青闇夜藍色-こばなし-

消え残る( 1 / 1 )

「魂ってなぁ、つづくのかねぇ..」

 旅の道中に寄った茶屋でのことでありました。
 おんながひとり、ぼんやりとしたふうに、つぶやいているのでした。

「繰りかえすもんなのかねぇ..」

 悲しげではあったが、嘆いているわけでもないようす。
 団子をほうばりながら、目は遠くをみているといった具合。
 私はどうにも、おんなに話しかけたくてならず、かといって、なんと声を掛ければよいものかと二の足を踏んでいるうちに、おんながふらりと立ちあがった。
 その立ち姿は、匂い立つよう。
 着崩した着物は、特別艶やかなものでもなく、どこぞの遊女かと思われましたが、どこか、もっとちがう生い立ちのような風情もあるのでした。
 確りとした足取りにも関わらず、ふわりとしたおんなの所作に見入ってしまい、声を掛けたかったこと自体、すっかり忘れてしまったのです。

 季節が一巡りして、また件の茶屋に寄った際、おんなの姿を探したが、然う然う巡り合わせるものでもない。
 ちょうど、あの時おんなの座っていた椅子が空いていたので、何とはなしに座り、団子を口にしたその途端のことでありました。
 おんなはもう、この世にはいないだろう、
 不意に、そう思われれたのです。
 私はその考えを疑わず、せめてはかのおんなが、笑って死んだのならよいものだと、心から思うのでした。

 幾度も季節が巡り、茶屋を訪れるたびに、おんなのことが思いだされます。
 あの言葉と、匂い立つような立ち姿が。


 魂ってなぁ、つづくのかねぇ、

 繰りかえすもんなのかねぇ..

 今もおんなが、ぼんやりと、そう呟いている気がしてならないのでした。




消え残る...残響。




ひとすじ( 1 / 1 )

 産声をあげずに生まれた赤子は、少年に育ちました。
 体が弱いということもなく、知恵も持ち合わせているようでしたが、少年はすこし、風変わりでした。あまり喜怒哀楽を見せず、人と交わることをしません。両親は心配しましたが、勉強もしたし、家の手伝いも嫌がらずやるしで、問題ないように思われました。そのうちよい青年に成長するだろうと。
 ですが少年は、生まれてからずっと、一輪の花だけをおもっていました。
 この世に生まれるとき夢に見た、一輪の花です。
 いつかその花を目にしたいと。
 それだけを思っていたのです。

 あるとき、少年は耳にします。
 この世の中心に世界に一輪しかない花が咲いているというはなしです。
 少年は居ても立ってもいられず、誰にも告げぬまま家を飛び出します。
 道中、少年は色々な人、色々なものに出会い、数々の物事を見ました。
 けれども、どれひとつとして、心を動かしませんでした。
 そうしてようやく、この世の中心にたどり着き、夢に見た一輪の花の元にやってきました。

 そこは、音のない場所でした。
 風もない。
 そっと、できるかぎりそっと触れようと、震える手をのばします。
 細心の注意を払ってその花に触れたとき、少年は愕然とします。
 "なにも起こらなかった”のです。
 その瞬間、少年の脳裏に両親のことが思い出されました。
 弾かれたように家へ向かって走り出します。
 その道のりのなんと果てしないことか。
 いったいどれだけの月日をかけていたのか、考えるのが恐ろしいほどです。
 ひたすらに走りながら、いつしか少年の目からは涙が流れだし、彼の通ったあとには一筋の水の流れが蛇行しました。

 おかしい、と少年は思いました。
 そこはもう村のはずだったのです。
 彼が生まれ育ち、両親が暮らすはずの村。
 ところが、あるのは土くれのやま。
 その所々に残骸となった家屋が見えました。
 ふと、少年は思い出します。
 走り抜ける道すがら、耳にした人の話す声。

 ...酷い嵐だった、
 ...村一つなくなった、

 そして少年はさらに思い出します。
 この世の中心へと、一輪の花を求めて行く道中、やはり耳にした話し声。

 ...大きな嵐がくるらしい、

 あのとき取って返していたら、皆を助けられたかもしれない。
 そう思いました。
 あんな花に魅せられなかったら、
 そもそもなぜあの花を夢に見たのか、
 答えのでない問いと後悔に苦しみながら、幾晩泣きつづけたのでしょう。
 よろよろと立ち上がり、振り返った少年は、そこに光る糸を見ます。
 どこまでつづくのか、果てしなく延びている一本の光る糸です。
 触れてみると、それが水だとわかりました。
 生まれたばかりの川のようです。
 赤子の川に寄り添うようにして、緑が芽吹きはじめています。
 少年は一人で村を再建することにしました。

 少年は青年になり、いつしか近くの村から手助けする人々が現れました。
 赤子の川は今や、緑を両脇に湛える太い川となり、この世の半分を走ります。
 この川が多くの命を救ったことを少年が知ることはありません。
 嵐のため、住む場所を追われた両親たちが、いつかその川を辿り帰ってくることも、もちろん、彼はまだ知ることはないのです。




