アジア理解の経済学

第10章 外部経済-渋滞( 2 / 2 )

10.2 外部効果(外部経済と外部不経済)

市場メカニズムは自発的な取引によって、需要と供給が効率良くバランスし、多くの人が満足するという結果(パレート最適)になるという。しかし、多くの人が自発的に自動車を購入した結果、渋滞が発生して、自動車の良さ(快適な走行)を生かせないという結果に陥っている。これを市場の失敗という。市場の失敗とは,市場では解決できないものがあるということを意味する。


 市場を通じないで、人の経済活動が他者の経済活動に影響を与えることを外部効果という。市場取引を通じないで他者に便益を与えることを外部経済、他者に費用負担を求めることを外部不経済という。


 公共財も外部効果を生んでいる。非排除性(他者に便益)と非競合性(他者の費用負担ゼロ)という性質をもつがゆえに、誰も供給したがらないという結果になる。


 渋滞は外部不経済の典型だ。各個人は自分の利得を最大化するために行動している。仕事に出勤する、あるいは買い物にいく、友人に会う、などの目的で、もっとも適切なルートで効率よく移動しようと考えている。皆が同じように考えているために、道路供給を超えるほどの道路需要になってしまい(超過需要)、道路に車が大量にあふれ、渋滞という結果になる。

 

 道路の使用(需要)、道路の建設(供給)は市場取引がなされていない。市場取引がない中で、渋滞という外部不経済を生んでいる。むしろ渋滞によって会議に遅刻する人が続出する、部品や製品の配達が時間通りに配達されない、などの状況が発生すると、一国の経済活動にも悪影響を及ぼしてしまう。


 外部不経済は誰が解決しないといけないのだろうか。これも公共財と同じく政府による解決が期待される。実際,上でも見たように、中国の渋滞は各市の政府によってさまざまな方法で解決が模索されているのが現状だ。


 各地域ともに,政府が道路の供給量に合わせる形で新車の登録や道路走行の規制を行っている。


 その方法は上海をのぞいて,政府による規制と抽選という形をとっている。新車登録台数に枠を決めて,それを利用者に配分する。総量規制は,強制的に自動車台数をコントロールできるという点で,即効性が期待される。


 しかし総量枠を抽選で家計に分配するというやり方は,市場メカニズムとは違うやりかただ。この問題点は,自動車を購入する人が本当に自動車を運転するかどうかわからない人にも抽選で当たってしまうという可能性があるということだ。自動車の必要性が少ない人にナンバープレートが割り当てられて,自動車の利用が喫緊の課題(例えば小さな企業を立ち上げて各家庭にサービスを供給したいと考える個人経営者など)という家計には,ナンバープレートが当たらないということが発生する。


 市場メカニズムを利用して,ナンバープレートの売買を行う上海市のケースは,自動車を本当に必要としない人にナンバープレートが行き渡ってしまうという問題を解決することができる。市場メカニズムが働き,高くても自動車が必要だという人にナンバープレートが渡される。自動車の総量枠を決めながらも必要な人でかつ購入できる人のみにナンバープレートが分配される。


 この結果は,本当に必要な人が自動車を購入し,道路を使用することになる。市場メカニズムによって道路需要と道路供給がバランスすることが期待される。


 このように市場メカニズムを利用して渋滞という外部不経済を解決することを,外部不経済の内部化という。


 とはいえ,上の事例でも述べたように上海以外で登録して上海市内で運転するということにもなるので,この辺はナンバープレート入札制のシステムを改善する余地がある。


 現状は各市で道路需要と道路供給をバランスさせるさまざまな取り組みがなされている。渋滞という外部不経済を政府による直接規制ではなく市場メカニズムを通じた解決が可能かどうか,社会主義市場経済の深化が問われるところだ。


<練習問題>


  1. なぜ中国で渋滞が発生しているのか。

  2. 外部不経済とその解決について述べよ。


第11章 公共財-NGOの発生( 1 / 2 )

11.1 「基層非政府組織」(草の根NGO)

中国の負の側面といえば、環境問題と格差問題がもっともフォーカスされる。大気や水の汚染、砂漠化といった問題は市場メカニズム(簡単にいうと自発的な取引)では解決できないような感じがする。都市に出稼ぎに出てきている農民工が差別されたり、都市住民と競合しない職(いわゆる3k)にしかつけないために、普通の都市住民よりも低い賃金に甘んじてしまう問題なども、市場メカニズムでは解決できないような気がする。


