アジア理解の経済学

第12章 環境問題( 1 / 2 )

12.1 「生態移民」


 中国では環境保護目的で「生態移民」が行われている。英語ではecomigrationとかenvironmental migrationなどと呼ばれる。もともと環境が劣悪なところに住んでいる住民,あるいは環境にストレスを与えている地域の住民を,環境のいい場所に移転させる政策である。


 生態移民はもともと農業や牧畜などの生産条件が非常に劣悪に居住している少数民族の貧困を解決する目的であった。寧夏回族自治区などではすでに1980年代から行われており,山林に居住する回族などを農業条件のよい場所に移転させていた。内モンゴル自治区でも遊牧を行うモンゴル民族に土地を分配し、定住型の家畜経営と農業従事を求めるようになった。


 生態移民、とくに環境保護目的の生態移民では,内モンゴルのケースが有名である。モンゴル民族は、遊牧文化をもち、羊、やぎ、馬、ラクダ等の家畜を引き連れて放牧し、草がなくなったら別の草原に遊牧するスタイルである(ヤギは草の根まで食べてしまうので草原の復活に時間がかかる)。漢民族の内モンゴル地域への移住とともに、漢民族の農地開墾が進んだ。モンゴル民族はより周辺に追いやられるとともに限られた草原での放牧が問題となってきた。過開墾と過放牧が内モンゴルの荒漠化、砂漠化の原因として指摘されるようになったのである。(推計によると砂漠化の5割は過開墾と過放牧によるものという数値もある(久方2007)。)


 荒漠化、砂漠化は、土壌流出(土地が保水できなくなる)や黄砂の増加につながる。毎年春になると黄砂が飛んでくるというニュースが出てくるが、中国内陸の砂漠化は急速に進んでいる。推計によると国土の1/4は砂漠化・荒廃化しており、毎年2500平方kmが砂漠化しているという。(全世界では6万平方kmの砂漠化が進行している。)


 政府は草原への過剰放牧がモンゴル平原の荒漠化の原因であるとの考えから,政府主導で遊牧から定住へ生態移民が実施してきた。遊牧は環境への圧力が大きいというところから、モンゴル民族を中心にとある地域に定住させ、定住型の畜産業、農業への転換、工業部門への就業などをすすめてきた。


 生活形態の転換とともに、2000年の西部大開発から生態環境保護は重要な柱であり,荒漠化が進む内モンゴルでは退耕還草(林)も実施されてきた。これは植林、植草が必要な地域では、農民に地域を請け負わせて補助金を与えながら林業経営を行わせるというものである。場所によっては農業をやめることによって失われる所得を、補助金で保障しながら、森林、草原経営に向かわせる。しかし、退耕環草(林)よりも生態移民の方が環境保護の成果が出やすい。


 モンゴル民族は遊牧民族である。放牧をしながら居を転々と変え,牧畜業を主な生業とする。彼らの遊牧文化を曲げてまで定住を求める政策は文化面からも批判がある。それに加えて環境保護政策への効果に対しても意見が分かれている。遊牧民の安定した農業や牧畜により貧困脱出が可能になった,環境保護についても一定の効果が現われている,とする政府系の報告がある一方で,移民先のコミュニティー崩壊,少数民族文化の消滅,荒漠化に変化はないという反論もある。


 いろんな見方があるにせよ、モンゴル民族は遊牧から定住に移ることによって、放牧経営から家畜経営に、そして家畜経営から農業へ移行している。また環境産業としてエコツーリズムが注目されるようになり、草原のゲルキャンプ(遊牧民族のテント体験)を営むモンゴル民族も出てきている。


第12章 環境問題( 2 / 2 )

12.2 共有地の悲劇

市場メカニズムは環境問題の解決方法を含んでいないメカニズムである。市場メカニズムは,稀少な資源を大事に使うという意味では非常にいいメカニズムだが,環境資源を大事に使うのが難しいものになっている。


