青闇夜藍色-こばなし-

対話( 1 / 1 )



 公園の木に、男がいる。
 木に取りこまれている男だ。
 手足や背中、後頭部に至るまで、木に同化されている。それでも、脳のほうはまだ通常の機能を保っているらしく、流暢にしゃべった。

 その木のすぐそばにあるベンチが、私のぼんやりする場所だった。男を発見してからも、そうそう、馴染んだ場所からは移動できない。
 このベンチでは、まんなかより少し右寄りに座る。そうすると、風の具合がちょうど良く、葉擦れの音も心地よい円周をえがいた。これが、ほんの少し位置がずれるだけで、たちまち不協和音を奏でるのだ。
 今の絶妙な位置まで達するのに要した時間は、案外、多い。それで、よくしゃべる男が鬱陶しくても、私はこのベンチに座りつづけている。

 ほんとうに、男はよくしゃべった。無口な部類に入る私としては、聞いているだけで疲れるくらいに、しゃべる。
 また、男は風変わりだった。(まあ、木とこんなことになるくらいだから、はじめから十分風変わりなのだが)話すことは可笑しな内容ばかりで、なんというか、すっとんきょうなのだ。よほど暇を持て余していたのだろうと、私は耳半分でしか男の声を聞いていなかった。

 その日は、酷い快晴で、風は弱く、葉擦れの音はありきたりな線をえがいた。そうなると、私の頭はぼんやりすることに集中できない。男は相も変わらずしゃべっていて、内容もいつもどおり可笑しな話だった。けれども、その日、私はある点に気づいた。

 男の話のなかには、幹の内側にながれる”時”のことがたびたび出てきたが、私には周知のことだった。気になったのは、幹の内側に対する、男の感情の表れ方だ。
 男は今、木に同化しようとしている最中だ。それは自身が望んでそうしたはずではないのか。ところが、幹の内側について話すときの口調には、どこか、うんざりしたような、マイナスの感情があった。
 私は、はじめて男に話しかけた。

「なら、なぜそこにいるの?」

 男の手足はもうほとんど、幹と区別がつかない。
 男は眉を寄せて私をみた。おそらく、私が耳半分でしか聞いていなかったように、男のほうも私をみて話してはいなかったのだと、このときになって気づいた。

「なぜって、根があるから。」

 あたりまえじゃないか、といわんばかりの口調だ。しかし、私は混乱する。

「じぶんからそうしたんでしょう?」

 そこにそうやって居つづけて、木に同化しようとしている。
 男は微かに目を細めた。たぶん、首を傾げたのだ。

「たしかに、じぶんからこうしたけど、・・・きみはいったい、なんの話をしているんだ、」

 ますます男の眉が寄る。私も若干、眉が寄ってきた。

「木に同化するために、そこにいるっていう話。」

 当然、そういう話だろう。
 男は、それ以上は無理だ、というところまで眉を寄せ、寄せすぎて目が悲しげになった。

「きみはまったくちがう。逆だよ。」

 どうやら、見方の向きがちがっていたらしい。同化しようとしているのではなく、出ようとしているところだったのだ。
 私は驚いて、かんがえもせずに口走った。

「じゃあなた、にんげんじゃないの?」

 今までずっと幹のなかにいたというのだから、そうなる。ひどくにんげん臭いのに、意外だ。

「さあ?」
「わからないの?」
「さあ、・・・どっちにしろ、ぼくはぼくだし。」

 男はむっとしたかとおもうと、すぐにどうでもよさげに言った。熱心に遊んでいたおもちゃに突然飽きて放りだすこどもみたいだ。それに、あんなにしゃべっていたくせに、この寡黙ぶりはなんだろう。
 大体、どうでもいいのはこちらのほうだ。といいたいところだが、ひとつ、思い出したことがある。
 根の話だ。

 以前、会社にきたアルバイトの青年のこと。
 彼は、変わっていた。なにがどう、というよりは、どこもかしこも変わっていたのだが、真っ先に目につくのが、歩き方だった。どうにも普通じゃない。表現に戸惑うほど変わった歩き方で、こじつけるなら、浮くように歩く、だろうか。ほんとうに背中に羽が生えているような、浮きつつ歩くかんじで、けれども実際浮いているわけではないから、変、という。

