おバカな私と友人その他

仲良し( 1 / 1 )

 今日はクリスマスである。しかし今年のクリスマスは、もう過ぎてしまった。現在クリスマス経過30分たった。光速で地球を逆回転して30分さかのぼればクリスマスに戻れるのだが、どうせ仕事しているのでやめておこう。ちなみにこの技はスーパーマンがやっていた。私にはできないので期待しないように。

  私は寮暮らしになったのでコタツが無い。特にコタツが好きではないが、コタツに入って食べるアイスが好きなのだ。寒い冬に余裕でアイスを食べられるあの設備、考案した人にノーベル賞をあげよう。しかし、無理なので、 「あんたはホットで賞」byひらくん  で、我慢してもらう。

  そういえば、子供のころコタツで寝ているとよく怒られた。 

「あんた、そんな所で寝たら風邪ひくよ!」

  今まで数々の風邪に出会って来たが、コタツが原因で風邪になったことは無い。嘘つき。嘘といえば昔こんな嘘をついたことがあるそう、あれは小学校一年生のころである。

  私の親友にみんなにボンちゃんと呼ばれている少年がいた。彼は非常におっとりしていてまるでパンダの様だった。彼のために言っておくが、けして体がバカでかいわけではない。まぁ、パンダもおっとりしているわけではないがイメージの問題である。そんなボンちゃんに私はある日こんなことを言った。

 「僕の家にはタイムマシンがあるのだ。」

  今思えば妄想僻の危ない奴だが、こんな危ない奴の言うことをボンちゃんは本気で信じてしまったのだ。

 「本当、すげぇ~。」

  嘘に決まっている。きっといつかボンちゃんは誰かに騙されるだろう。すでに私が騙している。気をつけろボンちゃん。そういうわけでしばらく私はボンちゃんに冒険談を話し続けることになる。

  恐竜のいる時代に行ったら燃料がきれそうになってヒヤヒヤしたとか、江戸時代に行って昔の先祖に会ったなどなど、最後には、

 「あるボタンを押すとすごく小さくなってね、人間の体にも入れるんだよ。この間ボンちゃんが寝てる間にチョット入らせてもらったから。」

 「えぇー!、いつのまに」

 「ボンちゃん右の奥歯に虫歯があるよ、早く治しなよ」

  と、2、3ヶ月前の歯科検診の内容までもちだす周到さだった。

  しかし、これくらいになれば嘘だとばれるだろうと私は思っていた。が、驚いたことにボンちゃんは全てを信じていたのである。あぁ、誰かが言っていた、

 「信じるものは救われる・・・」

  こんな話しを信じたところで救われはしない。ごめんよボンちゃん・・・。

  こんな日が何日つづいたろうか。私はボンちゃんに本当のことを打ち明けるこにした。 

「実は、今までの話しは全部嘘なんだ」 

 ボンちゃんのショックは大きかったらしく、しばらく口さえ聞いてもらえなかった。当然である。仮に私がボンちゃんならそうしたであろう。今までどんなに喧嘩をしても次の日には仲直りしていた。しかし、こんどばかりはちがったようだ。

  三日ほどたったろうか、そこには一緒に遊ぶ二人の男の子がいた。

水泳( 1 / 1 )

