ミラノ 里帰り

第一章:ミラノ( 6 / 9 )

6.落ち着いたムゼオ(美術館)

 ミラノの美術館というと、きっと多くの人はサンタ・マリア・デッレ・グラツェ教会のCenacolo(最後の晩餐)を思い起こすに違いない。 

 確かに、レオナルドの大きな絵、最後の晩餐は美しいし、12人の弟子たちの表情も豊かで名作には違いない。

 

 しかし、たった20分弱の、しかもべらぼうに高い料金(押し売りのミラノガイドブック付きで、2800円/人)を払ってのグループ鑑賞は、決して楽しいものとは言えないと思う。世界中から何か月も前から予約して、やっとみられるという、なんだか煙ったい存在なのだ。修復された色は、修復前より鮮やかに、明るくはなってはいる。

 

 僕が初めてミラノを歩いた40年以上前に見た時よりは、美しくはなっている。でもそれ以上ではない。逆に、レオナルドが選んだテンペラ画の技法の欠陥が、よりはっきり現れて、近くでみると色がはげ落ちてしまっている部分が目立つ。湿気は禁物だから、物々しい監視と管理のもとで見せられることになる。

 

 一番いいのは、レオナルドの絵の反対側にある向かい合った絵の近くに立ちcenacoloの持つ部屋の遠近感と、レオナルドが絵の中にさらに延長した遠近法を楽しむのがよさそうだ。まあ、一見の価値はあるだろうけれど、お勧めのムゼオではない。

 

 といって、もう一つの有名なブレラは、またここも、渾然一体となった、ごちゃまぜの美術館だ。見終えて出てくると印象が定まらないのだ。なんだか、空しい時間を使った感じになるのは、どうしたわけかはわからない。だから、これもお勧めにはならない。

 

 そんな意味では、僕が秘かに楽しんでいるのは、アンブロジアーナ絵画館だ。喧噪のドゥオモ広場から歩いて行ける小さな存在だけれど、これがいい。

 

6.落ち着いたムゼオ.jpg

 

 

 

 地味としか言えない教会の裏手あたりから入り込むと、まさかこれがと心は弾まない。でも、一度入り込んでみると、そこは想像以上の静かな別世界だ。

 

 17世紀からの絵画館で、こんなのがここにあったのかということになる。

 

 一番びっくりしたのは、ローマのヴァチカンにあるラッファエロのアテネの学堂の習作が、黒いコンテで、実物大のサイズで描かれているのを発見したことだ。極端に薄暗い部屋の中に、突然立ち上がってくる。

 

 最終的なアテネの学堂とは違った人物もあるが、これを見てヴァチカンの絵を見ると、ラッファエロもこうして、下絵を描いて構想を練っていたんだと、ラッファエロを生身の人間として感じられる。

 

レオナルドの天才ぶりを示す、科学的な、もしくは工学的なアイデアのデザインも多数、この絵画館に陳列してある。複製であるが、ゆっくり時間をかけてみていると、この天才がなぜ天才と言われているのかが、自分自身で感じ取る事ができる。

 

 彼は、現代の科学の到達地点を17世紀に考え、スケッチにしているのだ。これをみると、えっと驚いてしまう.間違いなく、17世紀からタイム・マシンに乗って、21世紀の現代を見ていいたに違いない。たとえば、有名なヘリコプターのアイデアのスケッチとか。

 

 僕の好きなカラバッジョの果物の籠の絵も、小品だけれど、カラバッジョの繊細な表現で見せてくれる。実は僕が、カラバッジョを知ったのも、好きになったのもこの絵画館。ミラノに帰ると、一度は見ておきたくなるわけだ。

 

 素晴らしいのは、アンブロジアーナの建物そのもの。絵画館を進んでいくと、アンブロジアーナ教会の裏手にある中庭を見下ろす回廊のあるメドューサの部屋に至る。この部屋の、木のモザイクの床は美しい。フレスコの壁も照明も、神秘的な暗い世界だ.床一面と、天井、それにマッチした庭の明るさに期待を持たせるガラスの格子戸とアーチたち。その扉を開けて、外に出るといくつかの彫像が立つ明るい中庭。

 

