アジア理解の経済学

第6章 需要と供給を調整する-計画と市場( 2 / 2 )

6.2 不足の経済と需給の調節

 社会主義計画経済の問題は,「不足」が起こるということだ。現実に社会主義国を実施している北朝鮮でも食糧危機がよく言われ,国際機関や中国が援助している。


 計画経済体制では、不足、すなわち需要が供給より大きくなるのが一般的である。需要と供給がバランスしない。


 なぜ財やサービスが不足するのだろう。


 コルナイ(1984)は,社会主義の特徴として「ソフトな予算制約」という状況を指摘している。


 私たちの生活では物を購入するに当たっては常に予算と相談してから決めるという予算制約が存在する。フトコロはいつも温かいというわけではなく今日は小遣いが少ないからちょっと買い物を控えようという状況はよくあることだ。


 予算制約がソフトということは,予算の制約があまりない,あるいはゆるいということだ。企業にとってみれば、原材料を購入するための資金は国(銀行)からもらえるということ、高い原材料であっても買ってしまうということが起こる。(昔、日本の国鉄(今のJR)が国有企業時代に、1つ1000円のハンガーを仕入れていたということで批判されたことがある。)これがソフタな予算制約だ。


 家計にとってみれば,買い物の制約がないということだ。配給制度の中では,自分の所得の中で買い物しようということにはならず,所得と無関係になってしまう。これが家計のソフトな予算制約だ。


つまり,


 財布がゆるい→何でも買える→投資需要と消費需要の増加


になってしまう。これにより需要が供給より大きくなってしまい、財やサービスが不足してしまうのである。


 また、生産企業は計画達成に余裕をもたせるために,原材料や中間財を多めに工場に貯めておこうとする。家計(消費者)は,いつも決められた量だけなので,今日はパァーっとやりたい(宴会など)気持ちなるかもしれないので,いつ何が必要になるかわからない。その時に備えて余分にもっておこうとする。


 これが需要が供給を上回る超過需要を生み出し「不足の経済」となる。


 さて、計画経済ではなく、市場経済だとどのように需要と供給が決まるのか。


 市場経済では,価格が重要なシグナルになる。モノが不足しているという状況は超過需要が発生しているので,価格が上昇していく。予算の制約がはっきりしている場合は,財布のお金に制限があるので価格が上昇すると買えない人が出てくる。社会全体で需要が減少する。つまり不足しているモノは価格が上がることによって供給を増やし,需要を減らしてバランスをとっている。


 わかりやすい例を考えてみると、スーパーの閉店間際のお弁当だ。余っているときには割引シールが貼られる。これは超過供給になっているので、価格が下落し、買う人を増やそうとしている。そして「50円引きシール」が貼られているお弁当を買う人が増えることによって、超過供給をなくなり、需要と供給のバランスが取られる。


 この市場経済というシステムは価格の上下によって需要と供給がバランスされる。つまり過不足なく必要なものが必要な人へと配分されるシステムだ。お弁当の例でも見たように、お弁当が全部さばけることによって、お弁当が無駄にならずに必要な人へと配分されたことになる。


 つまり市場経済は資源を効率に(無駄なく)配分することができる。市場経済は「効率的な経済」を実現するのである。


<練習問題>


  1. 計画経済では需要と供給をどのようにコントロールしているか。

  2. 市場経済では需要と供給をどのようにコントロールしているか。



第7章 市場は合理的-社会主義とセックスワーカー( 1 / 2 )

7.1 「流氓燕」

 前章でも「市場(しじょう)」という言葉を普通のように使ったが、実は市場という概念はわかっているようでわかりにくいものだ。


 例えば、築地市場というのが東京にある。この市場では、まぐろなどの海鮮物がセリで競い落とされている。豊漁の時はセリ価格が安くなり、不漁の時には価格が高くなる。具体的に取引されるものの価格が決定するところ、これを市場(いちば)という。


 市場(しじょう)もこの概念に近い。しかし市場(いちば)と違って,一般に目に見えない。経済活動は日本全国、あるいは世界各地で行われており,さまざまなモノやサービスが取引されている。簡単に定義すると,お金とモノやサービスが交換されるところ、これが市場(しじょう)になる。市場(しじょう)は市場(いちば)と違って具体的な場所を想定していない。


