:サンドリオンの店内 -----
女 「何となくだけど ... マスターの云ってたナイン・ハーフの意味がわかるような気が
する ... 」
マスター 「マリさん ... 」
女 「カウント・テンまでいっちゃうと、ノック・アウトだもんね ... そこで全部終わり
だもの ... 」
マスター 「本当にこれでいいんですか ...?」
女 「あ、そうだ、マスター。さっき言いかけて途中になっちゃったことだけど ... 」
マスター 「 ... エッ?」
女 「ほら、ミタさんが入ってくる前に ... 私、マスターに何か言おうとしてたじゃない」
マスター 「そういえば、確か ... 」
女 「それが私 ... 忘れちゃったのよ ... ごめんなさい」
マスター 「マリさん ... 」
女 「何言おうとしてたのか、思い出せないのよ ... 私、もう駄目ね ... 今夜は」
バーテン 「マスター、終わりました ... 」
マスター 「ありがとう ... 」
女 「ご苦労様、バーテンさん ... さっきはごめんなさいね ... 」
バーテン 「いいえ、とんでもありません ... 私こそ、失礼しました ... 」
女 「今度きた時は、可愛いカナリアでいるから ... 今夜のことは許してね」
バーテン 「かしこまりました ... その時をお待ちしております」
女 「それじゃ私、今夜はこれで帰ります、マスター ... おやすみなさい ... 」
バーテン 「ありがとうございました ... 」
:女、店を出ようとする -----
マスター 「マリさん ... 」
女 「エッ?」
マスター 「さっきのお話の返事は ... 本当にあれでよかったんですか ...?」
女 「 ... エエ ... あれでいいのよ、あれで ... 」
マスター 「そうなんですか ... 」
女 「マスター ... 」
マスター 「 ... はい」
女 「他の人から見ればつまらない感傷でも ... その人にとっては大事なことかも
知れないじゃない ... そう思わない? マスター ... 」
マスター 「 ... そうですね ... 確かにそうです」
女 「 ... そういうことよ ... それじゃ、おやすみなさい ... 」
マスター 「ありがとうございました ... おやすみなさい ... 」
:女、店を出て行く -----
:ドアの閉まる音 -----
バーテン 「少し変わったシンガーですね ... マリさんって人は ... 」
マスター 「どうしてそう?」
バーテン 「せっかくのチャンスだったのに ... 」
マスター 「それは ... 彼女がシンガーである前に、一人の女性だからでしょう ... 」
バーテン 「一人の、女性 ... 」
マスター 「ちょうど ... バカルディがバカルディ・ラムに拘ることで、ダイキリではない
ことを主張したように ... 」
バーテン 「バカルディがバカルディであるための主張 ... 」
マスター 「彼女もまた ... 自分が女であることを主張したのよ ... 」
:辺りに響く、ヒールの音にまぎれて -----
:回想 -----
マリ 「今度あなたが私の目の前に現れるまで ... 私、歌を忘れるわ ...
(少し笑って)そう ... 私は、歌を忘れたカナリアになるのよ ... 」
男 「お前 ... 」
女(Na) あの日から ... 愛しい人のために歌うカナリアは、歌を忘れた -----
あれからちょうど1年 ... 彼はまだ、帰って来ない -----