東京模様

つゆ( 1 / 1 )

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つゆ


 六月のつゆのさきのじきになると死んだ叔母をおもいだす。叔母が死んでもう四〇年にもなる。

 広い沼を見おろす丘の上の病院の一室で叔母は死んだ。乳がんだった。まだ三〇歳代だった。

 叔母は立派な人でなかった。無学歴で、教養はなく、お世辞にも美人とは言えなかった。趣味と言えることはタバコとパチンコくらいだった。ある晩など、パチンコ屋であたったからと、景品を抱えて夜十時頃わが家へ突然やってきたりした。一度結婚し離婚していた。

 どちらかといえば、だらしない生き方をしてる人と、世間から後ろ指さされるタイプの人だった。

 叔母は変な趣味をもっていた。注射が好きだったのだ。チクッとされる感覚が気持ちいいと言っていた。そこで病気でもないのに、なにか仮病の口実をこしらえては近所の町医者へ通った。そんな人なのに、ガンが末期になるまで気づかなかったのだ。

 丘の上の病院に入院してからは、私はときおり叔母を訪ねた。ひとりで行ったこともあったし、脚が不自由なわが母と一緒に電車に乗って行ったこともあった。叔母は母の妹だ。私は十代半ばだった。

 最後に会ったのは六月上旬、晴れた気持ちのいい午後だった。湖面を吹き抜ける薫風が病室のガラス窓の外側で踊っていた。それは生命にあふれていた。風のいのちのダンスだった。

 窓に背を向け、上半身を立たせてもらった叔母が、「私と違って頭がよくしっかりしてるんだから、よく勉強してがんばるんだよ」、と私に言った。私は意外に感じた。自分をしっかりしているとも、いい人だとも、思ったことがなかったからだ。

 それが叔母の最後の言葉だった。叔母は末期がんであることを知らされていないはずなのに、じぶんが間もなく死んでゆく身であることを悟っている人の言葉に違いなかった。そこに死への恐怖はまったくなかった。容貌は衰えて醜かったのに、悟りきった高僧の後光のような荘厳を私は感じた。

 翌日の未明に叔母は死んだ。だらしない生き方をし、なんの取り柄もなかった叔母が、すこしも取り乱さず、私に人生を教え訓し立派に死んでいった。

 葬儀の日も晴れてひどく暑かった。

 爾来四〇年、毎年六月はじめを迎えるとあのときの叔母を想起する。いつの間にか私は叔母よりずっと年上になった。自らの死を意識せざるをえない年齢になった。

 人はあんなに立派に死んでいくものなのだろうか。

みづたま( 1 / 1 )

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みづたま


 叔母が亡くなった。遺児がふたりいた。あたしよりちょいと若い従兄弟である。

 小さいほうが高校へ進むことになった。叔母が意外にも貯金を残していたためなんとかなったのである。

 父母がいない従兄弟の入学式にあたしの母が出席する約束をしていた。だが母も病身で脚が不自由だった。当日の朝、どうしても起き上がることができなかった。そこであたしが代わることにして従兄弟の了承をえた。代理のそのまた代理である。

 あたしは一九歳。

 従兄弟は不満顔だった。

 学校から来た案内書を一緒に見て、ほらここに父兄って書いてあるだろ。父は無理だけど、兄くらいにはなれるよ。そう言って納得させた。

 菜種梅雨というのか。ぐずついた雨模様の日々がつづいていた。二人して電車に乗り学校につくと傘の花が咲いていた。

 空からのみづたまがあたしたちの顔を打った。天が校庭の水たまりに雨の粒を落とすたびに泥水が跳ねた。

 母子二人連ればかりのなかであたしたちは浮いていた。

 式が始まった。

 父兄席にいたあたしはとりわけめだっていた。晴れ着というものがなかったので、家でいちばんいいと思える服を着てはいたものの、四十歳前後のお母さんたちに囲まれた十九歳の「父兄」はいかにも異質だった。父兄だか生徒だかわからないのがそこにいることが異彩を放っていた。あたしはしだいにいたたまれない気持ちになった。

