アジア理解の経済学

第4章 格差が広がる社会ートレードオフ( 2 / 2 )

4.2 稀少性とトレードオフ

 経済学は、世の中の資源(富など)は希少であると考えている。これを「希少性」と呼ぶ。稀少性とは資源に限りがあることを意味する。1日の時間は24時間しかないし,手元の財布に入っているお金には限りがあるし,世界の富は有限であるということである。


 希少性はトレードオフという関係も生む。トレードオフとは、「何かを得ようとすれば、何かを手放さなければならない」という状況を示す。1日のうち働く時間を増やせば遊ぶ時間は減るし,コンビニでお弁当を買えば,財布のお金は減る。誰かの富が増大するということは誰かの富は減るということになる。


 私たちは,朝起きて歯を磨き,朝食を食べるが,朝食の時間を睡眠にあてることもできる。睡眠時間は増えるが朝食を食べるという行為を犠牲にしなければならない。お昼に何を食べるかを考える時にも,自分の財布にいくら入っているかをみてから,とんかつ定食にするのかカップラーメンで済ますのかを決める。学校が終わってから,バイトに行くと勉強する時間や遊ぶ時間はなくなってしまう。


 意思決定をする際には,無意識ではあるが,このようなトレードオフに直面している。何かをするということを決めれば何かをあきらめなければならない。資源に限りがあるという稀少性の世界で生きている以上,私たちは何かしらのトレードオフに必ずぶつかる。


 人が集まって社会ができる。その社会もトレードオフに直面する。典型的なのが効率と公平である。効率とは,稀少な資源を利用して得る物を最大にしていることをいう。公平とは,資源から得た物を社会のみんなに公平に分配されていることを示している。効率はいかにたくさん得るかを意味し,公平は得たものをどのように配分するかを意味する。社会はこの効率と公平のトレードオフに直面している。


 中国は1949年に社会主義国として新たな出発をした。社会主義という国になるという意思決定を行ったのは中国共産党,とくに当時の指導者である毛沢東である。当時の中国農村では,地主が高い小作料をとり,小作人は畑を耕しても耕しても豊かになれなかった。都市部では国民党と企業が結託し,そして外国資本も進出して中国の富を独り占めしていた。企業で働く労働者も汗水流して働きながらも企業の儲けは国民党の幹部や資本家が持って行ったのである。


 毛沢東が純粋にこのような社会に憤りを感じていたのかどうかはわからない。しかし労働者が平等になるという共産主義思想に中国社会の理想をみたのは確かである。1949年,毛沢東が率いる中国共産党は国民党との内戦を制し,社会主義国家を建設することに成功した。


 毛沢東は,すぐに社会改革をはじめた。農村では人民公社化を実施し,小作農を集団化して人民公社で農業生産に従事するサラリーマンとした。都市では外国企業や国民党の企業を共産党員が接収し,国のものという国有化を行った。富を生み出す土地や資本(工場)を農民と労働者のものにした。


 たしかに人民公社で働く農民や国有企業で働く労働者の報酬は平等になっていった。しかしその結果は,効率の犠牲であった。働いても働かなくても報酬が同じであれば,人は働かない。土地や資本という資源を活用して富を最大限得ようとする効率性はおざなりになった。中国は貧しい国のままであった。


 毛沢東が亡くなって,鄧小平が共産党の指導者となった。彼は1978年に重要な意思決定を行った。それが改革開放であり,先富論であった。この結果,中国経済は効率的になり,急速に経済発展をした。しかしその代償は先にも述べた格差の拡大であったのである。


 国家指導者の意思決定は効率と公平のトレードオフに直面していたのである。


<練習問題>


  1. 稀少性とトレードオフを説明せよ。

  2. 中国経済の効率と公平について述べよ。



第5章 交換は素晴らしい-配給切符( 1 / 2 )