 私は水泳が好きである。どれくらい好きと言えば、コタツで食べるアイスぐらい好きだ。
 小学校の頃、体育の授業で、
「どれくらい泳げるか測るから一人づつ泳げ」
 と先生に言われ2000メートルまで泳いだところで止められた。悲しい・・・。ちなみにボンちゃんも2000メートル泳いだが、脱水症状で倒れた。まぁ、あれだけ動いて水を飲んでいないのだからしょうがない。水に浸かっていても汗はちゃんとでているのだ。その点から考えるとカエルも倒れそうだが、きっと泳ぎながら水を飲んでいるのだろう。しかし、今までに何匹かは倒れたにちがいない。私はそう願う。
 私には昔、泳ぎの才能があったらしい。小学校の頃の話しである。
 ほかの地域ではどうか知らないが、私たちの地域では毎年夏になると「水上記録会」なるものが市(県かもしれない)の小学校全体で行われた。地区ごとに開催し、全体のランキングを出すといった物だ。
 その大会のために放課後になると水泳の練習をしていた。
 私の通っていた小学校は人数が少ない、同級生なんか、5人しかいない。全校生徒は54人だった。ようするに私の住むところは田舎である。誰かが言っていたが、人間の数より狸のほうが多いらしい。
 まぁ、今のは嘘だがこんな言葉が真実味をおびてくる程、田舎なのだ。
 狸の少ない地区では選手になれない人もいる。しかし、私のいた小学校は全員選手である。全員と言っても選手は5年生と6年生だ。1~4年生は普通は出場できない。が、うちはちがった。4年生だった私達5人もかりだされたのだ。
 練習はきつい、あの運動量なら今の倍は稼げる。それほどきついのだ。練習を見ていたのは岡本先生だった。私にとっては3~6年生まで4年間お世話になった恩師である。
 練習は3時くらいからはじまる。約2時間程の練習だが、その間みんな半魚人である。ほとんど水からあがらないのだ。
 練習の内容は、
「25m×10」
「ビート板を股にはさんで腕の練習25m×5×3(クロール・平、背泳ぎ)」
「ビート板を手に持って足の練習25m×5×3」
 こうやって書くとどうってことないように聞こえるが実際はかなりの練習量である。この後にその日の各泳ぎの記録をとる。そして最後に3つあるコースをジグザグに泳ぐ75m×先生の気分。
「おいおい、これが小学生の練習なのか。計算すると(先生の気分=5)約1500mになるぞ、私の家まで往復してもまだおつりが来るじゃないか」
 と、今は思うがその頃の私は素直にシュイシュイ泳いでいた。それはなぜか? 答えは飴である。練習が終ると岡本先生が飴を1つくれる。自分の記録を更新すると飴がなんと2つも貰えるのだ! まさに飴と鞭である。まぁその飴がチュッ◯チャッ◯ス1つとかならまだゆるそう。だが私達がもらっていたのは1つの袋に20~30個入りの安物である。
 岡本先生はこう思っていたのだろう、
「小学生なんざこんな飴一つで十分、十分」
 そのとおりである。
 ここいらの小学生はどうか知らないが私達にはそれで十分だった。
 さて、水泳の練習が終り先生から飴をもらい、おいしくいただいた後はバスケットボールの練習がまっている。その練習が終るのがだいたい7時30分、家に帰りつくのが約8時という過密スケジュールである。しかもこれが毎日、
「おいおい、いつか死ぬんじゃないか」
 と、私は思っていたが、今日までスクスク育ってきた。人間そう簡単には死なないらしい。
 さて、水上記録会の結果だが岡本先生の指導のおかげか、はたまた私の才能か好成績をおさめることができた。
小学校4年(5年の部に出場)平泳ぎ 優勝
小学校5年 平泳ぎ 優勝、クロール 2位
小学校6年 平泳ぎ 優勝(地区新)、クロール 優勝
『バンザーイ!!』

一輪車( 1 / 1 )