 あめあめ降れ降れ

 母さんが蛇の目でお迎えうれしいな

 ぴちぴち

 ちゃぷちゃぷ

 らんらんらん

 あたしたちいとこに迎えてくれる母さんはいなかった。

 母をなくしたばかりの従兄弟はこう歌いたかっただろう。

 雨雨降れ降れもっと降れ

 あたしのいい人連れてこい

 雨雨降れ降れもっと降れ

 あたしの母ちゃん連れてこい

夏檸檬( 1 / 1 )

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夏檸檬


 永田町の国会図書館の前と館内に

「ナショナル・ダイエット・ライブラリー」

と大きく書いてある。

 ダイエット、である。初めてみたとき奇異を感じた。ダイエットって何のことだ? 痩身術の本を集めた国立痩身図書館じゃないのに。ロングマンの英英辞典を引いたら「政治または教会の問題について話し合いをすること。(いくつかの国で)パーラメントのことをいう。」となっていた。それで謎が解けた。日本の国会をダイエットと英語訳しているのだ。ふつうの英語だと、議会をパーラメントとかコングレスというので、日本の国会もそうなのかと思っていた。

 議員さんが痩せるほどはたらく場所という意味ではないらしい。

 夏が近づいた。

 浄土真宗の門徒は先祖供養をしないから盆だとてとくべつなことをしない。門徒はふだんから線香を立てない。香炉に横に寝かせて置く。火災予防のためである。現在のように立派な消防署がなかった江戸時代は仏壇から出火する火事が多かったのだ。線香を灰に突き刺して直立させる風習は禅宗からひろまったのではなかろうか。線香一本が燃え尽きるまでとか、座禅する時間を線香で計るからである。寝かせたら線香が見えない。

 ぼくは夏が好きだ。秋と冬が嫌いだ。晩秋はとくにいやだ。もしできるなら、毎年八月半ばから一月まではオーストラリアに住みたいくらいだ。

「中国人は時間的推移を分解して周期とし、その周期を四分する傾向を有する。まず自然的な時間では一年を周期としてこれを春夏秋冬の四季に分ける。四季に分けるのは必ずしも必然の結果ではなく、夏と冬のニ季に分けることもまた可能なのである。」 宮崎市定「史記を語る」五五頁

 大和朝廷時代の先祖が中国輸入の四季概念をこの列島へ導入したのだろう。季節は二季でも三季でもいいはずだ。無季だって可だ。春夏秋冬という概念が刷り込まれているために、ぼくたちは春とか夏の季節の実在を実体視してしまう。ほんとうは概念だけがあるのだ。冬とか秋は存在しないのだ。

 それはそうとしてぼくは十代のときからおもっていたのだが、一年を陽半期と陰半期の二季に分けてみても良いのではなかろうか。

 陽半期は二月から七月。陰半期は八月から一月である。太陽の光が増え、生命たちが繁茂する拡大の季節を陽半期。その反対が陰半期である。年で最も暑い八月を陰半期の開始とするのは、気温こそ高いが、八月に入ると翳りと衰退の兆候をあきらかに感じざるをえないからである。日中の時間が短くなる。夜には秋の虫が鳴く。生命衰える秋の始まりがすぐそこに来ていることを感じざるを得ないからである。夏の終わりは、一年の終わりの哀愁をぼくにもっとも強く感じさせる。

 柑橘の花は春に咲く。濃い緑色の葉の間から香り高い綺麗な花を咲かせる。残念ながら檸檬の花をぼくは見たことがない。ふつうの温州みかんの花ならばたくさん見た。檸檬も蜜柑も、陽半期に花を咲かせ、真夏の陽光を浴びて実を太らせる。夏はきらめく生命の季節である。やがて時が過ぎ、実りの陰半期に、房もたわわに檸檬の実をつけることだろう。

 ぼくは直接触れた情報のみ信用する。この目でみた物ごと、この耳で聞いた誰かのお話、耳にきこえた音、鼻で嗅いだ匂い、夏の日射しに打たれる檸檬の葉をぼくは信用する。田園の農地で汗にまみれてはたらく農夫の言葉をぼくは信用する。テレビ新聞インターネット等々を通した情報をぼくが信じ用いることはない。それらは概念だからである。仏教哲学のことばで表現すると、それは虚妄なる識がみる「境」であるからである。それは真でない「仮」である。諸法の仮相である。仮なる概念を実体視すると、ぼくたちはひっくりかえってしまい、ひっくりかえった逆さまの世界こそ正義だと主張する人に変わってしまう。それが暴力と不寛容など世界のあらゆる不幸の連鎖の根源なのである。