5.1 「糧票」

 「交換」は人類最大の発明である。交換することによって人の生活は改善するからだ。


 ところが中国は「交換」のない世界を経験している。それが糧票,いわゆる食糧を代表とする配給切符制度である。


 中国には糧票(食糧切符)というのがあった。1955年に導入され1993年まで実施されていた。食糧全体を統一的に農村から買い上げ、統一的に都市に供給するシステムであり、計画経済の根幹であった。


 計画経済期の中国では、悪天候や農業技術の未発達により食糧(とくに主食である米や小麦粉)が慢性的に不足していた。とくに1957年から1960年の大躍進という英米に追いつこうとする無理な工業化は,農民を工業化に駆りたて,結局農業生産を損なわせた。


 慢性的な食糧不足中で,存在する食糧を国民に平等に与えることによって、食糧需要を抑える必要があった。1人当たり食べられる食糧の量を設定し、その量に見合った分だけ配給切符として国民に配分される。


 食糧切符はさまざまな種類があった。各地域、各単位(学校、企業、団体)別に、所属社員の家族数や年齢にあった形で食糧切符が配布された。また出張用などの目的別、全国で通用する切符など多種多様な食糧切符が発行された。


 食糧の需給ひっ迫の時期を経て、1961年により中央は余った糧食の購入には、工業品を提供する切符を渡すようになった。例えば、糧食一斤につき、布一尺、靴一足、化学肥料一斤とかに交換することが可能な切符である(例:化肥供応証(糧食専用)など)。


 また1970年代末から農民が都市に流入するようになった。彼らは食糧切符がないために都市で食糧を手に入れることができない。そのうち農貿市場などでは自然発生的に食糧切符の交換が行われるようになった。食糧切符を持っている人は持っていない人と別のもので交換することが可能となったのである。


 食糧切符は食糧の量で発行量が決定するので、ある種金本位制ならぬ食糧本位制の貨幣であった。改革開放以降,食糧の増産とともに食糧切符は余裕が出てくる。そのうち食糧切符を糧食店に貯蓄することが可能となったり、他の品物(落花生、洗面器、コップなどの日用品)と交換することが可能となった。


 例えば、5斤の麺切符は1斤の落花生に、30斤は一つの洗面器に、500斤あればクローゼットに交換できるというようになった。


 1978年以降の改革では請負制が拡大し、農業生産が増加。政府の食糧買い上げ統一価格も引上げられるようになった。食糧切符も定額ではなく、比例価格と書かれるようになる。食料生産の拡大とともに食糧管理の意義が薄れ、1993年には食糧切符は消えることとなった。


 食糧切符が廃止されて,すでに20年がたつ。しかし,現在でも食糧切符は、愛好家、収集家によってマニア市場で交換売買されている。私も中国のとあるサイトで、食糧切符でノートパソコン、スマホと交換しようぜ、というのをみたことがある。すでに食糧切符は,食糧にも変えられないタダの紙に関わらず,現在でも別のものと交換することが可能なのである。


第5章 交換は素晴らしい-配給切符( 2 / 2 )

5.2 交換のメリット

 交換(トレード)がいいのは非常に単純にいうと,交換には利益があるということにつきる。コンビニでおにぎりを買うという行為一つとっても,おにぎりとお金が交換されている。


 交換のメリットを考えてみよう。ここではAさん,Bさんの2人の人がいるとする。そしてAさんはリンゴ,Bさんはミカンを持っているとして,各自の「好み」(これを経済学では選好という)が以下のようになっているとしよう。


Aさん  持っているモノ:肉 選好:お米>肉

Bさん  持っているモノ:お米  選好:肉>お米    


AさんがBさんに肉をあげて,Bさんはお米をAさんにあげて,モノを交換したとする。いわゆる物々交換であるが,自分の好み(選好する)モノを手に入れることができるので,AさんもBさんも効用が増加する。どちらも得になっている。これを経済学ではパレート改善であるという。パレート改善とは,交換に参加する人(ここではAさんとBさん)のどちらも効用を下げることなく,全体として効用が増加することをいう(小島2012)。