 仕事上やりとりの多かった私は、一度、彼に尋ねたことがある。歩き方についてではない。仕事についてだ。
 彼は派遣会社に身をおき、あちこち転々としているのだと言った。一日だけという職場もあるらしい。変わってはいるが、仕事は驚くほど効率よくこなした。頭はいいが機転がきかないとか、知識はあっても効率が悪いよりは、ずっとおおきな労働力になる。そこで、なぜ転々としているのか聞いたのだ。不安はないのかと。
 すると、彼はきょとんとして、言った。

「根がないから。」
「え?」
「ぼくはどこへでも行けるよ。」

 うれしそうに。
 今どき、あんなふうに自由を喜ぶにんげんがいるだろうか。
 彼は浮くように歩きながら、満面の笑みで去っていった。

「根がないから。」青年は言った。
「根があるから。」この、木と同化している男は言った。

 青年の話をすると、男はさらに黙りこんでしまった。私は、今は木に同化している男の手足が、以前には幹から浮き出していたことをかんがえる。
 話すべきではないことを話してしまっただろうか。そうおもって男をみると、その目に一瞬、光が波打った。口元はかすかに笑っている。
 そのとき、強風が横から吹きつけた。木がいっせいに一方向へしなったようにみえるくらいの強風だ。決して円をえがかない、直線の風。

 次の日、男はあいかわらず、まだ木と同化したままで、やはりよくしゃべった。私がベンチに座っているあいだ、黙ることもない。
 その後、今日に至るまで、男のからだは幹から浮き出していることもあれば、またずいぶん取りこまれたりと、その繰り返しだ。
 私は時々、男に話しかける。彼はその度、歩き方について聞いてきた。

「おかしくない歩き方って、どんな?」だの、ベンチまで歩いてくる私をみて、もっとゆっくり歩けなど言う。けれども、三半規管のせいか、私はきれいに歩くのが苦手なのだ。どうもまっすぐ歩けていないようにおもう。

「さんはんきかんって、なんだ?」

 最近、私はベンチの絶妙な位置がわからなくなっている。



蛇の目( 1 / 1 )

 夜の庭で、白木蓮がひかっています。
 しろく、まばゆいひかりを、すこし遠慮がちに放っているのでした。
 その根元では、ちいさな蠍があたまを垂れています。
 白木蓮のひかりをみあげては、うなだれて、またみあげてはその清廉なひかりに、きゅっと目を閉じて、胸の蛇をおもいます。
 胸のなかでとぐろを巻いている、どす黒い蛇の、目のないことをおもいます。
 そうして繰り返し、蠍はうなだれているのでした。
 その様子を、探るような目でみている猫がいました。
 白木蓮を中心に、この辺りを縄張りにしている野良です。
 冷たく、射るような目は、白木蓮のひかりを反射して、澄んでみえます。
 蠍は野良の視線に気づきましたが、あたまをあげることができません。
 野良はすこし、呆れたような溜め息でつぶやきました。

「そんなふうにうなだれて、じぶんのからだにその花のひかりが照っていることも、知らないでいるのか」

 そのまま、ふん、と鼻を鳴らして行ってしまいました。
 蠍は足を動かし、そこに白木蓮のひかりが映っているのをみました。
 じぶんの足がひかりを放っているかのよう。
 それから、蠍はみえない背中を想像しました。
 それはまばゆいひかりが、清らかに降り注いで、つつまれています。

 

「あたたかい、」

 蠍ははじめて、胸のなかの蛇と目があった気がしました。




消え残る( 1 / 1 )

「魂ってなぁ、つづくのかねぇ..」

 旅の道中に寄った茶屋でのことでありました。
 おんながひとり、ぼんやりとしたふうに、つぶやいているのでした。

「繰りかえすもんなのかねぇ..」

 悲しげではあったが、嘆いているわけでもないようす。
 団子をほうばりながら、目は遠くをみているといった具合。
 私はどうにも、おんなに話しかけたくてならず、かといって、なんと声を掛ければよいものかと二の足を踏んでいるうちに、おんながふらりと立ちあがった。
 その立ち姿は、匂い立つよう。
 着崩した着物は、特別艶やかなものでもなく、どこぞの遊女かと思われましたが、どこか、もっとちがう生い立ちのような風情もあるのでした。
 確りとした足取りにも関わらず、ふわりとしたおんなの所作に見入ってしまい、声を掛けたかったこと自体、すっかり忘れてしまったのです。

