巡る話

第五話( 2 / 3 )

「なるほどな、けど急ぐ理由にはなってないぜ。橋職人は眠りません。いつ行っても不都合な時間なんて無いはずだ」

 ほう、どうやら橋職人という人種は睡眠を必要としないようです。
 有益な情報が手に入りました。
 しかし知らなかったとは言え、確かに私が急いでいた理由は橋職人に早く会いたいが為ではありません。
 私は雪の毒性について説明します。
 すると少女は青い顔をして身震いをしました。
「そうだったのですか。確かに雪には毒がある。その毒に免疫のない人間もいるという事は聞いたことがありますが、あなたがそうだったとは知りませんでした。ストーカー失格だなこりゃ。あなたが死んだなら私も死ななくてはなりません。なるほどそう考えりゃあ俺も雪の毒で死ぬ可能性のある人間だってことだな。恐ろしい事です」
 このストーカーはどうやら死後の世界まで着いてくるつもりのようです。

 不幸を嘆いて於きながらこんな事を言うのはなんですが、そこまで着いてくるつもりなら中途半端ではなく、もっとしっかりストーキングをするべきだと思います。
 自分の志す事に対しては真剣に取り組まなくてはなりません。
 私のような人間がこれを口にする資格は無いので言葉にはしませんが、彼女はもう少ししっかりとするべきです。

「でもどうするよ。金魚の住む水槽は水が燃えてしまいます。まあこの水槽は新しいから暫くは保つだろうが、長居は出来ないぜ。水が燃える前に次の避難場所を決めておいた方が良いでしょう」

 確かに彼女の言う事には一理あります。いえ、二理も三理もあるでしょう。
 燃えた水に触れると水火傷を負います。水火傷は治りが遅いのでとても厄介なのです。
 しかし彼女は一つ見落としています。
 雪で水かさが増せば水が燃える事はありません。かさが増せば増すほど水は新しくなるのですから。
 私は彼女にその事を伝えました。
「ああそうか。確かにそうですね。盲点だったな」
 彼女は納得したようでした。
 私たちは大人しくここで雪が止むのを待てば良いのです。
 しかしどうしたものでしょう。待つと言っても私は彼女の事をほとんど知りません。私は人見知りなのです。とてもではありませんが自分から話題を振る事などできません。
 私は頭を捻ります。頭の中で皺だらけの物体が不気味な音をたてているのが聞こえます。

 そうです。自己紹介です。知らない人間にあったからには自己紹介をしなければなりません。邑に会った時も自己紹介をしましたし、百合子に会ったときもそうでした。
 とは言え彼女は私の事を知っています。知らなくて良い事まで知っています。
 ならば私が彼女の一切合切を知るべきでしょう。
 早速私は彼女に名前を聞きました。
「私ですか?俺は塗壁加楠(ぬりかべかなん)ってんだ。改めてよろしくお願いいたします」
 塗壁加楠と名乗った白髪の少女は可憐に笑います。
「ようやくお前に自分の事を伝えられたぜ。ストーカーは自分から名乗る事を禁じられていますから、私、今とても嬉しいです」

 ストーカーも色々な制約の中で生きているようです。決して楽な商売ではないという事がわかりました。
 私は何故そんな職業を選んだのか加楠に質問しました。
「そうだなあ…ストーカーというのは相手に与える為の愛も持っていなければ、相手の愛を受け止める器もありません。けど相手を想う気持ちだけはあるんだ。とても曖昧なのです。つまり俺はそう言う人間だから、なるべくしてストーカーになったわけだよ。これ以外に道などなかったのです」
 どうやら加楠は難儀な性質を持った人間のようです。彼女の話を聴けば、ストーカーというのは職業というよりは生き様のようなものなのだという事が良く分かります。ここは彼女に敬意を払うべきでしょう。

 まだ雪は止みません。私は足りない頭を振り絞って次の質問を考えます。
 いちいち会話をするのに頭を使わなくてはならないなんて、自分の対人能力のなさを呪うばかりです。
 三秒ほど悩むと私はようやく質問を思いつきました。
 それは加楠が何故分けの分からない口調で喋っているのかという事です。そんな口調では相手どころか自分も混乱してしまうのではないでしょうか。

「それは私が両性具有だからです。どっちか一つの性に決めて生きるなんて勿体なくて出来ねえよ」

 加楠には驚かされっぱなしです。私は事実というものがいかに人間を疲弊させ消耗させるのかを今この身に実感しています。


「あなたはどうして橋職人に会いたいのですか?」
 加楠は突然私に質問を投げかけました。
 私は塔子を捜している事を白状しました。
「ああ、いつもお前の隣にいた女の子な。居なくなってしまったのですね。そりゃあお気の毒だ。協力したい所なのですが、私に出来る事と言えば三歩下がってあなたを見守る事くらいです。すまねえな」

第五話( 3 / 3 )

 加楠は嫉妬している風でもなく私に謝罪しました。彼女くらい志の高いストーカーともなると嫉妬という感情の無意味さを痛いほどよく知っているのでしょう。

 しかしそんなことよりも、私は一人の少女に頭を下げさせてしまった自分を恥じます。この事実は私の人生の汚点として一生残り続けるでしょう
 言い訳などたつはずがありません。
 反省しなければ。

