Swamp

Through the Forest( 1 / 1 )

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追手がくるのが感じられる。風の中に、なにかが伝わってくる。音が聞こえるわけでもにおいがするわけでもない。ただ、やつらがやってくるのがわかる。そう遠くないところを、何十人かの兵士が歩いている。

それをぼくの弱い心が生み出した幻影だと笑うこともできる。だが、笑い声が消えてしまわないうちに、そんな強がりは、儚い望みは、木立の陰から飛んでくる矢に射落とされるだろう。ぼくにはそれがわかる。だから、聞こえない声を聞き、におわない空気をかぎわける。そうやって先を急ぐ。重要なのはこの森を抜けることだ。森を抜け、見通しのいい場所に出れば、少なくともこんな神経をすり減らす時間に苦しむことはない。

もちろん、そこには新たな試練が待っている。それはいまから嫌というほどわかっている。相手が見えないこの森は、同時に相手から自分を守ってくれる隠れ場所でもある。だから連中は大勢でやってくる。葉の陰、木のウロのひとつひとつを見落とさないように、横一列で捜索を続けている。

ぼくに強い心があれば、それはチャンスかもしれない。たったひとりで逃走するぼくは、一気に大勢に囲まれればたちまち身動きがとれなくなる。けれど、一対一なら勝ち目はある。横一列にバラバラになった兵士なら、ぶち当たっても最初はひとりだ。そのひとりを打ち負かせば、形勢を逆転できる可能性はある。

ただ、それは可能性に過ぎない。そのほかの可能性もいくらでもあるし、むしろそっちのほうがありそうなことかもしれない。たとえば、ひとりを倒している間にほかの兵士がまわりをとりかこむ。いや、それ以前に、最初のひとりに打ちひしがれてしまうかもしれない。

だから、ぼくは逃げる。広い場所に出れば、なんとかなる。少なくともこの消耗から逃れることはできる。広い場所は、それはそれで問題かもしれないが、そこもクリアすれば、きっと逃げ切れる。兵士たちも無限に追ってくるわけではない。彼らには彼らの任務の限界がある。くにの外までは、追ってこないはずだ。

そういう意味では、これはやっぱりゲームだ。ルールのあるゲームだ。ルールに則ってうまく立ち回れば、必ず出口はある。ぼくはルールを熟知している。その自信だけはある。

だからぼくは、ひたすら、木の根につまづき、藪に押し返されながらも、先を急ぐ。森の中を抜けていく。

Cape( 1 / 1 )

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魔法という言い方をするのであれば、そのように表現されてもよろしいかとは思います。私があの上衣をつくりましたのは魔法でもなんでもありません。そこに込められた技法も、古くから当家に伝わるものでありまして、決して悪い魔のかかったものではございません。私どもは、すべて最良のものをお客さまに着ていただくことを願って仕立てを営んでおります。したがいまして、お客さまに害をなすようなあやかしの術を使うようなことは、まずもってあり得ません。

数々の不思議が起こったとのことですが、ひとつひとつは偶然かもしれませんし、あるいは理にかなった説明がつくものかもしれません。その者が荒れ野を何日も食べるものも水も持たずに旅を続けたというのは、それだけの耐えしのぶ術をその者が持っていたからにちがいありません。私どもの衣類に空腹を満たすはたらきなどそなわっているわけはありません。

およそ鳥のほかは渡ることのできない沼地を越えてきたというのも、着衣のはたらきであるわけはありません。船を使ったか、そうでないならなにか特別な道具でも使ったかもしれませんが、その段であればおおかた靴屋にでもおたずねになる方がよろしいでしょう。

人々をたぶらかしたとおっしゃるのは、私にはわかりません。たぶらかされた者どもが愚かであったのか、あるいはたぶらかされたという言葉そのものが愚かであるのか、そのあたりさえ私にはさっぱり想像しかねます。

