Swamp

The City( 1 / 1 )

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いまが朝なのか夜なのか、男には既にわからない。わかろうとする意志を既に失っている。それでいいとさえ思っている。

これほどの人がひしめくこの街の片隅で、階上にも階下にも無数の人がひしめくこの建物の中で、男は誰とも顔をあわせない。この空間では肉体は意味をもたない。物理的な反射として目にうつる光景、たとえば薄汚れかけた壁、埃の積もったフロア、スチールの愛想のなさをむりやりに隠そうとして無様な塗装をされたドア、そこから外に続いていく無機質の冷たい廊下、その先に、ごく稀に響く嬌声や、怒鳴り声、まるでこッちが見えていないように走り抜ける子ども、敵意を含んだ視線を投げかけてくる母親たち、ようやくたどりついた店のカウンター越しに怪訝な表情を浮かべる店員などは、スクリーンの上に映し出される幻影ほどには美しくない。幻ほどには心を動かさない。そこになんの魅力も残っていないから、男は物理的な世界が存在することを忘れようとする。そして沈み込む。深く沈み込む。

顔を上げれば、そこには現実がある。物理的な反射や空気の振動を超えた豊穣な世界がある。その世界が男を支える。この現実があるからこそ、男は悪夢のような都会で生きていける。

窓の外を見てごらん、そこにはこの灰色の建物と同じようなビルがそびえているだろう。はめごろしの分厚い二重窓では、見上げることも見下ろすこともできない。もしも見下ろすことができたなら、そこには生気のない物体の往来が見えるだろう。もしも見上げることができたら、そこには沼の底のように淀んだ空が見えるだろう。

男には、こんな悪夢はほしくない。男が望むのは、生命にあふれた現実だ。その現実を求めて、男は今日も目を瞑るだろう。

それが生きるということではないのだろうか。

Jazz Drummer( 1 / 1 )

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退屈をさみしさで紛らせる。それが日常だった。ひとりでいれば、けっしてさみしくはない。ひとりの暮らしにはすっかり慣れてしまっている。やるべきことを繰り返していれば、自然に時間は流れていく。なんの感情も必要はない。

けれど、そんな時間にはすぐに飽きてくる。これだけやっていれば十分なのに、十分すぎるなにかをもてあましてしまう。それが退屈だ。退屈こそが、ひとりの毎日の大敵だ。

だから、ふらふらと半時間も歩いて街まで出ることになる。電車に乗ればもうちょっとだけは早く着けるのだけれど、早く着いたってしかたない。退屈をどうにかしたいだけなのだから、時間を節約する意味はない。歩くことに飽きるまで、なんだったら遠回りをして一時間ほどかけてでも、歩いていく値打ちはある。

蔵を改造した薄暗い店は、だいたいが入り口さえ人を拒絶する。来なくていいよ、入らなくていいよと、店ののれんは客を押し返すだろう。その柔らかい抵抗を押し戻すように中に入ると、闇の中からなにかがこっちを睨みつける。薄暗がりに目が慣れると、それは厨房の脇のミキシングルームでセッティングをしているマスターの目だとわかる。あの髭面男がマスターなのだろうか。何度通ってもそれはわからない。

誰も席に案内しないし、だれも挨拶ひとつよこさない。といってそこに立ち続けるわけにいかないから、なるべくだれのじゃまにもなりそうにない席を選んですわる。すっかりそらで覚えてしまったメニューをそれでも三度は読み返す頃になって、ようやく高校生アルバイトにしか見えないウェイターが注文をとりにくる。いちいち聞かなくてもわかるだろう。どうせいちばん安いおつまみセットとビールしか頼まないのだから。

ステージからは、最後のリハを終えたバンドが退場していくところだ。このバンドを見たくてきたわけではない。ただ、こういう小さなライブハウスでは、出演バンドの順番は行ってみなければわからない。たいていのリハは逆順で進行するから、このバンドが最初に出るはずだ。面白くもない。そして、さみしさがはじまる。

ひとりの部屋なら、どうでもいい音楽、どうでもいい動画、どうでもいい本やどうでもいい書き込みなんかはみんな退屈に翻訳される。退屈だ。相手になんてなっていられない。目をそむけて、退屈を嘆けばそれでいい。

この小屋では、そうはいかない。やがて音楽がはじまる。その音楽は、否応なしに気持ちをシーンに引き込んでいく。そこでは退屈は許されない。けれど、そこに溶け込んでしまうことは自分の中のなにかが許さない。その緊張の間にできるなにもない空間の中に、さみしさが忍びこんでくる。床の上にひろがるこぼれた水のように、それを止めることはできない。

