東京模様

朧月( 1 / 1 )

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朧月

 フランス本国で観客動員数百万人の大ヒット映画などという宣伝コピーに魅かれ観てみたら、ぴんとこない作品だった。そんな経験が何度かある。見ていてフランス語が分かれば面白いのかもしれないとおもった。非常に苦心した日本語字幕がつけられたりしていることから、言葉の興趣を味わう作品だろうと、漠然と想像できるからだ。フランス人はフランス語を殊のほか誇りとするそうだから、外国人にわからぬ映画をあえてつくるのだろう。

 そんなとき小津安二郎監督映画を母語で鑑賞できる自分に優越感を覚える。小津映画は普遍映画である。世界のいづれの文化に育った人もその世界に浸れる。しかしながら日本語ネイティヴだけがくすっと笑える控えめな描写があることも事実だ。

 例えば「彼岸花」。小津監督初のカラー作品。くすんだ翳りが胸をうつ「東京暮色」から一転し、天然色の色彩が実に美しい。作品のところどころに登場する鶏頭の花と、座敷に置かれた真紅のケトルの鮮やかなこと。小津の美的センスが冴える。

 その「彼岸花」中のほんの数十秒の短いシーン。京都の旅館の女将が主人公夫婦の家を休日に訪問する。明るく人がいいのだが、他人の迷惑または困惑等をまったく気にしない(できない)性格の女将。世の中にときどき実在する性格だ。持参した土産を家政婦さんを通して渡すとき、

「あんたへとちがいおすえ」

などと言わなくていいことを言う。悪気はぜんぜんないのだが。

 彼女の話はいつもものすごく長い。そこで話しはじめにトイレに立つ。すると廊下に箒が上下逆さにたてかけられている。箒の前をつつつと通り過ぎかけた女将が廊下を戻り、箒を正しい向きに変えて、再びトイレに行く。このシーンに台詞はない。おそらく箒を逆に立てておいた張本人であろう家政婦は画面に登場さえしない。しかしたった数十秒間に見事なほど複数人物の性格描写を観客に示して笑わせる。サイレント時代に映画作りを覚えた人だけに、小津はこういうシーンが巧みだ。

 種明かしを文字にして説明するのは無粋で、いかにも非小津的だけれども、日本文化において逆さ箒とは、腹の底で嫌な客だと思っている人充てに送る「とっと帰れ」との暗黙のサインである。それがこの訪問者にてんで通じないところに諧謔がある。それを知らない外国の人たちはこのシーンを楽しみきれないのではなかろうか。私がフランス映画の一部の作品に抱く隔靴掻痒感とやや似ているようにおもう。

 小津映画の造りは本当に独特だ。世界に類例がない。

 まずこれといってストーリーがない。じっさい晩期小津映画はどれもこれも似たり寄ったりで、同じメンバーの俳優が似た役を演じるし、同じ薄っぺらで安っぽい音楽がながれる。その曲が作品に実によく合っている。ほかの音楽を考えられないくらい。

 つぎに、目立つ主人公がいない。この点、三船敏郎がヒーローとして屹立する黒澤明監督映画と対照的。「東京物語」の主人公は笠智衆かもしれない。しかし「晩春」「麥秋」での笠を主人公と呼べないだろう。原節子が目立っているが、やはり主人公とはいいがたい。小津映画には、その人を太陽として脇役役者が周囲を回転する流儀の主人公が不在である。そして善玉と悪役もいない。登場人物ぜんいんふつうの人である。その点も黒澤映画と著しく異なる。

 それから比類のない画面の美しさ。小津は俳優さんを美しく撮る。別監督映画における同一女優の容姿を比べてみるとよい。小津映画のほうが数段美しい。「麥秋」「東京物語」「秋日和」で三宅邦子が匂わせる早春の梅花のような清潔な色香。「彼岸花」での目が覚めるようにきれいな田中絹代。彼女は小津監督よりやや年上だから撮影当時五〇歳代だっただろう。当時の五〇歳は今なら六〇歳だ。「彼岸花」を見るたびなんと美しいおばあさんだろうかと嘆じてしまう。

 男の俳優も美しく撮る。ほぼすべての小津作品に出演した笠智衆の美しさ。裏表がない誠実そのものな人格と、軽さひょうきんさによる人格の美を見事にスクリーンに映している。

