中編 第2章 貪瞋痴の生 (arise)
お経:2-3>
2-3> 受想行識は、知るべきものである。
受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)と読みます。
受想行識を図表化します。(釈迦の時代の脳のモデル)
識とは、目覚めているとき、識、意識、認識が
あります。
受とは、感覚、感受。視覚、聴覚、臭覚、味覚、
触覚。
想とは、知覚。それぞれの感覚に対するイメージ、表象。
行とは、脳の中枢。イメージに対して対応し、記憶を呼び起こ
し、思考します。
図表-1と図表-2を、一表に纏めますと、縁起-1/図表-3
ができます。
外界のinformation は、私が目覚めて
識があるとき、私の眼、私の耳、私の
鼻、私の舌、私の身に入り電気パルス
に変わり、神経を伝わって脳に達し、
受を経て想に至り、外界のinforma-
tion に相応するイメージ(表象)を
生じます。
このイメージに対して、脳の中枢(行)が記憶を呼び起こし、思
考を行いますと、activities が生じます。貪瞋痴が生じます。
例えば、美しい花を見れば、欲しい、取りたいとの貪(欲)が生
じます。
綺麗なお嬢さんに出会えば、話をしたい、友達になりたいとの貪(欲)が生じます。
快い音楽を聞けば、また聞きたいとの貪(欲)が生じます。
おいしそうな香りを嗅ぐと、食べたいとの貪(欲)が生じます。
貪(貪欲):今日の科学によりますと、人の脳の視床下部の近く
に、食の中枢と性の中枢があり、食欲と性欲を司ります。生存欲や自己顕示欲もあり、固体保存と種族保存のために多種多様な貪(欲)が生じます。
瞋(瞋恚):人は、貪(貪欲)を満たそうとしますが、満たない
とき、腹を立てます。怒ります。瞋ります。悪口を言います。そ
ねみます。ねたみます。争います。喧嘩をします。傷つけます。
国と国で戦争をします。核戦争をしないとは限りません。
痴(愚痴):人は、愚かなことを考え、愚かなことを言い、愚か
なことをします。
縁起-2/図表-4をご覧ください。
自然が発信するinformation と他人が発信する貪瞋痴という
informationは 、色声香味触として受信され、五官にて電気パルスに変換され、神経を通って脳に入り、脳の働き(識受想行)を経て、私の貪瞋痴というinformationとなり、自然と他人に対し
て、色声香味触として発信されます。
貪瞋痴というinformationの循環を縁起といいます。
縁起とは、この世、dukkha(パーリ語)のことです。
貪瞋痴というinformationが、この世の中を循環しています。
dukkha (貪瞋痴)に対して、sacca(真理)という言葉が使わ
れます。
私は、『どのようなときに、貪瞋痴は生ずるか』を、理解でき
ました。
でも、これは知識です。常識です 未だ、智慧・真理ではあり
ません。
中編 第5章 釈迦の教えの究極/四つの真理
私は、既に、本書の中編 第2章、第3章、第4章にて、パーリ聖典が説く、四つの真理を、知識として学びました。
貪瞋痴の生 (arise) についての真理:(中編 第2章)
外界の information は、私が目覚め識があるとき、私の眼、私の耳、私の鼻、私の舌、私の身に入り、電気のパルスに変わり、神経を伝わって脳に達し、受を経て想に至り、外界の informationに相応するイメージ(表象)を生じます。
このイメージに対して、脳の中枢(行)が記憶を呼び起こし、思考を行いますと、貪瞋痴が生じます、と。
貪瞋痴の滅 (cease) についての真理:(中編 第3章)
釈迦の教えの最高は、私が、私の貪瞋痴の滅 (cease) を経験することです。貪瞋痴の滅 (cease) を経験する、そのことをさとりといいます、と。
貪瞋痴を滅 (cease) にする道についての真理:(中編 第4章)釈迦の教えの修行法は、八正道、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念(sati)、正定 (samadhi)、正見(四つの智恵)で、苦行は不要です、と。
私は、四つの真理は、『釈迦の教えは貪瞋痴についての教え』です、と教えられました
私は、本書中編にて、パーリ聖典のお経の essence を整理編集して、
中編 第1章にて、釈迦の教えの出発点(立場)
中編 第2章にて、貪瞋痴の生 (arise)
中編 第3章にて、釈迦の教えの最高/貪瞋痴の滅(cease)
中編 第4章にて、釈迦の教えの修行法(八正道)
中編 第5章にて、釈迦の教えの究極/四つの真理
を知識として会得しました。
私が知識として会得した四つの真理は、釈迦が説いた Gotama Buddhismの全部です。総てです。具体的なシステム(体系)です。
四つの真理は、釈迦の教えは貪瞋痴についての教えです、と知った上で、いよいよ、 八正道の practice をして、貪瞋痴の滅 (cease) を経験する段になりました。
以下、私は、後編 第1章にて、私がこの私を観察(自己観察)して、「いま、ここ、私」を経験し、後編 第2章にて、
八
正道のpractice、特に、念 (sati) → 定 (samadhi)
のpractice を励みましたところ、四つの智慧(正見)が生じて、八正道を完成し、さらに念 (sati) →定 (samadhi)
のpractice を続けましたところ、四つの真理を理解しました。
どうか、皆様も、八正道、特に念 (sati)→定 (samadhi) の practice を励まれて、貪瞋痴の滅 (cease) /釈迦の教えの最高を経験し、四つの真理/釈迦の教えの究極を理解していただきたいと存じます。