ミラノ 里帰り

あとがき( 1 / 1 )

2012年6月、10年ぶりの懐かしいミラノへの里帰りは、無事に終わった。

 

僕が29歳の時に赴任したミラノは、その後、僕の第二の故郷になった。

 

2年ほどミラノで過ごし、その後も仕事で5~6回はミラノに行っている。正直に言うと、パリ出張の時などは無理をして、ミラノでの仕事を作って通った街でもある。

 

退職後のプライベートな時間では、4週間の北部イタリア、4週間のラッチオ、ウンブリア、トスカーナを中心とした10年前の旅、そして今回のトスカーナを中心とした4週間の旅で、約3か月は過ごしているから、結構イタリアとの付き合いは長い。

 

本文の中でも書いたけれど、ミラノは僕の最初の異文化との出会いの街だったから、その後、訪れたアメリカとか、豪州とか、香港とは比べ物にならない位、大きな影響を僕自身に残した。パリの滞在2か月も、それに重なって、僕にはヨーロッパの印象が強く残っている。

 

そこで学んだ最大のことは、人間は三つの世界をあわせ持つのが当たり前だということだ。家、仕事(会社)に加えて、第三の世界を持っているのが普通だということ。

 

それは、身近な地域社会での活動でも、自分の趣味の世界からの広がった社会でも、ボランティア活動でもいいだろう。仕事と異質であればあるほど、より客観的な、バランスの取れたものの見方を、人に与えてくれるようだ。仕事と家庭だけの往復を当然だと思っている日本人の考え方とは、明らかに違う。

 

日本人が、オイッチニの二拍子(会社と家の往復)であるとするなら、彼らは三拍子のワルツを踊っている。より、個人として安定していられるわけだ。

 

例えば、会社の失敗の感情を直接、家庭には持ち込まないで、自分を開放する場所をちゃんと個々人が持っていることだ。そういう意味で、安定した心的な世界が広がっている。

 

そこに価値を見つければ、僕たち日本人でも、退職して、家という一点のみに身を置かなくてもいいという自由が得られるということだ。もしかすると、そこから第二の人生が開けるかもしれない。

著者プロフィール( 1 / 1 )

 

著者プロフィール

 

 

徳山てつんど(德山徹人)

          

1942年1月1日 東京、谷中生まれ

1961年 大阪市立大学中退

1966年 法政大学卒業

1966年 日本IBM入社

 

   システム・アナリスト、ソフト開発担当、コンサルタントとして働く

   この間、ミラノ駐在員、アメリカとの共同プロジェクト参画を経験

      海外でのマネジメント研修、コンサルタント研修を受ける

 

1996年 日本IBM退社

 

1997年 パーソナリティ・カウンセリングおよびコンサルティングの

        ペルコム・スタディオ(Per/Com Studio)開設

 

EMailtetsundojp@yahoo.co.jp

HP:          http://tetsundojp.wix.com/world-of-tetsundo

 

 

著書

 

Book1:「父さんは、足の短いミラネーゼ」   http://forkn.jp/book/1912/

Book2:「が大学時代を思ってみれば…」      http://forkn.jp/book/1983/

Book3:「親父から僕へ、そして君たちへ」   http://forkn.jp/book/2064/

Book4:「女性たちの足跡」            http://forkn.jp/book/2586/

Book5:M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その1」            

                      http://forkn.jp/book/4291

Book6::  「M.シュナウザー チェルト君のひとりごと その2 」

                                                                           http://forkn.jp/book/4496

徳山てつんど
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