アジア理解の経済学

第13章 知的財産権-ニセモノはいけないことか?( 1 / 2 )

13.1 「山寨」「日本動漫」

 実は中国では日本のアニメ(「日本動漫」)が非常に人気だ。1980年代には、鉄腕アトムや一休さんが人気だったし、1990年代には、スラムダンクが流行して,中国全土で史上空前のバスケットブームをもたらした。1995年にCBA(Chinese Basketball Association)ができている。その後、セーラームーンが流行するなど、日本のアニメは中国で非常に受け入れられている。


 とある中国人学生は,高3のときにテレビで『名探偵コナン』を見ていたが,105話で放映が終わってしまったという。どうしても続きが見たくなって,105話以降の話が載っているVCD(ビデオCD)が売れれているという情報をゲット。その店に買いに行ったら,大量の海賊版があり,それをきっかけに日本のアニメに興味をもち,はまっていたと語る(遠藤2008)。


 私も北京で暮らしている時に、街のDVD(当時はVCD)屋には大量の日本のアニメが置いてあったし、露天商も日本のアニメを扱っていた。値段を聞いたら、5元とか10元とかであったので、どう考えても正規版ではない。


 日本の出版社や著者,テレビ局などと正規の版権契約をとりかわして作られた正規版はほんのわずかだ。大半は,中国大陸あるいは台湾などで勝手にコピーしたいわゆる「海賊版」だ。最近では政府の取り締まりが厳しくなったので,多少は減ってきた。それでも中国市場に流通する日本動漫ソフトの90%は海賊版だと言われている(遠藤(2008)p.82)

 

 一般に海賊版の原盤は、日本のお茶の間に流れているものがそのまま録画されたものである。その録画されたアニメに日本語を勉強したことのある中国人が字幕を作成し、海賊版となっていく。彼らは仕事でやっているというよりも、自分が本当にアニメが好き、という純粋な気持ちでやっていることが多い。


 ただし近年知的財産権での取り締まりも厳しくなっているので、街角のDVD屋がこれ見よがしに海賊版を置いていることはなくなった。正規版を店頭に並べて,店の奥で正規版のコピーをつくるというDIY方式が一般的になっている。DIYとはDo It Yourselfの略である。偽正規版ともいえる。正規版をそのままコピーし国家版権局版権認証登記号まですべてコピーするために,見分けは困難になっている。


 日本のアニメで有名な、ドラえもん、ちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃんなどなどキャラクターも模倣されていく。キャラクターの商品の使用には、著作権を支払って利用することが必要だ。しかし、著作権使用料を払わずに無断でキャラクターグッズが製作されたりする。見た目で本物と区別のつくものもあるが、中には本物のキャラクターと区別できない、精巧なものも少なくない。


 中国では知的財産権意識の高まりの中で、商標権登録が盛んになっている。そのためビジネス上の新たな揉め事にもなっている。


 例えば、クレヨンしんちゃん商標権訴訟。2004年日本の出版社が中国のアパレル業者と一緒に「クレヨンしんちゃん(中国語では「蠟筆小新」)」のキャラクターグッズを製作、販売しようとした。製品を中国デパートで販売しようとしたら、地元の役所からニセモノ扱いになるということで販売を差し止められた。


 どういうことかというと、クレヨンしんちゃんとまったく関係のない中国企業がすでにイラストなどを商標登録しており、日本企業の使用は商標権の侵害になったのである。日本の出版社は中国の裁判所に提訴。作者が作ったキャラクターの著作権は出版社にあるので、商標権登録はおかしいと主張した。しかし、商標権登録は日中ともに先願主義であるため、登録手続きに問題はなく、登録から5年3ヶ月も異議申立てもなかったのだから、中国企業に商標権登録の権利があるとされた。


 最終的に、2012年3月「クレヨンしんちゃん」の商標権・著作権をめぐる裁判の判決が中国であり、日本の出版社に著作権が認められることになった。日本の出版社の言い分を認め、中国の企業に対し、キャラクターの使用停止と損害賠償の支払いを命じたのである。


 商標権の登録は中国ではすでにビジネス化されているところがある。アップルのiPadも中国国内ではすでに商標権登録がされており、アップルも中国企業を相手に訴訟、商標権の買い取りについて交渉が行われた。中国では、ビジネスチャンスがあるかもしれないと思われる固有名詞は大量に商標権登録されているために、外国企業進出の障害にもなりつつある。


