Swamp

Back on the Track( 1 / 1 )

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見上げると、そこには水底があった。深く深く淀んだ水底が、頭の上に広がっていた。ビルの谷間から見上げるそれは狭く、井戸の底をのぞくようだ。そこに向かって落ちていけば、二度と這い上がってこれなくなる。覚悟を決めて、まっすぐに見る。

硬いアスファルトが背中を痛めつける。そうやって、夜が明ける直前の車道の真ん中に寝転んでいる。灯火管制の敷かれた灰色の時間、あの巨大な事故以来、極度に電気の使用の制限されたこの街は、ある種の廃墟のようだ。

どんな廃墟だ。瓦礫の埋めた潮臭い廃墟ならよく知っている。人間の暮らしがここまで悪臭を放つものだと、それまで知らなかったのが嘘のようだ。

だが、その悪臭こそが人間が生きている、獣が生きている、動物が生きている、生命が息づくことの証拠なのだ。だから無機質に戻ってしまった世界には、人間の用はない。灰は灰に戻るべきだ。そして、あの水底に戻っていく。

もうしばらくの辛抱だ。もうしばらく、こうやってここに寝そべっていれば、やがて重力は逆転する。そして、あの灰色の井戸の底へと落ちていく。意識は無重力の中で解き放たれ、水面の向こうにある青く透明な世界へと飛翔する。身体はどす黒いしぶきをあげて、有機物の塊へと分解する。あとは魚が片付けてくれるだろう。

そうやって寝そべったまま、いつまでも水底の世界を夢見続けていた。

Well( 1 / 1 )

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泉のそばに腰を下ろして、ぼくは水面を眺めていた。地面はじっとりと濡れて冷たかったけれど、いまさらそれにかまうつもりはない。やがて高く上る太陽が、ぼくの身体を乾かしてくれるだろう。

澄んだ水面を流れてくる小さなもの。あれはどこか遠くで散った花びらかもしれない。その水面をとおして、捨て去ってきたものが揺れる。遠い記憶がぼやけていく。

ぼくが待ち続けてきたもの、それはもうここにはない。その痛みがぼくの心を突き通す。見ないようにしてきたもの、自分の心の中身。見ないから、見えない、見えないから、そこにあると信じてしまう。けれど、まっすぐに見れば、最初からそこは空っぽの空間だ。

そこを満たしていくのは、いまのぼくにはできない。できないことを無理にやることはない。心が空っぽでも、生きていくことはできる。心がなければ人間ではないと、そんなことを信じていたときもあった。それが嘘だと、ようやくわかった。

生きていれば人間だ。水が湧き出していれば泉だというのと同じことだ。その泉は最初はただの地下水の吹き出し口かもしれないが、やがて草が生え、花が咲き、鳥や獣が集い、そして人が憩うようになる。

空っぽの心だって、いつかそこに何かが流れこんでくる。いまはそれを信じることだ。

あと少しだけ、ここに休んでいよう。そしてぼくは歩き出す。さようなら、むかしぼくを養ってくれた泉よ。

Dictator( 1 / 1 )

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この世界がだれかに支配されていると、そんなお考えはよしたほうがよろしいんじゃないでしょうかね。だれかがひとつ命令すればなんでもそのとおりになるなんて、そんな世の中があったためしはございません。世間と申しますのは、だれにとっても意のままにならぬものでございますな。力も位も家柄も、すべては仮のものでございましょう。役目、役割でございます。だれもがその役割をこのかりそめのいのちの中で果たすように定められておるのでございましょう。

おわかりになりませんか。では、小話をひとついたしましょう。なに、このような賤しい者の冗談などおもしろくもなんともありませんでしょうが。

このくにでいちばん偉いのはどなたでしょう。もちろん王さまでございます。畏れ多くもそのようなことを小話にするのははばかられますので、これはどこかとおい異国の話、としてお聞きください。

さて、卑しい身分の髪結いの亭主がごくつまらぬ罪科でお裁きの場に引き出されました。裁判官が死罪を申し渡します。すると、この身分の低い男が高笑いしてこう申すのでございます。おまえはだれに手をかけておるのかわかっているのか、と。

このくにでいちばん偉いのはだれか、という問いが発せられたのはこの場面でございます。裁判官は、それは王さまであると、怪訝な顔でいいましたな。いまさらなにをそんなあたりまえのことを言うのだと。

