おバカな私と友人その他

雷雨( 1 / 1 )

 私の小学校では梅雨明けの時期になると雷雨がすごかった。毎年一回最後にドババッと雨が降る。バケツをひっくり返すというが、バケツはバケツでもジャイアント馬場が湯船に使えるくらい大きなバケツと思われる。毎年の様にまた雷雨の時期がやってきた。
  ちょうどプールに入っていたときである。にわかに天はかき曇り一陣の風吹き荒れば、嵐、雷雲と共にやってくる、あっ、ベンッ、ベンッ。と琵琶法師がいたら そう歌ったに違いない。本当にそんな感じなのだ。みんなとりあえず。体育館の玄関の屋根の出っぱったところの下にはいった。
 しかし、雷という物は大変うるさい。故に雷という字がつく言葉はうるさいものばかりである。俗に雷おやじとよく言うが、なんと、国語辞典に乗っている。私でさえのっていないのに、雷おやじも出世したものである。しかし、あまり良く書かれてはいない。
「何かにつけ怒鳴りつけるおやじ」(小学館 現代国語例解辞典参照)
 そのまんまではないか・・・。雷は、
「電気を帯びた雲と雲との間、あるいは、雲と地表との間に起こる放電現象。またそれに伴う大音響」(小学館 現代国語例解辞典参照)
  と記されている。個人的には、「それに伴う大音響」という下りがきにいっている。しかし、なぜ私が辞典を引いたかというとどうして、音がなるのか調べた かったのだ。私の目的は大音響の一言で終わりである。きっと、雷様が太鼓でオーケストラの真似ごとでもしているのであろう。
 ゴロゴロ、ピカーと雷が鳴っている。ピカーと光るとなぜみんな一斉に数を数えるのだろう。しかし、私も例外ではなく、思わず数を数える小市民である。なんの打合せもしていないのに、
「ちょっと、ちょっと今の何回だった。」
「3回。」
「やっぱり。」
 この会話が成立する。そこには、数を数えるという暗黙のルールが存在するのだ。きっと、このルールはジャンケンと同じぐらい古いのだろう。さて、体育館の玄関の屋根の下で、
「ボンちゃんうるさいねぇ。」
「うん。」
 そんなたわいもない話しをしている時だった。ピカー、ドーン、光と音が同時だった。そう、すぐそこに雷が落ちたのだ。グランドのど真ん中、なぜ、ポプリの木に落ちなかったのか不思議ではあるがそこにいる全員が雷がグランドに落ちるのを目撃した。
「はじめて雷が落ちるのを見た、凄い、もし私があそこに居たらどうなっていたのだろう。」
 そこに居たら死んでいる。人間トースト一丁上がりである。家に帰ってその話しをしたら、当時6年生だった、私の一番上の姉が、
「私なんか山の木に落ちるのを見たよ、木が真っ二つに裂けて燃えたんだよ、それは、それは凄かったよ。」
「ほぉ、そんなに凄い落雷を見たのかやっぱり年の功にはかてないな。」
 たかが、3〜4年である。こんな事では、お爺ちゃんには一生勝てないとふと思った私であった。

食事( 1 / 1 )

