約束の10日を過ぎた後も、もう1週間だけ中高生3人組と寝泊りする事になりました。
そして僕がいる間はせっかくなので、朝の寝起きのジョギングを止めて朝から聖書のみことばを学ぼうと言う事になりました。
最初の日はゆうや君だけでしたので、彼にはデボーションの仕方を教えました。
彼らはまだ決まりきった祈りでしか祈れませんので、聖書の中の詩篇の中から1篇だけを神様に選んで頂いて、更にその中から今日1日の為のみことばを頂くと言う方法を試してもらいました。
それをやってもらうと、ほんとに聖霊様が相応しいみことばを与えてくれて、そのみことばの霊的朝ごはんを食べてからトーストを頂くと言う日が続きました。
そして、面白い事に朝のみことばをそのまま聖霊様御自身が実体験を通して子供達に学ばせる事が毎日出来ました。
その学びと体験の中で聖書のみことばと言うものは、聖霊様の実体験によって学ぶものであり、みことばを証しするのは人間ではなくて、聖霊様ご自身であると言う真理などが、段々分かってきました。
その中で、霊的戦いの事を彼らが学ぶ必要がありましたが、戦に出かけるその前に自分の城壁や門をしっかり堅固にしなければ、侵略者に城を攻め取られてしまうと言う事をまず学ばなければなりませんでした。
ここで言う城とは神殿の事でもあるのですが、私たち自身の事を霊的に解釈した場合、聖霊の宮とも聖書にも書かれていますので、私達自身がお城や神殿に例える事が出来ます。
ですから城壁のない城や、門が開きっぱなしの城、見張り役のいない城となると、兵士が戦いに行っているスキに城を敵に奪われてしまうと言う事になってしまいます。
しかも武器も備わっていない、訓練も受けていない兵士達なら話になりません。
ここで、敵とはお分かりの通り、サタン軍である悪霊共の事です。
そう言う事でしたので、僕は創世記からヨシュア記までを読むようにと彼らにいっていたのですが、一向に読む気配がありませんでした。
聖霊様がかなり顕著に働いて感動と感謝で一杯だったのですが、このように旨くいっている時が実は一番危険だと言う事も彼らに教えたいと思っていました。
そしてこの事も体験を通して聖霊様がちゃんと教えてくれました。
まず、この学びの最初に彼らには聖霊様を知ってもらう前に、日ごとの取り決めを決めてそれに従って貰う事にしてもらいました。(と言っても自分たちで決めたのですが・・・)
なぜなら「小さな事に忠実なものは大きな事にも忠実」だと聖書に書かれているからです。
そして「目に見える指導者に従う事が同時に主に従う事である」と言う真理を学んで欲しいと願ったからです。
そのことをクリアーしなければ、聖霊様のことを学ぶ事は出来ませんし、ましてや悪霊共と戦うと言う事は尚更不可能に近い事です。
悪霊共は軍隊を持っていて、人を惑わし、殺し、人間を地獄へ引きづり下ろす為の戦略を心得ています。
正に戦いのプロフェッショナル達です。
ですから、こちら側も簡単に考え、気を抜いたり手を抜いたりすると、それは命取りと言う事になってしまいます。
それと、戦いに関する事は全て聖書に書かれています。
そして、それを解き明かし、具現化し、訓練して下さるのが、聖霊様です。
聖霊様によってしか私たちは戦い方を学ぶ事も、敵に打ち勝つ事も出来ません。
そして私たちの軍隊である天使達を先導し、導いておられるのはイエス・キリストです。
直接的に言えば、聖霊様ご自身と言う訳です。
ですから、我々は聖霊様の指示に従う事を第一に学ばなければなりません。
しかし、今回は聖霊様に聞き従う事を学ぶと言うよりは、その前段階の日ごとの決まり事を守ったり、指導者に忠実に従うと言う事を学ぶと言うとても地味な特訓でした。
しかし、主はこの事をとても重く見ています。
賜物が多く与えられていても、それを用いる事が出来ないのは、この前段階の訓練や、聖書のみことばを守れず、聖霊様のみこえにも気づかないと言う事に問題があるかと思われます。
又、その背後には罪や悪霊の影響等もある事でしょう。
それらの事を解決しない限りは、悪霊の目くらましにあってしまい、サタンに欺かれてしまいます。
ですから、聖霊様は今回子供たちの霊的解放を啓示と実行によって成し遂げてくれました。
聖霊様に感謝です。
僕は、聖霊様のアシスタントに過ぎないですので、毎日聖霊様が示す聖書箇所を忠実に解き明かしていきました。
なぜなら僕は単なる通訳者で、直接働かれるのは聖霊様ご自身であるからです。
次は実際に学んだみことばの箇所から、解説していきたいと思います。
■やっとオフィスにに戻りました。
