釈迦の教え-GotamaBuddhism-

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 4 / 11 )

#4 <一比丘>

#4 <一比丘>

4 <一比丘> -1 オリジナル
              南伝 相応部経典 45-7

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、一人の比丘があり、世尊のましますところに到り、世尊を拝して、その傍らに坐した。
傍らに坐したかの比丘は、世尊に申しあげた。


「大徳よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、大徳よ、いったい、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか」
「比丘よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。これをもって、もろもろの煩悩の滅尽を説くのである」

世尊がかくのごとく説きたまえるとき、かの比丘は、また世尊に申しあげた。
「大徳よ、また、不死、不死と仰せられますが、大徳よ、いったい、不死とはいかなることでありましょうか。また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか」

「比丘よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死というのである。そして、かの聖なる八支の道こそが、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である」


  *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 149頁より抜粋

支の道は八正道と、書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#4 <一比丘> -2

                ■■■■■
■■■■■

ある時、■■■■■
■■■■一人の比丘が■■■■■世尊に申しあげた。

■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。
■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。■■■■■

■■■■■かの比丘は、また世尊に申しあげた。
■■■■■不死、不死と仰せられますが、■■■■■不死とはいかなることでありましょうか。また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。

■■■■■貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死という■■■■。■■■■■八正■道■■が、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



貪欲、瞋恚、愚痴を、貪瞋痴、と書き替えます。
貪欲、瞋恚、愚痴の調伏/壊滅を、貪瞋痴の調伏/壊滅と書き替えます。

調伏と壊滅、涅槃と不死は、同義語です。

このお経の essence を求めて、不要の■■を消去します。

#4 <一比丘> -3

ある時、一人の比丘が、世尊に申しあげた。

「貪瞋痴の調伏と仰せられますが、貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。                                                    

貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。

かの比丘は、また世尊に申しあげた。

不死、不死と仰せられますが、不死とはいかなることでありましょうか。
また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。

貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#4 <一比丘> -4

■■■■■

貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、■■■しょうか。

貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを■■■いう言葉である。

■■■■■不死とはいかなることで■■■しょうか。
■■■不死にいたる道は、どのようなもので■■■しょうか。

貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。


このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しま
す。

#4 <一比丘> -5

貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉でしょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまをいう言葉である。

不死とはいかなることでしょうか。
不死にいたる道は、どのようなものでしょうか。

貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。




このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しま
しょう。

#4 <一比丘> -6

■■■■■
貪瞋痴の調伏とは、涅槃■■■をいう■■■■■。

■■■■■

貪瞋痴の壊滅を■■■■不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。



このお経の essence は、次のようになります。清書します。


#4 <一比丘> -essence


6> 貪瞋痴の調伏/壊滅を、涅槃とも不死ともいう。


7ー1> 八正道は、涅槃/不死にいたる道である。
7ー2> 八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、 正念、正定である。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 5 / 11 )

#5 <シンサパー>

#5 <シンサパー> 


5 <シンサパー> -1 オリジナル
              南伝 相応部経典 56ー31
かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、コーサンビーのシンサパー林にましました。
その時、世尊は、その手にすこしばかりのシンサパーの葉をとって、比丘たちに告げて仰せられた。

「比丘たちよ、汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれといずれが多いであろうか」
「大徳よ、世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少なく、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます」

「比 丘たちよ、それとおなじように、わたしが証知して、しかも、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いのである。比丘たちよ、では、なにゆえ に、わたしは、それらを説かなかったであろうか。比丘たちよ、それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に も資することがない。
そのゆえに、わたしは説かないのである。


比丘たちよ、では、わたしは、何を説いたであろうか。比丘たちよ、<こは苦なり>とわたしは説いた。<こは苦の生起なり>とわたしは説いた。<こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。


比丘たちよ、では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたであろうか。比丘たちよ、それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。

されば、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである」


  *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 283頁より抜粋

のお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#5 <シンサパー> -2
              ■■■■■
■■■■■

ある時、世尊は、■■■■■その手にすこしばかりのシンサパーの葉をとって、比丘たちに告げて仰せられた。

■■■■■汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれといずれが多いであろうか。■■■■■世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少なく、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます。

■■■■■ それとおなじように、わたしが証知して、しかも、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いのである。■■■■■では、なにゆえに、わたしは、 それらを説かなかったのであろうか。■■■■■それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃にも資することが ない。そのゆえに、わたしは説かないのである。

■■■■■では、わたしは、何を説いたであろうか。■■■■■<こは苦なり>とわたしは説いた。<こは苦の生起なり>とわたしは説いた。 <こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。■■■ <こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。

■■■■■では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたのであろうか。■■■■■それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。

されば、■■■■■<こは苦なり>と勉励するがよい。 <こは苦の生起なり>と勉励するがよい。 <こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。■■■<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである。




このお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#5 <シンサパー> -3

ある時、世尊は、その手にすこしばかりのシンサパーの葉をとって、比丘たちに告げて仰せられた。
汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれといずれが多いであろうか。世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少なく、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます。