 となると、環境や格差の問題には、どうしても「政府」が出てこないと解決は無理なのだろうか。民間で環境や格差は解決できないのか。


 公共財や公共サービスは民間が自発的に提供できないのかどうか考えてみたい。


 中国でもNPO(民間非営利団体)やNGO(非政府組織)の活動が活発になってきている。1993年に北京市がオリンピック開催地候補として立候補した時に,国際オリンピック委員会から「中国にはNGOはあるのか」と聞かれ,担当者が困ったという話がある(徐・李2008.p.3)。それほど中国では馴染みのないものがNGOだったわけですが,それでも環境分野からNGOが設立されてきた。


 中国では上から(政府から)団体が作られるのが一般的であった。そのような非政府組織を官弁NGOと言われる。それに対して,日本のように有志が自発的に団体を作り,公共に関するサービス提供を行う組織が生まれてきた。これを官弁NGOと対比して草の根NGOという。


 もっとも、最初の草の根NGOは1994年3月31日に国家民生部に登録された「自然の友」と言われている。その後1996年前後に「北京地球村」「緑家園」などの環境NGO団体が生まれてきた。2001年11月に北京で開催された「中国・米国環境NGOパートナーシップ・フォーラム」では,中国の環境NGOは2000団体以上に達し,数百万人の参加を得ているという報告があったという(徐・李2008,p.4)。


 その後,草の根NGOは環境分野ではなく出稼ぎ者への支援の分野で広がりを見せる。1998年8月に,出稼ぎ者の多い広州市番禺で「番禺出稼ぎ者サービスクラブ」が設立される。このNGOは農村から来た出稼ぎ者に法律相談のサービスを提供し,文学や職業安全,健康などをテーマにしたセミナーを開催,また権利擁護のホットラインを開設するなどの活動を提供してきた(徐・李2008,p.4)。


 さて,以上の背景をもつ草の根NGOについて,ここでは環境分野から「地球村」,出稼ぎ者の支援について「工友之家」を見てみてみよう。


(1)地球村(主に王,李,岡室2002,pp.92-93を参照)


 「地球村」の全称は「北京地球村環境文化中心(Global Village of Beijing)」といい,1996年に設立された。創始者はアメリカ留学から帰国した廖暁義(女性)だ。中国社会科学院の研究員という公職を辞し,友人と一緒に地球村を創始し,数少ない草の根環境NGOの1つとして世界から注目された。2000年6月にノルウェーでその年の世界環境保護の最高賞であるSophie Prizeを受賞している。


 地球村の活動主旨は「市民の意識を高め,市民参加を促進することを通じて,政府が持続可能な開発戦略および政策を推進・実施することの手助けをすること」となっている。具体的には,地球村は環境保護に関する宣伝教育分野を中心に活動している。


 とくに地球村が力を入れているところは,以下の三点である。


 第1,コミュニティにおける市民参加システムを促進し,法律の実施状況に対する市民の監督,アドボカシー活動(政策提言や権利擁護),生活様式の改善活動に積極的に参加してもらうこと。

 第2,ゴミの分別収集,公共交通,環境にやさしい建築,生物種の保護などの活動を通して,持続可能な消費生活とライフスタイルを呼びかけること。

 第3,新たな環境NPOの育成に貢献すること。


 地球村は,中央電視台で独立して環境保護に関連するテレビ番組の編集,情報の提供を行なってきた。また,環境保護研修センターの設立と運営,環境ボランティア活動,国際交流,環境へのマス・メディアの関心を促進したりしている。地球村は,少人数の専従スタッフ以外に,全国各地に約4000名余りの環境保護ボランティアの協力を得て,活動を展開している。



(2)工友之家(主に古賀2010,p.213を参照)


 「工友之家」の全称は「北京工友之家文化発展センター」でる。創始者は農民工の孫恒で,都市社会で孤独な農民工のための家を作ろうという思いから始まり,2002年11月に正式に登録される。


 最初は,農民工の仲間と打工青年芸術団を結成し,農民工の思いを代弁する歌を歌うライブ活動であった。芸術団のCD売上を基にして,民工子弟学校やリサイクルショップなどを行うようになった。現在,北京で,打工者(出稼ぎ者)文化教育協会,同心実験学校,同心互恵焦点,打工文化芸術博物館などを運営している。


