Keystoneのアンビリバボー体験談集

No.16 死が命に移り変わる瞬間( 1 / 1 )

僕は、高校の頃から母親を憎んで何年も口をききませんでした。

それは、彼女との交際を邪魔されて別れさせられたからです。

電話でしか付き合うことが出来なかったのに、母が電話口で居留守を使ったり嫌がらせもしていたので、それをきっかけに会うことも電話も出来なくなっていきました。

 

その頃から僕は母親とはほとんど口もきかず、朝、僕を起こしに部屋に来るだけで学校に行く気にもなりませんでした。

学校もほとんど行かなくなり、2年以上もほとんど口もきかない状態でした。

 

そんなある時、ある奇跡的な体験を通して同級生に誘われて教会へ行きましたが、そこでイエス様と出会いました。

そして、聖書も学ぶことが出来ました。

詳しいことは 「No.3 高校の時の奇跡」「No.4 最強の友人」 に紹介してあります。

 

聖書自体は黙示録などに興味があったので、その前からよく読んでいましたが、教会に行きだしてからは、更に読むようになりました。

あの頃はスポンジが水を吸い取るように、聖書の言葉が僕の心に染み渡りました。
1節読むだけで涙があふれてきました。

そして、聖書を読むと必ずイエス様が心に話しかけてきました。

 

そんなあるとき、とても心に引っかかる聖書のみことばを発見しました。

 

旧約聖書の申命記5章16節

「あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え。あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く命を保ち、さいわいを得ることのできるためである。」

 

僕はこのみことばを読んで、「じゃあ、僕は祝福されないな・・・」と、感じるようになりました。


なぜなら、父親は浮気をして家に帰らず、結果的に離婚、更に母親とはずっと口もきかず憎んでいたからでした。

心の中では、分っていてもなかなか憎しみや怒りは解決出来るものではないし、それが習慣化してしまうと家族関係ほど修復は困難なものです。

でも、僕は聖書を読むたびに心が痛みました。

 

そんなある日、ちょうど母の日の週の祈祷会の時にあることが起こりました。

集会中にみんなで賛美をしていると、突然「お母さんを愛しなさい」と、言う声が聞こえました。

 

僕はびっくりして、思わず隣にいる友人の母の顔を見ました。
目が合いましたが、何事も無かったように賛美を歌っています。

 

「おかしいなあ・・・」と、思いながらまた、賛美を歌い始めると今度は「お母さんを許しなさい」と、静かで暖かい言葉が聞こえてきました。

そのとき、上から声が聞こえてきたので、「あっ、これはイエス様の声だ!」と、すぐに分りました。

 

そして、幻を見せられました。

それは僕が小さい頃、母親におしめをかえてもらったり、ごはんを食べさせてもらったり、遊んでもらってかわいがってもらったりしているシーンでした。

僕は祈祷会が終わると、教会の外で激しく泣いていました。

そして、あることを決意して家に戻りました。

 

僕は、家に戻り、玄関を開けて「ただいま」と、言いました。

すると、ちょうど僕の母が、玄関の前からリビングに飲み物を運んでいる途中でした。
そして、僕の「ただいま」と言う声を聞いて母は、目を丸くしながら、僕を見ました。
その弾みに、おぼんから飲み物をこぼして、コップも割れてしまいましたが、母は涙を流しながら、「おかえり」と言いました。
実はこの時、普通に口をきいたのは、数年ぶりだったからです。 僕の決意とは、とにかく母と口をきこうということでした。

 

それにしても聖書のみことばも聖霊様も凄いですね。

聖書を読むと心が変えられていきます。
しかし、人間には自我があるのでなかなか素直に行動を改めることが困難です。

 

でも、イエス様の霊である聖霊様が働く時には人間的な力を超越して奇跡が起こります。

つまり、僕の心に母を許すと言う心が生まれました。

 

数年間、母親に対して怒りと憎しみに満ちていたのに、それが一瞬にして変えられたのでした。

しかし、人間には完全な行いを継続することが困難です。

 

それからは言葉を交わすし会話もするようになりましたが、どちらかと言えば心のそこから許せない状態だし、いつも険悪な雰囲気でした。

僕は母親の影響もあり、世の中の女性を心の中で否定するようにさえなっていました。

 

「No.8 賛美の力3」 の中で、母親のことを紹介していますが、母親はある時、脳出血が原因で意識を失って、誰もいない時に半日以上も倒れていました。

 

そこで僕は賛美を捧げて死の霊を追い出して母親の命を救いました。
・・・と言っても、賛美をイエス様に向かって捧げただけです。
そして、母の命を救ってくれたのは聖霊様です。


詳しくは、 「No.8 賛美の力3」 をご覧下さいね。

 

僕の母親は一命を取り留めましたが、その日から入院してリハビリをする毎日となりました。

また、母は、別の新興宗教の熱心な信者だったので、僕がクリスチャンであること自体否定的でした。

 

しかし、毎日病院に通ううちに神様があることを示してくれました。

それは、母親に対してのことでした。

僕は決意をして病院へ向かいました。

そして母に言いました。

 

「今日は、どうしても言いたいことがるので聞いてもらえるかな?
僕が高校の頃、ひねくれて学校も行かなかったのとか、口もきかなかったこと覚えてるよね?」

 

僕がここまで話すとそれをさえぎるようにして言いました。

「どうせその時の文句を言いたいのでしょ?私が悪いのだから仕方ないね。」

 

僕は、その言葉を聞いてこう言いました。

「違うよ。それどころが逆だよ。今日は文句を言うために来たんじゃないよ。実は謝りに来たんだよ。」

 

僕がこの言葉を言うと、母はかなり驚いた様子でした。

そして僕は更に、言いました。

 

「あの頃は、僕はまだ子供で、自分の苦しさだけで精一杯でお父さんに浮気されているお母さんの気持ちを理解してあげることも出来ないで、苦しめてばかりでいたからそれを許して欲しい。

ほんとうはまじめに学校も行って、やさしくしていたら必要以上に苦しめることも無かったよね?

男のくせにそんな力も無くて傷つけてしまったことをほんとに反省してるので許して欲しい。

あの時はほんとにごめんなさい。」

 

僕がそう言うと、母は涙を流して喜んでくれました。
その姿を見て僕は自分自身が癒され喜びがあふれてきました。

 

自分の愛すべき人や愛されるべき人を憎んだりすると言うのが、どんなにお互いを傷つけ、人生を破壊していたのかがはっきり分りました。

 

その時から、僕は女性に対する心の態度も変わりました。
表には出ませんが、心の中では女性を見下していました。

 

これは無意識に母親とリンクしていたのだからだと思います。
母親が女性なので女性は全部自分の敵なのだと、無意識に思っていたのかもしれません。

 

そして、母親のところに毎日通ううちに洗面器で足を毎日洗ってあげるようになりました。

 

以前なら絶対に考えられないことです。
母の体に触れるどころか、口をきくことも目が会うことも、同じ場所で空気を吸うのさえ嫌だったのですから・・・・

 

そんなあるとき、いつものように母の足を洗っていました。
すると、突然その足元が、白い衣に変わりました。

 

僕は思わず顔を上げてみました。

するとどうでしょう。

何と、僕の母親が白い衣を着た御座に座しているイエス・キリストの姿に入れ替わっていました。

そして、イエス様が僕に語りました。

 

