アジア理解の経済学

第4章 格差が広がる社会ートレードオフ( 1 / 2 )

4.1 「差距」(貧富差距-蟻族、李剛、富二代)

 中国では所得格差が広がっている。2013年1月に国家統計局は、不平等の状況を示すジニ係数を、初めて公表した。それによると、

2003年 0.479

2004年 0.473

2005年 0.485

2006年 0.487

2007年 0.484

2008年 0.491

2009年 0.490

2010年 0.481

2011年 0.477

2012年 0.474

である。


 ジニ係数とは、富が平等に分配されている状況を0、もっとも不平等になっている状態を1として示す数値で、何%の人が何%の富をもっているかを示す指標だ。ジニ係数0.5という社会をシンプルに表わすと,全人口の25%が富全体の75%を所有している状態である。逆を言えば,残りの25%の富を75%の人口が分け合っているという状態だ。


 一方で,国家統計局が「公式」のジニ係数を発表する以前に,2012年12月西南財政大学は独自の調査によるジニ係数を発表している。それによると,中国家庭の所得のジニ係数は,0.61であり,格差は深刻だという(『人民網日本語版』2012年12月11日)。


 国際的には、0.4が警戒ラインと言われているので、どちらの数値をとるにしても,その意味では中国の富の不平等さは深刻である。


 所得格差が問題になるのは,社会が不安定になるということである。持てるものはもち,持てないものは持てないままだ。所得が低い層が拡大していくと,社会に対する不安が鬱積し,支配政権に対する革命圧力となる。


 中国で貧富の格差が広がっているのは,権力や資本が一部の特権階級に集中していること,そしてその特権によって「灰色収入」が存在すること,そして世襲によって次の世代に引き継がれていることが原因だとも言われている。(灰色収入とは腐敗ほどはっきりしない特権に対する見返り料のことをいう。)


 例えば、「官二代」「富二代」と呼ばれる言葉がある。公務員幹部(高級官僚)を親に持つ子のことを「官二代」といい、お金持ちの子どものことを「富二代」と言う。彼らは親の「関係」(コネ)を活用して,入学や入社に有利となり,場合によっては会社を引き継ぐ。一種の世襲天国である。


 この現象を示すいい例として、「オレの親父は李剛だ」事件がある。2010年河北省保定市の河北大学キャンパス内で女子学生2人がひき逃げされ,うち1人が死亡する事件が発生した。犯人は李啓銘という22歳の青年。ひき逃げ後、この男は現場の人によって取り押さえられた。李は飲酒運転のあげく,被害者に詫びるところか,詰め寄る周囲の人々に「我是李剛(オレの親父は李剛だ)」と言い放った。彼の父親は保定市北市区公安分局の副局長であり、事件はもみ消せるぞという強気な発言であった。


 この情報は瞬く間にネットで中国中に拡散する結果となり,父親の李剛は謝罪会見を開くこととなった。また犠牲者の家族に金銭を渡したことがばれるとさらなるバッシングに繋がる結果になった。


 本来中国は社会主義国である。社会主義の理想はお金持ちになる資本家に対して、富を持たない労働者が資本家の富を平等に分配することである。1949年に新中国が成立して以降、地主の土地は小作農に分配され、都市の資本家の企業は労働者たちによって接収され、農民と労働者が主体の国家となった。


 しかし平等は悪弊をも生む。それは働いても働かなくても結果は平等だというシステムは、人の働くというインセンティブを奪う。その結果、中国の経済は発展せず、低迷した。


 経済の低迷する中国を立てなおそうとしたのが鄧小平であった。鄧小平は1978年より改革・開放を実施し、今の発展のキッカケを作った。彼の先富論(先に豊かになる者は豊かになってよい)という思想は、悪平等に陥っている人々の意識を開放し、自らの利得を最大化する合理的な人間を産んだ。人々は懸命に働き、家電を手に入れ、豊かな生活を求めたのである。経済効率は上昇し、改革開放から約30年後の2010年には世界第二位の経済大国となった。


