釈迦の教え-GotamaBuddhism-

中編 第1章 釈迦の教えの立場(出発点)( 1 / 1 )

中編 釈迦の教え

中編 第1章 釈迦の教えの立場(出発点)
     お経:1>2-1>

1> 眼と色、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触、意と法を名づけて一切という。

眼、耳、鼻、舌、身、意を六官、眼、耳、鼻、舌、身を五官といいます。
色、声、香、味、触、法は、外界の information で、六官の対象です。
色、声、香、味、触、法などの外界の information は、五官に到達して、電気パルスに変わります。

釈迦出生の頃、インドでは、「神、魂、前世/来世、輪廻転生」を説くバラモン教が流行していました。

人間の能力では、「神、魂、前世/来世、輪廻転生」の存在は、経験できませんから、釈迦は、バラモン教の形而上学を批判否定して、「眼と色、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触、意と法を名づけて一切という」と宣言し、経験主義の立場に立ちました。

眼と色、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触、意と法を名づけて、一切といいます。
私は、色と眼、声と耳、香と鼻、味と舌、触と身、法と意を名づけて、一切といいます。

色声香味触法と眼耳鼻舌身意を名づけて、一切といいます。
外界の information と六官を名づけて、一切といいます。
釈迦は、外界の information と六官が、全宇宙の一切だといいます。






少々, オーバーな表現だと思いますが、釈迦は、Gotama Buddh-ismの立場(出発点)は、経験主義であると強調しました。

釈迦は、経験主義に立って、
2-1> 「色、受想行識は知るべきものである」と説きました。
色とは、物質、人間の身体 (body)、私の身体 (body)。
受想行識とは、人間の脳の精神現象。私の脳の精神現象。
色・受想行識とは、身体と脳、すなわち、人間、私です。

釈迦は、「私(自己)は、経験的に、知るべきものである」と説きました。私を識るには、科学の方法と同じように、私は、私を観察することから始めました。(自己観察)

中編 第2章 貪瞋痴の生 (arise)( 1 / 1 )

中編 第2章 貪瞋痴の生 (arise)
     お経:2-3>

2-3> 受想行識は、知るべきものである。

受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)と読みます。

受想行識を図表化します。(釈迦の時代の脳のモデル)

                           
 識とは、目覚めているとき、識、意識、認識が
あります。

 受とは、感覚、感受。視覚、聴覚、臭覚、味覚、
触覚。

想とは、知覚。それぞれの感覚に対するイメージ、表象。

行とは、脳の中枢。イメージに対して対応し、記憶を呼び起こ
し、思考します。

図表-1と図表-2を、一表に纏めますと、縁起-1/図表-3
ができます。

外界のinformation は、私が目覚めて
識があるとき、私の眼、私の耳、私の
鼻、私の舌、私の身に入り電気パルス
に変わり、神経を伝わって脳に達し、
受を経て想に至り、外界のinforma-
tion に相応するイメージ(表象)を
生じます。

このイメージに対して、脳の中枢(行)が記憶を呼び起こし、思
考を行いますと、activities が生じます。貪瞋痴が生じます。

例えば、美しい花を見れば、欲しい、取りたいとの貪(欲)が生
じます。
綺麗なお嬢さんに出会えば、話をしたい、友達になりたいとの貪(欲)が生じます。
快い音楽を聞けば、また聞きたいとの貪(欲)が生じます。
おいしそうな香りを嗅ぐと、食べたいとの貪(欲)が生じます。

貪(貪欲):今日の科学によりますと、人の脳の視床下部の近く
に、食の中枢と性の中枢があり、食欲と性欲を司ります。生存欲や自己顕示欲もあり、固体保存と種族保存のために多種多様な貪(欲)が生じます。

瞋(瞋恚):人は、貪(貪欲)を満たそうとしますが、満たない
とき、腹を立てます。怒ります。瞋ります。悪口を言います。そ
ねみます。ねたみます。争います。喧嘩をします。傷つけます。
国と国で戦争をします。核戦争をしないとは限りません。

痴(愚痴):人は、愚かなことを考え、愚かなことを言い、愚か
なことをします。

縁起-2/図表-4をご覧ください。

     

自然が発信するinformation と他人が発信する貪瞋痴という
informationは 、色声香味触として受信され、五官にて電気パルスに変換され、神経を通って脳に入り、脳の働き(識受想行)を経て、私の貪瞋痴というinformationとなり、自然と他人に対し
て、色声香味触として発信されます。

貪瞋痴というinformationの循環を縁起といいます。
縁起とは、この世、dukkha(パーリ語)のことです。
貪瞋痴というinformationが、この世の中を循環しています。

dukkha (貪瞋痴)に対して、sacca(真理)という言葉が使わ
れます。

私は、『どのようなときに、貪瞋痴は生ずるか』を、理解でき
ました。                      
でも、これは知識です。常識です 未だ、智慧・真理ではあり
ません。