高い空( 1 / 2 )

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高い空


 暑い暑い夏がようやく過ぎると空がにわかに高くなる。爽やかな秋風がたち、命もえる盛夏が去ったさみしさを感じさせる。

 長い、わかりにくい、とっつきにくいと嫌われがちなブルックナー音楽であるが、私は十六歳で初めて聞いたときいっぺんに好きになった。難しいとはすこしも感じなかった。相性があうのだろう。それから長い年月聞いてきた。しかるにいい演奏にめぐりあえない。コンサートでの実演はことにそうで、聞くに耐えないひどい演奏にばかりあたった。レコードでなら状況はずっと良かったが、一曲を通してすべてに満足する演奏に接したことはない。ブルックナーとはよほど演奏が困難な音楽作品らしい。批評家が褒めた演奏についても、私の琴線にひびくものと、ぜんぜんそうでないものとがあった。例えばカール・シューリヒト指揮ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団の第八第九交響曲などどこがいいのかわからなかった。以下、一曲ずつ良かった演奏を挙げてみる。

 交響曲第二番ハ短調。私はこの曲がブルックナー作品中でも特に好きだ。リカルド・シャイー指揮の録音がよかった。オーケストラはどこだか忘れた。

 交響曲第三番ニ短調。版がいっぱいある曲。カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニーのものがよかった。指揮は平凡である。けれども失格点をつけるほど悪くもない。ウィーン・フィルのほの暗い響きが好きなのである。

  交響曲第四番変ホ長調「ロマンティック」。ブルックナー作品として例外的に作品の質が低いので誰の演奏を聞いてもいいのでないか。

  交響曲第五番変ロ長調。ブルックナーの最高傑作である。はじめはなじめないが二回三回と辛抱して聞くと作品のほうからその素晴らしい世界へ招き入れてくれる。オイゲン・ヨッフム指揮のものが比較的よかった。オーケストラはたしかアムステルダムのコンセルトヘボウだった。この録音は腰が軽い。重厚な音のならギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のライヴ録音が良い。

  交響曲第六番イ長調。前作でブルックナーはすべてを達成したと感じたのだろう。この第六番で作風と作曲法をがらりと変更した。この曲は神秘的な「原始の霧」で始まらないし、前期ブルックナーの特徴である全休止が二箇所しか無い。リズムが躍動する曲調もそれまでになかった。第六交響曲については、すばらしく感動したと思える録音を聞いたことがない。私はこの曲が大好きなのに。

 交響曲第七番ホ長調。カール・シューリヒト指揮ハーグ・フィルハーモニーのものと、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の聖フローリアンでのライヴ録音がよい。

  交響曲第八番ハ短調。死に際にこの曲の第三楽章アダージョを聞かせてもらいたいと願っているくらい好きなのに、この曲ほどいい演奏がない作品も珍しかろう。世に出ているレコードの多くが箸にも棒にもかからない駄演奏である。いいなと思える録音であっても、開始から終了まで全曲をとおして感動する演奏はない。ゆえに推薦録音はない。けれども第四楽章だけに限るならば、ハンス・クナパープブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニーのものがいいだろう。三楽章までは詰まらないが、終楽章の演奏はいい。スケールが大きいしわかりやすい。

  交響曲第九番ニ短調。最後の作品で作曲家の死によって未完成に終わった。この曲もまた演奏困難らしく、魂をふるわせるほどの録音演奏にで遇えていない。

 ブラームスの音楽は晩秋の重苦しい厚い雲に覆われた暗い空である。

 ブルックナー音楽は澄んだ初秋の高い空をおもわせる。ちょうどブルックナーの命日のころの空だ。第六交響曲の緩徐楽章をきくたび私はそれを感じる。かれはまさにかれにぴったりの日を選んで死んだ。

金井隆久
作家:金井隆久
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