 私は一輪車に乗れる。嘘ではない。本当に乗れるのだ。言っておくが、土を運んだりするときに使う一輪車ではない。サーカスで使っている、つついただけで倒れそうなあの一輪車である。でも今はもう乗れないかもしれない。私が一輪車に乗っていたのは小学校のころである。
 私の小学校ではたしかベルマークをあつめていた。私は卒業するまで知らなかった。きっと極秘に計画は進行していたのだろう。しかし、うちの姉二人は知っていたらしい。いつか私がマヨネーズの袋を捨てようとするとこう言われたことがあった。
「ちょっとそれ捨てないで、とっといたんだから」
 きっとベルマークを集めようとしていたのだろうが、当時の私は、
「うちの姉達はマヨネーズの袋を集めるのが趣味なのか。こんなゴミのどこがいいのだ。私ならバーモン◯カレーの箱にするのに、あっちのほうが断然きれいだ。」
 バカな私はこう思っていた。どちらもゴミである。しかし、当時の私は姉達に対抗し本気でカレーの箱を集めようとした。
「よし、明日から集めよう甘口から順番に中辛、辛口、それが終ったらこんどは印◯カレーだ。」
 冷蔵庫を開ける。まだ未開封のカレーの箱が輝いて見える。
「明日はカレーにしてもらおう」
 私のカレー箱ライフは次の日から本当に始まった。しかし、バーモン◯カレー甘口を手にした時、
「これを集めてどうする?なにか役にたつのか?もっとよく考えろ・・・これはただのゴミだ」
 私のカレー箱ライフは一日で終った。
 さて私がこんなことをしている間にもちゃくちゃくとベルマークは集められ、集めたベルマークで学校に一輪車がやってきた。
 最初は、
「すごいすごい、一輪車だ、一輪車だ」
 と、言ってはとりあいになっていたが、ある事実に気づいた。
「乗れない・・・」
 全然乗れない。1メートルも進めない。
「なんだこれは、バランスが悪そうな乗り物だと思ったが、本当にそのとうりじゃないか。」
 と改めて確認し、歩いたほうが速いと私は認識したのである。
 そして誰もが一輪車の存在を忘れかけていた時、あるイベントによって一輪車は一躍脚光をあびることになる。
 『運動会』、そうあの赤と白に分かれて戦うという危険なイベントである。
 岡本先生が言ったのだ。
「今年の運命競争には一輪車もいれるからな」
 みんな驚愕した。誰一人一輪車に乗れないからである。きっと、
「一輪車、このままじゃ無駄だよ、何かいい案はないかね」
「それでは今年の運動会で利用する手はどうでしょう。必死で練習しますよヒッヒッヒッ」
 と、職員会議で話していたにちがいない。
「なんてこった、一輪車なんてドベ確定じゃないか、でもカードを引かなければいいのだ、強運な私は大丈夫」
 と、根拠のない自信で気にしていなかった。
 あくる日からみんな一輪車の練習を始めたが、私とボンちゃんの二人はちがった。こけるみんなを見ては、
「あぁーあ、あんなにヒザをすりむいて、まったく、みっともない」
 と、第三者を気取っていた。
 しかし、そんなある日、大人ぶった生意気な私に天罰がくだる。
 運動会にはもれなく「練習」というおまけが付いてくる。私の小学校も例外ではなく体育の時間などを利用して練習が行われた。当全、運命競争の練習もそこには取り入れられている。
 私は一輪車のカードを引かなかった。練習は何度も何度も行われたが、私は一輪車のカードを引くことはなかったのである。
「おぉ、神様さすがわかっていらっしゃる。」
 などと思いながら一輪車に乗り、こけながら必死でゴールを目指す者を見てはあざ笑っていた。さて、この練習であるが、練習にも本番がある。私達の間では「小運動会」と呼ばれていた。練習の集大成であり本番の完全なリハーサルである。実際に競技をし、得点もカウントして勝敗を決めるので、私はこの小運動会をやるたびに、
「本番をやる必要があるのか?」
 と本番の存在を疑問視していた。しかし、この私の心の声を聞いたのか運命の女神は私に試練を与える。
「まったくただのガキのくせに小運動会にいちゃもんつけるんじゃない!」
 と考えたのだろう。ついに私は小運動会で恐怖のカードを引き当ててしまった。
「一輪車にのって三角ポストを回ってゴール!!」
 若い先生が書いたのであろう。黒のマジックで躍動感溢れる一品に仕上がっている。その時の私は、
「なんてことだ、このカードは一輪車に乗れと言っているのか?フッ」
 と意味も無く鼻で笑っていた。
 ふと見ると無造作に置かれた一輪車がある。普段は遊び道具でしかない一輪車が拷問台に見えた。
