巡る話

第三話( 1 / 2 )

 邑はここよと言って薄汚い路地を指差しました。
「この路地をまっすぐ進んで行けば下水管に入る事が出来るわ。途中にマンホールがあるけどそこには入らずに真っ直ぐ進んでね。マンホールに入ってしまうと三世紀は出られないから注意して」

 なるほど、これは注意しなくてはなりません。流石に三世紀もマンホールを降り続けるのは骨が折れます。
 邑が説明してくれなければ私は何の迷いもなくマンホールに入っていたでしょう。
 やはり彼女に出会ったのは幸運だったようです。

 私は邑にお礼を言うと路地へと足を踏み出しました。

 邑は最後に、見つかると良いわねと言いました。

 はて、彼女に塔子の事を話した覚えはありません。それとも何かを捜している人間は皆この路地を通り、下水管へ足を踏み入れるのでしょうか。
 恐らくそうなのでしょう。それならば私が何かを捜している事を知っていた所で何の不思議もありません。

 あの心の読める老紳士に聴いたという可能性もありますが、彼女は会計もせず、さっさと店から出て行ってしまったのですからそんな時間はなかったはずです。

 私はどんどん路地を進んで行きます。

 マンホールには目もくれず、両脇のコンクリートに手を当てながら進みます。

 だんだん辺りが暗くなってきました。

 気がつくと太陽の明かりは備え付けのランプの灯りに変わっています。

 どうやら下水管に出る事が出来たようです。

 さて、これからが勝負と言った所でしょう。
 この酷いドブ川の近くを進まなければならないのです。
 これが苦行でなくて何だというのでしょうか。

 下水管には人っ子一人いません。
 私の足音だけが響いています。

 おまけに出口らしきものはいくら歩いても一向に見えてこないのです。

 どうしたものでしょう。
 一人で歩いているとどうしても臭いに意識が行ってしまいます。

 目眩と頭痛に苛まれながら歩みを進めていると水面に何かが浮かんでいるのに気が付きました。


 私と平行しながら流されているそれは真っ白な死体でした。
「よう。ご機嫌かい?」
 死体は私に向かって挨拶をしているようです。

 やはり今日はついています。
 調度、聴覚情報が欲しかった所なのです。
 死体だろうとなんだろうとありがたいものはありがたい。

 私は、元気ですよと努めて陽気に返しました。

 すると死体は凄むかのような声で言うのです。
「俺はご機嫌かどうか聴いたんだよ。手前が元気かどうかなんてどうでも良いんだ。人の話をちゃんと聴けよこの愚図が」

 私は前言を撤回しなければならないかもしれません。
 このチンピラのような死体に絡まれてしまった事はとてもではありませんが幸運とは言い難いと思います。

 私は顔を引きつらせて、ご機嫌だよとぞんざいに答え直しました。
 すると死体はそうかそうかそりゃあ結構と笑って見せました。

「あんたここに居るってことは隣町まで行きたいのかい?」
 死体は尋ねます。

 私は肯定しました。

「あそこは遠いからなあ。近道しねえと三十年はかかっちまうぜ」

 三十年。それはまた半端ではない年月のように思えます。
 そんなに時間を掛けていては私の精神がもちません。

 しかし、このチンピラのような死体の言う事を簡単に信じていいものでしょうか。
 私の彼に対する第一印象は最悪です。
 もし騙されていたら。
 そんなことを考えると容易に死体の言う事を信じる気にはなれません。

 その旨を死体に伝えると彼は腐った歯茎を見せて笑いながら、死体は嘘を吐かないから大丈夫だよと言いました。

 なるほど、確かにその通りです。死体は嘘を吐きません。
 それはある意味この世の真理と言って良いでしょう。
 ならばこの死体の言う事は嘘偽りない真実という事になります。

 私は、その近道というのを教えてくれないかと死体に頼みました。

「いいぜ。でも一つ条件をつけさせてもらう。俺を生き返らせてくれ。それが無理なら生き返る方法を教えてくれ」

 死体は快く引き受けてくれました。
 条件と聞いてどんな無茶な注文をしてくるものかと構えてしまいましたが、あまりに容易なものだったので拍子抜けしてしまいました。

 生き返りたいのならばこの下水管で三年も流されていれば充分ですし、三年も待てないというのであれば隣町にある湯治場で三分もお湯に浸かっていればどんなに酷い傷も立ち所に癒えるしょう。