 例えば石油を考えてみると,石油価格が上昇する。石油価格が上昇すれば、使うのをやめようとします。石油価格の上昇は,石油が今の世の中稀少なものになりつつありますよ!というシグナルになり、消費者側は高いので買えるのを控えようということになる。これにより石油消費が押さえられ、トウモロコシから作られるエタノール原料などの代替エネルギーへの開発につながる。


 つまり価格が高いものは,稀少ですよ,大事に使いましょうというシグナルを発しており,実際高いので私たちも節約して使おう(買おう)ということになる。反対に価格が低いときは,豊富ですよ,この製品はお値打ちでお買い得ですよ,というシグナルを発しており,結果私たちも安いので遠慮なく使おう(買おう)ということなる。


 このように市場メカニズムは稀少な資源を大事に使うように自動的に私たちを導いている。市場メカニズムも「エコ」なシステムといえるであろう。


 ところが市場メカニズムでも自分の身の回りの環境(大気、水、草原など)という資源に対してはこの稀少ですよ的シグナルを発することができない。それは環境が誰のものでもなく(公共性),他の人の利用を排除することができない(非排除性)という二つの性格をもっているからだ。


 まず環境は誰のものでもないという所有権のはっきりしないものだ。つまりみんなのものだ。そしてお前使うなよ~というように他人が利用しようとするのをやめさせることはできない。このような事例を経済学では「共有地の悲劇」として説明する。


 とある牧草地があり,そこの牧草を食べると,乳牛はいいミルクを生産し,肉牛はいい霜降り肉がつくとする。あなたが農家だとどうするだろう?自分の牛をその牧草地に放牧させてたっぷり草を食べさせ,自分の牛の市場価値を高めようとするだろう。それが農家にとっての利潤最大化の戦略だ。他の農家も同じことを考える。他の農家も自分の牛の市場価値を高めようとするために,おなじ牧草地に牛をはなち,そこの牧草を食べさせる。そうして我も我もと多くの農家がそこの牧草地に牛を放牧する結果,牧草地にいい牧草がなくなってしまうという結果になってしまう。これが「共有地の悲劇」と呼ばれるものだ。


 中国の水問題,大気汚染の問題はまさにこの共有地の悲劇が現在起こっていると言うことにになる。これを解決するにはどうしたらいいのだろう?


 規制というのは一つの解決方法ですが,実はあまり有効ではない。規制を有効にするためには監視(モニタリング)が必要だからだ。中国では環境問題を非常に重要視しており,環境規制や環境の法律体系も日本よりすすんでいると言われるくらいだ。でもそれがうまくいかないのは監視のためのコストが高く、法律や規制が有効に機能していないのが現状だ。


 中国は広い。そして多くの企業が存在する。これらの企業が規制を守っているのかどうかを監視するのは大変なコストがかかる。監視がなければ,うちの企業ぐらいいいだろうというモラルハザード(道徳的瑕疵,ほんとうは保険用語の心理的危険ですが。)が発生する。


 この解決方法として中国で試行錯誤されているのが水利権(水を使う権利)や排出権(汚水や排煙を排出する権利)の市場取引だ。自分のところで排出する汚水が少ないととするとその権利を他社に売ることができる。あるいはどうしても排出量が削減出来ない場合は他社から排出権を購入しなければならない。つまり汚水や煤煙の排出にはコストがかかるようにする。そうすると汚染の排出を削減しようとするインセンティブがわく。


 もう一つは排汚費のように環境税を導入することだ。つまり汚れた廃水や排気をするときには、その量にしたがって税金を課す。企業は排水排気にコストがかかるようになるので、浄水施設や脱硫装置を設置して、環境負担をかけないようにする。ただし中国では、環境税の負担が小さいため有効に機能していないという問題がある。


<練習問題>


  1. 「環境問題」の種類とその共通する性質について述べよ。

  2. 「共有地の悲劇」とその解決法について述べよ。


第13章 知的財産権-ニセモノはいけないことか?( 1 / 2 )

