Swamp

Jazz Drummer( 1 / 1 )

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退屈をさみしさで紛らせる。それが日常だった。ひとりでいれば、けっしてさみしくはない。ひとりの暮らしにはすっかり慣れてしまっている。やるべきことを繰り返していれば、自然に時間は流れていく。なんの感情も必要はない。

けれど、そんな時間にはすぐに飽きてくる。これだけやっていれば十分なのに、十分すぎるなにかをもてあましてしまう。それが退屈だ。退屈こそが、ひとりの毎日の大敵だ。

だから、ふらふらと半時間も歩いて街まで出ることになる。電車に乗ればもうちょっとだけは早く着けるのだけれど、早く着いたってしかたない。退屈をどうにかしたいだけなのだから、時間を節約する意味はない。歩くことに飽きるまで、なんだったら遠回りをして一時間ほどかけてでも、歩いていく値打ちはある。

蔵を改造した薄暗い店は、だいたいが入り口さえ人を拒絶する。来なくていいよ、入らなくていいよと、店ののれんは客を押し返すだろう。その柔らかい抵抗を押し戻すように中に入ると、闇の中からなにかがこっちを睨みつける。薄暗がりに目が慣れると、それは厨房の脇のミキシングルームでセッティングをしているマスターの目だとわかる。あの髭面男がマスターなのだろうか。何度通ってもそれはわからない。

誰も席に案内しないし、だれも挨拶ひとつよこさない。といってそこに立ち続けるわけにいかないから、なるべくだれのじゃまにもなりそうにない席を選んですわる。すっかりそらで覚えてしまったメニューをそれでも三度は読み返す頃になって、ようやく高校生アルバイトにしか見えないウェイターが注文をとりにくる。いちいち聞かなくてもわかるだろう。どうせいちばん安いおつまみセットとビールしか頼まないのだから。

ステージからは、最後のリハを終えたバンドが退場していくところだ。このバンドを見たくてきたわけではない。ただ、こういう小さなライブハウスでは、出演バンドの順番は行ってみなければわからない。たいていのリハは逆順で進行するから、このバンドが最初に出るはずだ。面白くもない。そして、さみしさがはじまる。

ひとりの部屋なら、どうでもいい音楽、どうでもいい動画、どうでもいい本やどうでもいい書き込みなんかはみんな退屈に翻訳される。退屈だ。相手になんてなっていられない。目をそむけて、退屈を嘆けばそれでいい。

この小屋では、そうはいかない。やがて音楽がはじまる。その音楽は、否応なしに気持ちをシーンに引き込んでいく。そこでは退屈は許されない。けれど、そこに溶け込んでしまうことは自分の中のなにかが許さない。その緊張の間にできるなにもない空間の中に、さみしさが忍びこんでくる。床の上にひろがるこぼれた水のように、それを止めることはできない。

退屈とさみしさと、どっちがましなのだろうか。どっちも歓迎したくはない。けれど、退屈から逃げ出そうとここにやってきたのは自分自身だ。このさみしさから逃げ出しても、退屈に戻るだけだ。そこでぼくはdaffyにかける。次の次か、その次に登場するバンドのドラマーだ。daffyきなり。それが彼女の名前だ。彼女のパフォーマンスを見るまでは帰るまいと、心に誓う。それまでは、毎分〇・五個の割でかきのたねを口に運ぶしぐさを続けながら、とにかくここにとどまる。

彼女のファンなのだと、ぼくは自分に言いきかせる。追っかけなのだ。これで彼女のライブは三度目だ。だが、それがどうしたというのだ。たぶん彼女は百回以上のステージをこなしている。そのうちの数パーセントなんか、なんの意味もない。

それでもそこにすがるしかないのは、このさみしさとたたかうためだ。daffyきなり。ぼくは彼女の名前をまるで魔法の呪文のように唱える。それにすがりつく。

ほら、ステージがざわついている。セットの交換だ。もうじき彼女が登場する。ぼくはきっと、彼女のバチさばきを恍惚として眺め、そしてもっともっとさみしくなるだろう。

わかっていても、そうしなければならない日だってある。

Rondo( 1 / 1 )

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ぐるぐるまわる、ぐるぐるまわる。小さな子どもがぐるぐるまわる。

男はアーケードの片隅の丸テーブルの前の愛想のない鉄の椅子に腰掛けている。遅い昼食時で、三つあるテーブルのほかの二つには、家族連れがランチを広げている。三歳か四歳だとおもう、小さな子どもを連れた母親が二人、ゆっくりとお茶を飲んでいる。そのまわりを二人の子どもが走る、まわる、ぐるぐるまわる。

