おバカな私と友人その他

田舎の小学校( 1 / 1 )

 私のいた小学校は木造平屋建という代物だった。全校生徒も50人弱、私の同学年はたったの5人という、超田舎である。ここまで田舎だと鼻も高い、なん てったって熊もでるのだ。夏になると毛虫が道端で車にひかれてたくさん死んでおり、虫嫌いの私にとってはまるで地獄絵図だった。さらに登校途中の大きな橋 の上ではある時期になると産卵を終えたかげろうの死体が雪のように2〜4cm程積もる。これも私にとっては地獄である。かげろうの死体というのは困ったも ので臭い、更によく滑る。私は、こけたことがないが、私の知人でこけた人を何人か見かけた。それをみるたび自分がこけたところを想像してしまい気持ち悪く なる。私は、熊に遭遇するよりもここでこけるほうがいやだと思ったほどである。しかし、学校は面白い、全校生徒1〜6年生までみんなお友達である。昼休み には全校のほぼ2/3がグランドで一つのスポーツを一緒にする。先生達の半分もまざっている。特に冬のサッカーは面白かった。保健の先生などは長靴にカイ ロを5〜8個ほど詰めて頑張っていた。誰がきめたわけでもないのに、季節ごとにやるスポーツは決まっていたようなきがする。
 数年前の事である。 私やみんなは、木造の校舎が大好きだった。なんとも言えない温もりがあった。木の床も木の壁も木の柱も全てに命があった。しかし、そんな校舎も年月には勝 てなかった。何十年もこの場所に立っていた校舎の取壊しが決定した。鉄筋コンクリートになってしまうのだ。みんな口を合わせて嫌だと言った。誰も望んでい ないのに取り壊されてしまうのだ。こんなに、みんなに愛されているのに・・・。
 取り壊されるのは校舎だけではなかった。グランドにあった、大きなポプリの木も桜の木も菜の花の咲く場所もクローバーのたくさん咲く場所もみんな、みんな消えてしまう。
  工事の着工は私たち5人が卒業してから始まった。学校の側を通るたびに思い出の場所が一つ、また、一つと壊されていった。心が痛かった。私たち5人も今ま での卒業生達もみんな声には出さなかったが、みんな泣きたかった。昔、この小学校にいた先生も何人か尋ねてきた。一度でもそこで生活すればずっと忘れられ ないような場所だったのだ。
 そして、工事は終わった。奇麗な鉄筋コンクリートの校舎と殺風景なグラウンドがそこにはできた。今では先生達のなか で、木造校舎を知る人はほんの2〜3人になってしまった。生徒も、もうそろそろ、木造校舎で暮らした年代は誰も居なくなるだろう。木造校舎の後をしのばせ るのは、写真と私達の心の中のあの暖かい姿だけである。

田舎のある朝のこと( 1 / 1 )

 当時、中学生だった私は、学校まで自転車で通っていた。その日はいつもより遅くなり急いでいたようなきがする。
 いつもの道を通っていると、ガサッ、ガサッ、と音がする。私は急に止まった。過去に熊と出会った場所である。しかし、今回はこちらの岸の方の山から音がする。
「もしや、あの時の熊では。」
  熊に会ったのは、この時からやく3〜4年前である。もし、そうならあの熊は私を大きくなってから食べようと思ったのだろうか。まるで小魚を釣り上げたおや じのような熊である。しかし、様子がおかしい、すぐ近くで音がするのに、いっこうに姿が見えない。それどころか、小さな影が2〜3個見える。
「うーん、一体なんだろう・・・あっ、こんな事を考えている暇はない急がなければ。」
 その時一つの黒い影が私の前の道路に飛び降りた。
「えっ?。」
 私の目は点になった。『猿』である・・・。赤いお尻をこちらに向けて、前のほうを見ている。そしてこちらを振り返る。バチッ、目線があう音がしたような気がする。向こうも気まずいのか動きが一瞬止まった。猿と見つめあっても嬉しくない。そのまま5秒程たったろうか、
「ウキィッ。」
 猿は突然ないた。思わずウッキィと言いたくなる。猿は山の中に向かってもう一声した。
「ウッキィキィ。」
 すると驚いたことに、ぞろぞろと猿が出てくるではないかコアラのマーチどころかお猿のマーチである。私の頭の中では、オモチャのマーチがお猿のマーチとして流れだした。まさに、「お猿のマーチだ、ラッタッタ。」といった感じてある。
「あぁ、さすが超田舎、猿までいるのか、今度から敬意を称して、グレェート超田舎と呼ぼう。」
 お猿の登場によって、私の故郷は超田舎から『グレェート超田舎』に格上げである。最後の猿が川の方へおりていった。
「おやっ。」
 少しだけおじぎをしたような気がした。

ついてない日( 1 / 1 )

