アジア理解の経済学

第2章 中国人は合理的?( 2 / 2 )

2.2 合理的な意思決定

合理的な意思決定とは、全体の制約の中でコストと便益を秤にかけ,もっとも得をするような決定なことである。具体的には,人は制約の中で利得を最大化するものというものである。家計は効用という満足度を最大化するように行動し,企業は利潤を最大化させようと行動している。


 もっと言ってしまうと,利己的に行動することを前提としている。私達が何かモノを買うときには,広告や口コミに左右されることが多い。あるいは他人とは違ったものを買いたい,違うものを持ちたいといったように,他者との関係で買い物の行動を決定するのが一般的である。しかし,経済学でいう合理的意思決定では,そのような社会的影響や他者の影響はまったく受けないと考えている。あくまで考えるのは,自分にとって損(コスト)か得(便益)かだけで判断するということである。


 周りの影響をまったく受けずに行動するということは利己的であり,自分さえよければよいという考え方である。このような言い方をすると多くの人が不快になるが,これは経済学が学問として理論を考えるときにできるだけシンプルに考えるということが背景にある。


 シンプルに考えるためには,いろいろなことを捨てなければならない。


 私がジーパンを買おうと思って,ユニクロに行くのは,人から指図されたり,流行だからとかではなく,ヨメからもらった服代の中で自分の効用を純粋に最大化するためである。実際には,ヨメから指図されているわけだが,ここではそのようなことはなく,ただ自分の欲望のままに,そしてコストと便益を比べて買うかどうかを決定しているとするのである。


 企業も同じである。ユニクロが様々な種類の新製品を開発し,提供するのは,私達消費者を喜ばしたいという気持ちではないと考える。本当は,素直な気持ちで「お客様に喜ばれるものづくりを」と考えているのかもしれないが,行動としてはユニクロは新しい商品を開発するのは,多くの商品を販売して,売上を伸ばし,利潤を最大化していると考えるのである。


 そもそもなぜ合理的に行動すると考えるのか。私たちの世界はモノが不足していると考えており,常に足らないという状態でモノを購入するという選択をしている。モノが足らないという世界観を希少性という。希少性の世界では人は,自分の利得を最大化するためにコストと便益を比較する。便益>コスト,そしてその差が大きくなるように行動すると考えるのである。


 中国は計画経済時代を経験した。計画経済では,配給制度であり,恒常的にモノが不足していた。まさに希少性の世界がが中国にあった。これがモノに対する渇望を生んだ。改革開放により鄧小平が「先富論(先に豊かになるものはなってもよい)」を唱え,それまでがまんしていた中国人の欲望が爆発した。周りのことなど気にせず,自らが豊かになる,豊かの象徴として耐久消費財というモノを身の回りに揃えていった。利己的に金を求め,モノを買う姿はまさに経済学が前提としている合理的な意思決定そのものであったといってよい。


 小室(1996)では中国人の行動を理解するために「幇」という言葉を紹介している。それによると,中国で幇は共同体であり,幇の中と外では基準が違うという。幇の中ではどんなことがあっても助け合う関係が築かれるが,幇の外ではあくまで他人であるので,まったく関係ない,つまり自分が所属する幇あるいは自分が得をするのであれば,平気で幇外のヒトを裏切るというのである。幇以外であれば,自分が得をするためにはどんな行動でもとるということが示唆されている。


 この意味でも,中国では抑圧された欲望が改革開放によって自由になり,経済学教科書にあるような典型的な利得最大化が行われているといえよう。


 小室(1996)はヤオハンの和田一夫との話を紹介している。中国華僑は利益第一であること、日本企業はシェア第一であるという。日本企業は日本経済における企業のランクや地位をあげることを重要視する。利益が出なくてもいいという考えが出る。中国は儲からない商売は絶対にやらない。


 また同書では「「金と物とのやり取り」との側面では、中国ビジネスマンは、典型的に資本主義的な利潤最大行動を行う。まさに経済学の教科書のごとし」だとも指摘している(小室1996,117)。


<練習問題>


  1. 中国で家電が普及したのはどうしてだろうか?

