アジア理解の経済学

第9章 情報の非対称-食品は安全か( 2 / 2 )

9.2 情報の非対称

 日本でも雪印乳業(今のメグミルク),三重県の名産・赤福,汚染米の混入など食の安全問題が話題になる。中国だけではなく,食の安全問題は日本を含めて世界的な関心事だ。


 食品の安全問題は,食品の供給業者と需要者(家計)との間で情報が非対称であるというところに問題がある。生産する側はどのように食品が作られているか知っているけども,購入する側はどのようにして作られているか,食品添加物は安全なのかどうかといった情報を持っていない。


 中国の粉ミルク事件をみてみると,構造的な問題がかいま見える。個別酪農家が生乳を搾乳ステーションにもっていく。搾乳ステーションで生乳を買付ける仲買人は,生乳の成分を調べるとともに,ある程度の基準がみたされないとメーカーにもっていくことができない。とくに生乳に含まれるタンパク質成分は重要な基準であったため,メラミンを混ぜることによって,タンパク質の基準を満たすようにしたのである。


 構造的に情報の非対称性が連鎖するところに食品の安全問題がある。


 ノーベル経済学賞受賞者,アカロフは,情報の非対称を中古車市場で説明し、情報が非対称であると、市場にはレモン(欠陥品)が出回ることを説明した。これをレモンの原理という。


 レモンの原理を中古車市場の例でみてみよう。


 中古車販売のディーラーは売る中古車がどのような状態か,わかっている。事故車であるとか,走行距離をごまかしているとかしていても売り手は自分が優位に立とうとするためにそのような情報を隠す。一方買い手も負けていない。中古車を買おうと思っている人は,売り手がレモンのような欠陥車を売りつける可能性について考えている。実際売り手にあれこれ質問することによってレモンであるかどうかを見極めようとしている。買い手は中古車の価格を低く見積もっているので,売り手が呈示した価格についてもまけてもらおうとする。つまり買い手は,中古車がレモンであった場合のことを考えて,売っている中古車を低めに評価しているのである。

 

 売り手は,中にはいい中古車もあるとしても,買い手が低く評価し値引きを要求していることがわかっている。売り手が思っている以上に買い手が値引きを要求した場合,売り手にとっていい中古車を販売することは利益が出ない可能性がある。そこで売り手は買い手の行動を考えるといい中古車は扱わないということが起きるのである。

これは買い手,売り手にとってどちらにも得がない。どちらも「相手を騙しているだろう」的な疑心暗鬼に陥っている場合には,市場にはいい物が出回らないということになる。良い中古車の取引は双方にとって有益であるにも関わらず,中古車市場ではいい中古車が出回らない,また取引自体が成立しないことになる。


 これは「悪貨が良貨を駆逐する」のと同じ状態で,市場には粗悪品しか出回らないことになってしまう。これを経済学では逆淘汰という。つまり売り手は買い手よりも売るモノの情報を持っている。したがって売り手はモノの質は最低なものを売って儲けようとする。いい製品が市場から逆に淘汰されてしまうということになってしまう。(淘汰は悪いモノがなくなることを意味するので,ここでは逆淘汰という。)


 中国では多くの人が自国の食品を不安視している。スーバーや百貨店では国産の粉ミルクの売れ行きが悪くなる。企業が努力していい製品にしようと思っても、消費者がそれを信用しないとなると、企業の品質改善のインセンティブが下がってしまう。となると中国市場では質の悪い製品だけが残ってしまうことになる。


 このレモンの原理を避けるために、一般には政府が以下のことを行う。


 一つは情報提供である。品質基準をもうけて、品質通りであるというラベルをはることだ。日本でもJASマークやJISマークが貼られるとともに、食品については賞味(消費)期限や原材料表示を示さなければならなくなっている。中国でも製品に対する品質表示が義務付けられるようになっている。


 もう一つは、検査体制である。ラベルが貼られたとしてもその表示が本当かどうかはわからない。やはり消費者にとって情報が非対称であるというのが問題だ。そこで、その表示が正しいかどうか、政府が抜き打ちで検査をする、そして表示が正しいかどうかをチェックすることが必要である。


 最後に、競争原理が働くようにすることである。つまりもし消費者にウソをついた企業は倒産するなど、市場で淘汰されなければならない。中国でよく問題になるのが、地元政府と企業の癒着である。企業は地元政府にとって雇用を生み出しているので、倒産させると社会不安を引き起こしかねない。そうなると何かしらの理由をつけて、質の悪い製品をつくる企業を期残らせてしまうことがある。市場で消費者から信頼を失うと大きな痛手を負うというペナルティがないと企業行動を律することはできない。



<練習問題>


  1. 中国の粉ミルク事件とは何か。

  2. レモンの原理とこの問題を解決する方法を述べよ。


第10章 外部経済-渋滞( 1 / 2 )

