ミラノ 里帰り

第一章:ミラノ( 4 / 9 )

4.ミラノの屋上ガーデン 10年後は

 

 

 実は、ミラノに来たら最初に、とにかくやりたいことがあった。

 

 それは、ホテル・アンバシャトーリの西の部屋からよく見える、ホテルとドゥオモとの間に見える屋上ガーデンの様子を知ることだった。

 

 10年前、このホテルに泊まった時、毎日興味を持ってみていたのが、この屋上ガー

デン。

 

4.1緑のガーデン.JPG

 

 場所的に言えば、まさにミラノの街のど真ん中。Galleria di Corsoという、あの有名なヴィットリオ・エマニュエルのガレリアと同じ構造を持つガレリア(鉄骨の円形の柱が支えるガラス窓に覆われた通り)の天井を眼下に見下ろせる8階建ての建物の屋上に、そのガーデンはあった。

 

 その背景には、毎夕、夕日に照らされた乳白色のドゥオモ尖塔が見える。全く羨ましい環境の屋上ガーデンだった。その屋上には、緑のぶどうの蔓のアーチも作られていて、花々も色鮮やかに姿を見せていた。ベンチやテーブルもあって、人のゆたかな生活が印象深かった。

 

 その庭の手入れをしていたのは、一人住まいと思われるおばあちゃん。朝夕にガーデンを手入れして、水をやり、いらない葉っぱを剪定して屋上ガーデンを守っていた。

きっとそこからは、リナシェンテを超えて、アルプスが望める素晴らしい庭だったのだ。

 

 この屋上ガーデンはどうなっているのだろうと、僕はなんとかそこの様子を知りたいと、ホテルの7階のフロアーを、ウロウロ。工事中で、立ち入り禁止になっているホテルの屋上にも足を運んでみた。しかし、前回と同じ角度では、その屋上ガーデンをとらえることはできなかった。

 

 なんとか、少し角度が違うけれど、その屋上ガーデンを見ることができた。

 

 しかし、結果は無残。

 

4.2さびれたガーデン.jpg

  緑豊かに、生命を感じさせてくれていた屋上ガーデンは、すでにさびれ、昔のぶどうのトンネルのアーチも茶色く錆び息づく生活の匂いはもうなかった。

 

 確かに10年前でも、ちょっとお年寄りだった庭守りの女性だったから、もしかしたらもうこの世界に存在していないのかもしれない。

 

 子供や、孫たちが集うにふさわしい、ゆたかな庭を作り上げていた人の夢は途絶えていた。美しかった庭は赤さびた廃墟。

 

 時間がたったのを実感させる光景だ。

 

 考えてみれば、僕の方だって、この10年間に病気も含めて、いろいろなことがあり、それとともに年を取り、ミラノにいる今の僕がある。

 

 時間は、誰にも平等に流れているようだ。

 

 結局、ミラノのど真ん中、ドゥオモのすぐそばで営まれていた、庭守りの生活は、もうそこには存在していなかった。

 

 羨ましい環境の庭で、あの人は美しく旅立ったのだろうか。

 

 今回のミラノへの里帰りも、カスキット・リスト(くたばるまでにやっておきたいことのリスト)の一項目を紡いでいる僕にとって、この屋上ガーデンの光景は羨ましくも、でも立ち尽くす寂寥の光景でもあった。

 

<10年前の緑のガーデンと、さびれた今のガーデンの対比をお見せします>

 

第一章:ミラノ( 5 / 9 )

5.ミラノ、爆撃の傷跡

 

5.レリーフの傷跡.jpg

 

 

 やはりと言うか、当然と言うか、ミラノへ来たら、やはり一度はドゥオモ広場とガレリア・ヴットリオ・エマニュエルを歩いてみないと落ち着かない。それだけ、ドゥオモの存在感は大きいのだ。

 

 2011年から、ミラノの中心部には公共交通機関以外(住民の車は定期券)、車は締め出されて、一回5ユウロを払わなければ入れなくなった。その結果、中心部の空気は本当に良くなった。

 

 当初の目的はスモッグ体策だったわけだが、その効果はほかにも人々の生活にいい影響を与えてくれていると感じる。

 

 たとえば、ドゥオモ広場をとりまく道路からは、清掃車と警察の車以外は全く姿を消した。一年中が歩行者天国だ。

 

 こういうことが、大胆にできる、やれる市民社会が羨ましい。日本では、ああでもないこうでもないと言っている間に、問題は常に先送りされて決まらないのが当たり前なのだが…。

 

