釈迦の教え-GotamaBuddhism-

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 8 / 11 )

#8 <八正道>

#8 <八正道>

8 <八正道> ー1 オリジナル
          南伝 長部経典 22 大念処経 21

次に、比丘等よ、苦滅道聖諦とは何ぞや。八支聖道、即ち正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念・正定これなり。

而して、比丘等よ、正見とは何ぞや。実に比丘等よ、苦に関する知、苦の集に関する知、苦の滅に関する知、苦の滅に到る道に関する知、これぞ、比丘等よ、正見とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正思とは何ぞや。無欲の思、無恚の思、無害の思、これぞ、比丘等よ、正思とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正業とは何ぞや。殺生よりの禁制、不与取よりの禁制、邪淫よりの禁制、これぞ、比丘等よ、正業とは名づけらる。
次に、比丘等よ、正命とは何ぞや。ここに比丘等よ、聖弟子は邪命を捨て、正命に依りて命(生活)を営む。これぞ、比丘等よ、正命とは名づけらる。

次 に、比丘等よ、正精進とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は未生の悪、不善の法を生ぜざらしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤 む。巳生の悪、不善の法を遠離せむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。未生の善法を生ぜしめむとの決意を起すに努力し、精進を 為し、心を緊張せしむるに勤む。巳生の善法を住せしめ、惑乱せしめず、増長し、充満し、成立し、成就せしむる決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せ しむるに勤む。これぞ、比丘等よ、正精進とは名づけらる。

次に、比丘等よ、正念とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は身に就きて身を観じて住し、精励し、正念正智にし世の欲と悩とを捨し、受に就きて乃至心に就きて乃至法に就きて法を観じて住し、精励し、正念正智にして、世の欲と悩とを捨す。これぞ、比丘等よ、正念とは名づけらる。

次 に、比丘等よ、正定とは何ぞや。ここに比丘等よ、比丘は欲を去り、不善法を離れて有尋有伺にして、離より生ぜる喜と楽とのある初禅に達して住す。尋伺を滅 して、内心静安となり、心専一となり、無尋無伺にして、定より生ぜる喜と楽とのある第二禅に達して住す。更に喜を離れ捨となりて住し、正念正智にして、身 を以て楽を感受し、唯、諸聖者が、「これ捨にして正念楽住なり」と説ける第三禅に達して住す。次に楽を捨て、苦を離れ、前に感じたる悦と憂とを共に滅した るが故に不苦不楽にして、捨念清浄となれる第四禅に達して住す。これぞ、比丘等よ、正定とは名づけらる。

比丘等よ、これぞ苦滅道聖諦とは名づけらる。

*南伝大蔵経(大蔵出版社) 長部経典 22 大念処経 21
より抜粋

滅道聖諦と八支聖道を八正道、正思:無欲の思、無恚の思、無害の思を不貪の思、不瞋の思、不痴の思と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#8 <八正道> ー2
         ■■■■■

■■■■■八正道■■とは何ぞや。八正■道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念・正定これなり。
■■■■■正見とは何ぞや。■■■■■苦に関する知、苦の集に関する知、苦の滅に関する知、苦の滅に到る道に関する知、これ[四つの智慧]ぞ、■■■■■正見とは名づけらる。
■■■■■正思とは何ぞや。不貪の思、不瞋の思、不痴の思、これぞ、■■■■■正思とは名づけらる。
■■■■■正語とは何ぞや。両舌よりの禁制、悪口よりの禁制、妄語よりの禁制、綺語よりの禁制、これぞ、
正語とは名づけらる。

■■■■■正業とは何ぞや。殺生よりの禁制、不与取よりの禁制、邪淫よりの禁制、これぞ、■■■■■正業とは名づけらる。
■■■■■正命とは何ぞや。■■■■■聖弟子は邪命を捨て、正命に依りて命(生活)を営む。これぞ、■■■■■正命とは名づけらる。

■■■■■正精進とは何ぞや。■■■■■未生の悪、不善の法を生ぜざらしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。巳生の悪、不善の法を遠離せむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。
未生の善法を生ぜしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。巳生の善法を住せしめ、惑乱せしめず、増長し、充満し、成立し、成就せしむる決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。これぞ、■■■■正精進とは名づけらる。