この数日2ヶ月ぶりに事務所に戻り、最近からここでmixiの日記書いています。
1ヶ月程チャーチスクールに通っていました。それ以外では必要に応じて色々外で動いていました。
そこで子供たちとともに過ごし、神様の事も学ぶ事が出来、悪霊に対する事なども学ぶ事が出来ました。
でも日記には書かれていない、外での聖霊様の働きやサタンとの戦いは更に激しいものでした。
いつかその事も語りたいと思います。
僕がチャーチスクールに行っていたのは、もちろん聖霊様の導きにより、行っただけなのですが、僕自身の霊的休息の為だったと思います。
それもクリスマス会までのお話なのですが。
僕らは人が知らない、教会の外での働きの方が何かとサタンの誘惑、攻撃に遭いやすいかと思います。
そういう意味で、クリスチャンが単体で行動するのは聖霊様の導きが無い限りは非常に危険な事だと思います。
キリストのみからだとしての教会の働きの中で賜物を用いるのなら、教会の徳を高め働きも祝福されると思います。
でも今は霊的に緊急事態です。
神の国は激しく奪われていると、イエス様は言っていましたが、サタンの王国である地獄の働きもとても激しいです。
そういう意味で、キリストをかしらとした教会を超えての働きがとても大切だと信じています。
幸いな事にmixiを通して多くの方々と親しく交わり信頼関係も高める事が出来ている事にとても感謝しています。
オフラインでもオンラインでも、世界中が主を知り、信じ、救われ、共に礼拝し、喜びも苦しみも分かち合えるようになりたいですし、共に賛美し礼拝したいと言う想いで一杯です。
今年まではその準備の為に働いてきたのですが、いよいよ来年からは実行に移して行きたいと思います。
誰が考えても人間的には不可能なのですが、成し遂げてくださるのは、イエス・キリストですので、信仰をもってこれからも皆さんとお付き合いできればとても感謝な事です。
日記だけ読んだら、超真面目そうなクリスチャンに思えるかもしれませんが、実際は僕ほど型破りなクリスチャンもあまり会った事がないし、非難されて誤解されてばかりの情けない人間です。
でも全て主がご存知なので、その時が来るまでは全てにおいて感謝し、主に従って毎日を賛美と礼拝で満ち溢れさせていきたいと願っています。
どうか皆さんもそれぞれ、素晴らしい賜物と、使命を主から与えられているのですから、時間や空間をこえてこれからも感謝してお付き合い願いたいです。
放蕩息子のKeystoneより
※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。
■しゅうへい君が断食中?
今回チャーチスクールでは聖霊様御自身が、聖霊様の働きの表れによって、ほんとに一人一人の内側の改革と神殿の建て直しを教会でやろうとしているんだなと言う事がよく分かりました。
しかも朝のデボーションの時に、聖霊様御自身がその事を行なうから、その為に僕がその働きををヘルプしなさいと聖霊様に言われていました。
これはここの教会だけのことでは無くて、キリスト教会全体としての事を語っていました。
それにしても、聖霊様の働きを目の前で見る事の素晴らしさはホントに例えようの無い喜びです。
エキサイティングしますね。
主の御名を賛美致します。
では本題に入りますが、ある時仕事を終えてチャーチスクールへ戻ると、しゅうへい君がいきなり
「今日初めて断食をしている。」と言いました。
それで、僕が
「それは素晴らしい事ではあるけれど、何で突然断食なんかしようと思ったの?」と聞きました。
すると彼は「それは自分の身を戒める為です。」と言いました。
「じゃあ何で自分の事を戒めるの?」と聞きました。
そしたら、「嘘ついたり、悪い事ばかりしていてるので自分を清めたいと言う事でした。」
僕は「なるほど。・・・そうか。」
と言いました。
それで、断食について少しみことばから解き明かして行きたいと思ったので、話を進めていきました。
「僕も教会に仕えている時は、断食をほとんど毎週やっていたし、聖霊様によって毎年と言うほど40日以上の断食をさせられていたよ。
でも断食と言うのは基本的に、命がけで神様に対して祈りたい時に、聖霊様によって導かれてのみ行なうものだと僕は認識しているから・・・。
でもどちらかと言えばしゅうへいの場合は、我慢大会になっているような気がするし、犯した罪も悔い改めたなら、イエス様の血によって完全に許されて清められているんだよ。
だからあまりする必要性もないんじゃないかなとは思うけど、せっかくだから断食に対して聖書で学んでみよう。」
