釈迦の教え-GotamaBuddhism-

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 1 / 11 )

#1<一切>

前編 第2章 墨消し法によりお経の essence を求める
                     (10経)

「読書百回、意、自ずから通ず」
墨消し法をいたしますと、お経に慣れ、用語に慣れます。
私は、今日まで、日本語の仏教辞典を持っていません。

墨消し法により、パーリ聖典10経のお経のessenceを求めましょう。


1 <一切>

1 <一切> -1 オリジナル
             南伝 相応部経典 35-23

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。

その時、世尊は、「比丘たちよ」と呼ばせたまい、彼ら比丘たちは、「大徳よ」と答えた。そこで、世尊は、つぎのように説いて仰せられた。

「比丘たちよ、なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(物体)とである。耳と声とである。鼻と香とである。舌と味とである。身と触(感触)とである。意と法(観念)とである」


「比丘たちよ、これらを名づけて一切というのである。比丘たちよ、もし人ありて、<わたしは、この一切を捨てて他
の一切を説こう>と、そのように言うものがあったならば、それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。何故であろうか。比丘たちよ、それは、ありもしないものを語っているからである」


*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3卷 31頁より抜


のお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#1 <一切> -2
              ■■■■■

■■■■■

ある時、世尊は、■■■■■つぎのように■■■仰せられた。■■■■■なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(物体)■■■■、耳と声、■■■、鼻と香■■■■、舌と味■■■■、身と触(感触)■■■■■意と法(観念)とである。■■■■■これらを名づけて一切という■■■■。


■■■■■もし人ありて、「わたしは、この一切を捨てて他の一切を説こう」と、そのように言うものがあったならば、そ
れは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。
何故であろうか。■■■■■それは、ありもしないものを語っているからである。


体を眼の対象、感触を touch、観念を dhammaと 書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#1 <一切> -3

ある時、世尊は、つぎのように仰せられた。


なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(眼の対象)、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触(touch)、意と法
(dhamma) とである。これらを名づけて一切という。


もし人ありて、「わたしは、この一切を捨てて他の一切を説こう」と、そのように言うものがあったならば、それは、ただ言葉があるのみであって、他の人の問いに遇えば、よく説明できないばかりか、さらに困難に陥るであろう。何故であろうか。それは、ありもしないものを語っているからである。


のお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#1 <一切> -4

■■■■■

なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(眼の対象)、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触(touch)、意と法
(dhamma) とである。これらを名づけて一切という。

■■■■■
■■■■■


のお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。

#1 <一切> -5

なにおか一切となすであろうか。それは、眼と色(眼の対象)、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触(touch)、意と法(dhamma) とである。これらを名づけて一切という。


のお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#1 <一切> -6

■■■■■眼と色■■■■■、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触■■■■、意と法■■■■

■■■を名づけて一切という。


のお経の essence は、次のようになります。清書します。

#1 <一切> ーessence

1> 眼と色、耳と声、鼻と香、舌と味、身と触、意と法を名づけて一切という。


前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 2 / 11 )

#2 <知るべきもの>

#2 <知るべきもの>

2 <知るべきもの> -オリジナル
              南伝 相応部経典 23-4
かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、長老ラーダ(羅陀)は、世尊のましますところに至り、世尊を拝して、その傍らに坐した。

傍らに坐したラーダにむかって、世尊は仰せられた。
「ラーダよ、いま、知らるべきものと、あまねく知ることと、および、あまねく知れる人について、説こうと思う。よく聞い
ておくがよい」

そして、世尊は説きたもうた。
「ラーダよ、知らねばならぬものとは、なんであろうか。ラーダよ、色(肉体)は知らねばならぬものである。受(感覚)は
知らねばならぬものである。想(表象)は知らねばならぬものである。行(意思)は知らねばならぬものである。また、識(意識)は知らねばならぬものである。ラーダよ、こういうものを、知らるべきものであるというのである。

ラーダよ、では、あまねく知るとは、どういうことであろうか。ラーダよ、貪欲を滅しつくすことと、瞋恚を滅しつくすことと、愚痴を滅しつくすことである。ラーダよ、そういうことを、あまねく知るというのである。

では、あまねく知れる人とは、どういう人であろうか。それは、阿羅漢を指していう言葉である。その名をこれこれといい、その姓をこれこれという長老がそれなのである。ラーダよ、そのような人を呼んで、あまねく知れる人とはいうのである」

増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第2巻 223頁より抜粋


のお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#2 <知るべきもの> -2
                ■■■■■
■■■■■

ある時、世尊は、■■■■■仰せられた。
■■■■■知■るべきものと、あまねく知ること■■■■■について説こうと思う。

■■■■■

■■■■世尊は説きたもうた。■■■■■知らねばならぬものとは、なんであろうか。
■■■■■色(肉体)は知らねばならぬものである。受(感覚)は知らねばならぬものである。想(表象)は知らねばならぬものである。行(意思)は知らねばならぬものである。また、識(意識)は知らねばならぬものである。■■■■■こういうものを、知■るべきものであるという■■■■。