■■■■■正念とは何ぞや。■■■■■身に就きて身を観じて住し、精励し、正念正智にして世の欲と悩とを捨し、受に就きて乃至心に就きて乃至法に就きて法を観じて住し、精励し、正念正智にして、世の欲と悩とを捨す。これぞ、■■■■■正念とは名づけらる。

■■■■■ 正定とは何ぞや。■■■■■欲を去り、不善法を離れて有尋有伺にして、離より生ぜる喜と楽とのある初禅に達して住す。尋伺を滅して、内心静安となり、心専 一となり、無尋無伺にして、定より生ぜる喜と楽とのある第二禅に達して住す。更に喜を離れ捨となりて住し、正念正智にして、身を以て楽を感受し、唯、諸聖 者が、「これ捨にして正念楽住なり」と説ける第三禅に達して住す。次に楽を捨て、苦を離れ、前に感じたる悦と憂とを共に滅したるが故に不苦不楽にして、捨 念清浄となれる第四禅に達して住す。
これぞ、■■■■■正定とは名づけらる。

■■■■■


と悩は貪瞋痴と、書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#8 <八正道> ー3

八正道とは何ぞや。八正道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念・正定これなり。

(1) 正見とは何ぞや。苦に関する知、苦の集に関する知、苦の滅に関する知、苦の滅に到る道に関する知、これ[四つの智慧]ぞ、正見とは名づけらる。
(2) 正思とは何ぞや。不貪の思、不瞋の思、不痴の思、これぞ、正思とは名づけらる。
(3) 正語とは何ぞや。両舌よりの禁制、悪口よりの禁制、妄語よりの禁制、綺語よりの禁制、これぞ、正語とは名づけらる。
(4) 正業とは何ぞや。
殺生よりの禁制、不与取よりの禁制、邪淫よりの禁制、
これぞ、正業とは名づけらる。
(5) 正命とは何ぞや。聖弟子は邪命を捨て、正命に依りて命(生活)を営む。これぞ、正命とは名づけらる。
(6)正精進とは何ぞや。
未生の悪、不善の法を生ぜざらしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。

巳生の悪、不善の法を遠離せむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。
未生の善法を生ぜしめむとの決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。 

巳生の善法を住せしめ、惑乱せしめず、増長し、充満し、成立し、成就せしむる決意を起すに努力し、精進を為し、心を緊張せしむるに勤む。
これぞ、正精進とは名づけらる。

(7)正念とは何ぞや。
身に就きて身を観じて住し、精励し、正念正智にし貪瞋痴をし、受に就きて乃至心に就きて乃至法に就きて法を観じて住し、精励し、正念正智にして、貪瞋痴を捨す。これぞ、正念とは名づけらる。

(8) 次に、正定とは何ぞや。欲を去り、不善法を離れて有尋有伺にして、離より生ぜる喜と楽とのある初禅に達して住す。尋伺を滅して、内心静安となり、心専一と なり、無尋無伺にて、定より生ぜる喜と楽とのある第二禅に達して住す。更に喜を離れ捨となりて住し、正念正智にして、身を以て楽を感受し、唯、諸聖者が、 「これ捨にして正念楽住なり」と説ける第三禅に達して住す。次に楽を捨て、苦を離れ、前に感じたる悦と憂とを共に滅したるが故に不苦不楽にして、捨念清浄 となれる第四禅に達して住す。これぞ、正定とは名づけらる。





パーリ聖典のお経を讀んでいますと、八正道は、上記にように、いつでも、正見(四つの智慧)、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の順序で書いてあります。

私は、八正道のpractice(修行)を開始するに当り、書いてある通り、正見(四つの智慧)、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の順序で、practice(修行)を開始しようと試みました。

この場合は、正見(四つの智慧)の内容を他人から学ばないことには、次の戒(正思、正語、正業)、正しい生活(正命)、正精進、正念、正定のpracticeを行うことができません。

私は、熟考し、次のように、讀み替えました。正しい生活(正命)を開始して、正精進し、戒(正思、正語、正業)を守り、正念、正定のpracticeをすれば、その結果として、正見(四つの智慧)が生ずる、と。

