かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、一人の比丘があり、世尊のましますところに到り、世尊を拝して、その傍らに坐した。傍らに坐したかの比丘は、世尊に申しあげた。
「大徳よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、大徳よ、いったい、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか」
「比丘よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。これをもって、もろもろの煩悩の滅尽を説くのである」
世尊がかくのごとく説きたまえるとき、かの比丘は、また世尊に申しあげた。
「大徳よ、また、不死、不死と仰せられますが、大徳よ、いったい、不死とはいかなることでありましょうか。また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか」
「比丘よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死というのである。そして、かの聖なる八支の道こそが、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である」
■■■■■
■■■■■
ある時、■■■■■
■■■■一人の比丘が■■■■■世尊に申しあげた。
■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。
■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。■■■■■
■■■■■かの比丘は、また世尊に申しあげた。
■■■■■不死、不死と仰せられますが、■■■■■不死とはいかなることでありましょうか。また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。
■■■■■貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死という■■■■。■■■■■八正■道■■が、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
調伏と壊滅、涅槃と不死は、同義語です。
このお経の essence を求めて、不要の■■を消去します。
#4 <一比丘> -3
ある時、一人の比丘が、世尊に申しあげた。
「貪瞋痴の調伏と仰せられますが、貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。
かの比丘は、また世尊に申しあげた。
不死、不死と仰せられますが、不死とはいかなることでありましょうか。
また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。
貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。
#4 <一比丘> -4
■■■■■
貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、■■■しょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを■■■いう言葉である。
■■■■■不死とはいかなることで■■■しょうか。
■■■不死にいたる道は、どのようなもので■■■しょうか。
貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
#4 <一比丘> -5
貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉でしょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまをいう言葉である。
不死とはいかなることでしょうか。
不死にいたる道は、どのようなものでしょうか。
貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
#4 <一比丘> -6
■■■■■
貪瞋痴の調伏とは、涅槃■■■をいう■■■■■。
■■■■■
貪瞋痴の壊滅を■■■■不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
このお経の essence は、次のようになります。清書します。
#4 <一比丘> -essence
6> 貪瞋痴の調伏/壊滅を、涅槃とも不死ともいう。
7ー1> 八正道は、涅槃/不死にいたる道である。
7ー2> 八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、 正念、正定である。
比丘たちよ、では、わたしは、何を説いたであろうか。比丘たちよ、<こは苦なり>とわたしは説いた。<こは苦の生起なり>とわたしは説いた。<こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。
比丘たちよ、では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたであろうか。比丘たちよ、それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。
されば、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである」
#5 <シンサパー> -2
■■■■■
■■■■■
ある時、世尊は、■■■■■その手にすこしばかりのシンサパーの葉をとって、比丘たちに告げて仰せられた。
■■■■■汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれといずれが多いであろうか。■■■■■世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少なく、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます。
■■■■■
それとおなじように、わたしが証知して、しかも、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いのである。■■■■■では、なにゆえに、わたしは、
それらを説かなかったのであろうか。■■■■■それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃にも資することが
ない。そのゆえに、わたしは説かないのである。
■■■■■では、わたしは、何を説いたであろうか。■■■■■<こは苦なり>とわたしは説いた。<こは苦の生起なり>とわたしは説いた。 <こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。■■■ <こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。
■■■■■では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたのであろうか。■■■■■それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。
されば、■■■■■<こは苦なり>と勉励するがよい。 <こは苦の生起なり>と勉励するがよい。 <こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。■■■<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである。
それとおなじように、わたしが証知して、しかも、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いのである。
では、なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったのであろうか。それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃にも資することがない。そのゆえに、わたしは説かないのである。
では、わたしは、何を説いたであろうか。<こは苦なり>とわたしは説いた。 <こは苦の生起なり>とわたしは説いた。 <こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。<こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。
では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたでのあろうか。それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資るからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。
されば、<こは苦なり>と勉励するがよい。 <こは苦の生起なり>と勉励するがよい。 <こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである。
わたしが証知して、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少い。
なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったのであろうか。それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、滅尽、涅槃にも資することがない。そのゆえに、わたしは説かない。
わたしは、何を説いたであろうか。わたしは[四つの真理]を説いた。
なにゆえに、わたしは、[四つの真理]を説いたであろうか。それは役に立ち、梵行のはじめとなり、滅尽、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いた。
されば、[四つの真理]を精進するがよい。
「比
丘たちよ、過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであっ
た。比丘たちよ、未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままにはっきりと理解せんがためであ
ろう。また、比丘たちよ、現在においても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんが
ためである。
では、その四つの聖諦とは何であろうか。それは、苦の聖諦、苦の生起の聖諦、苦の滅尽の聖諦、苦の滅尽にいたる道の聖諦である。
比
丘たちよ、過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。また、未来
世において、まさしく家を出でて出家する善男子も、..また、現在において、まさしく家を出でて出家する善男子も、すべて、この四つの聖諦を、あるがまま
に、はっきりと理解せんがためである。
これによりて、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽に到る道なり>と勉励するがよいのである」
#6 <善男子> -2
■■■■■
ある時、世尊は、■■■■■■仰せられた。
■■■■■
過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。
■■■■■未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであ
ろう。■■■■■現在においても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがため
である。
■■■■■
■■■■■過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの「四つの真理」を、ある
がままに、はっきりと理解せんがためであった。■■■未来世において、まさしく家を出でて出家する善も、..■■■現在において、まさしく家を出でて出家
する善男子も、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。
これによりて、■■■■■「四つの真理」を勉励するがよい■■■■。
勉励は精進と書き替えます。
このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。
#6 <善男子> -3
ある時、世尊は、仰せられた。
過
去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。未来世
においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであろう。現在におい
ても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。
過
去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。未来世において、ま
さしく家を出でて出家する善男子も、..現在において、まさしく家を出でて出家する善男子も、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理
解せんがためである。
これによりて、「四つの真理」を精進するがよい。
その時、悪しきものマーラ(魔羅)は、世尊の心に思うところを知って、世尊のいますところに到った。到って偈をもって、世尊に語りかけていった。
「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」
その時、世尊は、これはあしきものマーラであると知って、偈をもってあしきもの魔羅に答えて仰せられた。
「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。陸にあげられた舟の艪舵のごとく、すべて利をもたらすことはない。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めきたって、ついに無上の清浄にいたった」 (以下省略)
その時、悪しきものマーラは、世尊に語りかけた。
「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」
その時、世尊は、仰せられた。
「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めて、ついに無上の清浄にいたった」
■■■■■
わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。
正念 (sati) に住して、さとりをうることができ■■■■■た。
■■■■■いかなる苦行も、利をもたらすことなし■■■■。わたしは、戒と定と慧とにより、■■悟りの道を修め■、■■■無上の清浄にいたった。
#7 <苦行のこと> -essence
10> いかなる苦行も、利をもたらすことなし。
わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。
11> 正念 (sati) に住して、さとりをうることができた。
12> わたしは、戒と定と慧とにより、悟りの道を修め、無上の清浄にいたった。