 北京市からは,「十大ボランティア団体」に指定されるとともに,打工青年芸術団は2005年に党中央宣伝部・中央政府文化部から先進的民間文芸団体として表彰されている。


第11章 公共財-NGOの発生( 2 / 2 )

11.2 公共財の問題

 以上のように,中国でも,民間が政府に変わる形で公共サービスが提供されるようになってきている。


 まず,公共財を定義してみよう。公共財は以下の非排除性と非競合性の二つの性格をもつものと定義される。


 非排除性とは,自分が利用しても他の誰かの利用を妨げる(排除する)ことはできないことを意味する。別の言い方をすると,他人が利用しようとした時にお金を払わなくても便益はもらえる,ものだ。


 非競合性とは,自分が利用しても他の誰かの利用量が減ることはないことを意味する。別の言い方をすると,他人が利用しようとしたときに余分なお金,費用がかからない。


 身近な公共財の例は,花火だ。花火という娯楽サービスは,他人が見るのを排除することができない。京葉線に乗っていてディズニーランドの花火を楽しむこともできる。お金を払って入場したディズニーランドのお客だけがディズニーランドの花火を独占することは不可能だ。これが非排除性である。


 またディズニーランドのお客がディズニーランドで花火を楽しんだからといって,周辺住民及び京葉線の乗客の利用量が減ることもないし,彼らはコストなしで花火を楽しむことも可能である。これが非競合性だ。


 花火のような公共財は,個人が自ら費用を払ってまで人を楽しませる花火大会を開催するインセンティブはなくなる。となると民間にまかせると花火という公共財は過少供給になってしまう。むしろ個人主催の花火大会は存在しない。したがって,夏になると政府(地方自治体)が花火という公共財を提供することになる(墨田の花火祭りが典型例)。


 非排除性と非競合性がなりたつ純粋な公共財は,治安や国防などの安全サービスだ。二つの性質が同時に成立しなくても,一般に準公共財としてみとめられるものがある。


 例えば,道路,港湾,公園などの社会インフラ,教育,医療,福祉といった社会サービス。社会インフラは利用料や会費を設けることによって,他人の利用を排除することが可能だ。一部の人たちで専有できるサービスなのでクラブ財とも呼ばれる。


 一方,社会サービスは,民間でもできるけども過少供給になりやすいので国家目的で国家がやるべきだとされる。これはメリット財とも呼ばれる。


 次に,資源,環境がある。地球上の資源はみんなのものであるため,誰かの利用を妨げることはできない。非排除性が成り立っている。しかし,水や大気を汚染することによって,他者の利用量が減ることにはなる。環境が汚染されるときれいな水,きれいな大気を得るのにコストがかかってくる。2013年1月13日-15日頃に北京で大気汚染が話題になったが,その時に空気清浄機やマスクが大量に売れた。つまりきれいな空気を吸うためにもコストがかかることになったのである。


 公共財の問題は,誰もなにもしなくてもいいことがあるという性質から,誰もすすんでそれを供給しようとしないことだ。


 童話に「ねこに鈴」という話がある。猫に安全を脅かされるねずみたちが相談して,ねこに鈴をつけよう,そうすれば猫が来たときに先に逃げられる,というアイデアを思いつく。ところが,じゃあ誰が猫に鈴をつけにいく?となると,誰も手をあげなかった,ということになった。


 この結果,ねずみ社会の安全という公共財は供給されないことになる。


 公共財は,供給のために人々の参加や協力を強制する手段がないというのが大きな問題だ。そのため,公共財は政府が供給すべきという結論になるのが一般的となる。


 中国でも政府が人民解放軍や公安によって国防,治安などの公共財を供給している。資源,環境というコモンプール財(準公共財),農民工への教育や社会保障なども国が関与して解決しようとしている。


 一方で,上でもみたように,市民自らが公共財の担い手となってきている。市民がボランタリー(自発的)に環境問題に関心をもち,汚染をふせぐための活動が行われてきている。農民工の職能訓練,子女教育をするための民工学校は,農民工自らがあるいは都市の人々の手によって行われるようになってきた。