 小津作品の美しさはタテ・ヨコの構図の美である。

 タテ、とは時間的な美。ヨコは空間的美だ。映画は時間芸術であるから、開始から終了まで時間的流れの構図の美しさを監督が造形する。そして一瞬一瞬の各シークエンスの構図。これをヨコの構図と呼ぼう。役者さんたちの配置、それぞれの姿勢と動き、セットの形との兼ねあい。それらが実に均整がとれていて、美しい。ため息が出るほど。笠智衆の回想によると、芝居のすべて、文字どおり箸の上げ下ろしの角度に至るまで、すべてが小津監督の指示によるそうだ。小津の世界が私にもたらす感銘とは、すみずみまで完璧に構築せられた美によるのだ。かれは類まれな美的センスを保持していた。

 ところでそんな小津との最初の出遇いは最悪だった。筆者は二〇歳台だっただろうか。小津映画の第一印象は、「退屈、反撥、違和」の三語に尽きた。

 まずは退屈だった。ストーリーもアクションもない。平凡な日常が淡々と綴られるだけである。

 つづいて強い反撥心が私の中に生じた。小津映画には思想がない。理想追及もない。社会改善意欲がない。求道などあるはずもない。金持ちのブルジョワ紳士たちが高級料理を飲み食いするシーンの連続だ。若者が小津に反抗するのはその青年の精神が健全な証しである。

 それから決定的に悪印象だったことは小津の構成の不自然さだった。能面のごとき無表情の俳優がカメラレズの正面に向かって台詞を陳べる。登場人物が台詞をいうごとに、これが繰り返される。そのシーンに登場する俳優全員が写るカットと、一人の俳優がまっすぐ前を向いてしゃべるカットがぎこちなく反復される。これが実に不自然で、映画の自然な流れをぶつぶつと切断しつづけるのだ。手法が下手に見えた。まるで子供向け紙芝居のようだと。

 それで開始から五分の一まで辛抱して見たところで、席を立って外へ出た。「東京物語」だった。堀切の開業医が急患の往診に出るシーンまでしか若い私は耐えられなかった。

 ところが四〇歳を越し、じぶんの肉体的精神的衰退の兆しとその先の死が否応なく視えてくると、小津映画が俄然として親しい世界に変わるのだ。わたしもそうだった。後期小津作品のすべてを私は何度も観ているから、内容をすっかり暗記している。それでもときおりむしょうに小津の世界に帰りたくなる。スクリーンに、粗い布に書かれた題名が、哀調を帯びた音楽とともに現れたとたん私の心は懐かしい想いに満たされる。小津映画は観るものでなくそこに浸るものなのだ。

 小津を日本的と日本人は言う。だがそれはすこし違う。小津の美意識は例えば谷崎潤一郎の陰翳礼賛とはずれている。ぼんやりした不明瞭なものごとに深い意味を認め、不均衡や歪みにそこにそこはかとない情緒を表現する日本の美学と、小津とは似ているようでずれている。小津は明晰かつ均整のとれた美が好きなのだ。春の朧月の黄色な幻暈よりも、澄みきった秋の満月の玲瓏たる白光をかれは好む。

 小津作品の基調色は白である。「晩春」「麥秋」「東京物語」での原節子は染みひとつない純白のブラウスを着ている。

 ちなみに私のいちばん好きな小津作品は「麥秋」だ。そのつぎが「東京暮色」と「彼岸花」。これらとと「秋刀魚の味」を京橋の国立フィルムセンターが保存するフィルムで観たことがあった。ただし私の記憶が正しいとしたら、「東京暮色」でなく「東京物語」だったかと思う。その時むかしの作品はやはりフィルムで見るべきだと思った。感銘の深さが違うのだ。小津はデジタル修復などという未来の技術を知る由もない。彼はフィルムを想定して創ったわけだ。作者が観てほしいと思っているであろう形態で鑑賞するのが最もよい。それはバッハ以前の古い音楽を当時の楽器と当時の演奏法で奏でることに一脈通ずる。

 蛇足になるかもしれないが、最後に小津監督の演技指導について一言。役者に無表情を強制し、一挙一動まで監督の指示通りに動かせた監督。役者に自主性を認めなかった。だが作品を詳しく見ていると、小津がそうしたのは基本的に男の映画出身俳優であったことがわかる。例えば笠智衆や佐田啓二。舞台出身の女の俳優については自主性を許している。代表例が杉村春子。彼女は小津作品においても表情豊かに、自分の演技をしている。

