巡る話

第二話( 1 / 2 )

 私は三丁目まで辿りつくと、まず下水管に続いているらしい路地を捜す事にしました。

 捜すとはいえどうしたものでしょう。
 この辺は入り組んでいる上に三ヶ月に一回、地形変更がある地域です。
 前に来たのは半年以上前ですからもう二回は、多ければ三回は地形が変わっているという事になります。
 状況が分かりません。
 こういう時は聞き込みです。何か分からない事があったら他人に聴けば良いんだよ、と塔子には耳にタコができるほど言い聞かされました。
 耳に出来たタコは執念深く私の耳に残りましたが、生来耳が聞こえすぎる私にとっては調度良い耳栓になりました。

 今でもタコは私の耳に小さく残っており、そうして私は常人の聴力を手に入れたのでした。


 それはそうと、聞き込みをするならばまず人を捜さねばなりません。
 いえ、人でなくても良いでしょう。
 この三丁目に詳しく、意思疎通の出来る者であれば誰でも良いのです。

 私は田舎者のように辺りを見回します。

 すると向かいの通りに喫茶店のあるのに気がつきました。

 道路を横断し、喫茶店の中に入ると如何にも紳士といった服装の老人がいらっしゃいませと頭を下げました。

 いい雰囲気の店です。灯りのない店内は一見して営業していないかのように見えましたが、客層のせいか不思議と活気に満ちているのです。

 時間があればここで時間を過ごすのも良いかもしれません。
 しかし私は下水管の場所を聴きに来たのです。
 ここでの時間を楽しむ為にはまず塔子を見つけ出さなければなりません。

 私は早速、下水管を捜しているという旨を老紳士に告げました。
 しかし老紳士は申し訳ございません、私は存じ上げません、と本当に申し訳なさそうに頭を下げてしまいす。

 私は肩を落として、ありがとうと言い、退店しようとしました。

 すると後ろから声を掛けてくるものがあります。
「ちょっと良いかしら?あなた、下水管を捜しているのよね?」
 入り口の近くの席に座っていた女性はレンズの入っていないハーフフレームの眼鏡をキラリと光らせてこちらを見ています。

 盗み聞き、という事ではないのでしょう。
 声を張ったつもりはありませんが距離が近ければ聞こえていても不思議ではありません。

 知っているのかと私が聴くと眼鏡の女性は知っているわと答えました。

 これは運が良いといえるでしょう。
 失敗の後には必ず成功があるものだよと塔子が言っていたのを思い出します。そもそも塔子が失敗している姿など終ぞ見た事がないのですが。

 ともあれ私は、眼鏡の女性に詰め寄ります。
 すると彼女は手招きをして私を向かいの席に座るように促しました。

 ゆっくりお茶を飲んでいる暇はないのですが、今の私には彼女しかアテがありません。
 機嫌を損ねて機会を棒に振るのもつまらないと思い、大人しく席に着きます。



 さて、席に着いたは良いのですが、どう切り出したものか分かりません。
 私は人見知りをするのです。

 私が倦ねていると彼女の方から切り出しました。
「私は長岡邑(ながおかゆう)。あなたは?」
 やたらと流暢な自己紹介です。こう言った状況に慣れているのでしょうか。

 私が名前を名乗ると彼女は氷のような顔を溶かして笑いました。

 邑は顔を元に戻すと話を進めます。

「下水管に行きたいのだったわね。私は下水管のある場所を知っているわ。けれど、場所を教えてそれでさようならと言うのは何だか味気ないと思うの。だから少しお話しましょう」

 私は嫌な顔をしました。
 話をする事については吝かではないのですが、何だか彼女の目がぎらりと光った様な気がして居心地が悪かったのです。
 私は提案を飲みました。
 いえ、飲まされたと言った方が良いでしょうか。彼女の目は私に有無を言わせませんでした。



 私は彼女ととりとめのない会話をしました。
 趣味は何だとか、好きな小説は何だとか、そんな世間話でした。
 柔らかい表情で話していた邑でしたが、再び目を光らせるとあなたご兄弟はいらっしゃるの、と私に尋ねました。