「あなたがこの世で母親に仕えるならば、それは同時に私に仕えるということになります。あなたが母の足を洗うのなら、同時に天にいる私の足を洗っているのと同じです。この世であなたが私の声に従うのなら、それは同時に天でもつながります。それをよく覚えて感謝して誰にでも仕えなさい。」

 

僕は、この言葉を聞いて感動しました。
そして感謝しました。

 

すぐに元の母親に姿が戻りましたが、それから僕はイエス様に仕えるように母に接するようになりました。

その頃から母はよく笑うようになりました。

 

ある時、クリスマスが近づいたのでそう言う話をしていたら、突然「教会に行ってみたい」と言われました。

僕は、驚きましたが、喜んでクリスマス前から教会に母を連れて行くようになりました。

 

クリスマス前の癒しの集会のときに聖霊様が言いました。

 

「今日、あなたは死が命に移り変わる瞬間をその目で見ることが出来ます。」

 

賛美をしているときに聖霊様が語ってきました。

 

僕は、「一体どういうことだろう?」と、思いながらも聖霊様の言葉に期待していましたが、あとから思いがけない形でそれが起こりました。

 

牧師先生がメッセージの途中でこう言いました。
「今日は、聖霊様の啓示があったので、用意していたメッセージの内容を変えてお話します。」

 

そして、話の内容が「イエス様の十字架と魂の救いについて」の内容になりました。

 

更に、先生がこう言いました。

「今日は、聖霊様の啓示により、このメッセージをある姉妹のために語っています。それは実はあちらにいる姉妹のためなんです。」

 

先生が指を指してその姉妹のことをみんなに知らせました。

僕は、「一体、どの姉妹なのだろう?」と、心の中で思いながら後ろを振り返り、その姉妹を見ました。

 

すると、なんと、その姉妹とは僕の母親のことでした。

これには、僕も驚きました。

「え~?そうなの?」っと、信じられないような感情が起こりました。

なぜなら、僕のこともイエス様のこともずっと今まで否定してきたからです。

 

メッセージが終わって、癒しの時間が始まりました。

僕の母は前に出るようにと言われました。
そして、イエス様を信じて受け入れるための信仰告白をしてもらい、その場でイエス様を受け入れました。

母は先生に祈りを導いてもらいながら、「イエス様を私の救い主として信じ、受け入れます。」と、告白しました。

 

その時、僕は母に油注ぎがあることを知っていたので、母の後ろに立ち、母が後ろに折れたら支えようとしていました。

なぜなら、聖霊の油注ぎがあると、ほとんどの場合、人は立っていることが出来ないからです。

ちなみに、油注ぎについての詳しい内容は 「No.15 聖霊のバプテスマ」 をご覧下さいね。

 

僕が母の後ろに立って母が信仰告白をしたときのことなのですが、母の背中を見つめていると、突然幻が見えました。

実は背中のところに、黒雲のようなブラックホールのような黒いもやもやした影がはっきり見えました。

そして、信仰告白をして「アーメン」と言ったときに、物凄いことが起こりました。

 

なんと、その暗黒の雲のようなかたまりめがけて左側のほうから何かが飛んできてその黒雲をどこかに吹き飛ばしてしまいました。

よくみてみると、なんとそれは、旧約聖書に出てくる「神の契約の箱」でした。

 

イエス様を信じて告白した瞬間に、この「契約の箱」が凄い勢いで飛んできて、死を象徴する暗黒のブラックホールのようなかたまりを外に吹き飛ばし、「神の契約の箱が」母の背中の中にはっきり見えてそのまま体の中に消えていきました。

僕はこの幻を見て、さっき聖霊様に言われた言葉を思い出しました。

 

「今日、あなたは死が命に移り変わる瞬間をその目で見ることが出来ます。」

 

その預言どおりのことが目の前で起こったことが理解できました。

 

イエス様を信じていない状態の人間の霊は死んだ状態と同じです。
なぜなら肉体が死んだら永遠の地獄に行ってしまうからです。

 

しかし、イエス様を信じ救い主として告白して受け入れた瞬間、死んだ霊の中に復活したイエス・キリストの霊である、聖霊様が宿ります。

つまり、霊が生きた状態になります。

 

人がイエス様を信じて告白した場合にはこんなことが現実に起きていると言うことが目で見て更に深く理解出来ました。

これは、どんな奇跡よりも大きなことです。

死んだ人間が生き返るのと同じです。
イエス様が十字架の上で死んで墓からよみがえったのと全く同じ現象です。

 

なぜなら、その復活の霊が信じた母の胎内にも宿り、告白して受け入れた全ての人にも同じように命の根源であり、復活のキリストの霊である聖霊様が宿るのですから・・・

これは地上で最大の奇跡と言えます。

このことを見せてくれた聖霊様に感謝します。

 

聖書に、「イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われる」とあります。

どうかみなさんも、ぜひ、この復活のイエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れて下さいね。

 

祈りは簡単な言葉で十分です。

先ほどの母の祈りでも大丈夫です。

 

それを告白することにより、あなたの罪は許され死が命に移り変わります。
そして、聖霊様がいつもあたなを導いて下さいますよ。

 

どうかあなたもあなたの愛する人たちも一人も滅びないで救われますように・・・
イエス様の名前によりお祈りします。アーメン

 

Keystoneより

 

目次 

証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会

No.17 40日断食( 1 / 1 )

これは、僕が初めて40日間の断食をした時のお話です。
しかし、まさか自分が断食するなんて思ってもみませんでした。

 

なぜなら僕はかなりの食いしんぼうだからです。
本来ならたった1日断食するのも無理です。

しかし、この時はそれだけのことをしなければいけないほどの状況でした。

 

僕は高校の頃にイエス様を信じて救われて、長い間ある教会に通っていました。

そちらの教会の牧師先生はほんとに素晴らしい先生で、僕は心から尊敬しています。
僕にとっては世界一の牧師先生です。

 

しかし、ある時、聖霊様が言いました。

「あなたの賜物を活用するために、そこの教会を出なさい。」

 

僕はこの言葉を聞いて数ヶ月悲しくてたまりませんでした。

なぜなら僕は、その教会のことも、牧師先生のことも、教会の方々のことも、心から愛していたからです。

僕にとっては大事な霊の家族です。

 

ですから、あまりに悲しくて、教会に行くたびに涙がとまりませんでしたが、誰にも相談することはありませんでした。

実はこの時、毎週土曜日でしたが、別の教会で奉仕をしていました。
聖霊様が言うには「そちらの教会に移籍して、更に奉仕をしなさい。そうすると、あなたの霊の賜物が活かされる」と言うことでした。

ちなみに、霊の賜物については、「No.15 聖霊のバプテスマ」をお聞き下さいね。

 

その教会についてなのですが、実はその数ヶ月前の僕の行動が元で起こされた教会だとも言えます。

僕が仕事中に、営業先の喫茶店に出向いたところ、たまたまこの夫妻が来ていました。

癒しの賜物を頂いているご夫婦で、その働きのために僕らの土地に遣わされたと言うことでした。

 