いえいえ、肝心なのは森の中のことでございましたな。

森の木立の中でまったく人目につかぬよう身を隠したのは上衣にかけられた魔法ではないのかと、そのようにお尋ねでございましょう。

はい、私どもの職人が紡ぎました糸、織娘が丹精を込めました布には、森の木々、草原の緑、沙漠の岩にしっくりなじんで見えるはたらきがございます。あの上衣は私が手ずから仕立て上げましたのでよくわかっておりますが、着姿も影映も大地のもの、森のもの、川や海のものにとけこむようになっております。そのせいで男が弓から逃れたとしたら、それは私どものせいであるかもしれません。けれど、逃亡を助けるためにそのようなからくりを用意したとおっしゃるのは、それはちがうと申し上げたのでございます。

まず、ここには禁じられております魔法などは使われておりません。ただ職人たちの真摯な仕事があるだけでございます。次に、このような生地、仕立ては、森の中に人を隠すためのものではなく、華やかな宴席で着る人を際立たせるためのものでございます。

多くの方がお気づきではない私どもの商売の秘密がございます。戸外では人工のものが映え、人工に満ちた屋内では大地や海、天に属するものが映えるのでございます。これを巧みに用いまして、華やかな場で一際目をひく高貴な方々のお召し物を私どもはつくって参りました。今回あの男につくってやりましたのも、そういう流れのものでございます。

ですから、男が森の中で身を隠したのは、私どものせいと言うよりは、まったくの偶然であると、このように申し上げるのでございます。

はて。それではなぜ、流れ者のその男にそのような特別な夜会服を仕立ててやったのかと。はい、それは……。

Flute( 1 / 1 )

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夢から覚めて、ぼくは闇の中を手さぐりした。のどが乾いた。我を忘れて革袋の中の水を飲んだ。そして少し後悔した。たぶん、この先、いい水が得られる泉まであと三日はかかる。この草原の道はまだまだ続くだろう。貴重な水を無駄にするべきではなかった。だんだんと正気に戻る意識の中で、ぼくは自分の愚かさに舌打ちをした。

それぐらい生々しい夢だった。ぼくは硬い無機質の空間を歩いていた。どこまでも長い廊下で、自分の足音がどこまでもこだました。自分一人しかいないはずなのに、まるで十人、百人の人々が歩いているかのように、どこまでも消えないこだまだ。怖くなって足を停め、振り向いた。だれもいない。それでも、足音ばかりが追いかけてくる。こだまは消えないどころか、ますます大きくなる。

ぼくは走りだす。周りの景色が流れはじめる。前へ前へと流れていく。ぼくはいっしょうけんめい前に進もうとしているのに、世界のほうがぼくを追い越していく。ぼくは絶望する。そして、目をつぶって身を投げ出す。たちまち世界が割れる。

そしてぼくは、海の波にもまれている。遠くに岸辺が見える。その岸辺で、だれかが笛を吹いている。だれだかわからない。そのシルエットに向かって、ぼくは歩く。海の中なのに、ぼくは歩くことができる。笛のリズムに合わせながら波をかき分けて歩いていくと、そのシルエットはぼく自身の影になる。繰り返す笛のリフレインが、ぼくの耳にこびりついてはなれない。そしてぼくはいつの間にか、またあの無機質の廊下に投げ返されている。

ひととおり夢を思い出してみて、ようやくぼくは笑うことができた。立ち上がってみた。さっきまで思っていたほどの漆黒の闇ではない。空が少しだけ、光って見える。垂れこめた灰色の雲のはるか向こうで、わずかずつ空が白みはじめているのかもしれない。

ぼくはポケットに手をやった。そこには、夢で見たのと同じ笛があった。唇に当ててみた。あのリフレインがよみがえってきた。意味も知らず、ぼくはその音階をなぞってみた。

遠くから、あの足音が聞こえてくる気がして、ぼくは吹くのをやめた。この世界には似合わない音だから。

In a Village( 1 / 1 )