と言う事なのですが・・・。
断食と言うものは、我慢してやるものでもないし、ダイエットの為でもないし、自分を懲らしめる為のものでもありません。
今は旧約時代では無いし、全ての懲らしめはイエス・キリストが十字架上ですでに負ってくれています。
ですから私たちが身を懲らしめたからと言って主が喜ぶ訳ではありません。
又、断食をしたから凄いとか素晴らしいとは限りません。
問題は主のみこころは何で、主が喜ばれる事はどのような事かと言う事が大切だと思います。
でももし、霊的に断食を理解し、使用するならこれは霊的戦いに勝利をもたらす凄い必殺技になる事は確かです。
でもそれを分からずに、ただやるのは無意味だしサタンにだしぬかれてしまいます。
それで、みことばにはどう書かれていて、神様は断食に対してどんな考えを持っているのかと言う事を聖書から学ぶ事にしました。
まずは、聖書からイザヤ書を見てみましょう。
イザヤ書第58章
「大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ。
彼らは日々わたしを尋ね求め、義を行い、神のおきてを捨てない国民のように、わが道を知ることを喜ぶ。彼らは正しいさばきをわたしに求め、神に近づくことを喜ぶ。
彼らは言う、『われわれが断食したのに、なぜ、ごらんにならないのか。われわれがおのれを苦しめたのに、なぜ、ごぞんじないのか』と。見よ、あなたがたの断食の日には、おのが楽しみを求め、その働き人をことごとくしえたげる。
見よ、あなたがたの断食するのは、ただ争いと、いさかいのため、また悪のこぶしをもって人を打つためだ。きょう、あなたがたのなす断食は、その声を上に聞えさせるものではない。
このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか。人がおのれを苦しめる日であろうか。そのこうべを葦のように伏せ、荒布と灰とをその下に敷くことであろうか。あなたは、これを断食ととなえ、主に受けいれられる日と、となえるであろうか。
わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。
そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。
また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、
飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。
主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。
あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。
もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、
その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う」。これは主の口から語られたものである。
以上
このみことばをまず、彼らに分かる様に解き明かして行きました。
「まず、前半部分は神様が求める断食と人間が求める断食とが全く違うと言う事を神様は指摘していて、神様は神を信じる者が、自分の為に自分の身を戒める事を決して喜んではいないと語っているでしょ?」
まず、しゅうへい君はここで納得してくれました。
でも、ここでは他人の為に自分の身を戒める事には反対してはいません。
後半部分では神様が求める断食の意味を語っています。
「わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。」
ここのみことばの意味を聖霊様が教えてくれました。
「それはつまり、神様が求める断食と言うのは、ただ食事をしないで神に祈ると言う事ではなくて、もっと霊的に言うとこうだよ!
みんながこの学びの間に聖霊様の導きとみこころによって全ての罪や悪い習慣から解放され、悪霊の束縛からの解放が与えられたでしょ?
全てこのみことばに書かれている事が起こった訳だよね?
そして、みんなのトーストや食事や、寝床も僕に提供してくれたし、これからはここで学んだ事を家に帰って実践すると言う事で、ゆうやも家に久しぶりに帰ってお母さんを喜ばす事が出来たでしょ?
つまり、ここに書かれていることが全て成就している訳だ!