 私が鬱々とした気分で反省していると、突然金魚達の挙動が激しくなりました。
 どうやら雪がやんだようです。
 そろそろ行かなくては水が燃えてしまい、私たちは大水火傷を負う事となるでしょう。

 私は加楠に背を向けると、行こうと声を掛け、水槽から抜け出したのでした。

第六話( 1 / 1 )

 私は今橋職人である桐崎十三氏の工房の前におります。
 瓦礫山の麓には遊郭街があり、工房はそのど真ん中に構えているので遊女達の勧誘を振り切るのにはほとほと苦労しました。

 私は工房のドアを叩きます。中から、入りてえなら勝手に入れと言う声が聞こえました。
 言われた通りドアを開けて中に入ると、一人の中年男性が半田ごてを片手に溶接をしているのが目に入ります。
 彼が桐崎十三でしょうか。
「ん?若いの、なんか用かい?」
 私は一言挨拶し、探偵事務所へと続く橋がなくなっている事を十三氏に伝えました。
「ああ、あの橋はずいぶん前に透明になっちまったから、見えなかっただけだろ。たまにアンタみたいな余所モンが同じ事を聞きにここへ来るぜ」
 なんと言う事でしょうか。橋は確かにそこにあったのです唯私が見落としていただけなのです。
 我ながらあんまりな注意力だと反省せざるを得ません。
「そんな泣きそうな顔すんじゃねえよ。男だろうが」
 確かに心情的には泣きたいような気持ちもありますが、顔に出ていたのでしょうか。
 いえ、そんなはずはありません。私はいつも周りからは仏頂面の無愛想と言われるほど表情のない人間なのです。十三氏が隠し事を見破る事の出来る人間であるというだけの事でしょう。

「なんだよ辛気クセえな。オラ、俺の胸を貸してやるから、泣くなら顔を見せずに大胸筋の中で泣け」

 私は十三氏の申し出を丁重に断ると、透明な橋の安全性を問いました。
「安全も安全よ。あれは俺の師匠の師匠の師匠の師匠が造った橋だからな」
 この工房は随分と世代交代がなされているようです。
 そんな歴史のある工房の人間が作った橋ならば安心でしょう。


 私は歴史のある工房なのですね、と言いました。
「そうだなあ。しかし、橋職人ってのは三日で往生しちまう。だから普通の人間の感覚でいったらチャチなもんかもしれねえわな」
 それはまた短命です。たしか加楠は橋職人は眠らないと言っていました。眠らない代わりに寿命が短いという事なのでしょうか。
 しかし歴史があるという事に変わりはありません。彼らは全力で三日を生きているのです。
 私は歴代の橋職人と十三氏に敬意を払うと、工房を後にしました。

 工房から出るとまた遊女の勧誘の嵐がやってきます。こんな所で油を売っている時間はありません。塔子を捜さなくてはならないのですから。
 またあの瓦礫の町まで戻らなくてはいけないと考えると少し憂鬱ですが仕方ありません。自分の足を使う事に文句は言えないでしょう。

 私が怒濤の勧誘を振り切っていると、やたらと親し気な声が私を呼び止めました。
 男の声です。
「よお、三時間ぶりだな」
 私の目の前にチンピラのような男が立っています。
 はて、面識のある方なのでしょうか。
 男は三時間ぶりと言いました。と言う事はついさっき会った人物という事になります。私は三時間前、何処で何をしていたでしょうか。
 確か下水管の中を進んでいたような気がします。
 ということは彼はあの時の死体です。
 確かに良く見れば面影はあります。
 かなり血色が良くなり、腐っていた傷口はすっかり塞がっていたので気が付きませんでした。

 私は三時間ぶりと挨拶を返します。
「いやあ、御陰様で無事生き返れたよ。あんまり元気なもんだからこんな所にも遊びに来たりしてな」
 元死体は呵々と笑います。

 元気そうで何よりです。あの時の私の助言は役に立ったとみえます。
「あんたも無事に下水管を超えられたようで何よりだよ。どうだ?これからちょっくら遊びにいかねえか?」

 残念な事に遊んでいる暇はありません。私は元死体の誘いを断りました。元死体は残念そうな顔をします。
「そうか。じゃあ瓦礫の町へ戻るのか?それなら町への近道を教えてやるよ。あんたには本当に感謝してるからな」
 元死体は無邪気に笑っています。どうやら彼は義理堅い性格のようです。これは意外な一面と言えるでしょう。
「あの飴細工の店に入って、ダージリンティーを頼め。そしたら下駄箱の鍵を渡されるから、店の前にある下駄箱に鍵をさして、下駄箱の中に入れ、そうしたら、瓦礫の町の大通りにでるからよ」

 元死体は生き返っても道に詳しいようでした。私は礼を言うと飴細工の店に入りダージリンティーを頼みます。
 店員は畏まりましたと言い、一度店の奥へと引っ込むと、板状の鍵を持ってきてそれを私に手渡しました。