  2. 合理的とはどういうことか3つの説明をせよ。


第3章 農民にも家電を!ーインセンティブ( 1 / 2 )

3.1 「家電下郷」(ジャーディエンシャーシャン)

 都市部では,ほぼ100%家電が普及した。

 しかし農村では家電の普及率は低い。その意味では中国農村部には広大な家電市場が広がっているのである。

 その農村に家電を普及させる政策が実施された。それを「家電下郷」と呼ぶ。


 家電下郷(家電を農村に)政策は2007年12月に山東、河南、四川で試験的に実施されたのが最初である。カラーテレビ、冷蔵庫、携帯電話の三種類の家電製品を、農民が購入したら政府が13%の補助金を支払うという政策である。


 13%という中途半端な数値になったのは、輸出還付税と関係がある。中国では輸出振興のために、輸出企業は13%の還付税を受け取ることが可能だ。その結果企業は国内市場に販売するよりも海外市場に販売しようというインセンティブがわく。輸出還付税によって輸出に向かいやすい企業を国内販売に向けるために、補助率が13%に設定された


 この輸出還付税政策は、たしかに中国の輸出を押し上げたが、その分国際貿易の摩擦の原因として指摘されていた。中国は積み重なっていく貿易黒字を減らし、貿易収支の均衡を目指す必要性に迫られていた。


 また中国経済は過度に外需とともに、外需依存の経済を内需に移行する必要があった。とくに2008年に発生した金融危機により、広東省を中心とする沿海地域の輸出が激減。輸出企業の製品を海外から国内で販売する必要に迫られたのである。


 そのため、2008年12月から青海、内モンゴル、遼寧、大連などの省市自治区、計画単列市などの14省市に拡大し、2009年より全国で実施されることとなった。先行の三省は2011年11月末まで、その後に始まった地域はそれぞれ2012年11月末と2013年(今年)1月末で終了した。各省ともに家電下郷政策は4年間の時限政策となった。


 上でもふれたように、政策内容は、国、地方が決めた家電下郷対象製品を農民が購入すると13%分を補助するというものである。どのメーカーが作る製品が家電下郷対象になるのか。どのメーカーが採用されるかは、農村での販売ネットワーク、アフターサービスなど農村サービスが重要視された。そのため選ばれたメーカーは、ハイアール、TCL、創維などの国内主要メーカーに有利であった。


 対象商品は、3種類から増加していった。基本は、カラーTV、冷蔵庫、携帯、洗濯機、エアコン、パソコン、温水器、電子レンジ、電磁調理器、であったが、各地方の状況によって対象製品が拡大することもあった。


 補助金を受け取るには複雑な手続きを必要とした。農民が指定された家電下郷店で製品を購入する。中にある証明書と一緒に、戸籍と身分証明書を売り場で記入、登録する。その後当地の財政部に申請し、1,2ヶ月後に受け取るというものであった。


 当然最初は、制度が徹底していないこともあり、農民は購買に動かなかった。また手続きが複雑なため、積極的に手続きを行うとする人も少なかった。また13%割引してくれ、という声も上がった。


 その後、制度が農民に知られるようになり、家電下郷製品を扱う場所(家電下郷ステーション)も増加し、農民のアクセスも改善した。手続きも、戸籍と身分証明書の提示でそのまま補助金を支給するやり方に変更していった。


 この政策により冷蔵庫などは農村100戸あたり20台だったのが、60台まで増加したという報道もあるが、具体的な成果は以下のように報道された。


 2013年1月8日の朝日新聞Web版(http://www.asahi.com/business/news/xinhuajapan/AUT201301080100.html)によると、2012年の全国(山東省、河南省、四川省、青島市を含まず)の家電販売台数は7991万3000台、売上高は2145億2000万元(約2兆6815億円)となった。この政策が行われて以降、累計販売台数は2億9800万台、売上高は7204億元(約9兆50億円)だという。

 製品別では、テレビ、冷蔵庫、エアコン、温水器の4種の売上高がいずれも300億元(約3750億円)を超え、全体の83.3%を占めた。

 製品のメーカー別では、海爾(ハイアール)集団、格力集団、海信集団が上位3位で、3社で28.5%を占めた。


第3章 農民にも家電を!ーインセンティブ( 2 / 2 )

