巡る話

第四話( 2 / 4 )

 私は改めて百合子に研究室の場所を尋ねました。

 すると百合子は、コチラデスと私を促し歩き出します。
 歯車の回る音が百合子が絡繰りだと言う事を私に実感させます。

 それにしても、百合子の体は大分ガタが来ているのではないでしょうか。
 体から漏れている奇妙な音は油を注していないのが原因で鳴っているものなのでしょう。
 メンテナンスを怠っている事は素人目にも分かります。
 とするならば、百合子は仕事を与えられているのかという疑問が湧きます。
 百合子は廊下を彷徨っているだけで給仕をしているようには見えません。
 掃除用具も持っていない辺り、清掃業務も与えられていないと推測出来ます。

 少し気がかりです。私は百合子に君はここで何をしているのかと質問を投げかけました。

 百合子は答えます。
「私ハ彷徨ッテイマス」

 本当に彷徨っているだけとは。椿は何のつもりなのでしょう。
 質問に答えた百合子の顔に哀愁が漂って見えたのは私の感受性の高さ故でしょうか。

 ほどなくして百合子は一つの扉の前で止まります。

 扉の中央には『椿博士の研究室』とご丁寧にもプレートが挟まれています。

 私は扉を叩き、名乗りました。
 すると中から嬉々とした声で、ちょっと待ってくれ給えと聞こえました。

 私は言われた通り少し待ちます。
 その間百合子は虚ろな目で床を見つめていました。

 ドアが開け放たれると、椿が目をキラキラと光らせて私に飛びついてきます。
「いやあ。会いたかったよ。暫くじゃないか。ずいぶん長いことコチラの町には来ていなかったようだね」

 椿は私と百合子を研究室にあげ、真っ白な歯を見せて笑うと、どうしたのかね突然と言いました。

 私は塔子が居なくなったこと、遂に我慢がならなくなり捜しに来たこと、この町に来たはいいものの橋がなくなっていて困っていることを伝えました。

 椿はくるくると髪を弄んで聴いています。
 そして、なるほど君は橋を渡らなくてはいけないんだねと言いました。

 何故か一瞬寂しそうな顔をしましたが、すぐに穏やかな笑顔を取り戻し、私が直面している問題に着いて話を進めます。
「君が困っているのは分かったよ。しかし私はずっとここに詰めている身だ。外の事情には明るく無くてね……橋がなくなっているというのも今初めて知ったよ。とはいえ、人見知りをする君が勇気を出して来てくれたんだ、このまま帰してしまうのは忍びない。消えた橋に着いて、今から調べてやろうじゃないか」

 流石は式色椿です。
 彼女は調べ物も絡繰りでこなすのですが、その精度はどんな情報屋よりも正確なのです。これは来た甲斐がありました。

 椿はブラウン管に表示されたよくわからない文字列を眺めながら手元の操作板を操り、橋のことに着いて調べています。

 椿の操っている絡繰りにも多少の興味はありますが、私が先ほどから気になっているのは百合子のことでした。

 椿は一体この絡繰り女中に何をさせているのでしょうか。

 私が百合子をジッと眺めていると椿はソレが気になるのかいと私に質問しました。

 私は先ほどから頭の中を巡っている疑問を口にします。
 椿は調べ物が一段落着いたのか操作をやめ、こちらを向いて話し始めました。
「ソレはね、失敗作だよ。第一号と第二号で成功を収めたから味を占めてちょっと無理をさせてみたのだけれど、いやあ見事に失敗してしまった。しかし、第三号での失敗は第四号に活かされている。無駄ではなかったと言えるだろう。まあでもソレは四機の中でも一等頭が悪い。そろそろお払い箱だ。近場のリサイクルショップにでも売り払う事にするよ」