 効率は上昇したが、平等ではなくなった。豊かになる者はいたが、豊かになれない人々も存在するようになったのである。都市には大学を卒業したもののいい仕事につけず、地下室に住んで遠いところまで通勤する、蟻族と呼ばれる人々も発生した。彼らは夢をみて都市に出てきて大学に入学したにも関わらず、とくに「関係」(コネ)もなくいい仕事に就職できなかった。低賃金で長時間労働に励むものの、普通のアパートに住めず、アパートの日も当たらない地下室での生活を余儀なくされた。


第4章 格差が広がる社会ートレードオフ( 2 / 2 )

4.2 稀少性とトレードオフ

 経済学は、世の中の資源(富など)は希少であると考えている。これを「希少性」と呼ぶ。稀少性とは資源に限りがあることを意味する。1日の時間は24時間しかないし,手元の財布に入っているお金には限りがあるし,世界の富は有限であるということである。


 希少性はトレードオフという関係も生む。トレードオフとは、「何かを得ようとすれば、何かを手放さなければならない」という状況を示す。1日のうち働く時間を増やせば遊ぶ時間は減るし,コンビニでお弁当を買えば,財布のお金は減る。誰かの富が増大するということは誰かの富は減るということになる。


 私たちは,朝起きて歯を磨き,朝食を食べるが,朝食の時間を睡眠にあてることもできる。睡眠時間は増えるが朝食を食べるという行為を犠牲にしなければならない。お昼に何を食べるかを考える時にも,自分の財布にいくら入っているかをみてから,とんかつ定食にするのかカップラーメンで済ますのかを決める。学校が終わってから,バイトに行くと勉強する時間や遊ぶ時間はなくなってしまう。


 意思決定をする際には,無意識ではあるが,このようなトレードオフに直面している。何かをするということを決めれば何かをあきらめなければならない。資源に限りがあるという稀少性の世界で生きている以上,私たちは何かしらのトレードオフに必ずぶつかる。


 人が集まって社会ができる。その社会もトレードオフに直面する。典型的なのが効率と公平である。効率とは,稀少な資源を利用して得る物を最大にしていることをいう。公平とは,資源から得た物を社会のみんなに公平に分配されていることを示している。効率はいかにたくさん得るかを意味し,公平は得たものをどのように配分するかを意味する。社会はこの効率と公平のトレードオフに直面している。


 中国は1949年に社会主義国として新たな出発をした。社会主義という国になるという意思決定を行ったのは中国共産党,とくに当時の指導者である毛沢東である。当時の中国農村では,地主が高い小作料をとり,小作人は畑を耕しても耕しても豊かになれなかった。都市部では国民党と企業が結託し,そして外国資本も進出して中国の富を独り占めしていた。企業で働く労働者も汗水流して働きながらも企業の儲けは国民党の幹部や資本家が持って行ったのである。


 毛沢東が純粋にこのような社会に憤りを感じていたのかどうかはわからない。しかし労働者が平等になるという共産主義思想に中国社会の理想をみたのは確かである。1949年,毛沢東が率いる中国共産党は国民党との内戦を制し,社会主義国家を建設することに成功した。


 毛沢東は,すぐに社会改革をはじめた。農村では人民公社化を実施し,小作農を集団化して人民公社で農業生産に従事するサラリーマンとした。都市では外国企業や国民党の企業を共産党員が接収し,国のものという国有化を行った。富を生み出す土地や資本(工場)を農民と労働者のものにした。


 たしかに人民公社で働く農民や国有企業で働く労働者の報酬は平等になっていった。しかしその結果は,効率の犠牲であった。働いても働かなくても報酬が同じであれば,人は働かない。土地や資本という資源を活用して富を最大限得ようとする効率性はおざなりになった。中国は貧しい国のままであった。