 私の父の趣味はハンティングである。いい年してライフルを持ち、山を跳ねまわる。最近では投網(とあみ)も始めた。なかなか、ワイルドな父と一部では有 名である。故に私はこれまで数々の一般人は食べないと言われるものを食べてきた。その一部を初めて食べたときの話しをしながらあげていこう。まずは炊き込 み御飯である。
 その日の炊き込み御飯には鳥肉が入っていた。
「うーん、この肉ちょっと固いな、それに味も少し変」
 そんなふうに感じた。
「ちょっと、これ何の肉?。」
 父に聞くと
「ハト。」
「へっ。」
 あの平和の象徴ハトポッポである。私の家の炊飯ジャーには今、平和の象徴が哀れな姿ではいっている。広島市民は驚きであろう。しかも、私はそれを食べたのだ。ま、いっか。ハトを食べれるくらい平和なのだ。そう思いながら私は平和の味を噛みしめた。
 つぎは刺身である。父が何か赤い色の刺身を食べていた。どう見ても魚ではない。
「おぉ、馬刺しか」
 私はそう思った父もそう言ったのだ。
「ちょっと、ちょうだい。」
「ほらっ。」
 パクッ姉二人の顔が「うわぁ。」という表情に変わった。
「私が何かしたのだろうか、んっ、馬刺しにしては歯ごたえが変」
 そう思った。
「ちょっと、これ本当に馬刺し。」
 父に聞くと
「うんにゃ。」
「はっ、なら何。」
「ウサギ。」
「へっ。」
  あの私の小学校でも飼っているウサギである。父達の業界用語で言うならピョンタ、私が熊に襲われたとき変身したいと思った動物である。今まで火を通したも のなら食べたことはあったが、刺身は初めてであった。まさに、野性の味である。グロテスクに言うなら、捕まえたウサギにそのままかぶりつくに等しい食べ方 である。しかし、まずくはないから、ま、いっか。
 私の記憶にあるのはこれだけである。まだ確かいろいろあったようなきがするが覚えていない。ここだけの話しだが、天然記念物なる物も食べたことがあるようなきがする。私の食生活はなかなかおもしろい。今度うちに来て機械があったら、ハトかウサギをごちそうしよう。

しょうもないこと( 1 / 1 )

 私はしょうもないことをよく知っている。友達によくいろいろ聞かれては答えたものだ。
 中学のときに友達一人に、
「ひらくんに聞けば何でも解る。」
 と言われたことがある。私は歩く百科事典なのだろうか。しかし、その内容たるや人生においてほぼ意味を持たないものか、ちょっと役に立つ事しかない。たとえば、
水は別名アダムのビールと呼ばれるとか、
ゴキブリとはゴキブリ目に属する昆虫の総称だとか、
人間の腸を全部広げるとテニスコート並みの広さになるとか、
御飯にしんができたらカップいっぱいの酒をまぶして炊けばしんはなくなるとか、
お箸の先にちょっと塩をつけて卵をとくと白身と黄身がはやくまざるとか、
フロッピーディスクを発明したのはドクター中松だとか、
食塩水にアミノ酸を入れるとスポーツドリンクの味になるとかである。
 ちょっと思いつくのを書いてみただけでこれだけある。これが多いか少ないかは個人の受け取り方しだいだが、しょうもないことが多いのはじじつである。しかも、私はしょうもないことに限って情熱を燃やす。
 小学校のとき、捨ててあったスプレーの缶を拾った。押さえてみるとプシューッとガスだけが出てくる。
「このなかに水を入れればこのように出てくるに違いない」
 今思えばとんでもない大バカな思いつきだが、そのときの私の頭には友人のボンちゃんにスプレーのガスのごとく飛んでいく水をかける夢の世界が広がっていた。
 水道に走る。ニヤッと不敵な笑いを浮かべながら、蛇口をひねりスプレーの口を蛇口にあてがう。
「よしっ、そろそろいいだろう。」
 押さえてみる。プシュー、ガスがでるだけである。水が出る訳がない。
「よしっ。」
 私は残した牛乳のストローを使って水道の蛇口とスプレーの口をつないだ。
「こうすれば水圧が上がってその力でこの細い口からも水が入るだろう。」
  頭がいいのか悪いのかよくわからない奴である。その結果飛び散る水でボンちゃんではなく私がびしょ濡れになった。それでもあきらめずに私はスプレーに挑ん でいた。しかし、そんな私もとうとうあきらめた。土曜日の4時になっていた。学校が終わってすぐ取りかかったはずだから私は4時間ほど水道と格闘していた ことになる。この間抜けな行為に浪費された私の情熱が別のところに使われていれば、私は今頃きっと秀才くんである。
 はて、確か蛇口を90°開くと1分間にでる水の量は約4リットルだと聞いた覚えがある(たぶん)。私は全快にしていた。蛇口が三回まわったとして全部で1080°、90°で割ると12で、
12×4=48
 である。
 超単純計算をするとこうなる。4時間は240分だから、
240×48=11520
 なんだこの数は、私は計算でいくと、約12tの水を使用したことになる。
  とんでもないガキだ。止めたり出したりしていたからきっと、もうちょっと少ないだろう。それに、不確かな情報をもとに計算した結果である。きっと、6tぐ らいには減る。あぁ、フォローになっていない。水道局もビックリしたであろう。なんせ、土曜日に突然小学校の水道から6tの水が消えたのである。訳のわか らないガキがしょうもない計画によって、6tの水を使ったなどとは局員はもちろんお釈迦様でもご存じない。いやっ、お釈迦様はご存じで水を無駄遣いした私 を怒っていたかもしれない。もったいないお化けも私をターゲットにえらぼうかと悩んだに違いない。
 あぁ、また私はしょうもない計算に時間を費や してしまった。待てよ、今これを書いていること自体しょうもないのではないだろうか。いやいや、それをいっちゃあおしまいだ。私が好きでしているのだから しょうもなくない筈である。それなら、しょうもない時間などないのであろうか、あぁ、きっとしょうもない時間を追求するこの時間が一番しょうもない時間な のだろう。

