巡る話

第六話( 1 / 1 )

 私は今橋職人である桐崎十三氏の工房の前におります。
 瓦礫山の麓には遊郭街があり、工房はそのど真ん中に構えているので遊女達の勧誘を振り切るのにはほとほと苦労しました。

 私は工房のドアを叩きます。中から、入りてえなら勝手に入れと言う声が聞こえました。
 言われた通りドアを開けて中に入ると、一人の中年男性が半田ごてを片手に溶接をしているのが目に入ります。
 彼が桐崎十三でしょうか。
「ん?若いの、なんか用かい?」
 私は一言挨拶し、探偵事務所へと続く橋がなくなっている事を十三氏に伝えました。
「ああ、あの橋はずいぶん前に透明になっちまったから、見えなかっただけだろ。たまにアンタみたいな余所モンが同じ事を聞きにここへ来るぜ」
 なんと言う事でしょうか。橋は確かにそこにあったのです唯私が見落としていただけなのです。
 我ながらあんまりな注意力だと反省せざるを得ません。
「そんな泣きそうな顔すんじゃねえよ。男だろうが」
 確かに心情的には泣きたいような気持ちもありますが、顔に出ていたのでしょうか。
 いえ、そんなはずはありません。私はいつも周りからは仏頂面の無愛想と言われるほど表情のない人間なのです。十三氏が隠し事を見破る事の出来る人間であるというだけの事でしょう。

「なんだよ辛気クセえな。オラ、俺の胸を貸してやるから、泣くなら顔を見せずに大胸筋の中で泣け」

 私は十三氏の申し出を丁重に断ると、透明な橋の安全性を問いました。
「安全も安全よ。あれは俺の師匠の師匠の師匠の師匠が造った橋だからな」
 この工房は随分と世代交代がなされているようです。
 そんな歴史のある工房の人間が作った橋ならば安心でしょう。


 私は歴史のある工房なのですね、と言いました。
「そうだなあ。しかし、橋職人ってのは三日で往生しちまう。だから普通の人間の感覚でいったらチャチなもんかもしれねえわな」
 それはまた短命です。たしか加楠は橋職人は眠らないと言っていました。眠らない代わりに寿命が短いという事なのでしょうか。
 しかし歴史があるという事に変わりはありません。彼らは全力で三日を生きているのです。
 私は歴代の橋職人と十三氏に敬意を払うと、工房を後にしました。

 工房から出るとまた遊女の勧誘の嵐がやってきます。こんな所で油を売っている時間はありません。塔子を捜さなくてはならないのですから。
 またあの瓦礫の町まで戻らなくてはいけないと考えると少し憂鬱ですが仕方ありません。自分の足を使う事に文句は言えないでしょう。

 私が怒濤の勧誘を振り切っていると、やたらと親し気な声が私を呼び止めました。
 男の声です。
「よお、三時間ぶりだな」
 私の目の前にチンピラのような男が立っています。
 はて、面識のある方なのでしょうか。
 男は三時間ぶりと言いました。と言う事はついさっき会った人物という事になります。私は三時間前、何処で何をしていたでしょうか。
 確か下水管の中を進んでいたような気がします。
 ということは彼はあの時の死体です。
 確かに良く見れば面影はあります。
 かなり血色が良くなり、腐っていた傷口はすっかり塞がっていたので気が付きませんでした。

 私は三時間ぶりと挨拶を返します。
「いやあ、御陰様で無事生き返れたよ。あんまり元気なもんだからこんな所にも遊びに来たりしてな」
 元死体は呵々と笑います。

 元気そうで何よりです。あの時の私の助言は役に立ったとみえます。
「あんたも無事に下水管を超えられたようで何よりだよ。どうだ?これからちょっくら遊びにいかねえか?」

 残念な事に遊んでいる暇はありません。私は元死体の誘いを断りました。元死体は残念そうな顔をします。
「そうか。じゃあ瓦礫の町へ戻るのか?それなら町への近道を教えてやるよ。あんたには本当に感謝してるからな」
 元死体は無邪気に笑っています。どうやら彼は義理堅い性格のようです。これは意外な一面と言えるでしょう。
「あの飴細工の店に入って、ダージリンティーを頼め。そしたら下駄箱の鍵を渡されるから、店の前にある下駄箱に鍵をさして、下駄箱の中に入れ、そうしたら、瓦礫の町の大通りにでるからよ」

 元死体は生き返っても道に詳しいようでした。私は礼を言うと飴細工の店に入りダージリンティーを頼みます。
 店員は畏まりましたと言い、一度店の奥へと引っ込むと、板状の鍵を持ってきてそれを私に手渡しました。