僕は、うわさだけは聞いていたので、直接話を伺いたいと思い、同じテーブルに座って交わりをしました。

すると5分も経たないうちに、おなかの底から喜びが溢れてきました。

 

僕はあまりに不思議だったので、思わず、「この内なる喜びは一体なんだろう?」と言いました。

すると、ご主人のほうが、「兄弟は聖霊様に敏感ですか?」と質問したので、
僕は、「めちゃくちゃ敏感です!」と答えました。

 

イエス様の母マリアが妊娠中に、バブテスマのヨハネの母で、同じく妊娠中のエリサベツと久しぶりに出合った時に、エリサベツの体内にいた胎児のヨハネが喜び踊っていたと言うことでしたが、この時の出会いはそれと全く同じ喜びでした。

 

しかし、更に聖霊様が語りました。

「この二人が1ヶ月前に約束した、あなたの賜物のために私が用意した人たちです。安心して彼らをサポートしなさい。」

 

実は、その1ヶ月ほど前に聖霊様から啓示を受けていました。
僕の霊の賜物の使い方を導いてくれる人を送ると言う約束でした。

ですから、その預言が目の前で成就してしまいました。

僕は、積極的にこのご夫妻をいろんな方に紹介しました。

 

そして、あるときに、ある方の自宅で、ご主人のほうに癒しの奉仕をしてもらうことになりました。

それを僕が企画したのですが、実は前の晩に聖霊様から啓示がありました。

「明日の癒しの集まりの時に、全員を救います。」

つまり、癒してくれるだけではなくて、なんと全員がイエス様を救い主として信じるという預言でした。

 

僕は、ご主人にすぐ電話をして言いました。

「聖霊様から明日、全員を救うからと約束を頂いたので、癒しだけではなくて福音を必ず語ってください!」

 

僕の言葉で、ご主人はかなり驚いていましたが、翌日、何とその通りに10名以上の方々が全員イエス様を救い主として信じ受け入れました。

更に病も全てその場で癒されました。

聖霊様はほんとに素晴らしいですね。

 

実は、それがきっかけで、新しい教会が誕生したのでした。

僕は、その教会へ席を置きなさいという聖霊様の言葉があまりにもつらくて、ほんとに数ヶ月悲しんでいる状態でした。

 

その頃、更に追い討ちをかけるように聖霊様が言いました。

「あなたは教会とあなたの妻の犯した罪の為に、40日間の断食をしなさい。そうすれば、40日目を過ぎた後の礼拝の日に、幻とみことばをあなたに授けます。それを牧師に告げて祝福してもらい、そこを去りなさい。」

 

僕はこの言葉を聞いて衝撃を受けました。

自分の妻のことは心当たりがあるので理解出来ましたが、教会の犯した罪とは一体何のことだろうと思いました。

それと、40日も断食するなんて、想像も出来ないほどのことなので不安でしたが、自分の妻や教会が犯している罪ならそれは命がけで祈る必要があると思いました。

 

僕はその頃、妻とは別居状態で長女と暮らしていて、次女は妻と一緒に暮らしていました。

そして僕は、40日も断食すると言うことを、小学2年生の娘に話しました。

 

娘は、僕が食事をしないので、いつも悲しそうでしたが、明日で40日目というときに娘が言いました。

「お父さん。私も最後の1日だけはお父さんと一緒に断食してお祈りしたいから一緒にしてもいい?」

 

僕は、娘の心からの願いに断ることが出来ませんでした。

「わかった。してもいいよ。じゃあ、お父さんと一緒に断食してイエス様にお母さんのことや教会のことをお祈りしようね。」

娘は3食を食べないで真剣に祈りました。

 

そして翌日、朝ごはんを食べましたが、
「もう2度と断食はしたくない。とてもつらかったよ。」と言いました。

こんな小さな子供が十字架を一緒に背負い、祈ってくれたことにとても感謝しました。

 

僕が、40日の断食を終えて、久しぶりにおかゆとお味噌汁を頂こうとしたときに、突然目の前にイエス様が現れました。

「私は、あなたがこの断食を終えたことを喜んでいます。
そして、実は私も一緒に荒野で断食をしながらあなたのことを待っていました。」

 

なんと、イエス様が荒野で断食をした時に僕のことを待っていたと言うことでした。

そして、突然食卓に大きな穴が開いたと思ったらそこに空間が出来ました。

また、その空間から人間の舌のようなものが出てきました。

 

更に、その口が開いて、その奥にすごい勢いで広い道がどこまでも広がっていきました。

僕が興味深く、それをみていると手前の道のそばに僕が知っているある兄弟が立っていました。

「なぜ彼がそこにいるのだろう?」と、僕が不思議に思っていると、イエス様が答えました。

 

「彼はあなたの同労者です。彼以外にもまだ出会っていない多くの人をあなたの同労者として私は用意しています。」

僕はそれを見て聞いて驚きました。

 

しかし、今から1週間前くらいにその彼にこの証をしました。

何と、この幻は10年も前の話です。

10年目にして彼と会い、それを証しすることが出来ました。

そしてもちろん、これからそう言う働きで一緒になることも信じています。

 

さて、食事も済んだので娘と礼拝に行くことになりました。

僕は、今日は一体どんな啓示がもらえるのだろうかと期待していました。

なぜなら40日も断食したのですから、物凄いご褒美を頂けるはずだとかなり期待していました。

 

礼拝が終わりに近づいて祭壇の前で祈る時が来ました。

僕はわくわくしながらご褒美を待ちました。

 

すると、突然上のほうに大きな腕が出てきました。

それは筋肉の盛り上がった兵士のうでのようでした。

そしてその手にムチが見えました。

 

僕は「これは一体なんだろう?」と見つめていましたが、突然、、ムチを持っているその手で、僕の背中を叩き始めました。

あまりのリアルな痛さに体がよじれました。

しかも、何十回も背中を叩き続け、僕の背中は血だらけになりました。

もちろん、これは幻なのですが、痛みはリアルに感じました。

 

僕はご褒美をもらえると思っていたので、思わずこう言いました。

「イエス様、僕は40日も断食をしたのに、更にムチ打つなんて、僕が何か罪を犯したから罰を受けているのですか?」

僕はあまりのショックでそう言いました。

 

すると、イエス様が言いました。

「私も、ムチで打たれました。しかしそれは、あなた方が癒されるためです。
あなたがムチで打たれるのは、妻や教会の罪が許され癒されるためです。」

 

僕はこの言葉を聞いて、涙を流して感謝をしました。
そしてイエス様を褒め称えました。

しかし、それだけではありませんでした。

 

「エゼキエル書34章を読みなさい。そしてそのみことばを牧師に見せて、その為の働きの為に教会を出るように言われたことを告げなさい。」

 

僕は、一体どんなことが書かれているのだろうと思いながらそこを開けて読んでみました。

 

そして、愕然としました。
あまりのショックに言葉が出ませんでした。

 

エゼキエル書第34章

 

主の言葉がわたしに臨んだ。

 