3.2 インセンティブで行動する農民

 インセンティブとは刺激とか報酬などの意味で使われる言葉である。経済学では,費用と便益を考慮して意思決定する合理的人間の行動に変化をもたらす「誘因」として定義される。あるいはインセンティブとは、意思決定に影響を与えるものと言ってよい。


 私たちの経済社会では価格がインセンティブ(誘因)になりやすい。今日食べる食材であれば,正規値段の商品よりも消費期限間近の3割引き商品を買うという行動をとるかもしれない。パートやアルバイトを探すときには,少しでも時給のいいところで働こうとするであろう。

 

 何かと話題を呼ぶ,マクドナルドは客を呼ぶために(客にお店に来てもらう意思決定をしてもらうために)様々な工夫をしている。最もメジャーなのはクーポンだ。普段のセット料金が540円だがクーポン持参で490円にすることによって,客の行動に変化をもたらそうとしている。またフライドポテトどのサイズも140円というセールもあった。この場合,多くの人がLサイズを注文するという意思決定を行う。このように割引や特売は,人の意思決定や行動に影響を与える誘因となる。


 へーリング・シュトルベック(2012, 20-21)が行動経済学でも有名なインセンティブ実験を紹介している。イスラエルの保育所では子どもの迎えに遅れてくる保護者がいた。迎えに遅刻する保護者を減らそうと考えた保育所は,遅刻した保護者に罰金を課すことにした。遅刻すると罰金になるので,費用と便益を考える合理的な人間であれば,保護者は時間を守ろうとするはずである。しかし,結果は反対となった。今まで遅刻していた保護者は保育所に申し訳ないという気持ちであったが,遅刻に値段がつくことによって子守はサービスとなり、それを買うという概念に変わってしまった。おかげで保護者はどうどうどうと遅刻するようになったという(ウリ・ニージーとアルド・ルスティキーニの研究)。


 遅刻に対する罰金は,保護者の行動を変えるインセンティブとなる。ただそのインセンティブは保育所が意図するものとは逆の結果となった。


 中国でもインセンティブ設計が意図するものと逆になったケースがある。


 現在の市場経済化が進められる前の中国経済は計画経済であった。農村では,農民を集団化し,人民公社という組織に所属させるようになった。農民は,人民公社に所属する一社員となり,決められたノルマを実行する。ノルマの達成に関わらず,報酬はみな平等とした。計画経済は,社会を平等にするためのシステムであった。


 しかし,平等は農民の働く気を奪った。働いても働かなくても結果は同じである。平等という理想主義に燃えても,人は費用と便益を考える合理的な人間である。働くという費用をかけずに報酬という便益を求めるのが一般的であった。結果,農業生産は衰退し,国民全員が飢えるという結果になった。


 現在に戻って,家電下郷政策を振り返ってみると,このインセンティブ設計は国家が意図した結果通りになった。農民の欲しい商品を用意し,できるだけ近くに家電下郷製品を扱う店を設置し,購入すると補助金がもらえるというシステムは,農民の家電を購入するという意思決定を促すインセンティブとなった。


 人は費用と便益を考えて意思決定をする。この前提にたてば,家電製品を買う費用を減らし,買うとお得感が出るという便益を増大させるようにすればよい。家電を買いに行く場所を近くに用意し,補助金がもらえる手続きの煩雑さをなくす。これにより家電を購入する費用は減少する。お得感が増大し,農村では家電が普及していったのである。


<練習問題>


  1. 中国農村部の人たちが家電(耐久消費財)を求めるきっかけになったのは何か?

