おバカな私と友人その他

ジュース事件( 1 / 1 )

 小学校の修学旅行での出来事である。私達は一日目のホテルについた。旅館ではない。ホテルなのだ。これが凄いかどうかはわからないが当時の私は、
「大分市もふんぱつしたなぁ。」
 などと思っていた。しかし、ふんぱつしたのは父である。大分市は場所を決定したにすぎない、そう考えると大分市が、
「よしっ、ヨーロッパへいこう。」
 と決めたら、旅行先はヨーロッパになるのだろうか、しかしきっと、野宿であろう。私は雨風しのげるレベルでよかったと一人で、
「あぁ、私はなんと幸せ者だろう世間のどこかには雨風しのげず食べ物もろくにない人もいるのに。」
 と幸せを噛みしめながら、心はアフリカの難民キャンプに飛んでいた。
「ちょっと。」
「はて?アフリカから私を日本に呼び戻したのは誰だ。」
 ボンちゃんである。アッちゃんも私を心配そうに見ていた。
「なんでもない、なんでもない、ちょっとアフリカがね。」
「アフリカ?。」
 ますます、私が心配になったようである。
 前述の田舎シリーズに書いてあったとおり、私達は5人しかいない。男3人女2人である。昔は男女の数は逆だったのだが、いろいろあってこうなった。しかし、修学旅行は他の学校と一緒に行くので全体的に見ればにぎやかである。ガチャガチャ騒がしい食事が終わり、自由時間である。私達5人は仲が良い、当然と言えば当然である。なんてったってたったの5人しかいない、喧嘩のしようもない人数である。担任も3年生の時から一緒である。しかも、この担任の岡本先生、バスケットボール部顧問もやっていた。私達全員バスケ部である。担任と私達、計6人は家族と暮らす時間よりも、この6人で暮らす時間のほうが断然長い、まさに人類みな兄弟を地で走る集団である。
 そういう訳で夜はみんなでドンチャン騒ぎをしようということになった。当然アルコールはなしである。ジュースとお菓子を大量に買い占め私達は一つの部屋に集まって騒いでいた。岡本先生は会議があるらしく、少し遅れるとのことであった。私達5人+保健の中山先生(カイロを詰めていた先生ではない)はヘラヘラと騒いではお菓子をバリバリ食べるという小学生にとってはこの世の春、
「もう、よは満足じゃ。」
 と言いたくなる状態をおうかしていた。ジュースもお菓子も尽き、みんな全ての情熱を雑談に傾け始めたころ、岡本先生がやってきた。この岡本先生の登場でますます室内は盛り上がり怪しい雰囲気になった。ヘラヘラした雰囲気からヘラヘッヘにレベルアップである。
「よしっ、ジュースをおごってやろう。」
 岡本先生の発言に一堂色めきたった。今考えるとたいしたことない。人数はたったの7人である。しかし、私達は大喜びし、早速男子3人で買いに行くことになった。
 しかし、なぜホテル等の中はジュースが高いのであろうか、当時ジュースはまだ100円だったがホテルの中は150円である。「人の足もとを見るようなことをしやがって。」私はいつもそう思っていた。「悔しかったら外に出て買ってくれば、ただし何処にもないけどアッハッハ。」と言うホテルの支配人の顔が目に浮かぶようである。
 とまぁそういう訳で、100円のパックジュースを買うことに決めた私達は先生から700円をもらうとジュース売り場に直行した。
「ちょっとちょっと、僕にお金、持たして。」
 アッちゃんである。この少年、いい奴なのだがなにせたよりない。私とボンちゃんは悩んだ。「うーん、アッちゃんにお金を持たしていいものだろうか・・・」本当に悩んだ。その結果、
「じゃあ、半分だけな。」
 半分だろうが全部だろうが変わりない。残りの半分は私が持ち1階のフロアについた。
「えーと、あったあった。」
 自動販売機を見つけた私達は早速パックジュースを買い始めた。私が順調にパックジュースを買っていると、
「ちょいちょい、これ100円だけで出るかな。」
 アッちゃんが隣にある150円の自動販売機を指さしてそう言った。
「出るわけないじゃん。」
 私がそういうと「いや、やってみなければわからない。」といった感じの顔をするアッちゃんがいる。私はまじでするかもと思いながらガチャコンと出てきたパックジュースを拾った。その時である。
「ガチャ。」
 お金を入れる音がした。隣の販売機である。見るとそこには、「ヒッヒッヒ。」と笑いながらボタンを押すアッちゃんがいる。
『ピッ』
「おっ出るか。」
 一瞬三人とも、そう思った。出ない、当然である。私とボンちゃんは一瞬でも出ると思った自分を恥じながらおもむろに次のパックジュースを買おうとした。
「出ない。」
 隣でアッちゃんの声がする。当然である。
「出るわけなかろう。」
 と言って振り向いた私の目に映った物は、顔面蒼白で返却レバーを押さえているアッちゃんだった。