 椿はケロりと言ってのけましたが私は釈然としません。

 やはりこんなのは悪趣味極まる研究です。
 私がそれを口にすると椿は困ったように眉を下げました。
「私の研究を悪趣味だと言うのは君の口癖のようなものだからあまり気に留めていないのだけれど、なんだか今回は軽口とは違うね。何をそんなに怒っているんだい?」

 私は怒っているように見えるのでしょうか。
 そんなつもりは無かったのですが、言われてみれば確かに胸に閊えるものがあるような気もします。
「うーん……まあ何となく想像はできるよ。君はこの第三号に思う所があるのだろう。だってこの第三号は誰が見てもオンボロだし、境遇を聴けばそれは不憫なものだからね。感受性の強い君が彼女に感情移入した所で不思議はあるまい」

 椿は知った風なこと言います。
 しかし否定出来ないのも事実です。確かに百合子に対して同情の気持ちが無い訳ではありません。彼女の存在価値とは他の絡繰りの踏み台となることでしか見いだされない、この世で一番悲惨なものなのですから。

第四話( 3 / 4 )

 百合子はこの研究所にいるべきではありません。ここにいては惨めにその役目を終える事になります。
 私は決心して、このカラクリ給仕第三号を引き取る旨を椿に伝えました。
 椿はわざとらしく驚いた顔をしました。
「らしくないな。君はどんなに相手に同情した所で、無関心を装うような人間じゃないか」

 どうも今日の椿は意地悪なようです。
 私はソッポを向きます。
「ごめんごめん。ついからかってしまった。まあ引き取ってくれるならコチラとしても有り難い。速達で送るよ。カラス便でいいかい?ああ、いや。何分大きいし、芋虫便の方が良いか」

 私は芋虫便の方をお願いしました。
 芋虫便なら重量に関わらず三十分で届きますし、割れ物や精密機械も安全に運んでくれます。

 私は礼を言うと橋の事に話題を戻しました。
 なくなった理由は分かったのでしょうか。
「すまない。もう少しだけ待ってくれ。今町中から情報をかき集めている所だから」
 なるほど、ほとんど絡繰りが自動で情報を集めてくれているようですが、町中の情報ともなると膨大です。多少時間がかかっても文句は言えません。

 私は近くのパイプ椅子に腰を下ろすと、まじまじと椿の顔を見つめました。

 整った顔立ちです。きっと普通に生きていれば多くの男から言い寄られ、幸せな家庭を築いていたことでしょう。しかし彼女の恋人は研究です。一生この研究室から出る事無く、その生涯を閉じるのでしょう。頭が良すぎるのも考えものです。
 いえ、椿がその人生に幸せを感じているいるのならば私が勝手に同情するのは失礼というものでしょうか。

 椿は私の視線に気付いて、何だいと聞きました。

 私は何でもないと返します。

 そういえば、と椿は話を振りました。
「この前君の弟が訪ねて来たよ。鋭意進行中の研究に着いての事だったのだけれどね、いやあ相変わらず彼は情熱的な男だね。君とは似ても似つかないよ」

 それはそうです。私は一人っ子なのですから弟と似ているはずがありません。
 それに弟は私の事を大層嫌っているのです。私としてはこれ以上無い位に愛を注いだ積もりなのですが、家庭内で起こった事件を切っ掛けに弟は私を憎むようになってしまいました。
 それに輪を掛けて私が椿と仲の良いものですから、弟は私への憎しみを一層強くしているのです。

 そう、弟は椿に恋心を抱いているようなのです。私としては引き蘢りの親友を外に出す良い理由になると考えているので応援したい所なのですが、弟は頑として私の手を借りようとはしません。

「でもやはり、私は君くらい距離をとってくれる人間の方が良いな。私もコミュニケーションが得意な方ではないからね」

 それは私としては困ります。とにかく椿には私の方でなく弟の方に傾いてもらわなければならないのです。これ以上弟から憎しみの目で見られるのは嫌ですし、私には椿を外に連れ出すほどの甲斐性はないのですから。
 どうすれば椿と弟の距離を縮める事が出来るでしょうか。
 二人はどうやら研究を通じてコンタクトをとっているようです。
 そこを切り口にできはしないでしょうか。
 現在進行している研究とはどのようなものなのでしょう。