それとおなじように、わたしが証知して、しかも、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いのである。
では、なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったのであろうか。それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃にも資することがない。そのゆえに、わたしは説かないのである。

では、わたしは、何を説いたであろうか。<こは苦なり>とわたしは説いた。 <こは苦の生起なり>とわたしは説いた。 
<こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。<こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。


では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたでのあろうか。それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資るからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。

されば、<こは苦なり>と勉励するがよい。 <こは苦の生起なり>と勉励するがよい。 <こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである。




勉励するを、精進すると書き替えます。
四つの真理という文字を入れましょう。

このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。

#5 <シンサパー> -4

■■■■■
■■■■■

■■■■■
■■■■■

■■■■■ わたしが証知して、■■■■汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少い■■■■。■■■なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったのであろう か。それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、■■■■滅尽、■■■■■涅槃にも資することがない。そのゆえに、わたしは説かない■■■■。

■■■わたしは、何を説いたであろうか■■■■■わたしは[四つの真理]を説いた。

■■■なにゆえに、わたしは、[四つの真理]を説いたであろうか。それは役に立ち、梵行のはじめとなり、■■■■■滅尽、■■■■■涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いた■■■■。

されば、■■■■■[四つの真理]を精進するがよい■■■。



このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。

#5 <シンサパー> -5

わたしが証知して、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少い。

なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったのであろうか。それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、滅尽、涅槃にも資することがない。そのゆえに、わたしは説かない。

わたしは、何を説いたであろうか。わたしは[四つの真理]を説いた。

なにゆえに、わたしは、[四つの真理]を説いたであろうか。それは役に立ち、梵行のはじめとなり、滅尽、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いた。

されば、[四つの真理]を精進するがよい。


のお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#5 <シンサパー> -6

■■■■■
■■■■■

■■■■■
■■■■■

わたしは、[四つの真理]を説いた。

■■■■■
[四つの真理]は、■■■■■滅尽、涅槃に資するから■■■■■、わたしは説いた。

のお経のessenceは、次のようになります。
                                           
#5 <シンサパー> -essence

8ー1> わたしは、[四つの真理]を説いた。

8ー2> わたしは、[四つの真理]は、滅尽、涅槃に資するから説いた。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 6 / 11 )

#6 <善男子>

#6 <善男子>

6 <善男子> -1 オリジナル
              南伝 相応部経典 56-3

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、バーラーナシー(波羅捺)のイシパタナ・ミガダーヤ(仙人住処・鹿野苑)にましました。その時、世尊は、比丘たちに告げて仰せられた。

「比 丘たちよ、過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであっ た。比丘たちよ、未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままにはっきりと理解せんがためであ ろう。また、比丘たちよ、現在においても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんが ためである。

では、その四つの聖諦とは何であろうか。それは、苦の聖諦、苦の生起の聖諦、苦の滅尽の聖諦、苦の滅尽にいたる道の聖諦である。

比 丘たちよ、過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの四つの聖諦を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。また、未来 世において、まさしく家を出でて出家する善男子も、..また、現在において、まさしく家を出でて出家する善男子も、すべて、この四つの聖諦を、あるがまま に、はっきりと理解せんがためである。

これによりて、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽に到る道なり>と勉励するがよいのである」


  *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房) 第3巻 250頁より抜粋

諦は真理、四つの聖諦は「四つの真理」と書き替えます。

このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#6 <善男子> -2
              ■■■■■

ある時、世尊は、■■■■■■仰せられた。

■■■■■ 過去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。 ■■■■■未来世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであ ろう。■■■■■現在においても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがため である。

■■■■■

■■■■■過去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの「四つの真理」を、ある がままに、はっきりと理解せんがためであった。■■■未来世において、まさしく家を出でて出家する善も、..■■■現在において、まさしく家を出でて出家 する善男子も、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。

これによりて、■■■■■「四つの真理」を勉励するがよい■■■■。


励は精進と書き替えます。

このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。

#6 <善男子> -3

ある時、世尊は、仰せられた。

過 去世においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。未来世 においても、善男子の、まさしく家を出でて出家せるものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであろう。現在におい ても、善男子の、まさしく家を出でて出家するものは、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためである。

過 去世において、まさしく家を出でて出家せる善男子も、すべてこの「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理解せんがためであった。未来世において、ま さしく家を出でて出家する善男子も、..現在において、まさしく家を出でて出家する善男子も、すべて、この「四つの真理」を、あるがままに、はっきりと理 解せんがためである。

これによりて、「四つの真理」を精進するがよい。




善男子の、まさしを、釈迦の弟子たちと書き替えます。

このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。 

#6 <善男子> -4

■■■■■■■■■■■■■■

過去世■■■■■、■■■■■未来世■■■■■、■■■■■現在において■、まさしく家を出でて出家せる釈迦の弟子たちは、すべて、この「四つの真理」を、■■■■■理解せんがためである

過去世■■■■、■■■■■未来世■■■■、■■■■■現在において、釈迦の弟子たちは、■■■■■すべて、この「四つの真理」を、■■■■■理解せんがため■■■■■に■■■■■■精進する■■■。