第13章 知的財産権-ニセモノはいけないことか?( 2 / 2 )

13.2 例外的な「独占」

 知的財産権は、例外的に「独占」を認める制度である。


 経済学には、競争によって価格が下落し消費者は得をする、という考えがあり、企業一社による独占や数社による寡占は望ましくないとされている。その例外が知的財産権の保護である。


 知的財産権を保護しなければならない理由は、開発者の開発インセンティブを保護すること、既存ブランドを守ることの2つである。とくに、新しい商品を開発するには膨大な開発時間とお金がかかる。とくに新薬の開発には膨大な投資が必要だ。新薬が開発されたとして、その商品が他の製薬会社によってコピーされるようになったら、開発会社は新薬開発投資を回収することが不可能になってしまう。またもしコピーをした製薬会社の作った製品によって購入者に副作用が出たなどの問題が発生したとすると、新薬開発会社にも影響が出てしまう。


 そこで、マネがしやすい知的商品については一定の人為的「独占」を認めましょう、ということが世界的なルールとして定着している。他企業に対し参入障壁を構築することによって独占利潤の獲得を法的に認めるのが知的財産権である。


 ただし、「独占」である以上、弊害も存在する。過度に保護されると製品の独占市場を形成し,独占会社が利潤をむさぼり,本当に必要とする人が高くて買えないということが発生する可能性がでてくる。例えば、HIV新薬が開発されても高価格であるために、本当に必要なアフリカの貧困層に手に渡ることができない。ディズニーが知的財産権で保護されているために、低所得者層の子供達はディズニーランドで楽しむことができない。独占は高価格をもたらし、本当に必要な人にその製品やサービスが行き渡らないという問題が発生する。これが独占による資源配分の歪みである。


 過度な独占につながらないように、さまざまな工夫がなされている。新薬などでは,ある期間特許を保護したあと,ジェネリック商品ということで独占市場から競争市場へ変換させるシステムが確立している。著作権も、作者の生存期間と死後50年間というのが一般的であり、その後は自由に取り引きすることが可能だ。Amazon Kindleなどの電子書籍市場では無料の書籍もあるが、それらは著作権がフリーになったものである。


 また、知的財産権を過度に保護する理由としてブランドの毀損というのがある。しかし、ブランドを毀損するのではなく、宣伝になっているのではないかという意見もある。


 例えば、中国で日本アニメが流行したのは日本の版権がゆるかったので、海賊版として流通しやすかったという要因がある。アメリカの版権はうるさかったので、中国市場に参入しにくかった。海賊版が中国を席巻して結果的に中国市場に深く浸透したというのが現状だ。

 安価な海賊版があったからこそ,中国国内の若者たちは、自分の小遣いで購入でき,自分で見たい作品を選ぶことができた。もし日本が正面から日本文化を普及しようとすると、中国政府は必ずコントロールするであろう。海賊版という政府の目を逃れて市場を拡大することによって、日本文化の中国浸透が可能であったとも言えるのである。


 最後に、競争こそが創造性を生み出す源泉であるという立場から,知的財産権を批判する意見も多い。例として、オープンソースのソフトウェア、ニュース業界におけるインターネット無料配信、文学と文学作品は著作権がない時代でも新しいいい作品が生まれてきた,ということがあげられる。クリス・アンダーソンも『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』でオープンソースによって新たな製品開発が可能だと指摘している。


 競争を抑制して特権を得ようとする浪費的な取り組みを、経済学ではレントシーキングというが,知的財産権は知的独占を生み出しレントシーキングの元になるため、保護と競争の適度なバランスが必要である。


<練習問題>


  1. 知的財産権保護の理由を述べよ。

  2. 知的財産権保護の問題を述べよ。


第14章 ゲーム理論-中央と地方( 1 / 2 )

14.1 「上有政策下有対策」

 市場経済化をすすめる中国でも、市場では解決しにくい問題が発生してきていることをみてきた。安全でない食品が出回ったり、渋滞はひどい。農民工の生活は大変で、環境は破壊がすすむ。街にはコピー商品があふれ、本物だと思って購入したらニセモノだったということはザラだ。


 中国政府もこのような社会問題をいいと思っているわけではない。経済成長が持続可能となるためには、市場で発生するさまざまな問題を政府が解決しようとしている。1990年代に急速な市場経済化によって、社会、環境、経済などさまざまな分野で矛盾や課題が出てきている。


