東京模様

本のなかの人( 1 / 1 )

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本のなかの人

 あるとき、築地本願寺で上品な老婦人をみかけた。八〇歳は超えているようにみえた。とても上品な人だった。世田谷あたりでよく見かける感じだった。余談だが、小田急沿線に住んでいたころの大家さんも老婦人で、まだ口もよく回らぬ小さな孫たちが「おばば様」と呼んでいた。

 築地でみかけた人は、さらに気品がある人だった。

 本堂内にいた人に尋ねたら、摂政関白の近衛家の奥方だそうだ。戦前の首相近衛文麿の長男の配偶者。文麿の長男、つまり奥方の夫にあたる人は、敗戦時、ソ連軍に連行され、あちらで死んだと聞いている。

 びっくりした。

 昭和史の本にしばしば登場する人だ。本の中で識っていた人が、今現実に眼の前にいることに驚いた。それに、たいへん失礼な言い方だが、そんな大昔の人が生きているとは思わなかった。

 わたしにとって、直接経験していない歴史上の出来事という意味では、戦前戦後の出来事は、鎌倉幕府だの、大化の改新だのと等しい。近衛さんをみかけたことは、おおげさに言えば、大和朝廷時代の蘇我入鹿が突如出現したかのような驚愕であった。

 同時に、あのおばあさんに近衛首相のこととかを聞いてみたい誘惑にかられた。なにしろ身近で昭和史の重要人物に会ってきた人である。歴史の本に書いてない秘話を知っているかもしれない。それらはあの奥方が亡くなれば、歴史の彼方へ永遠に消えてしまうのだ。

 だがそれはぐっとこらえた。こちらにとっては歴史上の出来事で公的なことだが、あちらにとっては家庭内のプライベートなことである。それにいろいろと辛い思いをしたことだろうから、思い出したくないかもしれない。それでたずねなかった。

 それから数年後、やはり築地本願寺のトイレ内で珍しい人に遭遇した。

 本願寺のトップを門主といって世襲制となっている。トイレで私がひとりで用を足していたら、ひとりの若い人が入ってきた。斜めに振り返ってその人の顔を似たときは、他人の空似だと思った。当時の門主さんの長男とそっくりだったのだ。だがわたしは彼は京都にいると思っていた。東京にいるとは想像しなかった。そこでそっくりさんだとおもったのだが、その人が手を洗うしぐさなどに漂う高い気品を感じた。

 本人だったのだ。貴族とはわれわれと違うものなのだなと感嘆した。

 現在かれは引退した先代門主のあとを継ぎ、浄土真宗本願寺派門主となっている。

じいさん( 1 / 1 )

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じいさん


 ドイツ生まれの音楽家オットー・クレムぺラー指揮による演奏を聴いたのはかなりおそく私が三十歳を過ぎてからだったとおもう。もちろんレコード演奏だ。彼ははちょうど私が生まれた頃に死んだ人であるから実演奏を聴いていない。聞いた曲目はべートーヴェンのシムフォニー五番と七番の組み合わせだった。オーケストラはウィーン・フィルハーモニーだったかと思う。まずびっくりしたのはテムポの遅さ。止まってしまうかのように遅い。なんだこれはと思った。つづいて木管がひらひらと浮き出てクリアに聴こえることに驚いた。オーケストラ演奏ではふつう分厚い弦楽器にかき消されがちな木管がクレンペラーだと実にはっきり聴こえる。しかもその音がきれいだ。じつは初めて聞いたときは人為的に木管を拾って録っているのかと疑った。だがジャケットを読んだらライヴ録音となっていた。スタジオならば木管奏者前に別マイクを立てるのは容易だが、コンサート会場ではできないだろう。指揮者クレンペラーが木管の音を消さないよう繊細な音量配慮をしていたのだろう。

 さて第五交響曲の高名な第一楽章を聞いていたあたりでは、ただもうその遅さに呆気に取られるばかりであったが、つづく二、三、四楽章を聴くうちに、音楽スケールの巨大さに圧倒されてしまった。こんなにおおきなべートーヴェンを聴いたのは生まれて初めてだった。最後のあのしつこい和音の連打によって曲が閉じれれたときは言葉が出なかった。ただもう「すごい」の一語に尽きた。二曲目の第七交響曲イ長調の演奏も同様に冷たく無愛想なもので、テンポはさらに遅かった。音楽を揺らすことがない。止まってしまいそう、でなく、部分的には実際止まった箇所もあった。そして音楽の雄大さは第五番以上であった。受けた感動により圧倒され息もつけないほどであった。この演奏はなんだ。この演奏をやったのはいったいどんな人なのか。それからこの謎の人物のレコードをたくさん聞いたのだった。

