖縄の風習とイスラエルとの類似性を語ってます。
彼らは、日本には、イスラエルの失われた10支族が来ていたと思われる根拠を幾つも発見することができていて、特に神道的な文化の中に、顕著に見られると言っています。
ただ神仏習合などで、仏教的な要素が入り込んでしまった領域では、それがぼやけて分かりにくくなっています。
ところが、沖縄には仏教がそれほど浸透しておらず、昔ながらの神事、儀礼が残っており、その中に多くのユダヤ性を発見するということです。

ラビ(教師)、エリヤフ・アビハイル氏は、特に動物犠牲の風習が似ていると言われた。
その動物犠牲の風習は、沖縄の各地で見ることができるが、なぜこのようなことをするのかと問いかけても、「古くからの習わしだから」「代々このようにしてきたから」というのが殆どの答えで、「なぜ、いつ、どのようにして」このような風習がなされたのかは、明確には分かりません。

ところが不思議なことに、ユダヤ教のラビ(教師)が主張する程に、沖縄には古代イスラエルの風習との類似点、共通点が多く見られ、それは「単なる偶然」では、説明できない程の一致なのだそうです。

それから、聖書と日本フォーラムの現会長、畠田先生も、沖縄の地において、エフライムに対する預言について語りました。

更に、聖書と日本フォーラム理事で、レムナント・ミニストリーの久保先生も、沖縄のイスラエル性についてメディアで積極的に語っていますし、沖縄大会でも「沖縄と日本のルーツ」と言うことで、沖縄のイスラエル性について語っています。

また、インターネットを検索してみると、その件について紹介しているサイトがありましたので、紹介させて頂きます。


沖縄におけるイスラエル性

沖縄知事選や安保体制強化、石油資源問題、フランクリン・グラハム大会など最近何かと話題の多い沖縄であるが、沖縄こそ本土のように仏教の影響をあまり受けないで、日本古来の神道が因習や言い伝えとして残っている貴重な土地である。

それらはすべてユダヤ性をあかしするものであり、日本神道のルーツを証明するための重要な傍証となるものであり、日本のリバイバルに対する一つの引き金になると考えられる。

* シンディー・ジェイコブス師の預言:

『 私は日本を動かす。沖縄を見よ。北海道を見よ。本立てにはさまれたようなリバイバルが起きる。私は北を動かす。南を動かす。

私は私の霊によって臨む。この時が私の時となり,私は福音派と聖霊派を和解させる。
私の霊によってそれらを動かそうとしている。

日本は私の手にある剣である。私は日本を動かす。そして,日本は東南アジアの諸国に触れる。
リバイバルの炎は,バングラディシュ,ラオス,カンボジア,ベトナムに流れて行く。私は宣教師をこれらの国に送る。
宣教運動が日本で起こる。私はこの国の殉教者や私の民が流した涙を忘れてはいない。』

・・・・・ 日本のリバイバルで我々がすることは、 沖縄: 日本人のルーツのあかし(+ 石油)、  北海道: 国家の罪の悔い改めととりなし
、の2つがポイントとなると解釈される。

以上ですが、これも久保先生の解説に基づいた内容になります。

ちなみに、この、シンディー・ジェイコブス師についての興味深いエピソードがあります。

このサイトを調べた翌日に、僕の霊的母であるM牧師先生と交わりをしました。

そして、ほんとに偶然なのですが、霊の母は、シンディー・ジェイコブス師の預言に関することついて語りました。

実は、シンディー・ジェイコブス師の集会があった時に、聖霊様の啓示により、北海道からお土産を買ってそれをその集会に届けなさいと言うことでした。

そうすると、北海道から聖火リレーの炎が会場に届いて、それが沖縄につながると言うことなので、それが預言の成就になるということでした。

しかし、霊の母は、その会場にそのお土産を持参していましたが、それをシンディー・ジェイコブス師に手渡すことがなかなか出来ませんでした。

しかし、集会が終わりそうになったときに、突然司会者の方が、沖縄から来た人はステージに上がるようにと言ったそうです。

そして、僕の霊の母がその霊的聖火リレーをもってステージに上がりました

そして、このお土産を司会者に渡して、聖霊様からの啓示を伝えました。

その瞬間、司会者が言いました。

「これで、北海道と沖縄がつながりました。この預言はこれから成就します!」

会場は拍手喝采だったそうです。

このサイトや久保先生の話によると、沖縄とイスラエルの関係性と日本のリバイバルが関わっているようですね。

この問題は、直接救いとは関係ありませんが、聖書の奥義に深く関わっています。

今後、聖霊様の啓示や沖縄での奉仕の働きに注目したいと思います。

沖縄がエフライムだとしたら、まさに歴史的大事件になります。
だから沖縄近海に海底遺跡もあるのでしょうか?
石を敷き詰めた建造物ですが、礼拝所の痕跡も見られるようです。

しかし、僕は聖霊様から更にいろいろ啓示を頂きました。
そして、エフライムに関する隠された真理が分るようになりました。

ここでは、今は公表を控えますが、かなり興味深い内容です

かなり神秘的ですが、それは、あとあとのお楽しみです。
いつか、時機がきたら、聖霊様からの啓示をまた分かち合いたいと思います。

どちらにしても聖霊様に「あなたはエフライムです」と言われてから、こう言う動きになりました。

まさかこんなに、多くの人に影響を与えるとは驚きです。
癒しや奇跡も不思議ですが、こう言う聖書的な隠されたこともかなり不思議ですね。

沖縄が日本のリバイバルに関与しているのならそれは感謝なことです。
どちらにしてもイエス様の栄光が現れますようにと心から願います

Keystoneより



※この記事を書いてから2年後に以下のサイトを発見しました。

僕自身、驚きました。

この啓示も本物でした。

イスラエル王国の滅亡後、預言者イザヤの一行は預言されていた「東の島々」を目指して渡航したそうです。

そして新天新地として琉球列島、つまり沖縄諸島に辿り着いたそうです。

又、最初の天皇である神武天皇も琉球で出生したと書かれています。

実は、日本の建国記念日が、この神武天皇の即位日になっています。

★琉球諸島を一大拠点としたイスラエル
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=195

★高天原神話の背景に潜む南西諸島の存在
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=212

★★国生みの神々と沖縄の古代史高天原神話の背景に潜む沖縄の真相
http://www.nihoncity.com/journal/main/journal_main_140118.asp

★建国記念の日
http://ja.wikipedia.org/wiki/建国記念の日

★世界最強の天皇陛下(youtube動画)
http://youtu.be/lsOFxj9To-o

★日本人が知らない天皇陛下の権威
http://81.xmbs.jp/piroshigogo-237564-ch.php

★神道イスラエルのプレイリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PLMmJMZzWqlWTa_Gv1rIM81cxypAnzkxGl


※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。


No.2 どうしても知って欲しい大切な情報

 

 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会
Keystone
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