 この市場は、人類が発明したシステムの中でもっとも合理的なものと考えられている。買いたい人が多くいれば価格が高くなり、本当に買いたい人だけが手に入れることになる。買いたい人が少なければ、価格が下がり、多くの人が買うことができ,モノの余りがでない。価格によってモノの取引量が増えたり減ったりし、欲しい人のところに欲しいものがいきわたる素晴らしいシステムなのである。


 と,こう説明してもやはり多くの人は市場が本当に素晴らしいのかピンと来ないと思う。そこで今日は,一般に市場での取引が禁止されている例、性取引で市場が便利であることを示してみたい。


 当然のことながら,中国では性に関する取引は禁止されている(日本でも売春防止法がある)。女性が性を売る,男性が性を買うということは公序良俗に反するととらえられている。あるいは中国では資本主義の悪しき弊害として禁止されている。ところが実際には,飲食店,カラオケ,ホテルや美容院などで性の取引が行われているのは周知の事実であるし,「掃黄」(中国では黄色は日本でいうピンクという感覚)という名前で警察による売春婦(以下セックスワーカー)の摘発が行われている。現実問題として,中国でも性取引は行われている。


 性取引の合法化を主張する人たちがいる。有名なのは葉海燕さんだ。2012年には自らが無料で性を販売し,その様子を微博(ウェイボー,中国版ツイッター)で報告するという過激な行動がネットで話題になった。

 

 葉海燕さんは、女性の権利擁護のNGO(中国民間女権工作室)を立ち上げた、人権活動家だ(一方でブログなどの書き込みでも有名で,フリーライターとしても活躍している)。活動を始めた2006年当初は,性を売らざるを得なくなった女性のエイズ予防に関する活動が中心だった。2008年に政府とともにエイズプロジェクトを実施,武漢市のセックスワーカーに対して健康相談や健康診断を実施した。


 2009年には女性健康活動中心を立ち上げ,女性のセックスワーカーたちにエイズ検査などを実施。2009年8月3日,第1回セックスワーカーデーの行事を行うなど,セックスワーカーたちの人権を守ろうと積極的な活動を展開していく。


 2010年に上海万博が開かれるとともに,全国的に警察の取り締まりが強化され,セックスワーカーへの逮捕が続いた。中には18歳未満の女性が逮捕されるとともに,彼女たちの生活レベルでは支払えないほどの罰金が課された。腐敗している警察では基準以上の罰金を要求することもあった。彼女たちは,自分の貧困から抜け出すために仕方なくセックスワークに従事してしまったこと,コンドームの使用が売春の証拠として使われるためにセックスワーカーの人たちが病気に対して無防備なセックスを強要されていること,そしてセックスワークの取締対象が女性だけというのは不平等であるということなどから,葉海燕さんはセックスワークの合法化を訴えるようになる。


 彼女はこう訴えている(以下はネット「葉海燕らによるセックスワーク合法化の街頭宣伝と葉の拘束、第2回セックスワーカーデー中止をめぐって」からの引用)。


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セックスワークは一つの労働である。

私たちはセックスワークの合法化を要求する。売春も買春も無罪である


[訴えの背景]


 1.セックスワークは古い職業であり、数千年の歴史を有する。中国の数千年の歴史において、セックスワークはずっと合法であった。現在も、他の一部の国家では合法である。

 2.法律は性取引をなくすことはできず、セックスワーカーは世界のどの国にも存在する。これは、回避することができない現実である。


[訴えの原因]


 1.非合法な状態は、警察の腐敗を引き起こす

 2.非合法な状態は、性病・エイズの伝染を引き起こす。

 3.非合法な状態は、売春の強制、女性の人身売買、未成年の売春の強制などの重大な社会的事件を引き起こし、民間の女性の権益が法律的保障を得ることができない。


[私たちの要求]


 1.セックスワークを合法的な職業にし、労働法の保護を受けさせる。定期的に国家に納税し、財務監督に組み込んで、腐敗を避ける。

 2.セックスワーカーに良好な健康診断の制度を設け、エイズ・性病を普通の人々に伝染させる可能性を減らす。

 3.経営者は従業員の実名管理をして、未成年者の売春を根絶し、セックスワーカーの人身の自由と安全を保障する。

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 お金がからむ性取引は非合法なために市場として発展しない。それでは合法化されて,性が市場で自由に売買できるものになった場合,どうなるのであろうか。


