増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第2巻 223頁より抜粋
このお経の essence を求めて、不要の文字を消去しましょう。
#2 <知るべきもの> -2
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ある時、世尊は、■■■■■仰せられた。
■■■■■知■るべきものと、あまねく知ること■■■■■について説こうと思う。
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■■■■世尊は説きたもうた。■■■■■知らねばならぬものとは、なんであろうか。■■■■■色(肉体)は知らねばならぬものである。受(感覚)は知らねばならぬものである。想(表象)は知らねばならぬものである。行(意思)は知らねばならぬものである。また、識(意識)は知らねばならぬものである。■■■■■こういうものを、知■るべきものであるという■■■■。
■■■■■では、あまねく知るとは、どういうことであろうか。■■■■■貪欲を滅しつくすことと、瞋恚を滅しつくすことと、愚痴を滅しつくすことである。■■■■■そういうことを、あまねく知るというのである。
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#2 <知るべきもの> -3
ある時、世尊は、仰せられた。
知るべきものと、あまねく知ることについて説こうと思う。
世尊は説きたもうた。
知らねばならぬものとは、なんであろうか。
(1) 色 (body) は知らねばならぬものである。
(2) 受(感覚)は知らねばならぬものである。
(3) 想(知覚)は知らねばならぬものである。
(4) 行(脳の中枢)は知らねばならぬものである。
(5) 識(意識/認識)は知らねばならぬものである。
こういうものを、知るべきものであるという。
では、あまねく知るとは、どういうことであろうか。
(1) 貪欲を滅しつくすことと、
(2) 瞋恚を滅しつくすことと、
(3) 愚痴を滅しつくすことである。
そういうことを、あまねく知るというのである。
このお経の essence を求めて、さらに、不要の■■を消去しま
しょう。
#2 <知るべきもの> -5
ある時、世尊は、知るべきものと、あまねく知ることについて
説きたもうた。
知らねばならぬものとは、なんであろうか。
(1) 色(body)、(2) 受(感覚)、(3) 想(知覚)、(4) 行(脳の中枢)、(5) 識(dhamma) は知らねばならぬものである。こういうものを、知るべきものであるという。
あまねく知るとは、どういうことであろうか。
(1) 貪欲、(2) 瞋恚、(3) 愚痴を滅尽することである。
そういうことを、あまねく知るというのである。
#2 <知るべきもの> -essence
2> 色、受、想、行、識は、知るべきものである。
2-1> 色、受想行識は、知るべきものである。
2-2> 色は、知るべきものである。
2-3> 受想行識は、知るべきものである。
3> 貪欲、瞋恚、愚痴を滅尽することを、あまねく知るという。
「友よ、この涅槃を実現する道は、まことに善い。そこにいたる方法は、まことに素晴らしい。「友サ-リプッタよ、それはまた勤め励むに足る」
このお経のessenceを求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。
#3 <涅槃> ー4
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■■■■■涅槃とはなんであろうか。
貪瞋痴の壊滅■■■を称して涅槃という■■■■。
涅槃を実現するに道■■■■■、■■■■■方法があるであろうか。
涅槃を実現する道■■■、■■■■■方法がある。
涅槃を実現する道、■■■■■方法はなんであろうか。
八正道こそは、その涅槃を実現する道■■■、■■■■すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
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このお経のessenceを求めて、さらに、不要の■■を消去しま
しょう。
#3 <涅槃> ー5
涅槃とはなんであろうか。
貪瞋痴の壊滅を称して涅槃という。
涅槃を実現するに道、方法があるであろうか。
涅槃を実現する道、方法がある。
涅槃を実現する道、方法はなんであろうか。
八正道こそは、その涅槃を実現する道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテイー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なるアナータピンデイカ(給孤独)の園にましました。
その時、一人の比丘があり、世尊のましますところに到り、世尊を拝して、その傍らに坐した。傍らに坐したかの比丘は、世尊に申しあげた。
「大徳よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、大徳よ、いったい、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか」
「比丘よ、貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。これをもって、もろもろの煩悩の滅尽を説くのである」
世尊がかくのごとく説きたまえるとき、かの比丘は、また世尊に申しあげた。
「大徳よ、また、不死、不死と仰せられますが、大徳よ、いったい、不死とはいかなることでありましょうか。また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか」
「比丘よ、貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死というのである。そして、かの聖なる八支の道こそが、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である」
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ある時、■■■■■
■■■■一人の比丘が■■■■■世尊に申しあげた。
■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏と仰せられますが、■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。
■■■■■貪欲の調伏、瞋恚の調伏、愚痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。■■■■■
■■■■■かの比丘は、また世尊に申しあげた。
■■■■■不死、不死と仰せられますが、■■■■■不死とはいかなることでありましょうか。また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。
■■■■■貪欲の壊滅、瞋恚の壊滅、愚痴の壊滅、これを名づけて不死という■■■■。■■■■■八正■道■■が、不死にいたる道である。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
調伏と壊滅、涅槃と不死は、同義語です。
このお経の essence を求めて、不要の■■を消去します。
#4 <一比丘> -3
ある時、一人の比丘が、世尊に申しあげた。