「人の子よ、イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。

預言して彼ら牧者に言え、主なる神はこう言われる、わざわいなるかな、自分自身を養うイスラエルの牧者。

牧者は群れを養うべき者ではないか。
ところが、あなたがたは脂肪を食べ、毛織物をまとい、肥えたものをほふるが、群れを養わない。

あなたがたは弱った者を強くせず、病んでいる者をいやさず、傷ついた者をつつまず、迷い出た者を引き返らせず、うせた者を尋ねず、彼らを手荒く、きびしく治めている。

彼らは牧者がないために散り、野のもろもろの獣のえじきになる。

わが羊は散らされている。彼らはもろもろの山と、もろもろの高き丘にさまよい、わが羊は地の全面に散らされているが、これを捜す者もなく、尋ねる者もない。

 

それゆえ、牧者よ、主の言葉を聞け。

主なる神は言われる、わたしは生きている。わが羊はかすめられ、わが羊は野のもろもろの獣のえじきとなっているが、その牧者はいない。

わが牧者はわが羊を尋ねない。牧者は自身を養うが、わが羊を養わない。

 

それゆえ牧者らよ、主の言葉を聞け。

主なる神はこう言われる、見よ、わたしは牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手に求め、彼らにわたしの群れを養うことをやめさせ、再び牧者自身を養わせない。

またわが羊を彼らの口から救って、彼らの食物にさせない。

 

主なる神はこう言われる、見よ、わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。

牧者がその羊の散り去った時、その羊の群れを捜し出すように、わたしはわが羊を捜し出し、雲と暗やみの日に散った、すべての所からこれを救う。

 

わたしは彼らをもろもろの民の中から導き出し、もろもろの国から集めて、彼らの国に携え入れ、イスラエルの山の上、泉のほとり、また国のうちの人の住むすべての所でこれを養う。

 

わたしは良き牧場で彼らを養う。その牧場はイスラエルの高い山にあり、その所で彼らは良い羊のおりに伏し、イスラエルの山々の上で肥えた牧場で草を食う。

わたしはみずからわが羊を飼い、これを伏させると主なる神は言われる。

 

わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。

 

主なる神はこう言われる、あなたがた、わが群れよ、見よ、わたしは羊と羊との間、雄羊と雄やぎとの間をさばく。

あなたがたは良き牧場で草を食い、その草の残りを足で踏み、また澄んだ水を飲み、その残りを足で濁すが、これは、あまりのことではないか。

 

わが羊はあなたがたが、足で踏んだものを食い、あなたがたの足で濁したものを、飲まなければならないのか。

それゆえ、主なる神はこう彼らに言われる、見よ、わたしは肥えた羊と、やせた羊との間をさばく。

あなたがたは、わきと肩とをもって押し、角をもって、すべて弱い者を突き、ついに彼らを外に追い散らした。

 

それゆえ、わたしはわが群れを助けて、再びかすめさせず、羊と羊との間をさばく。
わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。

 

すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。

主なるわたしは彼らの神となり、わがしもべダビデは彼らのうちにあって君となる。主なるわたしはこれを言う。

 

わたしは彼らと平和の契約を結び、国の内から野獣を追い払う。彼らは心を安んじて荒野に住み、森の中に眠る。

わたしは彼らおよびわが山の周囲の所々を祝福し、季節にしたがって雨を降らす。これは祝福の雨となる。

 

野の木は実を結び、地は産物を出す。彼らは心を安んじてその国におり、わたしが彼らのくびきの棒を砕き、彼らを奴隷とした者の手から救い出す時、彼らはわたしが主であることを悟る。

彼らは重ねて、もろもろの国民にかすめられることなく、地の獣も彼らを食うことはない。
彼らは心を安んじて住み、彼らを恐れさせる者はない。

 

わたしは彼らのために、良い栽培所を与える。彼らは重ねて、国のききんに滅びることなく重ねて諸国民のはずかしめを受けることはない。

彼らはその神、主なるわたしが彼らと共におり、彼らイスラエルの家が、わが民であることを悟ると、主なる神は言われる。

あなたがたはわが羊、わが牧場の羊である。わたしはあなたがたの神であると、主なる神は言われる」。

 

この聖書の箇所は、イスラエルの指導者達に対しての言葉なのですが、現代で言えば全教会の牧師に対する警告とも言えます。

 

僕は、この聖書箇所を誰よりも尊敬する牧師先生に、神様から頂いた言葉として読み聞かせ、更に祝福を求めて教会を去ることを言わなければならないのでした。

 

僕にとっては、40日の断食よりも、数十回ムチ打たれるよりも、まだそれを尊敬する牧師先生に告げることのほうが比べ物にならないほどの苦痛でした。

 

しかし僕は、イエス様の言葉に従い、礼拝を終えた後に、牧師先生に声をかけ、二人きりで個室に入り、断食を始めた経緯から、先ほど頂いた御言葉も含て、全てのことをそのまま隠さずに打ち明けました。

そして、最後に「僕を祝福してお祈りして下さい」とお願いしました。

 

すると、先生は文句ひとつ言わずに、僕に按手をして快く祝福してくれました。

それで、この愛する教会や牧師先生との別れとなりました。

 

僕は、翌週からはその教会を去りましたが、今までこの内容は誰にも明かした事がありませんでした。

でも、イエス様の約束通り、僕はそのあとから霊の賜物を活用して、癒しや奇跡を起こせるようになりました。

これは聖霊の力によるものです。

 

イエス様が私たちの身代わりにムチを打たれて、十字架刑を受けました。

それで私たちはこの約束によって、誰かを癒すことが出来ます。

私たちが癒されるのは、イエス様が身代わりに罰を受けたからです。

更に、私たちが日々十字架を背負うのなら誰かが癒しを受けます。

 

もし、皆さんが神様に従っているにも関わらず、まるで呪われているような、罰を受けているような状況にあるのなら、実は感謝するべきことかもしれません。

 

なぜなら、イエス様と同じように苦しみを受けると、必ず誰かが癒されるからです。
そして誰かが癒されると、自分は復活の命で満たされます。
つまり、自分が死ねば誰かに命が供給されます。

これは癒しや命の法則です。

 

それをイエス様が見せてくれました。
与えれば与えられます。

 

断食も40日する必要はありません。

 

なぜならそれもイエス様がすでに体験してくれたからです。

だから私たちは満たされることが出来ます。

 

僕は苦しみを通して癒しを体験し、更に聖霊の力によって癒しを提供出来るようにもなりました。

これも全てイエス様が私たちの身代わりになってムチ打たれ、十字架にかかって罰を受けて死んでくれたからです。

 

そして、イエス様は3日目に墓からよみがえりました。
これは更に、永遠の命を与えるためです。

 

こんなに素晴らしいイエス様の愛や癒しをぜひあなたもお受け下さいね。

受け取る方法は簡単です。

「イエス様、私の罪の身代わりに、十字架にかかって下さり、ありがとうございます。あなたを私の救い主として、信じ受け入れます。イエス様のお名前によりお祈りします。アーメン」

 

このお祈りをするだけで、あなたの罪は許され、永遠の命が与えられます。
更にイエス様の霊である、聖霊様が内側に住むので、あなたを直接慰め癒してくれます。

ただで受けられるのですから、ぜひこの素晴らしい愛と救いと癒しを受け取って下さいね。

 

Keystoneより

 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会

No.18 ヨハネ3章16節( 1 / 1 )

今日は、僕が高校の頃、イエス様を信じてから1年後に体験したことについて、お話したいと思います。

タイトルが、「ヨハネ3章16節」となっていますが、これは新約聖書のヨハネの福音書に書かれている、聖書で最も有名な聖句のことです。

その聖書箇所の内容を、先に紹介させて頂きますね。

 

