青闇夜藍色-こばなし-

終焉( 1 / 1 )

 ぼくらは田舎の民宿で、さいごの夏を過ごした。
 民宿は浜辺にあって、乾いたような、べたつくような風が、一日中吹いていた。

 ぼくらは絶えずはしゃいだ。
 帰る日がせまっていることを、みな忘れたがった。

 この浜辺にふたたび来ることはない。

 やわらかな砂も、広い海も、二度と触れることはない。

 望まない帰還が胸をしめつけていたけれど、だれもそれを表には出さずに、せいいっぱい楽しんでいた。


 夜の花火は、派手なものからはじまり、さいごの線香花火でしめくくられた。

 線香花火の、ほとばしる光がしだいに弱まり、ぷつりと落ちたあとの余韻のまま、夜は深まっていった。
 朝になれば、それぞれの帰還がはじまる。

 布団に入っても、だれひとり眠っていない気配を感じながら、ぼくは暗闇のなか、ずっと目をあけていた。


悼み( 1 / 1 )



 生まれつきなんで御座います。私がなにも悼まないっていうのは。いえね、なにも感じないって云うんじゃなく、ただ悼めない。それだけの事なんで御座います。家内とは随分と惚れ込んで夫婦になりましたが、この家内の死ですら、私は悼まないんで御座いましょう。おそろしいのは、いつかそういう自身を呪う出来事に出合うんじゃあないかって事なんで。生まれ憑きの自分自身て奴を。その日が来る様な気がしてならないんで御座いますよ。せめては家内より先に逝けるんならと思いはするんですがね、そんな事云うと家内の奴は泣き出す始末。なんと云いますか、この世ってなあ不可解なようで至極簡単に作られてる様な気も致しましてね、悲しむ事なんかなあんも無いんじゃなかろうか‥。そんな風に思いもするんで御座いますよ‥。


対話( 1 / 1 )



 公園の木に、男がいる。
 木に取りこまれている男だ。
 手足や背中、後頭部に至るまで、木に同化されている。それでも、脳のほうはまだ通常の機能を保っているらしく、流暢にしゃべった。

 その木のすぐそばにあるベンチが、私のぼんやりする場所だった。男を発見してからも、そうそう、馴染んだ場所からは移動できない。
 このベンチでは、まんなかより少し右寄りに座る。そうすると、風の具合がちょうど良く、葉擦れの音も心地よい円周をえがいた。これが、ほんの少し位置がずれるだけで、たちまち不協和音を奏でるのだ。
 今の絶妙な位置まで達するのに要した時間は、案外、多い。それで、よくしゃべる男が鬱陶しくても、私はこのベンチに座りつづけている。

 ほんとうに、男はよくしゃべった。無口な部類に入る私としては、聞いているだけで疲れるくらいに、しゃべる。
 また、男は風変わりだった。(まあ、木とこんなことになるくらいだから、はじめから十分風変わりなのだが)話すことは可笑しな内容ばかりで、なんというか、すっとんきょうなのだ。よほど暇を持て余していたのだろうと、私は耳半分でしか男の声を聞いていなかった。

 その日は、酷い快晴で、風は弱く、葉擦れの音はありきたりな線をえがいた。そうなると、私の頭はぼんやりすることに集中できない。男は相も変わらずしゃべっていて、内容もいつもどおり可笑しな話だった。けれども、その日、私はある点に気づいた。

 男の話のなかには、幹の内側にながれる”時”のことがたびたび出てきたが、私には周知のことだった。気になったのは、幹の内側に対する、男の感情の表れ方だ。
 男は今、木に同化しようとしている最中だ。それは自身が望んでそうしたはずではないのか。ところが、幹の内側について話すときの口調には、どこか、うんざりしたような、マイナスの感情があった。
 私は、はじめて男に話しかけた。

「なら、なぜそこにいるの?」

 男の手足はもうほとんど、幹と区別がつかない。
 男は眉を寄せて私をみた。おそらく、私が耳半分でしか聞いていなかったように、男のほうも私をみて話してはいなかったのだと、このときになって気づいた。