 私は外へ出ます。
 下駄箱を見つけるとそこへ鍵を差し込みました。

 下駄箱の中は真っ暗で少しも奥が見えません。
 やはり闇というのはどうしても怖いものです。しかし私も最早慣れたもので、暗闇くらい何するものぞとばかりに下駄箱の中へ飛び込みました。

 下駄箱の中は色々な人間の足の臭いがしました。

第七話( 1 / 2 )

 大通りへ戻って来た私は橋の方へと歩みを進めます。

 十三氏の言う事には、橋は透明になっているだけで確かにそこにあるとの事でした。

 橋の場所まで辿り着くと、私は注意深く透明の橋を見ます。
 やはり舗装された道路しか私の目には映りません。しかし透明というからには目には映らないものなのでしょう。

 決意して足を踏み出します。
 すると私の足は道路ではなく道路の少し上の何かを踏みつけました。
 おお、これこそ透明の橋なのでしょう。何か不思議な感動が私の中で巻き起こりました。

 そうして私は二歩三歩と歩みを進めます。一歩進むごとに私の体は道路から離れていきます。どうやらこの橋は湾曲しているようです。
 湾曲の頂は道路から三十メートルは離れているように見えます。私は体を震わせ、出来るだけ下を見ないようにして歩みを進めました。

 私は高所が苦手なのです。股間の縮むような感覚が嫌で嫌でたまらないのです。

 こんな橋はさっさと渡ってしまうに限ります。私は歩みを早めました。
 どうして走らないのかと言えば、後ろから着いて来ているであろう加楠に気を使ったからなのです。

 少なからずあのストーカーと私には縁があります。縁があるならばそれがストーカーであろうと強盗であろうと大切にしなくてはなりません。
 少しやり過ぎな感はありますが、自分の周りの人は大切にした方が良いと塔子が言うのですから仕方がありません。
 塔子は人との縁をとても大事にする人間で、困っている人間は仕事であろうとなかろうと進んで助けに行き、そして助けきるのでした。私はそれにとても感心していました。
 対人関係の苦手な私がそれを真似しようというのはあまりに滑稽ではありますが塔子はそんな滑稽な私を褒めてくれたのでした。
 そのとき私の中に久しく感じていなかった、名前も覚えていない感情が渦巻いた事は言うまでもありません。
 それ以来私は塔子の期待を裏切らない為にどんな無茶もこなして来たのです。
 ですから縁を大切にすることも無茶であろうとやらなければならないのです。


 そんな事を考えているといつしか私は橋を渡りきっていました。そこから東へと進み、市場を抜けると大きなビルが私の前に現れます。

 ここです。ここが塔子の務める探偵事務所です。確か事務所は三十階にあったと記憶しています。

 私は自動ドアを潜り、受付嬢に挨拶をするとエレベーターへと乗り込み、エレベーターボーイに行き先を伝えます。
 エレベーターボーイは恭しくお辞儀をすると畏まりましたと言い、三十階へのボタンを押しました。

 エレベーターの中は私とエレベーターボーイの二人だけです。
「久しぶりに来られましたね」
 エレベーターボーイは私に話しかけます。
 今は職務中ではないのでしょうか。
 しかしどうせこの空間には私たちだけですし、このエレベーターボーイにはいつもお世話になっています。それに彼はとても真面目な青年なのです。少しくらい世間話をしても咎めるものはいないでしょう。

 私は、ああ君も久しぶりだねと返しました。
「本当にお久しぶりです。最近はなかなか来られないのであなたの体と自分の財布を心配していましたよ」
 エレベーターボーイは担当する相手がエレベーターに乗らなければ仕事が出来ないのです。私は高所の苦手な質ですからほとんどエレベーターに乗ることがありません。故に彼のエレベーターボーイとしての待遇はとても悲惨なものなのです。仕事をしなければお金は貰えません。
 彼の生活が困窮している事は容易に想像出来ます。これからは高所恐怖症を克服し彼に仕事を与えてやらなくてはならないでしょう。

 私はすまないねと謝罪し、これからはエレベーターの利用を増やすように約束しました。
「ありがとうございます。高所恐怖症の方の為に横移動のエレベーターも用意されていますので、ご利用の際は受付の者にお申し付けください」
 ほう、最近はそう言ったサービスもあるようです。利用してみる価値はあるかもしれません。
 しかし高所恐怖症を克服出来ないとなるとそれはそれで不便な事もあります。自分を甘やかさない程度に利用する事にしましょう。

