巡る話

第九話( 1 / 1 )

 私は自宅へと戻っていました。

 事務所のあるビルを後にして、瓦礫の町を歩き、下水管の汚水をかき分け、三丁目の路地を抜け、私の住んでいる町へ戻って、自宅に到着したのでした。

 その間誰に会う事もありませんでしたが、部屋に入るとそこには給仕をする百合子と、何故か邑がいました。

 百合子は椿が芋虫便で届けてくれる予定でしたから驚きもしなかったのですが、邑は何故ここに居るのでしょうか。
 というかどうやって私の住居を知り、どうやって入ったのでしょうか。
 私はそれを邑に訊きました。
「あなたが教えてくれたんじゃないの。鍵は開いてたから勝手に入らせてもらったわ」
 どうやら鍵を掛け忘れていたようです。不用心でした。これでは何も文句が言えません。
「恋人は見つかった?」

 恋人。恋人ではありません。愛すべき友人です。邑は勘違いをしているようです。
 私は邑の勘違いを正しました。そして塔子は見つからなかったこと、塔子はもうこの世界にはいないことを伝えました。
「そう。あなたが彼女を恋人だと認めないから彼女は消えてしまったのかもしれないわね。気付いてる?」
 どういうことでしょうか。私は何のことだか分からないと返します。
 邑はそう、と短く答えると悲しそうな顔をしてから眼鏡の奥の鋭い目をぎらつかせて私を見ました。
 またです。私は邑のこの目が苦手なのです。心の中をぐちゃぐちゃにかき回されるようなとても不安な気持ちになるのです。
「私が後三ヶ月で死ぬことは伝えたわよね。あなたには私を看取ってもらうわ。良いわね」

 何故私がそんなことをしなければならないのかと言う気持ちもありましたが。ほとんど自棄になっていた私は邑の申し出を受け入れました。

 どうせ私には沢山の時間があるのです。その時間の一部を邑の為に使っても罰は当たりませんし、塔子の言いつけ通りに周りの人間を大事にするのも良いでしょう。

 邑は儚気に笑うと、ありがとうと言いました。

 私は椅子に座り、百合子にコーヒーを二つ頼みます。

 百合子は畏まりましたと流暢に言うと台所へと移動しました。
 どうやら多少メンテナンスされているようです。歯車の削り合う音も聞こえてきません。
 これは椿に感謝すべきでしょう。

 会話をしているうちに何となく落ち着きました。

 ほどなくして百合子がコーヒーを持って現れました。
 とても美味しいコーヒーです。

 塔子のいない寂しさが紛れたわけではありませんが、静かに進んでいく時間が私には何だか心地よく感じたのでした。

最終話( 1 / 1 )

 邑はきっちり三ヶ月後に死にました。

 邑は最後にごめんなさいと私に謝罪をすると、そのまま何事もなかったかのように心臓の鼓動を止めました。

 私と百合子は近場にある墓所に邑の遺体を埋葬しました。

 きっと邑は三万年後には土から這い出し、下水管へ行くなり、湯治場へ行くなりしてその命を取り戻すことでしょう。


 私は今、家で何をするでもなくぼうっとしています。

 呆けていると色々な音が聞こえてきます。

 車のエンジンの音、隣人が弾くピアノの音、百合子の歯車が擦れ合う音、子供達の無邪気な声、風の音、幽霊の声、工事現場のドリル音、ストーカーが何やら絡繰りを設置している工作音。

 様々な音が聞こえます。
 百合子は私の顔を覗き込み、ご気分が優れないのですかと訊きました。
 私は大丈夫だよと返しました。

 それにしても百合子は随分と人間らしくなったものです。最早出会った当初の面影は何処にもありません。

 私は感慨無量の想いを飲み込み、再び世界の全てに耳を傾けます。
 すると耳に出来たタコが完治していることに気がつきました。

 どうりで聞こえが良いはずです。

 世界中に耳をすませていると、大きな音でインターフォンが鳴りました。
 これは何処で鳴っている音なのでしょう。

 もう一度鳴りました。
 暫くすると、次はノックの音が聞こえます。
 こちらも大きな音です。

「お客様がいらしたようです」
 突然百合子の声が聞こえました。私はほとんど飛び上がるようにして椅子から立ち上がりました。
 口から飛び出した心臓を飲み込むと、私は扉の前に立ちます。

 そしてノブに手を掛け、捻り、扉に体重を掛けました。

 扉が開くとそこには予想外の客が立っており、私は大層驚きましたが、こういうこともあると無理矢理自分を納得させ、おかえりと口にしたのでした。






——おわり
うおぎみ たいよう
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