10.1 渋滞「高峰、堵塞」

 中国自動車市場は急速に拡大してきている。2009年の新車販売台数は1364万台となり、アメリカを超えて世界一となった。2008年の「汽車下郷」政策(農村で小型車購入に対し10%の補助)が2010年まで続き、中国自動車市場は2009年に46%成長、2010年に32%成長を達成した。ただし、2011年には政策も終了し、北京、上海などの大都市における新車登録制限により、成長は2.5%に鈍化した。それでも2012年の新車販売数は1900万台に達したので,中国での自動車の増加は急速であるといえる。


 急速に自家用車や商業車が増加すると、道路に対する需要が増加する(道路を使いたい人が増加する)。一方で道路の供給は都市化の進展とともに建設されているが、なかなか間に合わないのが現状だ。


 図は道路の需要(自動車保有台数)と供給(道路総延長)を図に示したものである。自動車保有台数の伸びが指数的に上昇しているが,道路建設は線形的な伸びにとどまっている。


 道路の供給が間に合わず,自動車を保有する人が道路を需要すると都市部では確実に渋滞するということになってしまう。渋滞を経済学的にいうと道路需要と供給のアンバランス(超過需要)ととらえる。


図1


(注)統計では,2004年から2005年に急激に道路の数字が増加している。急に建設量が増加したとも考えにくいので統計定義の変更によるものと推測している。

(出所)『中国統計年鑑(各年版)』より筆者作成。


 北京では、2012年4月から渋滞解消のためにナンバー別の走行規制を行なっている。これは、五環路より内側の北京市中心部において、平日朝7時から夜8時までの日中に走行できる車両をナンバーによって制限するというものだ。5ケタの自動車ナンバーのうち末尾の数字を参考に、走行できる曜日を指定して,道路需要を制限した。


例えば、4月9日から7月7日(2012年)は以下のようになっている。


走行規制を受ける曜日と、ナンバープレート末尾の数字の対応

 月曜日 3と8

 火曜日 4と9

 水曜日 5と0

 木曜日 1と6

 金曜日 2と7

 (仮ナンバーを含む。末尾がアルファベットのプレートについては0と同等に扱う。)


 例えば,ナンバー末尾が3の車を持つ人は、月曜日の午前7時から夜8時までの日中は走行できないということになる。


 この規制を有効的なものにするために、北京市は主要幹線道路、環状線に防犯カメラを設置するとともに、交通管理部門の車両による目視によって徹底的なチェックを行った。また都市部の主要道路、環状線の出入り口にも人員を配置するなど、規定違反の車両を厳しく取り締まりを行った。


 その成果もあって、ナンバープレートと曜日の対応が変更されると混乱は出るようだが、北京ではナンバー別走行規制が定着してきている。


 実際、私も北京に行き、友人が迎えに来るときに「今日は車運転できない日なんだ」という話を聞く。


 また中国では上海、北京、貴陽、広州の4都市が新車購入制限を行なっている(2013年1月現在)。


 『朝日新聞』2012年12月25日の報道を基本に新車購入制限の内容を簡単にまとめてみよう。


<上海:競売制>


 上海は1994年に乗用車の新規投入枠に競売制度を導入した。マイカーのナンバープレートに,価格下限を設けて非公開の競売制を開始した。落札した人は車両管理所でナンバープレートを落札価格で購入し,そして新車が持てることになる。


 競売制を導入することにより,上海の新車供給量は毎月1万台未満に抑えることが可能となった。しかしナンバープレートの落札価格は上昇し,2012年には6万4000元(約80万円)ほどになるまで上昇したために、上海市以外の周辺省(江蘇省や浙江省)で新車を登録する現象も発生している。


<北京:抽選>


 北京では2010年に「北京市乗用車数量コントロール暫定規定」を発表し,小型乗用車に対する数量規制と割当管理制度を導入した。政府機関には数量枠を与え,枠を使い切ると公用車の新規購入枠が与えられない。また2011年と2012年の小型乗用車の供給枠は各24万台に定められた。


 個人が小型乗用車を購入する場合は、北京市小客車コントロールシステムにアクセスして申請し、公安、社会保障、交通などの数部門の審査を経て、抽選に参加することができる。当選して初めて、市内で自動車を新規に購入できる資格を持つことができるのである。これにより北京は新車の保有台数を抑えることに成功した。


<貴陽:走行規制>


 2011年に貴陽はナンバープレートに関する暫定ルールを発表した。貴陽に新たに投入される乗用車には特殊なナンバープレートと一般のナンバープレートの二種類が用意されている。特殊なナンバープレートの場合登録制限があり,貴陽市交通警察部門へ申請し,抽選方式で無償分配される。この特殊ナンバープレートがもらえた場合,どこでも走行可能だ。一般のナンバープレートは登録制限はないが,貴陽市の第一環状線とそれ以内の道路の走行が禁止される。