13.1 「山寨」「日本動漫」

 実は中国では日本のアニメ(「日本動漫」)が非常に人気だ。1980年代には、鉄腕アトムや一休さんが人気だったし、1990年代には、スラムダンクが流行して,中国全土で史上空前のバスケットブームをもたらした。1995年にCBA(Chinese Basketball Association)ができている。その後、セーラームーンが流行するなど、日本のアニメは中国で非常に受け入れられている。


 とある中国人学生は,高3のときにテレビで『名探偵コナン』を見ていたが,105話で放映が終わってしまったという。どうしても続きが見たくなって,105話以降の話が載っているVCD(ビデオCD)が売れれているという情報をゲット。その店に買いに行ったら,大量の海賊版があり,それをきっかけに日本のアニメに興味をもち,はまっていたと語る(遠藤2008)。


 私も北京で暮らしている時に、街のDVD(当時はVCD)屋には大量の日本のアニメが置いてあったし、露天商も日本のアニメを扱っていた。値段を聞いたら、5元とか10元とかであったので、どう考えても正規版ではない。


 日本の出版社や著者,テレビ局などと正規の版権契約をとりかわして作られた正規版はほんのわずかだ。大半は,中国大陸あるいは台湾などで勝手にコピーしたいわゆる「海賊版」だ。最近では政府の取り締まりが厳しくなったので,多少は減ってきた。それでも中国市場に流通する日本動漫ソフトの90%は海賊版だと言われている(遠藤(2008)p.82)

 

 一般に海賊版の原盤は、日本のお茶の間に流れているものがそのまま録画されたものである。その録画されたアニメに日本語を勉強したことのある中国人が字幕を作成し、海賊版となっていく。彼らは仕事でやっているというよりも、自分が本当にアニメが好き、という純粋な気持ちでやっていることが多い。


 ただし近年知的財産権での取り締まりも厳しくなっているので、街角のDVD屋がこれ見よがしに海賊版を置いていることはなくなった。正規版を店頭に並べて,店の奥で正規版のコピーをつくるというDIY方式が一般的になっている。DIYとはDo It Yourselfの略である。偽正規版ともいえる。正規版をそのままコピーし国家版権局版権認証登記号まですべてコピーするために,見分けは困難になっている。


 日本のアニメで有名な、ドラえもん、ちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃんなどなどキャラクターも模倣されていく。キャラクターの商品の使用には、著作権を支払って利用することが必要だ。しかし、著作権使用料を払わずに無断でキャラクターグッズが製作されたりする。見た目で本物と区別のつくものもあるが、中には本物のキャラクターと区別できない、精巧なものも少なくない。


 中国では知的財産権意識の高まりの中で、商標権登録が盛んになっている。そのためビジネス上の新たな揉め事にもなっている。


 例えば、クレヨンしんちゃん商標権訴訟。2004年日本の出版社が中国のアパレル業者と一緒に「クレヨンしんちゃん(中国語では「蠟筆小新」)」のキャラクターグッズを製作、販売しようとした。製品を中国デパートで販売しようとしたら、地元の役所からニセモノ扱いになるということで販売を差し止められた。


 どういうことかというと、クレヨンしんちゃんとまったく関係のない中国企業がすでにイラストなどを商標登録しており、日本企業の使用は商標権の侵害になったのである。日本の出版社は中国の裁判所に提訴。作者が作ったキャラクターの著作権は出版社にあるので、商標権登録はおかしいと主張した。しかし、商標権登録は日中ともに先願主義であるため、登録手続きに問題はなく、登録から5年3ヶ月も異議申立てもなかったのだから、中国企業に商標権登録の権利があるとされた。


 最終的に、2012年3月「クレヨンしんちゃん」の商標権・著作権をめぐる裁判の判決が中国であり、日本の出版社に著作権が認められることになった。日本の出版社の言い分を認め、中国の企業に対し、キャラクターの使用停止と損害賠償の支払いを命じたのである。