 4百年もの時間が経過しているとは思えない、気持ちの落ち着く部屋と中庭だ。室内はフラッシュが禁止されているから、写真では雰囲気しか映せなかった。

 

 出口に向かって歩いていると、古い絵画の修復を今も営々とやっている工房をのぞくことができる。1943年のミラノ爆撃で傷ついた絵画の修復を、若い女の人たちが、黙々と絵とにらめっこをしながら行っている。

 

 印象的だったので、作業している光景を写真に撮らせてくれと頼んだら断られた。彼女たちの集中力が途切れるとのことだった。時間を超えた存在たちは、途方もない時間のかかる根気のいる作業で、現代まで生き延びているわけだ。

 

 17世紀のアンブロジアーナの世界から、セグウエーの走り回る21世紀のドゥオモ広場の喧騒まで、歩いて5分。400年の時空を飛んでいるわけだ。このギャップがイタリアの懐の深さかも知れない。

 

 ぜひ、時間を見つけて訪れてみてほしい静かなアンブロジアーナ絵画館です

第一章:ミラノ( 7 / 9 )

7.羨ましいミラノ

 いつも、ミラノに帰ると羨ましい光景にぶつかる。本当にうらやましい。

 

 最後の晩餐を見に行ったその帰り、サンタマリア・デッレ・グラツェ教会の反対側の歩道を歩いてメトロの駅に向かっているとき、カメラを持っている僕の気を引く風景があった。

 

7. 羨ましいミラノ.jpg

 

 サンタマリア・デッレ・グラツェ教会を目の前に見て、反対側の歩道の奥に、鉄の柵を巡らした落ち着いた5階建てくらいのアパートメントが見えた。

 

 こうしたアパーメント(日本だとマンションと言うだろう)の定番で、入り口から中庭が見え、そこにつながる小道が誘うようにデザインされている。

 

 ちょうど、紫陽花の時期で、うす紫と青い葉が小道を彩っている。そして、その正面には、イタリア式の丸い瓦で葺いた小さな屋根が配置されている。美しく、いつでも人を迎え入れる準備ができているようだ。

 

 夢中になって、柵越しに写真の構図を決めていると、後ろでなんだか車の音がする。何だろうと振り返ると、一台の小型のランチャが、僕が写真を撮っている鉄の扉に直角に入ってこようとしている。なんだかよく理解できなかった。車から、30代くらいの女性が出てきて、僕にニコリとした。

 

カメラを持ったまま呆然としていた僕だが、もしかしたらここに車が入るんじゃないかと、やっと状況が呑み込めた。あわてて、僕はゴメンナサイ、とても素敵なアプローチなので写真を撮らしてもらっていたのです。

 

ここに車を入れるのですかと訊いた。そうだと言う。にこやかに、写真を撮り終ってくださって結構ですと言う。あわてて、構図を決めて撮った写真がこの絵。話をきくと、この4階建ての大きなアパートに、一家5人で暮らしているという。ランチャを運転しているのがお母さんだと話してくれた。

 

 羨ましいという言葉が、僕の口をすべりだしていた。

 

 聞くとこのアパートメントも400年も経っているという。しかも、有名な教会のすぐそば。素晴らしい環境に、こんなアパートを持っているなんて、ほんとに羨ましい!

 

 僕がどいた門は彼女が開いて、ランチャは小道を中庭の方に消えて行った。

 

 この地域が素晴らしい環境であることも、羨ましいのだが、それは決して環境のせいだけではない。僕の住んでいた、ちょっと下町のコルソ・ブエノスアイレスのアパートメントでも同じだ。夕暮れ、勤め帰りの人が呼び鈴を押して門を開け、郵便物をチェックして中庭に消えていく。

 

 彼らは、何百年も、こうしたアパートで暮らしている。

 

 内装は、何十年に一回とか、機会があるとリノヴェートしているようだけれど、決して日本のように、50年くらいで建て替えだという必要はないのだ。だから、日本のように、親が家を建て、その子供も自分の代で家を建て替えるなんて馬鹿なことはない。

 

 彼らは、家を建て替えるという概念はない。内装を必要に応じて、3~400万円くらいかけて一回やれば、一代の生活は十分。子供たちが、また結婚するとかの時に内装変えをやればいい。