「どうした。」
「ガチャガチャガチャガチャ。」
 アッちゃんは必死で返却レバーを押さえていた。
「お金がでてこない。」
「なにっ。」
 私とボンちゃんで返却レバーを押してみたがやはりだめである。
「どうしよう。」
 アッちゃんの顔はますます白くなった。やはりやってくれた、予想通りの展開である。なにかするであろうと私もボンちゃんも思っていたのだ。三人で必死で返却レバーを押してみたが100円は出てこない。
「カムバッーク、100円。」
 三人の心はただそれだけを願っていた。
「何してんの。」
 んっ、必死で返却レバーを押さえる小学生3人を不思議に思ったのか、近くの椅子に座っていた、大学生風のお兄ちゃんが語りかけてきた。右手にはヤクルトを持っている。私たちは「150円のジュースが100円で買えるか試したら100円が出てこなくなった。」というおもいきりバカげたアッちゃんの行動を大学生に暴露し「どうやったらお金が出てくるだろう。」と相談した。
「なぁんだ、それなら簡単、簡単、俺に任せろ。」
 と、お兄ちゃんは言うじゃないか、私は「おぉ、なんと凄い人がこの世にはいるのだろう三人よった文殊の知恵をこの人は一人で越えるのだ、地獄に仏とはよく言ったものだ。」と思いながら指示を仰いだ。
「もう一枚100円入れて。」
 私たちは仏様の言う通りに100円をもう一枚いれた。
「でっ、どれを買おうとしたの。」
「これっ。」
 アッちゃんが指さした。
「押してみな。」
『ピッ、ガチャン、チャリーン』
「ほら出た、それじゃ、あっこれ捨てといて。」
 そう言うとヤクルトのカスを置いて仏様は去っていった。私たちは呆然とした。
「なんだ、あいつは・・・。」
 仏様がもたらした結果は、150円のジュースと50円玉とヤクルトのカスである。アッちゃんもボンちゃんもほぼ放心状態になった。
「仏様でも文殊の知恵を越える凄い人でもない、ただのバカな大学生だ、いや、きっとあの頭なら大学に合格していないだろう、高校にもいってないプー太郎かもしれない、あぁ、なんてバカな奴に相談してしまったのだろう。」
 私の後悔はつのるばかりである。
 結局消えていったお金はアッちゃんのせいになり、アッちゃんの財布からヒラヒラと遊覧飛行をするのであった。

初恋( 1 / 1 )

 私の、初恋は幼稚園のころであった。ちなみに私の行っていた幼稚園は山鳩幼稚園という名の幼稚園である。あれは私が桃組という、組にいたときだった(たぶん・・)。
 その幼稚園では出席すると毎朝シールを手帳に貼らなければならず、みんな毎朝1番にする作業である。しかし、いつ頃からか朝、私がシールをはろうとすると私を追っかけ回す二人組の女の子がいた。私はさっさとシールを貼って遊びたいのだが捕まると・・・おやっ、捕まると一体どうなったのだろう・・・。今気付いた、捕まったことがない、毎朝追っかけっこをしていただけではないか・・・。まぁ、その追っかけっこも私が人込みにまぎれシールを手帳に貼ると終わりである。その二人組とは朝追っかけっこをするだけで他に交流はなかった。名前も知らない。しかし、私は密かにその片割れに恋心を抱いていたのである。
 どんな顔かと言うと、その時の私の目にはこのように映った。髪はショートで眼はクリクリしており輪郭は卵型である。まぁ、形容はこの程度に押さえておこう、これ以上形容すると私を昔から知っている人や中学校の友人にばれてしまう、あっ、わかった人は「シーッ。」
 さて、小学校に入学すると、ご存じのとおり5人である。その人とは離れ離れになりほぼ完璧に忘れていた。ところがである、小学校を卒業し中学に入っておろろいた、失敬、驚いた。なんと、その人がいるじゃないか、一目見てわかった。メガネをかけおとなしくなっていた。昔の私を追っかけ回していた面影などみじんもなく、そこにはおしとやかな女性がただいるだけである。中二なって聞いたことだが、むこうもこっちを見て一目でわかったらしい。
 しかし、その変貌ぶりにはただただ脱帽である。顔はさほど変わっていなかったが、物凄い、失敬、少しだけ運動音痴になっていた。昔の軽やかに私を追い詰めるフットワークなどどこにもない。あのまま育っていればきっとエイトマン、もといエイトガールになっていたであろう。その人とは、いやっ、これ以上書くのはやめておこう。これ以上書くと一部の人に完全にばれてしまう、すでにこの時点で極一部の人には完全にばれている。しかも、本人が読んだらきっとさっきの私のようにおろろくだろう。まぁ、その人とは唯の仲の良い友達である。何もなかったのだ。しかし、こう書くと高校から馴染みになった一部の人はまったく信用しないだろう。思いでは思い出のままなのだ。