 商標権の登録は中国ではすでにビジネス化されているところがある。アップルのiPadも中国国内ではすでに商標権登録がされており、アップルも中国企業を相手に訴訟、商標権の買い取りについて交渉が行われた。中国では、ビジネスチャンスがあるかもしれないと思われる固有名詞は大量に商標権登録されているために、外国企業進出の障害にもなりつつある。


第13章 知的財産権-ニセモノはいけないことか?( 2 / 2 )

13.2 例外的な「独占」

 知的財産権は、例外的に「独占」を認める制度である。


 経済学には、競争によって価格が下落し消費者は得をする、という考えがあり、企業一社による独占や数社による寡占は望ましくないとされている。その例外が知的財産権の保護である。


 知的財産権を保護しなければならない理由は、開発者の開発インセンティブを保護すること、既存ブランドを守ることの2つである。とくに、新しい商品を開発するには膨大な開発時間とお金がかかる。とくに新薬の開発には膨大な投資が必要だ。新薬が開発されたとして、その商品が他の製薬会社によってコピーされるようになったら、開発会社は新薬開発投資を回収することが不可能になってしまう。またもしコピーをした製薬会社の作った製品によって購入者に副作用が出たなどの問題が発生したとすると、新薬開発会社にも影響が出てしまう。


 そこで、マネがしやすい知的商品については一定の人為的「独占」を認めましょう、ということが世界的なルールとして定着している。他企業に対し参入障壁を構築することによって独占利潤の獲得を法的に認めるのが知的財産権である。


 ただし、「独占」である以上、弊害も存在する。過度に保護されると製品の独占市場を形成し,独占会社が利潤をむさぼり,本当に必要とする人が高くて買えないということが発生する可能性がでてくる。例えば、HIV新薬が開発されても高価格であるために、本当に必要なアフリカの貧困層に手に渡ることができない。ディズニーが知的財産権で保護されているために、低所得者層の子供達はディズニーランドで楽しむことができない。独占は高価格をもたらし、本当に必要な人にその製品やサービスが行き渡らないという問題が発生する。これが独占による資源配分の歪みである。


 過度な独占につながらないように、さまざまな工夫がなされている。新薬などでは,ある期間特許を保護したあと,ジェネリック商品ということで独占市場から競争市場へ変換させるシステムが確立している。著作権も、作者の生存期間と死後50年間というのが一般的であり、その後は自由に取り引きすることが可能だ。Amazon Kindleなどの電子書籍市場では無料の書籍もあるが、それらは著作権がフリーになったものである。


 また、知的財産権を過度に保護する理由としてブランドの毀損というのがある。しかし、ブランドを毀損するのではなく、宣伝になっているのではないかという意見もある。


 例えば、中国で日本アニメが流行したのは日本の版権がゆるかったので、海賊版として流通しやすかったという要因がある。アメリカの版権はうるさかったので、中国市場に参入しにくかった。海賊版が中国を席巻して結果的に中国市場に深く浸透したというのが現状だ。

 安価な海賊版があったからこそ,中国国内の若者たちは、自分の小遣いで購入でき,自分で見たい作品を選ぶことができた。もし日本が正面から日本文化を普及しようとすると、中国政府は必ずコントロールするであろう。海賊版という政府の目を逃れて市場を拡大することによって、日本文化の中国浸透が可能であったとも言えるのである。


 最後に、競争こそが創造性を生み出す源泉であるという立場から,知的財産権を批判する意見も多い。例として、オープンソースのソフトウェア、ニュース業界におけるインターネット無料配信、文学と文学作品は著作権がない時代でも新しいいい作品が生まれてきた,ということがあげられる。クリス・アンダーソンも『MAKERS 21世紀の産業革命が始まる』でオープンソースによって新たな製品開発が可能だと指摘している。


 競争を抑制して特権を得ようとする浪費的な取り組みを、経済学ではレントシーキングというが,知的財産権は知的独占を生み出しレントシーキングの元になるため、保護と競争の適度なバランスが必要である。


<練習問題>


  1. 知的財産権保護の理由を述べよ。

  2. 知的財産権保護の問題を述べよ。


岡本信広
アジア理解の経済学
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