 国と国との交換を貿易というが,貿易もどちらの国にとっても有益であることが示される。ここではX国,Y国が存在し,X国はぶどうを安く生産することができ(生産費用が低い),Y国はワインを安く生産することができるとする。


X国 生産物 ぶどう  生産費用 ワイン>ぶどう

Y国 生産物 ワイン  生産費用 ぶどう>ワイン


X国はワインを輸入し,ブドウを輸出する。Y国は反対にX国からブドウを輸入し,ワインを輸出する。これによりX国もY国も生産費用を抑えることが可能である。これが貿易のメリットである。X国は生産費用の高いワインを生産することなくワインを消費することができるし,Y国は生産費用の高いぶどうを生産することなくワインを消費することができる。これにより各国の国民は得をするのである。自分の国の中で生産費用が低い生産物のことを比較優位をもつ生産物という。比較優位とは自分の国の中で,生産費用が低いものをさしている。


 比較優位のキモは,いろんな人がいてよく,自分の得意なものに特化して,得意なものを交換する方がよいということを示している。つまり,弁護士をやる人がいたり,農業をやる人がいたり,大工さんがいたり,教員がいたりする。そしてそれぞれが得意なものを活かして社会に貢献しお金をもらう。これが交換のメリットとなる。


 ただし,ここでは重要な前提がある。それは交換はすべて「自発的である」ということである。自らが望んで何かと何かを交換する,これが自発的交換である。配給制度のように政府から強制される交換には,喜びも満足も少ない。自発的であることによって,交換は利益あるものになる(若田部2012)。


 中国では,食糧の生産量が少なかったために,食糧の価値は高かった。人は食べずに生きてはいけない。食糧に交換できる食糧切符は,他のものに対して重要な価値をもつこととなった。食糧切符は,生活における重要必需品であった。


 しかし食糧の増産により配給切符の価値は相対的に低下してくる。中国は食糧切符の他に,布票(衣料品切符)や副食品票(肉や野菜,調味料などの切符)も発行された。人によっては時期には衣服は必要ないが食糧が必要ということがあった。人々は配給切符を相互に交換することによって,生活を豊かにしようとしたのであった。


 日本でも交換が豊かになるケースがある。2013年の正月のテレビで面白い報道があった。横浜高島屋では100m以上の行列ができた。それは福袋を買い求める人の列であった。しかし福袋の問題は,お買い得であっても中身が必ずしもその人が欲しいものではないことがある。同じ思いを持つ人が高島屋の外で,それぞれの品物(戦利品?)を見せ合い,自発的に交換をしていたのである。交換こそ,福袋のデメリット(いらないものが入っている)を解消する唯一の方法なのである。


 中国が食糧をはじめ,生活用品の生産を増加することができるようになって,配給切符の価値はなくなっていった。そのため配給制度は影を潜めるようになり,現在は愛好家や収集家で交換されるようになっている。



<練習問題>


  1. 以下の言葉を説明せよ。効用,選好,パレート改善,比較優位

  2. 配給制の問題点について交換の観点から述べよ。


第6章 需要と供給を調整する-計画と市場( 1 / 2 )

6.1 「計画経済」

 人々がものを購入することを需要といい、企業がものを販売することを供給という。需要は、人々の購買意欲によって決定される。買う側の意思決定で決まる。供給は、企業の販売意欲であり、売る側の意思決定によって決まる。


 計画経済時代は、政府によって需要と供給がコントロールされていた。計画経済の特徴は、企業が何をどれだけ生産し、いくらで販売するかを政府が決定していた。政府が計画を立てて、その指令によって企業は生産を行った。政府による供給のコントロールである。


 人々の購入量をどのようにコントロールするか。それが前章でもみた配給切符制度であった。政府が決めた生産量に合うように全体の需要量を決定する。需要量を各家庭の人数に割り振って、単位を中心に配給切符が配布された。政府計画によって供給を決め、配給切符によって需要を制限するシステムが出来上がったのである。