 2002年から2012年まで国家主席であった胡錦濤は、まさに矛盾と課題を「科学的発展観」のもとで「和諧(調和)社会」を建設すると主張した。中国の中央政府は強い決意で、多くの問題を解決しようと取り組んできたのである。


 しかし、その決意とは裏腹に実際には矛盾は解決していない。環境汚染はよくなるどころか悪くなっている感がするし、2013年1月には中国の9割の都市で大気汚染が悪化したという調査結果がある。ニセモノを取り締まっても、あいかわらずアップル社が新製品を出すたびに、即座にニセモノが深センで生産される。農民工の生活が改善したとはいえず、都市の内部でも、都市住民と農民の間でも格差が改善しているとはいえない。


 なぜ、解決しないのだろう。中央政府は力をいれて中国経済の課題に立ち向かっている。それはポーズではない。本当に解決したいと思っている。もし社会の矛盾や課題が拡大し、社会不満が鬱屈すれば人々の批判は中国共産党に向かう可能性があるからだ。党・政府は矛盾と課題解決に力をいれざるを得ないのである。


 例えば、食品安全問題で考えてみる。粉ミルクが大きな国内問題になっていることは先にみた通りだ。政府も力を入れて食品安全に取り組んでいる。日本でも食品安全問題が国内で話題になったあと、消費者庁ができ、消費者の安全を守ることをアピールしている。中国も全く同じで、最初の粉ミルク問題が起きたあと、全国人民代表大会での5年の審議を経て、2009年3月から中華人民共和国食品安全法が施行された。この法律によって、食品生産への監督権限を、国家食品薬品監督管理総局に一元化し、使用原材料の明示、添加物の使用規制、虚偽広告の取り締まりが強化されている。


 厳しい例をあげると、芸能人やスポーツ選手など有名人が出演した広告の食品に問題が発生した場合、その連帯責任を負わなければならない、と新しい法律は明記している。これについては一部の芸能関係者から「やりすぎだ」との批判もあがっている。食品安全問題に詳しい中国人弁護士も「世界基準から見ても厳しい」という意見もあるほどだ。


 しかし実際の問題は法律の制定ではなく、実施の問題という意見が多い。中国には1995年に成立した食品衛生法が存在しており、国家衛生部(現在の国家衛生和計画生育委員会)が中心となって食の安全に関する管理取り締まりが実行されていた。


 2008年9月に発覚した粉ミルク問題では、有害物質メラミンの大量混入が半ば公然と行われていたにも関わらず、問題企業は毎年のように生産過程を監督する政府機関から表彰を受けていた。「官業の癒着構造により、法律が機能していないことが、悲劇をもたらした原因だ」と、中国メディアも事件後に強く批判した。


 粉ミルク問題だけではない。ニセモノを生産する企業、基準を超える汚染水を垂れ流す企業など、多くの法律違反企業が存在するにもかかわらず、中央政府が大きな声をあげて、取り締まりをアピールするも、地元政府の足取りは重い。地元政府にとって、企業は地方財政を支えるとともに、雇用を守っている存在だ。

 

 中央政府が、知的財産権を侵害する企業は許さない、環境保護基準を順守しない企業の操業は認めない、と言っても、その取り締まりを実行する主体の地方政府は、地元の経済への影響をかんがみて、厳しい取り締まりができない。中央政府が命令しても、地方政府は形だけ聞くふりをしながらも、実際には自身の損になるような政策をまともに実行しない。


 地方政府は、違反企業の操業を一時的に停めたり、責任者を一時的に逮捕するなどしても、抜本的な取り締まりは実行していないのが現状なのだ。


 つまり、中央政府が政策を実施しても、下の地方政府には対策が存在するのである。


第14章 ゲーム理論-中央と地方( 2 / 2 )

14.2 囚人のジレンマ

 市場経済が成り立つためには,多数の市場参加者が存在しないとならないが,少数しかいない場合,自分の意思決定が他人の意思決定に影響を及ぼすことがある。相手の出方を考えてもっともよい結果になるように自分の意思決定を行うことが多い。中国の中央政府と地方政府はまさに自分の意思決定が相手の意思決定に影響を及ぼす事例だ。


 もし,中央政府が政策を実施することによって地方政府が対策を考えるケースは,まさにこのような意思決定の相互依存関係が表れる事例だ。意思決定の相互依存を分析する枠組みとして,ゲーム理論が存在する。


 ゲーム理論とは,複数の経済主体間での利害関係をゲームという形で記述しようとするものだ(川西2009)。一般に経済主体は政府,家計,企業として分析されるが,中国の場合,