 私は尋ねてみます。
「今かい?今は不老不死の研究だよ。君の弟が在学している大学の研究所に協力を依頼されたのさ。なかなか興味深いよ」

 不老不死とはまた悪趣味な。死なないことなど碌な事ではありません。

 私は、どうしてそんな世界をねじ曲げるような研究をしているのかと聞きました。
「そりゃあ君、医術が死に抗う術なのだとしたら、その術の最終目標は不老不死だよ。ならばそれを確立する為の研究がされていたところで何の不思議もあるまい」

 なるほどそれは道理です。

 道理ではありますが、やはり死なない事が良い事だとは到底思えません。

 人間とは死んで然るべきです。あの下水管で出会った死体のように死んでから生き返るのが自然の摂理に沿っていると言えるでしょう。

「納得いかないと言った感じだね。気持ちは分かるよ。私も研究自体は面白いと思うが、不老不死になりたいかと言われたら首を縦には振れないね。しかし世の中には色々な人間がいるのだよ。ずっと生き続けていたいなんて考える輩も少なくはないんだ。寂しい事だね」

 椿は皮肉気に笑っています。
 世の中の変わり者に合わせてやるのも研究者の仕事の一つと言えましょう。
 椿も気苦労が絶えないようです。

 弟と椿の距離感の話に繋げてみるつもりでしたが、見事に失敗しました。
 これも私がムキになってしまったせいでしょう。
 反省しなければなりません。

 椿は情報集めの絡繰りに向き直り、操作を再開しました。
 そうして、椿がよしと言うと同時にブラウン管の横にある絡繰りが紙を吐き出します。

第四話( 4 / 4 )

 椿はその紙を私に渡すと、きっと見つけてくれ給えと寂し気に笑ってみせました。

 私は涙を流すと、死にたくないと思いました。
 彼女の寂しい笑顔で私は寂しい人間になってしまったようです。

 いえ、なってしまったのではありません。気付いてしまっただけです。
 人は生きているだけで、自分にある可能性を信じようとします。その可能性を価値だと勘違いしてしまうのです。
 私も勘違いをしていました。椿の寂しい笑顔は私にそれが勘違いだと気付かせてくれたのでした。

 私は無能で無価値な人間です。それは誰に言わせても異論のない事実です。
 ですから私には膨大な未練があるのです。未練があるから私は死にたくない。死にたくないのです。
 いえ、もしかしたら私は無価値故に死ねないかもしれません。


 しかし何にせよ塔子を見つければ、私は私に足りない全てを埋められるのです。そうすれば私は死にたくなります。そうすれば私は死ぬ事が出来ます。
 私は塔子を見つけなければなりません。
 私は私の為に、塔子を見つけなければなりません。



 私の涙は止まりません。
 全然止まらないのです。

第五話( 1 / 3 )

 私は研究所のビルの隣のスーパーマーケットの中におりました。

 いつの間にここまで戻って来たのでしょうか。
 涙は止まっています。

 釈然としない気持ちで椿に渡された紙を見ると、そこには何処かの住所が記されていました。
 紙の右端には『橋職人:桐崎十三(きりさきじゅうぞう)』と申し訳程度に記載されています。

 なるほど、この住所は桐崎十三なる人物の工房か何かの場所を示すものなのでしょう。
 橋職人ならば橋がなくなった事情に着いて知らないはずがありません。これは光明が見えてきました。

