青闇夜藍色-こばなし-

冬の悲しみに憑かれる( 1 / 1 )

 冬の悲しみに憑かれる。
 みな口をひらけば「悲しいね」としか言わない。

「悲しいね」「悲しいね」
「悲しいわ」「悲しいよ」
「悲しい」
「悲しい」

 町中が「悲しい」でいっぱいになり、一ヶ月くらい経つと、誰もが疑問を持ちはじめる。

 そもそも、
 何が悲しかったんだろう?

「何もない。
 そもそも悲しいことなど
 初めからなかったのだよ。
 それでも悲しい、という、
 それが冬の悲しみなのだ。」

 と、鶺鴒教授は言う。

 冬のあいだ、みな悲しみつづける。
 けれども、春の知らせが届けられると、途端にその悲しみを忘れてしまう。毎年のこと。
 僕に限っては、冬の悲しみに憑かれることもなく、悲しみを忘れることもない。
 それについて鶺鴒教授は何も言わない。
 明日も明後日も、まだまだ冬は終らないから、僕は明日も明後日も、毎日一日中、みなの「悲しい」を聞きつづける。
 そして、みなが悲しみを忘れた瞬間、僕だけが悲しいままで、取り残されるんだ。

「ねえ、教授。そういえば僕、
 教授の口から『悲しい』って
 聞いたことないですよ?

 僕、教授みたいな人に
 なってしまうんでしょうか‥」

 それはちょっと、いやだった。
 教授は黙りこんだまま。
 どうも僕がいることを忘れてしまったようだ。

 町を歩けば
 「悲しい」は
 冬の風と冬の空気
 のようで
 僕はそれが
 嫌いじゃない。

 部屋に着いたところに教授から電話があった。
 どうやら、今日僕と会ったこと自体すっかり忘れているようだった。
 教授の冬も、いつも通りやってきて、いつも通り過ぎるらしい。



絵画( 1 / 1 )

輝かんばかりの双眸を切り裂いて
現れる闇から目をそらすな
そこに剥き出しの真実がある

それの前に立ち
かぐわしい匂いに耳をすます
そのままに
天からうちよせる光をみよう
それはいつも
右の目に映っていた

耳をそばだてていろ
闇の中心から、
剥き出しの真実の核から、
現れる一艘の舟

私はここから漕ぎだそう
ただ一艘の舟で、漕ぎだそう

或いは、お前はその舟を鷲掴み
引きちぎるがいい
手にしたものは
お前の中にあった愛
私の見つけた一艘の舟

闇から、
真実の核から、
それが現れたとき
私はひるがえり、せかいを生きた

私とお前は互いの心臓に
互いの愛を埋め込んだ
どちらかの心臓が失われたとき
私たちはそれが
共に失われるものであるのかを知る
私とお前のどちらかだけが
それを知るだろう



 彼は最期の瞬間、私がその心臓に埋め込んだ愛を、失いはしなかった。ただそこに、置いたのです。
 才能、というものが、何の呼び名か問うたとしましょう、あの人は答える。
それは愛する者から得た、愛の呼び名だ、と。
 彼が置いていった才能は、いつか誰かに受け継がれ、新たな水脈となるでしょう。
 その才能は、愛を持ってしか、使うことができないのです。




にゃんダ!( 1 / 1 )

 にゃんダ!

 とつぜん怒りだすとき、この猫はいつもこういう。
 猫なのだから別にかまいやしないのだが、怒っている理由がさっぱりとわからない。

 にゃんダはにゃにをおこっているんだい?

 と返すと、光る目を細め

 ニー

 と、か細い声で鳴く。
 そのまま、その場で丸まって寝てしまう。


 ちいさいからだをそっと撫でる。
 ごつごつした骨の感触。
 あまり気持ちのいいものではない。

 うちに居着いてずいぶん経つのに、やせっぽちの子猫のまま、成長の気配をまるでみせない。



 手のひらから伝わる熱の熱さ。
 そっと撫でているだけで、死んでしまいそうだ。

 はやく起きて、また
 「にゃんダ!」と怒っておくれよ、名のない猫。



青黎
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