 ついてない日、誰しもそういう日は有るもので、私も例外ではない。
 中学の頃である。私はその日の帰り、本屋でボンちゃんを待っていた。しかし、ボンちゃんはこない。土曜だったので私は待ちに待った。2〜3時間待っただろうか、私は楽しい時間を待つことは苦にならない。
  ボンちゃんがやってきた。どうやら大変驚いた様子である。そうであろう、いい若いもんが3時間も友達を待っているのだ。私もそんな奴がいたら驚くだろう。 しかし、私としては、暇人なのでどうってことない。それよりも私は、3時間過ぎてもこの場にやってくるこのボンちゃんはなかなかすごいと思った。しかも、 ボンちゃんの台詞が泣かせる。
「ごめん、まだ、だいぶ時間がかかりそうなんよ、先に帰っていいよ。」
 おしゃべり好きの私としては泣かせ るどころか泣きたくなる心境である。3時間待った事よりも話し相手なしで、家まで自転車を一人でこぐことが悲しい。待とうかとも思ったが、帰る事にした。 今日はお店に寄って、チャリ通の必需品であるカッパを買うのだ。しかも、そのお釣りは私の懐に入る。ちょうど財政難の私にとっては降って湧いたようないい 話しであった。カッパを買って、お釣りを手に入れた私はホクホクの笑顔で家に帰った。
「あぁ、疲れた疲れた、おやっ、財布がない。」
 家の何処を捜しても財布は、見つからなかった。ガチャラピコーンである。
「あぁ、私の全財産。」
 村の長者からお百姓さんに格下げである。しかし、私はお百姓さんからホームズになることにした。
「きっと、何処かに落としたに違いない。」
 私はさっそうと自転車に乗った。しかし、しょせんはただの私、気持ちはホームズでもただの中坊である。ポワロになっても変わらなかった。
「一体何処にあるのだろう・・・おやっ。」
  ポトリ、ポツリ、と雨が降る。などと呑気に言っている場合じゃない。しかし、すでに私はびしょ濡れである。結局、ホームズもポワロも財布を見つける事なく 濡れただけであった。次の日、前日の運勢を引きずっていたのか、雨が降った。私はカッパをきて家を出た。そして、豪快にこけた。チャリでこけると痛い。予 防注射より痛い。「あっ、こけそう」と思ったらこけているのだ。私は手の皮を少しすりむいた。
「おやっ。」
 カッパが破けている。
「なんということだろう、買った次の日に破れるなんて、お店の人は、これ丈夫だから高校までもつよ、などといっていた、あと1年もある。」
 インチキな中国商人に騙されたようなきがする。
「私の幸せなカッパライフを返してくれ。」
 その時は本人、手が麻痺していて気がつかなかったのだが、この事故で私は右手の人差し指を骨折した。全治1ヶ月だ。本当にすごい、一度保健室に行ったときなど、先生に「ほんとに大丈夫、ちょっと曲げてみて。」
 と言われてクイクイ曲げていたのだ。麻痺と言うのは恐ろしいものである。この結果不自由な暮らしをすることになった。私の幸せなスクールライフも返して欲しいと思った。

雷雨( 1 / 1 )

 私の小学校では梅雨明けの時期になると雷雨がすごかった。毎年一回最後にドババッと雨が降る。バケツをひっくり返すというが、バケツはバケツでもジャイアント馬場が湯船に使えるくらい大きなバケツと思われる。毎年の様にまた雷雨の時期がやってきた。
  ちょうどプールに入っていたときである。にわかに天はかき曇り一陣の風吹き荒れば、嵐、雷雲と共にやってくる、あっ、ベンッ、ベンッ。と琵琶法師がいたら そう歌ったに違いない。本当にそんな感じなのだ。みんなとりあえず。体育館の玄関の屋根の出っぱったところの下にはいった。
 しかし、雷という物は大変うるさい。故に雷という字がつく言葉はうるさいものばかりである。俗に雷おやじとよく言うが、なんと、国語辞典に乗っている。私でさえのっていないのに、雷おやじも出世したものである。しかし、あまり良く書かれてはいない。
「何かにつけ怒鳴りつけるおやじ」(小学館 現代国語例解辞典参照)
 そのまんまではないか・・・。雷は、
「電気を帯びた雲と雲との間、あるいは、雲と地表との間に起こる放電現象。またそれに伴う大音響」(小学館 現代国語例解辞典参照)
  と記されている。個人的には、「それに伴う大音響」という下りがきにいっている。しかし、なぜ私が辞典を引いたかというとどうして、音がなるのか調べた かったのだ。私の目的は大音響の一言で終わりである。きっと、雷様が太鼓でオーケストラの真似ごとでもしているのであろう。
 ゴロゴロ、ピカーと雷が鳴っている。ピカーと光るとなぜみんな一斉に数を数えるのだろう。しかし、私も例外ではなく、思わず数を数える小市民である。なんの打合せもしていないのに、
「ちょっと、ちょっと今の何回だった。」
「3回。」
「やっぱり。」
 この会話が成立する。そこには、数を数えるという暗黙のルールが存在するのだ。きっと、このルールはジャンケンと同じぐらい古いのだろう。さて、体育館の玄関の屋根の下で、
「ボンちゃんうるさいねぇ。」
「うん。」
 そんなたわいもない話しをしている時だった。ピカー、ドーン、光と音が同時だった。そう、すぐそこに雷が落ちたのだ。グランドのど真ん中、なぜ、ポプリの木に落ちなかったのか不思議ではあるがそこにいる全員が雷がグランドに落ちるのを目撃した。
「はじめて雷が落ちるのを見た、凄い、もし私があそこに居たらどうなっていたのだろう。」
 そこに居たら死んでいる。人間トースト一丁上がりである。家に帰ってその話しをしたら、当時6年生だった、私の一番上の姉が、
「私なんか山の木に落ちるのを見たよ、木が真っ二つに裂けて燃えたんだよ、それは、それは凄かったよ。」
「ほぉ、そんなに凄い落雷を見たのかやっぱり年の功にはかてないな。」
 たかが、3〜4年である。こんな事では、お爺ちゃんには一生勝てないとふと思った私であった。
ひらくん
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