<広州:割当管理>


 2012年に広州は「広州市の中小乗用車総量コントロール管理試行通告」を発表した。2012年7月からの1年間の試行期間内に広州の中小乗用車の新規供給枠は12万台に設定される。最初の1ヶ月間は中小乗用車の登録及び移転登録を見合わせ,その後月別に新規供給枠を均一に分配する。2011年の広州の新車ナンバープレート発給件数は33万台,うち中小乗用車は24万台を占めた。つまり総量が半分に規制されることとなった。


第10章 外部経済-渋滞( 2 / 2 )

10.2 外部効果(外部経済と外部不経済)

市場メカニズムは自発的な取引によって、需要と供給が効率良くバランスし、多くの人が満足するという結果(パレート最適)になるという。しかし、多くの人が自発的に自動車を購入した結果、渋滞が発生して、自動車の良さ(快適な走行)を生かせないという結果に陥っている。これを市場の失敗という。市場の失敗とは,市場では解決できないものがあるということを意味する。


 市場を通じないで、人の経済活動が他者の経済活動に影響を与えることを外部効果という。市場取引を通じないで他者に便益を与えることを外部経済、他者に費用負担を求めることを外部不経済という。


 公共財も外部効果を生んでいる。非排除性(他者に便益)と非競合性(他者の費用負担ゼロ)という性質をもつがゆえに、誰も供給したがらないという結果になる。


 渋滞は外部不経済の典型だ。各個人は自分の利得を最大化するために行動している。仕事に出勤する、あるいは買い物にいく、友人に会う、などの目的で、もっとも適切なルートで効率よく移動しようと考えている。皆が同じように考えているために、道路供給を超えるほどの道路需要になってしまい(超過需要)、道路に車が大量にあふれ、渋滞という結果になる。

 

 道路の使用(需要)、道路の建設(供給)は市場取引がなされていない。市場取引がない中で、渋滞という外部不経済を生んでいる。むしろ渋滞によって会議に遅刻する人が続出する、部品や製品の配達が時間通りに配達されない、などの状況が発生すると、一国の経済活動にも悪影響を及ぼしてしまう。


 外部不経済は誰が解決しないといけないのだろうか。これも公共財と同じく政府による解決が期待される。実際,上でも見たように、中国の渋滞は各市の政府によってさまざまな方法で解決が模索されているのが現状だ。


 各地域ともに,政府が道路の供給量に合わせる形で新車の登録や道路走行の規制を行っている。


 その方法は上海をのぞいて,政府による規制と抽選という形をとっている。新車登録台数に枠を決めて,それを利用者に配分する。総量規制は,強制的に自動車台数をコントロールできるという点で,即効性が期待される。


 しかし総量枠を抽選で家計に分配するというやり方は,市場メカニズムとは違うやりかただ。この問題点は,自動車を購入する人が本当に自動車を運転するかどうかわからない人にも抽選で当たってしまうという可能性があるということだ。自動車の必要性が少ない人にナンバープレートが割り当てられて,自動車の利用が喫緊の課題(例えば小さな企業を立ち上げて各家庭にサービスを供給したいと考える個人経営者など)という家計には,ナンバープレートが当たらないということが発生する。


 市場メカニズムを利用して,ナンバープレートの売買を行う上海市のケースは,自動車を本当に必要としない人にナンバープレートが行き渡ってしまうという問題を解決することができる。市場メカニズムが働き,高くても自動車が必要だという人にナンバープレートが渡される。自動車の総量枠を決めながらも必要な人でかつ購入できる人のみにナンバープレートが分配される。


 この結果は,本当に必要な人が自動車を購入し,道路を使用することになる。市場メカニズムによって道路需要と道路供給がバランスすることが期待される。


 このように市場メカニズムを利用して渋滞という外部不経済を解決することを,外部不経済の内部化という。


 とはいえ,上の事例でも述べたように上海以外で登録して上海市内で運転するということにもなるので,この辺はナンバープレート入札制のシステムを改善する余地がある。


 現状は各市で道路需要と道路供給をバランスさせるさまざまな取り組みがなされている。渋滞という外部不経済を政府による直接規制ではなく市場メカニズムを通じた解決が可能かどうか,社会主義市場経済の深化が問われるところだ。


<練習問題>


  1. なぜ中国で渋滞が発生しているのか。

  2. 外部不経済とその解決について述べよ。


第11章 公共財-NGOの発生( 1 / 2 )

11.1 「基層非政府組織」(草の根NGO)

