釈迦の教え-GotamaBuddhism-

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 6 / 11 )

#6 <善男子>

#6 <善男子>

6 <善男子> -1 オリジナル
              南伝 相応部経典 56-3

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、バーラーナシー(波羅捺)のイシパタナ・ミガダーヤ(仙人住処・鹿野苑)にましました。その時、世尊は、比丘たちに告げて仰せられた。

「比 丘たちよ、過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであっ た。比丘たちよ、未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままにはっきりと理解せんがためであ ろう。また、比丘たちよ、現在においても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんが ためである。

では、その四つの聖諦とは何であろうか。それは、苦の聖諦、苦の生起の聖諦、苦の滅尽の聖諦、苦の滅尽にいたる道の聖諦である。

比 丘たちよ、過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。また、未来 世において、まさしく家を出でて出家する善男子も、..また、現在において、まさしく家を出でて出家する善男子も、すべて、この四つの聖諦を、あるがまま に、はっきりと理解せんがためである。

これによりて、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽に到る道なり>と勉励するがよいのである」


  *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 250頁より抜粋

諦は真理、四つの聖諦は「四つの真理」と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#6 <善男子> -2
              ■■■■■

ある時、世尊は、■■■■■■仰せられた。

■■■■■ 過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。 ■■■■■未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであ ろう。■■■■■現在においても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがため である。

■■■■■

■■■■■過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの「四つの真理」を、ある がままに、はっきりと理解せんがためであった。■■■未来世において、まさしく家を出でて出家する善も、..■■■現在において、まさしく家を出でて出家 する善男子も、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。

これによりて、■■■■■「四つの真理」を勉励するがよい■■■■。


励は精進と書き替えます。

このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。

#6 <善男子> -3

ある時、世尊は、仰せられた。

過 去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。未来世 においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであろう。現在におい ても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。

過 去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。未来世において、ま さしく家を出でて出家する善男子も、..現在において、まさしく家を出でて出家する善男子も、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理 解せんがためである。

これによりて、「四つの真理」を精進するがよい。




善男子の、まさしを、釈迦の弟子たちと書き替えます。

このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。 

#6 <善男子> -4

■■■■■■■■■■■■■■

過去世■■■■■、■■■■■未来世■■■■■、■■■■■現在において■、まさしく家を出でて出家せる釈迦の弟子たちは、すべて、この「四つの真理」を、■■■■■理解せんがためである

過去世■■■■、■■■■■未来世■■■■、■■■■■現在において、釈迦の弟子たちは、■■■■■すべて、この「四つの真理」を、■■■■■理解せんがため■■■■■に■■■■■■精進する■■■。

のお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。

#6 <善男子> -5

過去世、未来世、 現在において、釈迦の弟子たちは、すべて、この「四つの真理」を、理解せんがためである(に精進する)。

過去世、未来世、現在において、釈迦の弟子たちは、すべて、この「四つの真理」を理解せんがために、精進する。

過去世、未来世、現在においてを、いつの時代も、と書き替えます。

このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。

#6 <善男子> -6

■■■■■
■■■■■

いつの時代も、釈迦の弟子たちは、■■■■■「四つの真理」を理解せんがために、精進する。

のお経の essence は、次のようになります。清書します。


#6 <善男子> -essence

9> 釈迦の弟子は、四つの真理を、理解せんがために精進する。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 7 / 11 )

#7 <苦行のこと> 

#7 <苦行のこと>                                
7 <苦行のこと> ー1 オリジナル
                南伝 相応部経典 4-1

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、ウルヴェーラー(優留毘羅)村の、ネーランジャラー(尼連禅)河のほとり、アジャパーラ・ニグローダ(阿闍波羅尼倶律陀)の樹の下にましました。まさしく、正覚を成就したもうた時のことであった。

その時、世尊は、ただひとり坐し、静かな思索のうちにあって、つぎのような思いをなしたもうた。

「ああ、わたしは、あの苦行から離れてよかった。ああ、わたしは、あのなんの利益もない苦行から離れてよかった。ぴたりと正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった」

その時、悪しきものマーラ(魔羅)は、世尊の心に思うところを知って、世尊のいますところに到った。到って偈をもって、世尊に語りかけていった。

   

 「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、これはあしきものマーラであると知って、偈をもってあしきもの魔羅に答えて仰せられた。

  

  「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。陸にあげられた舟の艪舵のごとく、すべて利をもたらすことはない。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めきたって、ついに無上の清浄にいたった」   (以下省略)


*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第4巻 118頁から抜粋

のお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#7 <苦行のこと> -2
               ■■■■■