「ヨハネによる福音書3章16節」

 

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 

・・・と言う事なのですが、この聖書箇所は、ほんとに有名で、「聖書の中の聖書」などとも言われているほどです。

簡単にそのことを解説させて頂くと、天の父なる神様は、私たち一人一人を愛しているので、誰一人として滅んで欲しくはありません。

 

しかし、だからと言って神様は清くて聖なるお方なので、人の罪を見逃すことも出来ません。

義の神様なので、神の義にしたがって正しく罪を裁かないといけないからです。

しかし、もし神様の介入なくして、義を貫いて裁きを行ってしまうと、私たち人類は誰一人許される者がいません。

それどころか裁判を受けることもなく、地獄へ真っ逆さまに落ちるしかないです。

 

なぜなら、人間は誰でも、「生まれながらの罪」と、「罪の性質」とを持っているからです。

その罪に関する事は、旧約聖書の創世記と言う箇所を読むと、よく理解出来ます。

あるいは、keystoneのブログに紹介されている「ゴッド・ストーリー(創造から永遠へ)」と言う、youtube動画をぜひご覧下さい。

 

★ゴッド・ストーリー(創造から永遠へ)
https://youtu.be/l7z_TGJETy0

 

みなさんは、創世記の「エデンの園の物語」をご存知でしょうか?
そこには人類の祖先である、アダムとエバが出てきます。

 

神様は、彼らに自由意志を与えて、そこに「永遠の命の木」や「善悪を知る木」などを置きました。

神様との約束事として、「善悪を知る木」の実だけは絶対に食べてはいけないと言うものでした。

しかし、エバが一人でいる時に蛇に騙されて、その木の実を食べてしまい、それをアダムも食べてしまいました。

その瞬間、彼らは善悪を知るものとなり、罪が発生して死が入り込んでしまいました。

 

こう言う訳で、全人類に罪が入り込んだと言うわけです。

ですから、聖書の他の箇所では、「人間は一度死ぬことと、死んだ後裁きを受けると言うことが定められてる」。と書かれています。

この罪の問題からは誰も逃れることが出来ません。

これを放置すると永遠の滅びと言う結果しか残されていないからです。

 

天の父なる神様は、愛の神様なので愛を全うしますが、同時に義の神様でもありますので、正しい裁きも行わなければなりません。

それを、同時に解決するためには、全く罪も汚れもない人が身代わりになって、全人類のために罰を受けなければなりません。

 

実はそれを行うために、神の独り子イエス・キリストが処女マリアから生まれ、成人になって宣教活動をし、十字架にかかり、全人類の罪を背負って死にました。

更に、3日目に墓の中から生き返り、信じるものに義に対する罪の許しだけではなく、その愛のゆえに永遠の命さえも与えてくれました。

 

それで、私たちは、自分が罪人であると言う事を素直に認めて、更に「イエス様が自分の身代わりになって罰を受けてくれた自分の救い主なんだ」と言うことを、心で信じて告白するだけで、その罪は許されて、更に永遠の命も持つことが出来ます。

この十字架のおかげで、神様の「愛と義」が完全に全うされたわけですね。

 

実は十字架の形自体が神様の「愛と義」を象徴しています。

この「愛と義」が同時に行われたのが十字架です。
つまり、「愛と義」が交差したのが十字架の形になるわけです。

ですから、十字架を見るたびに神様の愛と義を感じて下さいね。

 

それと皆さんはご存知でしょうか?

人間の細胞と細胞をつなげる接着分子のことを・・・
そのタンパク質分子のことを「ラミニン」と言いますが、その分子構造を調べて、ぜひその目で確認して下さい。

 

★細胞接着分子「ラミニン」
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/adhmol.htm

 

なんと、その分子構造を電子顕微鏡で見てみると鮮やかな十字架の形をしています。
ほんとに感動的ですね。

 

実は、聖書によると私たちは一人一人がイエス・キリストのからだの機能器官だと言っています。

つまり、イエス様の細胞一つ一つが信じた私たち個人個人だと言っています。
それを一つにつなげているのが十字架なのです。
ほんとに凄いですね。

 

この十字架でしか、神の愛と義を全うすることが出来ません。

私たちがキリストのからだとしてつながる方法は十字架しかないのです。
更に、からだの働きを司るのが脳の働きです。

 

ですから、聖書ではイエス・キリストは「かしら」だと、言っています。

からだの働きはかしらの指令によって守られ導かれ管理されています。
更に、その細胞一つ一つをつなげるものが十字架になるわけです。

 

更に言うと、その脳の指令を伝える神経の働きをしているのが聖霊様です。
神経の働きを通して、各細胞に脳から指令が出て、その指令に基づき体は機能しています。

 

ですから、十字架を通して細胞同士がつながっていれば,絶対にからだの機能器官の働きは損なわれません。

つまり、病気になるわけがありません。

 

更に言うと、細胞に栄養を送る役目が血液です。
つまり「血」ですね。

この血が各細胞に栄養を与えて細胞は生きることが出来ます。
つまり、血は命そのものを供給していると言うわけです。

これも聖書に書かれている真理です。

 

つまり、聖書には「血は命である」とはっきり書かれています。

ですから、血を通してでしか細胞は命を得ることが出来ません。
それと同じく、私たちはイエス様の血を受けなければほんとの意味で生きることが出来ません。なぜなら、イエス様の血は命そのものだからです。

 

体のことを調べれば調べるほど、聖書の正しさが理解出来ます。
医学を志す方や、病気や健康に関わりたい人がいるのなら、ぜひ聖書の真理を学んで下さいね。

 

これらは科学的事実でもあるし、聖書の真理そのものです。

更に、よろしければ、keystoneの管理するブログ、「ラジオ健康相談室」の中の「三位一体の癒し:肉体・心・霊の癒しについて」と言う番組をお聞き下さいね。

 

そうすれば、人間の体に隠されている三位一体の神の隠された真理が理解出来ます。

ですから、人類にとって、そして教会の働きにとって、十字架はとても重要な役割があると言うわけです。

 

この十字架は、もしイエス様が死からよみがえってこなければ、今でも単なる処刑の道具で呪いの象徴になるだけのものでした。

しかし、イエス様は死んだだけではなく、墓の中から、黄泉の世界からよみがえって勝利したお方です。

その結果、天でも地上でも全ての権威を持って、この世を統べ治めています。

 

その証拠として、イエス様の名前で命じるとあらゆることが起きます。
それは、アンビリバボー体験を最初から見たり聞いたりしたら分りますよね?