政府→中央政府,地方政府,共産党など

家計→農民,都市住民

企業→国有企業,郷鎮企業,外資系企業など


に細分化することが可能だ。そしてそれらが互いの利害をめぐって駆け引き(ゲーム)を行っている。この駆け引き,ゲームを記述することによってどのようなやりとりがあって,どのような結果がもたらされるのか,そして今後どうなるのかといったことが想像できるようになる。


 中央政府が市場の課題(市場の失敗ともいう)である格差,環境,食品の安全性,ニセモノ問題を解決しようするにも関わらず地方政府がそれを骨抜きにしてしまうのは,まさにゲーム状態にあることを意味する。とくに地方政府が中央政府と協調しない意思決定を下すのは,ゲーム理論の中でも「囚人のジレンマ」として記述することが可能である。


 囚人のジレンマとは,二人の囚人がいて自白を迫られている時に,ともに黙秘をする方がよりよい結果になるにも関わらず,相手が裏切ったら自分が損をするために,二人とも自白してしまい,牢屋に入れられてしまうジレンマをいう。強盗の容疑で捕まった二人が別々の取調室に入れられ,取調官から,「君が黙秘せずに自白すれば,君を自由にしてあげよう」という司法取引を提案されたとしよう。二人の容疑者は黙秘する方が二人とも自由になる可能性があるにも関わらず,自分が黙秘してもう1人の容疑者が自白した場合,最悪の結果に陥ることになる。それを避けるために容疑者は自白をすることによって二人とも牢屋にぶち込まれてしまうのだ。


 中央政府と地方政府もこのような囚人のジレンマに似た状態にある。中央政府は政策を実施するしないという二つの戦略が存在し,地方政府はその中央政府の政策に従うと従わないという戦略がある。もちろん何も問題がないときは,中央政府は政策を実施せず,地方政府は何も対策を講じる必要はない。しかし中央政府は環境や食品安全などの取り締まりをしたい。もし地方政府がその取り締まりに協力した場合,地方は経済発展がなされず,税収は落ち込み,失業者が発生してしまう。これを避けるためには,地方政府は対策を講じるという戦略を採用せざるを得ない。


 これを図示したものが以下の図だ。


図2 中央政府と地方政府の囚人のジレンマ

図は「上に政策あれば,下に対策あり」のゲームを顔文字で示したのだ。顔文字の笑顔の度合いが利得の度合いであり,左の顔文字が地方政府の利得,右の顔文字が中央政府の利得を示す。笑顔が大きいほど,その経済主体の喜び(利得)が大きいことを示している。


 この二つの経済主体がゲームをしたとしよう。中央政府も地方政府もどちらもより笑顔になれる戦略を採用する。その結果,右下のところに落ち着く。しかし二つの政府が協調する左上がもっともよい結果であるにも関わらず,このゲームでは右下の取引で安定してしまう。


 これが中央政府と地方政府のジレンマだ。「上に政策あれば下に対策あり」が政府間でも発生している。地方政府にとって,地方の経済発展は地方の幹部の出世に影響する。となると,企業の負担を減らして金儲けをしてもらい,地元の経済発展に寄与してもらいたいと考える。中央政府が環境保護,食品安全,知的財産などの取り締まりを実施したとしても,地方政府はそれを遵守するのではなく,対策を講じる。つまり地元の経済発展のために地元の企業活動の多少の違反は目をつぶるということが発生してしまう。これが政府間のジレンマで,中央政府のガバナンスが政策実施現場では弱くなってしまうのである。

 

 中央政府と地方政府が協調するのがこの社会の中でもっともいい状態だ(左上)。これがパレート最適の概念だ。しかし,現実にはどちらも協調しない結果になっている。これをナッシュ均衡という。ナッシュ均衡とは,お互いに相手の出方によってもっとも得している(最良の)戦略を採用している状態だ。逆にいえば,別の戦略をとると自らが得をしないということになる。


 「上に政策あれば,下に対策あり」という状況は中国経済にとって最適な状況とはいえない。中央政府も地方政府も合理的な(自分が得をする)行動を選択してはいるが,社会としては(中央政府,地方政府という両方の経済主体にとっては)あまり好ましい状況ではないということを示しているのである。



<練習問題>


  1. なぜ中央政府の政策が地方で実施されないのか。

  2. 囚人のジレンマを説明せよ。


岡本信広
アジア理解の経済学
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