 役者の自主性を認めない指導法の正反対をしていたのが小津の先輩である溝口健二監督であった。かれはいっさいの演技指導をしない。役者に圧力をかけ続けることで高名であった。ああしろこうしろと具体的なことをまったく言わない。溝口は役者の自主性しか認めなかったのだ。だから各俳優たちが最大限の努力をして何も言わない監督の意図を洞察しようと努力しなければならなかった。彼は役者の演技を厳しく否定するだけだった。撮影に入り、役者があるシーンの芝居をする。すかさず溝口監督が冷たく「違います」という。もう一回やる。また「違います」。三回でも五回でも十回でも「違います」「やり直し」が繰り返される。役者はいじめられているようなものだ。具体的な指示をしてくれと懇願しても溝口は、あなたはプロの役者でしょう。給料を取っているでしょう。できるはずです、というだけ。この溝口式演技指導(無指導による指導)に耐えた俳優は、ずば抜けた演技力を体得することができた。

 私はそれが臨済禅の公案修行に似ていると思う。

 座禅にはおもに臨済宗のそれと曹洞宗のそれの二種類がある。公案を重視するかしないかの違いである。

 公案とは俗にいう禅問答のことで、一般的論理でナンセンスな命題を師が弟子に与える。例えば犬は成仏できるか?といったことだ。師はヒントを決して教えない。弟子は座禅をしつつ作務をしつつその答えをかんがえる。そうして一日一回師の前に進み出て自分なりの答えを述べるのだが、だめだと撥ねつけられるだけである。解答しては「違う」と否定される日々を何か月も何年もつづけ、やがてなんらかのきっかけから弟子が大梧する時が来る。それを臨在禅で見性をよぶ。見性を目指して修行するのである。ちなみに見性をめざさない坐禅が曹洞禅である。道元を高祖とする曹洞宗は悟りを目指す手段としての坐禅を否定する。坐すなわち成佛であるとする。

 溝口監督の指導方法は公案禅を彷彿とさせるのだ。それにたいして俳優に手取り足取りすべてを指導した小津監督の元からは傑出した演技力をもった俳優は現われなかった。笠智衆にしろ原節子にしろ芝居能力の高さで褒められる存在でなかった。

節子とカティ( 1 / 1 )

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節子とカティ

 スオミ(フィンランド)の映画監督アキ・カウリスマキをご存知だろうか。一九五〇年代後半生まれ。一九八〇年代から現在まで映画製作を継続している。なおフィンランドは英語による他称で、フィンランド人自身は自分たちのくにをスオミと言う。日本とジャパンのようなことだ。カウリスマキ映画の中でもときにスオミと言う俳優の台詞を聞くことがある。蛇足であるがリナックスをコムピューターへインストールするとき、言語選択画面に主要な言語一覧が出るのだが、そこにアルファベットでスオミとある。フィンランドと書いてない。各民族の自称を尊重しているのである。日本語についても漢字で日本となっている。ただし言語がアルファベットだけのインストーラーソフトの場合は英語でジャパンとなっている。

 話が逸れてしまった。カウリスマキ映画の話だ。

 かれは小津安二郎映画に私淑している。どれほど小津の世界を愛しているかを彼がつたない日本語でとつとつと語ったヴィデオをどこかで見た。小津好きのあまり日本語を覚えたようだ。カウリスマキ作品における小津の影響は明白である。無表情、極端に短い台詞、どこかぎこちない流れ。そして画面の素晴らしい美しさ。小津の世界の基調色は白だが、アキ・カウリスマキ映画の基調色は深いブルーとグリーンである。

 なおここでアキ・カウリスマキと長い正式名を用いるのは、彼の兄弟でやはり映画監督のミカ・カウリスマキと区別するためである。

 小津映画を見た観客の反応ははっきりと二つにわかれる。大好きになる人と、アキの世界を受けつけない人。アキ・カウリスマキについてはその傾向が更に顕著だ。映画の作りがあまりに独特なためである。祖国スオミでも彼の評価は抜群に高いわけでないという、むしろ外国に熱心なファンがいる。日本はカウリスマキ映画ファンの多い国である。筆者は彼の作品を全部見た。みんな好きだ。好きなあまり私もスオミ語の単語をいくつか覚えてしまった。なにしろ極度に台詞が少なく、それも単語一つ二つ程度の短いものなのばかりで、繰り返し見ているといつの間にか覚えてしまう。