捻挫( 1 / 1 )

 私はよく、捻挫をする。が、けしてドジではない、反論の声が聞こえるがドジではない。初めて捻挫したのは忘れもしない、小学校4年の時である。なぜ忘れないかと言うと長くなるのだが言う。
 小学校には陸上記録会なるものが存在する。5年と6年の部しかないのだが我が母校は人数が少ないため4年でも出るのだ。そして私はその時期になって初の捻挫を体験した。五年の部の走り高跳びに出る予定だった。ちなみにその年の五年の部の優勝記録は1m10cm、当時4年だった私の最高記録と同じである。陸上競技場の地面はよく跳ねる。学校の固い土と比べればトランポリンである。故に記録は必然的に学校で計測するよりも5cmは確実に延びるのだ。
「うぉー優勝できていたのに。」
 そこで、優勝していれば3年連続優勝とゆうありえない記録が樹立できていたのに残念である。さて、一体その時期のいつ捻挫したかと言うと・・・大会2週間程前の昼休みサッカーをやっていた私に起こった突然の悲劇である。
 転がって行くボールを走って追いかけ追いついて足で押さえた。私は走っていた勢いでボールの端のほうを踏んだ。
「あれっ。」
 こけた。私はドジではない。ボンちゃんが、
「大丈夫。」
 と言って近寄ってきた。
「大丈夫、大丈夫、ちょっと足ひねっただけ。」
「本当に大丈夫、結構凄かったよ。」
 一体どのように凄かったのだろう。
「まぁいい、立ち上がるか、あれ、立ち上がれない。」
 立ち上がろうとしたが、ひねった右足に力が、はいらない。まるでフニャフニャの軟体動物である。2~3回トライしたが、無理だ。
「ボンちゃん、ボンちゃん、ちょっと肩貸して。」
「ちょっと、どしたの。」
「いやなに、立ち上がれんのよ、アッハッハ。」
 そう聞くとボンちゃんの顔は青くなった。どっちがケガ人かわからない。ボンちゃんは非常に心配してくれ保健室まで連れて行ってくれた。いい奴である。保健の先生は、
「何処がいたい、あぁ、ここ。」
 足の外側の端である。
「ここは細かい骨が固まってるからねぇ、もしかしたら骨折してるかも。」
 すました顔してとんでもないことを言うひとである。
「骨折?、細かい骨が固まってる所。」
 私の頭の中では細かい骨の固まりが粉々になっている所が浮かんでいた。
「あぁ、私の骨は粉みじんだ、きっと粉薬のようになっているのだろう。」
 そう思うと一層足の痛みは増した。
「取り合えず、湿布しておくけど、病院にいこうね。」
 当然である。骨折の疑いのある足を湿布で済まそうなどと思っていない。
 病院に行く。レントゲンを撮ってもらうことになった。
 突然だが、私はレントゲンが嫌いである。なぜかと言えば、このレントゲンなるものは体内に放射線を通すのだ。しかも、この放射線は体内から出ないのである。体内でどうなるのか知らないが、私の頭の中には、体内で飛び回る放射線の図がある。一生、体の中で放射線がビュンビュン飛び回るのだ気持ち悪いじゃないか、だから私はレントゲンが嫌いなのだ。しかし、この場合はしかたがない、私はおとなしくレントゲンをとってもらった。レントゲンの結果、骨には異常はないとのことだった。私の骨は異常ない、正常なのである。
「ハッハッハ、なんだなんでも無いじゃないか、私の骨は丈夫なのだ、さぁ矢でも鉄砲でも持ってきやがれ。」
 私はやけに強気になって訳のわからないことを頭のなかで叫んでいた。頭の中で粉みじんの骨がみるみるもとの形にもどっていく。しかし、痛い、骨折ではなくとも痛いのである。病院の先生は、
「骨には異常は無いです、捻挫ですから安静にしておいてください。」
 安静にしておく、私の人生の中でその時初めて言われた言葉だった。
「安静にしておく?。」
 私の頭の中ではよくドラマなどで映し出されるシーンが映っていた。
「先生、娘は大丈夫なんででしょうか。」
「非常に危険です、なるべく安静にしておいてください。」
 こんなシーンである。
「私の怪我はそんなにひどいのか、足をひねって死んだ奴など聞いたことがない、きっと今はこんな感じでもしばらくすると鬼のように痛くなるにちがいない、捻挫とはそんなに恐ろしいものなのか。」
 と密かに捻挫の恐怖におののいていた。
 私に対しての処置は湿布を貼って強力ゴム入りの包帯で固定するというものだった。
「こんな簡単な処置でいいのか、私の命は変な包帯一本で守られるものなのだろうか。」
 密かに自分の命の軽さを嘆いていた私に医師はこう言った。
「松葉杖は邪魔になるからいらないね。」
 おいおい、安静にしろと言ったのはあんたじゃないか。しかし、そう言われると欲しいとは言えず。
「はい、結構です。」
 と言ってしまう自分がなさけない。
「松葉杖はもうほぼ死が確定した人がつかうのだろうか。」
 私はとんでもない疑問を残したまま病院を去って行った。
 家に帰ると家族が心配そうに待っていた。しかし私が骨折してないことを告げると、
「なんだ、ただの捻挫か。」
 ということになり、たいしたもてなしを受けなかった。
「捻挫とは本当に恐ろしい物なのだろうか。」
 その時、私の心に疑問がわいた。やはりその通りで鬼のように痛くなることはなく、 ”ただ右足を使うと痛い”といったレベルで私の痛みは止まった。
 しかし、不便であることにかわりはなく、松葉杖もない私はそれからしばらくカラ傘お化けのように一本足で暮らすことになるのだった。