あるいは、聖書を読んで誰でもその通りを行えばわかることです。

 

イエス様が死んでよみがえり、その40日目に雲に乗って天に昇り、神の右の座に座したのですが、その10日あとに、弟子たちに聖霊が下りました。

これがイエス様が弟子たちに告げていた約束の聖霊のことで、復活のイエス・キリストの霊です。

 

この聖霊の力により、私たちは力と権威を行使することが出来、キリストの弟子として働くことが出来ます。

イエス様が弟子たちに権威を授けて働きに行かせました。


そのときの言葉はこうです。

 

マタイによる福音書10:5~10:8

 

「イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。
むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。
行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。」

 

ですからkeystoneも、このみ言葉通りを少しも疑わないでそのまま信じて、実践して、使徒たちと同じように、病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しているわけです。

これが聖書の真理です。

 

それを証明してくれるのが人間の働きではなくて、聖霊様の働きです。
僕は人間的にはおそらくごみのように見られている存在かもしれません。

 

しかし、働きは全て聖霊様によるものです。
だから、素晴らしいのです。
人間の評価や、賞賛は全く必要ありません。
そんなものなんかいりません。
それ自体が聖霊様の働きを邪魔するだけです。
だから、僕は隠れてそれをするわけです。

 

なぜなら、ただただ、聖霊様の現れにより、神様の御心にしたがって奇跡が起こり、イエス様だけが栄光を受けるにふさわしいからです。

 

その結果として、キリストのからだが復活して個人も教会も生きると言う訳です。
ほんとに素晴らしい真理ですね。

 

もし、私たちのつながりに十字架が欠けていれば、どうなるか分りますよね?
細胞と細胞、機能器官が十字架でつながらなければ、その関係性は分裂・破壊・崩壊・病い、呪いとなる訳です。

 

ほんとに、聖書は素晴らしい真理ですね。

こう言う、超科学的事実を通してでも、聖書は私たちに十字架の力を見せ付けています。

ですから、皆さんこの事実を素直に受け入れて欲しいですね。

 

では、どうしてそういう神様の奇跡や不思議が今でも起こり、私たちの内側にも外側にも圧倒的なイエス・キリストの命が現れるのでしょうか?

 

それはなぜかと言うと、実は

「私たち信じる者全員もイエス様と同時に天の座に着いた事になる」

からです。

これは、ほんとに物凄い真理です。

使途パウロが、キリストのとその弟子達の権威について力説していますので、その聖書箇所を紹介します。

 

エペソ人への手紙1章17節~23節

 

「どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、
あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。

 

神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、
彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。

 

そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。

この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。」

 

更に使徒パウロが力強く語ります。

 

エペソ人への手紙2章4節~6節

 

「しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、
罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――
キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 」

 

なんと、キリストの愛のゆえに恵みのゆえに私たちについても

「キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。」

と言っています。

 

皆さんは、この凄さがお分かりでしょうか?

信じる私たちにも全く同じようにキリストの権威・地位が与えられています。

 

ですから、すでに信じる私たちの権威、地位はイエス・キリストと同じです。

 

信じられないかもしれませんが大きな事実です!そして真理です!
だからこそ、病気も悪霊も罪も悩みも逃げ去るわけです!
この素晴らしさが、みなさん分りますか?

 

ぜひ、皆さんにも、この真理を知って頂きたいです。
イエス様を自分の救い主として信じ受け入れ、救いを受け取って下さいね。
そうすればあなたは、神の子となり、イエス・キリストと同じ権威・地位を行使できます。

 

そのことを使徒ヨハネも力強く語っています。

 

ヨハネの第一の手紙5章4節~5節

 

「なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。
世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。」

 

私たちはイエス様を信じることによって救われ、永遠の命を得ることが出来ます。
しかし、それだけでは物足りません。

イエス様の愛に応答するには、この世でイエス様の権威と地位を行使して世に打ち勝たなければなりません。

 

ですから、弟子たちは日々十字架を負って聖霊様の声に従ったわけです。
これは人間の業によるものではないので、自分自身は十字架を負わなければなりません。

そうすると、キリストのかしらから命が流れ、からだ同士がつながり再生され癒され生かされるというわけです。

そして、命が供給されます。
そしてこの世に勝利できると言うわけです。

 

・・・と言うわけで、前置きの解説が長くなりましたが、最後に僕の体験したことをお話したいと思います。

 

僕が救われて1年ほどたった時の事です。
イエス様の受難週の時機のことでした。

 

祈祷会でイエス様の十字架を思い、祈っていると、突然イエス様の十字架のシーンが目の前に現れました。

まるで大きな映画館で映像を観ているようでした。

 

そこには、イエス様と二人の強盗もいました。
3人が十字架にかかっていて、弟子たちは遠くでそれを見ていました。

群集もその様子を見ていました。

僕はイエス様が十字架にかかっているのをはっきり見ました。

 

そしてローマ兵がイエス様の死を確認するためにわき腹に槍を突き刺しました。

僕もヨハネたちのそばで、それを眺めていたのですが、あまりの残酷さに思わず、遠くからローマ兵に向かって走って行きました。

 

僕はイエス様を愛していたので、そのことが我慢出来ませんでした。

衝動的に、イエス様のわき腹に槍を突き刺したローマ兵目掛けて走って行き、そのローマ兵の肩に手をかけて顔を殴りつけようとしました。

 

なぜなら僕は死んでもいいと思っていたからです。

しかし、そのローマ兵の顔を殴ろうとした瞬間、恐ろしい事実を見てしまいました。

こんな衝撃は生まれて初めてです。

 

何と、そのローマ兵の顔を殴ろうとして、彼が振り向いた瞬間、実はその人が僕自身だったのです。

殴ろうとした顔が僕の顔でした。

そのわき腹を刺し通した張本人は何を隠そう僕自身でした。

 

そのときの衝撃は、表現不可能です。

「あああ・・・イエス様を殺してわき腹まで残酷に刺し通したのは僕自身だったんだ・・・」

 

僕は自分が大きな勘違いをしていたことを知らされました。

 

聖書にはこう書かれています。

 

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 

僕はこの有名な聖書箇所を読んで感動しましたが、それは意味の無いものでした。

そこに僕自身がいなかったのですから・・

つまりこう言えば分ります。

 

「神はそのひとり子を賜わったほどに、Keystoneを愛して下さった。
それは御子を信じるKeystoneが滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 

僕はクリスチャンになって1年も経って初めてこのことを知りました。

この聖書箇所は人類全体のことを語っていますが、それだけでは何の意味もありません。

 

このイエス様の死は、誰の為でもなく、自分自身の為であり、イエス様を殺したのは自分の罪の身代わりの為で、実は自分自身がイエス様を殺してしまったのだと言う事実を知ることが重要です。

 

僕はこのことを思い知らされ、涙を流して深い悔い改めをしました。

 

「イエス様ごめんなさい。僕はイエス様の為なら自分は死ぬのも怖くないと思って、イエス様を助けに走りましたが、イエス様の十字架の意味を全然分っていませんでした。
実は僕がローマ兵だったんですね。こんなショックは今まで受けたことがありません。
どうかお許し下さい。その頃のユダヤ人やローマ人と全く同じく、僕自身があなたを殺したことを認めます。そして、それを許してくれたことも感謝します。
イエス様の名前によりお祈りします。アーメン」

 

僕は、ペテロと同じ事をしてしまいましたが、ほんとに衝撃が大きすぎて立つことも出来ないほどでした。

でも、そのことを教えてくれた聖霊様に心から感謝します。

みなさんもどうか、この素晴らしい聖書箇所を自分自身のものとして受け入れて下さいね。

 

最後にもう一度だけ、このみ言葉を紹介してこのお話を終わります。

 

「ヨハネによる福音書3章16節」

 

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 

これはあなたのために書かれた真理です。
ぜひ受け取って下さいね。

 