 李(2012)は,このような「市民社会」の活動を論じています。中国では団体活動は登記(登録)しないと活動が許可されにくいという問題があった。しかし,市民の自発的な活動に対して,政府も理解をするようになってきている。


 日本でも話題になる「新しい公共」の出現だ。公(政府)でも私(個人)でもない集団が公共の問題を解決していこうとしている。中国の草の根NGOが公共財の供給に携わるようになり,政府活動の一端を担う反面,政府と草の根NGOの軋轢も今後生じてくるかもしれない。


 最後に,以下の章で解説する環境はまさに公共財と関連が近く,外部経済にも関わってくる。


<練習問題>


  1. 中国で必要な公共財は何があるだろうか。

  2. 公共財の概念、それが民間で供給しにくい理由を述べよ。



第12章 環境問題( 1 / 2 )

12.1 「生態移民」


 中国では環境保護目的で「生態移民」が行われている。英語ではecomigrationとかenvironmental migrationなどと呼ばれる。もともと環境が劣悪なところに住んでいる住民,あるいは環境にストレスを与えている地域の住民を,環境のいい場所に移転させる政策である。


 生態移民はもともと農業や牧畜などの生産条件が非常に劣悪に居住している少数民族の貧困を解決する目的であった。寧夏回族自治区などではすでに1980年代から行われており,山林に居住する回族などを農業条件のよい場所に移転させていた。内モンゴル自治区でも遊牧を行うモンゴル民族に土地を分配し、定住型の家畜経営と農業従事を求めるようになった。


 生態移民、とくに環境保護目的の生態移民では,内モンゴルのケースが有名である。モンゴル民族は、遊牧文化をもち、羊、やぎ、馬、ラクダ等の家畜を引き連れて放牧し、草がなくなったら別の草原に遊牧するスタイルである(ヤギは草の根まで食べてしまうので草原の復活に時間がかかる)。漢民族の内モンゴル地域への移住とともに、漢民族の農地開墾が進んだ。モンゴル民族はより周辺に追いやられるとともに限られた草原での放牧が問題となってきた。過開墾と過放牧が内モンゴルの荒漠化、砂漠化の原因として指摘されるようになったのである。(推計によると砂漠化の5割は過開墾と過放牧によるものという数値もある(久方2007)。)


 荒漠化、砂漠化は、土壌流出(土地が保水できなくなる)や黄砂の増加につながる。毎年春になると黄砂が飛んでくるというニュースが出てくるが、中国内陸の砂漠化は急速に進んでいる。推計によると国土の1/4は砂漠化・荒廃化しており、毎年2500平方kmが砂漠化しているという。(全世界では6万平方kmの砂漠化が進行している。)


 政府は草原への過剰放牧がモンゴル平原の荒漠化の原因であるとの考えから,政府主導で遊牧から定住へ生態移民が実施してきた。遊牧は環境への圧力が大きいというところから、モンゴル民族を中心にとある地域に定住させ、定住型の畜産業、農業への転換、工業部門への就業などをすすめてきた。


 生活形態の転換とともに、2000年の西部大開発から生態環境保護は重要な柱であり,荒漠化が進む内モンゴルでは退耕還草(林)も実施されてきた。これは植林、植草が必要な地域では、農民に地域を請け負わせて補助金を与えながら林業経営を行わせるというものである。場所によっては農業をやめることによって失われる所得を、補助金で保障しながら、森林、草原経営に向かわせる。しかし、退耕環草(林)よりも生態移民の方が環境保護の成果が出やすい。


 モンゴル民族は遊牧民族である。放牧をしながら居を転々と変え,牧畜業を主な生業とする。彼らの遊牧文化を曲げてまで定住を求める政策は文化面からも批判がある。それに加えて環境保護政策への効果に対しても意見が分かれている。遊牧民の安定した農業や牧畜により貧困脱出が可能になった,環境保護についても一定の効果が現われている,とする政府系の報告がある一方で,移民先のコミュニティー崩壊,少数民族文化の消滅,荒漠化に変化はないという反論もある。


 いろんな見方があるにせよ、モンゴル民族は遊牧から定住に移ることによって、放牧経営から家畜経営に、そして家畜経営から農業へ移行している。また環境産業としてエコツーリズムが注目されるようになり、草原のゲルキャンプ(遊牧民族のテント体験)を営むモンゴル民族も出てきている。


岡本信広
アジア理解の経済学
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