■■■■■

■■■■世尊は、■■■■■正覚を成就し■■■た時■■■■■、■■■■■つぎのような思いをなし■■■た。

■■■■わたしは、■■苦行から離れてよかった。■■■わたしは、■■なんの利益もない苦行から離れてよかった。■■■■正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった。

その時、あしきものマーラは、■■■■■世尊のいますところに■■■■到って偈をもって、世尊に語りかけ■■■た。

   「苦行を離れざればこそ、
    若き人は清めらるるなり。
    汝、浄めの道をさまよい離れて、
    清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、これはあしきものマーラであると知って、■■■■■答え■■■■■た。

  「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。■■■■■わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めきたって、ついに無上の清浄にいたった」

のお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#7 <苦行のこと> -3

世尊は、正覚を成就した時、つぎのような思いをなした。

わたしは、苦行から離れてよかった。わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった。

その時、あしきものマーラは、世尊のいますところに到って偈をもって、世尊に語りかけた。

  「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、これは悪しきものマーラであると知って、答えた。
  「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めきたって、ついに無上の清浄にいたった」

のお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#7 <苦行のこと> -4

世尊は、正覚を成就した時、つぎのような思いをなした。

■■■■■わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった。

その時、あしきものマーラは、■■■■■世尊に語りかけた。

 「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、■■■■■仰せられた。

 「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修め■■■てついに無上の清浄にいたった」

のお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去します。

#7 <苦行のこと> -5

世尊は、正覚を成就した時、つぎのような思いをなした。
わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった。


その時、悪しきものマーラは、世尊に語りかけた。

  「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、仰せられた。
「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めて、ついに無上の清浄にいたった」



このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#7 <苦行のこと> -6

■■■■■

わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。

正念 (sati) に住して、さとりをうることができ■■■■■た。


■■■■■いかなる苦行も、利をもたらすことなし■■■■。わたしは、戒と定と慧とにより、■■悟りの道を修め■、■■■無上の清浄にいたった。


このお経の essence は、次のようになります。清書します。

#7 <苦行のこと> -essence

10> いかなる苦行も、利をもたらすことなし。
    わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。

11> 正念 (sati) に住して、さとりをうることができた。

12> わたしは、戒と定と慧とにより、悟りの道を修め、無上の清浄にいたった。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 8 / 11 )

#8 <八正道>

#8 <八正道>

8 <八正道> ー1 オリジナル
          南伝 長部経典 22 大念処経 21

次に、比丘等よ、苦滅道聖諦とは何ぞや。八支聖道、即ち正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念・正定これなり。

而して、比丘等よ、正見とは何ぞや。実に比丘等よ、苦に関する知、苦の集に関する知、苦の滅に関する知、苦の滅に到る道に関する知、これぞ、比丘等よ、正見とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正思とは何ぞや。無欲の思、無恚の思、無害の思、これぞ、比丘等よ、正思とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正業とは何ぞや。殺生よりの禁制、不与取よりの禁制、邪淫よりの禁制、これぞ、比丘等よ、正業とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正命とは何ぞや。ここに比丘等よ、聖弟子は邪命を捨て、正命に依りて命(生活)を営む。これぞ、比丘等よ、正命とは名づけらる。

次 に、比丘等よ、正精進とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は未生の悪、不善の法を生ぜざらしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤 む。巳生の悪、不善の法を遠離せむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。未生の善法を生ぜしめむとの決意を起すに努力し、精進を 為し、心を緊張せしむるに勤む。巳生の善法を住せしめ、惑乱せしめず、増長し、充満し、成立し、成就せしむる決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せ しむるに勤む。これぞ、比丘等よ、正精進とは名づけらる。

次に、比丘等よ、正念とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は身に就きて身を観じて住し、精励し、正念正智にし世の欲と悩とを捨し、受に就きて乃至心に就きて乃至法に就きて法を観じて住し、精励し、正念正智にして、世の欲と悩とを捨す。これぞ、比丘等よ、正念とは名づけらる。

次 に、比丘等よ、正定とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は欲を去り、不善法を離れて有尋有伺にして、離より生ぜる喜と楽とのある初禅に達して住す。尋伺を滅 して、内心静安となり、心専一となり、無尋無伺にして、定より生ぜる喜と楽とのある第二禅に達して住す。更に喜を離れ捨となりて住し、正念正智にして、身 を以て楽を感受し、唯、諸聖者が、「これ捨にして正念楽住なり」と説ける第三禅に達して住す。次に楽を捨て、苦を離れ、前に感じたる悦と憂とを共に滅した るが故に不苦不楽にして、捨念清浄となれる第四禅に達して住す。これぞ、比丘等よ、正定とは名づけらる。

