紅茶の香り( 1 / 1 )
「血が欠落しているんです。」
という理由で、彼女は今日、会社に行かなかった。
目が覚めたばかりで、まだ聞こえださない耳に、囁くような彼女の、話す声。
僕の横で寝転がったまま、携帯にしゃべっている。
上司だろう。
「ええ、はい、血が欠落しているので。今日は休みます。はい、はい。」
あと何度か、はい、はい、をくりかえして、携帯を閉じる。
「そうなの?」
聞いてみる。
彼女は、ころん、と寝返りをうって、目を閉じた。
どうやら、彼女の今日の血の欠落は、相当に酷いらしい。
普段から真っ白な顔は透き通りはじめている。
閉じられた目蓋は、二度とひらかれない懸念さえ感じさせた。
ほおのあたりにそっと触れてみる。
かすかな体温。
窓から入る朝日が、睫毛にあたっている。
彼女の色素の薄い睫毛は、日があたると透明感を帯びて、やわらかな色になった。
「ねえ、」
すこしだけ、睫毛がふるえる。
「血、欠落してるの?」
目をあけず、日を避けるように僕のあごに頭をつける。
「そんな理由で、よく休ませてくれたね?」
彼女は更にからだを丸めて、僕のあごの下に頭をすっぽりと入れた。
「そんなわけないでしょ、」
「やめちゃった」
眠りに入りかけている彼女の声は、普段にも増して囁くよう。
睫毛とおなじ色の髪。
紅茶の香りがするシャンプーが、切れかけだったのを思いだす。
「ダージリン、アールグレイ、セイロン、」
あと、なんだっけ...
「おれんじぺこー」
「ぺこー?」
囁く寝言。
穏やかな朝。
遠音( 1 / 1 )
かみほとけ。
かみほとけ。
わたくしのまじないことば。
稚児の頃から気がつけば、口にしていたのだそう。
かみほとけ
かみほとけ
かみもほとけもいつになく。
民らは皆、わたくしのまじないに耳を塞ぎ、目をつぶるけれど、口も閉じているようでした。
かみさま。
かみさまのおわすところ、風、無く。
かみさまのおわすところ、音、無く。
それはどうして?とおばあさまにききましたら、
おばあさま曰く。
「時、無い処にありますれば。
時、無し処、なにもありますまい。」
なれば、かみさまはそこにおわっしゃらないの?
そうきくと、おばあさまはおわらいになって、
「われわれのようには、おわっしゃりますまい。
とおんのはじめから。」
とおんのはじめに風は無く
とおんのはじめに音は無し
かみほとけ
かみほとけ
かみもほとけもどこになく。
まじないことばを口にするとき、どうしてでしょう、
わたくしは天をみる。
かみさまは、そこにおわっしゃって?