すなわち、私は、八正道を、正命(正しい生活)、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)と書き替え、正命(正しい生活)を開始しました。

私は、正しい生活(正命)の中で、正精進し、戒(正思、正語、正業)を守り、正念、正定のpracticeを励みました。その結果、私に、正見(四つの智慧)が生じました。

私は、今後、八正道は、正命、正精進、正業、正語、正思、正念・正定、正見(四つの智慧)と書きます。

パーリ聖典の八正道のように、正見(四つの智慧)から始める場合は、正見(四つの智慧)の内容を他人から学ばざるを得ません。他人から学ばず、自力で正見(四つの智慧)が生ずるように励みましょう。


私は、八正道の文体を口語文に書き替えます。正精進、正念 (sati)、正定 (samadhi) 、正見(四つの智慧)は、私の経験を書きます。

八正道>の essence は、次のようになります。清書します。(永野)

#8 <八正道> ーessence

13>八正道とは、正命・正精進・正業・正語・正思・正念・
  正定・正見です。

1.正命(正しい生活)
14> 邪しまな生活を捨て、正しい生活をする。

2.正精進
15> (1) 不善(貪瞋痴)が未だ生じ (arise し) ていないならば、
     不善(貪瞋痴)が生じ (arise し) ないように精進する。
15> (2) 不善(貪瞋痴)が既に生じ (ariseし) たならば、
     不善(貪瞋痴)が滅 (cease) するように精進する。
15> (3)  善(不貪不瞋不痴)が未だ生じ (arise し) ていないな
   らば、善(不貪不瞋不痴)が生ず (arise す) るように精進
  する。
15> (4)  善(不貪不瞋不痴)が既に生じ (arise し) たならば、
      善(不貪不瞋不痴)が滅 (cease) しないように精進
   する。

3.正業(正しい行為)
16> (1) 殺生よりの禁制とは、不殺生:生物を殺さない。
16> (2) 不与取よりの禁制とは、不偸盗:与えられない物を取
   らない。盗まない。
16> (3) 邪淫よりの禁制とは、不邪淫: immoralな sexをしな
   い。

4.正語
17> (1) 両舌よりの禁制とは、不両舌:二枚舌を使わない。
17> (2) 悪口よりの禁制とは、不悪口:悪口を言わない。
17> (3) 妄語よりの禁制とは、不妄語:うそを言わない。
17> (4) 綺語よりの禁制とは、不綺語:無駄話をしない。

5.正思(正しい考え)
18> (1) 不貪の思:貪が生じているときは考えない。貪が生じ
  ていないときに考える。
18> (2) 不瞋の思:瞋が生じているときは考えない。瞋が生じ
  ていないときに考える。
18> (3) 不痴の思:痴が生じているときは考えない。痴が生じ
  ていないときに考える。

6.正念 (sati)
19> (1) 身 (body) につきて身 (body)を観じて住し、正念正智、
  貪瞋痴を捨す。
19> (2) 受につきて受を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
19> (3) 心につきて心を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。
19> (4) 法につきて法を観じて住し、正念正智、貪瞋痴を捨す。

7.正定 (samadhi)
20> (1) 第一定 有尋有伺、貪瞋痴の離より生ずる喜と楽を経
   験する
20> (2) 第二定 無尋無伺、定 (samadhi) より生ずる喜と楽を
  経験する。
20> (3) 第三定 喜を離れ、正念 (sati) 正智 (buddhi)、身を以
  て楽を経験する。upekkha 生ず。vipassana 生ず。
20> (4) 第四定 楽を離れ、正念 (sati) 正智 (buddhi)、不貪不
  瞋不痴(araga, adosa, amoha) を経験する。

8.正見(四つの智慧)
21> (1) 釈迦の教えは、貪瞋痴についての教えです。
21> (2) 貪瞋痴の生(arise) についての智慧、
21> (3) 貪瞋痴の滅(cease) についての智慧、
21> (4) 貪瞋痴を滅(cease) にする道についての智慧
  が生ずる。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 9 / 11 )