 写真をみると彼はおそろしく背が高く、二メートル近い長身で痩せていた。分厚い度の強い眼鏡をかけいかにも神経質そう。若い時の写真ではこめかみに青筋を立てている。晩年も痩身で頬がこけ、黒縁眼鏡をかけ、歯がない口で噛みつきそうな表情をしている。この狷介きわまる老人と比較すれば、俳優のクリント・イーストウッドなんか親しみやすいフレンドリーな人物に見えるほどだ。実際の性格も写真どおり。毒舌家で皮肉屋で、付きあいにくいひとだったそうだ。

 演奏の基本は、テンポを動かさないザッハリヒカイト。せかせかした速いテンポで若い時は演奏していたそうだ。取り上げる曲目も、同時代のわかりくい現代音楽主体。古典派ロマン派の人気曲はまずやらない。そんなふうだから人気はあまりなく聴衆もすくなかった。俺の音楽がわからないやつは俺のコンサーに来なくていい、との主義だったらしい。友達にしたくないタイプである。彼はユダヤ系ドイツ人だったので一九三三年以降ドイツを追い出された。アメリカ合衆国へ行った。けれども世渡りができず、トラブルメーカーだった彼はアメリカで成功できなかった。失敗したといったほうがいい。彼の音楽も彼の人格も、アメリカ人が認めるところとならなかった。戦争が終わるとすぐヨーロッパへ戻っている。

 知る人は知る。しかし一般の音楽ファンに人気がない彼はその後も鳴かず飛ばずだった。だがアメリカ滞在中から健康を崩し、帰欧後は寝たばこの不始末により全身火傷を負い、飛行機のタラップから転落する大怪我をし、さらに脳卒中により半身不随となった。そのころからクレンペラーの運がひらかれる。スター指揮者を欲していたレコード会社の販売戦略によって、彼はイギリスのフィルハーモニア管弦楽団と組み、大量のレコード録音を開始した。体の障害によりその頃の彼は速いテンポを取れなくなっていた。手が思うように動かないのだ。さらには口をうまく動かせないため、オーケストラのメンバーに意志を伝えるにも苦労した。オーケストラからすればなにを言っているのか聞き取れなかった。そのためしばしば癇癪を起こしたそうだ。だがそんな肉体の障碍が彼の音楽のスケールを雄大にした。もともと、テンポを動かさず小細工をしない演奏を得意にしていたから、それが音楽の雄大さに発展したのである。オーケストラメンバーも狷介な性格のこの老人を敬愛した。なにを言ってるのかわからないし、よく怒るし、高齢と身体障碍のため指揮台に一人で登ることもできない老人。演奏中に寝てしまうことさえあったこの老人を慕った。かれが指揮台にいるだけで素晴らしい音楽を奏でることができたからである。

 さてそんなクレンペラーの録音遺産は無数と言っていいほどたくさんある。正式なスタジオ録音も多いし、ライヴ録音はそれよりさらに多いかもしれない。かれの録音の特徴は出来不出来の差が激しいことである。素晴らしい演奏に接すると人生が変わるほど魂をゆすぶられる。しかしダメな演奏は徹底してだめだ。おもしろくもおかしくもない。録音をたくさん聞いてじぶんでたしかめるしかないだろう。

 クレンペラーとおなじく音楽家マーラーの弟子だったブルーノ・ヴァルター。本名はシュレジンガーで、ヴァルターはミドルネームだそうだが、指揮者デビューの時ヴァルターを名乗った。彼の演奏は一〇代の少年の時から親しんだ。作風はクレンペラーの正に反対だ。温厚で温かく親しみやすい。いつも微笑みを絶やさない音楽。一生涯笑ったことがない音楽をしたクレンペラーと、生涯微笑みを忘れなかったヴァルター。苦難の人生を歩んだことではふたりとも同様であるが、同一の師からよくもこれほど正反対の弟子が生まれたとおう。