比丘等よ、これぞ苦滅道聖諦とは名づけらる。

*南伝大蔵経(大蔵出版社) 長部経典 22 大念処経 21
より抜粋

滅道聖諦と八支聖道を八正道、正思:無欲の思、無恚の思、無害の思を不貪の思、不瞋の思、不痴の思と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#8 <八正道> ー2
         ■■■■■

■■■■■八正道■■とは何ぞや。八正■道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念・正定これなり。
■■■■■正見とは何ぞや。■■■■■苦に関する知、苦の集に関する知、苦の滅に関する知、苦の滅に到る道に関する知、これ[四つの智慧]ぞ、■■■■■正見とは名づけらる。
■■■■■正思とは何ぞや。不貪の思、不瞋の思、不痴の思、これぞ、■■■■■正思とは名づけらる。
■■■■■正語とは何ぞや。両舌よりの禁制、悪口よりの禁制、妄語よりの禁制、綺語よりの禁制、これぞ、
正語とは名づけらる。

■■■■■正業とは何ぞや。殺生よりの禁制、不与取よりの禁制、邪淫よりの禁制、これぞ、■■■■■正業とは名づけらる。
■■■■■正命とは何ぞや。■■■■■聖弟子は邪命を捨て、正命に依りて命(生活)を営む。これぞ、■■■■■正命とは名づけらる。

■■■■■正精進とは何ぞや。■■■■■未生の悪、不善の法を生ぜざらしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。巳生の悪、不善の法を遠離せむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。
未生の善法を生ぜしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。巳生の善法を住せしめ、惑乱せしめず、増長し、充満し、成立し、成就せしむる決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。これぞ、■■■■正精進とは名づけらる。


■■■■■正念とは何ぞや。■■■■■身に就きて身を観じて住し、精励し、正念正智にして世の欲と悩とを捨し、受に就きて乃至心に就きて乃至法に就きて法を観じて住し、精励し、正念正智にして、世の欲と悩とを捨す。これぞ、■■■■■正念とは名づけらる。

■■■■■ 正定とは何ぞや。■■■■■欲を去り、不善法を離れて有尋有伺にして、離より生ぜる喜と楽とのある初禅に達して住す。尋伺を滅して、内心静安となり、心専 一となり、無尋無伺にして、定より生ぜる喜と楽とのある第二禅に達して住す。更に喜を離れ捨となりて住し、正念正智にして、身を以て楽を感受し、唯、諸聖 者が、「これ捨にして正念楽住なり」と説ける第三禅に達して住す。次に楽を捨て、苦を離れ、前に感じたる悦と憂とを共に滅したるが故に不苦不楽にして、捨 念清浄となれる第四禅に達して住す。
これぞ、■■■■■正定とは名づけらる。

■■■■■


と悩は貪瞋痴と、書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#8 <八正道> ー3

八正道とは何ぞや。八正道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念・正定これなり。

(1) 正見とは何ぞや。苦に関する知、苦の集に関する知、苦の滅に関する知、苦の滅に到る道に関する知、これ[四つの智慧]ぞ、正見とは名づけらる。
(2) 正思とは何ぞや。不貪の思、不瞋の思、不痴の思、これぞ、正思とは名づけらる。
(3) 正語とは何ぞや。両舌よりの禁制、悪口よりの禁制、妄語よりの禁制、綺語よりの禁制、これぞ、正語とは名づけらる。
(4) 正業とは何ぞや。
殺生よりの禁制、不与取よりの禁制、邪淫よりの禁制、
これぞ、正業とは名づけらる。
(5) 正命とは何ぞや。聖弟子は邪命を捨て、正命に依りて命(生活)を営む。これぞ、正命とは名づけらる。
(6)正精進とは何ぞや。
未生の悪、不善の法を生ぜざらしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。

巳生の悪、不善の法を遠離せむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。
未生の善法を生ぜしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。 

巳生の善法を住せしめ、惑乱せしめず、増長し、充満し、成立し、成就せしむる決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。
これぞ、正精進とは名づけらる。

(7)正念とは何ぞや。
身に就きて身を観じて住し、精励し、正念正智にし貪瞋痴をし、受に就きて乃至心に就きて乃至法に就きて法を観じて住し、精励し、正念正智にして、貪瞋痴を捨す。これぞ、正念とは名づけらる。