 

日本のように、39年もの住宅ローンなどを組んで、常にその返済に追い立てられて、消費に金を回せないということはないわけだ。だから、羨ましい。

 

社会資本の蓄積が個人の生活を豊かにしている。結果として、国も新しいことをやろうと汲々とはしていない。しかも、基本的には同じ所に、その家族は何代にもわたって住んでいるから、地域社会が壊れるということもない。みんな子どものころからの知り合いの集合体なのだ。

 

 だから、各々の個人の店も、同じ場所で、同じものを扱い続けて商売になる。大きなことを考えなければ、生活はそれなりに維持できるわけだ。

 

 こうした世界は、単にイタリアにとどまらない。多くのヨーロッパの国、民族が同じように古くからの社会資本を大切にして、ゆたかな住生活をその上に築いている。

 

 日本だって湿度のことがあるから…、なんて言って木造にこだわることもないと思うし、一戸建てにこだわる必要もないと思う。新しい建物の構造材を発明して、300年 でも400年でももつ集合住宅を街につくればいい。

 

 

 聞くところによると、日本では最新のマンションの寿命も50年くらいとふんでいるようだ。おかしなことだ。

 

 ミラノで見られるこんな生活は、日本人の発想にはないのでは…と考えるわけだ。やはり、羨ましいのだ。

第一章:ミラノ( 8 / 9 )

8.トレニタリアの予約

8.FrettaRossa.jpg 

 

 

  イタリアでは、長距離でも車で旅する人が多い。

 

 僕も若くて元気なころは、ミラノ~ローマの600km、ミラノ~ヴェネチア300kmなんかを平気で走っていた。100km、1時間換算で走れるから計算も簡単。

 

 何しろ、日本が初めて高速道路を建設するときに真似た仕組みが、イタリアのアウトストラーダだから、日本人にとってはなんだかなじみやすい。

 

 しかし、正直、もう長距離を自分で運転はしたくない。ということで、長距離の移動は電車に頼る事になる。

 

 今回の旅でも、ミラノ~フィレンツエとチンクエテッレ~ミラノ間は電車にした。イタリアの電車で怖いのは、時々、ストライキがおきて、突然ですが使えませんという危険はある。でも今回は、ストライキは起きなかった。

 

でもいろいろなことが起きた。

 

 そのことを書いて、今後の読者のイタリア電車の旅の参考になればと思っている。イタリア国鉄は、今はトレニタリア (trenitalia) という会社が運営している。

 

 僕の日本の出発前から、実は問題が起きていた。トレニタリアは、オンラインで切符も、座席指定特急券も予約できるし、クレジットカードで決済ができるから、個人旅行では非常に便利。

 

 旅の日程から、ある日のミラノ~フィレンツエの一等の特急券が必要だった。トレニタリアのHPにアクセスして、切符を手に入れようとしていた。

 

 もう先は、エウロスター(ES)という名前でイタリア国内の高速鉄道は走っていた。しかし、最近は従来の線路とは違った新しい線路を主要都市間に巡らせて、300km/時以上の速度で走るフレッチャ・ロッサ号(赤い矢号)が、美しいデザインでミラノ~サレルノ間を走っている。そのAV952110:20ミラノ発の切符を手に入れるところで、つまづいた。

 

 電車を決めて、予約を入れようとする。

 

 トレニタリアのHPは、予約できましたと通知してくるので、支払いの作業に入り、PINコードを入れ、カード会社の認証が終わり、後はオンラインティケットの発行だけ。

 

 ところが、そこでエラーとなる。

 

 Error code:1007  Error in ticket Generation(切符発行エラー)と表示され、少し待つと、Error code:9007 Dear customer, the transaction is unsuccessful. No charges made. Please try again later. (処理はうまくいきませんでした。支払いは発生していません。後でもう一度やってください。)とくる。

 

 この切符が取れないと、次の行程が組めないから、1時間ほどしてやってみると、全く同じことが起きる。クーとつぶやきながら、同じことをやってみる。

 

 5回も同じことをやっても、全く同じことがおこる。

 