 小津が醜い容貌の女優を主演級として繰り返し起用したことに触発されたのか、カウリスマキもカティ・オウティネンという女優さんを長年用いている。最新作では脇役だったが、一九九〇年代の「マッチ工場の少女」から「ルアーブルの靴みがき」に至るまで主役ないし主役級として出演しつづけ、カウリスマキ映画の顔のような女優さんだ。彼女は一九六一年生まれで、監督よりやや若い。

 六一年生まれというと同い年の俳優に、例えばアメリカ人のメグ・ライアンがいる。ハリウッドのラブコメディ映画で一世を風靡したメグを太陽に喩えると、カティは夜空の凡庸な三等星だ。明るくも暗くもなく、夜空にたくさん浮かび、とくに注目するひともいない平凡な星のようだ。そんなところがカウリスマキ監督の好むところなのだろう。

 彼女が二〇歳台の頃主演したカウリスマキ作品が「マッチ工場の少女」。この作品はドストエフスキーの小説「罪と罰」の翻案で、アキさんの初期の傑作だ。この前に「罪と罰」そのものの映画化をかれはしたが、これはやたらに長ったらしく説明調な演出で退屈な出来だった。私は途中で寝てしまった。本人も失敗作と自覚したのだろう。つづく「マッチ工場の少女」は引き締まったみごとな傑作となった。この作品でカティは工場で働く貧しくあまり恵まれていない娘を演じる。若いのに人生に疲れている。笑うこともない。同時期のメグ・ライアンは二〇歳代後半から三〇歳代に入ってもラブコメディ映画のヒロインとして光輝を放っていた。同い年なのになんという違いだろう。

 小津に傾倒しその美質を吸収したカウリスマキだが、そんなところから相違点もあるのだ。それは弱いもの、社会の最低底で虐げられている存在とのかぎりなき同悲である。じぶんはかれらなのだとするかぎりなき同慈である。そこから必然的に生ずる社会へのプロテストである。それは智慧である。それを高い調子でスピーチしたりしないことは小津と似てはいる。かれは諧謔と登場人物たちの哀感のなかからそっとメッセージを発するのである。

 小津映画には思想がないと言われる。私もそう思う。ただ小津安二郎は冷酷な検閲制度に包囲されていた。

 小津に限らず、日本の表現者は本心を韜晦するかなしい護身を身につけざるを得ないのではなかろうか。小津の国には冷酷な検閲がある。世間という名の権力を使嗾して政府が真綿で絞め殺すがごとき事実の検閲をする。うっかり気に入らない作品を作ってしまったら、逮捕・拷問・処刑が待っている。

 スオミは政府が表現の自由を保障する国である。ヨーロッパ連合に加盟もしている。スオミ政府は思想信条の自由を憎悪したり悪徳視したりしない。そこは法治国家であり暴力が支配する国でない。表現者が個人的な中傷を被ることはあっても政府による拷問はない。権力者の打擲を恐れなくて済む。

出る( 1 / 1 )

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出る

 一九六〇年代、人口の地理移動があった。田舎から都会へ、人が大量に移った。そのころ集団就職というのがあったたそうだ。地方の中学校卒業生が団体で東京大阪の会社へ就職した。一五歳で郷里と家族を棄てた。そういう時代があった。

 私自身はちょうどその頃生まれたため、集団就職時代を知らない。私が物心ついたころは経済が安定成長に移行し、人出不足も一段落していた。

 ともあれ、大量の若者が都会に移った時代には、当然ながら大衆文化に、それに対応した作品が現われた。都会へ出ることを賛美するものが多かったろうと推測される。だがそういった作品は大半が消えてしまい、こんにちに残らない。

