Swamp

Cape( 1 / 1 )

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魔法という言い方をするのであれば、そのように表現されてもよろしいかとは思います。私があの上衣をつくりましたのは魔法でもなんでもありません。そこに込められた技法も、古くから当家に伝わるものでありまして、決して悪い魔のかかったものではございません。私どもは、すべて最良のものをお客さまに着ていただくことを願って仕立てを営んでおります。したがいまして、お客さまに害をなすようなあやかしの術を使うようなことは、まずもってあり得ません。

数々の不思議が起こったとのことですが、ひとつひとつは偶然かもしれませんし、あるいは理にかなった説明がつくものかもしれません。その者が荒れ野を何日も食べるものも水も持たずに旅を続けたというのは、それだけの耐えしのぶ術をその者が持っていたからにちがいありません。私どもの衣類に空腹を満たすはたらきなどそなわっているわけはありません。

およそ鳥のほかは渡ることのできない沼地を越えてきたというのも、着衣のはたらきであるわけはありません。船を使ったか、そうでないならなにか特別な道具でも使ったかもしれませんが、その段であればおおかた靴屋にでもおたずねになる方がよろしいでしょう。

人々をたぶらかしたとおっしゃるのは、私にはわかりません。たぶらかされた者どもが愚かであったのか、あるいはたぶらかされたという言葉そのものが愚かであるのか、そのあたりさえ私にはさっぱり想像しかねます。

いえいえ、肝心なのは森の中のことでございましたな。

森の木立の中でまったく人目につかぬよう身を隠したのは上衣にかけられた魔法ではないのかと、そのようにお尋ねでございましょう。

はい、私どもの職人が紡ぎました糸、織娘が丹精を込めました布には、森の木々、草原の緑、沙漠の岩にしっくりなじんで見えるはたらきがございます。あの上衣は私が手ずから仕立て上げましたのでよくわかっておりますが、着姿も影映も大地のもの、森のもの、川や海のものにとけこむようになっております。そのせいで男が弓から逃れたとしたら、それは私どものせいであるかもしれません。けれど、逃亡を助けるためにそのようなからくりを用意したとおっしゃるのは、それはちがうと申し上げたのでございます。

まず、ここには禁じられております魔法などは使われておりません。ただ職人たちの真摯な仕事があるだけでございます。次に、このような生地、仕立ては、森の中に人を隠すためのものではなく、華やかな宴席で着る人を際立たせるためのものでございます。

多くの方がお気づきではない私どもの商売の秘密がございます。戸外では人工のものが映え、人工に満ちた屋内では大地や海、天に属するものが映えるのでございます。これを巧みに用いまして、華やかな場で一際目をひく高貴な方々のお召し物を私どもはつくって参りました。今回あの男につくってやりましたのも、そういう流れのものでございます。

ですから、男が森の中で身を隠したのは、私どものせいと言うよりは、まったくの偶然であると、このように申し上げるのでございます。

はて。それではなぜ、流れ者のその男にそのような特別な夜会服を仕立ててやったのかと。はい、それは……。

Flute( 1 / 1 )

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夢から覚めて、ぼくは闇の中を手さぐりした。のどが乾いた。我を忘れて革袋の中の水を飲んだ。そして少し後悔した。たぶん、この先、いい水が得られる泉まであと三日はかかる。この草原の道はまだまだ続くだろう。貴重な水を無駄にするべきではなかった。だんだんと正気に戻る意識の中で、ぼくは自分の愚かさに舌打ちをした。

それぐらい生々しい夢だった。ぼくは硬い無機質の空間を歩いていた。どこまでも長い廊下で、自分の足音がどこまでもこだました。自分一人しかいないはずなのに、まるで十人、百人の人々が歩いているかのように、どこまでも消えないこだまだ。怖くなって足を停め、振り向いた。だれもいない。それでも、足音ばかりが追いかけてくる。こだまは消えないどころか、ますます大きくなる。