(8) 次に、正定とは何ぞや。欲を去り、不善法を離れて有尋有伺にして、離より生ぜる喜と楽とのある初禅に達して住す。尋伺を滅して、内心静安となり、心専一と なり、無尋無伺にて、定より生ぜる喜と楽とのある第二禅に達して住す。更に喜を離れ捨となりて住し、正念正智にして、身を以て楽を感受し、唯、諸聖者が、 「これ捨にして正念楽住なり」と説ける第三禅に達して住す。次に楽を捨て、苦を離れ、前に感じたる悦と憂とを共に滅したるが故に不苦不楽にして、捨念清浄 となれる第四禅に達して住す。これぞ、正定とは名づけらる。





パーリ聖典のお経を讀んでいますと、八正道は、上記にように、いつでも、正見(四つの智慧)、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の順序で書いてあります。

私は、八正道のpractice(修行)を開始するに当り、書いてある通り、正見(四つの智慧)、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の順序で、practice(修行)を開始しようと試みました。

この場合は、正見(四つの智慧)の内容を他人から学ばないことには、次の戒(正思、正語、正業)、正しい生活(正命)、正精進、正念、正定のpracticeを行うことができません。

私は、熟考し、次のように、讀み替えました。正しい生活(正命)を開始して、正精進し、戒(正思、正語、正業)を守り、正念、正定のpracticeをすれば、その結果として、正見(四つの智慧)が生ずる、と。

すなわち、私は、八正道を、正命(正しい生活)、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)と書き替え、正命(正しい生活)を開始しました。

私は、正しい生活(正命)の中で、正精進し、戒(正思、正語、正業)を守り、正念、正定のpracticeを励みました。その結果、私に、正見(四つの智慧)が生じました。

私は、今後、八正道は、正命、正精進、正業、正語、正思、正念・正定、正見(四つの智慧)と書きます。

パーリ聖典の八正道のように、正見(四つの智慧)から始める場合は、正見(四つの智慧)の内容を他人から学ばざるを得ません。他人から学ばず、自力で正見(四つの智慧)が生ずるように励みましょう。


私は、八正道の文体を口語文に書き替えます。正精進、正念 (sati)、正定 (samadhi) 、正見(四つの智慧)は、私の経験を書きます。

八正道>の essence は、次のようになります。清書します。(永野)

#8 <八正道> ーessence

13>八正道とは、正命・正精進・正業・正語・正思・正念・
  正定・正見です。

1.正命(正しい生活)
14> 邪しまな生活を捨て、正しい生活をする。

2.正精進
15> (1) 不善(貪瞋痴)が未だ生じ (arise し) ていないならば、
     不善(貪瞋痴)が生じ (arise し) ないように精進する。
15> (2) 不善(貪瞋痴)が既に生じ (ariseし) たならば、
     不善(貪瞋痴)が滅 (cease) するように精進する。
15> (3)  善(不貪不瞋不痴)が未だ生じ (arise し) ていないな
   らば、善(不貪不瞋不痴)が生ず (arise す) るように精進
  する。
15> (4)  善(不貪不瞋不痴)が既に生じ (arise し) たならば、
      善(不貪不瞋不痴)が滅 (cease) しないように精進
   する。

3.正業(正しい行為)
16> (1) 殺生よりの禁制とは、不殺生:生物を殺さない。
16> (2) 不与取よりの禁制とは、不偸盗:与えられない物を取
   らない。盗まない。
16> (3) 邪淫よりの禁制とは、不邪淫: immoralな sexをしな
   い。

4.正語
17> (1) 両舌よりの禁制とは、不両舌:二枚舌を使わない。
17> (2) 悪口よりの禁制とは、不悪口:悪口を言わない。
17> (3) 妄語よりの禁制とは、不妄語:うそを言わない。
17> (4) 綺語よりの禁制とは、不綺語:無駄話をしない。

5.正思(正しい考え)
18> (1) 不貪の思:貪が生じているときは考えない。貪が生じ
  ていないときに考える。
18> (2) 不瞋の思:瞋が生じているときは考えない。瞋が生じ
  ていないときに考える。
18> (3) 不痴の思:痴が生じているときは考えない。痴が生じ
  ていないときに考える。

6.正念 (sati)
19> (1) 身 (body) につきて身 (body)を観じて住し、正念正智、
  貪瞋痴を捨す。
19> (2) 受につきて受を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
19> (3) 心につきて心を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
19> (4) 法につきて法を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。

7.正定 (samadhi)
20> (1) 第一定 有尋有伺、貪瞋痴の離より生ずる喜と楽を経
   験する
20> (2) 第二定 無尋無伺、定 (samadhi) より生ずる喜と楽を
  経験する。
20> (3) 第三定 喜を離れ、正念 (sati) 正智 (buddhi)、身を以
  て楽を経験する。upekkha 生ず。vipassana 生ず。
20> (4) 第四定 楽を離れ、正念 (sati) 正智 (buddhi)、不貪不
  瞋不痴(araga, adosa, amoha) を経験する。