 私はそれを死体に告げました。
 死体は、なるほどなあと感心したように言い、私に近道を教えてくれました。

「じゃあ教えてやろう。お前、今からこのドブ川に飛び込め。ドブ川にもぐって横穴に入ったら、そのまま行き止まりまで進んで、そこから引き返せば隣町だ。だいたい三十秒もあれば着くと思うぜ」

 人生とは山もあれば谷もあるものだと実感します。

第三話( 2 / 2 )

 ドブ川に潜らなくてはならないというのはほとんど死刑宣告に近いものではないでしょうか。
 下水管というからにはこの川は汚物に塗れた川なのでしょう。そこに飛び込むと言う行為は自ら雑菌の仲間入りをするのと同じ事です。

 絶句している私を見て死体はコロコロと笑いながら言います。
「大丈夫だよ。心配は無用だ。ここの菌達は良心的だからな。ここで流されている俺が言うんだから間違いない。臭いだって三時間もすりゃ取れるだろ」

 死体は私の事を励ましますがどうも気が乗りません。
 しかしここで手をこまねいていてはあっという間に三十年が経ってしまいます。

 私は意を決して飛び込む事にしました。

 少し助走をつけます。
 脇道の縁から足を踏ん張り、思い切り飛び込みました。

 ドブの異臭が私の鼻を攻撃します。
 おまけにドブは私の口の中にまで入って来ているのです。
 悪意のある雑菌がこのドブ川に潜んでいたとしたら私は立ち所に病気にかかり、死んでしまうでしょう。
 ここの雑菌達の良心には感謝しなければなりません。

 私はドブ川に潜り、横穴を捜します。
 水が濁っていてどうも視界が開けませんが、見えないというほどではありません。

 ジッと左側の壁を観察していると、少し先の方に丸い暗がりがあるのが分かります。

 あそこだなと当たりをつけ近づくと、人が二人ほど入れそうな先の見えない闇がそこには広がっていました。

 穴に入るとやはりそこは闇で、上も下も右も左もわかりません。

 後ろで死体が、隣町で会おうぜと言うのが聞こえました。

 彼はどうやら隣町の湯治場へ行く事にしたようです。
 私は手を上げて挨拶を返します。

 そして暗闇の中を進み続けるのでした。

第四話( 1 / 4 )

 私は今、何故か隣町に居ます。
 ドブ川の横穴を進んでいたらいつの間にか隣町に着いていました。
 下水管から吐き出される形で町に入るのだと予想していたのですから正直驚きが隠せません。

 しかし驚いてばかりもいられません。
 私は塔子を捜す為に、次は探偵事務所を訪ねなければならないのです。

 探偵事務所の場所は心得ていますから迷う事は無いでしょう。

 私は歩みを進めます。
 散らばる瓦礫を踏みながら軽快に足を進めます。

 この町は建物も崩れかけのものが多く、さながらゴーストタウンのようなのですが、意外にも世界最先端の都市なのです。

 医療、商業、文化、何をとっても最先端なのです。
 もちろん地形変更もありません。
 並んでいる店を見てもやはりモダンなものが多く、私の住んでいる町とは大違いです。


 私は瓦礫を足で弄びながら自分の住んでいる町との違いを楽しんでいたのですが、大通りに出た所である事に気がつきました。

 私が今居る位置から大通りを真っ直ぐ進むと橋があり、それを渡ると探偵事務所に着くのですが、その橋がなくなっており、コンクリートで舗装された道路になっているのです。

 これは参りました。橋を渡らなければ事務所には辿り着けません。
 何故こうも問題にぶち当たるのでしょうか。

 仕様がありません。この町に住んでいる友人を訪ねる事としましょう。
 この町には私の友人が多く住んでおります。
 この町に住んでいるものならば事情にも明るいはずです。