中国の負の側面といえば、環境問題と格差問題がもっともフォーカスされる。大気や水の汚染、砂漠化といった問題は市場メカニズム(簡単にいうと自発的な取引)では解決できないような感じがする。都市に出稼ぎに出てきている農民工が差別されたり、都市住民と競合しない職(いわゆる3k)にしかつけないために、普通の都市住民よりも低い賃金に甘んじてしまう問題なども、市場メカニズムでは解決できないような気がする。


 となると、環境や格差の問題には、どうしても「政府」が出てこないと解決は無理なのだろうか。民間で環境や格差は解決できないのか。


 公共財や公共サービスは民間が自発的に提供できないのかどうか考えてみたい。


 中国でもNPO(民間非営利団体)やNGO(非政府組織)の活動が活発になってきている。1993年に北京市がオリンピック開催地候補として立候補した時に,国際オリンピック委員会から「中国にはNGOはあるのか」と聞かれ,担当者が困ったという話がある(徐・李2008.p.3)。それほど中国では馴染みのないものがNGOだったわけですが,それでも環境分野からNGOが設立されてきた。


 中国では上から(政府から)団体が作られるのが一般的であった。そのような非政府組織を官弁NGOと言われる。それに対して,日本のように有志が自発的に団体を作り,公共に関するサービス提供を行う組織が生まれてきた。これを官弁NGOと対比して草の根NGOという。


 もっとも、最初の草の根NGOは1994年3月31日に国家民生部に登録された「自然の友」と言われている。その後1996年前後に「北京地球村」「緑家園」などの環境NGO団体が生まれてきた。2001年11月に北京で開催された「中国・米国環境NGOパートナーシップ・フォーラム」では,中国の環境NGOは2000団体以上に達し,数百万人の参加を得ているという報告があったという(徐・李2008,p.4)。


 その後,草の根NGOは環境分野ではなく出稼ぎ者への支援の分野で広がりを見せる。1998年8月に,出稼ぎ者の多い広州市番禺で「番禺出稼ぎ者サービスクラブ」が設立される。このNGOは農村から来た出稼ぎ者に法律相談のサービスを提供し,文学や職業安全,健康などをテーマにしたセミナーを開催,また権利擁護のホットラインを開設するなどの活動を提供してきた(徐・李2008,p.4)。


 さて,以上の背景をもつ草の根NGOについて,ここでは環境分野から「地球村」,出稼ぎ者の支援について「工友之家」を見てみてみよう。


(1)地球村(主に王,李,岡室2002,pp.92-93を参照)


 「地球村」の全称は「北京地球村環境文化中心(Global Village of Beijing)」といい,1996年に設立された。創始者はアメリカ留学から帰国した廖暁義(女性)だ。中国社会科学院の研究員という公職を辞し,友人と一緒に地球村を創始し,数少ない草の根環境NGOの1つとして世界から注目された。2000年6月にノルウェーでその年の世界環境保護の最高賞であるSophie Prizeを受賞している。


 地球村の活動主旨は「市民の意識を高め,市民参加を促進することを通じて,政府が持続可能な開発戦略および政策を推進・実施することの手助けをすること」となっている。具体的には,地球村は環境保護に関する宣伝教育分野を中心に活動している。


 とくに地球村が力を入れているところは,以下の三点である。


 第1,コミュニティにおける市民参加システムを促進し,法律の実施状況に対する市民の監督,アドボカシー活動(政策提言や権利擁護),生活様式の改善活動に積極的に参加してもらうこと。

 第2,ゴミの分別収集,公共交通,環境にやさしい建築,生物種の保護などの活動を通して,持続可能な消費生活とライフスタイルを呼びかけること。

 第3,新たな環境NPOの育成に貢献すること。


 地球村は,中央電視台で独立して環境保護に関連するテレビ番組の編集,情報の提供を行なってきた。また,環境保護研修センターの設立と運営,環境ボランティア活動,国際交流,環境へのマス・メディアの関心を促進したりしている。地球村は,少人数の専従スタッフ以外に,全国各地に約4000名余りの環境保護ボランティアの協力を得て,活動を展開している。



(2)工友之家(主に古賀2010,p.213を参照)


 「工友之家」の全称は「北京工友之家文化発展センター」でる。創始者は農民工の孫恒で,都市社会で孤独な農民工のための家を作ろうという思いから始まり,2002年11月に正式に登録される。


 最初は,農民工の仲間と打工青年芸術団を結成し,農民工の思いを代弁する歌を歌うライブ活動であった。芸術団のCD売上を基にして,民工子弟学校やリサイクルショップなどを行うようになった。現在,北京で,打工者(出稼ぎ者)文化教育協会,同心実験学校,同心互恵焦点,打工文化芸術博物館などを運営している。


 北京市からは,「十大ボランティア団体」に指定されるとともに,打工青年芸術団は2005年に党中央宣伝部・中央政府文化部から先進的民間文芸団体として表彰されている。


岡本信広
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