プラチナ( 1 / 1 )

 それは、とても遠い日のことだ、とヨハンは言った。
 空に、冬のプラチナが見えはじめていた。
 彼は首の横をしきりに掻きながら、オリオンを睨みつけている。
 その首には、オリオン座の中心とそっくりな三つのホクロがあって、ヨハンが言うには、オリオンを見るとやたら痒くなるそうだ。
 ならば見なければいいのに、というわけにもいかない。
 僕たちは、たくさんの人に見送られてここまで来た。(らしい)
 それは、悲しくなるくらい遠い日のこと。
 星を見つめながら、そう、ヨハンは言う。
 けれども、それがほんとうのことなのか、僕には判断しようがない。
 そのとても遠い日、僕はまだ孵化前で、カプセルのなかにいた。
 それにヨハンは僕と同じような年格好なのだ。

「プラチナ...」

 空に輝く星をみて、ときどきヨハンは呟く。
 変調子なリズム。
 それが妙に可笑しくて、ヨハンが話そうとする遠い日の話を、いつも遮ってしまう。
 それで、十歳になるというのに、僕はいまだにその日のことや、ここに来るに至ったいきさつを、ほとんど知らない。
 ヨハンは、いい加減知らなくてはならない、と大人びた口調で僕を睨みつけた。
 正直、あまり興味がない。
 悲しくなるような遠い日のことよりも、僕にはこれから先のことが気がかりだった。

 僕が孵化したとき、十歳の少年だったヨハン。
 そして、僕が十歳になろうとする今、僕と変わらない年格好のままのヨハン。
 四角い硝子が、うちの玄関のドアには嵌め込まれていて、その硝子越しに外を見ようとするとき、ヨハンはほんのすこし、かかとをあげる。
 僕もこれまでそうしていたけれど、必要ないことに気づいた。今朝のことだ。
 気づいてみれば目線ひとつ、僕のほうが高くなっていた。
 そのことに、ヨハンはきっと、まだ気づいていない。
 だが、直に気がつくだろう。
 僕たちの時間が、この先どんどん隔たっていくことに。

「プラチナ、」

 変調子の可笑しなリズムが、ちがう響きを持ちはじめるだろうか。
 そう思えば、うまくヨハンの名を呼べない。

 まあ、いい。とヨハンはかすかな溜め息をついて、それから厳しい目をした。

「あのプラチナのことだけ、覚えておけ。」

 僕はその意味を聞かなかった。
 それから幾日か経った朝、目を覚ますとヨハンの姿は消えていた。
 寝具は整えられ、部屋はきれいに片づけられている。
 僕はブランケットにくるまったまま、ストーブを点けて湯を沸かした。
 曇りはじめた窓から重い空が見える。
 今日の予報では雪。
 この冬、最初の雪が今夜にも降る模様。
 外に出ると、足の裏から芯まで、いっぺんに冷えた。

「寒い、」

 白い息が鉛色の空へのぼっていく。
 僕は、見えないプラチナの位置を探した。
 見る間に低くなってくるような、重い雲の向こうに、この瞬間にもあの光はあるのか、確信が持てない。

「ヨハン、」






紅茶の香り( 1 / 1 )

「血が欠落しているんです。」

 という理由で、彼女は今日、会社に行かなかった。
 目が覚めたばかりで、まだ聞こえださない耳に、囁くような彼女の、話す声。
 僕の横で寝転がったまま、携帯にしゃべっている。
 上司だろう。

「ええ、はい、血が欠落しているので。今日は休みます。はい、はい。」

 あと何度か、はい、はい、をくりかえして、携帯を閉じる。

「そうなの?」

 聞いてみる。

 彼女は、ころん、と寝返りをうって、目を閉じた。
 どうやら、彼女の今日の血の欠落は、相当に酷いらしい。
 普段から真っ白な顔は透き通りはじめている。
 閉じられた目蓋は、二度とひらかれない懸念さえ感じさせた。

 ほおのあたりにそっと触れてみる。
 かすかな体温。
 窓から入る朝日が、睫毛にあたっている。
 彼女の色素の薄い睫毛は、日があたると透明感を帯びて、やわらかな色になった。

「ねえ、」

 すこしだけ、睫毛がふるえる。

「血、欠落してるの?」

 目をあけず、日を避けるように僕のあごに頭をつける。

「そんな理由で、よく休ませてくれたね?」

 彼女は更にからだを丸めて、僕のあごの下に頭をすっぽりと入れた。

「そんなわけないでしょ、」

「やめちゃった」

 眠りに入りかけている彼女の声は、普段にも増して囁くよう。
 睫毛とおなじ色の髪。
 紅茶の香りがするシャンプーが、切れかけだったのを思いだす。

「ダージリン、アールグレイ、セイロン、」

 あと、なんだっけ...

「おれんじぺこー」

「ぺこー?」

 囁く寝言。
 穏やかな朝。



青黎
青闇夜藍色-こばなし-
0
  • 0円
  • ダウンロード

9 / 13