#9 <無明>

#9 <無明>

9 <無明> -1 オリジナル
              南伝 相応部経典 38-9

かようにわたしは聞いた。

ある時、長老サーリプッタ(舎利弗)は、マガダ(摩掲陀)の国のナーラカ(那羅迦)という村に住していた。
その時、ジャンプカーダカ(閻浮車)なる遊行者が、長老サーリプッタを訪れてきて、たがいに会釈をかわし、親愛にみちた慇懃なる談話をまじえて、やがてその傍らに坐した。

傍らに坐したジャンプカーダカは、長老サーリプッタにいった。

「友サーリプッタよ、無明、無明といわれるが、友よ、いったい、無明とはなんであろうか」
「友よ、およそ、苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および、苦の滅尽にいたる道についての無智、友よ、これを称して無明というのである」

「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこにいたる方法があるであろうか」
「友よ、それらの無明を捨て去ってしまうには道がある。そこにいたる方法があるのである」

「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか」
「友よ、かの聖なる八支の道こそは、それらの無明を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。友よ、これが、それらの無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである」

「友よ、この無明を捨て去ってしまう道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。友サーリプッタよ、それはまた勤めはげむに足る」


   *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第3巻 267頁より抜粋

のお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> -2
               ■■■■■
■■■■■
ある時、■■■■■ジャンプカーダカ■■■■■が、
■■■■■長老サーリプッタにいった。


■■■■■無明、無明といわれるが、■■■■■無明とはなんであろうか。
■■■■■苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、■■■■苦の滅尽にいたる道についての無智、■■■これ[四つの智慧が生じていないこと]を■■■無明という■■■■。

■では、■■■それらの無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこにいたる方法があるであろうか。
■■■■それらの無明を捨て去ってしまうには道がある。そこにいたる方法がある■■■■。

■では、■■■それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。
■■■■かの■■■八支の道こそは、それらの無明を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。■■■これが、■■■■無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。

■■■■■


のお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#9 <無明> -3

ある時、ジャンプカーダカなる遊行者が、長老サーリプッタに言った。

無明、無明といわれるが、無明とはなんであろうか。
苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および、苦の滅尽にいたる道についての無智、(四つの智慧が生じていないこと)を無明というのである。

では、それら無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこにいたる方法があるであろうか。
それらの無明を捨て去ってしまう道がある。そこにいたる方法がある。

それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。そこにいたる方法とはなんであろうか。

かの八支の道こそは、それらの無明を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。これが、無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。


支の道を八正道と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> -4

■■■■■無明とはなんであろうか。
■■■■■四つの智慧が生じていないこと■を無明という■■■■。

■■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■■■、■■■■■方法があるであろうか。
■■■■無明を捨て去ってしまうには道■■■■■方法がある。

■■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■■■、■■■■■方法■はなんであろうか。
                                                    
■■八正道■■は、■■■■無明を捨て去ってしまう道■■■、それは、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
 
■■■■■


このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#9 <無明> -5

無明とはなんであろうか。
四つの智慧が生じていないことを無明という。

無明を捨て去ってしまう道、方法があるであろうか。
無明を捨て去ってしまうには道、方法がある。

無明を捨て去ってしまう道、方法はなんであろうか。
八正道は、無明を捨て去ってしまう道、それは、すなわち、正
見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#9 <無明> -6

■■■■■
四つの智慧が生じていないことを無明という。

■■■■■

八正道は、無明を捨て去る■■■■道、すなわち、正見、
正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


のお経の essence は、次のようになります。清書します。

#9 <無明> -essence

四つの智慧が生じていないことを無明という。

八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定である。



#9 <無明> -essenceには、重大な誤りがあります。(永野)

無智と無明は異なります。
四つの智慧が生じていないことは無明ではありません。無智です。無智は、未だ、正見(四つの智慧)が生じていないことです。無明は、未だ、四つの真理を理解していないことです。四つの真理を理解していないことを、無明といいます。


八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



#9 <無明> -essence を書き替えます。(永野)

#9 <無明> -essence (永野)

22> 無智と無明は異なります。

23> 無智とは、正見(四つの智慧)が生じていないこと。

24> 無明とは、四つの真理を理解していないこと。

25> 八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 10 / 11 )

#10 <夜明け(日喩)>

#10 <夜明け(日喩)>

10 <夜明け(日喩)> -1 オリジナル
             南伝 相応部経典 56ー37

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、バーラナシー(波羅捺)のイシパタナ・ミガダーヤ(仙人住処・鹿野苑)にましました。

