それは、とても遠い日のことだ、とヨハンは言った。
空に、冬のプラチナが見えはじめていた。
彼は首の横をしきりに掻きながら、オリオンを睨みつけている。
その首には、オリオン座の中心とそっくりな三つのホクロがあって、ヨハンが言うには、オリオンを見るとやたら痒くなるそうだ。
ならば見なければいいのに、というわけにもいかない。
僕たちは、たくさんの人に見送られてここまで来た。(らしい)
それは、悲しくなるくらい遠い日のこと。
星を見つめながら、そう、ヨハンは言う。
けれども、それがほんとうのことなのか、僕には判断しようがない。
そのとても遠い日、僕はまだ孵化前で、カプセルのなかにいた。
それにヨハンは僕と同じような年格好なのだ。
「プラチナ...」
空に輝く星をみて、ときどきヨハンは呟く。
変調子なリズム。
それが妙に可笑しくて、ヨハンが話そうとする遠い日の話を、いつも遮ってしまう。
それで、十歳になるというのに、僕はいまだにその日のことや、ここに来るに至ったいきさつを、ほとんど知らない。
ヨハンは、いい加減知らなくてはならない、と大人びた口調で僕を睨みつけた。
正直、あまり興味がない。
悲しくなるような遠い日のことよりも、僕にはこれから先のことが気がかりだった。
僕が孵化したとき、十歳の少年だったヨハン。
そして、僕が十歳になろうとする今、僕と変わらない年格好のままのヨハン。
四角い硝子が、うちの玄関のドアには嵌め込まれていて、その硝子越しに外を見ようとするとき、ヨハンはほんのすこし、かかとをあげる。
僕もこれまでそうしていたけれど、必要ないことに気づいた。今朝のことだ。
気づいてみれば目線ひとつ、僕のほうが高くなっていた。
そのことに、ヨハンはきっと、まだ気づいていない。
だが、直に気がつくだろう。
僕たちの時間が、この先どんどん隔たっていくことに。
「プラチナ、」
変調子の可笑しなリズムが、ちがう響きを持ちはじめるだろうか。
そう思えば、うまくヨハンの名を呼べない。
まあ、いい。とヨハンはかすかな溜め息をついて、それから厳しい目をした。
「あのプラチナのことだけ、覚えておけ。」
僕はその意味を聞かなかった。
それから幾日か経った朝、目を覚ますとヨハンの姿は消えていた。
寝具は整えられ、部屋はきれいに片づけられている。
僕はブランケットにくるまったまま、ストーブを点けて湯を沸かした。
曇りはじめた窓から重い空が見える。
今日の予報では雪。
この冬、最初の雪が今夜にも降る模様。
外に出ると、足の裏から芯まで、いっぺんに冷えた。
「寒い、」
白い息が鉛色の空へのぼっていく。
僕は、見えないプラチナの位置を探した。
見る間に低くなってくるような、重い雲の向こうに、この瞬間にもあの光はあるのか、確信が持てない。
「ヨハン、」