 人間いやなことをしている時間は長い物で、ほんの数分の出来事が何時間にも感じられる。きっと人間には「体感時間制御装置」なるものがついているにちがいない。この装置のダイヤルを無意識に、「速い」「遅い」のどちらかに回しているのだろう。当然この時の私のダイヤルは「遅い」のほうに振り切れんばかりの勢いで変化していった。
「あぁ、これから三角ポストをまわって長い直線を進むのか、一輪車に乗って全部進めるかなぁ、きっと無理だろうなぁ、何度もこけるんだろうなぁ・・・」
 様々なことを考えているがこの間おそらく3秒とかかってはいまい。
「このくらいの思考速度で算数のテストを受けられたらなぁ・・・」
 一輪車に足をかけながらそんなことを考えた。たしかにわずかの時間にこれだけのことを考えられるなら算数のテストも「一休さん」みたいに「あせらない、あせらない」などと、たわごとを言いながらできそうだ。
「算数のテストは私にとっていやなことである。だからダイヤルは"遅い"になっているはずだが、なぜ"速い"になっているのだろう? それはなぜか?。きっとそれは"終了"の違いなんだろうなぁ。算数のテストの終了する時間は時間に乗ってやってくるけど、一輪車のゴールする時間は時間に乗って逃げていくからだ。きっとそうにちがいない」
 と、私が意味の無い悟りをひらいているとは誰も気づいてはいないだろう。なんてったって私はさっきからこけまくっている。全然進めない。ずっこけては進み、進んではこけ。「起き上がりこぼし」さながらのガッツを見せている。普通に乗っていると全然進めないので、こける時にさりげなく一輪車を前に飛ばすことを考案したが誰の目から見てもバレバレである。しかし今の追い込まれた私には選択の余地はない。恥をしのんで一輪車を豪快に前にとばす。「一輪車ぶっとばしレース」なら全国ベスト8には入りそうな勢いだ。
 ふと周りを見ると他の選手達も様々なことをしていた。マイクで歌声を披露するものもいれば、仮装をして髪を振り乱し走る人もいる。遥か前方には竹馬に乗って走る姿があった。それら全員が私の目には、いだてん野郎に見えた。
「なんで竹馬があんなに速いんだ。」
 前方の竹馬を見て恐愕する私のわきを二人三脚が風のように走りさった。
 次々と他の選手はゴールしていくが、私のゴールは遥か地平線の向こうである。とうとう最後の一人になってしまった。これがマラソンならアナウンスで、
「最後の選手が帰ってきました。みなさん暖かい拍手でむかえてください」
 などの放送が入り、他の人からも、
「くじけずによく頑張った、完走することに意味があるんだ」
 と、感動の嵐が吹き荒れるところだが実際はちがった。
「パーンッ!」
 暖かい拍手どころか銃声である。驚いて後ろを見ると次の組が一斉にスタートしているではないか。
「おいおい、ちょっと待ってくれ、やっと最後の直線なのに」
 と、あせる私に、ある先生の声が聞こえた。
「平岩っ、手で押せ」
 それなら最初から言え。そうすれば全校生徒の前でこけまくることもなく。ただ、
「平岩君は一輪車に乗れない」
 ということで終っていたのに、今の公的認識は、
「平岩君は一輪車に乗れなくて全校生徒の目の前でこけまくったあげく、手で一輪車を押してゴールした」
 になってしまうではないか。うぉー!
 さて、普通の根性のある若者なら意地でも一輪車に乗ってゴールするのだろうが、あいにく私はそんな根性を持っていない。背後には次組の軍団がせまっている。既に全校生徒の注目も次のレースの行方に向けられいるようで、私のことを気にかけている生徒は一人もいないようである。私はこれ幸いとばかりに一輪車に手をそえると疾風のようにゴールし、ドベの列にそそくさとならんだのである。
 次の日、私はある決心をした。
「一輪車に乗ろう」
 この時、全校における「一輪車にのれない生物」の生息率は20%をきっていた。運命競争の圧力で死に絶えようとしていたのだ。私の小学校で20%と言えば10人程だ。その中の一人が決心したのだ。また一歩、種の絶滅に近付いたといえる。さらに一人で練習するのが嫌だった私は同じく一輪車に乗れないボンちゃんも引き連れ練習を開始することにした。
 休み時間、職員達の思惑どおり一輪車は空前の大ブームとなり、誰もが我先にと一輪車を追い求めていた。マスコミに踊らされる原因はここにあったかと思いつつ一輪車を奪おうとしたが無理だった。もはや一輪車に乗れない奴に貸す一輪車は存在しないのである。弱った私は先生を抱き込み、
「先生、一輪車に乗れない人に一輪車優先制度を適用してくれ」
と頼んだ。世の中なんでも利用しなければ生きていけないのだ。この作戦は見事に効果を発揮し、次の日から私とボンちゃんには専用の一輪車が用意された。先生の一声は小学生には強大なのだ。 さっそく私とボンちゃんは練習を始めた。ジャングルジムにつかまりながら一輪車に乗りペダルを踏む。