これは、素晴らしい事だね。」
そして、次の解き明かしをしました。
「そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。
また、あなたが呼ぶとき、主は答えられ、あなたが叫ぶとき、『わたしはここにおる』と言われる。もし、あなたの中からくびきを除き、指をさすこと、悪い事を語ることを除き、
飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる。
主は常にあなたを導き、良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、あなたの骨を強くされる。あなたは潤った園のように、水の絶えない泉のようになる。」
そこで僕は語りました。
「皆が霊的断食の体験を聖霊様の導きによって知らず知らずのうちに受けていたので、その結果聖霊様とのコンタクトが取れるようになるとここに書いてあるし、神様が祝福してくれると書いてあるよ!」
これを聞いて、子供達はとても感動していました。
なぜなら、将来は牧師になって多くの人を救いに導き、病気や悩みで苦しんでいる人々を解放してあげたいと望んでいるからです。
そしてその為には聖霊様の声がどうしても聞けるようになりたいと願っていたからです。
そして次の所を解き明かしました。
「あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。」
ここは子供たちも全然意味が分からないと言いましたが、実はここが又、素晴らしい所です。
「これはどう言う事かと言うと、簡単に言えば聖霊様から最初に言われた預言を思い出して欲しいのだけど。
聖霊様は、みんなに霊的解放を与えて、内側の変革を与えて、教会を建て直すと約束したでしょ?
その後地域の子供達を集めて霊的解放の働きをしなさいと言われたよね?
実はそのことの預言がここに全て書かれている!」
この言葉を聞いて、僕も含めこの3人も益々感動して興奮しました。
ほんとに聖霊様は素晴らしいです。
そして最後の解き明かしをしました。
「もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば、
その時あなたは主によって喜びを得、わたしは、あなたに地の高い所を乗り通らせ、あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって、あなたを養う」。これは主の口から語られたものである。
これはそのままの意味なのですが、礼拝に対する姿勢や奥義を語っています。
それで僕は、礼拝について彼らに教えないといけない事があると思いました。
僕が寝泊りする最後の日は日曜日なのですが、礼拝が終わってからデボーションの間の時間を皆で礼拝すると言う事に決めました。
そのことを先生にも許可してもらい、最後の教えになるなと思いながら、楽しみにしていました。
Keystoneより
※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。
■霊的戦いの落とし穴
前回断食のほんとの意味を学ぶ事が出来ました。
日記には載せませんでしたが、断食の事を子供達に話した時に僕が最初に教えた事は、断食したからと言って必ず神様は祈りをきかれると言う事はないし、断食 したからと言って犯した罪が許されて神様が特別に許すと言う事もないと言う事でした。
その事を聖書から教える為に、ダヒデが断食した時に起こった事などを説明しま した。
それでは、聖書からその出来事をみてみましょう。
☆サムエル記下12:13~12:23☆
ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。
しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。
こうしてナタンは家に帰った。さて主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を撃たれたので、病気になった。
ダビデはその子のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。
ダビデの家の長老たちは、彼のかたわらに立って彼を地から起そうとしたが、彼は起きようとはせず、また彼らと一緒に食事をしなかった。
七日目にその子は死んだ。ダビデの家来たちはその子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。それは彼らが、「見よ、子のなお生きている間に、われわれが彼に語ったのに彼はその言葉を聞きいれなかった。どうして彼にその子の死んだことを告げることができようか。彼は自らを害するかも知れない」と思ったからである。
しかしダビデは、家来たちが互にささやき合うのを見て、その子の死んだのを悟り、家来たちに言った、「子は死んだのか」。彼らは言った、「死なれました」。
そこで、ダビデは地から起き上がり、身を洗い、油をぬり、その着物を替えて、主の家にはいって拝した。そののち自分の家に行き、求めて自分のために食物を備えさせて食べた。
家来たちは彼に言った、「あなたのなさったこの事はなんでしょうか。あなたは子の生きている間はその子のために断食して泣かれました。しかし子が死ぬと、あなたは起きて食事をなさいました」。