 ヴァルターの演奏も数多く残されている。出来不出来の差が激しいこともクレンペラーに同じ。ヴァルターの欠点は、その温かさが弛みに変わってしまうことがあることである。弛緩した音楽ほど飽きるものはない。けれども持って生まれた明るく溌剌としてはずんだ美質が存分に現われたときのヴァルター音楽はまさに楽園の愉悦のようだ。たとえばステレオ録音によるべートーヴェン交響曲第二番ニ長調(コロンビア交響楽団)。若葉にそよぐ薫風のようにさわやかな馥郁たる青春の香りにあふれ、若さに弾むこの演奏が、八〇歳を過ぎた人によるとは、教えられなければ誰も想像しないだろう。それからモノラル録音のほうのモーツァルト交響曲第三九番(ニューヨーク・フィルハーモニック)。輝くようなヴァイオリンの主旋律と、胸をかきむしるようなかなしみにくれる副旋律の対比。そこに弛緩のかけらもない。これぞ理想のモーツアルトである。べートーヴェンの田園交響曲の録音はヴァルター指揮コロンビア交響楽団のものと、ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニーのもの、二つあればじゅうぶんだ。前者は不満を言う所がない名演奏だ。後者は指揮は平凡だがウィーンフィルの音がとろけるほど美しい。

 二人共に自伝を遺した。ただし自身が筆を取ったのでなく、インタビューアーがまとめた聞き書き形式である。歴史研究者はぜひ目を通すといいと思う。音楽家人名と専門用語が頻出するため一般の研究者にとっては煩わしいだろうが、二〇世紀前半のドイツの様子が詳細に記録されているからである。ことにブルーノ・ヴァルターの自伝「主題と変奏」はいつどこで誰と会い何を語ったとか、あたかも日記のように細密だ。ちなみにこの本に飛行機墜落事故のことが書かれている。オットー・クレンペラーは飛行機のタラップから墜ちただけで済んだが、ヴァルターは乗っていた飛行機そのものが墜落したのである。ギリシアあたりの海辺の沼沢地のような場所へ落ちたそうだ。墜ちる飛行機の中を体験するとはこういうことかと思わされる。クレンペラーの本は絶版で、古書店で買えるが、極めて高価である。各地の図書館を精査すれば、見つけられるかもしれぬ。

 余談だがヴァルターのリハーサル収録がCDレコードの付録として付いていた。彼の練習風景は、「グッドモーニング、ジェントルメン」の挨拶からはじまり、決して大きな声を出さないで紳士的で丁寧なものであった。ひどくドイツ風に訛った英語だったため私でもほぼ聞き取ることができた。

夏風( 1 / 1 )

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夏風


 録音技術がなかった時代。具体的には一九世紀以前のことだが、作曲家は自分の作品を聞く機会が少なかった。ピアノ独奏や歌は別だが、演奏に数十人以上を要する大規模編成の曲を聞ける機会は乏しかった。頭の中に響かせた想像上の音楽を楽譜に書きつけた。それが実際の音として響くのを聞くことは作曲家の人生でも数少なかった。


 聴衆もまた音楽を聞ける機会がまれにしかなかった。例えば第九のような有名曲でも、生涯に数回くらいしか聞くことがなかったと想像される。それはプロの音楽家もおそらくそうで、楽譜を読み、先輩音楽家の話を聞いて、音楽作品をこうかなああかなと研究した。だから、じっさいに音として聞けるコンサートが開かれたとき、その聞く態度の真剣さは現代の私たちの比ではなかっただろう。稀にしか遇えないチャンスにめぐりあえたのだから一音たりとも聞き逃すまいと神経を集中させただろう。

 私たちは耳が肥えている。

 古今東西の有名曲、無名曲をかたっぱしから聞いている。子供時代から録音音楽を聞いている。有名な曲なら、じっさいのコンサートの座席に座る以前に数十回は録音を聞いている。しかもそれらはときの流れに濾過されて生きのこった名演奏中の名演奏ばかりだ。そんなとびきりすばらしい演奏に慣れた私たちがコンサートにでかけたら、たいがいは違和感をおぼえるものだ。音のバランスが違う。独奏楽器の音がかき消され聞こえないなどと。だがそれはお門違いな失望だ。録音による音楽は、商品としての質が販売に耐ええるよう家庭のオーディオ再生に最適化された音に調整してあるのだから。不自然な音なのだ。不自然な音に慣れすぎて、コンサートのほんものの音に不平を言うのだ、私たちは。