「バタッ」
 1mも進まぬうちに倒れてしまった。
「ほんとに人間はこれに乗れるのか」
 私の頭に一抹の不安がよぎった。だいたい物体を一つの点だけで支えることに無理がある。この世で一本足が許されるのは、「から傘お化け」か、「やじろべぇ」ぐらいだろう。私は神からそんな許しを受けてはいない。現に私の足は二本ある。だいたいだれがこんな物を考えだしたんだ。けしからん、これがあるがゆえに私はしなくていい苦労をしているのだ。この先、一輪車に乗れるからといって人生に役立つことがあろうか? おそらくないであろう。さらに、どこかの学校では一輪車に乗れないことが原因でイジメがおこったりしているにちがいない。
「一輪車を作った人よ、あんたぁ罪人だよ」
 などと言いながら私はまたこけていた。これからしばらく毎日これを繰り返さねばならない。私はボンちゃんを見た。どうやら同じ気持らしい。
「乗れるかなぁ・・」
 さて一週間後のある日、そんな私に突然バランスの神が乗り移った。
「あれっ」
 さっきまで、
「ヅテンッ、バタンッ、ゴテッ」
 といっていた一輪車が、
「スイー、スイー、フフンー♪」
 といっているではないか。
「おぉ!なんだこれは?全然倒れないじゃないか、すごいすごい、ブラボー!」
 私は狂気した。自転車に乗れる人はわかると思うがまさに、あの感動よもう一度である。本当に突然である。どうせこけると思いながら乗ったら、あれあれあれっ、である。とうとう私にも神のお許しがでたようだ。から傘お化けの親戚にでもしてくれたのだろう。そんな私を見て負けず嫌いのボンちゃんもすぐさま乗れるようになった。
 これで運命競争はもらったも同然だ。
 大会当日、天気は上々、競技は順調に進んでいった。そして運命競争の番である。
「運命競争の選手は入場門に集まってください」
 係りのアナンスが聞こえるなか、気合いを入れて入場門に向かい、グラウンドを見た。既に前の競技は終り、入場である。私は、
「ついにこの時がきたか、たくさん苦労したなぁ。それもこれで終るのだ。今まで応援ありがとう」
 と、意味もなく誰かに感謝していた。
 10分後、競技も終盤にさしかかりついに私の出番である。ちなみに人数が少ないので、あっという間に出番がくるのだ。
 私はスタートラインについた。
「一輪車めこの間の借りを返してやる」
 悪いのは自分である。一輪車に罪はないが一輪車に乗れるようになった私にとって今の一輪車は奴隷と同じだ。私の思いどうりに動くしもべなのである。だから悪いのは一輪車なのだ。
「パーン!」
 スタートを切った私は一番にカードを引いた。
《一輪車に大人をのせてゴール》
「一輪車に大人をのせてゴール? はて一体何だろう」
 悩んでいる私のよこを一輪車に乗った選手が走っていった。
「おいおい、一輪車を持っていくなよそれは私が・・・」
 その時、私の目にある物が映った。一輪車である。一輪車といってもサーカスで使っている、つついただけで倒れそうな一輪車ではない。土を運んだりするときに使うあの一輪車である。私は絶句した。
「一週間、死に物狂いで練習したのに私はなんと運が悪いのであろう。強運なころが懐かしい。」
 強運な頃も一輪車のカードを引いてはいない。
「しょうがない誰かさがそう」
 私は父を捜した。
「お父さんこっちこっち」
 私の父は痩せている。痩せているといってもガリガリではない。ガッチリというかムキムキというかとにかく筋肉質で一見痩せて見えるのだ。当時見た目で父の体重を判断していた私はそんなに重たくないだろうとたかをくくり父を一輪車に乗せた。
「お、重い・・・」
 それはそうであろう。筋肉質で身長もこの歳では結構高めの168cm。しかもただの筋肉質ではない。
 私の父は電気工事士である。昔、電柱は木で出来ていた。それをコンクリート性の電柱に交換する時、一人で古い電柱を
「ほいさ、ほいさ」
 と、運んでいたというではないか。いくら木といっても今の電柱と同じ位の高さと太さである。ふつう「ほいさ」などと運べる代物ではないはずだ。
「くっ、重い」
私はふらふらしながら父を載せた一輪車を押した。
「ほれほれ、急げ」
 父は楽しそうだ。私の苦しみを少しわけてやりたいが、よく考えたら彼も大変恥ずかしかろう。ジャージを着て一輪車の上に載っているのだ。
 私はゴールを目指し必死で運んだ。うまく歩けないので一歩の幅は30cm程だ。小走りくらいの速さで足を動かしているから、だいたい普通に歩いているのと同じ位の速さである。そのとき少し後方のポールを回った一輪車が私のわきを通りすぎていった。
「歩くより一輪車の方が速い」
私は再認識するとまた一輪車を手で押してゴールしたのであった。