ダビデは言った、「子の生きている間に、わたしが断食して泣いたのは、『主がわたしをあわれんで、この子を生かしてくださるかも知れない』と思ったからです。
しかし今は死んだので、わたしはどうして断食しなければならないでしょうか。わたしは再び彼をかえらせることができますか。わたしは彼の所に行くでしょうが、彼はわたしの所に帰ってこないでしょう」。
以上
ご覧のようにダビデは主に対してとんでもない罪を犯してしまいました、彼は悔い改めたのですが、罰を逃れる事は出来ませんでした。
ダビデが、断食したのは神様の憐れみに期待したからです。
しかし、誰かを殺してしまったのなら、誰かが罪の責めを負わなければなりません。
ダビデはその事をよく知っていました。
ホントはダビデは主に殺されてもおかしくない立場だったからです。
なぜなら、ダビデ自身が預言者ナタンに対して知らないうちに自分の死を宣告してしまったからです。
とにかくここの聖句から学べる事は、断食をしたからと言って自分の罪が許される訳でもなく、断食をしたから祈りがきかれるわけでもなく、断食する事が凄い事ではないと言う事が分かると思います。
・・・と言う事で断食について少しはしゅうへい君や皆にも理解してもらいました。
ダビデが犯した事を子供達に話しているうちに、聖霊様がこの事件を通しての霊的な戦いの落とし穴について、解き明かしてくれました。
それはダビデが罪を犯して断食をしたきっかけの事件にさかのぼります。
ちょっと長いですが、とても大事な教訓でもあり、どうしても学ぶべき事でもあります。
でもかなり子供たちには気を使いながら話をしました。
☆サムエル記下11:1~12:12☆
春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。
さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。
ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。
そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。
女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。
そこでダビデはヨアブに、「ヘテびとウリヤをわたしの所につかわせ」と言ってやったので、ヨアブはウリヤをダビデの所につかわした。
ウリヤがダビデの所にきたので、ダビデは、ヨアブはどうしているか、民はどうしているか、戦いはうまくいっているかとたずねた。
そしてダビデはウリヤに言った、「あなたの家に行って、足を洗いなさい」。ウリヤは王の家を出ていったが、王の贈り物が彼の後に従った。
しかしウリヤは王の家の入口で主君の家来たちと共に寝て、自分の家に帰らなかった。
人々がダビデに、「ウリヤは自分の家に帰りませんでした」と告げたので、ダビデはウリヤに言った、「旅から帰ってきたのではないか。どうして家に帰らなかったのか」。
ウリヤはダビデに言った、「神の箱も、イスラエルも、ユダも、小屋の中に住み、わたしの主人ヨアブと、わが主君の家来たちが野のおもてに陣を取っているのに、わたしはどうして家に帰って食い飲みし、妻と寝ることができましょう。あなたは生きておられます。あなたの魂は生きています。わたしはこの事をいたしません」。
ダビデはウリヤに言った、「きょうも、ここにとどまりなさい。わたしはあす、あなたを去らせましょう」。そこでウリヤはその日と次の日エルサレムにとどまった。
ダビデは彼を招いて自分の前で食い飲みさせ、彼を酔わせた。夕暮になって彼は出ていって、その床に、主君の家来たちと共に寝た。そして自分の家には下って行かなかった。
朝になってダビデはヨアブにあてた手紙を書き、ウリヤの手に託してそれを送った。 11:15彼はその手紙に、「あなたがたはウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼の後から退いて、彼を討死させよ」と書いた。
ヨアブは町を囲んでいたので、勇士たちがいると知っていた場所にウリヤを置いた。
町の人々が出てきてヨアブと戦ったので、民のうち、ダビデの家来たちにも、倒れるものがあり、ヘテびとウリヤも死んだ。
ヨアブは人をつかわして戦いのことをつぶさにダビデに告げた。
ヨアブはその使者に命じて言った、「あなたが戦いのことをつぶさに王に語り終ったとき、
もし王が怒りを起して、『あなたがたはなぜ戦おうとしてそんなに町に近づいたのか。彼らが城壁の上から射るのを知らなかったのか。
エルベセテの子アビメレクを撃ったのはだれか。ひとりの女が城壁の上から石うすの上石を投げて彼をテベツで殺したのではなかったか。あなたがたはなぜそんなに城壁に近づいたのか』と言われたならば、その時あなたは、『あなたのしもべ、ヘテびとウリヤもまた死にました』と言いなさい」。
こうして使者は行き、ダビデのもとにきて、ヨアブが言いつかわしたことをことごとく告げた。
使者はダビデに言った、「敵はわれわれよりも有利な位置を占め、出てきてわれわれを野で攻めましたが、われわれは町の入口まで彼らを追い返しました。
その時、射手どもは城壁からあなたの家来たちを射ましたので、王の家来のある者は死に、また、あなたの家来ヘテびとウリヤも死にました」。