イエス様だけに全ての栄光がありますように・・アーメン

 

Keystoneより

 

 
証し(youtube
(※イエスを信じる人に神は現れます。)

癒し・奇跡
(※あなたが神の子の特権を行使すると全く同じことが起こります。)
天国と地獄
(※死後の世界が確実にある事を知って下さい。)
 
キリストの再臨
(※大艱難時代が目前なので、今すぐ神の国を目指して下さい。)
 
■賛美
 
■オンライン教会

No.19 霊の2倍の賜物( 1 / 1 )

僕が、元の教会を出て次の教会で教えを受けているときの事でした。
先生が突然こう言いました。

 

「今日は、みなさんに御霊の賜物が与えられるので、自由にそれを求めて下さい。」

御霊の賜物とは、イエス様を信じたクリスチャンに与えられる霊的な能力のことです。

 

聖書のみことばから御霊の賜物についてまとめると、

 

1.知恵のことばの賜物
2.知識のことばの賜物
3.信仰の賜物
4.癒しの賜物
5.力あるわざの賜物
6.預言の賜物
7.霊を見わける力の賜物
8.種々の異言の賜物
9.異言を解く力の賜物

 

以上、9つの御霊の賜物があります。

 

この賜物を自由に求めなさいと、聖霊様を通して先生が語ったのでした。

そこで僕は、聖霊様に語り掛けました。

 

「聖霊様、僕は全ての賜物が与えられていると思うのですが、どうしたらいいですか?
もし、よろしければ、先生の2倍の霊の賜物を与えて下さい。」

 

僕は、何とも贅沢なお願いをしてみました。
つまり、先生の力の2倍も求めてしまったのですから・・・

 

しかし、聖霊様がすぐに答えてくれました。

「もちろん、あなたにはそれも与えられます。しかし、あなたはそんなことよりもただ、父の愛だけを求めなさい。そうすればそれらのものは与えられます。」

 

僕は、なるほどと思い、

「分りました。僕は単純に父の愛だけを求めて行きます。」

 

そして感謝を捧げました。

 

その学びのセミナーが終わって、次の奇跡の集会のときが来ました。

僕はいつも、先生と奉仕をしていたので、僕自身が呼ばれて按手を受けたり祈ってもらうことはないのですが、その日はいつもと違いました。

 

「兄弟、どうぞ前に出てきて下さい。」

僕は、先生に呼ばれて前に出ました。

そして、先生が言いました。

 

「今日、あなたは私の2倍の霊を受けます。
そのしるしとして幻を見ます。
その幻をみるとあなたは私の霊の2倍を受けることが出来ます。」

 

僕は驚きましたが、聖霊様が約束してくれていたので感謝しました。
そして、一体何が起きるのだろうかと期待していました。

先生が按手をして祈ると、物凄いものを見てしまいました。

 

突然、宇宙のような大きな空間が視野に広がりました。

 

そして「光あれ!」と声がしました。
その瞬間、暗闇のかなたからまぶしいほどの閃光がきらめき、更に光の粒子が僕をめがけて一斉に飛んできました。
更にその光の粒の一つが僕の胸の辺りに入り込んで行きました。
僕は、イエス様の言葉と光の粒子を同時に体の中に受けました。
そして例えようのない感動と平安に包まれました。

 

実は、これはこの世が作られたときの瞬間映像でした。
何と僕は、しるしとしてその瞬間を見せられてしまったのでした。

 

興奮したまま、その日はそれで終わったのですが、次の集会の前の日に聖霊様が語りました。

 

「明日、集会の前の祈りのときに、私が示した一人の姉妹を講壇の前に立たせて、天に向かってハレルヤと神を褒め称えながら両手をあげさせなさい。」

僕は、「はい。わかりました。明日姉妹にその通りにしてもらいます。」

 

僕は翌日集会の前にその姉妹に事情を説明して、その通りにしてもらいました。
二人で、講壇のおいてあった場所に立ちました。

ここはいつも先生が、メッセージを語ったり神様の力により奇跡や不思議や癒しをおなう場所です。

つまり、教会の中で最も清くて聖なる場所です。
なぜなら、そこに天からの油注ぎが集中的にあるのですから・・・

 

油注ぎとは、聖霊の圧倒的な力のことです。
これを受けると、癒しや奇跡が起こります。

その真上の天が開かれるのでそう言うことが起きます。

 

さて、僕は彼女をそこに立たせて両手をあげさせて「ハレルヤ!」と言ってもらいました。

そして、心の中で聖霊様に言いました。

 

「聖霊様、あなたの言うとおりにしました。でも、一体これから何が起きるのですか?」

僕がそう尋ねると、すぐに信じられないことが起きました。

 

何と、姉妹が立っている場所の天が開かれ、何かが洪水のように落ちてくるのを感じました。

僕は彼女の両手首を支えていたのですが、更に天の幻をみていると、竜巻のようなものが発生して、僕らはその竜巻に振り回されて、体は宙に浮き、お互いが2メートルも吹き飛ばされてしまいました。

 

そして僕は吹き飛ばされて床に倒されました。
目を開けると天が開いていて、そこから大勢の人が僕らを眺めていました。

何と、天の住民と目が合ってしまいました。

 

そして体中に今まで一度も体験したことのない圧倒的な油注ぎを受けました。
受けましたと言うよりも、ナイアガラの滝を受けているように油注ぎをうけ続けていてそれが全然止まりません。

姉妹も、全く同じ状況で満たされすぎて叫んでいました。

 

この油注ぎの中に入れば誰でも癒され、悪霊は出て行き、死人は生き返り、更にイエス様のことを話さなくても、一瞬で誰でも神様を認めることが分りました。

それほどの強烈な油注ぎでした。

 

僕も姉妹も、その臨在の余韻に浸りながら神様に感謝して礼拝しました。

この体験はその時1度きりのものでしたが、神様は必要に応じてその油注ぎを使わせてくれると信じています。

 

あれから、7年になりますが、実は最近その封印が解かれました。

ですから、僕はこの証を先生にも初めて証をして、このように公開しています。

 

ちなみに、旧約聖書に出てくる偉大な預言者エリヤとエリシャの間でもそのことが起きました。

それを紹介します。

 

第2列王紀2章9節~12節

 

彼らが渡ったとき、エリヤはエリシャに言った、「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。
エリシャは言った、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。
エリヤは言った、「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。
彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。
エリシャはこれを見て「わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ」と叫んだが、再び彼を見なかった。

 

以上ですが、どうでしょう?
なんだか僕が体験したことと似ていますね。

 

預言者エリヤが、生きたまま天にあげられる前に起きた出来事なのですが、その弟子のエリシャはエリヤが「わたしが取られて、あなたを離れる前に、あなたのしてほしい事を求めなさい」。と言われてエリシャはすかさず、「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください」。と、僕と同じ言葉を発しました。

 

そしてエリヤが言いました。
「あなたはむずかしい事を求める。あなたがもし、わたしが取られて、あなたを離れるのを見るならば、そのようになるであろう。しかし見ないならば、そのようにはならない」。

 

すると、エリシャは幻を見ました。
「火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。」と書いてある通りです。

 

凄いですね。
竜巻まで同じです。

 