「貪瞋痴の調伏と仰せられますが、貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、ありましょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを指していう言葉である。
かの比丘は、また世尊に申しあげた。
不死、不死と仰せられますが、不死とはいかなることでありましょうか。
また、不死にいたる道は、どのようなものでありましょうか。
貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
このお経の essence を求めて、さらに、不要の文字を消去しましょう。
#4 <一比丘> -4
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貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉で、■■■しょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまを■■■いう言葉である。
■■■■■不死とはいかなることで■■■しょうか。
■■■不死にいたる道は、どのようなもので■■■しょうか。
貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
#4 <一比丘> -5
貪瞋痴の調伏とは、なにを指していう言葉でしょうか。
貪瞋痴の調伏とは、涅槃のさまをいう言葉である。
不死とはいかなることでしょうか。
不死にいたる道は、どのようなものでしょうか。
貪瞋痴の壊滅を名づけて不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
#4 <一比丘> -6
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貪瞋痴の調伏とは、涅槃■■■をいう■■■■■。
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貪瞋痴の壊滅を■■■■不死という。
八正道が、涅槃/不死にいたる道、すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
このお経の essence は、次のようになります。清書します。
#4 <一比丘> -essence
6> 貪瞋痴の調伏/壊滅を、涅槃とも不死ともいう。
7ー1> 八正道は、涅槃/不死にいたる道である。
7ー2> 八正道は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、 正念、正定である。
比丘たちよ、では、わたしは、何を説いたであろうか。比丘たちよ、<こは苦なり>とわたしは説いた。<こは苦の生起なり>とわたしは説いた。<こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。
比丘たちよ、では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたであろうか。比丘たちよ、それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。
されば、比丘たちよ、<こは苦なり>と勉励するがよい。<こは苦の生起なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。また、<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである」
#5 <シンサパー> -2
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ある時、世尊は、■■■■■その手にすこしばかりのシンサパーの葉をとって、比丘たちに告げて仰せられた。
■■■■■汝らはいかに思うか。わたしが手にとっている少しばかりのシンサパーの葉と、この上のシンサパー林にあるそれといずれが多いであろうか。■■■■■世尊がその手にとりたまえるシンサパーの葉は少なく、この上のシンサパー林にあるそれは多うございます。
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それとおなじように、わたしが証知して、しかも、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いのである。■■■■■では、なにゆえに、わたしは、
それらを説かなかったのであろうか。■■■■■それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃にも資することが
ない。そのゆえに、わたしは説かないのである。
■■■■■では、わたしは、何を説いたであろうか。■■■■■<こは苦なり>とわたしは説いた。<こは苦の生起なり>とわたしは説いた。 <こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。■■■ <こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。
■■■■■では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたのであろうか。■■■■■それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。
されば、■■■■■<こは苦なり>と勉励するがよい。 <こは苦の生起なり>と勉励するがよい。 <こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。■■■<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである。
それとおなじように、わたしが証知して、しかも、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少いのである。
では、なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったのであろうか。それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃にも資することがない。そのゆえに、わたしは説かないのである。
では、わたしは、何を説いたであろうか。<こは苦なり>とわたしは説いた。 <こは苦の生起なり>とわたしは説いた。 <こは苦の滅尽なり>とわたしは説いた。<こは苦の滅尽にいたる道なり>とわたしは説いた。
では、なにゆえに、わたしは、それらを説いたでのあろうか。それは役に立ち、梵行のはじめとなり、厭離、離貪、滅尽、寂静、証智、等覚、涅槃に資るからである。そのゆえに、わたしは説いたのである。
されば、<こは苦なり>と勉励するがよい。 <こは苦の生起なり>と勉励するがよい。 <こは苦の滅尽なり>と勉励するがよい。<こは苦の滅尽にいたる道なり>と勉励するがよいのである。
わたしが証知して、汝らに説かざるところは多くして、説けるところは少い。
なにゆえに、わたしは、それらを説かなかったのであろうか。それは役にも立たず、梵行のはじめともならず、滅尽、涅槃にも資することがない。そのゆえに、わたしは説かない。
わたしは、何を説いたであろうか。わたしは[四つの真理]を説いた。
なにゆえに、わたしは、[四つの真理]を説いたであろうか。それは役に立ち、梵行のはじめとなり、滅尽、涅槃に資するからである。そのゆえに、わたしは説いた。
されば、[四つの真理]を精進するがよい。