ダビデは使者に言った、「あなたはヨアブにこう言いなさい、『この事で心配することはない。つるぎはこれをも彼をも同じく滅ぼすからである。強く町を攻めて戦い、それを攻め落しなさい』と。そしてヨアブを励ましなさい」。
ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。
その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻となって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。
第12章
主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
ダビデはその人の事をひじょうに怒ってナタンに言った、「主は生きておられる。この事をしたその人は死ぬべきである。
かつその人はこの事をしたため、またあわれまなかったため、その小羊を四倍にして償わなければならない」。
ナタンはダビデに言った、「あなたがその人です。イスラエルの神、主はこう仰せられる、『わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とし、あなたをサウルの手から救いだし、
あなたに主人の家を与え、主人の妻たちをあなたのふところに与え、またイスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし少なかったならば、わたしはもっと多くのものをあなたに増し加えたであろう。
どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その目の前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。すなわちアンモンの人々のつるぎをもって彼を殺した。
あなたがわたしを軽んじてヘテびとウリヤの妻をとり、自分の妻としたので、つるぎはいつまでもあなたの家を離れないであろう』。
主はこう仰せられる、『見よ、わたしはあなたの家からあなたの上に災を起すであろう。わたしはあなたの目の前であなたの妻たちを取って、隣びとに与えるであろう。その人はこの太陽の前で妻たちと一緒に寝るであろう。 あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。
以上
この箇所から霊的戦いについての落とし穴について学ぶ事が出来ました。
イスラエルの兵士が戦っている中でダビデは、気を抜いてくつろいでいました。
その時に魔がさして他人の妻に情欲の思いを抱いてしまいました。
ダビデは他人の妻であると知りつつも、その女と関係を持ってしまいました。
そして、女が身ごもってしまったので、その事を証拠隠滅しようとして、しまいにはその夫を戦場でわざと殺しました。
そしてダビデは預言者を通して罪定めされ、その罰としてその子供が病で死んだと言う事なのですが、それだけでは済まされず、ダビデ自身も自分の妻を他人によって白昼どうどうと犯させると言う激しいお言葉を神様から言われたのでした。
ここから、学べる事は戦いの最中、あるいは戦況がどんなによい時でも、気を抜くとサタンはその人の肉の弱さに働きいとも簡単に罪を犯させてしまうと言う事です。
そして、その結果多くの人を不幸にして自分も自分の家族も犠牲にしてしまうと言う事です。
そして何より、神様の御名が崇められずに、サタンが権利を握ってしまうと言う事実です。
実はこれに近い事を今回子供達は体験してしまいました。
前回も少しお話したのですが、先生が北海道に言っている間、僕に嘘をついて、彼らは図書館に行くと言いながら実はゲームセンターで遊びまくっていました。
その間も、僕は神様に示されて、霊的戦いの祈りを3日間もしていました。
そして、聖霊様の満たしも受けたし、いろんな恵みも受けました。
ところが、彼らは悪い事をしてしまいました。
先生が帰ってきたときに、彼らの部屋から悪霊を追い出しました。
そして、それ以外にも彼らは悪霊の金縛りにも遭ってしまいました。
又、先生が明け方祈っていると、教会全体に情欲の霊が蔓延していると啓示を受けました。
そこで、先生が彼らに悔い改めを迫ったところ、その事を全て認めて全て告白し、悔い改めをしました。
僕は、この事を彼らにもう一度思い起こさせて、必ず罰は受けないといけないし、犠牲を払わなければいけないと言う事を教えました。
ダビデが犯した事と彼らが体験した事が霊的に同じでしたので、教訓として、実体験で学ぶ事が出来ました。
僕が罰を与えるわけではないのですが、今回僕も一生懸命やるから、みんなも一生懸命やろうと約束をしましたし、もしそれが出来ないのなら、今すぐ、僕はここから出て行くと言ってありました。
そう言う事ですので、もうここから去ることにしたと彼らに告げるしかありませんでした。
なぜなら、決まり事を曲げたり約束事を破る事はいけないことだというのを彼らに知って欲しかったからです。
と言う事でクリスマス会までの数回だけクリスマスの準備の為だけにしかここにいないと言いました。
これも全て聖霊様の導きと信じました。
戦いがうまくいっている時こそ、勝利を味わった時こそ、最も危険なのだと言う事を共に学びました。
全てが益となりますようにと信じます。
Keystoneより
※あなたが、イエスの愛と救いを受ける為にもぜひ以下の記事をお読み下さい。