第7章 市場は合理的-社会主義とセックスワーカー( 2 / 2 )

7.2 市場の役割

 市場は,供給と需要が出会う場所だ。供給が多いと価格が下落し,供給を減らすきっかけとなる。反対に需要が多いと価格が上昇し,需要を減らす。価格がシグナルとなって,売りたい人と買いたい人の取引量が調節される。


 性取引が非合法の場合,性を取引する市場がないということだ。反対に性取引を合法化した場合は性取引が市場を通じて取引できることを意味する。市場が存在するケースと市場が存在しないケースの2つを比べてみると,市場の役割はよくわかる。


 一種の思考実験。ここで仮想的に,性取引が合法化された,としてみよう。供給される性が多くなると取引価格(セックスワーカーにとっては賃金)が下落するために,セックスワークに従事する人が減少する。供給される性が少ないと価格が上昇するために,性を需要する人が減少する。


 また品質に問題がある(病気がある)性を供給する主体があるとしよう。何回かの取引によって,需要側は品質について問題であることがわかると取引を避けようとする。そのため,そのような供給業者は市場から退出することとなる。反対に儲けたい供給業者は品質管理(健康診断やコンドームの使用など)を積極的に行うことが期待される。


 需要側の品質管理(クレーマーや暴力などのような問題のある人)にも市場は有効だ。合法的市場で取引されていると,需要者による暴力などは法律によって明らかにされるために市場ルール(所有権移転)に従った取引を強要されることが期待される。またひどい需要者は次回からの取引参加を断られ,市場から退出せざるを得なくなる。複数回の取引に参加したい場合,むちゃなことができなくなる。


 アメリカでは,合法化(市場がある)と非合法化(市場がない)のケースを比べて,性取引の安全性を検証している(ミラーなど2010,63-64)。


 アメリカでは性の取引が合法化されている地域,ネバダ州とネバダ州以外の非合法化の地域が存在する。ネバダ州では,セックスワーカーは郡政府への登録が求められ,普段は施設の整った宿の屋内で,大部分が常連客との取引がなされる。セックスワーカーのいるホテルでは普通に広告が出されるとともに,保健所の係官が性病は毎週,エイズは毎月検査しているという。


 セックスワークが非合法化されている地域では,街の片隅で客引きをし,警察に探知されないように,取引の場所をさまざまに変えていく。常連客は存在せず一回限りの接触が大部分となるために,セックスワーカーにとっても病気や暴力というリスクを持つことになる。


 研究の結果では,ネバダ州での性病やエイズの確率は低いが,他地域では高いという。


 ミラーなど(2010)は,麻薬やお酒の取引なども市場があるのとないのとも比較している。例えば,禁酒法時代にはお酒の取引が禁止され,お酒の市場がなくなった。その結果は,悪質な人を騙す取引が横行するとともに,体を害するような品質の悪いお酒が地下で出回ったという。また非合法化されているためにお酒取引に参加するのはマフィアなどの暴力を利用する人たちとなり,お酒をめぐっての暴力事件などが多発するようになったという。そのため合法化した方が健康的に飲酒が行われるようになったとしている。


 もっと過激な意見では,ブロック(2011)は,売春,麻薬の売人などの存在について積極的に肯定している。人が不道徳だと思われる行為であっても,市場では誰一人強制力を伴った悪行を働いているわけではなく,むしろ社会に利益をもたらしていると主張している。人々が市場で好きに行う取引を禁止するのは有害であるとまで言っている。つまり市場は人の自由を保証している。


 そこまで極端ではないにしても,非合法化して取引を地下経済に押しこむよりは,合法化して市場で多くの人の監視の目が光るようにしたほうが,取引は多少なりとも改善されるだろう。この意味で,市場は取引を健常に行い,参加者の満足度が上昇する有効な手段であるように思われる。


*なお,本章は性取引を奨励しているわけではない。また道徳的な問題は検討対象外である。あくまで性取引を市場の役割から考察したものであって,善悪を論じているわけではない。