鶏( 1 / 1 )

 私の家では昔、鶏を飼っていた。鶏を飼っていたといっても養鶏のようにでかいわけではなく。10羽ほど飼っていただけである。大きな鶏小屋がありその中に入り込んでは卵をとっていた。
 あれは私が幼稚園の頃のことだ。私は一人で「古い家」に行った。
 私の実家には家が2軒あった。古い家と新しい家である。古い家というのは私のおじいちゃんとおばぁちゃんが住んでいた家で、私もその家ですごした記憶がかすかに残っている。新しい家というのは私の父親が建てた家のことだ。この2軒の家の間にはちょっとした坂道があり、完全に分離されている。古い家のほうはすでに使われておらず、物置になっていた。この物置と化した家が私には魅力的だったのである。
 家の中は騒然としており、一見ごみの山に見えた。まぁ最初はきちんとしていたのだが私がごちゃごちゃと遊んでいるうちにごみの山になってしまったのだ。このごみの山が当時の私には宝の山に見えていたのだ。実際、宝の山だった。
 その、ガラクタの中には私の父が愛用していたおもちゃが隠されており、私も全部を把握しきれない程だ。父は4人兄弟の長男で弟1人に妹2人の構成で育ってきた。その4人分のおもちゃがうまっていたのである。さらに私の上には姉が2人いるので使い古しのおもちゃは随時この物置に追加されていた。ブリキのおもちゃはもちろん、今ならコレクターがよだれをたらしそうなキャラクター物までたくさんあった。タイムボカン、仮面ライダー、ウルトラマン。ひときわ私の記憶に残っているのはでっかいビニール人形だ。たしか、グレートマジンガーだったと思う。これがでかい。当時の私の座高より高い。おそらく70~80センチはあったのではないだろうか。しかも腕のところがミサイルになっていてロケットパンチがはなてる。すばらしい、感涙ものだ。昔の漫画もたくさんあった。なかでも私が好きだったのがウルトラマン。最近みつけてついつい購入してしまった。当時の思い出が蘇っていい感じだ。
 さて、この古い家にはもうひとつ重要な要素があった。実は、この古い家の裏で鶏を飼っていたのだ。先ほど話した大きな鶏小屋というのは後で父が作ったもので、始めのうちはこの古い家の裏で放し飼いにしていた。家の裏は鶏がバサバサと飛び交う無法地帯と化していたのだ。
 私は古い家に進入し、いつもどうりがらくたをあさって遊んでいた。新しいおもちゃ・漫画をさがしてガチャガチャ、ガチャガチャ。たまにネズミの糞なんかがあったりするが気にしない。ガチャガチャ、ガチャガチャ。たまにゴキブリの卵があるが気にしない。ガチャ、ガチャ、
「おっ! 発見。あはっはっはっは。これは? なんだリカちゃんか」
 といった具合に遊んでいたのだ。まぁ当然ながらそのうち疲れる。たくさんのがらくたをあっちへこっちへ、上へ下へと動かしているので体力を消耗。そのうち、
「ぐへぇ~」
 となってしまう。
「疲れたなぁ。そろそろ帰るか」
 そう思った私に悪魔の声がきこえた。
「クォ~、コッコッコ」
 鶏だ、
「バサッ! バサッ!」
 なんだか騒がしい。普段私は、おじいちゃんと一緒に卵をとる時以外は臭いため鶏にはあまり近よらない。ところがこの時、私は好奇心に負けてついついふらふら見に行ってしまったのである。
 私は家の裏にまわり鶏たちのもとへと近寄った。
「クケェー! コッコッ! クケッ!」
「バサッ! バサッバサッ! コケッ!」