 もうせんはスモッグに汚れ、真っ黒だったドゥオモ自体がバラ色に、軽ろやかになった。薄汚れて汚かった正面のファサードも、サンバビラ方向から見える後姿も、長い補修工事、主としてスモッグ汚染の丁寧な洗浄作業のおかげで、明るく軽やかな姿になった。これでドゥオモは本来の姿を取り戻したわけだ。

 

 結果として、尖塔の上に輝くマドンニーナの金色の彫像も浮いた感じではなくなって、建物と調和したものになった。

 

 ドゥオモ全体からみると、まだ正面右側の大理石の洗浄作業は続いているようで、囲いの中で時間をかけて少しずつ工事が進んでいる。こうした工事は、ドゥオモ自身が観光客や信者からの資金を集めて行っているから、ゆっくりとしか進まない。びっくりするのは、ドゥオモの広い側面を企業の大きな広告に貸し出して、資金を調達するなんてことを平気でやっていることだ。前回は、化粧品の広告で美しい女性の上半身が掛かっていたが、今回は韓国、サムスン電子の企業広告が翼廊の外壁を飾っていた。

 

 ドゥオモの身廊の上の大屋根には、やはり登れない。微妙な尖塔や、その中を通る細い螺旋階段などの修復が続いているからだ。だから、ドゥオモ広場を上から見下ろすことはできない。保護の観点で言えば、これからもずっと見られないかもしれないと思う。そういえば、今回、僕の歩いたイタリアのいろんな街には修復工事のないところは無いと言えるほど修復工事に出っくわした。みたいところが、クローズされていて、えっ…て思ったことが何度もある。

 

 ミラノ、軽やかなドゥオモを取り返した広場も人があふれて賑やかだ。

 

 人々は、写真を撮り、友達と会い、若者はグループで音楽をやり、大道芸人は無言のピエロのコスチュームで観光客を驚かせている。

 

 

 

  リードをつけられたラブラドールの子犬が、広場の鳩の群れを追っかけて遊びはじめたりする。飼い主に怒られて、子犬は人ごみに消えていく。人が、自分を自然に楽しんでいる姿が見られる。

 

 僕も乗ってみたいと思っていた二輪車、セグウエイを貸し出していて、観光客がスカラ座広場の方まで、自分の立ち位置で運転しながら広場をゆっくり走らせてぬけていく。やってみたいけど、血が止まらない薬を飲んでいるから転んだりしたら怖いので、あきらめるしかない。

 

 ガレリアの中には、大きな変化はない。

 

 

 店としての品格の議論でもめていたマクドナルドも黒ずくめの店構えで、ひっそりと、しかし賑やかに営業している。これから、どうなるかは分からない。ミラノは、「EXPO2015」を控えて大改造中だから、その波の中でどうなるのか…。ちなみにテーマは、「惑星・地球をはぐくみ、生命にエネルギーを」とある。これを契機に、ミラノのいたるところに、一見すると奇妙な高層の建物が増えている。歴史的な物と最先端のデザイン建築が混在し始めて、ミラノのイメージを変えつつあるようだ。

 

 ホテルに歩いて帰る時に、ドゥオモのファサードがきれいになったのに惹かれて、正面のブロンズのレリーフを見ていたら、イタリア人の老夫婦がレリーフの一枚を指さしながら話している。興味をひかれて聞いてみると、それは第二次世界大戦の連合軍の爆撃の傷あとだと言う。

 

 言われてよく見てみると、キリストの一生を物語るレリーフの一画面、受胎告知部分に残る砲弾の破片の付けた深い傷があった。聞くと、ヴィットリオ・エマニュエルのガレリアも爆撃を受けて、大きな損傷を受けたのだと言う。戦後、再建したと言う。知らなかった。

 

 地元の人と話すと、なにか新しい発見がある。何度も写真を撮ったことのあるレリーフだったのに、今回初めて気がついた古い戦争の傷跡だった。

 

 老夫婦は「アリベデルチ」と挨拶をされて、おだやかな夕日の広場に消えて行った。

 

 このバラ色に輝くドゥオモにも、過酷な第二次世界大戦の傷跡が残っているのだと、初めて気づかされた老夫婦との出会いだった。

 

 

<赤でマークしたところが、ドゥオモ正面のレリーフに残る爆撃の傷跡です>

 

第一章:ミラノ( 6 / 9 )

6.落ち着いたムゼオ(美術館)

 ミラノの美術館というと、きっと多くの人はサンタ・マリア・デッレ・グラツェ教会のCenacolo(最後の晩餐)を思い起こすに違いない。 

 確かに、レオナルドの大きな絵、最後の晩餐は美しいし、12人の弟子たちの表情も豊かで名作には違いない。

 