 当時の人の生活を証言からみてみよう(「二十世紀写真と証言でたどる中国の百年」『人民日報日文版』(原掲載は『人民中国』))。


 五九年から六一年まで三年続いた困難の時期のことは、今でも忘れられない。何でもものすごく欠乏していたので、すべてに配給券が必要だった。食糧を買うには食糧券が要り、配給量は人によって違っていた。女子中学生だった私の場合は月に十五 だった。大学に行っていた兄もいつも腹ペコ。と言って余分の食糧券があるわけがないので、週末に家で油炒麺(小麦粉を炒って油やゴマなどを混ぜたもの)を作って寄宿舎に持っていった。豚肉は月二百五十 の配給。大みそかには「補助肉」といって、少しばかり特配があった。あのころは脂身が欲しかった。それも脂肪たっぷりのを。食用油も配給だったので、脂身を融かして油の代わりにしたのよ。家具には職場からの配給券も必要だったが、その割当が数枚ずつしかない。私は、七一年の結婚直前にやっと順番が来て、たんすの券をもらった。ちょうど同じころ姉も勤め先で券をもらったので、一家大喜び。翌日の朝二人で西四の家具店に行ったが、たんすはもう売り切れだった。売るのは一日十棹だけという規則があったの。三日目は朝七時に行ったけど、まただめ。四日目、朝四時から店の前に行列して、ついに念願がかなった。七五年、私が勤めていた学校にミシンの券が来た。みんな欲しいと言う。どうしようか? くじだ。そして私がその幸運を引き当てた。同僚たちはみな羨ましがった。譲ってくれないか、とこっそり言ってきた先生もいた。長年の仲間だから悪いと思ったが、私自身も欲しくてたまらなかったので、思い切って断った。(于玉珍 出版社編集者 五十三歳)


「二十世紀写真と証言でたどる中国の百年」『人民日報日文版』(原掲載は『人民中国』らしいが元をたどれず)

(http://j.peopledaily.com.cn/serial/100/26.htm,2011年2月17日アクセス)


 計画によって供給と需要をコントロールする。こう聞くと、経済社会はとても安定して人々の格差もなくなる、いいシステムであるように聞こえる。しかし実際にはうまくコントロールできなかった。


 計画経済における供給と需要のアンバランスは「行列」という形で表れる。上でも見たように、タンスの本当に欲しい人は早く行って並ぶ。行列の最後だと手に入れることはできない。行列ができる場合は、需要が多く供給が少ないということになる。


 話はずれるが,中国人は並ばないとよく言われる。並ばない理由は「不足」への不安であった。バスや地下鉄に乗るときに「われさきに」とドアに集中していく。チケットの販売などでは窓口で並ばずに横から割り込んだりする。文明が低いとか,民族の問題ではなく,長年の計画経済で不足の不安を味わってきたために,このバスを逃すといつ来るかわからない,今日チケット買えなかったらいつ買えるかわからないという不安が無意識に働いているからなのである。


 ひるがえって現在の中国をみてみると、市場経済を採用している。市場経済の特徴は、需要と供給を政府がコントロールするのではなく、人々がどれだけ購入するか、企業がどれだけ生産・販売するかは人々が自ら決定する。市場経済における需要と供給のアンバランスは価格の上昇と下落という形で表れる。欲しい人がたくさんいて、売りたい人が少ない場合は価格が上昇する。価格が上昇することによって需要は減少し、バランスがとれるようになる。


 つまり、計画経済の特徴をまとめると


生産量と価格は政府が決める

作られた製品は政府が分配する


である。一方、市場経済の特徴は


企業や家計が意思決定する

財やサービスは価格で需給を調整する


である。中国が経済改革と呼んでいるのは、実は計画経済の特徴をなくし、市場経済への移行のことである。ここから現在の中国の経済改革とは、価格を自由化し、政府の意思決定をなくしていく過程、であるといえる。


岡本信広
アジア理解の経済学
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