仲良し( 1 / 1 )

 今日はクリスマスである。しかし今年のクリスマスは、もう過ぎてしまった。現在クリスマス経過30分たった。光速で地球を逆回転して30分さかのぼればクリスマスに戻れるのだが、どうせ仕事しているのでやめておこう。ちなみにこの技はスーパーマンがやっていた。私にはできないので期待しないように。

  私は寮暮らしになったのでコタツが無い。特にコタツが好きではないが、コタツに入って食べるアイスが好きなのだ。寒い冬に余裕でアイスを食べられるあの設備、考案した人にノーベル賞をあげよう。しかし、無理なので、 「あんたはホットで賞」byひらくん  で、我慢してもらう。

  そういえば、子供のころコタツで寝ているとよく怒られた。 

「あんた、そんな所で寝たら風邪ひくよ!」

  今まで数々の風邪に出会って来たが、コタツが原因で風邪になったことは無い。嘘つき。嘘といえば昔こんな嘘をついたことがあるそう、あれは小学校一年生のころである。

  私の親友にみんなにボンちゃんと呼ばれている少年がいた。彼は非常におっとりしていてまるでパンダの様だった。彼のために言っておくが、けして体がバカでかいわけではない。まぁ、パンダもおっとりしているわけではないがイメージの問題である。そんなボンちゃんに私はある日こんなことを言った。

 「僕の家にはタイムマシンがあるのだ。」

  今思えば妄想僻の危ない奴だが、こんな危ない奴の言うことをボンちゃんは本気で信じてしまったのだ。

 「本当、すげぇ~。」

  嘘に決まっている。きっといつかボンちゃんは誰かに騙されるだろう。すでに私が騙している。気をつけろボンちゃん。そういうわけでしばらく私はボンちゃんに冒険談を話し続けることになる。

  恐竜のいる時代に行ったら燃料がきれそうになってヒヤヒヤしたとか、江戸時代に行って昔の先祖に会ったなどなど、最後には、

 「あるボタンを押すとすごく小さくなってね、人間の体にも入れるんだよ。この間ボンちゃんが寝てる間にチョット入らせてもらったから。」

 「えぇー!、いつのまに」

 「ボンちゃん右の奥歯に虫歯があるよ、早く治しなよ」

  と、2、3ヶ月前の歯科検診の内容までもちだす周到さだった。

  しかし、これくらいになれば嘘だとばれるだろうと私は思っていた。が、驚いたことにボンちゃんは全てを信じていたのである。あぁ、誰かが言っていた、

 「信じるものは救われる・・・」

  こんな話しを信じたところで救われはしない。ごめんよボンちゃん・・・。

  こんな日が何日つづいたろうか。私はボンちゃんに本当のことを打ち明けるこにした。 

「実は、今までの話しは全部嘘なんだ」 

 ボンちゃんのショックは大きかったらしく、しばらく口さえ聞いてもらえなかった。当然である。仮に私がボンちゃんならそうしたであろう。今までどんなに喧嘩をしても次の日には仲直りしていた。しかし、こんどばかりはちがったようだ。

  三日ほどたったろうか、そこには一緒に遊ぶ二人の男の子がいた。
ひらくん
おバカな私と友人その他
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