 私はスーパーマーケットで埃の味がするタバコを買うと外に出ます。

 外は雪が降っていました。
 これは急いだ方が良さそうです。雪には毒性がありますから吹雪くとまず助かりません。

 幸い橋職人の工房は瓦礫山の麓にあるようなので、全速力で走れば吹雪く前には到着出来るでしょう。

 私はタバコの煙で風の向きを確かめると、煙が飛ばされた方へと走りだしました。

 テナント募集中のほぼ廃墟と化したビルを通り過ぎ、大きなブラウン管に映る偶像を尻目に、豚の糞を出汁にしたスープを売りにしているラーメン屋台を吹き飛ばし、私は走ります。このまま吹雪いてはたまらないのです。
 私は死にたくないのですから。

 夢中で足を動かす私の後ろから息遣いのようなものが聞こえます。ぜえぜえと苦しそうに鳴るその音は一向に私の耳から離れようとしません。

 誰かが私を追いかけているのでしょうか。
 もしかしたら私は落とし物をしたのかもしれません。そしてそれを拾った後ろの何者かが、親切にも直接届ける為に追いかけてきているのかもしれません。

 そうでも無ければ他人を全速力で追いかける理由が他に思いつきません。

 悠長にしている暇など無いのですが、私は一旦足を止めました。
 振り返ると真っ白な髪をした少女が息を切らせて私に追いついて来ます。

 私は、何か御用でしょうかと尋ねます。
 少女は、もう少しゆっくり移動してくださいと言いました。
 ゆっくりと移動しろと頼むのが用であるとは意味が分かりません。

 また変な人間に捕まってしまったのでしょうか。
 白を基調とする人間にはまともな人間はいないと相場が決まっているのです。
 あの真っ白な死体もまともとは言えない性格でした。

 私は警戒しながら少女の様子を伺います。

「突然走り出すなんて聞いていませんわ。普段は運動なんざしねえクセにどういう風の吹き回しだよ。何をそんなに急いでいるのですか?生き急ぐ身分でもねえだろうに」

 やはりまともな人間では無かったようです。
 ころころ変わる口調は混乱を誘います。私の頭の上ではクエスチョンマークが竜巻を起こしていました。

「もうちょっとペースを落として下さいませんこと?距離を保ちながら着いて行くのって難しいんだよ」

 指摘したい点は多々ありますが、まず私が普段運動しない人間だという事をなぜ当然のように知っているのか、という点は非常に気になる所です。

 まるで私の日常を覗いているかのような発言ではありませんか。
 私はそのことを彼女に問いつめました。
「それは私があなたのストーカーだからです。あんたのことなら何でも知ってるぜ。性嗜好はもちろん、趣味や好みの服装まで承知しております。だからあんたが普段運動をしない人間だってことぐらいお見通しだよ」

 最悪です。いつの間にか私は監視されていたのです。
 ああ、なんと言うことでしょう。こんな不幸が許されるのでしょうか。
 いえ、私にだからこそ許される不幸かもしれません。見ず知らずの人間に全てを知られるという不幸など、私以外には起こり得ないでしょう。

 雪はどんどん強さを増していきます。このまま死んでしまいたい衝動に駆られます。
 しかしこのまま雪に埋もれては死ぬ直前に深く後悔する事になるでしょう。

 私は塔子を見つけなければならないのです。

 とは言えこのまま進むのは得策とは言えません。
 私は金魚すくいの屋台を見つけると、そのまま水槽に飛び込みました。
 水の中でならば雪を完全に防ぐが出来ます。

 金魚達は迷惑そうな顔をしました。私は一言謝罪を入れます。そして水槽の端まで移動しました。
 あめ玉のような酸素が上昇するのを見ていると、白い髪の少女が飛び込んでくるのが見えます。

 この少女は何処まで着いてくるつもりなのでしょうか。
 とにかく雪がやむまではここでやり過ごさなくてはなりません。

「すごい雪ですね。屋台があって本当に助かったぜ。それにしても何故あんなに急いでおられたのですか?」

 ストーカーでも知らない事があるようです。
 私は橋職人を訪ねる為に瓦礫山の麓に行かなければならない事を告げました。

うおぎみ たいよう
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