空乃彼方詩集

か行( 1 / 38 )

会話の達人

決して口数は多くない
少しばかりの付き合いで
あなたは幸だ不幸だなどと言わず
自慢話もせず
優しい言葉も滅多にかけない

相手が問いかけてきたら、大概はそれを肯定し
少しだけ膨らまして返してやる
穏やかな顔を向けながら
さすれば少なくとも人の心は炎上しない

「今日はいい天気ですね」
「そうですね。雲一つない青空で」
幾千の会話の達人たちが、一日の始まりに祈りを込める
今日も円滑に物事が進みますようにと
穏やかに深まっていく秋の力を借りて

か行( 2 / 38 )

コロナの春

今年は春が来ないかもしれない
日に日に暖かくなるに違いない
桜も咲くに違いない
しかし、そこに喜びがなければ春じゃない

コロナは帝国を築こうとしている
類い稀なる感染力と正体不明を武器にして
人々の顔はこわばり、蟻のように物資を抱え込む

そしてコロナに覆いつくされた春でも
僕は目を覚ますなり
怠く不快なベッドで生きるのが嫌になり
そして数時間後、玄関のドアを閉め
ギリギリの社会人になるのだ

か行( 3 / 38 )

駒の生涯

自由奔放な王様だった
悪く言えば勝手気まま
王様の両隣には金が警備している
左隣の金は王が大好きで
右隣の金は王が嫌いだった
嫌いどころか、いつか裏切り、王の首を取る夢すら見た

飛車は皆の人気者だった
能力が高いのだ
何しろ、縦にも横にもどこまでも一気に走れるのだから

飛車のライバルの角は嫉妬に震えていた
斜めに走る能力なら誰にも負けない
しかし、決定的な弱みを抱えていた
前に進めないのだ
「あの能力の低い歩ですら出来ることを」と嘆き
「早く出世し馬となり、飛車を超えたい」と切に願った

飛車が実直な銀、変わり者の桂、まじめだけが取り柄の歩を従え、攻めにかかった
角は敵陣をにらみ、馬になる隙を探している
忠誠心の高い左金は常に王に寄り添い
王が嫌いな右金は彼と離れ、飛車に話しかけている

やがて戦いは激しさを増し、飛車は竜に、角は馬に出世した
歩の犠牲は計り知れない
王は勝利を疑わなかった
そこに敵方から向こう見ずな槍が放たれた
左金が身を挺して止める
奮闘の末、左金は敵方に奪われた

王は慌てて右金を呼ぶ
右金は渋々、王の元へ戻った
その間に戦況は悪化し、王は前線の馬を呼び寄せた
「お前は頼りになる。飛車より上じゃ」
馬はこの上ない喜びを感じた

戦況は好転することなく、最後の時を迎えた
王は生き残った右金の肩をつかんで離さない
右金は呆れた顔で首を左右に振った

高い駒音が響いた
王の目の前にあの左金が現れた
「お前、誰に向かって」
たじろぐ王に左金は「申し訳ありません」と頭を下げ,とどめを刺した
王の命とともに他の駒たちも息絶えた

右端の香は生まれてから一度も動かなかった
縦に永遠に走れる能力はついに使われぬまま
彼の住所は1の九

動きをなくした駒たちは巨大な指によって丁寧にしまわれた
王様も身分の低い歩たちも同じ駒箱の中で眠りについた

か行( 4 / 38 )

カンノの足跡

イグアナの娘が母に訴える。「恋がしたい」と
君の手がささやいていた。「愛をください」と
催眠にかけられたような演技人形の日々もあったかもしれない
いいひとからヒールまでまるで奇跡を見ているようだ
落下する夕方を守ってあげたい
花束を抱える愛しい君へ
幸福の王子は現れましたか?
あいのうたは流れていますか?

少女から大人へ
女優階段を駆け上がるカンノの足跡は
美しく可憐だった
kumabe
作家:空乃彼方
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