 毛沢東が亡くなって,鄧小平が共産党の指導者となった。彼は1978年に重要な意思決定を行った。それが改革開放であり,先富論であった。この結果,中国経済は効率的になり,急速に経済発展をした。しかしその代償は先にも述べた格差の拡大であったのである。


 国家指導者の意思決定は効率と公平のトレードオフに直面していたのである。


<練習問題>


  1. 稀少性とトレードオフを説明せよ。

  2. 中国経済の効率と公平について述べよ。



第5章 交換は素晴らしい-配給切符( 1 / 2 )

5.1 「糧票」

 「交換」は人類最大の発明である。交換することによって人の生活は改善するからだ。


 ところが中国は「交換」のない世界を経験している。それが糧票,いわゆる食糧を代表とする配給切符制度である。


 中国には糧票(食糧切符)というのがあった。1955年に導入され1993年まで実施されていた。食糧全体を統一的に農村から買い上げ、統一的に都市に供給するシステムであり、計画経済の根幹であった。


 計画経済期の中国では、悪天候や農業技術の未発達により食糧(とくに主食である米や小麦粉)が慢性的に不足していた。とくに1957年から1960年の大躍進という英米に追いつこうとする無理な工業化は,農民を工業化に駆りたて,結局農業生産を損なわせた。


 慢性的な食糧不足中で,存在する食糧を国民に平等に与えることによって、食糧需要を抑える必要があった。1人当たり食べられる食糧の量を設定し、その量に見合った分だけ配給切符として国民に配分される。


 食糧切符はさまざまな種類があった。各地域、各単位(学校、企業、団体)別に、所属社員の家族数や年齢にあった形で食糧切符が配布された。また出張用などの目的別、全国で通用する切符など多種多様な食糧切符が発行された。


 食糧の需給ひっ迫の時期を経て、1961年により中央は余った糧食の購入には、工業品を提供する切符を渡すようになった。例えば、糧食一斤につき、布一尺、靴一足、化学肥料一斤とかに交換することが可能な切符である(例:化肥供応証(糧食専用)など)。


 また1970年代末から農民が都市に流入するようになった。彼らは食糧切符がないために都市で食糧を手に入れることができない。そのうち農貿市場などでは自然発生的に食糧切符の交換が行われるようになった。食糧切符を持っている人は持っていない人と別のもので交換することが可能となったのである。


 食糧切符は食糧の量で発行量が決定するので、ある種金本位制ならぬ食糧本位制の貨幣であった。改革開放以降,食糧の増産とともに食糧切符は余裕が出てくる。そのうち食糧切符を糧食店に貯蓄することが可能となったり、他の品物(落花生、洗面器、コップなどの日用品)と交換することが可能となった。


 例えば、5斤の麺切符は1斤の落花生に、30斤は一つの洗面器に、500斤あればクローゼットに交換できるというようになった。


 1978年以降の改革では請負制が拡大し、農業生産が増加。政府の食糧買い上げ統一価格も引上げられるようになった。食糧切符も定額ではなく、比例価格と書かれるようになる。食料生産の拡大とともに食糧管理の意義が薄れ、1993年には食糧切符は消えることとなった。


 食糧切符が廃止されて,すでに20年がたつ。しかし,現在でも食糧切符は、愛好家、収集家によってマニア市場で交換売買されている。私も中国のとあるサイトで、食糧切符でノートパソコン、スマホと交換しようぜ、というのをみたことがある。すでに食糧切符は,食糧にも変えられないタダの紙に関わらず,現在でも別のものと交換することが可能なのである。


第5章 交換は素晴らしい-配給切符( 2 / 2 )

5.2 交換のメリット

 交換(トレード)がいいのは非常に単純にいうと,交換には利益があるということにつきる。コンビニでおにぎりを買うという行為一つとっても,おにぎりとお金が交換されている。