 どうやら雄の鶏同士が喧嘩しているようだ。なにが原因かわからないがあたりには羽毛が飛び散っている。私はもう少しよく見ようと思って、さらに接近した。
 2羽の鶏は激しくどつきあっている。片方の雄はこの鶏達の中で一番大きく、おそらくこの平岩鶏一家のボスであろう。もう片方の雄は若手のホープといったところだろうか。きっと群れのリーダーをねらって勝負をしかけたにちがいない。私はでかい方をボス、若手の方をサブと呼ぶことにして、鶏の喧嘩をしばし眺めることにした。
 やはり、ボスは強い。サブは全然相手になっていない。ボスの右足でぼこぼこにされている。一方サブは喧嘩を仕掛けたもののこの様子では後悔しているであろう。羽毛を散らしながら必死で逃げ回っている。後悔先に立たずとはまさにこのことだ。ちょっと、仕掛けるのが早かった。若さ故の過ちであろう。
「大丈夫かなぁ?」
 ボスの攻撃はすさまじくサブの白い身体は一部赤く染まっている。当時まだ優しい心を持ち合わせていた私はふと、
「なんか可哀想だな。ん? まてよ喧嘩をしかけるということはこの群のナンバー2。次代をになう期待の星だ。こんなところで死んでもらっては困る。」
 私は慈悲と妙な責任感にかられサブを助けてやることにした。喧嘩の仲裁をかってでたのである。
「バサッバサッバサッ。」
 ボスは執拗にサブを追いかけている。私はサブの逃げる方向を確かめタイミングをはかると間にわって入った。
「こら、やめろ!」
 両手を広げてボスの進路をふさぐ。ボスは立ち止まり少し後方に退いた。サブは私の後ろでちょろちょろして様子を伺っているようだ。
「おまえは・・・もういいだろう! やめなさい!」
 金八風味の台詞が口からでてくる。鶏も臭いが私もくさい。これで鶏が心うたれ、仲良くなったら三流ドラマだ。監督も、
「やってられっか」
 と、メガホンを投げるであろう。まぁ、おおかたの予想どうり鶏が心打たれるわけもなくボスは別の行動にうつった。
「コケェ~!」
 なんとボスは両翼を思い切り広げると私めがけて突進してきたのだ。
「へっ?」
 私はあっけにとられた。あまりの事態に状況が把握できなかったのだ。
 ボスの体長は約90センチ。幼稚園の私とそんなにかわらない。両翼を広げれば幅1mはかたいであろう。縦横あわせて私の2倍の面積である。私は恐怖した。
「で、でかい・・・」
 今までの暮らしの中で人間を襲う鶏など見たことがない。しかし今、目の前に私へと向かってくる一羽の鶏がいる。
「なんなんだこいつは鶏のくせに人間様に刃向かうのか・・・助けてぇ~!」
 心の中で叫んでいた。恐怖にかられた私の目にいっそう、でかく見えるボス。急速に距離を詰め近づいてくる。
「コォー、コッコッコッコ」
「おいおい、待てよ話せばわかるだろ」
 鶏は話せない。私はサブの方を見た。
「一人と一羽。協力してボスを倒そうじゃないか。」
 しかし、サブはいない。鶏に人情などないのだ。見ると、かなり離れた安全な場所でミミズをついばんでいる。
「ぶっ殺す」
 私の心に殺意が芽生えた。さっきまでの慈悲の心などどこかに飛んでいる。今頃ブラジルあたりだろう。人の心の移り変わりは激しいのだ。
「バサッバサッ! ダッダッダ!」
「うわぁ~!」
 ボスが寸前まで迫ってきる。サブなどに気をとられている暇など無い。すぐそこだ。もう私に残された選択は一つだけ。三十六計逃ぐるにしかずである。私は必死で逃げようとした。しかし、身体が動かない。恐怖で足が固まっているのだ。蛇に睨まれた蛙の気持ちがよくわかる。そして私が蛙の気持ちを理解していたその時、ボスはすごい形相でつっこんできた。
