前編 第3章 お経の essence一覧表(10経)
パーリ聖典10経27essenceを集めて一覧表を作成いたしました。
パーリ聖典 10経の essence 一覧表
13> 八正道は、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見です。
1. 正命(正しい生活)
14 > 邪しまな生活を捨て、正しい生活をする。
2. 正精進
15>(1) 不善(貪瞋痴)が未だ生じ (arise し)ていないならば、不善(貪瞋痴)が生じ (arise し)ないように精進する。
15>(2) 不善(貪瞋痴)が既に生じ (arise し)たならば、不善(貪瞋痴)が滅 (cease) するように精進する。
15>(3) 善(不貪不瞋不痴)が未だ生じ (arise し)ていない ならば、 善(不貪不瞋不痴)が生ず(ariseす)るように精進する。
15>(4) 善(不貪不瞋不痴)が既に生じ (arise し)たならば、善(不貪不瞋不痴)が滅 (cease) しないように精進する。
3. 正業(正しい行為)
16>(1) 殺生よりの禁制とは、不殺生:生物を殺さない。
16>(2) 不与取よりの禁制とは、不偸盗:与えられないもの を取らない。盗まない。
16>(3) 邪淫よりの禁制とは、不邪淫:immoral な sex をしない。
4. 正語
17>(1) 両舌よりの禁制とは、不両舌:二枚舌を使わない。
17>(2) 悪口よりの禁制とは、不悪口:悪口を言わない。
17>(3) 妄語よりの禁制とは、不妄語:うそを言わない。
17>(4) 綺語よりの禁制とは、不綺語:無駄話をしない。
5. 正思(正しい考え)
18>(1) 不貪の思:貪が生じているときは考えない。貪が生じていないときに考える。
18>(2) 不瞋の思:瞋が生じているときは考えない。瞋が生じていないときに考える。
18>(3) 不痴の思:痴が生じているときは考えない。痴が生じていないときに考える。
6. 正念 (sati)
19>(1) 身 (body) につきて身 (body) を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
19>(2) 受につきて受を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
19>(3) 心につきて心を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
19>(4) 法につきて法を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
7. 正定 (samadhi)
20>(1) 第一定 有尋有伺、貪瞋痴の離より生ずる喜と楽を経験する。
20>(2) 第二定 無尋無伺、定 (samadhi) より生ずる喜と楽を経験する。
20>(3) 第三定 喜を離れ、正念 (sati) 正智 (buddhi)、身 (body) を以て楽を経験する。uppekkha生ず。vipassana 生ず。
20>(4) 第四定 楽を離れ、正念 (sati) 正智 (buddhi)、不貪不瞋不痴(araga, adosa, amoha) を経験する。
8. 正見(四つの智慧)
21>(1) 釈迦の教えは貪瞋痴についての教えです。
21>(2) 貪瞋痴の生 (arise) についての智慧、
21>(3) 貪瞋痴の滅 (cease) についての智慧、
21>(4) 貪瞋痴を滅 (cease) にする道についての智慧が生ずる。
22> 無智と無明は異なります。
23> 無智とは、正見(四つの智慧)が、生じていないこと。
24> 無明とは、四つの真理を、理解していないこと。
25ー1> 八正道は、無明を捨て去る道です。
25ー2> 八正道は、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。
番外> <如来所説>の四つの真理:
番外>(1) 如来の教えは、苦についての教えです。
番外>(2) 苦の生起の真理とは、迷いの生涯を引き起こす渇愛がそれである。
番外>(3) 苦の滅尽の真理とは、その渇愛を滅して、執着なきにいたるのである。
番外>(4) 苦を滅尽する道の真理とは、八正道である。
中編 第2章 貪瞋痴の生 (arise)
お経:2-3>
2-3> 受想行識は、知るべきものである。
受(じゅ)、想(そう)、行(ぎょう)、識(しき)と読みます。
受想行識を図表化します。(釈迦の時代の脳のモデル)
識とは、目覚めているとき、識、意識、認識が
あります。
受とは、感覚、感受。視覚、聴覚、臭覚、味覚、
触覚。
想とは、知覚。それぞれの感覚に対するイメージ、表象。
行とは、脳の中枢。イメージに対して対応し、記憶を呼び起こ
し、思考します。
図表-1と図表-2を、一表に纏めますと、縁起-1/図表-3
ができます。
外界のinformation は、私が目覚めて
識があるとき、私の眼、私の耳、私の
鼻、私の舌、私の身に入り電気パルス
に変わり、神経を伝わって脳に達し、
受を経て想に至り、外界のinforma-
tion に相応するイメージ(表象)を
生じます。
このイメージに対して、脳の中枢(行)が記憶を呼び起こし、思
考を行いますと、activities が生じます。貪瞋痴が生じます。
例えば、美しい花を見れば、欲しい、取りたいとの貪(欲)が生
じます。
綺麗なお嬢さんに出会えば、話をしたい、友達になりたいとの貪(欲)が生じます。
快い音楽を聞けば、また聞きたいとの貪(欲)が生じます。
おいしそうな香りを嗅ぐと、食べたいとの貪(欲)が生じます。
貪(貪欲):今日の科学によりますと、人の脳の視床下部の近く
に、食の中枢と性の中枢があり、食欲と性欲を司ります。生存欲や自己顕示欲もあり、固体保存と種族保存のために多種多様な貪(欲)が生じます。
瞋(瞋恚):人は、貪(貪欲)を満たそうとしますが、満たない
とき、腹を立てます。怒ります。瞋ります。悪口を言います。そ
ねみます。ねたみます。争います。喧嘩をします。傷つけます。
国と国で戦争をします。核戦争をしないとは限りません。
痴(愚痴):人は、愚かなことを考え、愚かなことを言い、愚か
なことをします。
縁起-2/図表-4をご覧ください。
自然が発信するinformation と他人が発信する貪瞋痴という
informationは 、色声香味触として受信され、五官にて電気パルスに変換され、神経を通って脳に入り、脳の働き(識受想行)を経て、私の貪瞋痴というinformationとなり、自然と他人に対し
て、色声香味触として発信されます。
貪瞋痴というinformationの循環を縁起といいます。
縁起とは、この世、dukkha(パーリ語)のことです。
貪瞋痴というinformationが、この世の中を循環しています。
dukkha (貪瞋痴)に対して、sacca(真理)という言葉が使わ
れます。
私は、『どのようなときに、貪瞋痴は生ずるか』を、理解でき
ました。
でも、これは知識です。常識です 未だ、智慧・真理ではあり
ません。