「なぜって、根があるから。」

 あたりまえじゃないか、といわんばかりの口調だ。しかし、私は混乱する。

「じぶんからそうしたんでしょう?」

 そこにそうやって居つづけて、木に同化しようとしている。
 男は微かに目を細めた。たぶん、首を傾げたのだ。

「たしかに、じぶんからこうしたけど、・・・きみはいったい、なんの話をしているんだ、」

 ますます男の眉が寄る。私も若干、眉が寄ってきた。

「木に同化するために、そこにいるっていう話。」

 当然、そういう話だろう。
 男は、それ以上は無理だ、というところまで眉を寄せ、寄せすぎて目が悲しげになった。

「きみはまったくちがう。逆だよ。」

 どうやら、見方の向きがちがっていたらしい。同化しようとしているのではなく、出ようとしているところだったのだ。
 私は驚いて、かんがえもせずに口走った。

「じゃあなた、にんげんじゃないの?」

 今までずっと幹のなかにいたというのだから、そうなる。ひどくにんげん臭いのに、意外だ。

「さあ?」
「わからないの?」
「さあ、・・・どっちにしろ、ぼくはぼくだし。」

 男はむっとしたかとおもうと、すぐにどうでもよさげに言った。熱心に遊んでいたおもちゃに突然飽きて放りだすこどもみたいだ。それに、あんなにしゃべっていたくせに、この寡黙ぶりはなんだろう。
 大体、どうでもいいのはこちらのほうだ。といいたいところだが、ひとつ、思い出したことがある。
 根の話だ。

 以前、会社にきたアルバイトの青年のこと。
 彼は、変わっていた。なにがどう、というよりは、どこもかしこも変わっていたのだが、真っ先に目につくのが、歩き方だった。どうにも普通じゃない。表現に戸惑うほど変わった歩き方で、こじつけるなら、浮くように歩く、だろうか。ほんとうに背中に羽が生えているような、浮きつつ歩くかんじで、けれども実際浮いているわけではないから、変、という。

 仕事上やりとりの多かった私は、一度、彼に尋ねたことがある。歩き方についてではない。仕事についてだ。
 彼は派遣会社に身をおき、あちこち転々としているのだと言った。一日だけという職場もあるらしい。変わってはいるが、仕事は驚くほど効率よくこなした。頭はいいが機転がきかないとか、知識はあっても効率が悪いよりは、ずっとおおきな労働力になる。そこで、なぜ転々としているのか聞いたのだ。不安はないのかと。
 すると、彼はきょとんとして、言った。

「根がないから。」
「え?」
「ぼくはどこへでも行けるよ。」

 うれしそうに。
 今どき、あんなふうに自由を喜ぶにんげんがいるだろうか。
 彼は浮くように歩きながら、満面の笑みで去っていった。

「根がないから。」青年は言った。
「根があるから。」この、木と同化している男は言った。

 青年の話をすると、男はさらに黙りこんでしまった。私は、今は木に同化している男の手足が、以前には幹から浮き出していたことをかんがえる。
 話すべきではないことを話してしまっただろうか。そうおもって男をみると、その目に一瞬、光が波打った。口元はかすかに笑っている。
 そのとき、強風が横から吹きつけた。木がいっせいに一方向へしなったようにみえるくらいの強風だ。決して円をえがかない、直線の風。

 次の日、男はあいかわらず、まだ木と同化したままで、やはりよくしゃべった。私がベンチに座っているあいだ、黙ることもない。
 その後、今日に至るまで、男のからだは幹から浮き出していることもあれば、またずいぶん取りこまれたりと、その繰り返しだ。
 私は時々、男に話しかける。彼はその度、歩き方について聞いてきた。

「おかしくない歩き方って、どんな?」だの、ベンチまで歩いてくる私をみて、もっとゆっくり歩けなど言う。けれども、三半規管のせいか、私はきれいに歩くのが苦手なのだ。どうもまっすぐ歩けていないようにおもう。

「さんはんきかんって、なんだ?」

 最近、私はベンチの絶妙な位置がわからなくなっている。



蛇の目( 1 / 1 )

 夜の庭で、白木蓮がひかっています。
 しろく、まばゆいひかりを、すこし遠慮がちに放っているのでした。
 その根元では、ちいさな蠍があたまを垂れています。
 白木蓮のひかりをみあげては、うなだれて、またみあげてはその清廉なひかりに、きゅっと目を閉じて、胸の蛇をおもいます。
 胸のなかでとぐろを巻いている、どす黒い蛇の、目のないことをおもいます。
 そうして繰り返し、蠍はうなだれているのでした。
 その様子を、探るような目でみている猫がいました。
 白木蓮を中心に、この辺りを縄張りにしている野良です。
 冷たく、射るような目は、白木蓮のひかりを反射して、澄んでみえます。
 蠍は野良の視線に気づきましたが、あたまをあげることができません。
 野良はすこし、呆れたような溜め息でつぶやきました。

「そんなふうにうなだれて、じぶんのからだにその花のひかりが照っていることも、知らないでいるのか」

 そのまま、ふん、と鼻を鳴らして行ってしまいました。
 蠍は足を動かし、そこに白木蓮のひかりが映っているのをみました。
 じぶんの足がひかりを放っているかのよう。
 それから、蠍はみえない背中を想像しました。
 それはまばゆいひかりが、清らかに降り注いで、つつまれています。

 

「あたたかい、」

 蠍ははじめて、胸のなかの蛇と目があった気がしました。




青黎
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