のお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しましょう。

#6 <善男子> -5

過去世、未来世、 現在において、釈迦の弟子たちは、すべて、この「四つの真理」を、理解せんがためである(に精進する)。

過去世、未来世、現在において、釈迦の弟子たちは、すべて、この「四つの真理」を理解せんがために、精進する。

過去世、未来世、現在においてを、いつの時代も、と書き替えます。

このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しま
しょう。

#6 <善男子> -6

■■■■■
■■■■■

いつの時代も、釈迦の弟子たちは、■■■■■「四つの真理」を理解せんがために、精進する。

のお経の essence は、次のようになります。清書します。


#6 <善男子> -essence

9> 釈迦の弟子は、四つの真理を、理解せんがために精進する。

前編 第2章 お経の essenceを墨消し法で求める(10経) ( 7 / 11 )

#7 <苦行のこと> 

#7 <苦行のこと>                                
7 <苦行のこと> ー1 オリジナル
                南伝 相応部経典 4-1

かようにわたしは聞いた。

ある時、世尊は、ウルヴェーラー(優留毘羅)村の、ネーランジャラー(尼連禅)河のほとり、アジャパーラ・ニグローダ(阿闍波羅尼倶律陀)の樹の下にましました。まさしく、正覚を成就したもうた時のことであった。

その時、世尊は、ただひとり坐し、静かな思索のうちにあって、つぎのような思いをなしたもうた。

「ああ、わたしは、あの苦行から離れてよかった。ああ、わたしは、あのなんの利益もない苦行から離れてよかった。ぴたりと正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった」

その時、悪しきものマーラ(魔羅)は、世尊の心に思うところを知って、世尊のいますところに到った。到って偈をもって、世尊に語りかけていった。

   

 「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、これはあしきものマーラであると知って、偈をもってあしきもの魔羅に答えて仰せられた。

  

  「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。陸にあげられた舟の艪舵のごとく、すべて利をもたらすことはない。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めきたって、ついに無上の清浄にいたった」   (以下省略)


*増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第4巻 118頁から抜粋

のお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。

#7 <苦行のこと> -2
               ■■■■■

■■■■■

■■■■世尊は、■■■■■正覚を成就し■■■た時■■■■■、■■■■■つぎのような思いをなし■■■た。

■■■■わたしは、■■苦行から離れてよかった。■■■わたしは、■■なんの利益もない苦行から離れてよかった。■■■■正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった。

その時、あしきものマーラは、■■■■■世尊のいますところに■■■■到って偈をもって、世尊に語りかけ■■■た。

   「苦行を離れざればこそ、
    若き人は清めらるるなり。
    汝、浄めの道をさまよい離れて、
    清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、これはあしきものマーラであると知って、■■■■■答え■■■■■た。

  「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。■■■■■わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めきたって、ついに無上の清浄にいたった」

のお経の essence を求めて、不要の■■を消去しましょう。

#7 <苦行のこと> -3

世尊は、正覚を成就した時、つぎのような思いをなした。

わたしは、苦行から離れてよかった。わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった。

その時、あしきものマーラは、世尊のいますところに到って偈をもって、世尊に語りかけた。

  「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、これは悪しきものマーラであると知って、答えた。
  「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めきたって、ついに無上の清浄にいたった」

のお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#7 <苦行のこと> -4

世尊は、正覚を成就した時、つぎのような思いをなした。

■■■■■わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった。

その時、あしきものマーラは、■■■■■世尊に語りかけた。

 「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、■■■■■仰せられた。

 「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修め■■■てついに無上の清浄にいたった」

のお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去します。

#7 <苦行のこと> -5

世尊は、正覚を成就した時、つぎのような思いをなした。
わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。正念 (sati) に住して、さとりをうることができて、ほんとうによかった。


その時、悪しきものマーラは、世尊に語りかけた。

  「苦行を離れざればこそ、若き人は清めらるるなり。汝、浄めの道をさまよい離れて、清からずして清しと思えり」

その時、世尊は、仰せられた。
「不死をねがうに、いかなる苦行も、利をもたらすことなしと知った。わたしは、戒と定と慧とにより、この悟りの道を修めて、ついに無上の清浄にいたった」



このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。

#7 <苦行のこと> -6

■■■■■

わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。

正念 (sati) に住して、さとりをうることができ■■■■■た。


■■■■■いかなる苦行も、利をもたらすことなし■■■■。わたしは、戒と定と慧とにより、■■悟りの道を修め■、■■■無上の清浄にいたった。


このお経の essence は、次のようになります。清書します。

#7 <苦行のこと> -essence

10> いかなる苦行も、利をもたらすことなし。
    わたしは、なんの利益もない苦行から離れてよかった。

11> 正念 (sati) に住して、さとりをうることができた。

12> わたしは、戒と定と慧とにより、悟りの道を修め、無上の清浄にいたった。

nagano takeshi
作家:永野武
釈迦の教え-GotamaBuddhism-
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