■■■■■では、あまねく知るとは、どういうことであろうか。
■■■■■貪欲を滅しつくすことと、瞋恚を滅しつくすことと、愚痴を滅しつくすことである。■■■■■そういうことを、あまねく知るというのである。


■■■■■
■■■■■


体をbody、表象を知覚、意思を脳の中枢、意識を意識/認識と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#2 <知るべきもの> -3

ある時、世尊は、仰せられた。

知るべきものと、あまねく知ることについて説こうと思う。

世尊は説きたもうた。
知らねばならぬものとは、なんであろうか。
(1) 色 (body) は知らねばならぬものである。
(2) 受(感覚)は知らねばならぬものである。
(3) 想(知覚)は知らねばならぬものである。
(4) 行(脳の中枢)は知らねばならぬものである。
(5) 識(意識/認識)は知らねばならぬものである。
こういうものを、知るべきものであるという。

では、あまねく知るとは、どういうことであろうか。
(1) 貪欲を滅しつくすことと、
(2) 瞋恚を滅しつくすことと、
(3) 愚痴を滅しつくすことである。
そういうことを、あまねく知るというのである。


しつくすを滅尽と書き直します。

このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#2 <知るべきもの> -4

ある時、世尊は、■■■■■知るべきものと、
あまねく知ることについて■■■■■説きたもうた。

知らねばならぬものとは、なんであろうか。
(1) 色 (body) ■■■■■
(2) 受(感覚)■■■■■、
(3) 想(知覚)■■■■■、
(4) 行(脳の中枢)■■■■■、
(5) 識(意識/認識)は知らねばならぬものである。
こういうものを、知るべきものであるという。

■■■あまねく知るとは、どういうことであろうか。
(1) 貪欲■■■■■、
(2) 瞋恚■■■■■、
(3) 愚痴を滅尽■■することである。
そういうことを、あまねく知るというのである。

のお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しま
しょう。

#2 <知るべきもの> -5

ある時、世尊は、知るべきものと、あまねく知ることについて
説きたもうた。

知らねばならぬものとは、なんであろうか。
(1) 色(body)、(2) 受(感覚)、(3) 想(知覚)、(4) 行(脳の中枢)、(5) 識(dhamma) は知らねばならぬものである。こういうものを、知るべきものであるという。

あまねく知るとは、どういうことであろうか。
(1) 貪欲、(2) 瞋恚、(3) 愚痴を滅尽することである。
そういうことを、あまねく知るというのである。


のお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#2 <知るべきもの> -6

■■■■■

■■■■■
■色■■■、■受■■■、■想■■■、■行■■■、
■識■■■は■■■、知るべきものである■■■。

■■■■■
■貪欲、■瞋恚、■愚痴を滅尽する■■■■■ことを、あまねく知るという■■■■。


このお経の essence は次のようになります。清書します

#2 <知るべきもの> -essence

2>   色、受、想、行、識は、知るべきものである。

2-1> 色、受想行識は、知るべきものである。
2-2> 色は、知るべきものである。
2-3> 受想行識は、知るべきものである。

3>   貪欲、瞋恚、愚痴を滅尽することを、あまねく知るという。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 3 / 11 )

#3 <涅槃>

#3 <涅槃>

3 <涅槃>ー1 オリジナル
                  南伝 相応部経典 38ー1

かようにわたしは聞いた。 

ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。その時、ジャンプカーダカ(閻浮車)なる遊行者が、長老サーリプッタを訪れてきて、たがいに会釈をかわし、親愛にして慇
懇なる談話を交えて、やがて傍らに坐した。

「友サ-リプッタよ、涅槃、涅槃といわれるが、いったい、涅槃とはなんであろうか」
「友よ、およそ貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである」

「では、友よ、その涅槃を実現するに道があるであろうか。そこにいたる方法があるであろうか」
「友よ、その涅槃を実現するには道がある。そこにいたる方法がある」

「では、友よ、その涅槃を実現する道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか」
「友よ、聖なる八支の道こそは、その涅槃を実現する道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。これが、その涅槃を実現する道であり、そこにいたる方法なのである」

「友よ、この涅槃を実現する道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。「友サ-リプッタよ、それはまた勤め励むに足る」



         *増谷文雄「阿含経典(筑摩書房)第3巻87頁より抜粋 

のお経のessenceを求めて、不要の文字を消去しましょう。

#3 <涅槃> ー2

■■■■■

ある時、■■■■■ジャンプカーダカ■■■■が、長老サーリプッタを訪れてき■■■■■た。

「■■■■■涅槃、涅槃といわれるが、■■■■■涅槃とはなんであろうか」
「■■■■■貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである」

「■■■■■涅槃を実現するに道があるであろうか。そこにいたる方法があるであろうか」
「■■■■■涅槃を実現する■■道がある。
そこにいたる方法がある■■■■。

「■■■■■涅槃を実現する道■はなにか。
そこにいたる方法■はなんであろうか」
「■■■■聖なる八支の道こそは、その涅槃を実現する道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。これが、その涅槃を実現する道であり、そこにいたる方法■■である」

「■■■■■涅槃を実現する道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。■■■■■それは■■勤め励むに足る」