 しかし、たった20分弱の、しかもべらぼうに高い料金(押し売りのミラノガイドブック付きで、2800円/人)を払ってのグループ鑑賞は、決して楽しいものとは言えないと思う。世界中から何か月も前から予約して、やっとみられるという、なんだか煙ったい存在なのだ。修復された色は、修復前より鮮やかに、明るくはなってはいる。

 

 僕が初めてミラノを歩いた40年以上前に見た時よりは、美しくはなっている。でもそれ以上ではない。逆に、レオナルドが選んだテンペラ画の技法の欠陥が、よりはっきり現れて、近くでみると色がはげ落ちてしまっている部分が目立つ。湿気は禁物だから、物々しい監視と管理のもとで見せられることになる。

 

 一番いいのは、レオナルドの絵の反対側にある向かい合った絵の近くに立ちcenacoloの持つ部屋の遠近感と、レオナルドが絵の中にさらに延長した遠近法を楽しむのがよさそうだ。まあ、一見の価値はあるだろうけれど、お勧めのムゼオではない。

 

 といって、もう一つの有名なブレラは、またここも、渾然一体となった、ごちゃまぜの美術館だ。見終えて出てくると印象が定まらないのだ。なんだか、空しい時間を使った感じになるのは、どうしたわけかはわからない。だから、これもお勧めにはならない。

 

 そんな意味では、僕が秘かに楽しんでいるのは、アンブロジアーナ絵画館だ。喧噪のドゥオモ広場から歩いて行ける小さな存在だけれど、これがいい。

 

6.落ち着いたムゼオ.jpg

 

 

 

 地味としか言えない教会の裏手あたりから入り込むと、まさかこれがと心は弾まない。でも、一度入り込んでみると、そこは想像以上の静かな別世界だ。

 

 17世紀からの絵画館で、こんなのがここにあったのかということになる。

 

 一番びっくりしたのは、ローマのヴァチカンにあるラッファエロのアテネの学堂の習作が、黒いコンテで、実物大のサイズで描かれているのを発見したことだ。極端に薄暗い部屋の中に、突然立ち上がってくる。

 

 最終的なアテネの学堂とは違った人物もあるが、これを見てヴァチカンの絵を見ると、ラッファエロもこうして、下絵を描いて構想を練っていたんだと、ラッファエロを生身の人間として感じられる。

 

レオナルドの天才ぶりを示す、科学的な、もしくは工学的なアイデアのデザインも多数、この絵画館に陳列してある。複製であるが、ゆっくり時間をかけてみていると、この天才がなぜ天才と言われているのかが、自分自身で感じ取る事ができる。

 

 彼は、現代の科学の到達地点を17世紀に考え、スケッチにしているのだ。これをみると、えっと驚いてしまう.間違いなく、17世紀からタイム・マシンに乗って、21世紀の現代を見ていいたに違いない。たとえば、有名なヘリコプターのアイデアのスケッチとか。

 

 僕の好きなカラバッジョの果物の籠の絵も、小品だけれど、カラバッジョの繊細な表現で見せてくれる。実は僕が、カラバッジョを知ったのも、好きになったのもこの絵画館。ミラノに帰ると、一度は見ておきたくなるわけだ。

 

 素晴らしいのは、アンブロジアーナの建物そのもの。絵画館を進んでいくと、アンブロジアーナ教会の裏手にある中庭を見下ろす回廊のあるメドューサの部屋に至る。この部屋の、木のモザイクの床は美しい。フレスコの壁も照明も、神秘的な暗い世界だ.床一面と、天井、それにマッチした庭の明るさに期待を持たせるガラスの格子戸とアーチたち。その扉を開けて、外に出るといくつかの彫像が立つ明るい中庭。

 

 4百年もの時間が経過しているとは思えない、気持ちの落ち着く部屋と中庭だ。室内はフラッシュが禁止されているから、写真では雰囲気しか映せなかった。

 

 出口に向かって歩いていると、古い絵画の修復を今も営々とやっている工房をのぞくことができる。1943年のミラノ爆撃で傷ついた絵画の修復を、若い女の人たちが、黙々と絵とにらめっこをしながら行っている。

 

 印象的だったので、作業している光景を写真に撮らせてくれと頼んだら断られた。彼女たちの集中力が途切れるとのことだった。時間を超えた存在たちは、途方もない時間のかかる根気のいる作業で、現代まで生き延びているわけだ。

 

 17世紀のアンブロジアーナの世界から、セグウエーの走り回る21世紀のドゥオモ広場の喧騒まで、歩いて5分。400年の時空を飛んでいるわけだ。このギャップがイタリアの懐の深さかも知れない。

 