その時、世尊は、比丘たちに告げて仰せられた。
「比丘たちよ、日輪の昇るときには、その先駆として、また前兆として、東の空が明るくなってくる。比丘たちよ、それとおなじように、四つの聖諦をあきらかに観るときには、その先駆として、また前兆として、正見があるのである。

比 丘たちよ、正見を有する比丘においては、彼が、<こは苦なり>とあるがままに理解し、<こは苦の生起なり>とあるがままに理解し、<こは苦の滅尽なり>と あるがままに理解し、また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>とあるがままに理解するであろうことを、期して俟つことができるのである」

*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 285頁より抜


諦を真理、観るを理解する、と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#10 <夜明け(日喩)> -2
             ■■■■■

■■■■■
ある時、■■■■■世尊は、比丘たちに■■■仰せられた。■■■■■日輪の昇るときには、その先駆として、また前兆として、東の空が明るくなってくる。■■■■■それとおなじように、四つの聖諦をあきらかに理解するときには、その先駆として、また前兆として、正見があるのである。


■■■■■ 正見を有する比丘■■■■は、彼が、<こは苦なり>とあるがままに理解し、<こは苦の生起なり>とあるがままに理解し、<こは苦の滅尽なり>とあるがまま に理解し、また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>とあるがままに理解するであろうことを、期して俟つことができる■■■■。


輪は太陽、四つの聖諦、四諦は四つの真理、正見は正見(四つの智慧)と、書き替えます。正見(四つの智慧)を有する比丘とは、正見(四つの智慧)が生じた比丘です。

このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#10 <夜明け(日喩)> -3

ある時、世尊は、比丘たちに仰せられた。太陽の昇るときには、その先駆として、また前兆として、東の空が明るくなってくる。それとおなじように、四つの真理をあきらかに理解するときには、その先駆として、また前兆として、正見(四つの智慧)がある。

正 見(四つの智慧)が生じた比丘は、彼が、<こは苦なり>とあるがままに理解し、<こは苦の生起なり>とあるがままに理解し、<こは苦の滅尽なり>とあるが ままに理解し、また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>と、(四つの真理)をあるがままに理解するであろうことを、期して俟つことができる。


のお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。

#10 <夜明け(日喩)> -4

■■■■■太陽の昇るときには、その先駆■■■、■■前兆として、東の空が明るくなってくる。それとおなじように、四つの真理を■■■■■理解するときには、その先駆■■■、■■前兆として、正見(四つの智慧)がある。

正見(四つの智慧)が生じた比丘は、■■■■■四つの真理■を■■■■■理解するであろう■■■■。 期して俟つことができる。

のお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。

#10 <夜明け(日喩)> -5 

太陽の昇るときには、その先駆、前兆として、東の空が明るくなってくる。
それとおなじように、四つの真理を理解するときには、その先駆、前兆として、正見(四つの智慧)がある。


正見(四つの智慧)が生じた比丘は、四つの真理を理解するであろう。期して俟つことができる。


のお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。

#10 <夜明け(日喩)> -6

■■■■■四つの真理を理解するときには、その■■■前に■■■、正見(四つの智慧)が生ずる。

正見(四つの智慧)が生じた比丘は、四つの真理を理解するであろう。期して俟つことができる。



お経の essence は、次のようになります。清書します。

#10 <夜明け(日喩)>-essence

26> 四つの真理を理解するときには、その前に正見(四つの智慧)が生ずる。

27> 正見(四つの智慧)が生じた比丘は、四つの真理を理解するであろう。 期して俟つことができる。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 11 / 11 )

番外 <如来所説>

番外 <如来所説>
外 <如来所説> ー1 オリジナル
        南伝 相応部経典 56ー11

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、バーラーナシー(波羅捺)のイシパタナ・ミガダーヤ(仙人住処・鹿野苑)にましました。そこで、世尊は五人の比丘に告げて仰せられた。
「比丘たちよ、出家したる者は、二つの極端に親しみ近づいてはならない。その二つとは何であろうか。