 さて、では誰を訪ねたものでしょう。
 出来れば気の置けない友人を訪ねたい所です。
 私は少し考えると、特に仲のよい親友である式色椿(しきしきつばき)を訪ねることにしました。
 友人にすら人見知りをする私にとって、彼女は唯一恐縮せずに話をできる人間なのです。

 そうと決まれば彼女の勤める研究所を目指さなくてはなりません。
 確か大通りからならば三秒で着く所にあります。

 大通りを右に曲がるとデパートが見えます。
 そのデパートの隣の雑居ビルが研究所だったはずです。

 私は記憶の通り足を進めます。

 雑居ビルが無かったらどうしようと言う心配もありましたがどうやら杞憂だったようです。
 大都会にポツンと立っている小汚い雑居ビルは私の記憶通りそこにありました。

 自動ドアを潜るとだだっ広い、小綺麗なロビーが姿を現します。
 相変わらず外観にそぐわない造りだと私は呆れ半分感心半分でした。

 受付には誰もいません。
 それはそうです。椿は従業員を雇いません。
 ならば、受付が居ないのにも納得がいきます。

 私は階段を登ります。
 確か椿の研究室があるのは三階だったはずです。

 三階に到着するとそこには長い廊下が広がっていました。
 廊下の壁は真っ白で、見る者に健康的なイメージを与えます。
 所々にドアが埋め込まれていて如何にもオフィスといった感じなのですがドアは埋め込まれているだけで、開けても壁があるだけなのだそうです。

 私は研究室を目指して廊下を進みますが一向に椿の研究室が見つかりません。
 何度かこの研究所へは足を運んだ事があるのですが、どうやら私の記憶は変になっているようでした。

 同じ所をぐるぐると回っていると前から人が歩いてくるのが見えます。

 これは僥倖とばかりに声を掛けます。

 それは人ではありませんでした。
 女中の服を着た絡繰りです。

 心臓が飛び出そうなほど驚いた私に女中の絡繰りはコンニチハ、と挨拶をしました。
 大方椿の創作物なのでしょうが、これは流石に趣味が良いとは言えません。
 椿の研究で趣味の良い研究など見た事は無いですし、椿自身、研究というものは例外なく悪趣味なものだよと言っていましたが、女中の絡繰りというのは悪趣味が過ぎている気がします。

 私はこんにちはと冷や汗をかきながら返しました。

 意思疎通は可能なのでしょうか。
 恐らく可能でしょう。椿は研究に手を抜きません。
 人型の絡繰りを作るとなれば、当然コミュニケーション能力も備え付けるでしょう。
 ただ給仕をさせたいだけならば人型にする必要は無いのですから。


 私は椿の研究室の場所を尋ねてみました。

 すると女中の絡繰りは体から奇妙な音を出しながら、サービスノ利用ニハオ名前ノ登録ガヒツヨウデスと片言な口調で言いました。

 なんて面倒くさい機能なのでしょうか。
 しかし絡繰りに融通を求めるのも筋違いです。

 私は自分の名前を告げました。
 すると女中の絡繰りは再び体から奇妙な音を出し、自己紹介を始めます。
「オ名前ノ登録ヲ完了致シマシタ。私ハ式色式カラクリ給仕第三号。略称、百合子。ヨロシクオ願イ致シマス」

 絡繰りの声は聞き取り辛いものがありますが、彼女のことは百合子と呼べば良いのだという事は分かりました。

第四話( 2 / 4 )

 私は改めて百合子に研究室の場所を尋ねました。

 すると百合子は、コチラデスと私を促し歩き出します。
 歯車の回る音が百合子が絡繰りだと言う事を私に実感させます。

 それにしても、百合子の体は大分ガタが来ているのではないでしょうか。
 体から漏れている奇妙な音は油を注していないのが原因で鳴っているものなのでしょう。
 メンテナンスを怠っている事は素人目にも分かります。
 とするならば、百合子は仕事を与えられているのかという疑問が湧きます。
 百合子は廊下を彷徨っているだけで給仕をしているようには見えません。
 掃除用具も持っていない辺り、清掃業務も与えられていないと推測出来ます。