ぼくは走りだす。周りの景色が流れはじめる。前へ前へと流れていく。ぼくはいっしょうけんめい前に進もうとしているのに、世界のほうがぼくを追い越していく。ぼくは絶望する。そして、目をつぶって身を投げ出す。たちまち世界が割れる。

そしてぼくは、海の波にもまれている。遠くに岸辺が見える。その岸辺で、だれかが笛を吹いている。だれだかわからない。そのシルエットに向かって、ぼくは歩く。海の中なのに、ぼくは歩くことができる。笛のリズムに合わせながら波をかき分けて歩いていくと、そのシルエットはぼく自身の影になる。繰り返す笛のリフレインが、ぼくの耳にこびりついてはなれない。そしてぼくはいつの間にか、またあの無機質の廊下に投げ返されている。

ひととおり夢を思い出してみて、ようやくぼくは笑うことができた。立ち上がってみた。さっきまで思っていたほどの漆黒の闇ではない。空が少しだけ、光って見える。垂れこめた灰色の雲のはるか向こうで、わずかずつ空が白みはじめているのかもしれない。

ぼくはポケットに手をやった。そこには、夢で見たのと同じ笛があった。唇に当ててみた。あのリフレインがよみがえってきた。意味も知らず、ぼくはその音階をなぞってみた。

遠くから、あの足音が聞こえてくる気がして、ぼくは吹くのをやめた。この世界には似合わない音だから。

In a Village( 1 / 1 )

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むらは大騒ぎになっていた。こんな災厄は十年前に蝗の大群が襲ってきたとき以来だ、いや、その前の戦のとき以来だと言うものがある。あのときでもこれほどひどくはなかったというものもあれば、いや、それは一口にはくくれない、あのときは少なくとも家だけは残ったよ言うものもある。家は残ったかもしれないが、戦では若いものは皆死んだ。それに比べれば今回は死んだものはいないではないかと理屈をこねるものもいる。なにはともあれ、ふだんの平穏なむらにはこんな騒ぎは似合わない。それだけは異口同音に唱えるのだった。

それというのもあんな灰色の風来坊など引き込んだのがいけないと、ある者は言う。確かにあの男が前兆だったと、うなずくものがいる。さすがにそれは関係なかろうと冷静な意見を言うものもいるが、その声は小さかった。

その灰色の放浪者は、夏が終わろうとする頃、草原の向こうから現れた。上衣のあちこちにこびりついた黒いかたまりは、この男がそう遠くない以前に傷を受けていたことをあらわしていた。その傷が荒れ野を旅するときには避けられない切り傷の類であるのか、闇夜に紛れて襲ってくる獣による手負い傷であるのか、あるいはもっと禍々しいものであるのかは、だれにもわからなかった。

最初に男に出会ったのは、羊飼いの少年だった。羊の番をしているときに男にいきなり声をかけられて、少年はひとかたならず驚いた。男がすぐそば、特に声を高くしなくても話がわかるような近くに来るまで自分が気がつかなかったのが信じられないのだ。理由はわからないが、男が隠れるようにして近づいてきたのはまちがいないと少年は主張した。実際、男の顔には隠し事を発見されたようなバツのわるさがあった。自分から声をかけておいてこれは奇妙なことかもしれないが、そういうバツのわるさを少年自身、まだ小さかった頃に経験した記憶があった。

男はこの近くにむらがあるのかどうかを尋ねた。少年は慎重だった。古老の話をよく覚えていて、見知らぬ異形の者にはあらぬ方角を教えた。むらに災厄をもたらしてはならないのである。

それでもこの流浪者はやってきた。少年を責めるべきではなかろう。どの方角を教えたにせよ、牧羊たちの存在はそれだけで人里の近いことをあらわしている。そしてその里への道をたどるのは、羊たちの足跡をつけるまでもなくたやすいことであるのだから。