 むしろ記憶に残した幼少時の故郷の野山を懐旧する歌や、父母をおもう歌が今も歌い継がれる。人の自然な感情からしてとうぜんかもしれない。

 都会なんかに憧れるな、地方の地道な暮らしこそほんらいの人の生活なのだと訴える大衆娯楽作品もあった。例えば映画の黒澤明監督作品「用心棒」。

 これは上州馬目宿という架空の宿場を舞台とする時代劇である。三船敏郎主演。冒頭に旅の浪人侍である三船が偶然通りががった農家から水を一杯もらう。一人の若者が、おらあ太く短く生きるんだ、と叫び家を飛び出す。若者は貧しい農家の暮らし嫌さに、馬目宿で抗争するヤクザに仲間入りしたのだ。この映画では、馬目宿がちっぽけな東京の役目をしている。いろいろあって、ラストで、その若者が「水粥すすって暮らしても、殺されるよりは農家の暮らしのほうがいいだろう。」と三船に説教されて両親の元へ帰る。この映画はあからさまな表現でないものの、当時の都会への人口移動を批判していると見ることができる。

 同じ時期に木下恵介監督作品映画「笛吹川」が制作された。高峰秀子主演。甲州の武田家の話で、舞台は当然ながら戦国時代。戦さにつく戦さの時代。武田信玄の栄光時代の映画であるのに、合戦シーンがまったくない。すべてまずしい農民の視点で語られる。この作品においても、貧しさから抜け出そうと足軽奉公に志願する村の若者が次々に現われるが、それで貧しさから抜け出たものはなく、より悲惨な境遇に落ちてしまう。この作品も間接的に、田舎から都会への移動、つまり豊かさの夢を求める移動を暗に批判する。そうみることができる。

 そのほか、山田洋次監督の初期作品「家族」はもっと直接的にそれを批判する作品だ。同監督の連作映画「男はつらいよ」にも同様のテーマが取り上げられた。ずっと後年の「息子」もそうだ。

 歌謡曲の世界なら、太田裕美が歌い大ヒットした「木綿のハンカチーフ」が代表的だろう。松本隆作詞。地方から東京に出た恋人と、地方に残ったガールフレンドの問答歌。

 華やかな東京に出て得意げに変わってゆく恋人。都会の絵の具に染まっていく恋人に、「あなた最後のわがまま、贈り物をねだるわ、ねえ涙を拭く木綿のハンカチーフをください。」とガールフレンドが歌う。

 木綿のハンカチ=素朴=田舎=ほんとうの生活。

 見間違うようなスーツ=虚飾=都会=ほんとうでない生活。

 このように対比されている。

黒と赤( 1 / 1 )

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黒と赤

 黒澤明監督映画について。

 黒澤明はおそらく世界一有名な日本人といっていい。すくなくとも映画好きな人たちなら、世界で黒澤を知らない人はいないだろう。外国でその映画が熱狂的に好かれているのに、日本国内で好かれないことでも黒澤は特異な存在である。

 私は「乱」以降、同時代として黒澤明を知っていた。もっとも当時、作品を見たことはなかった。十代の少年には難しかったからだ。しかしラジオなどから監督の噂や評判はしばしば聞いていた。そのことごとくが悪口であった。傲慢な性格だとか、作品についても、あれだけ巨額の制作費をかければ(誰だって)傑作を撮影できるよ、などと黒澤監督の人格を貶める話ばかりであった。かように黒澤明を日本人は嫌い、その作品を無視する。それが外国の人たちにとって理解し難い謎なのである。

 ともあれ外国での黒澤作品の人気はすごい。その理由のひとつは、黒澤映画の基本が西部劇だからだろう。彼はジョン・フォード監督を尊敬していた。黒澤映画にはフォード流西部劇の影響が色濃い。明確で面白いストーリー、スーパーヒーローである主人公が縦横無尽の大活躍をする。わかりやすくおもしろく、ワクワクする作品なのである。ジョン・フォード映画でのジョン・ウェインに相応する俳優が、言うまでもなく三船敏郎だ。三船が悪いやつらをやっつっけて観客をスカッとさせる。

 ところで、黒澤明に影響を与えたのがもうひとつあって、それは文学である。イギリスのシェークスピアと十九世紀のロシア文学諸作品。「乱」とか「どん底」が文学の映画化だ。この系列の作品は、わかりにくいからか、黒澤作品としては人気が低い。

 黒澤の作品を、その構造の方面から分析すると、二つに別れる。一つは主人公映画。三船敏郎が巨大な存在の主人公として屹立し、大小さまざまな脇役俳優たちが、あたかも三船太陽を中心に回転する遊星であるかのような形式の作品。黒澤三船コンビの印象が強烈のため、黒澤映画とはこのタイプばかりかと誤解してしまいがちである。