おしゃれな靴を履いて、可愛らしいワンピースを着て、土曜の午後のお出かけだ。母親たちのことはどうでもいい。久しぶりに出会えた二人は、首からぶら下げた水筒を振って泡だらけになったお茶を飲み、互いにうなずき合ってごきげんだ。

ふたりはまわる。ぐるぐるまわる。男のすわったテーブルのまわりをまわる。男は微笑む。

向こうのテーブルから、母親たちの気だるげな声がする。「これ、怒られるよ」。もちろん男は怒らない。けれど、むっつりとすわって新聞なんかを見ている見知らぬ男は怒るものだと、危険なものだと、そういう常識を母親たちは子どもたちに伝えようとする。

青い服の子が、植え込みの濃いピンクの花を両手で包みこむ。まるでそれを抱きしめるように、明るい縞模様の女の子が、笑いながら二色に咲き分けた小さな花の上をなでまわす。

男はそんな二人の姿を心の印画紙に焼きつけようとする。母親たちの目を盗んで。

ほら、小さなリボンが揺れた。

Lens( 1 / 1 )

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ほかのだれも、その男に気がついた様子はなかった。だれもが車道との境目にある車止めや歩道の脇に置かれたゴミ箱、伸びすぎた街路樹を避けるような足どりで、ほとんど無意識にその男を避けて通り過ぎていく。ぼくだって、車道をはさんで向かい側の歩道を歩いていたのでなければ同じように気づかずに通り過ぎていたかもしれない。黒い髪が長く伸び、垢じみた季節外れのボロ服を着れるだけ着込んで、片手に大きくふくらんだかばんを下げている。どこにでもいる家を失った男だ。公園と繁華街に挟まれたこの界隈には珍しい光景ではない。

ぼくが気づいたのは、その鋭い眼だった。なぜ歩道の反対側からそれに気づいたのか。それは、そのみすぼらしい男が虫眼鏡を目の前にかざしてこっちを見たからだ。虫眼鏡越しに見るその目は、異様に大きく拡大されていた。その大きな目で心の中まで覗き込まれているような気がして、ぼくはたじろいだ。なにも気づかない通行人が、ぼくと男の間を通り過ぎた。その次の瞬間には、男はもう虫眼鏡を別の方に向けていた。どうやら男の関心は、ぼくの心の中にはない。少しだけほっとした。そしてあわてた自分がおかしかった。

なぜなら、男が虫眼鏡越しに見ている世界は、ぼやけきった不透明な宇宙に過ぎないはずだからだ。虫眼鏡の原理を思い出してみるがいい。拡大されるのは近くのものであって、遠くのものは焦点がずれるだけだ。拡大されるのは男の目であって、ぼくの心ではない。

男はなにも見ていないのか、それともそこにはないものを見ているにちがいない。この冷酷な現実を見るよりは、そのほうが心が休まるのかもしれない。それならそうし続けるがいい。ぼくは背を向けて歩みを早めた。

あんな虫眼鏡では、ぼくの心の中は覗けない。なにもはいっていない、空っぽの、その心の中は。

Back on the Track( 1 / 1 )

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見上げると、そこには水底があった。深く深く淀んだ水底が、頭の上に広がっていた。ビルの谷間から見上げるそれは狭く、井戸の底をのぞくようだ。そこに向かって落ちていけば、二度と這い上がってこれなくなる。覚悟を決めて、まっすぐに見る。

硬いアスファルトが背中を痛めつける。そうやって、夜が明ける直前の車道の真ん中に寝転んでいる。灯火管制の敷かれた灰色の時間、あの巨大な事故以来、極度に電気の使用の制限されたこの街は、ある種の廃墟のようだ。

どんな廃墟だ。瓦礫の埋めた潮臭い廃墟ならよく知っている。人間の暮らしがここまで悪臭を放つものだと、それまで知らなかったのが嘘のようだ。

だが、その悪臭こそが人間が生きている、獣が生きている、動物が生きている、生命が息づくことの証拠なのだ。だから無機質に戻ってしまった世界には、人間の用はない。灰は灰に戻るべきだ。そして、あの水底に戻っていく。

もうしばらくの辛抱だ。もうしばらく、こうやってここに寝そべっていれば、やがて重力は逆転する。そして、あの灰色の井戸の底へと落ちていく。意識は無重力の中で解き放たれ、水面の向こうにある青く透明な世界へと飛翔する。身体はどす黒いしぶきをあげて、有機物の塊へと分解する。あとは魚が片付けてくれるだろう。

そうやって寝そべったまま、いつまでも水底の世界を夢見続けていた。

Jun
作家:Jun_nuJ
Swamp
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