空乃彼方詩集

た行( 4 / 18 )

とうの昔に捨てたんだ

ここのところ涼しい日が続いたが、太陽が顔を出せばまだ十分に暑い
自転車にもまともに乗れなくなった僕は、歩いて買い物に出た

光の眩しさで目がつらい
久しぶりの暑さも堪えているのか、しだいに息が上がってくる
疲れ果てた僕は前のめりに大の字で倒れたくなった
しかし、実際には立ち止まることさえせずに、足を前に出した
帰り道、缶コーヒーがうまかったことだけは覚えている

重だるい腕で自宅の鍵を開け、ラジオをつける
とぼけたおじさんがいつになく真面目な話をしている
「確かに現実は大事だけど、理想を大切にすべきじゃないか」
おじさんは言った

崩れながら生きる現実に、とうの昔に理想を捨てた僕は
しばらく目を伏せ、立ち尽くし
薄笑いを浮かべて耳を傾けた

た行( 5 / 18 )

諦観の時

うまくいかない
うまくいかないよ、いろいろと
考えに考えを重ねてきた
それでもうまくいかないよ

その繰り返しで、どれだけの歳月が流れただろう
漠然と、しかし深い部分で「終わりだ」と思った若き日
時の力によって、漠然としていたものがはっきり見えてくる

自分の力で何とかしよう
病気を、そして人生を少しでもいい方向に持っていこう
どうやら無駄だったようだ
成せばなるは若い人の言葉
成るようにしかならかった
もう駄目な自分を許す時だ

人はいつか終わりが来る
それだけは平等だ
みな、同じ方向に歩いている
その事実に僕は少しだけ安堵するのだ

深まっていく秋は風に任せて、気持ちよさそうに揺れていた

た行( 6 / 18 )

どこかの父と息子の会話

「随分、色褪せたな。この街も」
父は微かに呟いた。しかし、小さな耳は聴こえが良かった。

「ずいぶんって何?」
「自分で調べなさい」
「うん。じゃあ、いろあせたって何?あつい時にかくあせ?」
「そう。太陽に当たると汗かくだろ。それで色が落ちちゃうんだな」
「色があせないものってあるの?」
「それはないな。みんな色褪せる。いや、もしかしたら、あるかもしれない。でも、それは眼に見えないな」
「ボクにも見えない?」
「うん。お前にも、パパにも見えない。人間には見えない」
「パパ、何でうちにはママがいないの?」
「知らない」

息子はうつむき、会話は途切れた。いつしか二人は古びた住宅街を抜け、田んぼに挟まれた細い道を、赤く熟して潜もうとしている陽に向かって歩いていた。蝉の求愛が騒がしく聴こえてくる。


「パパ、疲れた。肩車してよ」
「せっかく足があるんだから、歩きなさい。もうこれ以上、歩けないところまで」
しばらく黙ったまま、二人は歩いた。息子は父の顔をじっと見ている。

「ねえ、ママがいないのもボクがしらべるの?」
「そうだなあ。それは調べなくていい。もう少し、お前の背が伸びた時に、パパが教えてあげよう」
「うん」

程なく父親は息子を担ぎ上げ、肩車をしてやった。
「やった。らくだあ」
「特別だぞ。でも、さっきパパが言ったこと忘れるなよ。自分の足で歩け。倒れるまで歩きなさい。その場所がお前のゴールだ」
息子は、父より少しだけ空に近いところで、小さく頷いたようだった。

た行( 7 / 18 )

どうにもならないものがあるんだ

記憶のない遠い朝
天からの使いとして、ふわふわと舞い降りる小さな羽は
触れられるほどの間近に至福の太陽を浴びて
神々しく輝いていた

祝福の中、緩やかに下降する天の子ら
彼らは例外なく、柔らかな笑顔を浮かべていた

努力だけでは、どうにもならないものがあるんだ
才能だけでは、どうにもならないものがあるんだ
強さだけでは、どうにもならないものがあるんだ
優しさだけでは、どうにもならないものがあるんだ
金でも、腕力でもどうにもならないものがあるんだ


黒ずんだ物体が緩やかに下降し、やがて土の中に埋まっていく
ひとつ、そしてまたひとつと
人々は嫌なものを見てしまったとばかりに、顔をしかめ、足早に通り過ぎていった
kumabe
作家:空乃彼方
空乃彼方詩集
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