 とりあえず彼には利用してみるよと伝えました。
 彼はありがとうございますと言いました。

 彼が言うとほぼ同時にエレベーターがチンという金属音を奏でました。

 しかしエレベーターは止まる気配を見せません。
 今の音は何なのでしょう。
 私が首を傾げていると、エレベーターの壁からカレーが出てきました。カレーは出来立てです。
 エレベーターボーイは失礼しますと言うとおもむろにカレーを頬張り始めました。
 なるほどこれは彼の夕食のようです。
 エレベーターボーイは一日中エレベーターに詰めているので食事から排泄まで全てをエレベーターの中で行わなければなりません。

第七話( 2 / 2 )

 そういった事情がありますから、彼がカレーを食べている事を咎める気にはなりません。
 そもそも夕食の時間帯にエレベーターに乗ってしまった私が悪いのです。人に見られながら食事をするというのは何とも居心地の悪いものです。
 その居心地の悪さを私は彼に味あわせてしまっているのです。これでは腹が満たされるだけで楽しみを見いだす事など出来ないでしょう。
 彼は顔に出さない質なので涼しい顔で食べていますが、私は他人の心を想像するのが苦手なので彼が内心どう思っているかなど分かりません。気を使ってくれているかもしれませんし、本当に気にしていないだけなのかもしれません。
 因に私の対人関係の苦手な事はこの他人の心を想像出来ないという事に起因しています。

 私が内心オロオロしていると、ごちそうさまでしたと彼は言い、壁から出現した台の上に皿を置き、ハンカチで口を拭きます。
 台は壁の中へと戻っていきました。

「失礼しました。夕食の時間だったようです」
 彼は私に謝罪しますが、謝罪しなければならないのは私の方です。
 私は彼に謝罪を返しました。
 彼は恐縮したようで、お客様に頭を下げられては堪りませんと言いました。

 私は彼を困らせてしまったようです。この辺で謝罪大会は終わらせるべきでしょう。

 間の良い事に調度エレベーターは三十階に到着したようでした。
「三十階、オフィスフロアで御座います」
 彼は食事をしたばかりだというのにもう職務に戻っています。流石と言うべきでしょう。彼もプロなのです。

 私はエレベーターを下ります。

 後ろで彼が、またのご利用をお待ちしておりますと言うのが聞こえてきました。

 私は嘘は吐きますが約束は守る人間です。
 きっとまたエレベーターを利用します。


 約束したのですから。

第八話( 1 / 1 )

 どういう事なのでしょうか。

 私は今探偵事務所に居ます。塔子の職場である「榊・名探偵事務所」の所内です。
 扉は開いていましたが人っ子一人いません。塔子は椿と同じく従業員を雇わないので塔子がいなければこの事務所内は無人になるのですが、今に限れば無人であるというのは不自然です。何故ならここには塔子がいるはずなのですから。



 しかし何処にも居ないのです。
 訳が分かりません。
 私の中に焦りと悲しみが押し寄せてきます。
 鼻の奥がツンとします。今日はよく涙の出る日です。私は滅多に涙を流さない質ですので、一日に二回も泣くというのはかなり珍しい事であるでしょう。

 しかし泣いてばかりもいられません。
 落ち着く為に私はスーパーマーケットで買った埃味のタバコを吸います。吐いた煙はただ揺らめいていました。


 脳の血管が収縮するのを感じながら私はある事に気がつきました。
 それは塔子にあるのは放浪癖であって消失癖ではないということです。

 塔子は消えてしまったのです。それは私自らが証人であるので真実です。

 彼女はドアを開けて外に出て行ったわけではないのですからこれは放浪ではなく消失と言えるでしょう。

 何故こんな簡単な事に気付けなかったのでしょうか。
 いえ、簡単だからこそ気付けなかったのでしょう。
 簡単な事を簡単にこなす人こそこの世で一番生きるのが巧い人なんだよと言う塔子の言葉を思い出します。


 体から力が抜けていくのを感じます。
 塔子は消えてしまったのです。それならば捜す意味などありません。消えてしまった者は何処にもいないのですから。
 この旅は最初から無意味なものだったのです。くたびれ儲け以外の何ものでもなかったのです。

 塔子はこの世界にはいない。ならば私は死ねません。死にたくありません。
 私はこの瞬間から完全に寂しい人間になってしまいました。

 またも瞼は涙を流します。

 私は項垂れ、生きる希望を無くし、生きる絶望を手に入れたのでした。
うおぎみ たいよう
巡る話
0
  • 0円
  • ダウンロード

13 / 18