 演奏家のほうも現代は困難な時代だ。とびきり上等な録音による演奏で耳が肥えたお客相手に演奏を聞かせなければならない。聴衆は録音で聞き慣れたハイフェッツとかホロヴィッツの演奏と比較しつつ聞いているのだ。技巧にせよ音楽性にせよ、過去の超一流音楽家と較べられてしまう現代の演奏家はじつに酷な環境にいる。

 音楽にゆたかな感性があった思想家のサイードがテキスト主義を論じていた。現代人はあらゆることについて、「知っている」。みんなものしりだ。ただしそれは本とか、写真とか映画とかテレビとかのテキストを通した知識だ。たとえば、行ったことがない国の観光名所についての該博な知識を私たちはもっているし、本やインターネットをつうじてその知識をもっともっと増やすことができる。その結果、じっさいのその土地を旅行したとき、私たちはテキストとして「知っている」知識と、そこに出現した現実のその土地を無意識に比較し、齟齬をおぼえ、がっかり失望したりするのだ。あらかじめテキストとして知ってしまっているがゆえに、じかにその土地を肌で感じるたいあたりの経験に乏しくなってしまう。

 私たちは音楽を聞く以前からその音楽作品を「知っている」。知りすぎるほど「知っている」。だからコンサートへ行く目的が、「知っている曲を体験する」ことになっている。一九世紀以前の人はそうでなかった。コンサートでその作品を初めて知ったのである。コンサートで曲を体験して知ったのである。知ることとと体験することの順番が私たちと逆である。二〇世紀三〇年代ころから、コンサートの曲目が過去の作曲家の作品中心となり、同時代の作曲家による作品がプログラムから排除された。この現象が、レコードと蓄音機と録音音楽ファン増加と並行していることは、おそらく偶然でないだろう。

 たしかに録音音楽の功績はおおきい。おおぜいの人がすばらしい音楽を安価にいつでも聞けるようになった。それから、その音楽(および作曲家)と一対一で向き合って聞くことができるようになった。たくさんの聴衆とたくさんの演奏家とスタッフがいる場所でのコンサートで、作品の世界に深く沈潜することは意外に難しい。雑音や他人の視線など感興を妨害する情報がおおいからだ。家でならそれらノイズをカットできる。夜、灯りをすべて消しバッハのレコードをかければドイツの深い森のような哲学的世界に沈むことができる。音楽を聞きながら涙をながすこともある。録音のこうした功績は大きいけれど、知らない音楽に全身で体当りする体験を録音は奪ってしまった。

 昔の人と、私たちと、どちらが仕合わせだろうか。

作る( 1 / 1 )

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作る


 ある編集者出身作家がかつて、作家と編集者の関係を野球のピッチャーとキャッチャーに喩えた。一段高いマウンドの上で、観客全員の視線を浴びて華麗に舞う投手と、防護マスクで顔を隠し地面にうずくまる捕手。投手が調子を落としかけたら、捕手はすかさず一八メートル走ってピッチャーを励ましに行く。投手はマウンドをほんの一歩か二歩おりるだけだ。投手成績の何割かはおそらく捕手の手柄なのだろうが、キャッチャーが数字で評価されることはない。

 本とは、書いた人の作品であるとともに、それを出版した本屋さんの商品である。著作権が著者にあるとともに、出版権は出版社にある。おおざっぱにいえば、本に書かれている文章は著者のものであり、本という物体は出版社のものである。

 ここから本をつくる人に、著者と編集者の二人がいることがわかるだろう。著者については説明不要だろう。編集者とは、大きな出版社の場合はその会社の社員であり、小さな出版社の場合は社長が兼務することもある。編集者の仕事は本のプロデュースである。出版物の計画を立て、著者(または著者候補)と折衝し、出版後の広告宣伝活動もする。出版社も営利企業であり、本は商品である。編集者はつねに読者の好みや需要を頭の片隅に常駐させている。世の中に訴えたいこと、ひろめたいと思っている思想はあるけれど、それが編集者の頭脳のすべてを占領することはない。一方的で独善的な主張に満ちた本を出版してみても、その本がベストセラーになることはまずないのである。編集者は視野が広く、かんがえが柔軟でなければならないのである。編集者はゼネラリストだ。