読書( 1 / 1 )

 私は小学校の頃、忍者の事を書いてある本をよんだ。その本には忍者の発祥からいろいろな忍術、さらには修行の仕方までのっていた。しかし、私の興味をそそったのは、忍術でも修行の仕方でもない、忍者の使う薬物である。おそらくこの3つの中で一番現実身を帯びていたからだろう。しかし、悲しいことに調合の仕方を書いているにはいるのだがこうである。
「まず、イモリの尻尾、こうもりの羽根、鷹の爪、蛙の干物を擦りつぶし最後に忍者秘伝の薬を混ぜるとできあがり。」
 なめんなぁー、全ての薬の説明が、
「忍者秘伝の薬を・・・」
 でかたずけられている。それまでのイモリやらこうもりやら鷹やら蛙など関係なし、まるで薬を包むオブラートなみの代物である。重要なのは正路丸である。忍者秘伝の薬なのだ。しかし、判明しても、
「最後に忍びの里でしかとれない、なんたらかんたらを混ぜて出来上がり。」
 だろう。どうせこの世にないのだ。インチキ忍者め。
 もう一つの本を紹介しよう。世の中あるなしなんたらかんたら。という題だった。かなり昔のためあまり覚えていない。この中で印象に残ったのはUFOを捕まえた少年の話しである。驚いたことに虫とり網で捕まえたと言うじゃないか、この本を読んだらきっと米国のNASAは、泣き叫ぶだろう。しかも、この少年のUFOを捕らえる過程がとんでもない。
 少年は草原で昆虫採集をしていたそうだ。すると前方にりんごくらいの大きさの光る物体が浮かんでるじゃないか。少年は考えた。よしっ、
「シュパッ。ゴン、ボテ。」
 なんと少年は小石を当てたのだ。「UFO」に「小石」をだ。何万光年という道のりを越え、光速移動可能なUFOに小石をだ。少年の小石は世界最強の飛び道具と言える。きっと、この少年がメジャーリーガーになれば恐ろしいことになるにちがいない。
「光速の球を投げる男」
 かっこいい。客は入りまくるに違いない。しかし、光は1秒で地球を四週半できる。この少年が全力投球をすれば0.25秒後に少年は吹っ飛んでいる。命拾いしたな。もしUFOがいなったら少年は今ごろ死んでいるはずだ。
 で、このつかまえたUFOだが、どうなったかというと消えてしまったらしい。少年はUFOを虫取り網で捕まえると、紙袋に入れて、家に持ち帰った。とりあえず一言、言いたい。
「UFOを紙袋に入れんな」
 UFOだぞUFO、未確認飛行物体だ。パップラドンカルメだ。あれ、それは未確認お菓子物体か。
 家で紙袋をあけてみると、UFOは消えていた。紙袋はどこも破れていなかった。本の結びには、
「瞬間移動でもしたのであろう」
 と、書かれていた。うんうん、UFOなんだからそれくらいしてもらはなくては困る。小石一発でやられたんでは、情けないじゃぁないか。
 さて、私は他にもいろいろな本をよく読んだ。でも小学校の頃だけ。最近読書とは遠のいている。久しぶりに読んでみるかなぁ。
ひらくん
おバカな私と友人その他
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