 私は外へ出ます。
 下駄箱を見つけるとそこへ鍵を差し込みました。

 下駄箱の中は真っ暗で少しも奥が見えません。
 やはり闇というのはどうしても怖いものです。しかし私も最早慣れたもので、暗闇くらい何するものぞとばかりに下駄箱の中へ飛び込みました。

 下駄箱の中は色々な人間の足の臭いがしました。

第七話( 1 / 2 )

 大通りへ戻って来た私は橋の方へと歩みを進めます。

 十三氏の言う事には、橋は透明になっているだけで確かにそこにあるとの事でした。

 橋の場所まで辿り着くと、私は注意深く透明の橋を見ます。
 やはり舗装された道路しか私の目には映りません。しかし透明というからには目には映らないものなのでしょう。

 決意して足を踏み出します。
 すると私の足は道路ではなく道路の少し上の何かを踏みつけました。
 おお、これこそ透明の橋なのでしょう。何か不思議な感動が私の中で巻き起こりました。

 そうして私は二歩三歩と歩みを進めます。一歩進むごとに私の体は道路から離れていきます。どうやらこの橋は湾曲しているようです。
 湾曲の頂は道路から三十メートルは離れているように見えます。私は体を震わせ、出来るだけ下を見ないようにして歩みを進めました。

 私は高所が苦手なのです。股間の縮むような感覚が嫌で嫌でたまらないのです。

 こんな橋はさっさと渡ってしまうに限ります。私は歩みを早めました。
 どうして走らないのかと言えば、後ろから着いて来ているであろう加楠に気を使ったからなのです。

 少なからずあのストーカーと私には縁があります。縁があるならばそれがストーカーであろうと強盗であろうと大切にしなくてはなりません。
 少しやり過ぎな感はありますが、自分の周りの人は大切にした方が良いと塔子が言うのですから仕方がありません。
 塔子は人との縁をとても大事にする人間で、困っている人間は仕事であろうとなかろうと進んで助けに行き、そして助けきるのでした。私はそれにとても感心していました。
 対人関係の苦手な私がそれを真似しようというのはあまりに滑稽ではありますが塔子はそんな滑稽な私を褒めてくれたのでした。
 そのとき私の中に久しく感じていなかった、名前も覚えていない感情が渦巻いた事は言うまでもありません。
 それ以来私は塔子の期待を裏切らない為にどんな無茶もこなして来たのです。
 ですから縁を大切にすることも無茶であろうとやらなければならないのです。


 そんな事を考えているといつしか私は橋を渡りきっていました。そこから東へと進み、市場を抜けると大きなビルが私の前に現れます。

 ここです。ここが塔子の務める探偵事務所です。確か事務所は三十階にあったと記憶しています。

 私は自動ドアを潜り、受付嬢に挨拶をするとエレベーターへと乗り込み、エレベーターボーイに行き先を伝えます。
 エレベーターボーイは恭しくお辞儀をすると畏まりましたと言い、三十階へのボタンを押しました。

 エレベーターの中は私とエレベーターボーイの二人だけです。
「久しぶりに来られましたね」
 エレベーターボーイは私に話しかけます。
 今は職務中ではないのでしょうか。
 しかしどうせこの空間には私たちだけですし、このエレベーターボーイにはいつもお世話になっています。それに彼はとても真面目な青年なのです。少しくらい世間話をしても咎めるものはいないでしょう。

 私は、ああ君も久しぶりだねと返しました。
「本当にお久しぶりです。最近はなかなか来られないのであなたの体と自分の財布を心配していましたよ」
 エレベーターボーイは担当する相手がエレベーターに乗らなければ仕事が出来ないのです。私は高所の苦手な質ですからほとんどエレベーターに乗ることがありません。故に彼のエレベーターボーイとしての待遇はとても悲惨なものなのです。仕事をしなければお金は貰えません。
 彼の生活が困窮している事は容易に想像出来ます。これからは高所恐怖症を克服し彼に仕事を与えてやらなくてはならないでしょう。

 私はすまないねと謝罪し、これからはエレベーターの利用を増やすように約束しました。
「ありがとうございます。高所恐怖症の方の為に横移動のエレベーターも用意されていますので、ご利用の際は受付の者にお申し付けください」
 ほう、最近はそう言ったサービスもあるようです。利用してみる価値はあるかもしれません。
 しかし高所恐怖症を克服出来ないとなるとそれはそれで不便な事もあります。自分を甘やかさない程度に利用する事にしましょう。

 とりあえず彼には利用してみるよと伝えました。
 彼はありがとうございますと言いました。

 彼が言うとほぼ同時にエレベーターがチンという金属音を奏でました。

 しかしエレベーターは止まる気配を見せません。
 今の音は何なのでしょう。
 私が首を傾げていると、エレベーターの壁からカレーが出てきました。カレーは出来立てです。
 エレベーターボーイは失礼しますと言うとおもむろにカレーを頬張り始めました。
 なるほどこれは彼の夕食のようです。
 エレベーターボーイは一日中エレベーターに詰めているので食事から排泄まで全てをエレベーターの中で行わなければなりません。
うおぎみ たいよう
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