 これにたいして著者はスペシャリストだ。概して知識と視野が狭く鋭い。それは美点でもある。これと粘り強い執拗さが結びつくと、素晴らしい作家や思想家、研究者になれるかもしれない。だが美質はその副作用として、独善的自己主張をまねいてしまう。良い著者であっても、読者の存在を顧慮しない一方的主張になってしまいがちだ。そうなってしまったら、読者はそっぽをむく。せっかく素晴らしい内容の本であるのに読んでもらえないのである。

 ここに出版物が著者と編集者の共同作業であることの長所があるのだ。常に読者の存在と、本の売れ行きを忘れない編集者の広い視野が、読者を無視する一方的主張に傾きがちな著者を矯めることがきる。矯正してもっと良い本にできるのである。著者一人で作る本より、編集者とともに複数視点で作る本のほうが良い本になるのだ。

 インターネットのセルフ出版の本は拙著を含めて当たりハズレが大きく、大多数がハズレだ。私見によれば、その原因がここにある。執筆、編集、校正、出版の各作業を一人だけで行い、他人の視点が入っていないから、読者を忘れ、著者の主張ばかりになってしまう。そういう本は読んで面白くないものだ。電子出版の今後の課題は、いかに編集者的人物の広い視野を取り入れ、出版物の質を上昇させるかである。

 世の中は編集者出身作家が多くいる。かつて出版社で編集者をしていた人が転身した作家たちである。はじめから作家であった人と比較すると、編集者出身作家はおおむね作品の質にばらつきがすくなく、読みやすく、商業的に成功している人が多い印象がある。それはかれらが作家転身後も編集者としてのセンスを忘れないからであろう。複数視点を同一人物の中に維持しているのである。

 また編集者出身作家の特徴として直接自己主張が少ないことを挙げよう。なんらかの主張を読者に告げたい時にも、かれらはそれを間接的に表現したり、ルポルタージュとして社会的事実に語らせて主張しようとする。自分をルポされる事実の影に抑制する傾向がある。

 本を作る現場での第三アクターは校正者である。

 校正者の存在は影が薄い。一般にそんな職業は知られていないであろう。元来は原稿の誤字脱字を指摘する仕事であった。工場でいえば「製品検査係」のようなものであった。だが近年は二つの理由により校正者の役割が大きく変わった。一つは、印刷工場の職人さんが活字を手で拾っていた時代と違い、単純な誤字脱字が減少したこと。二つは、長引く出版不況により、校正を省略してしまうか、編集者が兼務する出版社が増えたことである。そのため校正者の仕事がぜんたいに校閲に近づいた。その本の「最初の読者」として、意味不明確な表現を指摘するとか、不適切な言葉使いを指摘する業務等の比重が大きくなったのである。

 どんな本においても、著者はその分野の専門家である。編集者も校正者もその分野における知識と技能とでは著者に比肩し得ない。しかし専門家は専門家であるがゆえの罠に嵌まることがある。例えば、この程度のことなら誰でも知っているはずだと、ちょっとした専門用語を説明抜きで使用したりする。専門家だから「こんな初歩的な用語は説明不要だ」と判断しがちだが、じっさいは世の中の多数の人はその言葉の意味を知らなかったりする。だから「最初の読者」である校正者がそんな専門家の陥穽を指摘してあげるのである。こうしてより良い本になってゆく。その意味で現在の各出版社による校正省略傾向は、本の質低下を招くだろう。憂慮すべき事態である。

 ちなみに編輯者は「作り手」の側の人なので、専門の校正者のようにはまちがいを見抜けない。校正者は「作り手ではない」からこそ原稿の間違いが見えるのである。

 文章を書く仕事をした経験者ならばだれしも、自分の原稿の間違いが見えないことに驚いたことがあるはずだ。何度も見直したのに、間違いが見えない。それなのにその原稿を、校正者にみせたら、あっという間に間違いを何箇所も指摘された体験があるだろう。固定観念が根強いからか、誰でも自分の間違いは見えないものなのである。しかし他人の間違いはよくみえるのだ。他人の原稿ならば、渡されてちょっと眺めれば間違いが見える。長年の熟練のおかげもあるけれど、私などは瞬間的に間違いが見える。編集者は著者ではないが、本をつくるがわなので、自分が手がけている原稿の間違いに気づきにくい。

 作り手側にいないからこそプロの校正者は間違いと不適切を瞬時に指摘できるのである。

金井隆久
作家:金井隆久
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