 ぜひ、時間を見つけて訪れてみてほしい静かなアンブロジアーナ絵画館です

第一章:ミラノ( 7 / 9 )

7.羨ましいミラノ

 いつも、ミラノに帰ると羨ましい光景にぶつかる。本当にうらやましい。

 

 最後の晩餐を見に行ったその帰り、サンタマリア・デッレ・グラツェ教会の反対側の歩道を歩いてメトロの駅に向かっているとき、カメラを持っている僕の気を引く風景があった。

 

7. 羨ましいミラノ.jpg

 

 サンタマリア・デッレ・グラツェ教会を目の前に見て、反対側の歩道の奥に、鉄の柵を巡らした落ち着いた5階建てくらいのアパートメントが見えた。

 

 こうしたアパーメント(日本だとマンションと言うだろう)の定番で、入り口から中庭が見え、そこにつながる小道が誘うようにデザインされている。

 

 ちょうど、紫陽花の時期で、うす紫と青い葉が小道を彩っている。そして、その正面には、イタリア式の丸い瓦で葺いた小さな屋根が配置されている。美しく、いつでも人を迎え入れる準備ができているようだ。

 

 夢中になって、柵越しに写真の構図を決めていると、後ろでなんだか車の音がする。何だろうと振り返ると、一台の小型のランチャが、僕が写真を撮っている鉄の扉に直角に入ってこようとしている。なんだかよく理解できなかった。車から、30代くらいの女性が出てきて、僕にニコリとした。

 

カメラを持ったまま呆然としていた僕だが、もしかしたらここに車が入るんじゃないかと、やっと状況が呑み込めた。あわてて、僕はゴメンナサイ、とても素敵なアプローチなので写真を撮らしてもらっていたのです。

 

ここに車を入れるのですかと訊いた。そうだと言う。にこやかに、写真を撮り終ってくださって結構ですと言う。あわてて、構図を決めて撮った写真がこの絵。話をきくと、この4階建ての大きなアパートに、一家5人で暮らしているという。ランチャを運転しているのがお母さんだと話してくれた。

 

 羨ましいという言葉が、僕の口をすべりだしていた。

 

 聞くとこのアパートメントも400年も経っているという。しかも、有名な教会のすぐそば。素晴らしい環境に、こんなアパートを持っているなんて、ほんとに羨ましい!

 

 僕がどいた門は彼女が開いて、ランチャは小道を中庭の方に消えて行った。

 

 この地域が素晴らしい環境であることも、羨ましいのだが、それは決して環境のせいだけではない。僕の住んでいた、ちょっと下町のコルソ・ブエノスアイレスのアパートメントでも同じだ。夕暮れ、勤め帰りの人が呼び鈴を押して門を開け、郵便物をチェックして中庭に消えていく。

 

 彼らは、何百年も、こうしたアパートで暮らしている。

 

 内装は、何十年に一回とか、機会があるとリノヴェートしているようだけれど、決して日本のように、50年くらいで建て替えだという必要はないのだ。だから、日本のように、親が家を建て、その子供も自分の代で家を建て替えるなんて馬鹿なことはない。

 

 彼らは、家を建て替えるという概念はない。内装を必要に応じて、3~400万円くらいかけて一回やれば、一代の生活は十分。子供たちが、また結婚するとかの時に内装変えをやればいい。

 

日本のように、39年もの住宅ローンなどを組んで、常にその返済に追い立てられて、消費に金を回せないということはないわけだ。だから、羨ましい。

 

社会資本の蓄積が個人の生活を豊かにしている。結果として、国も新しいことをやろうと汲々とはしていない。しかも、基本的には同じ所に、その家族は何代にもわたって住んでいるから、地域社会が壊れるということもない。みんな子どものころからの知り合いの集合体なのだ。

 

 だから、各々の個人の店も、同じ場所で、同じものを扱い続けて商売になる。大きなことを考えなければ、生活はそれなりに維持できるわけだ。

 

 こうした世界は、単にイタリアにとどまらない。多くのヨーロッパの国、民族が同じように古くからの社会資本を大切にして、ゆたかな住生活をその上に築いている。

 

 日本だって湿度のことがあるから…、なんて言って木造にこだわることもないと思うし、一戸建てにこだわる必要もないと思う。新しい建物の構造材を発明して、300年 でも400年でももつ集合住宅を街につくればいい。

 

 

 聞くところによると、日本では最新のマンションの寿命も50年くらいとふんでいるようだ。おかしなことだ。

 

 ミラノで見られるこんな生活は、日本人の発想にはないのでは…と考えるわけだ。やはり、羨ましいのだ。

徳山てつんど
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