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むらは大騒ぎになっていた。こんな災厄は十年前に蝗の大群が襲ってきたとき以来だ、いや、その前の戦のとき以来だと言うものがある。あのときでもこれほどひどくはなかったというものもあれば、いや、それは一口にはくくれない、あのときは少なくとも家だけは残ったよ言うものもある。家は残ったかもしれないが、戦では若いものは皆死んだ。それに比べれば今回は死んだものはいないではないかと理屈をこねるものもいる。なにはともあれ、ふだんの平穏なむらにはこんな騒ぎは似合わない。それだけは異口同音に唱えるのだった。

それというのもあんな灰色の風来坊など引き込んだのがいけないと、ある者は言う。確かにあの男が前兆だったと、うなずくものがいる。さすがにそれは関係なかろうと冷静な意見を言うものもいるが、その声は小さかった。

その灰色の放浪者は、夏が終わろうとする頃、草原の向こうから現れた。上衣のあちこちにこびりついた黒いかたまりは、この男がそう遠くない以前に傷を受けていたことをあらわしていた。その傷が荒れ野を旅するときには避けられない切り傷の類であるのか、闇夜に紛れて襲ってくる獣による手負い傷であるのか、あるいはもっと禍々しいものであるのかは、だれにもわからなかった。

最初に男に出会ったのは、羊飼いの少年だった。羊の番をしているときに男にいきなり声をかけられて、少年はひとかたならず驚いた。男がすぐそば、特に声を高くしなくても話がわかるような近くに来るまで自分が気がつかなかったのが信じられないのだ。理由はわからないが、男が隠れるようにして近づいてきたのはまちがいないと少年は主張した。実際、男の顔には隠し事を発見されたようなバツのわるさがあった。自分から声をかけておいてこれは奇妙なことかもしれないが、そういうバツのわるさを少年自身、まだ小さかった頃に経験した記憶があった。

男はこの近くにむらがあるのかどうかを尋ねた。少年は慎重だった。古老の話をよく覚えていて、見知らぬ異形の者にはあらぬ方角を教えた。むらに災厄をもたらしてはならないのである。

それでもこの流浪者はやってきた。少年を責めるべきではなかろう。どの方角を教えたにせよ、牧羊たちの存在はそれだけで人里の近いことをあらわしている。そしてその里への道をたどるのは、羊たちの足跡をつけるまでもなくたやすいことであるのだから。

むらにやってきた灰色の放浪者は、けれど、けっして人に危害を加えるようなことはしなかった。食べものを乞い求めはしたが、その代わりに異国の不思議な話を語って聞かせた。一夜の宿には、このくにでは通用しない風変わりなコインを出してみせたりさえした。そして、子どもたちを集めては聞いたことのない音楽を奇妙な笛で奏でて聞かせた。これには、野良で忙しい親たちもずいぶんと感謝したのであった。

けれど、この灰色の者が立ち去る様子を見せないのに、一部のむらびとは苛立ちをおぼえるようになった。異国の風変わりの話も、二度、三度と聞けばもう風変わりでもなんでもない。男が腰に佩いている剣も、いまとなっては物騒だ。流れ者は、流れてきたときと同じように早々に立ち去ってほしいものだ。そんなことを聞えよがしにつぶやく者まで現れた。

その声が聞こえたのか、それともそれがこの男にとっての時期であったのか、初霜がおりたある朝、この男はふっと姿をかき消すようにいなくなった。そしてその日が昏れる前、あの大災厄が襲ってきた。

あんな化け物は見たことがないと、むらびとは口々に語り合った。炎と煙と、そして旋風に誰もが身を低くし、目をかたくつぶっていたそのわずかのあいだに、むらは灰燼に帰していた。

やはり無用の放浪者などむらに入れるべきではない。災厄との関係がわからないままに、むらの人々の意見は一致した。だが、殻をかぶったように閉じこもるわけにいかないことも、多くのむらびとが知っていた。

言いようのない不安が、いつまでも消えなかった。

Jun
作家:Jun_nuJ
Swamp
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