中編 第3章 釈迦の教えの究極(最高)/貪瞋痴の滅(cease)( 1 / 1 )

中編 第3章 釈迦の教えの最高/貪瞋痴の滅(cease)
     お経:3>4>6>

3> 貪欲、瞋恚、愚痴を滅尽することを、あまねく知るという。
4> 貪瞋痴の壊滅を涅槃という。
6> 貪瞋痴の調伏/壊滅を、涅槃とも不死ともいう。

貪欲、瞋恚、愚痴を略して、貪瞋痴といいます。
滅尽、壊滅、調伏は、滅と同義語です。
あまねく知る、涅槃、不死は、さとる、さとりと同義語です。

3>4>6> 貪瞋痴の滅を、さとりといいます。

◎貪瞋痴の滅について

私が生まれてから死ぬまで、私の貪瞋痴は、生じては滅し生じては滅しています。
生じ滅するのは、arise/destroy でしょうか。arise/cease でしょうか。原始仏教の本の殆どは、滅にdestroy の意味を持たせています。

存在するものはすべて、生滅変化しています。生滅変化しないものはありません、と現代の物理学はいいます。

現 代の脳の科学は、視床下部の近くにある食の中枢と性の中枢を外科切開しない限り、 貪瞋痴を滅 (destroy) することはできないといいます。外科切開したら生きていられません。貪瞋痴の滅は、滅 (cease) で、滅(destroy) ではないと、私は考えます。

3>4>6> 貪瞋痴の滅 (cease) を経験する。そのことを、さとりといいます。                  
3>4>6> 釈迦の教えの最高は、私が私の貪瞋痴の滅(cease) を経験することです。

ここで、私は、「釈迦の教えは苦についての教えではない、貪瞋痴についての教えです」と、教えられました。私は、素晴らしいことに気づきました。
釈迦の教えは、貪瞋痴についての教えです、と。

中編 第4章 釈迦の教えの修行法(八正道)( 1 / 1 )

中編 第4章 釈迦の教えの修行法/八正道
     お経:5-1>5-2>7-1>7-2>13>
        25-1>25-2>10>11>12>

5-1> 八正道は、涅槃を実現する道である。
7-1> 八正道は、涅槃/不死にいたる道である。
25-1> 八正道は、無明を捨て去る道である。
5-1>7-1>25-1> 八正道は、涅槃を実現する道、涅槃/不死にいたる道、無明を捨て去る道である。

3>4>6> 釈迦の教えの最高は、私が、私の貪瞋痴の滅 (cease)を経験することです。

5-1>7-1>25-1>3>4>6> 八正道は、涅槃を実現する道、涅槃/不死にいたる道、無明を捨て去る道、貪瞋痴 の滅 (cease)/ 釈迦の教えの最高を経験する道である。

5-2> 八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
7-2> 八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
13> 八正道とは、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。
25-2> 八正道は、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。
5-2>7-2>13>25-2> 八正道は、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。

10> いかなる苦行も、利をもたらすことなし。わたしは、 なんの利益もない苦行から離れてよかった。
    (苦行はしない。苦行は不要です、と)

11> 正念(sati)に住して、さとりを得ることができた。

12> わたしは、戒と定と慧とにより、悟りの道を修め、無上の清浄にいたった。

悟りの道とは、八正道のこと。無上の清浄にいたるとは、釈迦の教えの究極(最高)/涅槃にいたるです。

10>11>12> 苦行をせずに、八正道の戒と念 (sati) と定 (samadhi) と智慧とにより、わたしは、釈迦の教えの最高/貪瞋痴の滅 (cease) を経験し、釈迦の教えの究極/四つの真理を理解しました。

10>11>12>  苦行をせずに、八正道、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念 (sati)、正定 (samadhi) 、正見(四つの智慧)により、特に、正念 (sati) に住して、わたしは、釈迦の教えの最高/貪瞋痴の滅 (cease)を経験し、釈迦の教えの究極/四つの真理を理解しました。

5ー2>7ー2>13>25ー2>、10>11>12> 
     釈迦の教えの修行法は、八正道、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念(sati)、正定(samadhi)、 正見(四つの智慧で、苦行は不要です。正念 (sati) は、格別に大切で、正念(sati) に住して、わたしは、釈迦の教えの最高/貪瞋痴の滅(cease) を経験し、釈迦の教えの究極/四つの真理を理解しました。

以上にて、私に、釈迦の教えの修行法は、八正道とわかりました。 
nagano takeshi
作家:永野武
釈迦の教え-GotamaBuddhism-
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