  2. インセンティブとは何か。また自分の生活におけるインセンティブを説明せよ。



第4章 格差が広がる社会ートレードオフ( 1 / 2 )

4.1 「差距」(貧富差距-蟻族、李剛、富二代)

 中国では所得格差が広がっている。2013年1月に国家統計局は、不平等の状況を示すジニ係数を、初めて公表した。それによると、

2003年 0.479

2004年 0.473

2005年 0.485

2006年 0.487

2007年 0.484

2008年 0.491

2009年 0.490

2010年 0.481

2011年 0.477

2012年 0.474

である。


 ジニ係数とは、富が平等に分配されている状況を0、もっとも不平等になっている状態を1として示す数値で、何%の人が何%の富をもっているかを示す指標だ。ジニ係数0.5という社会をシンプルに表わすと,全人口の25%が富全体の75%を所有している状態である。逆を言えば,残りの25%の富を75%の人口が分け合っているという状態だ。


 一方で,国家統計局が「公式」のジニ係数を発表する以前に,2012年12月西南財政大学は独自の調査によるジニ係数を発表している。それによると,中国家庭の所得のジニ係数は,0.61であり,格差は深刻だという(『人民網日本語版』2012年12月11日)。


 国際的には、0.4が警戒ラインと言われているので、どちらの数値をとるにしても,その意味では中国の富の不平等さは深刻である。


 所得格差が問題になるのは,社会が不安定になるということである。持てるものはもち,持てないものは持てないままだ。所得が低い層が拡大していくと,社会に対する不安が鬱積し,支配政権に対する革命圧力となる。


 中国で貧富の格差が広がっているのは,権力や資本が一部の特権階級に集中していること,そしてその特権によって「灰色収入」が存在すること,そして世襲によって次の世代に引き継がれていることが原因だとも言われている。(灰色収入とは腐敗ほどはっきりしない特権に対する見返り料のことをいう。)


 例えば、「官二代」「富二代」と呼ばれる言葉がある。公務員幹部(高級官僚)を親に持つ子のことを「官二代」といい、お金持ちの子どものことを「富二代」と言う。彼らは親の「関係」(コネ)を活用して,入学や入社に有利となり,場合によっては会社を引き継ぐ。一種の世襲天国である。


 この現象を示すいい例として、「オレの親父は李剛だ」事件がある。2010年河北省保定市の河北大学キャンパス内で女子学生2人がひき逃げされ,うち1人が死亡する事件が発生した。犯人は李啓銘という22歳の青年。ひき逃げ後、この男は現場の人によって取り押さえられた。李は飲酒運転のあげく,被害者に詫びるところか,詰め寄る周囲の人々に「我是李剛(オレの親父は李剛だ)」と言い放った。彼の父親は保定市北市区公安分局の副局長であり、事件はもみ消せるぞという強気な発言であった。


 この情報は瞬く間にネットで中国中に拡散する結果となり,父親の李剛は謝罪会見を開くこととなった。また犠牲者の家族に金銭を渡したことがばれるとさらなるバッシングに繋がる結果になった。


 本来中国は社会主義国である。社会主義の理想はお金持ちになる資本家に対して、富を持たない労働者が資本家の富を平等に分配することである。1949年に新中国が成立して以降、地主の土地は小作農に分配され、都市の資本家の企業は労働者たちによって接収され、農民と労働者が主体の国家となった。


 しかし平等は悪弊をも生む。それは働いても働かなくても結果は平等だというシステムは、人の働くというインセンティブを奪う。その結果、中国の経済は発展せず、低迷した。


 経済の低迷する中国を立てなおそうとしたのが鄧小平であった。鄧小平は1978年より改革・開放を実施し、今の発展のキッカケを作った。彼の先富論(先に豊かになる者は豊かになってよい)という思想は、悪平等に陥っている人々の意識を開放し、自らの利得を最大化する合理的な人間を産んだ。人々は懸命に働き、家電を手に入れ、豊かな生活を求めたのである。経済効率は上昇し、改革開放から約30年後の2010年には世界第二位の経済大国となった。


 効率は上昇したが、平等ではなくなった。豊かになる者はいたが、豊かになれない人々も存在するようになったのである。都市には大学を卒業したもののいい仕事につけず、地下室に住んで遠いところまで通勤する、蟻族と呼ばれる人々も発生した。彼らは夢をみて都市に出てきて大学に入学したにも関わらず、とくに「関係」(コネ)もなくいい仕事に就職できなかった。低賃金で長時間労働に励むものの、普通のアパートに住めず、アパートの日も当たらない地下室での生活を余儀なくされた。


岡本信広
アジア理解の経済学
0
  • 0円
  • ダウンロード