 季節が一巡りして、また件の茶屋に寄った際、おんなの姿を探したが、然う然う巡り合わせるものでもない。
 ちょうど、あの時おんなの座っていた椅子が空いていたので、何とはなしに座り、団子を口にしたその途端のことでありました。
 おんなはもう、この世にはいないだろう、
 不意に、そう思われれたのです。
 私はその考えを疑わず、せめてはかのおんなが、笑って死んだのならよいものだと、心から思うのでした。

 幾度も季節が巡り、茶屋を訪れるたびに、おんなのことが思いだされます。
 あの言葉と、匂い立つような立ち姿が。


 魂ってなぁ、つづくのかねぇ、

 繰りかえすもんなのかねぇ..

 今もおんなが、ぼんやりと、そう呟いている気がしてならないのでした。




消え残る...残響。




ひとすじ( 1 / 1 )

 産声をあげずに生まれた赤子は、少年に育ちました。
 体が弱いということもなく、知恵も持ち合わせているようでしたが、少年はすこし、風変わりでした。あまり喜怒哀楽を見せず、人と交わることをしません。両親は心配しましたが、勉強もしたし、家の手伝いも嫌がらずやるしで、問題ないように思われました。そのうちよい青年に成長するだろうと。
 ですが少年は、生まれてからずっと、一輪の花だけをおもっていました。
 この世に生まれるとき夢に見た、一輪の花です。
 いつかその花を目にしたいと。
 それだけを思っていたのです。

 あるとき、少年は耳にします。
 この世の中心に世界に一輪しかない花が咲いているというはなしです。
 少年は居ても立ってもいられず、誰にも告げぬまま家を飛び出します。
 道中、少年は色々な人、色々なものに出会い、数々の物事を見ました。
 けれども、どれひとつとして、心を動かしませんでした。
 そうしてようやく、この世の中心にたどり着き、夢に見た一輪の花の元にやってきました。

 そこは、音のない場所でした。
 風もない。
 そっと、できるかぎりそっと触れようと、震える手をのばします。
 細心の注意を払ってその花に触れたとき、少年は愕然とします。
 "なにも起こらなかった”のです。
 その瞬間、少年の脳裏に両親のことが思い出されました。
 弾かれたように家へ向かって走り出します。
 その道のりのなんと果てしないことか。
 いったいどれだけの月日をかけていたのか、考えるのが恐ろしいほどです。
 ひたすらに走りながら、いつしか少年の目からは涙が流れだし、彼の通ったあとには一筋の水の流れが蛇行しました。

 おかしい、と少年は思いました。
 そこはもう村のはずだったのです。
 彼が生まれ育ち、両親が暮らすはずの村。
 ところが、あるのは土くれのやま。
 その所々に残骸となった家屋が見えました。
 ふと、少年は思い出します。
 走り抜ける道すがら、耳にした人の話す声。

 ...酷い嵐だった、
 ...村一つなくなった、

 そして少年はさらに思い出します。
 この世の中心へと、一輪の花を求めて行く道中、やはり耳にした話し声。

 ...大きな嵐がくるらしい、

 あのとき取って返していたら、皆を助けられたかもしれない。
 そう思いました。
 あんな花に魅せられなかったら、
 そもそもなぜあの花を夢に見たのか、
 答えのでない問いと後悔に苦しみながら、幾晩泣きつづけたのでしょう。
 よろよろと立ち上がり、振り返った少年は、そこに光る糸を見ます。
 どこまでつづくのか、果てしなく延びている一本の光る糸です。
 触れてみると、それが水だとわかりました。
 生まれたばかりの川のようです。
 赤子の川に寄り添うようにして、緑が芽吹きはじめています。
 少年は一人で村を再建することにしました。

 少年は青年になり、いつしか近くの村から手助けする人々が現れました。
 赤子の川は今や、緑を両脇に湛える太い川となり、この世の半分を走ります。
 この川が多くの命を救ったことを少年が知ることはありません。
 嵐のため、住む場所を追われた両親たちが、いつかその川を辿り帰ってくることも、もちろん、彼はまだ知ることはないのです。




青黎
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