 多分いない、と私は答えました。
 私は一人っ子であったはずです。

 二人の姉と一人の弟が居たような気もしますが、しかしそれが何だというのでしょう。
 確かに私は一人っ子なのです。

 多分とはどういう事なの、と邑は私から目を離さずに問いかけます。

 私は姉弟が居るかもしれない事を説明しました。

「ふうん。ご姉弟はどんな方なの?」

 私の姉弟は優秀なのです。
 二人の姉は国の運営する大学を卒業し、国を左右する重要な研究に携わっていますし、一人の弟もまた、国の運営する大学に在学しており、医者を目指しているのです。

 それを邑に伝えると今度は、じゃああなたはと問われました。
 ゾッとしました。

第二話( 2 / 2 )

 しかし私は誘われるように自分の劣等ぶりを話して聴かせました。

 だからあなたは一人っ子なのねと邑は納得しています。
 そして続けてこんな事を言うのです。
「私はね、あと三ヶ月で死ぬわ。でも、あなたの話を聴いたら私の人生も多少はマシなものなのかもしれないと思ったわ」

 意味が分かりません。
 何がマシだと言うのでしょうか。
 死ぬより最悪な事などこの世には存在しません。
 それは当たり前に誰にでも訪れるものですが、当たり前に誰でも畏れるものなのです。
 万人が畏れるのですから最悪以外の何物でもないのです。

 店内はコーヒーの湯気に包まれていて、非常に湿気が高くなっていました。

 しかし、今私がかいている嫌な汗は湿気の気持ち悪さに起因するものではないのでしょう。

 しばらく沈黙が続きました。

 彼女は私から目を離し、すっと立ち上がると、案内するわと言って店を出て行きます。

 私は慌てて立ち上がり、会計を済ませると彼女の後を追います。

 背中の方で老紳士がありがとうございましたと言うのが聞こえました。
 心の中でどういたしましてと返すと、またのご来店をお待ちしておりますと返ってきました。

 なるほど、どうやら老紳士は人の心を読む事ができるようです。

第三話( 1 / 2 )

 邑はここよと言って薄汚い路地を指差しました。
「この路地をまっすぐ進んで行けば下水管に入る事が出来るわ。途中にマンホールがあるけどそこには入らずに真っ直ぐ進んでね。マンホールに入ってしまうと三世紀は出られないから注意して」

 なるほど、これは注意しなくてはなりません。流石に三世紀もマンホールを降り続けるのは骨が折れます。
 邑が説明してくれなければ私は何の迷いもなくマンホールに入っていたでしょう。
 やはり彼女に出会ったのは幸運だったようです。

 私は邑にお礼を言うと路地へと足を踏み出しました。

 邑は最後に、見つかると良いわねと言いました。

 はて、彼女に塔子の事を話した覚えはありません。それとも何かを捜している人間は皆この路地を通り、下水管へ足を踏み入れるのでしょうか。
 恐らくそうなのでしょう。それならば私が何かを捜している事を知っていた所で何の不思議もありません。