「もうだめだ、先立つ不幸をお許しください・・・」
「クケェー! バサッ、バサッ、バサッ!」
 ボスはかろやかにジャンプすると私に向け跳び蹴りをしかけてきた。
「ガシッ!」
「うわっ!」
 私はとっさに左腕で蹴りをなんとか防ぐ。しかし、この全体重を乗せた跳び蹴りで私は体制を崩し片膝をついてしまった。ボスは容赦なく私を襲う。
「バシッ、ドカッ」
「うきゃぁ~、やめてぇ~」
 この言葉は虚しく空を舞う。
「なんだ。ばかっ。うわぁ~ん」
 ついに私は大声で泣き出した。ボスの連続攻撃に精神的にも肉体的にもグロッキーだ。反撃の意志もまったくなくなっている。心の中では白旗がフル回転しながら武田鉄矢の「あんたが大将」をボスに向かって歌っている。
「あんたが大将、あんたが大将・・・」
 ところがこんな私に極悪非道なボスは決定的な攻撃をくわえる。
 倒れた私にゲシゲシ蹴りをくれていたボスは突然距離を取った。私はボスが離れた隙をつき、泣きながらようやく立ち上る。ところがボスはこれを狙っていたのだ。立ち上がったわたしの膝に、
「ツトトトトトトトトッ!」
「うわぁ~~!」
 なんとくちばしでつついてきた。その痛さといったら半端じゃない。紐をつけた強力な洗濯バサミを膝全体にまんべんなくくっつけ、一斉に引っ張ったような衝撃だ。これでは加トちゃんも笑ってられまい。きっと泣き叫ぶはずだ。私の膝には無数の小さな傷ができ、血がしみだしてきた。
「うわ~ん!」
 泣き叫ぶ私。襲うボス。その時である。
「こらぁー!」
 坂の上から誰かがやってきた。お爺ちゃんだ。
「あぁ、お爺ちゃん。あんたぁ、最高だよ」
 夕日を背に坂をおりてくるお爺ちゃんが私には正義の味方に見えた。
「この、バカ鳥がぁ!」
 お爺ちゃんは両手を振り回しボスを追い払う。さすがのボスもお爺ちゃんにかかってはひとたまりもない。バサバサと慌てて退散した。
「よかったよぉ~、このままボスに食べられるかと思った。」
 私は泣きながらそんな事を思った。安心すると一層泣けてきた。涙がとまらない。お爺ちゃんは泣いている私を抱えると新しい家まで抱えていってくれた。ありがとうお爺ちゃん。
 しかし、サブめ。せっかく助けてやったのにこれをねらっていたのか? だとしたらとんでもない鶏だ。この事件のせいでボスはきっと明日には殺され唐揚げになってしまうだろう。そうなればボスの座はサブのものだ。ボスも私も奴におどらされた哀れなピエロである。だが、私を襲ったボスも許せない。あいつが私を襲わなければこんなことにはならないでサブがいじめられただけですんだのだ。利権におぼれた鶏めどうしてくれよう。
 次の日、一日では到底食べきれないほどの唐揚げが食卓にならんだ。
「はっはっは」
 私は喜んで空揚げをほおばる。テレビでは野生の王国というテレビ番組がちょうど放送されていた。自然の摂理についてあれこれと話しているようだ。
「ふ~ん自然の摂理ねぇ・・・ん? まてよ、私があの時見守っていればよかっただけなのではなかろうか? お互い鶏世界のルールにしたがって正々堂々と勝負をしていただけなのではないだろうか?」
 そう思うと私の箸はとたんに重たくなった。
「自然のルールに手出しをしてはいけないなぁ・・・」
 少し塩味のきいたご飯を食べながら、そう感じた私なのであった。

ひらくん
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