貪欲、瞋恚、愚痴を称して、貪瞋痴と書きます。
貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅を略して、貪瞋痴の壊滅と書きます。聖なる八支の道を八正道と書き替えます。

このお経のessenceを求めて、不要の■■を消去しましょう。

#3 <涅槃> ー3

ある時、ジャンプカーダカが、長老サーリプッタを訪れてきた。

涅槃、涅槃といわれるが、涅槃とはなんであろうか。
貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを称して涅槃というのである。

涅槃を実現するに道があるであろうか。そこにいたる方法があるであろうか。
涅槃を実現する道がある。そこにいたる方法がある。

涅槃を実現する道はなにか。そこにいたる方法はなんであろうか。
八正道こそは、その涅槃を実現する道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。これが、その涅槃を実現する道であり、そこにいたる方法である。

涅槃を実現する道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。それは勤め励むに足る。

のお経のessenceを求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#3 <涅槃> ー4

■■■■■

■■■■■涅槃とはなんであろうか。
貪瞋痴の壊滅■■■を称して涅槃という■■■■。

涅槃を実現するに道■■■■■、■■■■■方法があるであろうか。
涅槃を実現する道■■■、■■■■■方法がある。

涅槃を実現する道、■■■■■方法はなんであろうか。
八正道こそは、その涅槃を実現する道■■■、■■■■すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。

■■■■■
■■■■■


のお経のessenceを求めて、さらに、不要の■■を消去しま
しょう。

#3 <涅槃> ー5

涅槃とはなんであろうか。
貪瞋痴の壊滅を称して涅槃という。

涅槃を実現するに道、方法があるであろうか。
涅槃を実現する道、方法がある。

涅槃を実現する道、方法はなんであろうか。
八正道こそは、その涅槃を実現する道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


のお経のessenceを求めて、さらに、不要のを消去しましょう。

#3 <涅槃> ー6

■■■■■
貪瞋痴の壊滅を■■■涅槃という。

■■■■■
■■■■■

■■■■■
八正道■■は、■■涅槃を実現する道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



このお経のessenceは、次のようになります。清書します。

# <涅槃> ーessence

4>   貪瞋痴の壊滅を涅槃という。

5ー1> 八正道は、涅槃を実現する道である。 
5ー2> 八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 4 / 11 )

#4 <一比丘>

#4 <一比丘>

4 <一比丘> -1 オリジナル
              南伝 相応部経典 45-7

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、一人の比丘があり、世尊のましますところに到り、世尊を拝して、その傍らに坐した。
傍らに坐したかの比丘は、世尊に申しあげた。


「大徳よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、大徳よ、いったい、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか」
「比丘よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。これをもって、もろもろの煩悩の滅尽を説くのである」

世尊がかくのごとく説きたまえるとき、かの比丘は、また世尊に申しあげた。
「大徳よ、また、不死、不死と仰せられますが、大徳よ、いったい、不死とはいかなることでありましょうか。また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか」

「比丘よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死というのである。そして、かの聖なる八支の道こそが、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である」


  *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 149頁より抜粋

支の道は八正道と、書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#4 <一比丘> -2

                ■■■■■
■■■■■

ある時、■■■■■
■■■■一人の比丘が■■■■■世尊に申しあげた。

■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。
■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。■■■■■

■■■■■かの比丘は、また世尊に申しあげた。
■■■■■不死、不死と仰せられますが、■■■■■不死とはいかなることでありましょうか。また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。

■■■■■貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死という■■■■。■■■■■八正■道■■が、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



貪欲、瞋恚、愚痴を、貪瞋痴、と書き替えます。
貪欲、瞋恚、愚痴の調伏/壊滅を、貪瞋痴の調伏/壊滅と書き替えます。

調伏と壊滅、涅槃と不死は、同義語です。

このお経の essence を求めて、不要の■■を消去します。

#4 <一比丘> -3

ある時、一人の比丘が、世尊に申しあげた。

「貪瞋痴の調伏と仰せられますが、貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。                                                    

貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。

かの比丘は、また世尊に申しあげた。

不死、不死と仰せられますが、不死とはいかなることでありましょうか。
また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。

貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#4 <一比丘> -4

■■■■■

貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、■■■しょうか。

貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを■■■いう言葉である。

■■■■■不死とはいかなることで■■■しょうか。
■■■不死にいたる道は、どのようなもので■■■しょうか。

貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しま
す。

#4 <一比丘> -5

貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉でしょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまをいう言葉である。

不死とはいかなることでしょうか。
不死にいたる道は、どのようなものでしょうか。

貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。




このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しま
しょう。

#4 <一比丘> -6

■■■■■
貪瞋痴の調伏とは、涅槃■■■をいう■■■■■。

■■■■■

貪瞋痴の壊滅を■■■■不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



このお経の essence は、次のようになります。清書します。


#4 <一比丘> -essence


6> 貪瞋痴の調伏/壊滅を、涅槃とも不死ともいう。


7ー1> 八正道は、涅槃/不死にいたる道である。
7ー2> 八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、 正念、正定である。

nagano takeshi
作家:永野武
釈迦の教え-GotamaBuddhism-
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