そして、エリシャはそのすぐあと、エリヤの2倍の霊を受けたことが証明されました。

続きを読むと分ります。

 

第2列王紀2章12節~15節

 

そこでエリシャは自分の着物をつかんで、それを二つに裂き、 またエリヤの身から落ちた外套を取り上げ、帰ってきてヨルダンの岸に立った。
そしてエリヤの身から落ちたその外套を取って水を打ち、「エリヤの神、主はどこにおられますか」と言い、彼が水を打つと、水は左右に分れたので、エリシャは渡った。
エリコにいる預言者のともがらは彼の近づいて来るのを見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言った。

 

神様はエリシャの願いどおりにエリヤの倍の霊を頂くことが出来ました。

Keystoneもそれを頂いたのですが、7年間も封印されていました。

 

しかし、つい最近仕事をしていると、聖霊様から声がかかりました。

「Keystone・・・」

僕は驚きました。
なぜなら、僕の本名ではなく、「keystone」と呼んだからです。

 

僕はすぐにその意味が理解できました。

つまり、「今から主の為に動きなさい!主の為に働きなさい!」と言うメッセージだと分ったからです。

 

ちなみに、このKeystoneと言うネーミングに関してなのですが、実は今から5年以上前にインターネットで仕事をするようになったときに、聖霊様が言いました。

 

「あなたは自分の名前を名乗らないで、ニックネームをKeystoneと言うことにしなさい。」

 

「Keystone」と言うのは、直訳すると「要石」と言う意味です。
更に、沖縄の別名でもこの名前が使われています。

 

僕は、どういう意味があるのだろうかと考えてみましたが、その時に幻が見えました。

それは、ペテロがイエス様に対して信仰告白をするシーンでした。

 

マタイによる福音書16章13節~20節

 

イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。

 

彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。
そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。

 

すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。

そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。

 

わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。

そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。

 

以上ですが、僕のKeystoneと言う名前と、このペテロの信仰告白のシーンと一体、何の関係があるのかを考えて、僕はこの聖書箇所を何度も読み返しましたが、凄いことに気がつきました。

 

ここで大事なことは、ペテロが自分の考えなどではなく、天の父の啓示により、信仰告白をしたところです。

更に、重要なのは、その言葉に対してイエス様が言っている事です。

 

「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。

わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」

 

イエス様は物凄いことを語っていますね?

ペテロが啓示により信仰告白をすると、それに応答してみことばを語りました。

 

「そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。」


「ペテロ」の本名は「シモン」でした、直訳すると、「葦(あし)」と言う意味です。
「葦(あし)」とは、背の高いイネ科の草の一種のことで、ペテロの性格をよく表しています。

 

つまり、風に吹かれると、あっちに傾いたりこっちに傾いたりでいつも、環境に振り回されて不信仰な状態をイメージさせています。

そのことが、実際に起きてしまいました。

 

マタイによる福音書14章25節~33節

 

イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。
弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。


しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。
するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。


イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。
しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。


イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。
ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。
舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。

 

これがペテロの本来の性質でした。
しかし、天の父の啓示により信仰告白をした瞬間、何かが変わりました。

 

これまでのシモン、つまり風に吹かれて揺らぐあしのようではなく、イエス様が彼のことを「あなたはペテロである。」と言いました。
ペテロの意味は、「岩」です。

 

イエス様は、信仰告白をした「ペテロ」、つまり「岩」の上に教会を建てると宣言しました。
そしてその教会は、「黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。」ほどの力を持っています。

 

更にペテロに対して言いました。


「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。」


つまり、ペテロだけではなく教会に対しての宣言です。

 

教会には天国の扉を開く鍵が与えられているということですね。

 

更に、イエス様はこう言いました。

 

「そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」

 

これは凄い言葉ですね。
なんと、教会が地上でつなぐことは天でもつながれ、地上で解くことは天でも解かれる。
と言っています。

 

これはどういう意味でしょう?

つまり、イエス様の権威を用いて教会が地上でみこころを執行すると言う意味です。
ほんとに凄いことですね。

 

僕はこの聖書箇所を読みながら感動していましたが、僕のKeystoneと言う名前と何の関係があるのかな?と考えてみました。

 

そしてもう一度、聖書箇所をよく読んでみると、何と、僕の名前が隠されていました。

 

まず、「キーストン」を英語に直すと「Keystone」と言うことになりますが、「key」と言う意味に関連する言葉を捜してみました。

そうすると、「天国の鍵」の「鍵」が英語で訳すと「key」であることに気がつきました。

 

次は、Keystoneの「stone」の部分を探してみました。
「stone」とは直訳すると「石」と言う意味です。

僕は「石」に関係する言葉を捜しました。そして発見しました。

 


ペテロの名前は「岩」と言う意味があります。
「岩」を英語に訳すと、「Rock」になりますが、「岩」をイメージしてみるとそれが石であることが浮かびました。

ですから、「stone」とは「石」のことで、その塊が「岩」と言うことになります。

つまりそれは、ペテロの名前のことを意味しています。

 

更に言うと、教会の事を指しています。

教会は信仰告白の上になりたっていて、それには「黄泉の力」つまり、「死」でさえも打ち勝つことは出来ないと言う意味です。

 

更に、天国の鍵を授けて、天と地上を結ぶ権威も与えられています。

「Keystone」の名前にはこんな深い意味があったのですね。

僕自身が驚いてしまいました。

 

ですから、聖霊様に「Keystone」と声をかけられたときに、その意味がよく理解できました。

僕は、それから1ヶ月後に更に啓示とみことばをもらいました。

 

実はそれを頂いてまだ、1週間にもなりません。

僕が、この働きについて答えを求めていると、幻が見えました。

それは有名な絵です。

 

イエス様が子羊を両肩に乗せている画像です。

そして、みことばが与えられました。

 

「あなたは失われた1匹の羊の為に命を捨てなさい」

 

僕は、「アーメン。分りました。」と、迷わずその言葉を受け入れました。

更にその聖書箇所を読んでみると啓示が与えられました。

 

マタイによる福音書10章5節~14節

 

イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。
またサマリヤ人の町にはいるな。

むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。

行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。

病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。

旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。

どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。

その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。

もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。

もしあなたがたを迎えもせず、またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。

 

以上ですが、僕はそのままこのみことばを受け入れました。

僕が1匹の羊の為に命を捨てると、このことが起こると言う啓示です。
なので、僕は聖霊様の言葉に従いそれを行う決心をしました。

 

・・・と言っても、今までしてきたことと同じことを使命感を持って行うだけの話です。
そのためには、僕のことを祈りで支えてくれる人が必要です。

 

今は、その人たちを捜し求めている状態ですが、準備が整えばその働きを喜んでしたいと思いますので、祈りの必要を感じてくれた方がいらっしゃいましたらぜひ、この働きの為にお祈り下さいね。

 

その方々にも主の豊かな恵みがありますように・・
イエス・キリストの名前によりお祈りします。
アーメン。

 

このようにして、僕は7年目にしてこの賜物が開放されたわけです。

 

どうか、あの油注ぎが豊かに注がれて多くの方々を癒してイエス・キリストに出会わせて下さいますように・・・
主イエスの名前によりお祈りします。
アーメン

 

Keystoneより

 

 
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