むらにやってきた灰色の放浪者は、けれど、けっして人に危害を加えるようなことはしなかった。食べものを乞い求めはしたが、その代わりに異国の不思議な話を語って聞かせた。一夜の宿には、このくにでは通用しない風変わりなコインを出してみせたりさえした。そして、子どもたちを集めては聞いたことのない音楽を奇妙な笛で奏でて聞かせた。これには、野良で忙しい親たちもずいぶんと感謝したのであった。

けれど、この灰色の者が立ち去る様子を見せないのに、一部のむらびとは苛立ちをおぼえるようになった。異国の風変わりの話も、二度、三度と聞けばもう風変わりでもなんでもない。男が腰に佩いている剣も、いまとなっては物騒だ。流れ者は、流れてきたときと同じように早々に立ち去ってほしいものだ。そんなことを聞えよがしにつぶやく者まで現れた。

その声が聞こえたのか、それともそれがこの男にとっての時期であったのか、初霜がおりたある朝、この男はふっと姿をかき消すようにいなくなった。そしてその日が昏れる前、あの大災厄が襲ってきた。

あんな化け物は見たことがないと、むらびとは口々に語り合った。炎と煙と、そして旋風に誰もが身を低くし、目をかたくつぶっていたそのわずかのあいだに、むらは灰燼に帰していた。

やはり無用の放浪者などむらに入れるべきではない。災厄との関係がわからないままに、むらの人々の意見は一致した。だが、殻をかぶったように閉じこもるわけにいかないことも、多くのむらびとが知っていた。

言いようのない不安が、いつまでも消えなかった。

The Voice( 1 / 1 )

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安穏を貪るその怠惰な心、おれが破壊したいと思ったのはそいつだ。聞こえるだろう、おれの声が。おれはたびたびおまえに警告してきたはずだ。

おまえはおれを異形の者と呼ぶ。だが、おれはおまえの一部だ。おまえ自身だといってもいい。そんなおれの言葉に抗って、おまえは言う。いつの間に自分の中に巣食ったのだ、どうして自分を自由にしてくれないのだと。おまえにはわかっていない。おれはおまえの中にはるか昔からいる。おまえが生まれたときからいる。つまり、おまえ自身だ。おれから自由になることは、おまえが自分の一部を失うことだ。おれはいつも、おまえといっしょにいる。

異形の者はおまえ自身なのだと、なぜ気づかない。おまえは平和な世界に落ちつこうとしている。小さな暮らしの中に、小さな役割を見つけようとしている。ばかなことはやめろ。そこにいるのはおまえ自身じゃない。おまえの影に過ぎない。

子どもたちはおまえを慕ってまつわりつく。その仮面の下に恐ろしい化け物がひそんでいると、だれも気づかない。美しい音楽を奏でるその手が実は人を殺めた手だと、だれも知らない。珍しい話を語って聞かせるその声が、恐ろしい咆哮を隠していることに思い至らない。やめろ。本性をあらわせ。自由になるとはそういうことだ。おまえをとらえているのはおまえの思いこみであって、おまえが異形の者と呼ぶこのおれではない。なぜならおれは、おまえ自身なのだから。

疲れた? それがなんの理由になるだろう。おまえはなんのために生きている? 歩き続けるためか。歩き続けて、ぼろ布のようになるのがおまえの運命なのか。それもよかろう。そうやって野垂れ死ぬのもひとつのあり方だ。だが、その怠惰な逃げはよせ。生きることからの逃亡はやめろ。それは野垂れ死ぬよりもわるい。それは悪臭をもたらす。不快だ。

剣を抜け。それがもうひとつのおまえの運命だ。おまえが選択したおまえの運命だ。そして闘え。だれが相手でもいい。闘うがいい。

ほう。そうかい。おれを闘いの相手に選ぶのかい。無理だ。よせ。ほら、おれは警告したぞ。これがどんな結果になっても、それはおまえの選択だと、そう心得ておくんだぞ。

Jun
作家:Jun_nuJ
Swamp
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