ところがこの罪人は、もう怖れるものなどございませんから、だれもがはばかって言わぬことをはっきりといったのでございます。お主が知らぬ訳はあるまい。王さまは、実は神官どのの言いなりである。大臣たちがどのように諌めてもお聞きなされぬ。このくにの政を仕切っているのは、実は神官である。これは、街ではだれひとり知らぬことのない事実ですな。

しかし、この神官が思いのままにこのくにをあやつっているのかというと、そういうわけではありませんな。この神官、どういうわけだか俗なことこのうえない幇間には逆らえない。弱みでも握られているのでしょうか、あるいは幇間を寵愛するあまりでありましょうか。幇間がこうしてくれといえば、神官は必ずそれに従います。ですから、少しものを知った者は、なにか願いごとがあるときには必ず幇間のところに賄賂を持っていきます。それが最も確実な方法だというのは、公然の秘密でございます。

ところがこの幇間、実は出入りの髪結いとできております。不義の仲にあります。これを知っているのは当人たちのみ。幇間は実は自分の意志で動いているのではありません。この情婦の言うことはなんでもきくのでございます。つまり、このくにを動かしているのは、王さまではないとして、その実、神官でもなく、幇間でもなく、その情婦である髪結い女に過ぎないわけでございます。

そして、わたしをだれだと思っていると、かの罪人は自虐的な笑いを浮かべたのでございます。自分こそがその髪結いの夫である。妻が夫に従うものである以上、自分こそがこのくにを支配しているのであると、絞首台に上る前に哀しい虚栄をはったのでございます。

さて、この小話からどんな教訓をお学びでしょうか。だれかが権力をもって運命を管理しているのであれば、この罪人はなぜ死なねばならなかったのでしょうか。だれもがとらわれのなかで、己の自由になるものはほんの僅かで、しかもその自由になったと思っていることも実際にはたいしたことはないのだと、この話をしてくれたわたしの親父は申しておりました。その親父もとうになくなりましたが、さて、その小さな自由の中でなにをするべきか、わたしは未だにわからないでいるのでございます。

The Runner( 1 / 1 )

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走り続けるのは、逃げるためではない。なにかを追いかけるためでもない。乾いた草原に出て、ようやくぼくは悟った。自分には二本の足がある。二本の足を交互に動かせば、それは身体を前に運んでくれる。それが走るということだ。だからぼくは、走り続ける。生命のある限り、走り続ける。

なぜ呼吸を続けるのか、なぜ心臓を動かし続けるのか、尋ねたらだれだって嘲うだろう。それは自分の意志ではない。生きることは自分の意志ではない。

足の裏に当たる土の感触を確かめながら、ぼくは思う。歩き続けることだって、走り続けることだって、それは同じだ。そりゃあ直接の動機はいろいろあるだろう。誰かが追っかけてくるのかもしれない。なにかと闘わなければならないのかもしれない。探し求めるものがあるのかもしれない。けれど、それは生命の本質とは無関係な場所で起こる偶発的なできごとだ。そんなできごとを選んだのは自分だ。別な運命を選ぶこともできた。だけど、別な運命がやってきても、ぼくは同じように走るだろう。

なぜ焦り、なぜ怒り、なぜ怯え、なぜ絶望するのか。その問いも、同じようにばかげている。遠く、草原の果てにうっすらと浮かびはじめた薄灰色の山脈をながめながらぼくは自分に確かめる。なぜ歓び、なぜ笑い、なぜ興奮し、なぜ感謝するのか。同じことだ。呼吸を止められないのと同じように、脈動を止められないのと同じように、人は笑い、泣き、希望をもち、絶望し、喜び、悲しむ。だれも、当人でさえ、それを止められない。生命のある限り、それを止められない。そして、生命を止めようとするはたらきでさえ、生命の表現に過ぎない。

頭上高くを鳥が飛んでいく。名前を知らない鳥、おそらくなにか猛禽類なのだろう。あの鳥になぜ飛ぶのかと聞いたら、ばかにしたような声をあげて飛び去るだけだろう。鳥は飛ぶから鳥なのであり、人間はこうやって走り続けるから人間なのだ。

ぼくは、目を細めて傾きかけた太陽を見た。まだ日暮れまで、時間がある。さあ、先を急ごう。なんのためにでもなく。

Jun
作家:Jun_nuJ
Swamp
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