退屈とさみしさと、どっちがましなのだろうか。どっちも歓迎したくはない。けれど、退屈から逃げ出そうとここにやってきたのは自分自身だ。このさみしさから逃げ出しても、退屈に戻るだけだ。そこでぼくはdaffyにかける。次の次か、その次に登場するバンドのドラマーだ。daffyきなり。それが彼女の名前だ。彼女のパフォーマンスを見るまでは帰るまいと、心に誓う。それまでは、毎分〇・五個の割でかきのたねを口に運ぶしぐさを続けながら、とにかくここにとどまる。

彼女のファンなのだと、ぼくは自分に言いきかせる。追っかけなのだ。これで彼女のライブは三度目だ。だが、それがどうしたというのだ。たぶん彼女は百回以上のステージをこなしている。そのうちの数パーセントなんか、なんの意味もない。

それでもそこにすがるしかないのは、このさみしさとたたかうためだ。daffyきなり。ぼくは彼女の名前をまるで魔法の呪文のように唱える。それにすがりつく。

ほら、ステージがざわついている。セットの交換だ。もうじき彼女が登場する。ぼくはきっと、彼女のバチさばきを恍惚として眺め、そしてもっともっとさみしくなるだろう。

わかっていても、そうしなければならない日だってある。

Rondo( 1 / 1 )

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ぐるぐるまわる、ぐるぐるまわる。小さな子どもがぐるぐるまわる。

男はアーケードの片隅の丸テーブルの前の愛想のない鉄の椅子に腰掛けている。遅い昼食時で、三つあるテーブルのほかの二つには、家族連れがランチを広げている。三歳か四歳だとおもう、小さな子どもを連れた母親が二人、ゆっくりとお茶を飲んでいる。そのまわりを二人の子どもが走る、まわる、ぐるぐるまわる。

おしゃれな靴を履いて、可愛らしいワンピースを着て、土曜の午後のお出かけだ。母親たちのことはどうでもいい。久しぶりに出会えた二人は、首からぶら下げた水筒を振って泡だらけになったお茶を飲み、互いにうなずき合ってごきげんだ。

ふたりはまわる。ぐるぐるまわる。男のすわったテーブルのまわりをまわる。男は微笑む。

向こうのテーブルから、母親たちの気だるげな声がする。「これ、怒られるよ」。もちろん男は怒らない。けれど、むっつりとすわって新聞なんかを見ている見知らぬ男は怒るものだと、危険なものだと、そういう常識を母親たちは子どもたちに伝えようとする。

青い服の子が、植え込みの濃いピンクの花を両手で包みこむ。まるでそれを抱きしめるように、明るい縞模様の女の子が、笑いながら二色に咲き分けた小さな花の上をなでまわす。

男はそんな二人の姿を心の印画紙に焼きつけようとする。母親たちの目を盗んで。

ほら、小さなリボンが揺れた。

Lens( 1 / 1 )

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ほかのだれも、その男に気がついた様子はなかった。だれもが車道との境目にある車止めや歩道の脇に置かれたゴミ箱、伸びすぎた街路樹を避けるような足どりで、ほとんど無意識にその男を避けて通り過ぎていく。ぼくだって、車道をはさんで向かい側の歩道を歩いていたのでなければ同じように気づかずに通り過ぎていたかもしれない。黒い髪が長く伸び、垢じみた季節外れのボロ服を着れるだけ着込んで、片手に大きくふくらんだかばんを下げている。どこにでもいる家を失った男だ。公園と繁華街に挟まれたこの界隈には珍しい光景ではない。

ぼくが気づいたのは、その鋭い眼だった。なぜ歩道の反対側からそれに気づいたのか。それは、そのみすぼらしい男が虫眼鏡を目の前にかざしてこっちを見たからだ。虫眼鏡越しに見るその目は、異様に大きく拡大されていた。その大きな目で心の中まで覗き込まれているような気がして、ぼくはたじろいだ。なにも気づかない通行人が、ぼくと男の間を通り過ぎた。その次の瞬間には、男はもう虫眼鏡を別の方に向けていた。どうやら男の関心は、ぼくの心の中にはない。少しだけほっとした。そしてあわてた自分がおかしかった。

なぜなら、男が虫眼鏡越しに見ている世界は、ぼやけきった不透明な宇宙に過ぎないはずだからだ。虫眼鏡の原理を思い出してみるがいい。拡大されるのは近くのものであって、遠くのものは焦点がずれるだけだ。拡大されるのは男の目であって、ぼくの心ではない。

男はなにも見ていないのか、それともそこにはないものを見ているにちがいない。この冷酷な現実を見るよりは、そのほうが心が休まるのかもしれない。それならそうし続けるがいい。ぼくは背を向けて歩みを早めた。

あんな虫眼鏡では、ぼくの心の中は覗けない。なにもはいっていない、空っぽの、その心の中は。

Jun
作家:Jun_nuJ
Swamp
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