 あの心の読める老紳士に聴いたという可能性もありますが、彼女は会計もせず、さっさと店から出て行ってしまったのですからそんな時間はなかったはずです。

 私はどんどん路地を進んで行きます。

 マンホールには目もくれず、両脇のコンクリートに手を当てながら進みます。

 だんだん辺りが暗くなってきました。

 気がつくと太陽の明かりは備え付けのランプの灯りに変わっています。

 どうやら下水管に出る事が出来たようです。

 さて、これからが勝負と言った所でしょう。
 この酷いドブ川の近くを進まなければならないのです。
 これが苦行でなくて何だというのでしょうか。

 下水管には人っ子一人いません。
 私の足音だけが響いています。

 おまけに出口らしきものはいくら歩いても一向に見えてこないのです。

 どうしたものでしょう。
 一人で歩いているとどうしても臭いに意識が行ってしまいます。

 目眩と頭痛に苛まれながら歩みを進めていると水面に何かが浮かんでいるのに気が付きました。


 私と平行しながら流されているそれは真っ白な死体でした。
「よう。ご機嫌かい?」
 死体は私に向かって挨拶をしているようです。

 やはり今日はついています。
 調度、聴覚情報が欲しかった所なのです。
 死体だろうとなんだろうとありがたいものはありがたい。

 私は、元気ですよと努めて陽気に返しました。

 すると死体は凄むかのような声で言うのです。
「俺はご機嫌かどうか聴いたんだよ。手前が元気かどうかなんてどうでも良いんだ。人の話をちゃんと聴けよこの愚図が」

 私は前言を撤回しなければならないかもしれません。
 このチンピラのような死体に絡まれてしまった事はとてもではありませんが幸運とは言い難いと思います。

 私は顔を引きつらせて、ご機嫌だよとぞんざいに答え直しました。
 すると死体はそうかそうかそりゃあ結構と笑って見せました。

「あんたここに居るってことは隣町まで行きたいのかい?」
 死体は尋ねます。

 私は肯定しました。

「あそこは遠いからなあ。近道しねえと三十年はかかっちまうぜ」

 三十年。それはまた半端ではない年月のように思えます。
 そんなに時間を掛けていては私の精神がもちません。

 しかし、このチンピラのような死体の言う事を簡単に信じていいものでしょうか。
 私の彼に対する第一印象は最悪です。
 もし騙されていたら。
 そんなことを考えると容易に死体の言う事を信じる気にはなれません。

 その旨を死体に伝えると彼は腐った歯茎を見せて笑いながら、死体は嘘を吐かないから大丈夫だよと言いました。

 なるほど、確かにその通りです。死体は嘘を吐きません。
 それはある意味この世の真理と言って良いでしょう。
 ならばこの死体の言う事は嘘偽りない真実という事になります。

 私は、その近道というのを教えてくれないかと死体に頼みました。

「いいぜ。でも一つ条件をつけさせてもらう。俺を生き返らせてくれ。それが無理なら生き返る方法を教えてくれ」

 死体は快く引き受けてくれました。
 条件と聞いてどんな無茶な注文をしてくるものかと構えてしまいましたが、あまりに容易なものだったので拍子抜けしてしまいました。

 生き返りたいのならばこの下水管で三年も流されていれば充分ですし、三年も待てないというのであれば隣町にある湯治場で三分もお湯に浸かっていればどんなに酷い傷も立ち所に癒えるしょう。

 私はそれを死体に告げました。
 死体は、なるほどなあと感心したように言い、私に近道を教えてくれました。

「じゃあ教えてやろう。お前、今からこのドブ川に飛び込め。ドブ川にもぐって横穴に入ったら、そのまま行き止まりまで進んで、そこから引き返せば隣町だ。だいたい三十秒もあれば着くと思うぜ」

 人生とは山もあれば谷もあるものだと実感します。

第三話( 2 / 2 )

 ドブ川に潜らなくてはならないというのはほとんど死刑宣告に近いものではないでしょうか。
 下水管というからにはこの川は汚物に塗れた川なのでしょう。そこに飛び込むと言う行為は自ら雑菌の仲間入りをするのと同じ事です。

 絶句している私を見て死体はコロコロと笑いながら言います。
「大丈夫だよ。心配は無用だ。ここの菌達は良心的だからな。ここで流されている俺が言うんだから間違いない。臭いだって三時間もすりゃ取れるだろ」

 死体は私の事を励ましますがどうも気が乗りません。
 しかしここで手をこまねいていてはあっという間に三十年が経ってしまいます。

 私は意を決して飛び込む事にしました。

 少し助走をつけます。
 脇道の縁から足を踏ん張り、思い切り飛び込みました。

 ドブの異臭が私の鼻を攻撃します。
 おまけにドブは私の口の中にまで入って来ているのです。
 悪意のある雑菌がこのドブ川に潜んでいたとしたら私は立ち所に病気にかかり、死んでしまうでしょう。
 ここの雑菌達の良心には感謝しなければなりません。

 私はドブ川に潜り、横穴を捜します。
 水が濁っていてどうも視界が開けませんが、見えないというほどではありません。

 ジッと左側の壁を観察していると、少し先の方に丸い暗がりがあるのが分かります。

 あそこだなと当たりをつけ近づくと、人が二人ほど入れそうな先の見えない闇がそこには広がっていました。

 穴に入るとやはりそこは闇で、上も下も右も左もわかりません。

 後ろで死体が、隣町で会おうぜと言うのが聞こえました。

 彼はどうやら隣町の湯治場へ行く事にしたようです。
 私は手を上げて挨拶を返します。

 そして暗闇の中を進み続けるのでした。
うおぎみ たいよう
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