愛 着に貪著することは、下劣にして卑しく、凡夫の所業である。聖にあらず、役に立たないことである。また、苦行を事とすることは、ただ苦しいだけであって、 聖にあらず、役に立たないことである。比丘たちよ、如来は、この二つを捨てて、中道を悟った。それは、眼を開き、智を生じ、寂静、証智、等覚、涅槃にいた らしめる。

比丘たちよ、では、如来が、眼を開き、智を生じ、寂静、証智、等覚、涅槃にいたらしめる中道を悟ったというのは、どのようなこ とであろうか。それは、聖なる八つの道のことである。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。比丘たちよ、これが如来が悟り えたところの中道であって、これが、眼を開き、智を生じ、寂静、証智、等覚、涅槃にいたらしめるのである。

さて、ところで、比丘たちよ、 苦の聖諦とはこれである。いわく、生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。歎き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みは苦である。怨憎するもの に遇うは苦である。愛するものと別離するは苦である。求めて得ざるは苦である。総じていえば、この人間の存在を構成するもはすべて苦である。

さて、とこで、比丘たちよ、苦の生起の聖諦とはこうである。いわく、迷いの生涯を引き起こし、喜びと貪りを伴い、あれへこれへと絡まりつく渇愛がそれである。すなわち、欲の渇愛、有の渇愛、無有の渇愛がそれである。

さて、とこで、比丘たちよ、苦の滅尽の聖諦とはこうである。いわく、その渇愛を余すところなく離れ滅して、捨て切り、振りきり、解脱して、執着なきにいたるのである。

さて、とこで、比丘たちよ、苦の滅尽にいたる道の聖諦とはこうである。いわく、聖なる八支の道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。(以下省略)

*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 255頁より抜粋

なる八つの道は八正道、聖諦は真理と書き替えます。

このお経のessenceを求めて、不要の文字を消去しましょう。

番外 「如来所説」 ー2                                        

■■■■■

ある時、世尊は、■■■■■五人の比丘に告げて仰せられた。■■■■■出家したる者は、二つの極端に親しみ近づいてはならない。その二つとは何■■■■か。

愛 着に貪著することは、下劣にして卑しく、凡夫の所業である。■■■■■役に立たない■■■■■。また、苦行を事とすることは、ただ苦しいだけで■■、 ■■■■■役に立たない■■■■■。■■■■■如来は、この二つを捨てて、中道を悟った。それは、■■■■■智を生じ、■■■■■涅槃にいたらしめる ■■■■。

■■■■■では、如来が、■■■■■智を生じ、■■■■■涅槃にいたら■■役に立たない■■■■■。■■■如来は、この二つを 捨てて、中道しめる中道を悟ったというのは、どのようなことであろうか。それは、■■八正■道のことである。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正 精進、正念、正定である。■■■■■これが如来が悟りえたところの中道であって、これが、■■■■■智を生じ、■■■■■涅槃にいたらしめる■■■■。

(四つの真理とは何か)

■■■■■ 苦の真理とは■■■■、■■■■生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。歎き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みは苦である。怨憎するものに 遇うは苦である。愛するものと別離するは苦である。求めて得ざるは苦である。総じていえば、この人間の存在を構成するもはすべて苦である。

■■■■■苦の生起の真理とは■■■■■迷いの生涯を引き起こし、喜びと貪りを伴い、あれへこれへと絡まりつく渇愛がそれである。■■■■■

■■■■■苦の滅尽の真理とは■■■■■その渇愛を余すところなく離れ滅して、■■■■■解脱して、執着なきにいたるのである。

■■■■■苦の滅尽にいたる道の真理とは■■■■■八正■道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。




八正道の順序を書き替えます。

このお経のessenceを求めて、不要の■■を消去しましょう。

番外 「如来所説」 ー3

ある時、世尊は、五人の比丘に告げて仰せられた。出家したる者は、二つの極端に親しみ近づいてはならない。そ
の二つとは何か。

愛着に貪著することは、下劣にして卑しく、凡夫の所業である。役に立たない。また、苦行を事とすることは、ただ苦しいだけで、役に立たない。如来は、この二つを捨てて、中道を悟った。それは、智を生じ、涅槃にいたらしめる。