 交換のメリットを考えてみよう。ここではAさん,Bさんの2人の人がいるとする。そしてAさんはリンゴ,Bさんはミカンを持っているとして,各自の「好み」(これを経済学では選好という)が以下のようになっているとしよう。


Aさん  持っているモノ:肉 選好:お米>肉

Bさん  持っているモノ:お米  選好:肉>お米    


AさんがBさんに肉をあげて,Bさんはお米をAさんにあげて,モノを交換したとする。いわゆる物々交換であるが,自分の好み(選好する)モノを手に入れることができるので,AさんもBさんも効用が増加する。どちらも得になっている。これを経済学ではパレート改善であるという。パレート改善とは,交換に参加する人(ここではAさんとBさん)のどちらも効用を下げることなく,全体として効用が増加することをいう(小島2012)。

 国と国との交換を貿易というが,貿易もどちらの国にとっても有益であることが示される。ここではX国,Y国が存在し,X国はぶどうを安く生産することができ(生産費用が低い),Y国はワインを安く生産することができるとする。


X国 生産物 ぶどう  生産費用 ワイン>ぶどう

Y国 生産物 ワイン  生産費用 ぶどう>ワイン


X国はワインを輸入し,ブドウを輸出する。Y国は反対にX国からブドウを輸入し,ワインを輸出する。これによりX国もY国も生産費用を抑えることが可能である。これが貿易のメリットである。X国は生産費用の高いワインを生産することなくワインを消費することができるし,Y国は生産費用の高いぶどうを生産することなくワインを消費することができる。これにより各国の国民は得をするのである。自分の国の中で生産費用が低い生産物のことを比較優位をもつ生産物という。比較優位とは自分の国の中で,生産費用が低いものをさしている。


 比較優位のキモは,いろんな人がいてよく,自分の得意なものに特化して,得意なものを交換する方がよいということを示している。つまり,弁護士をやる人がいたり,農業をやる人がいたり,大工さんがいたり,教員がいたりする。そしてそれぞれが得意なものを活かして社会に貢献しお金をもらう。これが交換のメリットとなる。


 ただし,ここでは重要な前提がある。それは交換はすべて「自発的である」ということである。自らが望んで何かと何かを交換する,これが自発的交換である。配給制度のように政府から強制される交換には,喜びも満足も少ない。自発的であることによって,交換は利益あるものになる(若田部2012)。


 中国では,食糧の生産量が少なかったために,食糧の価値は高かった。人は食べずに生きてはいけない。食糧に交換できる食糧切符は,他のものに対して重要な価値をもつこととなった。食糧切符は,生活における重要必需品であった。


 しかし食糧の増産により配給切符の価値は相対的に低下してくる。中国は食糧切符の他に,布票(衣料品切符)や副食品票(肉や野菜,調味料などの切符)も発行された。人によっては時期には衣服は必要ないが食糧が必要ということがあった。人々は配給切符を相互に交換することによって,生活を豊かにしようとしたのであった。


 日本でも交換が豊かになるケースがある。2013年の正月のテレビで面白い報道があった。横浜高島屋では100m以上の行列ができた。それは福袋を買い求める人の列であった。しかし福袋の問題は,お買い得であっても中身が必ずしもその人が欲しいものではないことがある。同じ思いを持つ人が高島屋の外で,それぞれの品物(戦利品?)を見せ合い,自発的に交換をしていたのである。交換こそ,福袋のデメリット(いらないものが入っている)を解消する唯一の方法なのである。


 中国が食糧をはじめ,生活用品の生産を増加することができるようになって,配給切符の価値はなくなっていった。そのため配給制度は影を潜めるようになり,現在は愛好家や収集家で交換されるようになっている。



<練習問題>


  1. 以下の言葉を説明せよ。効用,選好,パレート改善,比較優位

  2. 配給制の問題点について交換の観点から述べよ。


岡本信広
アジア理解の経済学
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