 しょうがない、飛行機の切符を買ったH.I.S.に、同じ電車を予約して入手してくれるように頼んだ。H.I.Sからは翌日OKが来て、一件落着と思っていた。

 

 海外でのクレジットカードの支払で、問題が起きた経験があるから、僕はクレジット会社のHPで状況をチェックすることをいつも行っている。

 

 ある日、クレジット会社のHPをチェックすると、トレニタリアからとんでもない請求がカード会社に行われていた。トレニタリアのHPからティケットを手に入れようとした僕の5回にわたる苦闘が、そのままチャージされている。一回6000円 x 5回というわけだ。クー。

 

 No charges made. って言って来たじゃないか。クー、クソーだ。

 

 仕方がない、クレジットカード会社の国際部に電話して、事情を説明。トレニタリアからのエラーメッセージも証拠としてメールして、支払わないでいいように頼んだ。

 

 しばらくして、クレジット会社から、僕にはこの金額はチャージしないで、イタリアのこのカード会社の支店に、現地でトレニタリアとの話をつけてもらうと回答が来た。よかった。エラーメッセージを保存しておいたのがよかったのだ。

 

 後から、H.I.S.から同じ電車のティケットが届いて、予定の組み替えはしなくて済んだ。ネットでのトレニタリアとのやり取り、ご注意を!

 

P.S.

最新情報によれば、2012年8月26日より、民間会社ITALO(イタロ)が、ミラノ~ローマ間、580kmをノンストップで、2時間45分で結ぶフェラーリ特急のサービスを始めたようです。

 

第一章:ミラノ( 9 / 9 )

9.雨のミラノ・モンテナポレオーネ通り

9.Il salmaio.jpg

 

 

 

 僕が4週間、イタリアに滞在している間、雨が降ったのは、僕がジェット・ラグを消して本番のトスカーナに出かけられるようにと、ミラノにいた間の半日だけだった。

 

 疲れを取るためだから、あまり無理はしないで気の向くまま街を歩いて、僕がご無沙汰していた10年間のブランクを埋めればよかった。

 

 ホテル・アンバシャトーリはミラノのど真ん中だから、歴史的な中心街(チェントロストリコ)ならどこでも歩いて行ける。

 

 モンテナポレオーネ通りと言えば、日本女性が目の色を変えて有名なブランド品を買いあさる街だから、日本でも十分に名前は知られていると思う。世界中に知られた一流のブランド・ブティックが細い一方通行の道を挟んで両側に並んでいる。周辺を合わせると、ざっと100店くらいが集まっている地域だ。

 

 アンバショアトーリから東に歩くと3分でサンバビラ。そこから左へ曲がればこの通りだ。

 

 僕は有名ブランドには全く興味はない。でもヴェトリーナ(ショウ・ウインド)を見て歩くのは楽しい。それこそ、ミラノの天才芸術家たちがこぞって、独自のヴェトリーナを美しく、モダンに、質高く作り上げていてくれるからだ。ありとあらゆるブティックが、今流行の、これからはやりそうな色彩を個性的に準備してくれている。何も買わなくても、楽しめるのだ。ブランドの名前を挙げればきりがないから、名前のリストはここでは作らない。

 

 僕も行ってみたい店が4軒あった。

 

 今日は雨が降るかも…との予報だったので、折り畳み傘をもって、ゆっくりと歩いてみようと出かけたら雨が降り出した。激しい雨でなければ、こちらの人はあまり傘を差さないで平気で歩いている。でも、ざっと降ってきた。歩道で物売りをしているライセンスのない商売人たちは、お巡りさんの目を気にしながら、さっと折り畳み傘を取り出して、傘のない人に売りつけている。こんな商売もあるのだと、感心した。買っている人もいた。何ともタイミングの良さが売りなのだ。

 

 僕が行ってみたかったのは、テーブル・ウエアのアレッシ(Aessi)、家具のダ ドリアデ(Da Dirade)、タオル専門店のフレッテ (Frette)、そして、ランチはイル・サルマイオ(Il salmaio) なんて気持ちで歩きはじめたら、雨だ。

 

一番近いアレッシからと、記憶にある場所を探すけれど見当たらない。アレッシはイタリアン・デザインの美しいテーブル・ウエアの店で、できれば冷やかしだけではなく、気に入ったものがあったら買ってもいいと思って出かけたわけだ。しかし、店がない。