で は、如来が、智を生じ、涅槃にいたらしめる中道を悟ったというのは、どのようなことであろうか。それは、八正道のことである。すなわち、正命、正精進、正 業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。これが如来が悟りえたところの中道であって、これが、智を生じ、涅槃にいたらしめる。

(四つの真理)

苦の真理とは、生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。歎き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みは苦
である。怨憎するものに遇うは苦である。愛するものと別離するは苦である。求めて得ざるは苦である。総じていえば、この人間の存在を構成するもはすべて苦である。(四苦八苦)

苦の生起の真理とは迷いの生涯を引き起こし、喜びと貪りを伴い、あれへこれへと絡まりつく渇愛がそれである。

苦の滅尽の真理とは、その渇愛を余すところなく離れ滅して、解脱して、執着なきにいたるのである。

苦の滅尽にいたる道の真理とは、八正道である。すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。

のお経のessenceを求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。

番外 「如来所説」 ー4

■■■■■

愛着に貪著することも、■■■■■苦行を事とすることも、■■■■■役に立たない。
如来は、■■愛欲と苦行の二つを捨てて、中道を悟った。■■■■■

■■■如来が、■■■■■悟った中道■と■■■は、■■■■■八正道■■■■■■■、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。これ(八正道)が■■■■■■■■■■■■、■■涅槃にいたらしめる■■■■。

(四つの真理)

苦 の真理とは、生■■■■■、老■■■■■、病■■■■■、死は苦である。(四苦)歎き、悲しみ、苦しみ、憂い、悩みは苦■■■、怨憎するものに遇うは苦 ■■■、愛するものと別離するは苦■■■、求めて得ざるは苦である。(四苦八苦)総じていえば、この人間の存在を構成するもはすべて苦である。

苦の生起の真理とは、迷いの生涯を引き起こす、■■■■■渇愛がそれである。

苦の滅尽の真理とは、その渇愛を■■■■■滅して、■■■■■執着なきにいたるのである。

苦の滅尽にいたる道の真理とは、八正道■■■、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。


このお経のessenceを求めて、さらに、不要の■■を消去しま
しょう。

番外 「如来所説」 ー5

愛着に貪著することも、苦行を事とすることも、役に立たない。如来は、愛欲と苦行の二つを捨てて、中道を悟った。

如来が、悟った中道とは、八正道、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。これ(八正道)が涅槃にいたらしめる。

<如来所説>の(四つの真理)

苦の真理とは、四苦八苦である。
苦の生起の真理とは、迷いの生涯を引き起こす、渇愛がそれである。
苦の滅尽の真理とは、その渇愛を滅して、執着なきにいたるのである。
苦の滅尽にいたる道の真理とは、八正道、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。

このお経のessenceを求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。

番外 「如来所説」 ー6

■■■■■
■■■■■

<如来所説>の(四つの真理)


苦の真理とは、四苦八苦である。(如来の教えは、苦についての教えです)
苦の生起の真理とは、迷いの生涯を引き起こす、渇愛がそれである。
苦の滅尽の真理とは、その渇愛を滅して、執着なきにいたる。
苦の滅尽にいたる道の真理とは、八正道、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見(四つの智慧)である。


このお経のessencは、次のようになります。清書します。

番外> <如来所説> ーessence

番外> <如来所説>の(四つの真理)

番外> 如来の教えは、苦についての教えです。
番外> 苦の生起の真理とは、迷いの生涯を引き起こす、渇愛がそれである。
番外> 苦の滅尽の真理とは、その渇愛を滅して執着なきにいたる。
番外> 苦の滅尽にいたる道の真理とは、八正道、すなわち、正命、正精進、正業、正語、正思、正念、正定、正見
(四つの智慧)である。


以上にて、私は、パーリ聖典10経の墨消し作業を終え、27essenceを得ましたので、これらを集めて、一覧表を作成いたしました。ご覧ください。

ご覧いただくだけでなく、是非、皆様も、10経のessenceを求めて、繰り返し、墨消し作業をなさってください。

私は、これら27のessenceを整理編集して、本書、『釈迦の教えーGotama Buddhism』を書き進めます。

なお、番外<如来所説>は、異種の四つの真理を説きます。ご参考までに、ご覧ください。

nagano takeshi
作家:永野武
釈迦の教え-GotamaBuddhism-
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