<練習問題>


  1. 性取引合法化のメリットとは何か。

  2. 市場取引のメリットとは何か。


第8章 市場を創る-市場経済化( 1 / 2 )

8.1 市場経済への改革

 中国は計画経済体制であったために、市場が存在しなかった。1978年から中国は改革・開放を行い、1992年から中国は社会主義市場経済体制を改革の目標としている。社会主義という冠(カンムリ)をもちながらも、市場経済の導入とその深化(徹底)を目指すのが現在の中国である。


 簡単に市場経済改革の流れを紹介しておく。1978年より中国は改革開放を始めた。1980年代は、政府の計画を請け負って、計画以上にできたものは自分で自由に処分できるという「請負制」が導入された。1990年代に入ると誰が企業の持ち主なのか「所有」をはっきりさせる「所有制」改革に進んだ。2000年代は土地などの不動産に対する所有権、中国で言う物権の改革が行われてきた。


 1984年より請負制が正式に導入された。請負制の原型は安徽省鳳凰県にある小崗村での秘密の実験がきっかけであった。村は20戸程度の農家で成り立っており、主に小麦と米の栽培が主であった。1978年の夏に大干ばつが発生し、農作物は大打撃を受けた。その時に人民公社から配分された小麦は一戸あたり3.5kgしかなかった。農民たちは食うに困る状態になってしまった。


 そこで農民たちは相談して、生産大隊の隊長、副隊長を訪問した。隊長と相談したのは、人民公社に黙って土地を農民に分配し、計画以上を生産した場合には農民個人のものとできないか、というものであった。


 それまでの人民公社制度では集団農業という方法であった。農民たちは会社員のように農業を行い、そして平等に農作物の配分を受けるというものであった。この結果、全員が平等に農作物を受け取ることは可能であったが、個人の働きに応じたものではなく、怠けても同じものがもらえるというある種「悪平等」になっていた。つまり働く気がなくなったのである。


 大干ばつで食べるのに困った農民たちは働くシステムを換えないと行けないと考えた。農民と生産大隊の隊長と相談した結果、11月に18戸の農民は生産を請け負うことにしたのである。


 当時は、土地を農民に分配したり、生産を農民に請け負わせることは違法であった。この秘密を絶対に人に言わないという血判状を作成し、請負制の実施が始まったのである。


 企業でも同じような方法が採用された。それまで企業の生産現場では工場長がいたが、工場長も工員も与えられた計画にしたがって工業製品を生産していた。働こうが働かまいが、報酬に差があるわけでもないので、皆が怠ける状態であった。


 そこで企業にも請負制が導入された。政府から言われた計画以上を生産した場合、市場で販売してよいこととなった。工場長、工員たちは計画以上に生産し、設けた分は一時金として彼らの懐に入るようになった。それにより各工場に生産の活気が戻ったのである。


 1992年より企業の所有制改革が行われるようになる。請負制により工場長はヤル気を取り戻したが、所詮政府の役人であったので、数年で別のところに異動してしまう。また請負という契約も数年であるために長期的な経営が行われないという問題があった。そのために国が所有する国有企業ではなく、民が所有する民間企業へと変換する必要に迫られた。


 とくに経営が厳しい国有企業は積極的に民間企業へ転換していった。食品や衣類などの日用品を生産している企業を国がもつ意味はないので、すべて民営化された。競争の荒波に放り出された国有企業たちは民営企業として徐々に復活していったのである。


 不動産も取引が行われるようになった。中国は社会主義国なので公有制が建前である。土地は国家のものであり、不動産も国家のものであった。住宅は国有企業から分配されるものであったが、個人へ使用権が払い下げされるようになり、住宅の売買が行われる住宅市場が誕生した。富裕層向けの住宅も販売されるようになり、人々のあくなき住宅への欲求は2000年代の不動産バブルへと続いていく(第2章参照)。


 2007年3月16日の第10期全国人民代表大会(全人代)第5回会議で物権法が採択された。制定の目的は、市民、農民の私有財産権、公有財産を平等に保護することだ。マンションの区分所有権も70年と制定され、市場取引の前提である所有権が明確になってきたのである。


岡本信広
アジア理解の経済学
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