8.正見(四つの智慧)
21> (1) 釈迦の教えは、貪瞋痴についての教えです。
21> (2) 貪瞋痴の生(arise) についての智慧、
21> (3) 貪瞋痴の滅(cease) についての智慧、
21> (4) 貪瞋痴を滅(cease) にする道についての智慧
  が生ずる。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 9 / 11 )

#9 <無明>

#9 <無明>

9 <無明> -1 オリジナル
              南伝 相応部経典 38-9

かようにわたしは聞いた。

ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。
その時、ジャンプカーダカ(閻浮車)なる遊行者が、長老サーリプッタを訪れてきて、たがいに会釈をかわし、親愛にみちた慇懃なる談話をまじえて、やがてその傍らに坐した。

傍らに坐したジャンプカーダカは、長老サーリプッタにいった。

「友サーリプッタよ、無明、無明といわれるが、友よ、いったい、無明とはなんであろうか」
「友よ、およそ、苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および、苦の滅尽にいたる道についての無智、友よ、これを称して無明というのである」

「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこにいたる方法があるであろうか」
「友よ、それらの無明を捨て去ってしまうには道がある。そこにいたる方法があるのである」

「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか」
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、それらの無明を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。友よ、これが、それらの無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである」

「友よ、この無明を捨て去ってしまう道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。友サーリプッタよ、それはまた勤めはげむに足る」


   *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第3巻 267頁より抜粋

のお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> -2
               ■■■■■
■■■■■
ある時、■■■■■ジャンプカーダカ■■■■■が、
■■■■■長老サーリプッタにいった。


■■■■■無明、無明といわれるが、■■■■■無明とはなんであろうか。
■■■■■苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、■■■■苦の滅尽にいたる道についての無智、■■■これ[四つの智慧が生じていないこと]を■■■無明という■■■■。

■では、■■■それらの無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこにいたる方法があるであろうか。
■■■■それらの無明を捨て去ってしまうには道がある。そこにいたる方法がある■■■■。

■では、■■■それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。
■■■■かの■■■八支の道こそは、それらの無明を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。■■■これが、■■■■無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。

■■■■■


のお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#9 <無明> -3

ある時、ジャンプカーダカなる遊行者が、長老サーリプッタに言った。

無明、無明といわれるが、無明とはなんであろうか。
苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および、苦の滅尽にいたる道についての無智、(四つの智慧が生じていないこと)を無明というのである。

では、それら無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこにいたる方法があるであろうか。
それらの無明を捨て去ってしまう道がある。そこにいたる方法がある。

それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか。

かの八支の道こそは、それらの無明を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。これが、無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。


支の道を八正道と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> -4

■■■■■無明とはなんであろうか。
■■■■■四つの智慧が生じていないこと■を無明という■■■■。

■■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■■■、■■■■■方法があるであろうか。
■■■■無明を捨て去ってしまうには道■■■■■方法がある。

■■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■■■、■■■■■方法■はなんであろうか。
                                                    
■■八正道■■は、■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■、それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
 
■■■■■


このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#9 <無明> -5

無明とはなんであろうか。
四つの智慧が生じていないことを無明という。

無明を捨て去ってしまう道、方法があるであろうか。
無明を捨て去ってしまうには道、方法がある。

無明を捨て去ってしまう道、方法はなんであろうか。
八正道は、無明を捨て去ってしまう道、それは、すなわち、正
見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> -6

■■■■■
四つの智慧が生じていないことを無明という。

■■■■■

八正道は、無明を捨て去る■■■■道、すなわち、正見、
正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


のお経の essence は、次のようになります。清書します。

#9 <無明> -essence

四つの智慧が生じていないことを無明という。

八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定である。



#9 <無明> -essenceには、重大な誤りがあります。(永野)

無智と無明は異なります。
四つの智慧が生じていないことは無明ではありません。無智です。無智は、未だ、正見(四つの智慧)が生じていないことです。無明は、未だ、四つの真理を理解していないことです。四つの真理を理解していないことを、無明といいます。


八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



#9 <無明> -essence を書き替えます。(永野)

#9 <無明> -essence (永野)

22> 無智と無明は異なります。

23> 無智とは、正見(四つの智慧)が生じていないこと。

24> 無明とは、四つの真理を理解していないこと。

25> 八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


nagano takeshi
作家:永野武
釈迦の教え-GotamaBuddhism-
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