 もう一つ群集劇タイプ作品がある。主人公がそれほど目立たない作品。「生きる」が典型。「生きる」は志村喬の名演によって、あたかも主人公映画のように錯覚してしまうが、あれは群集劇だ。志村は作品中で最も目立つ俳優であるのであって、三船のような大主人公ではないのだ。そもそも「生きる」での志村喬は前半で死んでしまい、長い後半では、職場の同僚の人たちが集まる通夜での回想の中にしか登場しない。

 以上の二タイプの黒澤映画のうち、監督の前半である一九六〇年代までは双方が同程度の比重を占めていた。しかし「赤ひげ」からあと、監督は主人公映画を作らなかった。「赤ひげ」から後の黒澤映画はすべて群集劇である。この作風変化が、黒澤三船コンビ解消の原因だろう。ふたりは喧嘩して一緒の仕事をやめたとかいろいろ言われるが、私は作風変化が原因であろうと思う。

 群集劇においては、三船敏郎の存在は邪魔なのである。かれは典型的なスター俳優で主人公俳優だった。むかしの映画スターはそうだった。ジョン・ウェインも、ジャン・ギャバンも、三船敏郎も、脇役ができない。存在感が大きすぎて、彼らが画面に現われると他の俳優が霞んでしまう。それから、かれらは基本的に役作りをしない。どの映画に出ても、ジョン・ウェインはジョン・ウェインであって、むかしの客はそんなスタアを見たくて映画館へ行ったのである。三船もこうした古いタイプの主人公俳優だった。だから黒澤監督は「生きる」を撮るとき三船を外したのである。

「赤ひげ」は黒澤映画における最後の三船敏郎出演作品だった。三船の存在が重厚にして巨大だ。だからぼくらはなんとなくあれを主人公映画として見てしまう。だけれども、よくよくみてみると、三船が画面に登場しないシーンがかなり長いのだ。登場するときでも、若い医者である加山雄三の目を通して、監督は三船を撮る。「赤ひげ」以前の三船主人公作品ではなかった手法である。ここから「赤ひげ」が群集劇であることがわかる。「生きる」とおなじように、「赤ひげ」でも回想シーンでのみ登場する人物がいる。

 次作「どですかでん」ではこの特徴がもっと先鋭的になる。この作品は黒澤はじめてのカラー作品。ここでは主人公と呼べる人などまったくいない。かんぜんな群集劇である。三船敏郎の出る幕がないタイプの作品だ。黒澤はこのあと「デルス・ウザーラ」「影武者」を作った。どちらも主人公と言える人物は存在はする。が、かつての悪者をやっつける完全無欠のヒーローではない。赤ひげ先生が加山雄三の視線から間接的に描かれたように、 デルス・ウザーラもまたロシア軍将校の眼から描かれる。「影武者」の影武者に至ってはまったく虚ろな主人公だ。なにしろ死んでしまった武田信玄の死亡を隠蔽するための道具として(顔が信玄そっくりなので)雇われただけなのだから。そうして用が済んだら、武田館を叩き出されてしまう男なのだから。

「夢」の寺尾聰は主人公とすら言えないだろう。このように後期黒澤明は作風を変化さして、ヒーローが八面六臂の大活躍をする主人公映画を撮らなかった。

 ちょっと付け足す。黒澤の師匠の一人で、たいへん尊敬していた成瀬巳喜男監督もまた、その作品系列に、一人の主人公(成瀬作品の場合はたいてい高峰秀子が務めた)を中心に物語が展開する作品と、特定の主人公がいない群集劇とがある。成瀬監督は群集劇を撮るのが上手であった。「稲妻」は高峰秀子を中心とした集団ドラマ。成瀬監督の代表作。「流れる」にも主人公はない。家政婦役の田中絹代の視線を通じて、時代変化に取り残され、没落してゆく戦後柳島の、芸者置屋を淡々と描く。「おかあさん」は娘の香川京子の目を通してお母さんを中心とする庶民の貧しい家庭を描いた佳作だ。はんたいに「放浪記」は成瀬作品としては明らかな失敗作である。高峰秀子が、あたかも三船の如き存在感大きな主人公を全編に渡って力を入れて演じた作品で、高峰は作品の出来に自信満々だったそうだ。

 どんなに優秀な表現者であっても自分の作品の評価がわからない典型と言える。

金井隆久
作家:金井隆久
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