 少し気がかりです。私は百合子に君はここで何をしているのかと質問を投げかけました。

 百合子は答えます。
「私ハ彷徨ッテイマス」

 本当に彷徨っているだけとは。椿は何のつもりなのでしょう。
 質問に答えた百合子の顔に哀愁が漂って見えたのは私の感受性の高さ故でしょうか。

 ほどなくして百合子は一つの扉の前で止まります。

 扉の中央には『椿博士の研究室』とご丁寧にもプレートが挟まれています。

 私は扉を叩き、名乗りました。
 すると中から嬉々とした声で、ちょっと待ってくれ給えと聞こえました。

 私は言われた通り少し待ちます。
 その間百合子は虚ろな目で床を見つめていました。

 ドアが開け放たれると、椿が目をキラキラと光らせて私に飛びついてきます。
「いやあ。会いたかったよ。暫くじゃないか。ずいぶん長いことコチラの町には来ていなかったようだね」

 椿は私と百合子を研究室にあげ、真っ白な歯を見せて笑うと、どうしたのかね突然と言いました。

 私は塔子が居なくなったこと、遂に我慢がならなくなり捜しに来たこと、この町に来たはいいものの橋がなくなっていて困っていることを伝えました。

 椿はくるくると髪を弄んで聴いています。
 そして、なるほど君は橋を渡らなくてはいけないんだねと言いました。

 何故か一瞬寂しそうな顔をしましたが、すぐに穏やかな笑顔を取り戻し、私が直面している問題に着いて話を進めます。
「君が困っているのは分かったよ。しかし私はずっとここに詰めている身だ。外の事情には明るく無くてね……橋がなくなっているというのも今初めて知ったよ。とはいえ、人見知りをする君が勇気を出して来てくれたんだ、このまま帰してしまうのは忍びない。消えた橋に着いて、今から調べてやろうじゃないか」

 流石は式色椿です。
 彼女は調べ物も絡繰りでこなすのですが、その精度はどんな情報屋よりも正確なのです。これは来た甲斐がありました。

 椿はブラウン管に表示されたよくわからない文字列を眺めながら手元の操作板を操り、橋のことに着いて調べています。

 椿の操っている絡繰りにも多少の興味はありますが、私が先ほどから気になっているのは百合子のことでした。

 椿は一体この絡繰り女中に何をさせているのでしょうか。

 私が百合子をジッと眺めていると椿はソレが気になるのかいと私に質問しました。

 私は先ほどから頭の中を巡っている疑問を口にします。
 椿は調べ物が一段落着いたのか操作をやめ、こちらを向いて話し始めました。
「ソレはね、失敗作だよ。第一号と第二号で成功を収めたから味を占めてちょっと無理をさせてみたのだけれど、いやあ見事に失敗してしまった。しかし、第三号での失敗は第四号に活かされている。無駄ではなかったと言えるだろう。まあでもソレは四機の中でも一等頭が悪い。そろそろお払い箱だ。近場のリサイクルショップにでも売り払う事にするよ」

 椿はケロりと言ってのけましたが私は釈然としません。

 やはりこんなのは悪趣味極まる研究です。
 私がそれを口にすると椿は困ったように眉を下げました。
「私の研究を悪趣味だと言うのは君の口癖のようなものだからあまり気に留めていないのだけれど、なんだか今回は軽口とは違うね。何をそんなに怒っているんだい?」

 私は怒っているように見えるのでしょうか。
 そんなつもりは無かったのですが、言われてみれば確かに胸に閊えるものがあるような気もします。
「うーん……まあ何となく想像はできるよ。君はこの第三号に思う所があるのだろう。だってこの第三号は誰が見てもオンボロだし、境遇を聴けばそれは不憫なものだからね。感受性の強い君が彼女に感情移入した所で不思議はあるまい」

 椿は知った風なこと言います。
 しかし否定出来ないのも事実です。確かに百合子に対して同情の気持ちが無い訳ではありません。彼女の存在価値とは他の絡繰りの踏み台となることでしか見いだされない、この世で一番悲惨なものなのですから。
うおぎみ たいよう
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