 

最初からへこむ。雨も降るし、気分が暗くなる。近くの店の人が、雨を見上げながら手持ち無沙汰に店の前に立っている。訊いてみるしかない。最近移転したんだって教えてくれた。500mくらいあるモンテナポレオーネ通りを端から端まで歩くことになる。仕方ない。「この次」があるわけではないから行ってみる。

 

モテオッティ通りを左に曲がって、ちょっと心細くなりながら少し歩くと、店が見えた。訊いたとおりに店を見つけられてよかった。だが、ヴェトリーナからデザインを見るが、ピンとくるものがない。残念と引き返す。

 

 同じ通りにダ ドリアデの店があるので、イタリアン・デザインの家具たちを見る。シチュエーションごとに配置された家具たちは、とても魅力的だ。色もいい。欲しくなるけれど、家具は買っては帰れないし、横浜の僕んちに置ける様なものは見つからない。下手をすると、その一つだけ浮いてしまうだろう。見るだけ、見るだけと、自分を追い出すわけだ。

 

フレッテは、昔通りの場所にあった。やっとホッとする。ヴェトリーナから、店をのぞいてみる。タオル系のものの専門店で、気に入った店だ。しかし、値段がおそろしく高い。色も思っていたほどの美しさはない。

 

イタリアでは、バーゲンの時とか、大量販売の店以外では、人々はウインドーショッピングでしっかりいろんな店を見て歩いて、自分のものを選ぶのが普通だ。そして、本当に買うと決めて店に入るのが一般的。買いたいものがないから、フレッテに入る気にはならなくて歩き続ける。しかも、雨。

 

 ランチはイル・サルマイオでと決めていた。古くからの店で、サラミの専門店だ。しかも、モンテナポレオーネにあるという特別な店でもある。

 

 しかし雨の中を、記憶をたどって、それらしい区画を探すけれど、見当たらない。モンテナポレオーネ通りの真ん中あたりの、サンバビラから行くと右側にちょっと門をくぐった中庭に店はあったはずだ。しかし見つからない。

 

ここは、レストランとカフェと、サラミ類や、日本でいうデリカテッセン(?)のガストロノミアの売り場があって楽しい場所だった。まだ僕がイタリアになれない頃、入り込んで、そこの店の人がフリウリのサンダニエーレの生ハムと、パルマのそれを目の前でそいで試食させてくれて、その味が全く違うことを教えてくれた思い出のある店だ。

 

誰かに、イタリア旅行で、モンテナポレーネ近辺でどこか食事ができるところは…と訊かれたら、いつもこの店を教えていたのに見つからない。悔しいし残念。ちなみに、イル・サルマイオとは、サラミ屋さんということだ。

 

 フレッタの近くで、やはり、店から外を見ている土地の人らしい男の人に訊いてみた。アレッシと同じように、最近、このモンテナポレオーネから移転したようだ。そんなに遠くない、しかし、少し離れた別の通りだと言う。名前がIl salmaio di Montenapoleone というぐらいだから、本当はこの通りにあるべきなのだが…移転していた。確かに、こんなブティックの聖地にサラミ屋さんがあるのはおかしいかもしれなのだが。疲れていた僕は、探してみるのをやめた。

 

 これで、僕の行きたかった四つの店のうち、二か所には振られたわけだ。雨の中、頑張って新しい店を探しにいく気も失せて、暗い、人通りの少ないモンテナポレオーネの通りを抜けて、ホテルに帰ってきた。気分的にも疲れていた。

 

P.S.

最近のコリエーレ・デッラ・セーラ紙のミラノ版の情報だと、未来のミラノの中心街にしようと開発の進むコルソ コモ(ガリバルディ駅の近く)では、「新しいモンテナポレオーネ」を作ろうと、50店舗くらいの計画が進行中。2014年中の完成予定とか。でも、本物が消えることはないと思う。

 

<帰国後 見つけたイル・サルマイオのホームページ 確かに移転していた>

 

 

徳山てつんど
ミラノ 里帰り
0
  • 0円
  • ダウンロード

7 / 37